「さて、いよいよだな、ベルド………」 「はい、全ては大公様の思し召しのままに……………」 進軍の喇叭が吹き鳴らされる。総勢一万に達しようという大軍が一斉に動き出す様子をオレは深い感慨を持って眺めていた。結局父ヴラド・ドラクルは先頃長兄ミルチャとともに暗殺され、ヴラディスラフがハンガリー王国摂政にしてトランシルヴァニア公たるヤノーシュの手によって大公位に就任……時をおかずしてオレはスルタンの後押しのもとにワラキア公国大公として、故国に帰ろうとしている。歴史通りの展開であった。 これから………これからだ。オレは………史実のようにはいかない、いかせるものか! 「初代ワラキア公リドヴォイより受け継がれし栄光のために!余の理想と自由のために!ワラキアよ!私は帰ってきた!」 ベルドが感激の眼差しで目を潤ませている。この2年の間に増えた側近たちも感無量といった様子であった。 …………やはりジ〇ンの栄光は伊達じゃないぜ、ガ〇ー! 格好いいセリフを言おうとするとネタになってしまうのは現代人の哀しい性なのかもしれない…………。 この2年間をオレは無為に過ごしていたつもりはない。トルコの兵制や政治を学び、剣と馬術を磨いた。特に剣は北辰一刀流を学んでいたせいかイェニチェリの兵士たちにも一目置かれるまでになっている。これからの戦に剣術など役に立ちはしないだろうが、刺客に襲われた時のような護身の手段としては心強い存在だ。 既に初陣を経験して数度の小戦にも臨んでいる。正直肝を冷やしたこともあるが、ベルドが身を呈してオレを守ってくれていた。 あれから目を惹く捕虜を見つけては人材の発掘にも勤しんでいた。もっとも気位の高い大貴族などは眼中にない。やはり中核は騎士階級か下級貴族である。平民も対象外ではない。その結果従騎士として三人と文官二人を登用している。ベルドを加えたこの六人が今のオレの側近の全てだった。 ベルドは騎士の息子ではあるが祖父の代までは貴族の一員だったので南部の貴族に親類や知人が多かったのは思わぬ僥倖である。そしてこの二年の間に14歳の若さでありながらオレの副官が任せられるまでに成長していた。同じく没落貴族であるネイとタンブルも十代後半の若者で、オレのものの考え方を一から叩きこんである。既存観念に凝り固まった親父を鍛えるのはえらく骨が折れるが、流石に若いもんは吸収力が違う。将来的にはオレの構想を汲み取って前線を指揮できる人材となるだろう。もう一人はゲクラン、流れの傭兵で上司に嵌められて処刑されそうになっているところを助けてやったらえらい感謝されていつの間にかオレの部下になっていた。傭兵出身なだけあって各国の傭兵に顔がきくのに加え、若いオレたちにどうしても足りない実戦経験を補ってくれる、今となってはかけがえのない人材だ。文官のほうは商人出身のデュラムに資金の運用を任せ、下級貴族であるシエナには情報収集を任せている。どちらもオスマンの強権によって理不尽に財産を奪われたり所領を奪われたりした者たちだった。その他にも雑用に使う召使などの使用人がいるが、彼らに支払うべき給金も現在では全く問題はない。軍役を負担することに加え、将来の駒としてのオレの有用性をスルタンが認めたことによりある程度の現金が支給されるようになっていたからだ。もちろんオレのほうからスルタンにオスマン朝に有用な対外政策として吹き込んだ結果なんだけどね。具体的にはラドゥの奴に斜め30度の上目使いで目には涙をたたえ頬を染め、適度にどもりながら言え!と命令したんだが。その時の薬が効きすぎたのかラドゥはスルタンの小姓にされてしまい、最近では滅多に会うこともできない。 …………………お兄さんは寂しいよ……………。 南部国境はほとんどなんの抵抗もなくオレことヴラド三世の軍門に降った。その中でベルドと血縁関係にある下級貴族は非常に協力的だった。オレにとっては貴重な友好勢力だ。おそらくは史実のヴラドはオスマンの援兵以外に信頼度の高い兵力を確保できなかったろうからな。それに今回の出兵にあたって、オレはスルタンに陳情してオスマンの軍兵の他に傭兵部隊を加えるべく資金援助を申し出ていた。なにせイェニチェリの連中はオレが即位したらとっとと故国に帰っちまうからだ。いきなり徒手空拳で放り出されて貴族たちの帰趨も定かならぬ状況ではハンガリーの侵攻に為す術もないのは当然だろう。ヴラドがたった二ヶ月でワラキアを叩きだされるのもむべなるかな。イェニチェリが当てにならない以上頼るべきは傭兵ということになる。彼らは金が支給されているかぎりオレの味方だ。もっとも敗戦の間際まで戦ってくれる忠誠心は期待できないが。思ったよりスルタンも気前よく資金をもたせてくれたし、ゲクランのおかげで傭兵に支払う料金のほうも良心価格ですんでいる。おそらくハンガリーのヤノーシュ公が侵攻してくるまで傭兵を維持するのはそれほど難しくあるまい。 ……………まずはこの二か月天下を覆す! 史実のヴラドはハンガリーに追われて隣国モルダヴィア公国に逃げ込むはめとなった。オスマンに逃げ込まなかった理由は謎だが後年の行動を見ればオスマンの力を借りるのには抵抗があったのかもしれない。いずれにしろヴラドはここで実に九年という貴重な時間を失う。史上に名高いヴラド・ツェペシュの勇猛と悪名は1453年からの第二回治世の時のものだ。それからではオレの構想では遅すぎる。ここから得られる史実にはない猶予の時間が、オレの死亡フラグブレイクには必須なのであった。 「大公様!ヴラディスラフに味方する貴族たちの兵が参ります!お下がりください!」 将来のことを妄想している余裕はこれまでのようだ。しかしこれも読みのうち。本来十万でも動員できる兵力をわざわざ一万ほどにとどめたのは、この機会に潜在的な敵である貴族をできる限り多く叩いておくためだ。そういう意味では敵に回る貴族は多ければ多いほど良い。 「さあこい!兵力差が戦力の絶対的な差でないことを教えてやる!」 ベルドもネイもタンブルも、主将たるオレの軒昂な勢いに勇気づけられたように一斉に雄たけびをあげる。流石は赤い○星……使えるなあ…………。 イェニチェリ軍団がアラーを称えながら呆れるほどの衝力でワラキア貴族たちを引き裂いていく。流石は士気と練度において現在世界最高峰に君臨している連中だった。雑多な歩兵と騎兵の混成軍であるワラキア軍が野戦で勝つ見込みなどないに等しい。 「よく見ておけ、ベルド。君主に直属する常備兵力の強さを」 「………………はい」 こいつらを率いているかぎり敵が倍いようとも負ける気がしない。もしワラキア軍に勝機があるとすれば、それはゲリラ戦による奇襲以外にはないだろう。戦意に乏しい貴族どもが率いる陪臣には過ぎた相手だ。 目を転じればネイとタンブル・ゲクランが新編の大隊………長槍兵と弩兵と砲兵で構成された派生形のテルシオを必死な形相で運用していた。いまだ歩兵の主力装備が剣の時代である。初めての運用は傍目にも危なっかしく心臓に悪い。しかし敵主力をイェニチェリが引き受けてくれている現状では丁度よい練習相手であった。敵に与える損害こそ物足らないが、長槍の防御力は遺憾なく発揮されていた。ベルドの親類を中心に中隊長と小隊長を配置して指揮命令系統を整備しては見たものの、本番の戦場ではまだ十分なものではないようだ。 ……………あと二か月でこいつらを使いものにしないといかんのか………… 残された課題の難しさに頭を抱えたくなってきた。長槍による方陣と投射武器による支援を連動して戦力化するにはある水準の機動力が必要であり、機動力を獲得するためには十分な訓練の時間が必要ということか。 未来の軍制を知っていてもその戦力化には時間がかかるものらしい。これは他の手も打っておかんといかんだろうな…………………。 既にワラキア軍は組織的抵抗力を失っている。オレは馬車のなかに控えている文官のデュラムを呼んだ。