<<速瀬水月>>
11月4日 国連横浜基地演習場
『―――演習開始前にもう一度説明しておく。
今回はXM3導入後初の実機演習となる。シミュレーターと実機との間に生じる違和感に慣れるのが今日の目的だ。無造作に動かすなよ』
『しかし白銀大尉、こちらが不知火で大尉がF-15と言うのは・・・』
『不満か? 俺も不知火で相手をしたかったところなんだが、俺の不知火はまだ何日かかかるらしくてな。
だがこのF-15にもXM3は搭載されてる。第二世代機と馬鹿にしてると痛い目にあうぞ』
―――不満が無いわけではない
確かに最初の模擬戦では単機の不知火に後れを取った。だがそれはこちらの油断と大尉の機動概念が未知のものだったからだ。
それが言い訳だと理解しながらも思わずにはいられない。
今の白銀大尉くらいの年齢で自分も衛士になった。それ以来、過酷な訓練を続け、実戦出撃も何度となくこなしてきた。大尉の技量がまさに次元が違う物だという事は分かる。だがそれでも―――いや、大尉の技量が隔絶しているが故に納得できない。
何故、自分よりも年下の、衛士になりたて程度の年齢の人間が、幾度もの実戦をくぐりぬけてきた自分たちよりも遥かに上の技量を持つのか―――
『よし、まずは前衛組から行こうか。B小隊、ついて来い』
大尉はこちらの思いになどまるで気付いていないのだろう。演習準備を告げると、先頭に立って演習エリアへ移動し始めた。
演習開始から10分。
私たちは無暗に動かず、大尉の出方を伺っていた。
普通なら散開して目標を発見したら集合して数的優位を作って押すところだが、大尉相手にそれをやると、集合するまでに各個撃破される可能性がある。
かと言って散開せずに動けば相手の位置を掴みにくく、相手に戦闘開始のアドバンテージを握られてしまう。待ち構えているのと捜索中に攻撃を受けるのとは雲泥の差だ。
『前衛が待ち伏せなんかして楽しいか? 前衛の仕事って何だったかな~?』
先ほどからオープン回線で何度も大尉の挑発が流れているが、すべて無視している。
挑発に乗ってのこのこ出て行けば即撃破される。かといって誘い出すつもりで出て行っても撃破される可能性が高い。
消極的にならなければいけないのが気に食わないが、今の技量差で大尉に一泡吹かせようと思えばこれしかないと思う。
『・・・挑発には乗らない、か。ま、いい加減飽きて来たところだしな。来ないならこちらから行くぞ!』
『中尉!』
「分かってる! 打ち合わせ通りに行くぞ!」
『『『了解!!』』』
一切の躊躇いなく前進するF-15。
今はまだ主脚走行だが、すぐに噴射跳躍を多用した変則機動に変わるだろう。
心ははやるが、今すぐに攻撃をかけても成功しない。
慎重にタイミングを計らなければ・・・
―――3
ジグザグと不規則に動いていたF-15の機動が変わる。
――2
機体を若干屈めてまるで飛び出す前兆のように・・・
―1
“ゴォッ!!”という噴射ユニットの駆動音が響き渡る
(今だッ!!)
「GO!!」
合図とともに遮蔽物から飛び出す。
楯山と麻倉が攻撃機動に移っているのを確認した時点でトリガーを引いた。
「そこぉ!!」
水平噴射で突っ込んできているところに合わせた射撃。同時に、楯山は左側から、麻倉には右側から若干タイミングをずらして攻撃させている。これで回避方向はかなり限定され、誰かを撃破して進路を切り開こうとしても待機させている築地がそれを阻む為に動く。これであっさり終わるはずはないが、多少なりとも大尉の動きを制限させられるはずだった。だったのだが――――
「ヤバいッ!? 築地、下がれ!!」
『へ? 『残念、ちょっと遅かったな』 ふわわ、きゃん!』
『築地機、動力部破損、致命的損傷、大破』
「くそッ・・・!」
―――まさか詰めの部分を真っ先に潰してくるとは・・・!
作戦に間違いは無かったはずだ。三方からのほぼ同時の挟撃に対し、左右の挟撃を完全に無視した上に、正面からの攻撃も避けきって突破し、挙句の果てにはまだ姿を見せて居なかった築地機まで撃破していくなど、普通あり得ない。
恐るべきは、不意をうたれて動揺していた新任であったとはいえ、第二世代機でありながら、即応性の向上した第三世代機に碌に反撃も許さぬまま撃破する白銀大尉の技量。
水月の動揺は当然だが、一方の武からすれば意図していたのは水月の攻撃を回避して包囲を抜け出た所までだ。
元々、今回の模擬戦はヴァルキリーズの面々に武が自分の技術を見せるために実施したものだ。そのため、武はB小隊が待ち伏せ、迎撃を選択した時点で、まずは包囲から抜け出す機動を見せる事を決めていた。
しかし単にブーストと回避技術にまかせて強行突破したのでは芸がない。故に、武は攻撃をかけて来たのが三機だと気付いた瞬間に最後の一機の位置をある程度絞り込んだ。勿論、発見して撃破していくためだが、伏兵の存在がはっきりしていると言ってもその位置までは流石に完全に予測できるわけではない。
全ては偶然だった。水月が築地機の配置点を選んだのも、武が幾通りもの突破ルートの中から築地機が配置されているエリアを移動経路に選んだのも、築地機が白銀機に発見されたのも、全ては偶然の積み重ねである。
だが水月にとってはそれが偶然であろうと、武が読み切ったのであろうとどうでも良かった。彼女にとって作戦のポイントとなる築地機が落とされたことこそが問題なのであり、それ以外の要因は作戦が崩れたことに対して何の慰めにもならない。
『少し見積もりが甘かったな。詰めは速瀬中尉がやるべきだった』
築地機を撃破して包囲網を抜け出した大尉のF-15は、こちらが追撃を行う前に既に遮蔽物に身を隠しており、バラバラに追撃をかけても成功しそうにない。
「ぬぐぐ・・・!」
大尉に一泡吹かせるために大分自制してきた。しかし、作戦が崩れたうえに戦力差も小さくなった以上、この後も待ち伏せを続ける利点は無い。幾通りかの作戦を考えてはみたが、三機からの挟撃を掻い潜って築地機を撃破した大尉を相手に、詰めすら存在しない挟撃など成功するはずがない。仮に足止めに成功したとしても、打ち込むべき決定打が存在しない。
ならば最も勝機があるのは機体性能差を生かした高機動接近戦。いや、正確にはそれにしか勝機は無い。
―――ドクン
高機動戦を決心したとたん、神経が昂る。
何のことは無い。最初からこうすればよかったのだ。大尉も言っていたではないか。前衛の仕事は何だ、と。
前衛とは、仲間のために血路を開く最強の矛。
相手が何であろうと―――
(―――ぶっ飛ばす!)
「楯山! 麻倉! 挟撃機動!」
『『了解!!』』
私は二人に攻撃命令を伝えると、噴射ユニットを全開にして遮蔽物から飛び出した。
攻撃タイミングも特に指示してはいないが、結果的には現状では完璧と言っていい挟撃だったと思う。
相手が次々に対応していけるほどの時間差をつけるわけでもなく、後退されるだけでご破算になる完全な同時攻撃でもない。
完璧に近いタイミングでの三方からの挟撃に対して生き残ろうと思えば、何としてでもどこか一方を倒して抜け出るしかない。
だというのに大尉は、その場をほとんど動かずに楯山と麻倉の挟撃機動に同時に対応しようとしている。
いくら白銀大尉であっても楯山と麻倉に対処した上で更にこちらにも対処することは出来ない筈だ。
(これならいける!! 勝った!!)
勝利を確信して右腕に保持していた長刀を振るう。
私は勝利の予感に身を震わせた。
―――だがまあ、そう上手くいかないのが人生というものである
11月5日 1200 国連横浜基地PX
午後の訓練前、ヴァルキリーズの面々はPXに集まっていた。大半が普段通りに食事を済ませる中、ただ水月一人だけが鼻息を荒くしていた。
「やっぱおかしいと思うのよ」
「? おかしいって何が?」
「白銀大尉よ。あたしらより若いのに大尉で、技術士官がやるような仕事してて、しかもあの腕って絶対おかしいわ。おかしいわよね!?」
「え~っと・・・」
「宮城中尉もそう思いますよね!?」
「ん~・・・、確かに大尉の腕は並じゃないと思うけど・・・。そこまでの剣幕で喋ることかな?」
「当然! しかも本人に余裕ありまくりであしらわれてる感じが余計にむかつくんですよ!! 昨日の模擬戦とかホントむかつく!」
「ああ・・・、あれは凄かったねぇ・・・」
―――昨日の模擬戦
その言葉で全員が武とB小隊との模擬戦の光景を思い出していた。
<<Interlude―――速瀬水月>>
(―――勝った!!)
偶然の産物とはいえ、完璧に近い形で実現した三方からの挟撃。
例え白銀大尉であっても、第二世代機でこれを切り抜けることは出来ない―――!!
確信と共に長刀を振り抜くその刹那、遙の報告の声が聞こえた
『麻倉機、腰部被弾、致命的損傷、大破』
『―――ええええ!?』
(―――ッ、構うな!)
麻倉が落とされたことに動揺しかけた心を無理やり抑えつけ、当初の予定をそのまま実行する。
一切の遅滞なく実行した攻撃。
にも拘らず、振り抜いた長刀の軌道にはF-15の腕しか存在しなかった。しかし―――
『白銀機、右腕破損、使用不能、戦闘続行に支障なし』
(よし! 麻倉をやられたのは痛いけどこれならいけ―――)
―――ドガァ!!
『キャアァッ!!』
(!?)
攻撃が一応の成功を収めたことに安堵し、次の行動に移ろうとした私の目に映ったのはこちらに半ば背を向けながら長刀を振るっているF-15であり、耳に入ってきたのは大きな物体が倒れた思われる音と楯山の悲鳴だった。
(なっ!?)
咄嗟に振るったばかりの長刀を持ち上げて弾こうとするが、それは叶わなかった。
私の長刀がその進路をふさぐ一瞬早く、F-15の長刀は私の不知火に斜めの派手な模様をつけて行った。
『は、速瀬機、胴体部破損、致命的損傷、大破』
「あ~・・・。くっそぉ!!」
まだ模擬戦は終わっていないが、B小隊は負けだろうと分かっていた。
築地、麻倉がやられた時点ではまだ勝機があったろうが、私がやられてしまってはもう勝機などない。
事実、数分もしないうちに楯山も撃破判定を受け、模擬戦は終わってしまった。
―――しかし、撃破判定を受ける直前の大尉の動きは一体何だったんだろう?
その疑問はその日の訓練終了後に知ることになったが、白銀大尉への認識が「尋常ならざる衛士」から「常識外れの衛士」に変わっただけであった。
<<Interlude out>>
「大体おかしいじゃないの! 麻倉が落とされたところまではまだ納得もできるわよ。なんでその後楯山の長刀を弾いた上にこっちの動きが見えてるみたいな動きが出来るわけ!? しかも楯山の機体を蹴り飛ばしてその反動でこっちに斬りかかってくるとか人間業じゃないわよ!? あ~もうムカつく~!!」
一人ヒートアップしていく水月を他所に、他のメンバーは模擬戦の内容と撃破された時のことについて話していた。
「と言う事は大尉はそっちを見てなかったんですか?」
「そうなんよ。こっち見てへんからいけると思てたら、見事に長刀弾かれたうえに蹴りくろてダウンや。不意打ちやったから全然構えれへんで、もろに体中打ったわ」
「そういえば今更だけど香苗大丈夫だったの?」
「大丈夫ちゃうてー。めっさ揺さぶられて、まだちょっと痛いんよ。京ぉ、うちを慰めて~」
「よしよし、痛かったわね」
しなを作って寄りかかってくる香苗に対し京は、仕方ないなぁ、といった表情で抱きしめる。
一方、ヒートアップし続けていた水月はようやく落ち着いてきたようで、周囲が自分の話を聞いていないことに気付いた。
「ちょっとあんたら!! あたしの話聞いてんの!?」
「私まで一緒にされるのは心外ですね。私は速瀬中尉のお話はしっかりと聞いていましたよ」
「だったら今あたしが何言ってたか掻い摘んで説明してみなさい」
既に椅子から立ち上がっていた水月は、何故か偉そうにふんぞり返って美冴を見下ろしながら言った。
それを面白そうに見つめながら美冴は口を開く。
「今までの話を総合するとつまり、速瀬中尉は白銀大尉に振り向いてもらいたくて仕方がない、ということですね」
―――カクン
周りの面々には水月の顎が落ちる音が聞こえた・・・ような気がした。
「・・・・・・む」
「む?」
水月はこの上なく間抜けな表情のまま沈黙していた。
だが、誰もが今の状況が嵐の前の静けさだと理解している。美冴にからかわれた水月が激昂しなかったことなどないのだから。
事実、次の瞬間にはPX内に水月の怒声が響き渡った。
「宗像ぁ!! そんなことあるわけないでしょうがぁ!?」
「・・・え、違うの?」
「遙!?」
激昂する水月。ニヤニヤと笑う美冴。気遣わしげに問う遙。呆れるその他大勢。状況は混沌となりつつあった。
そして意図してか意図せざるか、火中に栗を投じる様な真似をする馬鹿が二人―――
「速瀬中尉、そんなにムキになるってことはやっぱり・・・」
「速瀬中尉がそんな惚れっぽい性格やったとか驚きやわ~」
「あ、馬鹿・・・」
「片桐ィ! 楯山ァ!」
「あ~あ~・・・」
涼香が気付いた時には既に遅かった。京と香苗の二人は何時も通りに美冴に追従してしまったのだ。
そして案の定二人にも怒りを向ける水月。
「ではお先に」
「あ、うちも!」
「えっ!? ちょっ・・・、ずるい!」
水月の怒りの矛先が自分から離れたことを察知した美冴は、退出を告げてそそくさと出て行こうとする。
美冴の意図に気づいた香苗も、被害から逃れるために同じく席から立ち上がる。
一方、水月の相手を押し付けられた形になった京だが―――。
「こらぁ! 逃げるなぁ!!」
「あっ、水月!?」
水月は逃げ出した二人を追いかけていったため、京に水月の怒りの矛先が向くことは無かった。
「えーっと・・・、助かったってことでいいんでしょうか?」
「ま、良いんじゃないの?
・・・しっかし、速瀬ももうちょっと上手くかわせないもんかなぁ。ちょっと熱くなりやすすぎだよね。だから宗像にもからかわれるってのに」
「・・・ところで、宮城中尉は白銀大尉のことをどうお考えなんですか?」
「私? んー・・・。中身がまだイマイチ分からないから断言はできないけど、まあ優良物件だと思うけど?」
「いや、そう言う話じゃなくて・・・」
「あれで恋人には優しいとかだったらホント狙ってもいいんですけどねー」
「・・・晴子?」
「そだねー。あの若さで大尉、しかも新型OSの開発責任者ときて地位も頭も申し分なし。その上衛士としての腕も確かで顔も良いときたら、狙わないのが勿体無いかも。宗像じゃないけど、涼宮も狙ってみたら?」
「狙いません!」
「ああ、顔が好みじゃないとか?」
「そういうことじゃなくて!」
「ああ、違うの? ま、涼宮が狙わないって言うのなら別に良いけど、後悔するようなことにならないようにね。顔は良いのに恋愛下手で、恋人出来ないまま居なくなっちゃった奴はいくらでも居るんだから」
「う・・・」
「私の同期にも居たんだけどさ。もうすんごい美人だったんだけど、自分の感情を出すのが苦手な娘でね。それでも男なんて要らないって性格だったら問題なかったんだけど、かなり惚れっぽい娘だったのよ。それで何時も影で泣いてたよ」
「・・・・・・」
「ま、あんたたちはそう言うことにならないようにね。勿論死なないのが一番だけど、そういうのに絶対は無いしさ。それに私たちは特殊部隊なんて因果な商売だし、やっぱ後悔はしたくないでしょ」
精鋭部隊とは言え、実戦経験が少ない者が多くを占めるヴァルキリーズの中に涼香の言葉に反駁できる者は居なかった。
反駁できるかもしれない先任は全員既にこの場には居ない―――、いや、居る事は居るが、彼女は反駁などする気がない。
彼女の親友と同様に、彼女自身、後悔しなかったことは無いのだから。
「さ、この話はこれでおしまい。そろそろ時間だし、行った行った」
PXに残っていたヴァルキリーズメンバーを追い出した涼香は、ふぅ、と一息つくと、PXの出入口とは反対方向に歩いて行くと、一人の人物の前で立ち止まった。
「白銀大尉も、何時までもここに居ると遅れますよ?」
そこに居たのは新聞で顔を隠した武だった。
声をかけられた武は、バツが悪そうな表情で新聞を放り出すと涼香に向き直った。
「俺は良いんだよ、教官なんだから。・・・しかしなんだ。随分嫌われてる感じだな」
「ま、仕方ないでしょうね。昨日のはかなり荒っぽかったですから。・・・大尉にお聞きしますが、昨日の楯山の機体への蹴り、本気でやったんですか?」
にこやかな表情をしていた涼香の視線が険しくなる。
死なないための、人類の未来を掴む尖兵と成るべき訓練で死んでいては何のための訓練か分からない。
何より、下手すれば死んでいたかもしれないような事を本気で仲間にされたことが許せないのだろう。
武にはその怒りもよく分かる。ただ仲間のために生きているのが白銀武なのだから。
だが―――
「・・・本気のわけがないだろう。本気だったら今頃楯山少尉は病院のベッドの中か墓の中だ。あれは反動を使う以外のつもりは無かったからな。楯山少尉の不知火は俺の蹴りで、と言うよりも態勢が崩れて転倒しただけだ。まあ本人も分かってるだろうし特に何も言う事は無いと思うが」
「・・・ッ」
「俺はヴァルキリーズを鍛え上げるために来た。俺の本気よりも自分たちが本気かどうかの方を心配することだな。―――まあ仲間を心配する気持ちはよく分かる。俺もそうだしな」
最後の言葉を口にした武の顔からは先ほどの冷淡な無表情は何処かに消え失せ、とても穏やかなものに変わっていた。
100人いれば90人は穏やかと形容するであろう表情だが、涼香にはその表情を穏やかだと形容することはとてもではないが出来そうになかった。
「・・・でもな、心配して加減しながらも鍛えるなんて器用なこと中々俺には出来ないんだよ。俺が出来るのは、恨まれても構わないから俺の伝えられる事を全部伝える事だけだ。
だから皆が折れそうになったら支えてやって欲しい。それは今の俺には出来ないことだから・・・」
「・・・はい」
<<宮城涼香>>
「―――さて、そろそろ行くか。これ以上ここに居ると本当に遅刻しそうだしな」
そう言って出入口に向かって行く白銀大尉。
だが私の頭からはどうしてもさっきの表情が離れない。
穏やかな、とても穏やかな表情なのに、少しでも力を加えると崩れてしまいそうなほど儚いと感じたのは何故だろうか。
―――もしかして今にも折れそうなのはこの人なんじゃないだろうか
短い会話だったが、私にはそう思えてならなかった・・・
<<榊千鶴>>
同日 帝都南方 総戦技演習三日目
心配していた鎧衣の体力面も特に問題なく、当初考えていたよりも遥かに速いペースで行軍していた私たちだが、今は前進出来ずに立ち往生していた。
原因はロープを回収するかどうかでちょっとした問答になったことにある。
崖に行き当たり、それを渡るために彩峰にロープを掛けさせた所までは何の問題も無かった。
だがそこで問題が出来た。
彩峰が渡り終えてロープの準備も終わるという段階になると、雨が降り出して来たのだ。
何とか全員が渡河することは出来たが、最後の御剣が渡り終えた頃には流れはかなり急になり、彩峰にロープを回収させる事が出来るとは思えないほどになっていた。
ならば次に考えるべきなのは、ロープを回収するか否か。回収するならば一体どのような方法で回収するか、と言うことだ。
私は利便性の高いロープは回収するべきだと結論付けた。後はロープの回収方法だが、幸い手元には対物ライフルがある。このライフルの威力ならロープを固定している樹も問題なく破壊できる。そのため私は成功率を高めるために珠瀬に結び目部分を狙撃するように言ったのだが、御剣が反対した。
曰く、「強力な武器はもっと有効な局面で使うべきではないか?」
他の隊員にどちらを残すべきと考えるか意見を聞くと、鎧衣と珠瀬の意見はそれぞれ「ロープ」と「ライフル」だった。
私の意見がロープの回収なのでこれで現状2対2で多数決であれば結論が出ないところなのだが、我が隊にはもう一人隊員が居る。
私は最後の一人の意見を聞くために口を開いた。
「彩峰、あなたの意見は?」
「・・・・・・ん?」
「ロープの回収について何か意見はあるか?」
「・・・雨がやむまで待つ」
「・・・どうして?」
「・・・隊長の意見とは違うから?」
「・・・あなたね」
「・・・・・・と云うのはウソ」
・・・頭が痛くなりそうだ。白銀大尉の登場で変化が見られたかと思ったが、本質は何も変わっていない。
尤も、根本的な性質などそうそう変えようがないものではあるのだが・・・。
流石にこの状況でふざけられるとは思っていなかった。
「彩峰、それはつまりどちらでもよいということか?」
いつも通りとぼけた態度を崩さない彩峰と、顔を抑えて嘆息するこちらを見てか、御剣は彩峰の意見を確認していた。
ここでその通りという答が返ってくるようならロープを回収するためにもう一度珠瀬に狙撃を命令するつもりだったのだが、彩峰の返答はそうではなかった。
「・・・違う。ライフルの弾は一弾倉分じゃなくて一発。なら元々想定されていた使用目的があるはず。ここで使うと、後で状況的に詰むかもしれない。それに元々今のペースは想定していたペースよりもかなり早い。ここで何時間か使っても最終的には余裕を残して到達できるはず」
<<御剣冥夜>>
・・・彩峰がここまで長話するのは珍しい。
更に言えば、意見だけでなく、その根拠にまで話を及ばせると言う事が珍しい。
それでも、その根拠が我ら全員を説得するに足るかと言われれば、弱いと言わざるを得ない。が、彩峰の言葉を聞いた時、背筋に“ぞろり”とした得体の知れない感覚が走り、彩峰の言うとおりになるだろう、という予感がした。
・・・あの夢を見た時と同じだ
絶対に知らないはずなのに、何故か知っている感覚。
気味が悪いが、それでも雨が数時間で止むという予感だけは拭えない。正直に言えば、この感覚に逆らうのは無理だろう。
だがこれもあくまで私が感覚で納得しただけだ。他の者、特に榊などは納得しないと思うが・・・。
「榊、意見は出尽くしたようだ。お主はどう判断する?」
「ちょっと待って。・・・彩峰、何時間か待つって言ったけど、あなたは何時間くらい待てば良いと思ってるのかしら?」
「・・・多分雨が止むまで二時間か三時間くらい。色々合わせても四~五時間あれば充分なはず」
彩峰の言葉に榊は視線を落して考え込むような表情になったが、すぐに顔をあげると結論を出した。
「―――ここで四時間の大休憩を取る! 四時間で目処が立たなかった場合、ロープの回収を最優先とする」
驚いた。榊は彩峰の意見を良しとしたのだ。
それどころか、珠瀬も鎧衣もその決断を疑って居る様子は無い。
「時間を無駄にする余裕は無い」という暗黙の了解があったが故に、皆はどちらを残すかという議論をしていたはずだ。だと言うのに何故皆は納得しているのか?
自分は彩峰の意見が妥当であると納得しているというのに、それを容れた榊と、榊の決断を当然のように受け入れる珠瀬と鎧衣が不思議でならなかった。
「最初の歩哨は、・・・御剣、よろしく」
「・・・分かった。だが本当に良いのか?」
「彩峰の意見は妥当だと思う。どちらも残しておけるなら、それに越したことは無いしね。それに―――」
「それに?」
「―――いえ、何でもないわ。自分でもどうかしてるんじゃないかと思ってるのよ。話しても理解してもらえると思えないしね・・・」
「・・・・・・」
榊らしからぬ―――いや、他者に理解を求めないのはむしろ榊らしいのかもしれないが、“理解してもらえると思えない”とはどういう事だ?
方針決定の根拠たる思考の過程を説明すれば、それは誰でも理解し納得できるはずだが・・・。
(榊自身も自分の判断の理由が分かっていないのか? 榊がそのような状況で結論を出すとは思えぬが・・・)
・・・いや、今はこんなことを考えている場合ではない。いずれ話しあう時も来るであろう。
「そうか。・・・では行ってくる」
「ええ、よろしく」
<<珠瀬壬姫>>
「ほんとに止んだ・・・」
雨は慧ちゃんが提案した通り、二時間後にはやみました。
・・・でも、みんなは雨が止んだこと自体にはそんなに驚いてないみたいだった。
みんなは自分のやるべきことに集中しているから驚いていないように見えるのかもしれない。
でも正直に言えば、わたしも雨が止んだことについてはそんなに驚いてない。何に驚いてるのかと言えば、雨が止んだことにわたし自身が驚いていないことに驚いてるんだと思う。
「彩峰、御苦労さま。―――さ、先を急ぎましょう」
っと、考え事してたらロープの回収が終わったみたい。ぼんやりしてないで集中しないと。
―――予感が正しければ、次に出番があるのは私なんだから