11月8日 1020 横浜基地 海が見える丘
(流石に少し肌寒いな……)
横浜基地外れの海を眺めれる丘に寝転がり、俺はぼんやりと空を眺めていた。
11月11日の前に行うべき根回しは全て終わった。
まだやれることがあるとすればヴァルキリーズの訓練くらいだが、基本的に午前の訓練にはタッチしていない。
新たに思い出したデータもその多くを既に夕呼へと渡してしまったため、データを纏める作業も今のところ無い。
ようは現状午前中にやることがほぼ無くなってしまったため、束の間の平穏を楽しんでいるというわけだ。
昔は純夏を筆頭とした友人たちのおかげで日常生活は騒がしいなんてものじゃなかった。こっちの世界に来てからは訓練か戦闘の毎日で、とてもじゃないが一人でいる時間を楽しむなんて優雅な真似は出来なかった。
だが、その平穏も直に終わるようだ。
一人孤独を楽しむ俺の感覚は、複数の人間が丘を上ってきている気配を捉えていた。
態々この丘を上ってくるとは何処の物好きだろうか。そう思っていつつ空を眺めていると、近づいてきた人物は俺から3mほどの距離で立ち止まった。
「……白銀武だな?」
聞き覚えのある声に呼びかけられたため、顔をあげて相手を確認する。
やはりと言うべきか、相手は見知った顔だった。
まあ相手はこちらのことなど顔写真程度でしか知らないだろうが……。
「そうだが……。斯衛軍が俺に何の用だ?」
「……お前は何者だ?」
「…………。結局何時も通りか……」
立ち上がりながら呟く。
呟きが聞こえたようで、月詠中尉の視線が厳しくなる。
「……貴様は、何者だ」
「ふん、その答えは既に持っているだろう? 国連軍大尉白銀武。香月博士の下で任務に従事している。それ以上のことは機密扱いだ。お前達には知る権利がない」
「……とぼける気ですか?」
「何を?」
「……死人が何故ここに居る?」
「まあ死んでないからだろうな」
「国連軍のデータベースを改竄して、ここに潜り込んだ目的は何だ!?」
「別に潜り込んだわけじゃないが。スリーパーが香月博士の下で働けるとでも?」
「城内省の管理情報までは手が回らなかったか? それとも、追及されないとでも思ったのか?」
「そもそも俺はデータの改竄などしていない。その問いに対する答えは俺には無いな」
「冥夜様に近づいた目的はなんですか?」
「狙って近づいたわけではないんだが……。ふん、強いていうならあれはいい女だな」
『なっ……、ふざけるな!!』
何時も通りのやり取りには飽きているので少しからかってやろうと思ったのだが、月詠中尉だけは怒りを態度に現わさなかった。
内心は腸が煮えくりかえる程の怒りを抱いているであろう月詠中尉は、怒りの気配を微塵も表には出さず静かな声で口を開いた。
「……もう一度だけ問う。死人が何故ここに居る?」
「話が噛み合わないな。俺の経歴が知りたいのなら香月博士を通してからにしろ。“Need to Know”だ。
それとも何か? 斯衛は聞けば何でも教えてもらえるのか? 相当おめでたいな」
『なんだと!!』
「……もう一度言う。知りたいなら香月博士に許可を求めろ。俺の情報に触れる権限を持つのは香月博士だけだ。許可が出ない限り俺が話すことは出来ないし、話すつもりもない」
「……ッ、そんなことで誤魔化せると「神代少尉、そこまでだ」――!?」
神代の怒声を遮ったのは、丘を上って来た一人の男――斯衛の制服を着込んだ男が発した声。
静かな声でありながら、その存在感は月詠中尉に勝るとも劣らないものだった。
そしてその制服の色は―――
(―――“黒”……? それにしてはこの気配は……)
斯衛軍ではその出自によって制服や戦術機の色が変わる。戦術機に至っては色だけでなく性能まで変わるというのは甚だ馬鹿げているとしか言いようがないが、斯衛の人間を見定める助けにはなる。
今回現れた男は“黒”。
武家ではない一般出身の者が纏う色だが、それにしては目の前の男の気配は異質と言うほかない。
今まで何度となくループしてきた中で、斯衛の者も多く見てきた。
その経験から言うなら、斯衛の人間が発する存在感とでも言う物は纏う色に応じて変わる。“青”や“赤”ともなればそれは別格だったが、“黄”や“白”ならば何処の軍でもわりと多くいるものだ。それを考えれば“黒”など言うに及ばずだろう。
無論、“色”の違いがそのまま衛士としての実力の違いであると言う訳ではない。だが斯衛において、下位の“色”を纏う者の実力や存在感が上位の“色”を纏う者を上回ることは殆ど無い。それゆえ実力の違いが“色”の違いであると言って決して間違いではないのだ。
―――だと言うのに、目の前の男のそれは“赤”や“青”に匹敵する。
それは即ち、この“黒”の男の実力は斯衛でも相当な上位に属するということだ。
(……まずいな。こいつがこちらの邪魔をすることになったら相当面倒になるぞ……)
「ふ……、不破中尉!?」
「……月詠中尉、困ります。貴方の任務はそんなことではないはずです」
「馬鹿な……何故、お前が……」
「それは後ほど……。申し訳ありません、白銀大尉。私は昨日よりこの横浜基地に着任しました、帝国斯衛軍所属、不破恭也中尉と申します。月詠中尉達が大尉を追いかけて行ったと聞いて探していたのですが……」
「……いや、謝罪されるには及ばない。どのみち、中尉の任務も同じだろう?」
「……良く御存知で。どうやら、大尉と香月博士との関係は相当に深いようですね」
「状況から考えればそれしかないからな」
「確かに、私はあなたを見極めるよう命じられています。ですが今日の所は単に月詠中尉を連れ戻しに来ただけですので、お話はまた時間がある時にゆっくりさせて頂きたいと思います。……行きましょう、中尉」
月詠中尉たちは不服そうな表情をしつつも、不破中尉が先に歩き出すと敵意に満ちた目でこちらを睨みつけながら去っていった。
―――不破恭也中尉
黒でありながら赤にさえ一目置かれている男。
幾度となくループしてきた中でも初めて出会う人間だ。何の情報も――いや、実力があることだけはまず間違いないが、詳しい事が何も分からない。慎重になるに越したことはないだろうが―――
(―――ま、どのみち長い付き合いになるだろうし、そこまで気にしなくてもいいか。月詠中尉達ほど過激でもなさそうだしな……)
印象だけで語るなら、不破中尉はどちらかと言えば“良い人”に属する人間の様だ。
帝国に属する人間である以上利害が対立する可能性はあるが、これから相手をしていくことを考えればこちらへの敵意を丸出しの月詠中尉達に比べれば大分楽だろう。
若干楽観的すぎる観測ではあるが、今から過剰に警戒しても何も始まらない。何といっても、自分もこちらもまだ何もしていないのだから。
「ふん…………、取りあえず飯でも食いに行くか」
色々と考える事はあるが、まずは午後からの教導に向けて腹ごしらえをするとしよう。
何時ものことだと言っても、長時間のシミュレーター搭乗は流石に腹が減る。殊に、最近やたらと腹が減って空腹になるのも早い。普通盛りではまるで追いつかないのだ。
大盛りより多く盛ってくれ、と言ったらどれくらいの量の飯が出てくるだろうか。
武はまだ見ぬ特盛りに想いを馳せながら丘を後にした。
<<不破恭也>>
(……何時切り出したものだろうな?)
白銀大尉と別れ丘を下り、既に丘の麓近くに来ている。
大尉との距離も充分離れていることだし、今話しても何も問題は無い。と言うか、隠したところで意味がある物は殆どない故に実際は大尉の前で話しても問題なかったのだが……。
「……そろそろ良いだろう。さっきの話はどういうことだ?」
どうしようか迷っていると、月詠中尉が先に口を開いた。
神代少尉・巴少尉・戎少尉の三人はともかく、月詠中尉が何も聞いていないと言うのは正直に言って意外だったのだが……。
「……月詠大尉からは何も聞いていないんですか?」
「報告は上げているが、ここしばらく真耶とは話していない。一体―――」
「―――帝国に仇為すものかどうか、白銀大尉を見定める事。それが今回俺に言い渡された任務です。中尉には当初の任務だけに注力して頂きたい、ということでした」
「……だとしても何故お前が? ブレイカーズ副長ともあろう者がこんな処に来ている場合か?」
―――第13斯衛機甲大隊第1中隊、通称『ブレイカーズ』
大隊どころか中隊や小隊ですら定数を満たしていないことが珍しくない斯衛軍の戦術機甲部隊において、数少ない完全充足の中隊である。
所属する衛士の多くが“黒”だが、斯衛の中でも有数の練度を誇る精鋭部隊として知られている。
その副長ともなれば重要度は並の中隊長よりも遥かに上。月詠中尉の言葉も分からなくもない。
尤も、月詠中尉自身の立場を考えなければ、だが。
「その言葉、そっくりお返ししますよ。月詠中尉が横浜基地に出張っているのが既におかしいんです。たとえ冥夜様の護衛とは言っても、ね」
「ぬ……、それは…………」
月詠中尉は反論できないようで黙り込んでしまった。
本人は大隊唯一の“赤”で、しかも副長なのだから、中隊副長の異動が異例だなどと文句を垂れれる立場ではないのだ。
しかし、確かに自分自信納得しきれているわけではない。
噂に名高い香月夕呼という女傑が態々引っ張り出してきた白銀武という人物に興味がないわけではないが、任務を言い渡されるまでは聞いたこともなかった名だ。斯衛の上層部が何故そこまで気にするのか分からない。
現状を考えれば、自分を派遣するよりも先にやるべきことはまだまだあるはずだ。
斯衛について少し話をしよう。
斯衛軍はエリートであり所属する衛士は皆エース級だと認識されている。実際その認識は間違っていない。
斯衛軍の規模を考えれば、そこに所属するエース級衛士の数は異常だと言わざるを得ないだろう。
さて、それでは帝国全体でエースと呼ばれる衛士の数は実際の所どうなのか?
帝国全体で考えれば斯衛の総数よりもエース級の腕を持つ者は多い。いや、多かったと言うべきか。帝国のエース級衛士は、BETAの日本上陸から一年の間でその数を大きく減じてしまっているのだ。
それまで帝国に存在した練度の高い衛士や部隊は、帝国正規軍と斯衛軍とに関わらず激戦区の穴埋めに駆り出され、その多くが戻ってこなかった。
斯衛軍の戦術機甲大隊は現在第18大隊まで存在する。しかし、その多くが衛士や戦術機が不足しているし、衛士と戦術機の定数がそろっていても整備員が足りておらず、完全充足状態の部隊は一部だけだ。BETAの日本上陸から横浜奪還、九州への戦線の押し戻しを経て失われた戦術機や衛士の穴は未だ完全には埋まっていない。
斯衛軍の衛士として武家の子弟が数多く居る理由は、それら失われた戦力を充足させるため、まだ正規の徴兵年齢に達していない者でもある程度の実力があると認めたものを次々に任官させているためだ。無論斯衛軍の水準を満たしているのが最低条件であるため、皆一世代上の衛士にも引けを取らない実力を有している。
―――だが、それも対戦術機に限った話だ。
斯衛――と言うよりも武家全般に言える事だが、彼らは対人戦闘を行って腕を磨くことが多い。武家とは人間の相手をするために生まれた存在であり、彼らが磨く武技とは人間を倒すために存在するのだから、そこにおかしな点は無い。
だが、この現状を考えるとそれでは物足りない。BETAという人類共通の敵との戦いには、対人技術がどれほど高かろうが関係ないのだ。
無論彼等とてシミュレーターでさんざん訓練しているし、連携とてそんじょそこらの部隊では手も足も出ないほど洗練されている。
だが問題なのは練度ではない。経験だ。
BETAに初めて遭遇した者は、その誰もが目の前に居るモノが自分たちとは明らかに異なる存在だとすぐに理
解することになる。そして、その自分たちとはあまりに違う受け入れ難い存在に恐怖を覚えるのだ。初めて実物を見た人間が受ける衝撃は計り知れない。それは練度とは全く別の次元にある問題だ。
対BETAの実戦におけるそう言った衝撃を多少なりとも緩和し、恐怖で崩れ落ちそうになる己を支えてくれるのは何か。
それは厳しい訓練を耐え抜いたと言う自負であり、崩れ落ちそうになった時共に戦場にある上官や仲間たちに他ならない。
だからこそ、実戦経験豊富な者が訓練に参加し、後進の指導を行う事が重要なのだ。
……だと言うのに斯衛の上層部はこんな愚にもつかない――少なくとも自分にはそうとしか思えない――任務を言い渡す。
死んだ人間がどうだのと言う事はどうでも良い事だ。半ば建前に近いとはいえ、国連横浜基地と帝国は協力関係にある。その関係に亀裂を生じさせかねない行動を態々取ってどうするのか。帝国を快く思わない諸外国に介入の隙と口実を与えかねない。
そもそも、こんな任務は情報省なり内諜なりに任せるべきで、斯衛の軍人が出張るような任務ではない。斯衛の上層部がそこまで気にする“白銀武”とは一体何者なのか?
「……月詠中尉は白銀大尉のことを御存知で?」
「詳しくは知らん。白銀影行元斯衛軍少佐の子息であり、横浜陥落の際に命を落としたはず、と言う程度だな」
「……そうですか。俺も詳しい事情は聞いていないんですよ。月詠中尉にはどなたか心当たりは?」
「いや……、私の伝手では知っている可能性がある者は居ても、それを他者に話しそうに無い者ばかりだな。
私の伝手を探るよりもお前の伝手の方を探った方が良いのではないのか? 士朗殿や御守少将なら何か御存知だと思うが……」
脳裏に自身の父親の姿を思い描く。
……まず間違いなく「自分で調べろ」と言って大笑いするのがオチだろう。
恐らく静馬さんも和臣さんも詳しくは知らないだろうし、仮に知っていても教えてはくれないだろう。
「……聞いたところで教えてはくれないでしょうね。その線から行くのは望み薄ではないかと……」
「…………そうか」
「……この話はこれで終わりにしませんかか? どの道それを知ったところで俺の仕事に意味はありませんしね。
それよりも、久しぶりにどうです?」
中尉に目線を向けながら腰に挿した刀を叩く。
「……ふ、それもいいか……」
「あ、あのぅ……不破中尉」
「どうした?」
「私たちも御相手していただいてよろしいでしょうか……?」
「ああ、いいぞ。月詠中尉との仕合が終わったらで構わなければ、だが」
『ありがとうございます!!』
……任務の事は取りあえずは置いておくべきだろう。正直に言えば何処から手を付ければ良いかまるで分らないし、実際の所やることもほとんど無い。
白銀大尉の監視とは言っても、所属の違いだけでなく階級でも相手が上なのだ。大尉の行動に掣肘を加えることなど不可能だ。
結局、出来ることなど大尉の動向を報告する程度しかない。ならば、今ぐらいは月詠中尉との仕合を楽しむことに集中したいものだ―――
<<白銀武>>
11月9日 白銀武自室
―――207B分隊が総戦技演習に合格した
つい先ほど、まりもからそう報告を受けた。正確にはまりもの直接の報告を受けた夕呼から聞いたのだが。
ともあれ、その知らせを聞いてから寝台に仰向けに寝転がって天井を見つめている。
何をしているのかと問われれば、何時もの自問自答だ。
“これで良かったのか”“別に方策は無かったか”
例えそれが“何処”であろうと考えていることだ。これまでは自分の中で結論付けていた。「これまでは」とは言うが、最近は結論を付けていないのか、といわれると無論違う。少し中身が異なるだけだ。尤も、それが重要なのだが……。
―――まだ迷うか。お前は覚悟を無くしたのか?
その重要な中身の違いがこの“声”だ。
―――香月博士の前で何を言ったかすら忘れたのか
自問自答をする度に聞こえてくる“声”
分かっている。戦士としての能力は誰よりもあると自負する自分が、未だに心の強さは半人前だと言う事を。
だからこそ、“声”に感謝している部分もある。
ウジウジ思い悩む時間が少なくなるのだから、その分別のことに手間をかけれる。それは自分の目的を達成するためには間違いなくプラスだ。プラスに間違いないわけだが……。
―――目的を忘れるな
声が聞こえ始めた頃は、“白銀武”の記憶から聞こえる内心の声だと考えていた。
だが最近は少し違うのかもしれないと思っている。
“声”に含まれるイラつきや焦燥感。“白銀武”の声とは何かが違う気がしてならない。
何が違うのか、と問われてもハッキリと答える事は出来ない。だが、何となく“違う”と感じるのだ。
(…………頭を冷やしてくるか)
このまま考えこんで居ても時間の無駄だ。
気分転換も兼ねて、思いっきり走るとしよう。
制服を脱いで野戦服に着替えると、武は訓練グラウンドへと脚を向けた。
<<御剣冥夜>>
私は日課の自主訓練を行っていた。
総戦技演習から帰還した翌日である今日は本来なら休日であった。
演習の疲労も抜けきっていないどころか、基地に帰還するためにかかった時間を考えると、どちらかと言えば疲労していると言っていいだろう。
だが私はこうして自主訓練に励んでいる。
理由など無いが、強いて言うならば総戦技演習の最中に何度も感じた自分への違和感を振り払うため、と言えるかもしれない。
何が起こるのか、どう行動するのが正解であるのかを“知っている”感覚。そして、それを奇妙に思う感覚。
私見ではあるが、それは隊の皆にもあったように思う。
そもそも不自然なのだ。皆が皆、本来予想外の筈の事態に平然と対処出来過ぎている。
確かに皆で変わるのだと言う事は話し合った。だが、榊が指示するまでもなく全員が自分の役割を既に理解している上に、指示にも疑問を持たないどころかそうあるのが当然だと理解して行動するなど、少なくとも今までの207Bでは絶対にあり得ないことだ。
では何故そのような事になっているのだろうか……?
「―――御剣か?」
「白銀大尉……」
白銀大尉はグラウンドのトラックの最外周辺りでこちらを見つめていた。
それだけ近ければ途中で気付きそうなものだが、没頭していたせいかまるで気付かなかった。
「今日は休みだったはずだが……、自主訓練か?」
「は……。落ち着かないので走っておりました」
大尉は少しの間こちらの顔を見つめていたかと思うと、躊躇いがちに口を開いた。
「ふん、落ち着かないのは分かるが休暇の時はきっちり休め。そんな事はお前も分かっているはずだが……。
そうだな、丁度良い機会だろうな。―――御剣、お前が国連に志願したのは何のためだ? 何故力を求める?」
「……私は一刻も早く衛士となり、そして戦場に立ちたいと思っております。……月並みではありますが、私にも護りたいものがあるのです」
「……それは何だ?」
「……この星、……この国の民、……そして日本と言う国です」
嘘偽りない心からの言葉。それは間違いなく私の本心だ。
この国に生きる者の殆どが、程度の差こそあれそう思っていると信じている。
そして“あの方”の心の内もそうであると信じている――いや、“あの方”の心がそうであるからこそ私も心からそう思えるのだろう。
大尉は何かまぶしい物でも見るかのようにこちらを見つめていたが、ややあって口を開いた。
「……目的も無しに国連に志願したのなら今すぐ叩き返しているところだったが、ちゃんと目指すところがあるようでなによりだ。
目的を持つのは良いことだ。目的があれば人は努力できる。俺も仲間からそれを教わった」
「…………」
「お前がそれを望み、努力を続けるのならそれは何時か叶うだろう。……さ、話は終わりだ。今日はもう―――と、すまん。あと一つあったな」
「は、なんでしょうか」
「危うく言い忘れるところだった。……総戦技演習、合格おめでとう。よく期待に応えてくれた。次の戦術機課程も期待しているよ」
大尉の表情はそれまでのどちらかと言えば硬い表情とはまるで異なり、多くの人間を魅了できると思わせる柔らかな笑顔だった。
私は白銀大尉とそう何度も顔を合わせているわけではない。だがその少ない接触の中で感じたのは、白銀大尉はあまりはっきりと人を褒めるタイプの人物ではない、という事だ。
だが、白銀大尉は簡潔ではあるがはっきりと褒め言葉を口にしたのだ。まるで期待していなかったその言葉は、白銀大尉の穏やかな微笑みと共に、私の心に深く響いた。
「あ……、ありがとうございます!」
「それじゃあな。お休み、御剣」
「はい! 失礼します!」
グラウンドを立ち去りながら思う。大尉の言葉の意味を。
(『目的があれば人は努力できる』、か。簡潔だがよい言葉だ……)
おそらく大尉は、目標を見据えてひたすらに努力を重ねてこられたはずだ。
だからこそ、自分たちと同年代であるのに大尉と言う地位を認められているのだろう。
(白銀大尉……)
大尉から受けた称賛の言葉。大尉が称賛を口にした時の魅力的な笑顔。その言葉を聞くために、その表情を見るためにこれからも努力を続けようと思える。
―――必ず白銀大尉のご期待以上の結果を示してみせる
考えておくべきこともあるが、今は大尉の忠告に従い、戦術機操縦課程の訓練に備えて体を休めるべきだ。
決意を新たにした私は、兵舎の自室に歩を運んだ。
11月10日 2237 帝国技術廠第参格納庫
夜ともなれば人気も少なくなるのが常の技術廠格納庫だが、今夜は珍しいことに少々騒がしい。
その喧騒の中心に居るのは白衣を着た二人の女性。二人とも手元のクリップボードを確認しながら整備兵たちに指示を出している。
一人は白衣の下にツナギを着、赤みがかった美しい長髪を腰まで垂らした女性。
硬質的な雰囲気を漂わせるその美女の名は“槻村忍”。帝国技術廠第参開発局に所属する研究員である。
彼女は整備員たちに一通りの指示を終えると、同じく指示を終えて作業の様子を見守っている眼鏡の女性に話しかけた。
「―――部長、月詠大尉の話、どう思います?」
「月詠大尉の話? BETAの襲来予測以外に何か話してましたっけ?」
話しかけられた女性の名は“夏海鏡花”。帝国技術廠の奇才と呼ばれる第参開発局の部長である。
槻村博士とは異なり白衣の下には軍服を着ているが、それはだらしなく着崩されており、伸び放題で適当に括られただけの様子の長髪と相まって、彼女の性格を窺わせる。
「……やっぱり聞いてなかったんですね。説明しますんでちゃんと聞いて下さいね?」
鏡花の返事を聞いた忍は顔をしかめると、言い聞かせるように説明を始めた。
説明を聞かされる側の鏡花はやはり適当に聞いていたのだが、ある言葉を聞いたことで表情を一変させる。
「―――横浜が開発した新型OS、ですか?」
「どうやらまだ完成はしていないようですけどね。
ですが、今回の作戦での国連部隊の参加はそのデモンストレーションも兼ねているということらしいので、完成度自体はかなり高いと思います」
「横浜と言うと香月ですか……。“色々と”忙しいと聞いていましたけど、そんな物を作っている暇があったんですね」
「? 部長、知り合いなんですか?」
「昔ちょっとね。――しかし、新型OSですか……」
鏡花は眼鏡のフレームを押し上げると、ぼそりとこぼした。
「……弄ってみたいですねぇ」
「……今回の件が終わったら会談があるらしいですよ。横浜の思惑次第ですけど、もしかしたらうちにも回してもらえるかもしれませんね」
「へぇ、それはそれは…………。楽しみですねぇ……」
鏡花は面白そうに眼を細める。
その表情を見た忍は、横浜側の会談出席者に同情を禁じえなかった。
―――既に見慣れているはずの自分でさえ戦慄せずにいられない、狂気に満ちた微笑み
笑みを浮かべる彼女の後ろには、未だ輸送準備作業中の鋼鉄の獣達、―――彼女が設計した多脚歩行戦車、試製99式戦術歩行戦闘車両『大蛇』と、忍が設計した戦術機、試製99式戦術歩行攻撃機『禍津日』が鎮座している。
爪牙を振るう時を待ちわびる巨獣達を背にして逆光の中微笑む魔獣の聖母は、この世のものとは思えぬほど美しかった―――