ところでイタリア各都市の仲の悪さはどうにかならないものだろうか?フランチェスコ・スフォルツァのミラノ継承にからんだヴェネツィア共和国とミラノ公国の戦争開始から早一年が経過している。ワラキアとしてはそんな泥沼の抗争よりヴェネツィアには対オスマンの一翼を担って欲しいところなのだが、和平の斡旋はあっさりと一蹴されていた。史実ではこの抗争に四年を費やしたため東ローマ帝国の滅亡に際し、兵力を割くことができなかっただけにフィレンツェのコジモにも協力してもらったのだが同族嫌悪とでも言おうかミラノ相手に退くことがどうにも容認できかねるらしい。ようやく第二次世界大戦で醜態を晒すイタリアの本質が見えてきたような気がする。こんなことだから日本人とドイツ人の間で、こんどやるときはイタリア抜きでなどと言われてしまうのだ。こんな話がある。大戦中の北アフリカ戦線でナポリ出身の大隊が壊滅の危機に瀕していた。ところがそれを援護すべきフィレンツェの大隊はどうしてフィレンツェ人のオレたちがナポリ野郎のために命を賭けなきゃならねえんだ?と見殺しにしたという。ほとんど伝説的なイタリア軍の士気の低さもそれならば頷ける。イタリアが参戦し、リビアに上陸を果たしたときエジプトを守るイギリス軍は七万名にすぎなかった。対するイタリア軍は実に三十万を数えた。本国を遠くはなれ、フランス戦ダメージから回復中とあっては早急な援軍は望めない。当然のことながら無人の野を行くようにイタリア軍は前進し、国境から九十キロ付近の都市、ジディ・バラーニを早くも占領することに成功する。伝説はそこから始まった。イギリス軍の立て篭もるカイロは目の前にあり、イギリス中東軍は弾薬も不足気味で、かつ七万名を残すのみ。自軍は三十万名で補給も今のところ不足はなかった。ここでもし損害を省みずカイロ・アレクサンドリアを陥落させたならイギリスは軍需物資の供給源を失い、講和に傾く可能性は少なくなかった。第二次世界大戦において枢軸国側が勝利するという可能性すらあったと言えるだろう。ところが、ジディ・バラーニの占領の酔ったイタリア軍はここで三ヶ月もの長期にわたってバカンスを楽しむという暴挙に出るのである。まさに酒とバクチと女に溺れまくって、宝石より貴重な三ヶ月間を浪費し、ようやく補給を得たイギリス軍によって逆にリビアへと攻め込まれてしまう。敵より恐ろしい味方とはまさに彼らのことに他ならなかった。彼らはアフリカの植民地などのために命がけで戦う気などさらさらない。イタリアの男にとって命を賭けて戦うのは惚れた女を守るときと、故郷の都市を守るときだけなのだ。イタリア人がサッカーで地元チームを応援する熱狂ぶりも、この都市国家時代の名残を抜きにしては語れないのである。「それにしても腹が立つな…………」身近なライバルの脅威はわかる。しかし今は地中海貿易存亡の危機なのである。スレイマン大帝がオリエントとロードス島を手中にしてからでは遅すぎるのだ。しかし、史実としてそれを知っているのは自分以外にはいない。しかもミラノ戦争の背後にはアラゴン王国と神聖ローマ帝国が控えているから質が悪いったらない。後にスペインを統一するアラゴン王国と神聖ローマ帝国がミラノに釘付けとなれば、百年戦争のクライマックスを迎えているフランスとイギリスとともに欧州の強国はおのずと自由を封じられてしまう。オスマンとの同盟をまとめたことによりマムルーク朝が再びロードス島に食指を伸ばし始めているので、これをテコに教皇庁との融和を図れないかとも思ったが、剣もほろろに断られた。…………石頭どもめ!この借りはいつか返すからな!オスマンの君主が変わっただけなのにワラキアを取り巻く政治環境は悪化の一途を辿っていた。アルバニアの内通者から情報が漏れたものか、メフメト二世からアルバニアへと武器を売ることを禁ずる勅使が送られてきたため軍事支援が行いづらくなってしまった。マムルーク朝は嬉々としてロードス遠征の準備を進めており、これを察知した聖ヨハネ騎士団長は教皇庁と神聖ローマ帝国・フランス王国に対し援軍を要請する使者を送っている。各国の注目はコンスタンティノポリスからロードスへと見事に移しかえられてしまっていた。黒羊朝はティムール朝の混乱に乗じて連戦連勝を重ねており友好関係を築きつつある白羊朝も迂闊なまねをできない状態に追い込まれている。このまま勢力が伸張したオスマン・マムルーク・黒羊朝に連合でも組まれた日には手も足もでなくなるかもしれない。もっとも、自己顕示欲の強すぎるメフメト二世が両国を手を携えるとも思えなかったが。ようやくコンスタンティノプリスを覆う憂愁は晴れつつあるように感じられた。ワラキアからの資金と物資の援助を得たコンスタンティノポリスは徐々にではあるが、かつての活気を取り戻そうとしていた。またジェノバ人の居留区の城壁はテオドシウス城壁ほどではないが、深い堀と二重の城壁で囲まれて防備を格段に進化させている。明文化されてこそいないが、ジェノバとワラキアはまさに軍事的同盟国であった。特に黒海からボスフォラス海峡にいたるまでの領域にあってはそうだった。ワラキア商船やジェノバ商船から東ローマ帝国に入る港湾使用料も莫大な額に上っており帝国もようやくにして兵備や貿易への投資を行うだけの経済的余裕が生まれつつあったのである。しかし、利権が生まれれば争いも生まれるのが帝国の哀しい宿唖でもあった。モレアス専制公領の共同統治者にして皇帝の弟たるソマスとデメトリオスはいささか不快な念を禁じえない。ソマスはワラキアの台頭以前、東西教会の合同を皇帝とともに主宰した経験からラテン諸国との連携を重要視していたし、デメトリオスはオスマン帝国の拡大を目の前にして、帝国の前途はオスマンの属国として重要な地位を占めることにあると考えていた。それが今や宰相のノタラスをはじめとして帝国の重鎮は親ワラキア一色となった感がある。ワラキアのごとき小国に帝国が一喜一憂するさまはひどく滑稽なものに二人には思えた。二人の胸にあるのは実のところ嫉妬である。繁栄を極めるワラキアのおこぼれに帝国が誇りを売り渡すことがあってはならない。ヘレナを娶ったヴラドは子供のいないコンスタンティノス亡き後の帝位継承者になりかねないのだから。かといって表立ってヴラドを攻撃する材料は乏しい。なんといっても帝国にとっては頼りになる同盟国であり、資金の提供ばかりか伝染病の根絶や病院の設立など、実に極め細やかな施策を提供してくれている。国民の間においてもヴラドの人気は高まる一方であった。また正教会総大主教もヴラドと親しくしているとあっては二人の懸念も杞憂と笑うことはできないであろう。…………このままでは次代の皇帝はヴラドになりかねない。それでもソマスはヴラドの義父として権勢を揮うことも可能であるかもしれない。しかしデメトリオスはそうはいかなかった。ましてデメトリオスは正面きってコンスタンティノスと帝位を争った男である。ルーマニアの田舎ものに遅れをとったとあっては死ぬに死にきれない。デメトリオスは必死で思考を巡らしていた。戦力からいえばモレアス専制公領の兵はコンスタンティノポリスの兵力をしのぐが、あの無類の防御力の前にはむなしい数でしかない。共同統治者のソマスも謀反となれば敵に回るはずであった。いったいどうすれば皇帝になれる?デメトリオスの脳裏を先日会った使者の言葉が繰り返し木霊していた。「…………スルタンはデメトリオス様が帝位につくことを望んでおられます」メフメト二世はラドゥを呼びつけていた。スルタンの宮廷内ではない囚人の閉じ込められた地下の一室である。「お呼びにより参上仕りました」「よくきた、ラドゥ………しかし今日は汝につらい事実を告げねばならぬ。心して聞くがよい」そういうとメフメト二世は獄吏から鞭を受け取ると音高く囚人の男を打ち据えた。皮膚が裂け多量の鮮血が飛び散る。囚人の口から言語に尽くしがたい叫びがあがった。「……頼む、何でも話す。話すから鞭だけは………」鞭が拷問に用いられるのは伊達ではない。痛みを味あわせるのに鞭に勝る武器は少ないのだ。本気で打たれた鞭は数十回もあればゆうに人をショック死させてしまうに足りる。「………ワラキアの間諜よ、何をしにこの国へ参ったのか今一度話すがよい」「……ラドゥ様の動向の調査………そして彼の者がワラキアに仇なすなら………これを暗殺すること……」ビクリ無表情さは変わらずともラドゥの背筋が震えるのをメフメト二世は実に楽しそうに確認した。「可哀想なラドゥよ。実の兄にまで命を狙われるとは…………」そういう自分も兄弟は皆殺しにしていたが、それは言わぬが花というものだ。「だが、案ずるな。汝の居場所は余が作ってやる。余のもとだけが汝の居場所なのを忘れるな」「御意」ラドゥがどのようにヴラドを慕っていたにせよ、これでワラキアとの絆は切れたと見てよいだろう。無表情ななかにもわずかに瞳にたたえられていた感情の色が見る影もなく消え去っていた。あるのはどこまでも暗い虚無を写した無機質な瞳だけである。それにワラキアの間諜が言った言葉は真実だ。もはやワラキアにラドゥの居場所はありえない。「……イェニチェリから忠誠心の厚い者を選抜して督戦隊を新設する。汝はその指揮を執れ」子飼いの小姓から武勇に優れたものを送り込んで取り込みに努めているが、まだまだ予断を許すような状況ではない。心を鎧ったものによる督戦があれば安心して自分も指揮と執れるというものであった。もっとも督戦隊の指揮官が長生きできるはずもなかったが、そんなことはメフメト二世の知ったことではない。「………余の役に立て、ラドゥ」「非才なる身の全力をあげて」