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No.5421の一覧
[0] イ吏い魔[ドジスン](2008/12/21 23:21)
[1] 吏い魔[ドジスン](2008/12/21 23:22)
[2] い魔[ドジスン](2008/12/21 23:24)
[3] おまけ[ドジスン](2008/12/21 23:32)
[4] おまけ2[ドジスン](2008/12/21 23:33)
[5] おまけ3[ドジスン](2008/12/21 23:35)
[6] おまけ4[ドジスン](2008/12/21 23:38)
[7] おまけ5[ドジスン](2009/01/01 23:48)
[8] おまけX(本編ではなく、ネタバレを含みます)[ドジスン](2008/12/21 23:44)
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[5421] おまけ
Name: ドジスン◆bcd22b31 ID:31a83a6e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2008/12/21 23:32




かくて悪徳は巧血を育み
時と働きに結びつき
結構な生活の事々物々
そのまことの快楽、愉悦、安易など
いよいよ高く引き上げる
貧者どもさえ昔の金持及ばぬ生活
これ以上何不足ないというほどだ
(中略)
主人や王様や貧民やみんな瞞して
王候の産をなした一人の男
そらぞらしくも大声疾呼
「積る不正で国家は滅ぶ!」と

(後略)


                    ――マンデヴィル『蜂の寓話』 上田辰之助訳




 ケティとモンモランシーの誘拐から八日が過ぎた。平賀才人がハルケギニアに召喚されてから二週間以上が経ったことになる。これ以上はないだろうと思われた後世『グラウンド・ゼロ』と呼ばれる出来事を終えてからも、彼の道程はいつ見ても波乱万丈であった。
 その仔細は後述するが、いまはとりあえず決行を間近に控えた『ヴォー・ル・ヴィコント作戦』に眼目を置く。
 ヴォー・ル・ヴィコントといえば、在りし日のフランスにおいて権勢を振るいまくったニコラ・フーケさんの落日にたいへんゆかりのあるネーミングである。そしてこちらの計画立案者も当然『土くれ』のフーケ。しかし才人も含めこの場にはそんな事実を知っているものはいない。それにアラのひとつや十や百、もともとざるよりも水ただ漏れかつ力押しバンザイ運頼みサイコーなプロジェクトだからなんの問題もない。
 それでも参加メンバーの顔色は真剣そのものである。
 何しろ人命と人生がかかっている。マジにもなろうというものだった。

「お歴々、いよいよ明日だ」

 クルデンホルフ大公家の名において貸し切られた奢侈な宿のスイートルームに彼らはいる。
 その一室で座の中心に立つのは誰あろうギーシュ・ド・グラモンである。彼はここ最近ですっかり憔悴し、磨耗し、挫折を知り、ゆえに成長を遂げていた。
 とはいえ、経験を得て成長するのは当然のことである。それが一躍雄飛してかつてを眼下に置くほどのものにならぬのもまた道理だ。よってたかって押し付けられた重圧に彼の胃腸は断末魔の叫びをあげつづけている。最近の彼は青銅のおまるを『錬金』する魔法が無駄に上達しているくらいである。

「最終確認をさせていただこう。ここから先はもう後戻りはできない。よろしいか!」

 集ったメンツは思い思いの表情で、まあ全体的に適当な感じで頷いた。

 ここでヴォー・ル・ヴィコント作戦(以下V2作戦)の参加要員を順不同で紹介する。
 まずはいわずもがなのギーシュ・ド・グラモン。わりといいとこの四男であり、今はもうないトリステイン魔法学院の二年生でもあった。
 彼の脇で黙然と張り詰めた空気をふりまくのはアニエス。姓はない。貧民の女である。元トリスタニア衛士であり、諸々の事情で本来関係ないのに首を突っ込んできた復讐鬼である。そうだねそんなのみんな知ってるね。

 そしてそのアニエスにすっかり目をつけられたのが一応主人公の平賀才人。例のルーンはパワーアップして健在だ。しかし彼の眼はスーパーでラッピングされた魚のように死んでいた。理由は右腕を控えめに、だがしっかとつかんで離さない金髪のツインテールの女の子にある。

 その名も気高きベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフ。大公の実子であり愛娘でありV2作戦の成功には欠かせない要の少女である。才人は実質彼女に差し出されたイケニエだった。詳細はやはり追々知れるとして、「他の女の子なんか見ないで話さないで触れないで!」「さもないと殺す」と放言するベアトリスのせいで才人はもう限界を超えていた。むしろ既に三回ほど刺されかけていた。当たり前だが彼女が才人に惚れる理由なんて微塵もない。クスリのパワーである。

 その様子を見てにやにや笑っているのが『土くれ』のフーケやらロングビルやらマチルダさんやらと、実に多彩な名前を持つ妙齢の美女であった。いろいろと面倒で複雑な事情が絡み合った結果、彼女とて命がかかっている事態に陥ったが、その不屈の根性はいまだ折れてはいない。むしろ危地にあって平静を保っている。しかしフーケはいうまでもなく犯罪者。裏切るも逃亡するも自在の立場である。ベアトリスとは違う意味で、彼女は成功の可否を握っている。

 以下キュルケ、タバサ、オールド・オスマンとコルベール先生、シエスタにマルトーと続く。他にもいるがさすがに数が多いので別室で待機している。多士済々というか混沌にもほどがあるメンバーである。おそらくハルケギニア史において、こうまで無節操なパーティが組まれた例は稀であろう。
 この豪華キャストが相手取るのは、果たしてどこの悪漢なのか。
 それを一言ではとても言い尽くせない。各々が敵と定めたものは違うからだ。賭すものも異なる。あるいは未来。あるいは愛。あるいは過去。あるいは金。そしてあるいは人権。
 取りまとめてわかりやすくすればリッシュモン高等法院院長と彼に与する郎党ということになるのだろう。しかし作戦にはトリステイン王国そのものにケンカを売るような条目も含まれている。
 ある意味では彼らは、そう、テロリストなのだった。
 メイジではない。
 平民でもない。
 ましてや異世界だなんてなにをかいわんや。
 私利私欲や打算や執念や好奇心。あと性欲。人を衝き動かすもっとも根本的な要素がより合わせられて偶発的に生まれた集団。それが彼ら彼女らであった。中には普通に無理やり巻き込まれたものもいるが、大きなうねりとは得てしてそういうものである。竜に頭をばっくりと噛まれたと思って諦めるしかない。

「では覚悟したまえ」

 ギーシュが重々しく口を開く。剽軽な性質はすっかり身をひそめ、

「……ぼくは正直逃げたい。勘弁してほしい」

 ビビリが思いきり表面化していた。一週間ですでに二百回は吐いた泣き言だった。

「今さらおせー」才人が生気のない声で呟いた。

 それで不機嫌になったベアトリスが、表面上はそ知らぬ顔を装いつつも才人の左手から生えてる毛をむしる。どうやらもう同性であろうと会話の自由はなかった。

「逃げたいのは俺のほうだ……」また余計なことを漏らした。

 右手にぐさっとフォークが刺さった。

「うわあぁおぉい!?」

 悲鳴をあげるが、転げまわることもできない。ベアトリスの病んだ眼差しが彼を串刺しにしていた。

「どうか、お逃げにならないで平民。あなたが逃げたら、わたくし死んでしまうわ。あなたをコロシテから」

 ありきたりすぎて陳腐な病み具合であった。しょせん魔法で狂った理性である。

「べっ、ベアトリス……」才人は口ごもりながら懸命に運命を呪った。それくらいしかすることがない。
「やだ……っ」

 突然可愛らしい声でベアトリスが囁いた。

「ベティってお呼びになって? いつもみたいに。……ああ、いけないわ、わたくしったらいけないベティだわ、また平民に血を流させて……、この一滴さえ、わたくしのものなのに」

 あまつさえ血の滲んだ肌に舌を這わせた。見ようによっては倒錯的でエロいのだが、才人も含めた周囲の人間にとってはそれ以上にホラーである。
 高慢ちきなベアトリス殿下の姿を知るギーシュなどにとってはなおさらだ。ひきつけでも起こしかねない様子で必死で眼をそらしていた。
 才人はちびりそうになりながらブロックサインでシエスタに向けて「タスケテ」と発信した。同じく泣きそうなシエスタがすごく自分の無力さに絶望した表情で「ムリデス」と返信した。

 才人はこのままではいずれ己の命脈が尽きることをあらためて確信した。
 死にたくない。
 だが、この先生きのこるには。
 なにがなんでも作戦を成功させてケティとモンモランシーを救い出さねばならない。
 そのためならなんだってしてやる。メイジくらい何十人だって相手してやる…。才人は修羅となる覚悟を決めた。

 はああぁ、と産廃でも吐き出すように大仰な仕草で、ギーシュが嘆息する。

「では、今宵これより『ヴォー・ル・ヴィコント作戦』を開始する。各員、時計を合わせたまえ」

 コルベール先生のお手製時計は人数分揃えられている。半犯罪行為にいい顔をしない彼も、この工作ばかりは嬉々として行った。

「手はずは整えた。人事も尽くした。だが天命は待たない。それすら自力でもぎとろう。ぼくはみなの奮闘を期待するものである」
「では、合言葉を。ギーシュ殿」ベアトリスが口を開く。

 ギーシュも含めた全員がすごくイヤな顔をした。彼女が狂った脳みそで考案したこの符丁が一応V2計画のキャッチコピーなのだが、なにしろ狂っているだけに評判はすこぶる悪い。しかし面と向かってベアトリスに文句を言うのは恐怖である。機嫌を損ねるとまずいとかそういう次元でさえなかった。

「合言葉を」とベアトリスは繰り返す。
「う、うむ。わかっているとも」

 たっぷり二十秒の沈黙。気まずい視線が行き交って、痛々しい静寂を織り上げていく。
 そして。
 半ばやけになって、ギーシュが声を張り上げた。

「ファースッキッスから! ふぁーじまれぅ!」
『ふーったりの●いのひっすてぉりー!』

 部屋にいた全員が唱和する。ほぼ全員の心情が「勘弁してください」で一致している。ただしベアトリスとオールド・オスマンだけが乗り気だった。

 なお、以下は著作権法に違反する恐れがあるため、実在のアニメ『ゼロの使い魔』一期OPテーマとは一切関わりのない文章であることをここにお断りします。

You who had this fate to make the start suddenly
  witch it from a live
 kiss to it to it first stood out
  and even the history of love of two stood out.

 (始めに最初にそれにそれに突然ライブキスから
  それまで魔法をかけさせるこの運命を持っていた
  あなたが際立っていました
  そして2の愛の歴史さえ際立っていました)

 ※訳者:エキサイト先生

 最悪だった。
 少女たちはまだいい。しかしいい年して地獄のようなラブソングっぽい文句の絶叫を強いられるフーケやアニエスやコルベールやマルトーにとっては「いっそ殺せ」というくらいの恥辱である。実際あくまで例えばの話だけれども、コルベールにはこんな経験があった。深夜三時ごろ独りカラオケで何を狂ったかメドレーとかタイトルしか知らないのに歌おうとしたらまず高音過ぎて声出ないしそれでも無理して敢行するんだけど「ギュッと!」「ずっと!」とかCサビの手前でバチーン☆てフリつけてたらドアのお外の従業員と目があっちゃってみたいな、「失礼します。ウーロン茶です」「君が突然現れた」みたいな……、そういうことがもしあったりしたら、いやなかったんだけれど、もうそのお店にはいけないと思うコルベールである。わざとらしくどこにも繋がってない携帯に向かってこの罰ゲームきついんだけどー!超イタい人みたいなんですけどー!みたいなことを言っててもあのお姉さんはきっと見透かしていたんだ、とコルベールはコルベールは述懐してみたり。
 だがみんなで歌うと確かに連帯感みたいなどす黒い感情は生まれるので、実はそれなりに効果があるのかもしれない。
 Aメロを叫びながら(当然符丁は緊急時以外フルコーラスで叫ばなくてはならない)、才人の決意は早くも濁っていた。たしかにやるよ。やるっていったよ。命だってかけんよ。

 だけど、と思わざるをえない。

 なんで、こんなことになったんだろうな――。





  000

  000 はた迷惑なフーケたち シャトー・ド・ヴォー・ル・ヴィコント 000

  000






 時間をかなりさかのぼる。ことの発端、トリステイン魔法学院が崩壊したまさにその日。
 草木も眠る丑三つ時、『雪風』のタバサは本塔跡地への侵入を果たしていた。
 魔法学院はもともと本塔を中心にしていた構造である。周囲にはいくつか他の塔や建造物もあった。しかし昼間の爆発でそうした主だった施設は根こそぎ吹っ飛んでしまい、偶然完全な瓦解を逃れた本塔にしてもクレーターの真ん中に斜めに突き刺さっているというかなり世紀末的状態になっている。
 生徒たちは基本タフでバカなのでそんな本塔に興味しんしんだったが、当然教師陣はそんなデンジャラスな遊びは許さない。夜を徹しての守備態勢がしかれることになった。
 そして、タバサはそこに忍び込んだ。
 ――わけではない。もっとスマートな手段を使っている。こんなときだけシュヴァリエの勲章を持っていることをアピールし、守衛のひとりに立候補したのである。教師たちも本音ではもう今さら生徒がひとり自爆して生き埋めになろうが構わないというくらい疲弊していたから、楽できるのは渡りに船だ。申し出はなんなく受け入れられた。
 彼女の目的は今まで学生の身分では閲覧できなかった『フェニアのライブラリー』跡である。
 廊下があちこち潰れていた上足場が非常に不安定だったので、タバサは『レビテーション』で図書館があるフロアの窓まで浮いてから、窓枠ごと破壊して内部への侵入を図った。
 案の定本棚は倒れ、整然と並べられていた古書はすべて床にばら撒かれていたが、問題はない。タバサは袖まくりして本の山へ向かう。本命以外にも興味をそそられるタイトルがどうせいくつもあるだろうが、何、問題はない。窃盗の準備はもうできている。用が済んだあとは建物にトドメを刺して証拠を隠滅すればよいのだ。
 いや、これは窃盗ではない。夜陰の中でタバサの目が炯炯と光をたたえた。
 文化保全だ。
 稀覯本が今まさに喪われようとしているのに「えらいこっちゃ」としか言わないあの教師どもに代わり、自分がその崇高な使命を果たすのだ。
 だいたい書痴のケがある人間とはこういうものである。
 だから文化保全というのもただの自己弁護ではなく、素でタバサはそう結論付けた。そしてとりあえず『勇者イーヴァルディ』の初版本を懐におさめた。それが二時間ほど前のことである。
 その場に布団と枕とランプと飲み物と菓子でも用意して巣作りしたい欲求をぐっとこらえて、あらかた目ぼしいタイトルを風呂敷に包んでは、逐一使い魔のシルフィードを呼び寄せ急遽作成した隠し場所に運ばせる。論文類はかさばる上にモノによっては題名では予想がつかないテーマで語られていることもあるので、特に念入りに精査した。
 一読して目的にかないそうなものは残念ながらなかったが、それでも現状では大きな助けに成りうる資料だろう。タバサは欲をかかず満足することにした。
 夜も相当深い。一応夕方から夜にかけて仮眠は取ったが、タバサは昼間の疲労も手伝い、さすがに眠気を覚えていた。喧嘩ではトライアングルスペルも使ったのである。普通ならば深い睡眠が必要な状態であった。
 そろそろ支柱にウィンディアイシクルでも叩き込んでお暇しようかと思ったとき、ランプの明かりに照らされた、ある本の背表紙が視界に入った。

『学院全史 1』

 重厚な代物である。しかも保存状態が悪い。おそらく固定化の魔法が切れかけているのだ。相当な年代物だと推察できる。

「……」

 内容は考えるまでもない。重厚なタイトルで中身がエロ本という可能性もあるが、ざっとあらためたところその心配はないようだ。
 そういえば、とタバサは思う。トリステイン魔法学院の来し方について、実のところ自分はよく知らない。異国出身ということもあるが、恐らく大半の生徒が同じだ。オスマン学院長は栄光に合わせてよく未来を語ったが、少なくともタバサは学院の詳しい来歴についての話を聞いたことはない。
 気まぐれに本を手に取る。
 軽くページを煽って紙をほぐすと、彼女は目次に目を通した。

「……これは」

 思った以上に興味深い内容がそこにあった。
 始まりの小題は『王立魔法研究所支部』。それがどうやら、魔法学院の前身であるようだった。悪名高き魔法アカデミーの名を冠されている。教育機関と研究機関は地続きに運用されることが、確かに多い。領地の相続がなければ卒院後アカデミーに進路を取る生徒も少なくないと聞く。両者に関係性があるのは、ある意味で自然なことである。
 しかし、それならばなぜあまり知られていないのか?
 そして教員しか閲覧できないライブラリーに収められていたのか?
 本当に栄えある学院史ならば、一般生徒の目に付く場所にこそ置くべきなのだ。
 タバサの優れた嗅覚が、なにやらきな臭いものを感じ取っていた。
 しかしページを進めようとした矢先、唐突な物音が響いた。タバサは肩を震わせ、一瞬で気を立て直す。そしてすぐさま杖を手に取り身を伏せると、気配を殺して音の出所を探った。

「――」

 緊張の数秒が続く。教員か、もしくは生徒か。そのどちらでもない場合は――ちらりと脳裏に毛の生えた左手が過ぎる――考えたくない。
 直後、聞こえてきたのは妙な歌だった。

『これはこの世の事ならず。死出の山路の裾野なる。
 賽の河原の物語。聞くにつけても哀れなり。
 この世に生まれし甲斐もなく……』
 
 なんだこの電波ソングは。
 夜。
 崩壊した図書館。
 そしてこの歌。
 これはやばい。人間ではない。だって普通、貴族が崩壊寸前の夜の図書館に来て変な歌を唄うなんてありえないだろう。
 決まりだ。
 これはアレだ。
 タバサは全身を硬直させる。固く目を閉じて歌が過ぎ去るのをひたすらに願う。なんてことだろう。周囲を警戒して『サイレント』の魔法を使わずにいたのが悪かったのか。それとも勝手に入り込んで書物を持っていったのがいけなかったのか。しかしだからといってこんな怖い歌を聴かせるのは反則だ。
 まず妙に低い声で歌われるのが良くない。わざわざリスナーに恐怖感を与えるような仕様だ。これでは駄目。売れない。ミリオンは無理。タバサはひたすら駄目だしに集中して恐怖を感じる暇をなくそうと試みる。しかし、

『河原に明け暮れ野宿して。
 西に向いて父恋しい。東に向いて母恋しい。
 恋し恋しと泣く声は、この世の声とは事変わり、悲しさ骨身を通すなり』

 歌は続く。
 しかも泣かしに来た。
 怖い上に欝。
 タバサはもう駄目だった。
 こんな時間にこんな場所に来たことを真剣に後悔する。後悔する間にも歌詞が耳に入ってきて、タバサの実は感受性豊かな脳がまぶたにまざまざと歌の情景を描くのだった。
 荒涼とした砂礫の大地。
 そばには冷たい川が流れている。
 あたりはいつとも知れぬ時間帯であり、霧靄に包まれ視界は悪い。そんな世界の果てのような景色の中で、かわいそうな子供がぽつんと河原に屈んでいる。彼女の表情は冴えない。ひたすら悲嘆と絶望に暮れている。そして両親を思って泣きながら石を積んでいく。なぜだかわからないが、この場所ではそれが唯一できる親孝行なのだ。設定魔的なところがあるタバサはその行為にかなりエキセントリックな意味づけをした。きっとこの石を積み上げて塔を完成させれば、彼女っていうかシャルロットは在りし日の思い出を束の間振り返ることができるのだ。戻れるわけではないところがポイントである。
 だいたい合っていた。
 ひとつ積んでは父のため……ふたつ積んでは母のため……みっつ積んではふるさとの……タバサはすっかり歌の主人公に感情移入していた。ただし無表情だった。
 固唾を呑んで展開に聞き入る。怖いが、今さら聞くのを止めるほうがもっと怖い。しかし一瞬後怖さなど吹き飛ばす衝撃の急展開がシャルロットを待ち構えていたのだった。
 鬼が。
 積み上げた石を。
 崩しやがった!
 なんという外道。義にもとる所業。
 タバサは怒った。怒りのあまり脳内では河原で途方に暮れるシャルロットの前に時空を超越して勇者が現れた。そして勇者が彼のオリジナル魔法であるオクタゴンスペル(四大系統魔法を極めた超メイジのみが使えるガリア王家に伝わる最終魔法奥義。スクウェアスペルを重ね掛けすることによってその威力は大ハルケギニア最終神をも一撃で素粒子レベルにまで分解する。という設定)を駆使して鬼を退治する展開まで空想した。
 しかし鬼は言う。俺を恨むなこれも仕事だ。おまえが先立ったことで悲しみに明け暮れた両親の嘆きこそが、おまえを苦しめるもととなっているんだ。鉄の棒を差し伸べて、彼は決まり悪そうに石塔を崩していく。
 そうだったのだと、シャルロットはとうとう悟ってしまう。ここは死後の世界。そして彼女は地上に両親を残して逝ってしまった。それこそが彼女の罪。未来永劫報われぬ……。そういえば冒頭に伏線もあった。叙述トリックだ。タバサは舌を巻いた。この歌。できる。
 起承転。こうしてバッドエンドで終わるのかと、タバサが認めかけたそのときであった。
 救いの御手が差し伸べられた。
 お地蔵さまの登場である。それもう慈悲深い顔をしてお地蔵さまはおっしゃられた。あとは俺に任せな。面倒は全部見てやる。そしてシャルロットをすくいあげ、こうのたまう。
 南無延命地蔵大菩薩。
 オンカカカビサンマエイソワカ。
 梵語で「ありがたいお地蔵さまよ」という意味である。
 ハッピーエンドだ。起承転転結。これは正しいエンターテイメントである。
 タバサは本能の導きに従い両手を合わせて唱えた。ナムナム。
 ハルケギニア人が史上初めて軽く仏法に帰依した瞬間である。
 歌はそこで終わった。うーん、という唸り声が聞こえてくる。どうして俺は『地蔵和讃』なんかフルで覚えてるんだろうなぁ嫌気が差してきた。という具体的な唸りだった。
 タバサは倒れた本棚の陰から、そっと声の主をうかがう。

「うお。むちゃくちゃでっかい本棚だなぁ。よくけが人が出なかったなこりゃ」

 現れたのは、つまりずっと歌をうたっていたのは、学院崩壊の元凶こと、平賀才人であった。
 タバサはそっと杖を上げると、『エアハンマー』の呪文を唱えた。

「ぱぐッ」

 圧縮された空気の塊がピンポイントで頭部を直撃し、才人は声を残してその場に崩れ落ちる。タバサは立ち上がり昏倒した才人を冷たい目で見下ろす。
 昼間の彼の動きを思い出した。今の一撃を受けるようでは食堂で死んでいなくてはおかしいのだが、さてこれは一体どういうことだろう。平民の雄にもさすがに疲れが見えたということなのか。

「……」

 腹いせでやっただけなので、気絶させた意味は特にない。無言で才人に近寄ると、タバサは白目を剥いた顔をじろじろと観察する。
 体格はそこそこよいが、肉付きは貧弱だ。掌も貴族のそれのように柔らかい。鍛錬の後が見えない。これは道理にそぐわない。
 とすると、単に持って生まれた運動神経とセンスだけでそれなりに「やる」タイプなのかもしれない。もしそうならば、仮に彼がまた凶行に走っても問題はないだろう。下積みがない力は、簡単に足元から切り崩せる。
 しかし。タバサはあえて見ずにいた才人の左手をいやいや見た。
 見慣れぬルーン。それはまだいい。
 ……生えてる。間違いなく生えてる……。
 爆発以降は沈黙を守ったままのルーンだが、誰もあのとき聞こえた声については話題にしなかった。才人の手に生えたこの『毛』についても突っ込まなかった。それどころではなかったし、何だか触れてはいけないもののように思えたからだ。
 タバサは逡巡する。一応、確認すべきだろうか。しかし下手なことをして感染したりしたら目も当てられないことになる。ルーンに触れようか迷った挙句結局止めて、

「!?」

 その手に起こった異変をとうとう見てしまった。
 ルーンが……微妙にふくらんでいる。ボコ(Ω)って感じになっている。
 タバサは思った。
 ――わたしは何も見なかった。

「ん、んん……あれ。ここどこ。俺なんでこんなところに」

 寝ぼける才人の足を引きずって、図書館から出ることにする。
 二人はその帰りに学院跡地をゴーレムを使ってせっせと掘り返すミス・ロングビルの姿を目撃するのだった。

  000

 ロングビルこと『土くれ』のフーケは、過去を振り返る。名門サウスゴータ家のマチルダさんとして生まれた少女時代から、父親が主君に当たる大公の妾をかばったばかりにお家取り潰しの憂き目を見ることになった青春時代。今さらそれを嘆いて足を止めるようなつもりもないけれど、さすがに汚物を顔面に食らって怪我を負えば心が切なくもなる。
 唐突だが彼女は怪盗である。
 トリステイン城下町の貴族を狙う、巷間賑わす時の人なのだ。
 そんな彼女が二ヶ月も前からもぐりこんで目当てにしていた魔法学院の宝、『破壊の杖』の所在も、宝物庫がなくなってしまった今では絶望的になっていた。それでも彼女が諦めずこっそり小型のゴーレムを使って土を掘り返すのは、そうでもしないとやってられないからである。
 無論根拠もなく無為を重ねているわけではない。『破壊の杖』ほどの秘宝ならば、かなり高度な固定化がかけられているはずである。宝物庫そのものの強度は折り紙つきであったから、内部の宝物にも無事なものはあるはずだ。
 実際彼女は既にいくつかの宝を手に入れていた。中でも文字通りの掘り出し物は『眠りの鐘』である。これは訓練を受けた衛士でさえ不意をつかれれば抗う間もなく眠らされてしまうというかなり強力なマジックアイテムだ。早速これを使用して、フーケは見回りに立っていた教師をほぼ全員夢の世界に案内していた。
 邪魔をするものはない。
 宿主を失った土地の夜は寂々として、双つの月のみ変わらず皓々と照っている。そして月光のもと、まだあちこちに臭いが残っているクレーターの中で妙齢の美女がごみ漁り。
 しかも、爆発のためか夕方に一度にわか雨が降った。地面は少しぬかるんでいる。

「あたし、何やってるんだろう……」

 フーケは言ってはいけないことを言ってしまった。
 それを言ったら今の状況全てが成り立たなくなる。
 我に返ったらもう駄目だった。
 馬鹿馬鹿しい。やってられない。あーあ、瓦礫の整理なんかやっちゃって、これじゃ泥棒というよりボランティアだ。こんなものは貴族のガキどもにやらせておけばいいのだ。
 拾い上げた変わった形の筒を拾い上げ、すんすん嗅いでから顔をしかめてぽいっと捨てた。ゴーレムを土に還し、このまま逐電することを真剣に考慮する。久しぶりに故郷に帰ってみるのもいいかもしれない。そろそろ貴族も本腰をいれて討伐に乗り出す頃だろう。フーケとて腕に覚えのあるメイジだが、さすがに衛士隊のエリートや噂に聞くアカデミーの小隊との争いは避けたい。夜空に寄り添うふたつの月を見て、フーケはとある少女(の胸)を思い出した。あの子どうしてるかなぁ。元気かなぁ。たぶん帰ったらまたおっぱい育っちゃってるんだろうなぁ。
 軽いホームシックに駆られたその瞬間、フーケの耳が、物音を捉えた。

「……誰ですか?」

 蓮っ葉な口調を改め、『ミス・ロングビル』としての仮面を被る。貴族向けの喋り方なんか心得たものだ。カーテシーだってどんと来いである。

「あ、どうも」

 だから物陰から平民が現れたときには覚えず気抜けした。が、少年の顔に見覚えがない。二ヶ月のあいだ、学院内では一度も見なかった平民。フーケは目を細めた。

「こんな夜分になんの用ですか。このあたりは危険です。立ち入らないほうがよろしいかと」
「はあ。すんません。だけど俺、なんか寝られなくて。ちょっと不安っていうか」

 テメエの事情なんざ知るかボケ。
 という心の内を見事に隠して、フーケは慈母のごとき笑みを浮かべた。

「まあ。悩み事ですか?」それなら身近な人に相談すると良いですよ、と適当なアドバイスをしようとしたところで、
「俺の友だちのことなんですけどね。ちょっとおねえさん聞いてくれます?」

 機先を制された。
 しかも「俺の友だち」ときた。フーケはあざけりのこもった生暖かい視線を眼前の平民に送った。きたよきた。なんだよ「友だち」って。どうせおまえのことなんだろう。

「え、ええ。わたくしでよろしければ……」

 フーケは渋々頷く。決して「おねえさん」と呼ばれたことが嬉しいわけではない。確かに23歳は適齢期を越えているが、そうではないのだ。

「マジで? おねえさんいい人だなぁ。こっち来て会った中で初対面でそんな対応してくれたの初めてだ。じゃあちょっと聞いてくださいよ。俺、の友だちがある日いきなりここ。じゃなくて、見覚えない場所に連れてこられたんだけど……」

 二人は適当な瓦礫に腰を降ろして向かい合う。
 少年は堰を切ったように喋りだした。フーケは半笑いで彼の身の上話を聞き流していたが、ことが食堂で順繰りに貴族をシメた段階にまで達すると面白いやら呆れるやらで吹き出してしまう。

「あら、失礼。どうぞ続けてくださいな」

 その優雅な物言いに、ほんのりと平民の頬が赤く染まる。フフ。あたしに惚れちゃいけないよボウヤ。ほどなく全てを語り終えて、彼はフーケをうかがう。要約すると彼が気になっているのはこういうことだった。

Q.ひょっとして平民が貴族の顔面をへこませたらやばいの?

 フーケは微笑んだ。

A.死刑です

「ハハハ。そうかあ。ハハハ」少年は空笑いを繰り返した。それからやるせない顔で吐息すると、やっぱりなぁ、と呟くのだった。

 頃合だ。フーケは立ち上がると、杖を手に取った。きょとんとした顔で自分を見上げる少年に、先ほどまでとは色の違う、凄艶な眼差しを向ける。

「さて、ぼうや」
「ぼ、ぼうや?」
「お友だちには、死にたくなかったらさっさと逃げたほうがいいって伝えてやるんだね。もっとも、貴族ときたらメンツばかり大事にする連中だ。ひょっとしたら、地の果てまで追われるかもしれない。なにそれでも、平民だって抗うことはできるさ。魔法がなくたって、あんたたちには考える頭があるだろう?」
「おねえさん……」

 豹変したフーケに何かを感じ取ったのか、平民は態度を改める。
 ――と、不意にその足元に転がる物体に手を触れた瞬間、彼の顔色が変わった。

「な、……なんだこれ」

 フーケは杖を一振りする。大地が鳴動し、瞬く間に視界が移り変わる。魔法がその効果を表したとき、彼女は全長30メイルはあろうかというゴーレムの肩に立っていた。
 その様を見て、平民はなんだかとても疲れたような顔を見せた。あいつの言うとおりかよ。運命だと思ったのにな、とか、俺のヒロインはどこにいるんだ、などという呟きを漏らしていた。

「それじゃ、あたしは一足お先にとんずらさせてもらうよ。じゃあねぼうや。もしもあんたが生きてたら、どうせ日の当たる道はもう歩けまい、縁があれば会うこともあるだろう」

 ゴーレムがきびすを返す。足音響かせクレーターから出ようとしたとき、焦ったような少年の声がかかる。

「待ってくれおねーさん、今コレ拾うからちょっと待って! そうだ! おねーさんの名前をせめて!」
「あたしかい?」

 月をバックにフーケはポーズを決める。肩越しに少年を振り返り、高らかに名乗りを上げる。

「あたしは『土くれ』のフーケ! ちまたを賑わす大泥棒とは、あたしのことさ!」
「ありがとう!」少年は感極まったように叫んだ。「俺、大事なことを学んだよフーケ! この世界じゃ他人に気を許しちゃ駄目なんだ!」
「よしな。照れるじゃないか。礼には及ばないよ。それよりぼうや、その担いでるの何?」

 彼は先ほどフーケが捨てた筒を肩に背負っている。
 その先端をゴーレムの背中に向けて、平民はまったいらな声で答えた。

「M72ロケットランチャー」

 直後、しゅぼっと気の抜けた音が走る。フーケは呆気に取られたままだ。
 ものすごい勢いで走った白煙が尾をたなびかせ、ゴーレムに突き刺さる。
 爆音と衝撃が足元から押し寄せる。一瞬でゴーレムの体は中心から吹き飛んだ。足場が失せる。
 落下していく。
 その最中、フーケは見た。
 頭上に浮かぶ、風竜を。
 竜の背に、佇立する小柄なシルエット。ぱんぱんに膨らんだ体よりも大きな風呂敷を背負った少女が、杖を掲げた。

「謀ったな、小娘……っ」

 皆まで言い切るいとまはない。少女はすでに呪文を完成させていた。

〝エア・ハンマー〟

 激しく頭部が揺れ、脳が攪拌される。
 眩む目。定まらぬ視界。吐気がこみ上げる。受身を思いつく前に、フーケの意識は途絶した。

  000

 ところ変わってゲルマニア領。一夜明けて早朝である。トリステイン王女アンリエッタは、ユニコーンに引かれる絢爛豪華な馬車に揺られて聞こえよがしにため息をつく。宝石と市井に謳われるほどの美貌は、心痛にうっすらと曇り、碧眼からも常の輝きが損なわれていた。
 実質の為政者名代であるマザリーニ枢機卿をともなった、ゲルマニア訪問の真っ最中であった。トリステイン外交として極めて重大な意味を持つゲルマニア皇帝アルブレヒト三世との顔合わせは、今のところ実に好感触である。このぶんでは、目的とされたアンリエッタと皇帝との婚約はつつがなく結ばれるだろう。
 本音を幾重にもヴェールで包んだようなトリステイン側に対し、ゲルマニア側は皇帝をはじめ実に直截的な文句で婚姻の話題に何度も言及した。文化の違いといってしまえばそれまでだが、これにはアンリエッタもげんなりである。元々乗り気ではない結婚だが、なにもここまで憂鬱にさせてくれなくてもいいのに。思わずそんな無体なことを考えてしまうほどだ。

「はふう」

 レースのカーテンを避け、外界の様子をのぞき見る。春の陽気に芽吹く花々や、物見高いゲルマニアの人々が、他国の王女を一目見ようとぶんぶん集っていた。アンリエッタは余計うんざりした。
 水晶の王杖を握り締めて、彼女は嘆息する。

「結婚するのね、わたし」
「そうですとも」

『トリガラ』のあだ名で親しまれたり嫌われたりしているマザリーニ枢機卿は、軍事上たいへん有意義な婚姻に満足している。それは小さい頃から見知ったアンリエッタ王女が望まぬ結婚をするのを見て気分がいいわけではないが、こうまで露骨に欝に入られると正直かなりうざい。
 王族が第一に考えるべきは国体の保持である。血統の保存である。それは引いては王家にかしずく家臣たちへの報いにつながる。封建制とは決して騎士道に見られる精神的関係の体制化ではない。立派なギブアンドテイクの心がけに基づく合理的なシステムなのである。
 王は強い国を作る。そのために多くの部下が必要になる。そして部下は勝ち目のないボスにはつかない。必然王とは強大なものがなる。
 その上で、土地を与えることで忠誠を得るのが大前提なのだ。骨の髄までしつけを叩き込まれた犬でさえ虐待されれば飼い主の手を噛む。自尊心の高い貴族が、自分を自動王女さまお助けマシーンか何かだと思ってるような相手にいつまでも肩入れするはずがない。
 だから、経緯はどうあれアルビオンでの内乱の趨勢がほとんど決した今、この婚約はとてもいい縁談に他ならないのである。トリステインという伝統ばかりいっちょまえの小国が生き残る方策としては、これ以上ないほどだ。ゲルマニアは歴史を手に入れる。トリステインは武力を手に入れる。すばらしい相互補完である。
 なのに、アンリエッタは今日も気だるげ。
 マザリーニが「育て方間違えたなぁ」と思うのも無理からぬことであった。
 枢機卿の白い目に気づきながらも、アンリエッタはぶっきらぼうに訊ねた。

「ところで、今後の予定は?」

 彼女の記憶ではこれからたっぷり数週間をかけてゲルマニア内を巡ることになっていたはずだ。トリステインの十倍近い国土を誇るだけあって、ゲルマニアでは都市や各地の大貴族の権勢が強い。実質の自治を敷いているといっても過言ではないだろう。それらをあまねく訪ねる時間はないが、現皇帝の親派閥に顔を見せて損はない。
 アンリエッタにとっては気苦労ばかりが募る道行になるはずだった。また帰国の段になっても、途上では処々行幸する義務が彼女にはある。最終的にはトリスタニア近くの魔法学院で有力貴族の子弟たちに顔見せして、ようやく息苦しい王城への帰還がなるわけである。
 その魔法学院への行幸について、アンリエッタにはちょっとした腹案があった。古い友人を頼り、してもらいたいことがあったのである。
 マザリーニは珍しく言いにくそうに言葉を濁すと、そのことですが、と切り出した。

「本来の予定では一度近辺の都市に行幸いただくはずでしたが、少々手違いが発生しました。よってまずこのツェルプストーを越えて、その後はヴァリエール公爵領に十日ほど滞在していただきます」
「え?」

 願ったり叶ったりとはいえ、いきなり予定をすっ飛ばして帰国とは、ずいぶんと急な話である。マザリーニらしくもない。ぼんやりと枢機卿の言葉を咀嚼して、アンリエッタは首をかしげた。

「まあ。ヴァリエール領ですか……。あそこには懐かしいおともだちがいるのよ。今は魔法学院にいるのだけど。それにしても十日とはいかにも長いわ。手違いと言いましたが、なにがあったのです?」
「昨日、ヴァリエール公爵の三女、ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール嬢が急死しました。姫さまにはその葬儀に参列していただきます」
「まあ。お可愛そうに。そう。ルイズが。………………るいず?」

 アンリエッタは小首を傾げる。ヴァリエールさんちのルイズちゃんって他にもう一人いたかしら? ともだちのルイズは今魔法学院にいるはず。それにしても同じ名前の娘を二人なんて、わかりにくいわ。片方だけに用事があるときはどうするの。

「姫さま」とマザリーニが首を振って言う。「亡くなられたのは、姫さまの幼馴染で、魔法学院に在籍していた、まさにそのルイズ・ド・ラ・ヴァリエール嬢なのです」
「あら。やっぱりそうなのね」

 アンリエッタは愛くるしい顔で笑った。
 それから白目を剥いて卒倒した。
 マザリーニはため息をついた。誰かどうにかしてくれないかなぁこの姫さま。

  000

 そしてトリステイン魔法学院(跡地)にも、朝が来る。未明に起きたロングビルお縄事件も手伝い、こちらは慌しい始まりとなった。

 ところで宿をなくした生徒たちだが、一晩くらいならばということでかがり火を囲んでの野宿をすることになった。雨露対策として土のメイジが団結して土の屋根に金属の支柱を『錬金』したため、急造のキャンプとしてはなかなか上等な規模である。また運良く自室の消滅を免れた生徒の中には危険を承知で寮で夜を明かしたものあった。友人の部屋に転がりこんだものなどもいたから、全体としては半々の割合である。
 そうして迎えた長い夜を越え。
 曙光とともにメイジたちの一日が始まった。
 当日はなんとか目の前の現実に対処しようと精一杯だった生徒たちも、一夜明けて状況を認識すると、ようやく「これからどうしよう」という不安に突き当たるのだった。

「これからどうしようか?」
「どうしようって、学院がなくなったんだからもうどうしようもないのではなくて?」
「じゃあやっぱり実家に帰るのかい」
「そうなりますわね。……はあ」
「なんだ、気乗りしない様子だね」
「だって……実家になんて帰ったらソッコーで結婚させられちゃうんだもの! いやだわ。わたしまだ遊びたいわ」

 という感じにモラトリアム消滅の危機をなげく人間が大半だが、それでももっとも現実的な行動は、各々の家に帰ることである。しかしそれも実現には難がある。
 実家が近い生徒はまだよい。だが小国とはいえトリステインも広い。着の身着のまま学院から離れたところで無事に領地までたどりつける可能性は、低いとは言わないが、余計な面倒を呼び込む可能性がある。
 史実の中世近世に比べればマシとはいえ、ハルケギニアの治安もそれなりに悪いのだ。魔物や幻獣もいる。表立っての抗争こそなくても敵対関係にある家柄などいくつもあるし、単純に身柄をさらわれて身代金めあての人質にされる恐れもあった。そして何よりアシもないのに長距離を歩くのは面倒である。疲れる。
 加えて学院側の事情も、生徒たちの進退を決しかねていた。
 実は魔法学院の消失は、今のところ外部に漏れていない。近隣の村ではあのただならぬ光を見て物見を派遣したりしていたのだが、そこは一流メイジの集った施設である。警備網を敷いて街道方面の哨戒にあたり、やってきた野次馬を追い返したのだった。『遍在』の使い手であるギトー先生は特に大活躍であった。
 なんとなれば、魔法学院はある意味貴族権威の象徴である。まだひよっ子とはいえ、生徒たちはトリステインの将来を担う人材揃いだ。そんな彼らが所属する施設が「なんかなくなってた」ということになったら、貴族が舐められるどころの話ではなくなる。この期に乗じて学院の宝物を漁ろうとか、メイジを害そうなどという不逞の輩を呼び寄せかねない。そう発言し、各人の巡回を具申したのはコルベール先生である。
 正しい懸念だった。
 ただしこの時点ですでに獅子身中の虫を抱えていたことをのぞけば。
 彼の危惧は実現する。もうイヤになるくらいにビシバシ当たる。そしてハルケギニア全土を後に巻き込むことになる超バカ騒ぎの発端まで、あといくばくもないのだった。
 そんな意味ありげな予感はともかく、現在のコルベールには急務があった。前述したミス・ロングビルこと『土くれ』のフーケに関する扱いである。

「なんということだ。まさか、まさか、ミス・ロングビルが。そんな。ちくしょう。男の純情をもてあそびやがって!」

 焦眉の急を報せに草原を疾駆する彼の顔色は冴えない。二十近くも年下の彼女を真剣に狙っていた身の上としては、たいへんにショッキングな真相だった。本音では今すぐ一人になって自棄酒でもあおりたいところだが、生徒の安全を預かる身としてはそうもいかない。火元責任者であるオールド・オスマン学院長の姿を探して回る。
 果たして、オスマン学院長は学院跡地であるクレーターにほど近い場所にいた。縁に腰をかけ、靄然として小揺るぎもしない。昨日生死の境をさまよったときは相当危うげな精神状態だったが、一日経ってどうにか整理したのだろう。あるいは長年を過ごした学院を哀惜しているのかもしれない。
 コルベールは息を整えると、咳払いしてオスマンの背に語りかけた。

「オールド・オスマン。報告があります。あなたの秘書であるミス・ロングビルのことですが……非常に残念なことに、昨夜彼女が宝物庫跡を荒らしていたところ、現場を押さえたミス・タバサに捕らえられました。しかも、いまだ自供は引き出せていませんが、彼女の正体はあの『土くれ』のフーケである可能性が高いのです。……学院長? 聞いていますか?」

 反応らしい反応を返さないオスマンに不安になって、コルベールは彼の横顔をのぞき見る。死んだり寝たりしていたわけでもなく、オスマンは静かな瞳を細め、傾いだ本塔を眺めているだけだ。

「起きているのならちゃんと答えてください! われわれはこの緊急事態に際してこそ、正しき指導者としての道を示さねばならないのですぞ!」

 オスマンはいった。

「どうでもいい。もう疲れた。死にたい」
「学院長ーッ!?」

 全然立ち直っていなかった。
 オスマンはため息すらつかない。世の無常を悟りつくしたかのような顔で、穏やかに続ける。

「世界滅びないかなぁ。今すぐ」
「気をしっかり! しっかり持ってくださいオスマン学院長っ!」
「だってさあ。見てよこれ」

 非常にフランクな口調で、オスマンはクレーターを指し示す。つられて目を移したコルベールが見たのは、朝日によってまざまざとその惨状を晒されたトリステイン魔法学院の姿であった。
 傷口はいまだ生々しい。色々な意味でだ。

「ひどいもんじゃ。信じられん。いったいなにがどうしてこんなことになったのか」
「むう……」

 コルベールは老メイジの心中を察して押し黙る。オスマンはその半生を教育に注いできたのだという。その心中は、アカデミーあぶれの自分とは比較にならないほど傷ついているのであろう。
 しかしそれはそれ。これはこれだ。
 コルベールは噛んで含めるように言って聞かせた。

「確かに未曾有の爆発でした。あるいはテロかもしれません。真相の解明は急務でしょう。しかし今は、やれることを一歩一歩こなしていくしかないのではありませんか? 地道に、堅実に。そうしてこそ今後の展望も開けてくるというものでしょう。ですから学院長。どうか一緒に来てください」
「イヤ」
「そんな子供みたいなこと言わないで」
「だってイヤなんじゃもん」オスマンは頑なであった。「この状況をどう王室に報告したものだかもいまだに考え付かないのに、正直ミス・ロングビルが盗賊だからってどうしろっつーんじゃ。仮に彼女がこの事態の下手人だったとしても、学院が元の姿になるわけじゃあるまいし。あーやんなっちゃったわし。もう生きることに疲れたんじゃ。だから死にたい」

 確かに、とコルベールは思う。このタイミングでロングビルが馬脚を表したのは怪しい。だが、だからといって彼女がひとりで爆発を起こしたとは考えにくい。
 爆心地付近にいたものでさえ、死者は出ていないのだ。あの爆発はまず間違いなく魔法によるものだったのである。
 しかし、そんな魔法を使えるような存在は、生徒どころかハルケギニア全土を探してもいまい。強力無比なエルフの先住魔法でさえ恐らくは不可能だ。
 彼らはそれほどに、理解を超えた出来事に直面しているのだった。

「しかしまあ」と呟くと、オスマンはようやく重い腰を上げる。「わしなんぞは老い先短いから死んでも構わんが、まさか子供たちにもそうしろとは言えんしのう」
「それでこそ学院長です!」
「うむ」さすがに消耗した顔で、オスマンは頷いた。「それで、ミス・ロングビル……彼女がフーケかどうかはともかく、彼女を捕らえたという生徒からも話が聴きたい。ミス・タバサじゃったか。なるほど、確かに『シュヴァリエ』の称号を持っておると聞いた記憶があるな。彼女はどこに?」
「朝一番に使用人たちと町へ買出しに行きました。食料がないということなので」
「なに? なぜミス・タバサが買い出しになんぞ行く?」
「さて。それはわたしにも分かりかねますな」

 オスマンは上げた腰を再び戻した。

「なんか水差されてやる気なくなっちゃった」
「……」

 朝の冷たい空気があたりを吹き抜けていく。
 未来はどこにあるのだろうとコルベールは思った。端座する老人を同情的な視線で見つめる。

「そういえば今朝方、見慣れん少年に懐かしいことを聞かれたのう」
「ほう。いったいどんなことです」お義理でコルベールは合いの手を挟む。

 オスマンはうむ、と頷くと虚空を見上げる。
 そして三分過ぎる。

「忘れちった」

 未来はどこにあるのだろうとコルベールは思う。とりあえず空にはない。
 そして学院の下にも、どうやら埋まっていなかったようだ。

  000

 一路、荷を空けた馬車を牽いて王都トリスタニアへ急ぐ。馬丁も含め、ほとんどが学院で働く平民で構成された一団であった。顔ぶれはコック長のマルトーをはじめとした十人ほど。シエスタはいない。買出しならば男手のほうが要るからである。
 例外はそんな彼らにしきりに絡まれる才人と、荷台の上で黙々と読書にふけるタバサだけであった。ちなみにキュルケの姿もない。才人は学院を出る際、まだ寝ている彼女の枕元に『世話になった』と書置きを残していた。日本語で。
 つまり、彼はもうあのクレーターには戻らぬ覚悟なのであった。

「いやぁ、俺もそれなりに色んなもんを見た気になっちゃいたが、おめえほど爽快で腕っ節の強え平民は見たことねえぜ!」

 厨房を預かっていたというマルトー親方は、昨日の才人の暴れっぷりを途中から見学しており、その活躍にたいそう心服していた。この朝「一緒に街まで連れて行ってほしい」と才人が言い出したときも二つ返事で受け入れた。
 驚いたのは、彼ら平民が学院の爆発消滅をさして気にしていない点である。職についてはそれぞれ不安があるようだが、出来事そのものは規模が大きすぎて「またぞろ貴族がろくでもないことやらかしやがった」としか思っていない。才人は土下座して謝りたい衝動を堪えるのに難儀した。ごめんたぶんその原因が俺の左手にいる。

「いや。そんな大したもんじゃないからさ。はは」
「聞いたかおい!」マルトー親方は周囲の使用人衆に向かって大げさに腕を広げた。「ほんとに強いやつってのは、こういうもんだ。無駄に威張り散らしたりしねえんだ。まったくこいつは大したもんだ!」

 褒めちぎられて悪い気はしないものの、いくらか複雑な心境の才人である。
 あれ以上がまんならなかったのは事実だし、今でも自分に必要以上の咎があるとは思っていない。喧嘩をした生徒たちともうやむやの内に和解したような気がする。そこは男同士の独特なノリというやつで、一度拳を交わした連帯感のようなものも芽生えていた。
 しかし全員がそうだとは限らない。
 むしろ、そうであるほうがおかしい。
 才人はすっかり疑心暗鬼に取り付かれていた。
 加えてあの爆発である。

「……」

 憂鬱な眼差しで左手をすかす。
 相変わらずの毛からは心なしかキューティクルが失われている。
 まさかとは思ったけど……今でも思ってるけど……あれってやっぱりコレが原因っぽいよなあ。そしてやっぱりどう見てもキモいなあ。それにしても全然喋んねーなコレ。まさか幻聴ってことはないだろうし……。
 毛つきの手が爆発を起こした。
 事実を切り出すととんでもなくバカらしいが、何しろピッカンピッカン光りまくっていたし、今のところそれを否定する材料がないのも確かである。
 才人は思うのだった。これがもしバレたらどうなるのか? あの場にいたキュルケとタバサ、そして最後までつっかかってきた男は何も言わずにいてくれたが、それは単にまだ思い至っていないだけかもしれないのだ。そして気づいたときが恐ろしい。
 魔法学院はファンタジーなこの世界ではいかにも重要そうな拠点である。才人はとりあえずこの状況が現実だということを切り離して、できるだけ客観的に事態を整理してみた。
 要するに自分はあの死んでしまった学院の生徒に召喚されたわけで、今のところ帰るアテはない。その是非はともかく件の女の子が死んでしまった以上、自分がすがるべき場所はあそこしかなかったのではないか? どうしてもそんな結論に至るのである。しかし学院は吹っ飛んでしまった。もしかしたら才人の手と毛が原因でだ。
 どう考えてもただでは済むまい。ちょっと子供を殴ったくらいで死刑の世界なのだ。
 そこでテロをやらかした。わざとじゃなかったんです、で許してくれるとは思えない。
 夜通しそのあたりを考え込んで、才人は決めたのだった。

 逃げよう。

 何はなくとも、生きていなくては話にならない。そしてなんとかして元の世界に帰るのだ。
 五里霧中の状態であったが、才人は昨晩の出来事でいくらか希望を見出すことができた。それは明らかにこの世界で場違いな、あのロケットランチャーの存在である。
 聞くところによると、あれは『破壊の杖』と呼ばれて重宝されていたが、誰にも使えずにいた道具であるらしい。当然だ。ロケットランチャーを杖だと思っていて正常に作動させられる道理はない。
 ランチャーに触れた瞬間使用法を理解できた自分にも違和感はあるが、とりあえずそれは些細なこととして棚上げにした。もっと重要なのは、思わぬところで拾った帰還の手がかりをどう扱うかだ。
 才人はちらりと読書に没頭するタバサを見た。
『破壊の杖』という名称や、その所以を学院長に聞けばいい旨、そして『使い魔』とやらは一度召喚されるとそれを送還する呪文などは一切存在しないこと。それらを難儀して聞き出した相手が彼女である。
 フーケを捕縛したのち、一方的に連帯感を芽生えさせた才人は、口が堅そうな彼女に考えを打ち明けてみた。そして素直にお金がないから助力をしてほしい旨を伝えた。返すアテが今のところ皆無であることも含めてだ。
 タバサはしばし黙考し、やがてこくりと頷いた。それからおもむろに懐から皮袋を取り出し、才人に手渡したのだった。

「これは?」
「路銀」
「……ありがてえけど、いいのかよ」

 タバサは杖で捕らえたフーケを示して言った。

「協力してくれたから」

 そして朝を迎え、街に行くというマルトーたちに同道した。タバサがなぜついてきてくれたのかはわからない。あっさりとお金をくれたことといい、ぶっきらぼうだが実はいいやつなのかもしれない。
 などと才人は考えていたが、タバサとしては口止め料のつもりもあった。そして恐らくこの世間知らずが極まっている平民が無事に目的を果たすこともまたないであろうと察していた。
 渡した金額は二十エキューほど。平民ならば贅沢をしても一ヶ月は過ごせる金額だ。それをどう使うかは、才人次第である。
 義理と言えるだけのものは果たした。あとは彼と自分、それぞれの人生だ。タバサは若くしてそのあたり、ドライな人生観を意識して持っていた。もちろん、なるべくなら彼の旅路が平穏無事に終わることを祈るくらいはやぶさかではないが――

「おっ。フクロウだ」

 上空を仰いだ才人が呟く。
 タバサは立ち上がり、頭の上に着地したそのふくろうから、いつも通り密書を受け取る。けげんな顔の才人をちらと見て、わずかに杖を上げて見せた。
 才人もなんとなく腕を上げて応じる。 
 その仕草を確認することもなく、タバサは口笛を吹く。ほとんど間を置かず天空から滑空してくる使い魔の姿を認めた。

「おっ、おい? どっか行っちまうのかよ」

 応えることなく、タバサはシルフィードにまたがり、遠く母国へ続く空をゆく。おそらくもうあの少年と出会うこともないだろう。そんな縁が彼女の周囲には溢れている。

 そうしてタバサはガリア国都リュティスへ、さらには吸血鬼の巣食う村へ赴く。
 才人は世間の厳しさを知ることになる。

  000

 トリスタニアは市壁に囲まれた典型的な都市だった。ところが壁の外にも暮らしている人々がいる。彼らはなんだと才人がマルトー親方に聞くと、戸惑い顔で説明された。

「おめえの故郷にはいないのかい? ああそういや結構な田舎、いや悪い、へんぴな所から来たって言ってたなぁ。なに、連中は貧農ってやつさ。街の外で野菜を育てて、収穫したらそいつを市場で売って生計にしてる」
「どうして街の中に住まないんだ?」
「そいつはほれ、トリスタニアは城下町じゃあるけど基本的に都市だからな。簡単によその連中が住み着けるようじゃ困っちまうだろう?」

 何が困るんだろう。
 腑に落ちかねる才人である。しかし、さすがにあれはなんだこれはどうしてだと質問攻めにするのも具合が悪い。せっかく受け取っている好意なのだ。あまり手間をかけて失望させたくない。
 このとき『都市では内部で生計を立てている人間しか定住していない』ということをはっきり聞いておけば、後の失敗は免れたかもしれない。しかし全ては後の祭りなのだった。言葉が不自由なく通じることもあって、どうしても現代的な観点で「都市」というものを認識してしまう才人の失策であった。
 やがて集落を抜け、立派な門構えが見えてくる。その周囲にたむろする人々を見て、またもや才人は物珍しげな顔をした。

「門の前にも人がいる……」
「ああ、行商や芸人だな。あんまり見ないほうがいいぜ。自由気ままな連中で一つところに住み着かないもんだから、あんま好かれてねえんだ、連中」

 被支配者である平民の中にも差別意識は存在する。というか、いわゆる『賤民』が存在するのは封建制の常である。それは民俗的に生じるものでもあるし、人が群れて生活する生き物である以上、避けがたい概念だった。
 と綺麗にまとめるのは簡単だが、時代や地域によっては彼らの扱いはかなり洒落にならないこともあった。とりわけ芸人である。
 漂泊を常とする彼らは当然税を納めず、しょっちゅう犯罪にも走り、お世辞にも治安に優しい人種ではなかった。特に有名なのがリヒャルト・シュトラウスの描いたティル・オイレンシュピーゲルであろう。一応十四世紀なかごろの人物とはされているが、実在したかどうかでは定かではないし、厳密に言うとオイレンシュピーゲルは自身を「道化」ではないと作中で述懐するがタチの悪い奇人には違いない。好き勝手やったあげく結局縛り首で死んでしまうというオチなのだが、行為にせよ扱いにせよ必ずしもフィクションとしての誇張ばかりではない。法整備がいまだ行き届いていないこの時代、あっちへふらふらこっちへふららとする人々は、ただそれだけで迷惑な存在と見なされていた。
 しかし成績は中の中である高校生の才人がそんな裏事情に聡いはずもなく、「いわゆるやくざな人たちなんだな」と納得しただけであった。その認識でも不都合はない。

「へー」
「そら、そろそろ鐘がなるぜ」

 マルトー親方の言葉どおり、すぐに鐘が鳴り市門が開かれる。
 白亜の石が立ち並ぶ町並みが、才人の目に飛び込んできた。
 結果から言うと、トリステインの街市場は微妙だった。
 市場というから才人は築地の魚市のようなものを想像していたのだが、実態は雑然として殺伐とした雰囲気である。活気もあるにはあるが、怒声が飛び交いせりをするような種類のものではない。なんだたいしたことねーなファンタジーと鼻で笑う才人だが、彼がイメージするような国際市はそもそも年中開かれているはずもなく、交易地理上さほど要衝でもない王城の城下町ではあまり催されないので、一寸これは筋違いの不満である。
 ただし音には満ちていた。まず聞こえるのは歌だ。いわゆる手工業者やツンフトに所属する職人がうたう労働歌である。道端では乞食も歌っている。そういえば時計はないのかとマルトーに聞くと、町ではその役割は鐘が担うものだと教えられた。三時間おきに音を響かせて、時刻を報せるのだという。確かに大規模な時計塔のようなものを作れば整備が面倒であろう。なるほど納得であった。
 大道芸人の舞踊。トランペット吹きの音楽。いわゆる華やかさはないが、生活感に満ちている光景である。
 そんなこんなで、才人があちこちに興味を惹かれているうちに、早々とマルトー親方の仕入れは終わっていた。明日には指定の商人から食料が運ばれる予定だから、当座一日をしのげれば充分だということだ。

「毎日豪勢なもんを食ってやがるんだ、たまには粗末なメシを食ったってかまやしねえよ!」

 親方は豪快に笑う。それから才人の肩をどんと叩き、

「それより、俺たちからおめえさんに贈り物があるんだ」
「え? なんで」
「皆まで言うな。もう行くつもりなんだろう? 雰囲気でわからぁ」

 男くさい笑みで笑うマルトーである。才人は何もいえず、この人がよいコックの顔を見返した。機知が乏しい自分がいやになる。なにか、気の利いたことでも言いたいところなのに。

「でも、悪いよ」
「気にするなって。俺たちゃおめえの活躍に心底ほれ込んじまったんだ。シエスタに聞いたらおめ、貴族に無理やり連れてこられたっていうじゃねーか! しかも旅支度もねえときた! いくら腕っ節が自慢でも丸腰じゃあこのご時世渡ってはいけねえ。いくらか見舞いってもんをさせてくんな。なあに、こう見えても給金はそこそこ貯めこんでるんだぜ。どうせ使い道なんかねえしよ……」

 平民でも貴族に虐げられるばかりではない。そんな夢を才人に見たのだ。
 身の丈以上の眼差しは面映いどころではなく、普通なら恐縮しているところだ。しかし才人はアホだった。おまけに調子に乗りやすい。

「いや。あっはっは。そう? そこまでいうならお言葉に甘えちゃおっかな。なんて」
「そうこなくっちゃな!」マルトーは実に嬉しそうに歯をむき出しにした。「まあ、それでも俺らの財布じゃ大したもんは買えやしねえだろうけど」
「いや、いいんだよ親父さん。こういうのは気持ちが大事だと思う。俺、すげえ嬉しい」
「聞いたか、おい! いいこと言うねえ」

 親方はますます嬉しげになる。この人はほんとうに俺を気に入ったのだと、昨夜の教訓を生かしあまり人を信じずにいた才人もようやく認めた。脳内料理人ランキングでケーシー・ライバックの次にマルトーの名が並んだのはこの瞬間である。ちなみに三位は秋山醤。

「それで、贈り物ってなに?」
「まあそう焦るなって。チクトンネのほうに、確か鍛冶屋があったんだ」
 
 さあいよいよデルフリンガー登場かと思いきや、実は別の店である。
 そこでマルトーらが才人のために買い求めたのは、独特の武器であった。
 形状はフレイルに近い。長柄の先端に鎖、鎖の先端に鉛の錘という非常に原始的かつ暴力的な得物である。しかも、普通ならば最低限の遠心力だけ稼げればいいはずの鎖の尺が妙に長い。実に三メイル余。フレイルの亜種というより、棒付鎖分銅とでもいうべき武具であった。
 マルトーははにかみながら言う。

「こいつはな、元々脱穀のための道具を応用して、武器のない農民がどうにか身を守るために作り出した武器なんだぜ。へへ、りっぱな剣とはいかねえが、あの貴族の娘の股引ひとつであんな真似をするおめえさんなら使いこなせるさ」

 正直第一印象は微妙だった。
 才人も男の子である。こんな見たこともないような素朴な武器よりは、見栄えのいい剣がいい。しかしマルトー親方の好意をむげにするわけにも行かず、何よりあったばかりの大人がこうまで自分を買って、彼らの台所事情では決して安くないであろう代物を贈ってくれたことが嬉しい。これで喜ばなきゃよほどのヒネクレ者だ。そして才人は単純だった。

「ありがとう親父さん、俺、こいつ大切にするよ!」どうやって使えばいいかさっぱりわかんねえけど。つか、自分で頭にぶつけそうだけど。

 その後。保存用の燻製と干し肉ならびに親方手製のサンドウィッチを受け取ると、いよいよ別れの時がやってきた。

「それじゃあな! 落ち着いたら顔出せよ!」

 中央広場の前、何度も振り返り大きく手を振るマルトーらを見送る才人の胸は温かい。道行く顔ぶれがみな良い人に見える。
 一時はどうなるかと思ったけど、なんだ俺やっていけそうじゃないか。とりあえず学院長の爺さんに聞いた通り、東の方へ向かえばいいのかな。ああそうだ、地図も買っておこう。とりあえず今日の夜はこの町で宿を取って……いやいや、少しでも節約するために野宿のほうがいいかな。いやいやいや。さすがにろくに寝てなくて疲れてるんだ。今日くらいはまともな寝床で寝よう。
 根っこから楽観的な才人である。実質帰るための手がかりはゼロに等しいし、右も左もわからない世界であることには変わりないし、そもそも左手には桃色っぽい毛が生えている。なのに「なんとかなるかな」と根拠もなく思っている。
 そういう人に対して世界が優しいことも稀にある。
 だが才人に最初の最初からハズレを引かせたこの世界が優しいはずもない。
 才人は爽やかな気分で、教えられた宿へきびすを返す。その懐にタバサから受け取った金貨入りの皮袋がないことに気づくまで、あと三分。

   000

「やっぱり金かのう」

 たそがれて即物的な嘆きを漏らすオスマンを尻目に、キュルケはフレイムを引きつれ、生徒たちがのびのびと群れているキャンプを歩き回る。視線は昨夜まで一緒だったはずの才人とタバサを探しているのだが、二人ともどこにも見当たらない。
 朝起きるとベッドの上になにか妙な絵の書かれた紙が置いてあったが、それが何を意味するのかなど彼女にわかるはずもなかった。まあ当たり前である。
 炊事の煙が随所であがる。いやはやアウトドアな校風になったものねえ。手庇をかざしてキュルケは人事のように思った。
 実際気分はもう無関係者である。学院が消えたことも、わざわざクビになる手間が省けたと思えばいい。
 特に彼女が現実的なわけではなく、オールド・オスマンをのぞいた教師を含めるほぼ全員が、学院の復建の事実上不可能なことを受け入れていた。そもそも土地や大型建造物の占領や建築には王室の認可が必要なのである。どうしようもない。
 そういったわけで、メイジたちは古巣との精神的な決別をすでに果たしていた。
 おかしなことは数あるが、そもそも魔法がある世界なのでこの種の異常事態に対してはみな基本的に大らかなのである。
 キュルケがさていつ里帰りをするかしらと算段をつけていると、向かい側から歩いてくる、同じように人を探している様子のギーシュ・ド・グラモンを認める。

「あらギーシュ。おはよう。ねえ、タバサとサイトどこ行ったか知らない?」
「おはようってもう昼だよ、きみ。……いや、知らないな」ギーシュは首を振り、傾げる。「タバサはともかく、サイトって誰だい?」
「あんたにドロップキックかました平民よ」
「ああ、彼か……」顔を引きつらせる。「いや。やはり知らないな。散歩でもしてるんじゃないか?」
「そうかしらねえ。まあ、タバサがときどきいなくなるのはいつものことだけど。それで、そちらは誰をお探しですの? モンモランシー? それとも例の一年生?」

 にやつくキュルケに不快な顔を見せつつも、ギーシュは素直に答えた。「ケティだよ。朝から姿が見えないんだ」

「ふーん。ま、箱入りっぽい娘だったしそのうち帰ってくるでしょ」

 ところが、結局夕刻になっても三人は帰ってこない。かわりにキュルケが得たのは、サイトは旅路につきタバサは風竜に乗って行方をくらました、という使用人たちからの情報であった。

「ほんとに行っちゃったの? もう。水臭いわね」

 思わずこぼす。同時に、薄情な才人に対しすこし腹を立てた。せめて一言くらいあってもいいじゃない。足元の草をむしり、夕空に葉っぱを投げつけるキュルケだった。

「それに、あのルーンのこと。聞きそびれたわ」あれってほんとにルイズなのかしら。いやいやまさか。そんなバカな。キュルケは首をブンブン振って、奇天烈な発想を頭から追い出した。

 そしてケティの行方は、誰も知らない。あまりにも会う人会う人にギーシュが尋ねて回るので、とうとうモンモランシーが制裁に乗り出した。

 のちに『グラウンド・ゼロ』と呼ばれる事件後の第一日は、こうして表面上なにごともなく暮れていく。


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