≪勘九郎≫
プロフェッサー・ヌルが作った魔族に力を与える、正確に言えば魔族の力を与える篭手にも似た肘まであるリストバンドを撫でながら雪之丞が来るのを待った。
幸い、月の豊富な魔力を吸収して充電せずともタイムリミットまではもってくれるだろう。
これがなければあたしは生きていけない。
なんとも不便ではあるがあたしをこんな体にした、こんな体に戻してくれた男のことを考えると自然に笑みがこぼれる。
惜しいことをしたものだ。
横島忠夫。
あの無類のお人好しの下で楽しく雪之丞をからかっている自分も存在したかも知れないというのに。
後悔なんてガラじゃないからしないけど。
どんな結果だったとしても自分が選んだ道だしね。
人間なんてもとから不平等なんだ。
いまさら嘆いたところで仕方がないし。
ま、せめてものお礼にあなたの望み、少しだけかなえてあげるわ。
「あら、やっときたのね」
雪之丞が憎悪、いいえ、覚悟の瞳でこちらをにらみつける。
無駄なのにねえ。
「勘九郎!」
「だめよ、雪之丞。あんまりがっつくともてないわよ」
リストバンドを隠すように魔装術を展開する。
雪之丞も魔装術を展開。
さて、あたしにできることを。
あたしの生きた証っていうやつを雪之丞に覚えていてもらいましょうか。
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≪雪之丞≫
勘九郎は何を思ったか、白龍寺で用いられていた試合開始前の礼をとってきた。
つられたように俺もその礼をとる。
ふいうちもなし。
そして構えた。
勘九郎が得意にしていた、まだ、魔族になる前の構え。
俺も構えた。
そうせざるを得ない、いや、そうしたい雰囲気にかられたせいだ。
俺の攻撃型の構えと、あいつの攻防自在の構え。
寺にいたころはいつも俺の攻撃はいなされ、動きが鈍ったころにきつい一撃を食らって倒されていた。
あのころは体格差もあったが、俺とあいつでは技術に大きな隔たりがあり、俺はあの寺にいる間一度も勘九郎には勝てずにいた。
いつの間にか怒りは消えていた。
俺から突っかける。
それもいつものこと。
左手が勘九郎の顔面に向かい、右手は鳩尾を狙う。
勘九郎は避けにくいボディーも見事に捌いていた。
その腕を捕らえて投げをうとうとする勘九郎。
腕をひねり逆に投げ返そうとする俺。
あっさりと腕を引いた勘九郎はノーモーションから掌打を見舞ってきた。
サイドステップでかわす俺。
「……強くなったわねえ、雪之丞」
「うるせえ、技の錬度じゃあまだてめえの方が上じゃないか」
「技の練習は一人でもできるからね。覚えておきなさい、武術においては時として努力が才能を凌駕するということを」
今度は勘九郎が仕掛けてきた。
かつての道場でのように、ただただ攻防が続いていく。
腕が鞭のようにしなり首をめがけて殺到する。
それに合わせて足が出てきた。
どちらも食らえば戦闘不能に陥らせるコンビネーション。
ただ、俺は愚直に俺のもてるすべてを攻撃に注ぎ込む。
真っ直ぐに、ただ前だけを見て放つ一撃。
正拳突き。
ただ愚直に突き出された拳は、勘九郎の一撃と同時に奴の体に吸い込まれた。
膝をつく俺と、殴り飛ばされた勘九郎。
痛え。
打たれた首筋のせいで頭はグワングワンするし嘔吐しそうな感じ、蹴られた左足はいうことをきかない。
多分折れている。
でも、こんなもので師匠の下、積み上げてきたものは崩れない。
残された右足で跳ぶといまだに腹を押さえたまま動かない勘九郎のもとへ行く。
勘九郎に俺の手でケリをつけるために。
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≪勘九郎≫
あら、体が動かないわ。
雪之丞は……動くみたいね。
これはまずい……。
無様なものね。この体は、ヌルに魂を売って得たものと遜色ないというのに。
「……勘九郎……終わりだ」
「……そのようね。魔族にこの身を貶めて得た力だというのにあっさりとその上をいってくれるんだから」
「魔族になりゃあ確かに地力は上がる。だがそこから先が続かねえ。神や魔族の成長は著しく遅いらしいからな。……俺は、人間でありながら神や魔族を凌駕する人間の下で強くなった。人間のまま、な」
洒落にならないものねえ。
あの時、私は外の世界のことを理解していたし、意識もはっきりと残されていた。
ヌルの悪趣味のせいで。
人間であれば霊機構造を抜き取られた時点でそこで終わりだっただろうが、ヌルは魔装術の使い手であるあたしを魔族と人間の配分を組み替え、あの醜い肉人形と化していながらなお生きながらえさせた。
【輪/廻】【転/生】二つの珠が輝き、気がついたらこの体の中に私の魂は生き残っていたクローンの一体に集められていた。
人間として。
あたしは人間になっていた。
戻っていた。
でも、この体はヌルの手によるもので、例え人間に戻っていたとしてもやがては滅ぶのだろう。
だとしても、だとしてもなんと言う喜びだろう?
力を得るために人間を捨てたというのに、今は人間として死ねることに無上の喜びを感じる。
だからせめて、あのお人好しの願いくらいは聞き届けてあげたいと思う。
「……いま、ケリをつけてやる」
体は、……動かす!
リストバンドに手をやる。
動け! 動け! あたしの体。
「言ったでしょ? あんまりがっつくともてないって」
少し、あと少し。
「そうそう、あなたの師匠にお礼を言っといてね。あなたのおかげで元に戻ったって」
よし、動く。
「それと、あなたなんかに殺されてあげない。じゃあね、雪之丞」
宇宙空間に生身で出たらどういう風に死ぬのかしら?
血が沸騰する?
全身が凍りつく?
それとも内側からの空気圧に耐え切れずに破裂してしまうのかしら?
最後に、雪之丞の『馬鹿やろうがぁ!』と、言う声を聞いた気がした。