抑圧圧政弾圧挫折失望餓え涜神矜持誇り自由………… ぐるぐると怨念にも似た感情の羅列がオレの胸にとぐろを巻く。なのに何故か少しも苦しいとも思わない。それがなんなのか………意識ではなく無意識が、脳ではなく細胞が記憶していた。 これはヴラド・ドラクリヤの深層意識なのだと。 こいつたった14歳でこんなにも葛藤を抱えていやがったのか………。 齢14歳にして既に培われていたその誇りと矜持は現代人のオレには想像もつかないものだった。しかしいかに重く苦しく苦いものであってもそれは指向性のないかつてヴラドであったものの残滓にすぎない。だが、その残滓は今のオレを構成するものでもある。そう、今のオレはヴラド・ドラクリヤその人に他ならないのだから。 「いかがされた?公子殿下………お顔の色が優れないようだが………」 顔中に脂汗を浮かべるオレにオプタがしてやったりという笑みで顔を覗き込んでくるがそんなものにかまっている余裕はなかった。 祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国祖国秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序秩序自決自決自決自決自決自決自決自決自決自決自決自決自決自決自決自決自決自決自決自決自決自決自決……………。 噴き上がる感情の爆発に自我を保つのが精いっぱいだ。おそらく……このまま感情に身を委ねてしまったら……オレはオレでなくなるだろう………そんな気がした。 「公子殿下はよい経験をなされた。これを糧に精進なされるがよろしい!」 オプタが耳障りな哄笑をあげると忍耐の限界に達したのか、少年が拳を震わせて半歩を踏み出す。 ………オレはこの少年を任せろとあの騎士に誓ったのではなかったか? 何故の侮蔑誰故の差別我らが誇りを全うする地はどこにある? 少年の肩から血がにじみそうなほど指先を喰いこませて力づくで抑え込む。まだだ、まだ死ぬべき時ではない。己の死と引き換えにすべきものは、こんなささやかな物ではない。 愛する祖国愛すべき民祖先がその血で贖ってきた豊饒の大地その歴史と伝統に誇りを抱きつつ、伝来の大地に安寧を願うことが何故これほどに遠いのか 「公子様………私は………!」 少年の目に今にも決壊しそうな大粒の涙が湧きあがっていた。 「泣くな……!少なくともこの場で泣いてはいけない」 オプタだけではない。オスマン朝に仕える者たちにとって敵の処刑はいい見世物だった。言葉にこそ出さないが、いずれのものも自分たちの反応に好奇の視線を送っている。泣き叫ぶことを期待しているのかあるいは激昂して反抗するのを期待しているのかそんな下衆な期待に応えるつもりは毛頭なかった。 「私はヴラド・ドラクリヤ……ワラキア公国第二公位継承者である……君の名を聞こうか?」 「………私の名はベルド・アリギエーリでございます。公子様」 少年ベルドの瞳から激情の色が消え去ったわけではなかったが、言わずともオレの意を察してくれたらしい。 「ついてこい、今日からオレがお前に生きる理由を見つけてやる」 「………………はい」 わずかな逡巡の後、ベルドは力強く頷いた。名誉を重んずる騎士や貴族にとって生きることは死ぬことよりずっと難しい。この宮廷でオレとともに生きていくということは、父の仇にひれ伏し慈悲を乞うて生きることに他ならないからだ。いっそオプタに斬りかかって斬殺されるほうがベルドにとってよほど楽な生き方であったろう。しかしオレはこのままでおわらせるつもりはない。いくら現代人のオレでも、この無法を許容して生きていく気は毛頭ない。 だからお前もオレに協力しろ………! オレの気持ちを全て理解したとは思えないが、オレが唯唯諾諾とオスマンに仕え続ける気がないことと、オレがベルドを欲していることを察したかのように無言でうなづいてみせるベルドは想像以上に聡明な少年のようだった。私室へと足を向けながら、オレは胸の奥で明確な象を取り始めたもう一人のオレと向き合っていた………。 わかったよヴラドそう大きな声をあげなくたってもう十分聞こえている世界の理不尽が耐えられなかったんだろ?自分が正しいと思えることが次々と否定されて悔しかったんだろ?尊敬していた……各国の要人にも絶賛されていた父親の敗北と裏切りが認められなかったんだろ?生真面目で頭が良すぎるから、頭の悪い貴族どもが邪魔で仕方がなかったんだろ? オレだってわかってるどれほど大切で愛しいものであったとしても、戦に負ければそれは灰燼とともに消え失せ歴史になんの爪痕も残さないということを生きていくためには愛する者を守り抜くためには生まれ出た祖国の血と歴史と風土を引き継いでいくためには何よりもまず力が必要なのだということを わかってるお前の名はヴラド・ドラクリヤ わかってるオレの名もヴラド・ドラクリヤ〇大法学部卒業見込みの現代人の歴史オタク、柿沼正志にはもう戻れないってことを でもなあ………やっぱりオレは現代人だからさお前さんが考えてる屍山血河の人生を歩むのはきつすぎるんだ 甘いって………?それは自分でもわかってるいまさら手を汚さずにすむなんて考えてもいないただ余計な血なら流さないほうがいいと思うだけだ それにな現代人だって自分の命を救うためなら割となりふり構わずに牙を剥くもんだぜ………? カルネアデスの舟板って知ってるか?木造の船が難破してな舟の破片が海に浮いてるんだけど、その板は小さすぎて人が二人以上しがみついたら沈んじまうんだ自分が助かるためにその板を奪い、他の人間を溺死させることは罪にはならない黙って自分の死を許容できるほど人間は悟りきれるようにはできてないってことさ、今も昔も まあ、お前に現代人のたくましさってのを見せてやるよだから……オレがお前として生きていくことを許してくれ、もう一人のヴラド・ドラクリヤよ