油断していたつもりはない。1451年にペトル・アロンによってボグダン二世が暗殺されることはわかっていた。しかし影で糸をひいていたポーランドの影響を排除し、ペトル・アロンを辺境へ放逐したことで暗殺の脅威は去ったとも思っていた。それほどボグダン二世は貴族にも国民にも好かれた篤実な政治家だったのだ………。 今回の暗殺の首謀者ランバルド・マシュディーは母方にポーランドの大貴族の血を引く有力貴族のひとりであった。彼にとってボクダン二世が着手し始めた中央集権志向の政策は全てが我慢のならないものだった。なかでもヴラドとの政治経済的結びつきを重視したボクダン二世が港の国有化とドナウ川流域の関税を撤廃したのがいけなかった。ドナウ水系に面した領土を持つ貴族にとって関税収入は貴重な欠くべからざる収入源なのだ。しかし今や港のなかったワラキアはアドリア海に窓口を有しており、ドナウにおける支配権も、河川海軍を組織したワラキアにもはやかなうものではなくなっていた。好調な対ワラキア貿易を継続していくために国境沿いの関税を相互に撤廃していくのは最終的に両国の国益になるはずだったのである。税収の増額で関税収入の減額は補うことができる。とボグダン二世はランバルドを説得したがランバルドにとって税収の増収と関税収入は全く別個のものであり、先祖から代々譲り受けてきた権利を剥ぎ取られるのを認めるつもりは全くなかった。そもそもモルダヴィア領であるキリアにワラキア軍が闊歩していることもランバルドには気に入らなかった。彼の中で次第にボクダン二世は売国の徒となっていき、既得権益を奪われた同士がある一定の数に達したとき暴発は起こった。 ランバルドは当初楽観的であった。これほどの好機にポーランドが動かぬはずがないと。長年ポーランドが欲し続けたキリアなど、自らの主権を認めてもらえるならのしをつけてくれてやるつもりであった。ところが、ポーランド国王カジミェシュ四世からはボグダン二世に対する謀反の不義を告発し弾劾する書簡が届いたのみであった。ようやくランバルドは自らの置かれた立場の危うさに気づき始めていた。 慌ただしくブダを出発する艦隊を見送るフリデリカの胸中は複雑だった。もしもポーランドが黒幕であった場合自分はどうなってしまうのか。いや、仮に全く関係がなかったにせよポーランドが実際に脅威となっているのは事実なのだ。ワラキア公の寵愛を受けることなど夢のまた夢なのではないか………。このワラキアにも、私の居場所はないのではないか…………。 「辛気臭い顔をするでないわ、この垂れ乳め」 「………ヘレナ様……まだ行かれてなかったのですか?」 いつの間にかヘレナがからかうような顔を向けていた。この方がうらやましい。殿下に才を認められ、こうして戦場への同行すら許されるのだから。自分にはとうてい無理な話だった。フリデリカの精神構造は凡庸なものであり、ヘレナのような常識を突き破ったような横紙破りの行動がどうしても取れずにいた。 「妾は我が君の傍らにあってお助けするのが役目じゃ。しかしお主の役目は他にある」 「………私ごときが何の役に立ちましょう………」 本心でフリデリカはそう考えていた。自分には容姿以外になんら秀でたものがない。ごくごく平凡な女なのだ。 「確かに本当に王族の生まれかと思うほど平凡な女ではあるがな。しかし妾のような非常の女ばかりでは我が君も心の休まる間があるまい」 「………生まれて初めて平凡であることを褒められた気がいたします………」 信じられないことにヘレナは自分を元気づけに来てくれたらしかった。平凡なままで良いのだと。そして自分がワラキア公を愛していて構わぬのだと。 「もっとも我が君にとっての一番は妾であるがな」 少女は絶対の自信とともに不敵に微笑むと、くるりと身を翻した。 「その台詞はもう少し胸が育ってからになさいませ」 「うぐぅ」 オレは気が狂いそうな憤怒と必死になって戦っていた。貴族よ貴族よ何故かくも容易くお前たちは裏切るのだ?いったい貴様らにとって王とは国とはなんなのだ? オスマン帝国も一枚岩とはいえないが、欧州貴族の定見のなさはそれを遥かに上回る。コソヴォの戦いしかり、ヴァルナの戦いしかり。キリスト教国軍はいつも肝心なところで貴族の裏切りによって瓦解を余儀なくされていた。裏切り者がオスマン朝で重きをなしたという話も聞かない。つまりは一時の感情かわずかな目先の金で彼らは易々と裏切りを犯すということなのだ。どうすれば彼らに忠誠心を植え付けることができる?これ以上どうやったら彼らに軽はずみな裏切りをさせぬようにできるのだ? 古代ローマが安定していた時代や絶対王政華やかなりし頃、宮廷内で王族にまつわる抗争は繰り広げられていたが、武力で叛旗を翻す貴族など極わずかであった。それはやはり王権と貴族との間に厳然とした力の差があったことでもあり、またあるいは貴族ひとりが動かすのには社会構造が複雑化してしまったせいかもしれない。いずれにしろオレは個人的に信頼する者以外に貴族を重用するつもりはもはやなかった。 第三勢力としての力を貴族に頼れないとなれば新たな監視組織が必要となる。軍とはとかく暴走しやすい機関であるから、同じく武力をもった第三勢力の存在は必須なのだ。これはナチスドイツの武装親衛隊やアメリカ合衆国の州兵やCIAなどがこれにあたる。肥大化した軍を抑止する伝統的勢力としての役割を貴族に求める構想は事実上頓挫した。 …………やはり近衛を軍組織の埒外におくか……… しかし近衛といえども軍とのつながりは切れるものではない。現在も軍の精鋭の選抜という形を取っている以上将来的に骨抜きにされかねなかった。さて、どうしたものか…………。オレの空想は一人の少女によって破られた。 「………何をお考えになっておいでですか?」 アンジェリーナだった。さすがスカンデルベグの娘だけあって従軍中にあっても不平ひとつ言わない。父親としては心配でたまらんだろうがこれも血の為せるわざか。 「……そうですな。まずはこの戦が終わった後の形を」 「モルダヴィアの叛徒など相手にならぬ………と?」 既に戦の勝利を確定させたかのようなオレの物言いがアンジェリーナの気に触ったようだ。武人らしいと言ってしまえばそれまでだがもしジョルジもそうだとするなら由々しき問題になる。 「戦の勝敗は始まる前に決まっている……ジョルジ殿にそう言われませんでしたか?」 アンジェリーナは明らかにハッとした顔で頷いた。確かに父はそう言っていた。そしてアルバニアにはそうするだけの力がないのだ、とも。 「今こうしているうちにも私がどれだけの策を実行しているかご存じか?既にワラキアとの貿易でなんらかの利益をあげている貴族は叛徒を見限り、キリアの駐留軍とともにモルダヴィア南部を勢力下に治めています。もはや戦の帰趨は決まったという流言を撒いているので北部貴族もじき叛徒どもを見限るでしょう。ポーランドとクリルカン国には使者を送るだけでなくジェノバの大使にも一枚噛んでもらっております。まず余計な真似はできますまい」 アンジェリーナがついぞ知ることのない怪物がそこにいた。調略・宣伝・外交を駆使してモルダヴィアの新たな支配者となったはずの叛徒は戦う前から一部貴族の私兵集団に成り下がっていたのだ。ワラキア公の言うことが真実なら、確かに戦の勝敗はすでに決していた。 この男が恐ろしい。しかしそれ以上にこの男を知りたい欲望が勝っていた。まるで掴み所のない、アンジェリーナの評価に余る男ではあったが、器の大きさで父を上回る初めての男であることだけはわかっていた。身体が熱い。胸の動悸は戦場が近付いてきたことへの昂揚だろうか。いつしかアンジェリーナは熱病に浮かれてたようにヴラドから視線をはずせなくなっていた。 「…………我が君には今少し自分というものを知っていただかなくてはならぬな」 すっかり苦虫を噛み潰したような顔でお冠のヘレナであった。 モルダヴィア公国の首都スチャバでランバルドたち貴族軍の面々が焦燥を募らせていた。ドナウ周辺は瞬く間にワラキア河川艦隊によって占拠され、キリアに駐留していたワラキア軍の精鋭はモルダヴィア南部を完全に手中に収めていた。ワラキアに占領された南部地域には今回の反乱に関わった貴族の領地が数多く存在していたため各州に動員令を発したもののことごとく黙殺され身動きができなくなっている。そうしている間にもワラキア公自ら異例の速さでキリアに二千の兵とともに上陸したという報が伝わっていた。こんなはずではなかった。自分たちは正統な権利を守っただけであり、ワラキア公に従えば貴族は衰弱死を免れないだろう。モルダヴィア貴族はこぞって我がもとに馳せ参じるべきではないか。何故唯々諾々と異邦の君主に頭を下げなければならない?口をついて出るのは自己弁護と都合のよい楽観的な観測ばかりであった。スチャバに篭城してワラキア軍が苦戦すれば、模様眺めをしている貴族たちが援軍に駆けつけるだろう。いや、ポーランド王国軍の介入も期待できる。 彼ら貴族には想像力が欠如していた。原因はわからないが、中世の欧州貴族たちには主観ではなく、客観で物事を見る力が著しく欠如していた。それが風土的なものなのか、宗教的なものなのか、教育的なものなのかはいまだに判然としない。ただ彼らの思考がひどく自己中心的であることは事実であった。この期に及んで彼らは想像すらしていない。彼らの前に現れるであろう男は、ワラキアの反乱貴族を磔に処し、フォルデスの野でカトリック教徒三万人を焼き殺した男なのだ。わずか治世四年にしてワラキアを東欧最強の大国に成長させた立志伝中の人物を敵に回して勝てるほど己が有能だと思えるその自己肥大ぶりがいっそ滑稽であった。 静かだが激甚たる怒りとともに、ワラキア軍三千とワラキアに味方する南部諸侯二千がスチャバに姿を現したのは1450年6月も終わりに近づいた頃であった。