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No.5421の一覧
[0] イ吏い魔[ドジスン](2008/12/21 23:21)
[1] 吏い魔[ドジスン](2008/12/21 23:22)
[2] い魔[ドジスン](2008/12/21 23:24)
[3] おまけ[ドジスン](2008/12/21 23:32)
[4] おまけ2[ドジスン](2008/12/21 23:33)
[5] おまけ3[ドジスン](2008/12/21 23:35)
[6] おまけ4[ドジスン](2008/12/21 23:38)
[7] おまけ5[ドジスン](2009/01/01 23:48)
[8] おまけX(本編ではなく、ネタバレを含みます)[ドジスン](2008/12/21 23:44)
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[5421] おまけ4
Name: ドジスン◆bcd22b31 ID:31a83a6e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2008/12/21 23:38




 000 幕間 少女Aの就職活動  000



 とにかく出世したい。それがアニエス22歳の口癖だった。言わずもがな、子供の頃「滅菌作戦」と称して故郷のダングルテールを焼き払った人非人どもを一人残らず血祭りに挙げるため、彼女は生きている。平民の、しかも女だてらに武の腕前を磨いたのはひとえにその宿願を達成するためである。

 必然物心ついたあたりから、日がな刃物を振っていたアニエスは周囲に札付きとして扱われた。血道をあげて剣の技を磨くのはなにも暴力を誇示するためではないのだが、なんだかんだといって物騒なご時世である。目に付く仁義に反するガキどもを端から並べてぶちのめす内に、彼女は「スケ番」の名をほしいままにした。いつしか同じように周囲からあぶれた少年少女たちの取りまとめ役のような立場に置かれ、トリステイン沿岸部の平民のチンピラ間ではそれなりの顔役にもなっていた。
 成り行きとはいえ、責任感のあった彼女は、仇敵の情報を集める役に立つかもしれないと、居場所のない人間を使ってひとつの組織を仕立て上げた。名前はない。旧来のコンスタブルをさらに展開させ、なおかつメイジたち支配者層の圧力を受けない、まったく新しい自治組織である。
 役人メイジたちが看過しがちな、領主の目が行き届かない村同士の争いやいさかいを治め、仲介し、時には鎮圧するのが彼らの仕事だった。元が追放者の集団である。領地に縛られない彼らは、荒事ばかりではなく、人手が足りない場合は作物の収穫にも助けを出した。
 いっぱしのワルを気取った人間でも、絶対悪さんみたいな根っからのクズはあまりいない。人とは良くも悪くも社会的な動物である。周囲の認識によって外形はたやすく変容するのだ。必要とされ、尊敬され、親愛の情を向けられれば、どいつもこいつもほどよくツンデレを発揮して、「俺、こんな生活も悪くないなって最近思うんだ…」みたいな都合の良い台詞も吐き始めた。
 しかし、その中心にいるアニエスは常に白けた感覚を持て余していた。こんなことをしてなんになる? 答えは最初から出ている。
 なんにもならん。
 彼女は生粋の復讐者だった。
 人の役に立つ。なるほどそれも悪くない。
 だがあの美しかったダングルテールの人々はもういない。
 自分が心から愛した人たちは死んでいるのに、それ以外の人間になどどうして尽くさねばならない? たしかに悪くはない。だがアニエスの心中はずっと空疎だった。日ごとに良い顔になっていく仲間達に、疎外感さえ覚えていた。
 アニエスは出奔を決めた。これまで目的はあまりに気宇壮大で漠然としていた。天空の高みに「復讐の完遂」というゴールはあったが、そのために何をすればいいかずっとわからずにいたのだ。しかし思春期を迎え、環境もそれなりに落ち着き始めたアニエスは、自分の復讐について真剣に考え始めた。

「わたしはなにをすべきだろう」

 まずは世界を見よう。
 そう決めるとあとは一瞬だった。
 彼女はごく一部の側近にだけ真意を明かし後任を任命すると、朝霧のけぶる未明にひっそりと、剣と短銃を手に身ひとつで旅に出た。復讐を遂げるまではと心に秘めた、帰路の見えない門出であった。アニエス十六歳の春である。
 案の定少女のひとり旅は過酷を極めた。渡る世間は鬼に悪魔に蛇に獣に龍にメイジに傭兵にと、たいへん厳しかった。なにしろ「強姦なんかされるほうが悪い」という価値観が平気でまかりとおる鬼畜な世界観である。
 路銀は常に不足していたのでそう頻繁に国外へは出られなかったが、見聞のためできるかぎり色々な場所へアニエスは足を運んだ。修羅場をくぐり、彼女の剣の腕はますます冴え渡る。そしてどうにも理解しなければならない現実に直面した。
 剣では魔法には勝てない。
 これは認めるべき事実であった。間合いも威力も、闘争の術として研磨された時間さえも、剣が魔法に勝つ道理はない。
 だが、ともアニエスは思うのだった。
 平民はメイジを殺しうる。
 これもまた、厳然たる真理であった。頓悟したアニエスは、結局メイジは罠に嵌めて後ろから殴ってこかして囲んでリンチにするのが一番であるという結論に達した。なおかつ、やっちゃってもいいなら速攻で油をかけて燃やす。とどめには必ず頭をかち割る。鉄の掟である。
 アニエスはそれを実践し、結果も出した。すでに彼女の武器は結実しつつあった。
 しかし復讐の対象だけがいつまでも見つからない。
 放浪の開始から三年が過ぎた。アニエスは消えぬ焔に焦がされ続けた。いったい何が自分をこうまで突き動かすのか。すでに幼少時代の三倍近くもの時間を経て、なぜまだダングルテールの虐殺は己を縛るのか? アニエスにはわからなかった。
 遍歴の過程で、出会い、友誼を深めた人間はいずれもアニエスの過去を知りたがった。若くして腕の立つ、しかも平民の女というのはどこに行っても異分子だったのだ。時には男と女の関係を持つこともあった。アニエスとて年頃である。燃えるような恋とは言わずとも、基本的な気質が体育会系なので性欲を持て余すことはある。しかし一度寝たとたんに所有者づらをした男はどいつもこいつもアニエスに言うのだった。
 復讐は何も生まない。気持ちはわかる。おまえは狂っている。
 アニエスはとりあえず相手をボコボコにしてから、一人寝の夜に戻り呟く。
 そんなこと知ってるわボケ。でもやらんとどうにもならんのじゃ。
 血路の先にゴールがある。そこにあるのが虚しさか達成感か喜びか悲哀それとも狂気なのか、今のアニエスにはそんなことどうでもよかった。やらずにはいられないのだ。そうしないとどこにもいけないのだ。いつまで経ってもダングルテールという怨念に縛られて、『アニエス』の人生が始まらないのだ。
 ああ、そうか……。
 アニエスはなんとなく悟るのだった。復讐は誰かのためや、ましてや自分のためにするのではない。そんな叙情的な行為ではない。
 儀式だ。
 過去との決別をはかるためのシステム。
 夜毎夢に出て魘される火の悪夢。目の前で業火に包まれる美しい女。燃える故郷をあとにして男の背を揺籃にした記憶。
 紅蓮の地獄を払拭しなくてはならない。
 すでにこの復讐は私物ではなかった。
 アニエスは考えることを止めて、さらなる炎に身を焦がすことを選んだのだった。

 二十歳になるころ、アニエスはふたたび故郷トリステインの土を踏んでいた。彼女は既に剣士として完成しつつある。肉体的にもこれから五年がピークを保てる限界である。これまでとは異なる焦りが彼女を包みつつあった。
 やはり、公権力に頼るしかないのか……?
 苦手意識や私怨もあって距離を取っていたメイジに、犬として近づくことを選んだのもそんな強迫観念が後押ししたからだった。
 そうなると、奉公先を選ばねばならない。情報といえば人であり、人といえば大都市だ。ならばラ・ロシェールや王都トリスタニアが第一候補となるわけだが、だからといって安易に決めるわけにはいかなかった。
 なぜならばアニエスは平民である。そして平民が公職に就くことは、トリステインでは国法で禁じられている。これまでの調査により、あの『ダングルテールの虐殺』が公的には国軍もしくはそれに類する集団の手によるものだということまでは判明していた。ただ腕を頼りにするのならば適当な貴族の私兵になればよいが、そうもいかないのだ。ならば単純に考えてトリスタニアに身を置くのが手っ取り早い。
 しかし、市民となるには弊害が多すぎた。前述の通りメイジではないので公職には就けない。仮の立場としてどこかの職人の家にもぐりこむにしても、アニエスは二十歳。特別な技術もなく、世間的にはりっぱな年増である。情婦ならばともかく徒弟にはなれまい。
 そうなると、城下に邸を持つ貴族の私兵か、あるいは自警団兼衛士隊に入るしか道はない。なんといっても女であるというハンディを押して荒事専門の連中に仲間入りするには、それなりの準備が必要だった。
 しかしアニエスは迷わない。
 復讐するは我にあり。信念を持つ人間はとにかく諦めない。だから強い。ゆえにしぶとい。
 そして忘れてはならない。
 彼らは往々にして、視野が狭い。
 アニエスは拳を固め、まずはトリスタニアへ向かった。敷居は高いが、最初から諦めるわけにはいかない。

「とりあえずは、職だ」

 幼心に自分を守って死んだ女性に感化されたためか、アニエスは無頼を気取りながらもそれなりの学を修めた少女だった。村から焼け出されて持っていかれた先が救貧院ではなく寺院だったことも幸いした。といってもそれはたまたまアニエスが体力的に恵まれていたから結果的に奏功したという面もある。
 意識や学問で先進的なロマリアやゲルマニアに比べ、トリステインでは識字率が行き届かず、平民は基本的に文盲である。しかし寺院というのは学問を修める場所であると同時に、世俗から隔離され独自の文化を継承する空間であった。坊主や尼は自給自足を実現するため痩せた土地での厳しい農作業に従事し、そのため『文字による技術の蓄積』という高度な作業をかなり早期から行っていたのである。その縁もあってアニエスは文字の読み書きをすることができた。
 もちろん、いいことづくめというわけでもなかった。寺院における体力がない少女はだいたい栄養不足で病気にかかって死ぬし、あまりにも使えない場合は娼館にでも売られて二束三文に替えられるのがオーソドックスな顛末だ。史上の解釈や現代的な感覚との乖離でよく取りざたされる事柄だが、これはいま現在のトリステインでも特に非常な事態ではなかった。『飢饉』『疫病』といった特殊な状態はなくとも、餓死者は毎年当たり前に出る。それが一定の割合を越えて初めて災害になるのである。
 たとえば貴族の平均寿命は男六十歳女七十歳だが、これが平民となると冗談抜きでだいたい半分以下になる。魔法の存在は単純な生物としての格において圧倒的な差を生じさせていた。
 なにしろインフラから農業、工業まで、ハルケギニア全体の産業が魔法による生産力を根本に置いている。メイジが平民をさげすみ平民がメイジを憎悪しているのに社会体制がいまだ続いているのは、結局のところメイジを欠いては現行の生活など維持できないことを皆が骨身に染みてわかっているからであった。
 しかし、時代は変わりつつある。今や魔法よりも容易に明確に、人を支配する存在がある。
 金だ。
 マネーである。
 トリステインではそうでもないが、ゲルマニアなどではメイジすら平民の大商人に尻尾を振るケースがある。誇りでメシが食えた時代はとっくに終わっていた。アニエスも、どちらかというとそちらの価値観に傾倒している。
 そんなわけで、目前の課題には現実的に対処することにしたのだ。
 そうして彼女が向かったのがハローワーク。公共職業安定所である。
 傭兵や貴族の子弟の家庭教師、またはメイドさんなどの職を斡旋するための施設だ。さすがに不景気な顔つきでいっぱいのハロワ内部は空気がよどんでいて、アニエスは少ししりごみした。今までの人生であまり馴染みのない空間であった。

「たのもう」アニエスは手近な従業員を捕まえて、「仕事を紹介して欲しい。このギルドの長に会う必要はあるか」
「いいえ」と従業員は機械的に微笑した。「まずは待合室でご自分の名前を登録した後で、順番が来るまでお待ちになってください」
「そ、そうか。わかった。感謝する」

 言われたとおりにした。二時間待っているあいだ、六人ほどからんできた男どものアキレス腱を切っていると、ようやく呼び出しがかかった。
 窓口で張り付いた笑みを浮かべる中年の平民と、いくつかの質疑応答を交わす。具体的には志望分野、資格の有無である。アニエスは「荒事。文字は読み書きできる。資格は漢検五級。職歴はトリステイン沿岸西部連合初代総長。だから人を使うのもわりと得意だ」と答えた。
 ほどなく、専門の面接官による一対一の面接が行われる旨が伝えられた。そちらでは、窓口で話したことをより詳しく説明するだけだった。さらにちょうど今求人中の枠があるらしい。あまりにもスムーズだったので、拍子抜けしたくらいだった。
 紹介状を手に、さすがに緊張しながらさる男爵の邸宅へ赴いた。呼び出し鈴を鳴らすと、おそらく魔法でだろう、独りでに玄関の閂が外される。

「……これが、わたしの新たな出発だ」

 ごくりと唾を飲み込む。アニエスは強張る手で扉を押し開いた。
 全裸にサスペンダーのダンディーで筋肉質な男が、ワイングラスを片手に待ち受けていた。

「ようこそ」

 アニエスは無言で戸を閉じた。その足で職場を斡旋した面接官の元へ向かった。

「誰が変態の下で働かせろと言った?」
「当方としては就労後の労働条件については一切関知しておりませんので……」
「わたしは衛士、もしくは警備の仕事を志望していると言っただろう!」
「そうは申しましても、アニエスさん。いま現在衛士に空きはないとのことでした……だいたい警備といっても、流れ者をわざわざ長期で雇うような方は、貴族といえどなかなか」

 正論にうめかざるをえない。『一年と一日』というように、都市は新参をやすやすと受け入れるほどなまなかの空間ではないのだった。
 そもそも契約社会なので、どんな不当な待遇だろうが了承した人が悪いのである。もちろんクーリングオフなどという良心的な制度があるはずもない。
 騙されるほうが悪いのだ。世の中は腐っている。自分を棚に上げて嘆くアニエスである。
 唇を噛むと、半眼で凄んでみせた。

「多くは望まん。……マトモなところを紹介しろ」

 ネックハンギングで面接官を吊ってやると、土気色の顔はようやく頷いたのだった。

 そうして次に斡旋されたのは、夫の伯爵に先立たれた未亡人が切り盛りするという商会の邸警護の仕事だった。面接には執事とともに当の女主人が顔を出すほど人材の発掘には熱心で、アニエスもここならばと思ったものだ。
 しかし口頭での試問が行われると聞き俄然不安が募ってくる。とにかくアニエスには時間も余裕もない。予想されうる質問を想定して、正解と思われる応答を一夜漬けで頭に詰め込んだ。

「アニエスさんですか」物腰柔らかな執事が、履歴書を見下ろしながら確認する。
「は」アニエスは寝不足でしょぼしょぼした顔で頷く。
「平民ですね」
「は」
「ご安心を。当会とわが主人は能力を予断することはしません。そのための検分であるとご理解ください」
「は」
「そうですね、まずは、当会を志望した理由をお聞かせください」
「仇が取りたいのです」
「はあ?」

 アニエスは無表情で続けた。

「ダングルテールの虐殺をご存知でしょうか。あのいまわしい事件です」
「ええと、たしか、疫病で全滅したとかいう……」
「嘘だッッ!!!」
「ヒイ!?」

 ひぐらしがなき始めた。
 アニエスは「はっ」と失言に気づくと咳払いを落とす。気を取り直すように居住まいを正し、きりっと発言を撤回した。

「わたしの志望動機は、貴会の経営理念がわたし自身の目標にそうものだったからであります」
「ほう。理念と来ましたか。アニエスさんは学がおありでらっしゃるようだ」
「いえ。滅相も」
「そのあたりをもう少し具体的に喋ってもらえますか?」
「…………」

 アニエスは顔を伏せた。
 気まずい沈黙。
 丸暗記してきましたと如実に語るような間だった。
 そこで初めて、無言を貫いていた中年の女主人が声を発した。

「お年は十八歳とありますが」
「ええ。今年で十九になりますが」さりげにサバを読むアニエスであった。
「特技などはありますか」
「ヒャダルコが使えます」
「そうですか。以前のお仕事はなにを?」

 やすやすとスルーする女主人であった。ただものではない。

「傭兵です。各地を転々としつつ腕を磨いておりました」
「まあ」未亡人はころころと笑う。品の良い笑いであった。「まるで遍歴の騎士さまね。お若いのに苦労してらっしゃるみたい」
「とんでもありません」
「まあまあ。ご謙遜ね? 今日びの平民ときたら、いえ、貴族でさえも礼節をわきまえぬものばかり。なのに貴女は謙虚さをご存知だわ」
「光栄の極みであります」

 メカ・アニエスと化して模範的な応答を繰り返すアニエスだが、意外な好感触に手に汗握りつつあった。いけるか? これはいけるんじゃないか? 
 短期間の傭兵稼業ならともかく長期的なスパンで付き合う相手が傲慢だったり好色だったり変態だったりするのでは困る。だがこの女主人は夫を亡くしているだけあって苦労を知っている。痛みを知ると人は人に優しくできるという。
 荒んだ子供時代を送ったアニエスににも、『勇者』や『騎士』といった存在に憧れた時期がある。主に忠節を尽くす騎士。いいじゃないか。意外と少女趣味な彼女は、早々に「この方ならば」とか思い始めていた。
 その後、二三簡単な質問を受けた。そのいずれもに、アニエスはぎこちなくも穏当と思われる答えを返した。万事滞りない。先の見えない就職活動もこれで終わりだという安堵が、気早にアニエスを包んだ。
 が。
 異常が起きたのは、女主人の目配せでそそくさと執事が退室してからだった。
 ふたりきりになったとたん、女主人はねっとりとした目でアニエスを見つめる。アニエスの危機警報がもの凄い勢いで鳴り始める。しかし今にも職に手が届かんとしているのだ。違和感を噛み殺して、アニエスは椅子から立ち上がる主(予定)の姿を見守った。

「ねえアニエス」すでに呼び捨てだった。「わたくしたち、もっと分かり合う必要があると思いません?」
「あの、マダム?」
「ああ、いけない子……そんな凛々しい瞳でわたくしを見つめて。いったい何を期待しているの? その鋭い目の奥で、わたくしは何度陵辱されてしまったの!?」

 女主人がいきなりトップギアに入った。ショールを脱ぎ捨てると、異様に切れ込みの深い、真紅のドレスがあらわになる。叶姉妹もそれは着まいというような、「ドレス」というより「布」に近い狂った仕立てがあらわになった。

「マダム!? 伯爵夫人、お気を確かに!」
「ダメ、ダメよアニエス! 貴女を見た瞬間からわたくしはもう、もう、辛抱たまらん!」
「バタフライはくしゃきゅふじん!?」
「噛んじゃうくらい取り乱すなんて、可愛いひと!」

 キュルケにキャラがかぶってる彼女こそ、のちにベストセラー作家となる『バタフライ伯爵夫人』そのひとであった。ちなみに彼女はレズではなくバイである。
 筋金入りだった。

「わかりあいましょうアニエス。あなたと……合・体したい」
「いやぁああ」

 半泣きのアニエスの手がとっさに腰に伸びる。しかし当然剣帯などそこにはない。面接に帯剣してくるアホなどいるはずもなかった。
 ずんずんとモンローウォークで迫ってくる女性の肢体に恐れをなして、アニエスは部屋の中を逃げ惑った。仇であれば大統領でもぶん殴る覚悟の彼女だが、真性の変態には耐性がない。生い立ちからしてシリアス一辺倒なので、引き出しのバランスが悪いのであった。
 三十六計逃げるにしかず。必死のアニエスが死中に活を見出した。

「これにてごめんつかまつる!」

 窓を割りながら飛び出した。
 応接室は三階だった。
 着地と同時に受身を取ったが、衝撃が体に与える痛みは少なくない。それでもかなり必死でアニエスは頭上を仰いだ。そこではもの悲しげな顔のバタフライ夫人がたたずんでいた。
 そして彼女も飛んだ。

「アニエース!」
「うわ。うわあああああ!」

 アニエスは疾風のように駆けた。背後で墜落のためと思われる鈍い音が響いても、とにかく走った。

  000

 そんな大立ち回りをしては当然無傷では済まない。アニエスは治療費によってさらに困窮する羽目になる。唯一の救いは夫人がアニエスに対し何の沙汰も与えなかったことだが、そんな事実は彼女をなんら慰めなかった。むしろ気持ち悪かった。
 職人ツンフトの傷病者用厚生施設にもぐりこみ、傷を癒しながら彼女は二度の失敗を顧み、思うのだった。あぁ……むかしからなんか女にモテると思ったんだ。そういえばあのときも。いやあのときも。あんなこともあったなたしか。そーか。わたしはそういうタイプだったのか。いやそうじゃなくてこれからどうするか考えないと。
 受身ではダメだ。

「そうだ。確か……」

 衛士には「欠員がいない」と言っていた。
 つまり、欠員が出ればアニエスにも目があるということだ。
 アニエスは、ふ、とクールに笑った。
 そして血走った目を、自らの愛剣に向けたのだった。

「むざん、むざん」

 一週間後、彼女の就職がようやく決まった。

  000

 そんな感じで殺してはいないが一応手を汚してまで得た仕事も、二年目にとうとうクビの危険を迎えつつあった。
 きっかけは些細なことだった。数日前、チクトンネでちょっとしたボヤ騒ぎがあったのである。アニエスは非番だったがたまさかその近くにおり、顔見知りの通報を受けて現地に急行した。
 現場は悲惨なものだった。爆弾でも放り込まれたかのように家屋が荒らされていたのだ。神妙に検分するアニエスは、ぼろくずのようになっている被害者に、まだ息があることを確認した。

「おい。だらしがないな。死にそうなくらいで死ぬんじゃない」

 ちょんちょんと鞘で体をつついて、反応を確かめる。返事はない。うつ伏せの体を、足で蹴り転がした。
 見知った顔だった。詰め所でも何度か話題になった、近ごろ町でよく顔を見かける流れ者だ。おそらくは野良メイジであり、その力を使って最近城下を騒がす窃盗団に参加しているのではないかとマークされている男でもあった。

「まあとりあえず立て」

 襟首をつかんで引き起こし、そのまま詰め所にしょっぴいた。
 果たして見立てどおり、男はちまたでぶいぶいいわせてる窃盗団の一員であることが証言から明らかになった。

「ふむ……。では貴様が『土くれ』のフーケか?」

 滅相もないと被疑者は返した。あくまで自分はただのスリであると主張したいらしい。それはそれで、貴族から盗みをはたらいたのならばどうにでもして絞首台へ送るなり肉体刑に処し伊達にして返すなりやりようはある。
 しかし、物証がないのだった。おそらく相当な金額に上ると予測された盗みのアガリが、事件現場となった建物のどこを探しても見当たらない。
 どこに隠したのだと聞いても、男は「『香水』のモンモランシーを名乗る魔法学院の生徒にもってかれた」の一点張りだった。
 衛士たちはこれを一笑にふした。どこの世界の学生がこそ泥を半殺しにしたあげく盗んだ金を持って姿をくらますというのか。
 するとどういうわけか、金を持っていったのは独り占めをもくろんだアニエスではないのか、という空気が詰め所に蔓延しだした。


「なぜそうなる…」

 苦い顔でエールをあおるアニエスは酒場にいた。飲まなきゃやってられん。そんな気分だった。
 彼女たちは、衛士といっても王家の秘蔵である魔法衛士隊とはレベルが違う。どちらかというと自治組織の趣が強い集団である。給料も安くはないが高くもない。
 そんな乾いた生活において、犯罪者からせしめ取る賄賂の類がいっぷくの清涼剤以上の価値を持っていたことは、アニエスにだってわかっている。かくいう彼女もちょっとオシャレがしたい気分になったときは、洒落で済むくらいの収賄はしたものである。現金の持つ魔力だって、身に染みて知っていた。人が身を持ち崩すのはたいてい、金か色恋なのだ。
 だが。
 よりにもよって千エキューは下らないと思われる大金を隠匿しようなどとは思わない。理由はひとつ、

「……こういうことになるからな」
「よう、衛士さん」

 食卓に毛むくじゃらの手を置いたのは、いかにも傭兵というふぜいの男だった。見ればその背後にも六人ほど、同種の臭いをまとう男たちが控えている。荒事に慣れ親しみ、暴力を生業とする気配がそこかしこから放たれていた。
 屈強な男七人を前にして、アニエスが真っ先にしたことは傭兵の中に杖を持つものがいないかどうかだった。どちらにしても勝つのは難しいが、メイジひとりと平民の傭兵七人ならば、迷うことなくアニエスは後者を選ぶ。そしてどうやら、彼らの中に貴族くずれはいないようだった。
 周囲から集う視線を意識しつつ、エールをさらに一口ちびりとやって、アニエスは男を見上げた。

「なにか用か」
「羽振りがいいらしいじゃないか。俺たちにもおごってくんな」
「理由がない」
「そうか?」男が下卑た笑みをことさらに浮かべた。「なんなら、俺を一晩買ってみたらどうだ! あんたみてえなおっかねえ女でも、そうだな、百エキューもくれりゃ付き合ってやるぜ!」

 どっと酒場が沸いた。
 アニエスは頬をひくりと震わせる。
 なんで、関係ないやつまで笑ってる?

「おい」アニエスは会心の微笑で男に流し目を送った。「気が変わった。一杯おごってやろう」
「へえ?」

 飲みかけのエールを、ひげ面に思い切り浴びせた。

「おまけだ」

 続けて木製のコップを砕く勢いで顔面に叩きつける。
 酒場が一切、静まり返った。当たり所が悪かったようで、男は白目を剥いて伸びている。アニエスはぐるりと周囲を睥睨し、さりげなく出口に近い場所を位置取りながら、やや演技がかったそぶりでため息をついた。

「誰か伝えておいてくれないか。アニエスは今夜を限りに衛士を辞めると」

 言い捨てざま、背後に回ろうとしていた二人目の顔を椅子で殴り飛ばした。
 ざわめきが波打って、拡大していく。

「……あー」

 うめきには真実意味がない。いつも手を出してから「しまった」と思うのだが、それで後悔をしたことはない。目の前で鼻血を吹いて倒れる傭兵を無感動に眺めながら、アニエスはすぐに気持ちを切り替える。

「こ、この女! やりやがった!」
「無礼な真似を働こうとしたから機先を制したまでだ」

 気色ばんで包囲の輪を広げる男たちに向かって、ことさらに腰帯にくくった剣の存在を強調する。目視できるほど空気の質が緊迫した。さすがに傭兵たちはその道の猛者だ。顔色をあらため、牽制するように思い思いの得物に手を添えていた。アニエスは鼻を鳴らす。運が良くて三人めで斬り死にだ。悪ければ一人も道連れにはできない。
 冷静な分析だった。
 そして、彼女には死ぬ気はさらさらない。
 くるりときびすを返すと、まっしぐらに出口へ走った。

「待ちやがれ!」
「追え!」

 追いかけてくる罵声に、一度だけ振り返る。

「とことんやる気なら、追いかけて来い。命がはした金であがなえると思うのなら試せ」

 もちろんハッタリである。なるべくなら追いかけてほしくはない。さりとて相手にもメンツがある。そう楽にことは運ぶまいと、アニエスは呼吸を落とす。
 抜剣し、夕闇に挑むようにして、トリスタニアへ駆け出した。

  000

「さて――」

 それから数日後、人目を忍んで、アニエスは二年を過ごした街を後にする。不安はなかった。以前とは世界の情勢が変わっている。
 また、腰を据えて情報の収集に励んだおかげか、仇に直結するであろう人物のあたりもついた。今すぐにどうこうできるほど甘い相手ではないが、何の目星もついていないよりましだ。調査の過程でやや派手に動いたのは確かなので、今は標的も身辺を警戒しているかもしれない。ほとぼりを冷ますという意味でも、トリスタニアから離れるのは悪くない手だった。
 あとは着実に追い詰めていく。決して長くはない懐中の剣が、怨敵の喉元に届くまで。
 焦りは無論ある。
 だが心身を焙る妄執の炎は、今や離れがたい隣人である。倦んでも、疲れても、たとえ老いたとしても、決して消えない。燻りでさえ、仇の総身を焼き尽くすには充分だ。彼女には確信がある。
 目深にかぶったフードの下、アニエスは蒼い瞳に昏い光を揺らめかせ、唇を吊り上げた。

「待っていろ、リッシュモン……」

 呟きは、足音のように遠く低く、乾いている。
 見上げた空は、今後の展望を占うように灰色だった。
 苦笑して、できるかぎり気楽に吐く。

「とりあえずは、金づるだな」

 恐らく、近く戦争がある。
 平民が功を立てるとすれば、場は戦を置いて他にない。もしくは、宮廷への推挙に直接権限を持つような大物と懇ろになるかだ。どちらもほとんど不可能事には違いないが、少なくとも前者には芽が出ている。そしてわずかでも可能性があるのなら、アニエスに諦めるという選択はありえない。

 そうして、女は仮の宿りを後にした。腰には剣をはき、胸には宿願を抱いている。その足が踏む前途は多難である。
 決意に燃えた瞳が、はからずもそのとき、小さな背中を見咎めた。

「ん?」

 ここで、森へ向かって歩いていく身なりのいい貴族の少女を目撃し、あまつさえその後を追おうだなんて考えなければ。
 彼女は少なくとも、もう一ヶ月くらいは平穏な復讐道を歩けたはずだった。
 しかしアニエスはやってしまったのだった。おかげで彼女の復讐人生設計は早々に暗礁に乗り上げることになった。
 手始めに何が起こるのか?

 とりえあず、なんかもったいつけて狙いを定めた高等法院長のリッシュモンさんの喉元に剣を突きつけるまで、実はあと少しであった。







  000

 000 はた迷惑なフーケたち シャトー・ド・ヴォー・ル・ヴィコント 4 000

  000


「もし、ミス・モンモランシではありませんか?」
「え?」

 雑踏に立ち止まる。場所はトリスタニアにある大きな通りのひとつである。近所には広場と劇場もある。トリスタニアっ子よりは遠方から来た層の多い名所だった。
 虚無の曜日ではないが、人通りはそれなりにある。といっても物見遊山の気分ではない。目的は立派な人探しである。それも、彼女にとってはいささか因縁を孕む相手だ。
 そんなわけで立ち話をしている暇はないのだが、声をかけてきた相手はとても無視できる手合いではなかった。振り返った刹那、ついついモンモランシーは「げっ」と口に出してしまうところだった。すんででこらえたが、もう遅い。
 結われた二つの金髪が、彼女の顔の幾分か下で揺れている。倣岸を絵に描いたような表情で下から真直ぐ突き上げてくる、少女の視線は強い。まごうことなき超ボンボンのオーラである。
 モンモランシーは口はしをゆがめながら、少女の名を口にした。

「ベアトリス……殿下。クルデンホルフ大公姫殿下ではありませんか」

 ベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフは、小鼻を膨らませて再会を喜んだ。

「ああ! やっぱり。お久しぶりね、ミス・モンモランシ? お変わりないようでうれしいわ」
「ええ、その」なんでこの子がトリスタニアにいるの? 眼を白黒させながらもモンモランシーは礼を取った。「殿下もご機嫌うるわしく、なによりですわ。トリスタニアには公務でいらっしゃったのですか?」
「似たようなものです。お父さまのお仕事の手伝いですわ」こまっしゃくれた態度で少女は頷く。
「まあ。お偉くていらっしゃるのね……」
「そうよ! 近々大きな事業があるの。あら、いけないわ。こんなことミス・モンモランシに言ってしまったなんて知れたら大変! 内緒にしておいてくださる?」
「もちろんですわ」

 あーめんどくさいなーという心境をおくびにも出さず、モンモランシーはこの年下の女の子に対して当たり障りのない会話を重ねる。実家との兼ね合いもあって邪険にするわけにもいかず、かといって話しているとやたら疲れる相手だった。
 幸いにして、ベアトリスも暇を持て余しているというわけでもないらしい。十か二十ほど噂話を交換し終えると、

「あらいけないわ。わたくしまだ用事の途中なの」

 と言い残し、挨拶もそこそこに近侍を従えて再び雑踏の中へ消えていく。

 律儀にそのちっこい背中とぶらんぶらん揺れる二つくくりの髪を見届けて、モンモランシーは眉をひそめた。

「……クルデンホルフ大公が王都へ?」

 妙である。クルデンホルフ大公国はゲルマニア寄りの立地。王都から見ればかなりの遠地にある。それが娘連れで参勤するとあれば噂にならないはずがない。確かにここ一週間は噂だとか情報だとかそんなものとは縁がない生活に追われていたが、悪い意味でのハデ好きで知られるクルデンホルフの人間が王都にお忍びでやってくるというのはおかしい。というか、不自然だった。

「考えられるとすれば、商売かしらね……」

 ゲルマニアやガリアでは一笑にふされるかもしれないが、トリステインではいまだ『商売などは貴族がやるものではない』という考えが根強い。そのため領地経営が巧くない貴族などは近年ぼんばか没落しまくっているのだが、クルデンホルフ大公国はゲルマニア上がりの成金だけあってそのあたりには無節操であった。
 領地に鉱山を所有するかの国の大公は、むしろ積極的に利益の拡大に力を入れている。伝統を重んじる家臣にはそれだけでもう煙たがられる家なのだが、あいにくと力はあるだけに誰も表立って非難できない。
 貧乏の痛みを知るモンモランシーとしては、伝統も大切だがお金も生きるためには欠かせないという現実派な認識である。だから特別大公家にもさっきの少女にも「うざいなあ」という以上の感情はないのだが、……。
 モンモランシーはかぶりを振って思考を中断した。気になることは気になるが、やはり今はそんな場合ではない。早いところケティ・ド・ラ・ロッタの行方を探さなければ。

「まったくもう。なんでわたしが」

 いらいらと、かかとで石畳に打つ。なんでわたしこんなことしてるのかしら。そう毒づくのを止められない。実際、恋敵だか同じ穴のムジナだかをこうまで手間をかけて探す意義はわからない。
 ただ、後味が悪いのだった。それに二股自体にはおどおどとしつつも決して謝らなかったギーシュが、今回に関しては本気で気に病んでいるのも腹が立つ。これで軽率なことをしでかしたって理解してくれればいいんだけど、と呟きかけて、モンモランシーはすぐに肩を落とした。
 そんなわけないか。

「お人よしだわ、我ながら…」

 自虐しながら、とぼとぼと待ち合わせ場所へと歩き出す。ついでに中途では、かねてから探していたご禁制の秘薬を作るための材料などを購った。今となっては使い道もないが、学究の徒として製法には興味がある。ただそれも時間を要するほどのものではなく、なるべく遅く歩きながらも、モンモランシーは着々と待ち合わせ場所へ近づいていった。
 同行したギーシュは、方々の宿の宿泊客を当たっているはずだった。モンモランシーは乗合馬車の乗客をさらった。ケティらしき人物の目撃証言は発見できていない。ケティがトリスタニアに来たとすれば、いずれかには痕跡を残しているはずなのだ。だから必然、ギーシュの報告いかんで今後の行動が決まる。

「って、やっぱりいないし」

 中央に人工の泉を置いた広場のどこにも、ギーシュの姿はない。おおかた女の子に声をかけているか女の子にデートの誘いをしているか女の子と手を繋ごうとしているのだろう。
 スタートはともかくその後については意外と晩生の彼のそれが、女癖というよりは実は虫とかの習性に近いとモンモランシーは知っている。彼女自身の身持ちが堅いというのもあるが、なんだかんだで一年近くの付き合いなのにまだちゅーをしただけなのである。
 本当のプレイボーイは違う。もっと享楽的で刹那的で、後先を考えないやからである。
 だから、ギーシュが自分を好きだと言っていることも、嘘ではないのだと感じていた。
 ちょっと前までは。
 学院が吹っ飛んだあの日、ケティ・ド・ラ・ロッタのことを知るまでは。
 モンモランシーにとっては、単に浮気をされたというだけではなく、その相手が問題なのだった。容姿から性格から、ケティは自分とはまったく似つかない。それがギーシュの分際で「きみじゃだめだ」と言われているようでむかつく。もしくはギーシュにとっては女の子でうまいことひっかかりさえすれば個体差なぞどうでもいいのではないか、という可能性が捨て切れなくてさらにむかつく。だってそれではなんか自分がまんまとひっかけられたバカな女みたいではないか、と思ってしまうのだった。
 そうして内にこもって女の情念をむき出しにしていたモンモランシーは、だから彼女に近づく人影のあることに気づかなかった。気づいたのは、やはり声をかけられてからだった。

「もしもし。ミス・モンモランシ?」
「はい?」

 またか、と顔を上げて思考を中断する。瞳がとらえた金髪に一瞬ギーシュを連想するが、果たして全く違う人物であった。

「ご無礼をお許しください。貴女はミス・モンモランシですよね?」
「ええ。そうですけれど」

 誰かしら、とモンモランシーは眼前の人物の身なりを眺める。真っ先に目立つのは、やはりメイジの証であるマントと杖だった。貴族だ。だとすると知り合い? 焦りながらモンモランシーは記憶の人相を検索する。まずい。思い出せない。

「ああ、ぼくは幸運だ。こんなところで貴女と出会えるなんて! これはきっと始祖のお導きですね」にこやかに相手は話し続ける。
「え、ええ。そうね」誰だっけ…。
「ぼくと貴女には、見えざる因縁があるのかもしれませんね」
「ほ、ほほ。ほんとに、奇遇ですこと」

 モンモランシーはますます焦る。どこかの社交場で会った顔だったか? この特徴的な喋り方。一度でも話したのなら覚えているはずなのに……。

「どうかなさいましたか。ミス? 僕がなにか粗相を?」
「いいえ。ごめんなさい」大変な失礼だがしかたない。後々ぼろが出るよりはましだ。モンモランシーは正直に白状した。「申し訳ありません。いずれか知己の方だと存じますけれど、わたくし、あなたのお名前を失念してしまったようで……ほんとに、不躾で」

 金髪のメイジは、まるで気にしたそぶりも見せなかった。鷹揚に笑って何度も頷く。

「ああ。いや、いや。いいんですよ。ミス。お気になさらずとも結構です。無理もない」
「あ、ありがとうございます」寛大な相手でよかった。ほっとモンモランシーは一息をつく。

「何しろ、ぼくたちは初対面ですからね」

「……え?」

 笑顔のまま聞き返したときには、視界を遮られていた。ダンスでも始めるように回された腕がモンモランシーの体を抱き寄せる。何の反応もできない。半秒の内に、彼女の顔に湿った布が強く押し当てられた。水のメイジである彼女、『香水』のモンモランシーはその香りと味におぼえがあった。
 ――眠りのポーション。それも即効性の。
 抗えるはずもない。原液に近い眠りのポーションは麻酔としても用いられる秘薬だ。モンモランシーの意識は一瞬で眠りに落ちる。

「おっと」

 膝から崩れ落ちる細い体を支えて、金髪のメイジ――ボスメイジは素早く周囲を探った。白昼の犯罪行為を気に留めた通行人は今のところいない。せいぜい貴族の友人同士でじゃれているようにしか見えないだろう。それも計算の内である。
 背は高いが肉付きは薄い。少女の体は軽かった。やすやすと腰を抱き肩を支えるようにして、ボスメイジは人目を避けて裏路地へ向かう。いかにも人さらい然としたその後姿を見咎めたのは、

「待て!」

 遅れて待ち合わせ場所に現れたギーシュ・ド・グラモンだった。
 肩越しに彼を一瞥しつつも、ボスメイジは足を止めない。するすると建物の間に積まれた木箱を避けて、より狭い道へと沈んでいく。ギーシュには後を追う以外の選択肢はなかった。

「待て、彼女をどこに連れて行くんだ!」

 早々と杖を抜く。鋭敏とはいえない彼の感覚でも、今が何らかの危機的状況であることはすぐに察せた。

「止まらないのならば!」

 十数メイル先をゆく人さらいの足をめがけて杖を振った。地面に干渉して足止めさせる魔法である。
 地面から生えた土の腕を咄嗟にかわして、ボスメイジは舌打ちを落とす。『土』や『風』のメイジと追いかけっこをするのは得策ではない。腕に抱いたモンモランシーを多少乱暴に地面に置くと、追跡者にならって杖を抜いた。
 弾む息を抑えるギーシュは、すでに薔薇を模した造花の杖を解放している。偽りの花弁が地に落ちるやいなや青銅のゴーレムが立ち上がり、狭い路地を埋め尽くした。
 彼は声色低く問う。

「何ものだ。彼女になにをした? 答えたまえ!」
「そういうきみは何ものだ?」
「賊に答える名なんて、持ち合わせてない。さあ。ぼくの『ワルキューレ』が貴様を貫かずにいる内に彼女を置いて消えたまえよ」
「なかなかしょうね。見たところ『ドット』のようだけど、そのお粗末なゴーレムでぼくをどうにかしようっていうのかい」
「……なんだと」

 明らかな揶揄に、ギーシュの表情が強張った。

「最初の質問にだけ答えよう。ぼくが何ものかと聞いたね」

 ボスメイジはいたって平静な表情で、手中のワンドをもてあそぶ。
 ギーシュの眼が見開かれた。

「まずい……、ワルキューレ!」
「遅いよ」

 ボスメイジは詠唱を既に終えている。1メイル半ほどしか幅のない隘路において、押し込められたゴーレムなどただの的だった。
 ワルキューレを挟み込む両側の壁が、突然鳴動とともにせり出した。レンガの塊は一瞬で『錬金』によって鉄と化し、さらに鋭い錐となってゴーレムを襲う。
 一瞬ののち、五体のワルキューレが串刺しになって朽ちた。からくも逃れたギーシュと残りの二体は、戦慄の眼差しを惨状に向けている。
 次の呪文を唱えて、ボスメイジは杖を標的に突きつける。

「ぼくは『土くれ』のフーケ。――わるものさ」

 ギーシュの眼が見開かれた。

  000

「『土くれ』のフーケ?」
「と、自称している。実際はどうか知らん」

 小川の清水で手を洗うアニエスの顔は涼しい。まったく同じ表情で野良メイジたちを拷問にかけたとは思えない所作である。

 アニエス言うところの『尋問』は、賊がなぜケティに狙いをつけたのかを明らかにするために行われた。その実態は手足を縛った上で被疑者の後ろ頭を引っつかみ、三十秒間顔を水に浸けたあと五秒のインターバルを置いてまた水に三十秒突っ込むだけの暴力だった。シンプルにしてかなりきつい水攻めである。見ているだけの才人も息が苦しくなったほどだ。
 驚くべきことに野良メイジたちは二人も失神するほどがんばった。なかなかの根性である。しかしそれまでだった。すっかり震え上がった三人め(C)に対してアニエスがぽつりと一言、

 よく考えたら二人まではいいのか。

 なにが『いい』のか才人も含めて誰も聞けなかったが、最後の野良メイジはそれで何もかもゲロった。堕ちたりとはいえメイジ。しかしメイジも杖がなければただの人。真性サドのアニエスを相手にするには荷が重い。

「王都では知られた名前だ。貴族を専門にしたメイジの泥棒でもある。別に盗んだものを民にほどこしているわけでもないのに『義賊』なんぞと呼ばれたりもしているな。それが三人組…いや、やつらの話によると『組織』か。とにかく複数人だとは初耳だったが」

 わたしには関係のない話だ。
 そう締めくくり、取り上げた三本の杖をためらいなく熾した火にくべる彼女の眼はかなり怖い。どこがどうとは言えないが何かが狂っている。二メイルほど距離取った才人は、『フーケ』という響きになんとなく引っかかりを覚えていた。フーケ。フーケ。パピプペポーッケ。『土くれ』のフーケ。つい最近どっかで聞いた気がする。

「フーケって、よくある名前なんですか?」
「いつだかの財務卿だか徴税請負人にそんな名前があったかもしれんな。しかしどうせ偽名だろう。もともと、犯行現場に毎度律儀にそう署名することから呼ばれだしただけだ。実際は、凄腕のメイジということ以外は尻尾もつかめていない」
「警察はなにやってんですか?」
「衛士か。うんまあそれはあれだ」アニエスはなぜか言葉を濁した。「ところで、貴様ばかりではなくわたしからも質問させろ」
「はい?」

 アニエスの右手が霞んだ。
 と見るや、鞘走りの音を才人の耳が捉える。一瞬の後、才人の目前には刃こぼれや錆がかすかに浮いた剣尖が突きつけられていた。

「動くな」
「……」
「造作もないな。本当にさっきのと同じ人間か?」

 わずかも切先を乱さぬまま、アニエスがゆっくりと立ち上がる。
 才人は大きく喉を鳴らした。足元に置いてある鎖分銅に視線を向ける。その仕草を目ざとく見咎めて、アニエスは双眸を眇めた。

「マジックアイテムの類か? そうは見えないが……、もしそうなら、宝の持ち腐れだ。悪いが……」

「何をしているんですか」

 アニエスの勧めに従って席を外していた、ケティの声だった。

 固定されていた剣が揺れる。

 才人は迷わず動いた。
 鎖分銅へと手を伸ばす自分を、頭の片隅で疑問に思う。紛れもなく命の危険なのだ。普通ならば体が硬直して動かないはずだ。なのに迷いもなく一か八かの賭けに出ることができる。
 おかしい。
 怖いわけじゃないんだ、と才人は思う。手は震える。足だってすくんでる。だけど心だけはいつも奮い立っている。それが不思議だった。考えてみればずっとそうだったのだ。俺、こんなに根性あったっけ――たとえば、何日も生きるのがやっとの生活をして、それでもまずまずめげずにいられるくらいに? 負けず嫌いの意地っ張りなのは自負していたが、この精神状態はある種異常だった。心の一部になくてはならない感情が、鈍磨してしまっている感じ。だが今はつまらないことを考えている場合ではない。身が危険にさらされているのだ。才人の指先は過たず鎖を引っ掛ける。
 とたんに体が軽くなり熱が入る。ギアがローからトップに入るのに、まるで負担はない。この状態こそがノーマルだとでも言うように。
 横っ飛びに鎖を引いて飛び退さり、無表情のアニエスが振り下ろす直線の一撃をすれすれで回避する。既に分銅は宙を走り推力を得ていた。あとはその充填された破壊力の解放を待つばかりだ。
 微細な手首の返しによって、鎖が波打ち錘が翻る。風切り音を置いて弧を描く一撃を、アニエスは身をかがめてかわす。前傾姿勢から突きの構えで才人を狙う彼女の目論みは距離を潰すことだ。
 才人は左手が命じるままにさらに鎖を握る右の手先を引いた。反動で上空を舞う分銅までのたわみは長い。普通にアニエスへ打ち落とすだけでは間に合わない。即座に左手に握る棒を落とすと、右腕を引いて左手で鎖をつかみ、梃子の原理で落下を加速させた。
 女剣士はその動きを、鎖の軌道ではなく才人の体さばきでなんとか察知した。咄嗟に体を捻って致死の一撃をしのぐ。身が竦むような速度で地面を穿った分銅は短く跳ねて、すぐに才人の手へと返った。
 アニエスは体勢を崩している。次は避けられない。
 だからあっさりと剣を手放して、彼女は両手を挙げた。

「まいった。降参だ」
「へ」

 分銅を振りかぶり、放つべきか否か逡巡していた才人は呆気に取られる。

「あの?」

 アニエスは土を払いながら立ち上がった。無論剣に手は出さない。

「悪く思うな。貴様の実力を試してみたかった。改めて……、とんでもない使い手だと確認しただけに終わったが」
「はぁ……。そっすか」

 なら普通に言えばいいのに。才人はあっさりと矛を収めた。殺気の有無など彼にわかるはずもなかった。

「びっくりしました。突然けんかをなさっているものだから」

 胸の前で手を合わせて、ケティが安堵する。アニエスは少女を一瞥して、目礼した。

「失礼した。ミス・ロッタ」

 当然、アニエスはやれるならやっちゃってもいいかなというくらいの気分であった。なんだかわからないが、このサイトとかいう少年の動きは常識を超えている。達人だとか、才能があるとか、そんなチャチなものではない。基本的な動きからして人間の規格を大きくオーバーしているのだ。
 そのわりにいちいち判断や構えが素人くさい。だからこそインチキみたいなスピードの攻撃もわりと簡単に先読みできる。だがトリッキーな武器の扱いは間違いなく熟練したもののそれだ。いちいちアンバランスである。対峙している間、アニエスは右目と左目で別々のものを同時に見せられているような錯綜した感覚がぬぐえなかった。

「どういう仕掛けだ? その変わった武器のせいではないな」
「いや。さあ……」
「とにかく、貴様自身は半分ずぶの素人だ、というのは間違いないんだな」
「はい」ケンカはそこそこするが、才人には格闘技経験など絶無である。あまつさえ鎖分銅なんていう通信販売で買ってバキに笑われそうな得物を扱った経験もない。
「なら、いったいぜんたいどういうわけだ」

 才人は頬をかく。「武器を持つとむっちゃ強くなる」ということはわかっているが、それが何のためかと言われると困る。一応、心当たりらしきものはあるが……。

「貴様はメイジじゃないようだが、何かの魔法か? それともやはりマジックアイテム? わたしにも同じようなことができるのか」

 宿願がかかっているだけに、アニエスの口調は矢継ぎ早である。
 非常に気は進まなかったが、才人は恥部をさらすような覚悟で彼女に左手を見せた。

「どうも、これのせいみたいで」

 そこで初めて桃毛の存在に気づいたアニエスの反応は。

「なんだそれ……病気?」

 ごく一般的なものだった。
 才人はたださめざめと泣いた。それから一気に自分の身の上を語りだそうとしたが、アニエスは「まあいいか」とあっさり引いた。拍子抜けするほど素っ気無い反動である。持って行き所のない哀しみが才人の中で荒れ狂った。

「さてミス・ロッタ。ひと段落ついたところでお話があります」
「わたくしにですの?」ケティがびっくり顔で自分を指差した。
「いかにも。先刻の賊から得た情報です」
「先ほどの……、悪い人たちではなさそうでしたが」
「いや悪いだろ」

 才人は半眼で呟く。お嬢さまなのか天然なのかブリッコなのか判別できないが(正解はその全部だが)、このケティという娘は彼から見ても呑気すぎる。

「それで、情報というのはいったい?」
「その前に確認しておきましょう」なぜか若干目尻を震わせて、アニエスがいった。「今から五日ほど前になりますが、トリスタニア市中で白昼、スリや物盗りを生業に活動していた一団のアジトが襲撃されるという事件がありました」

 ケティはびくっと肩を震わせる。

「ぎくり!」
「口で言うなよ」

 才人の突っ込みは誰にも拾われない。アニエスは淡々と言葉を続けた。

「現場から発見された容疑者はひとり。しかし供述によるともう一人仲間がいた模様です。彼らは恐らく炎の魔法を用いた技によってミディアムに焼かれました」
「そそそ、それが、どうかなささいまして?」
「おやミス・ロッタ。口調がバグっていますよ」アニエスが肩をすくめた。
「い、いったい何をおっしゃっているのか……、わたくしのような可憐な美少女メイジにはおよそ関わりのないお話です。恐ろしいことですわ」

 だらだら脂汗を流すケティの姿は誰がどう見ても怪しい。才人は過程をすっ飛ばして「こいつやったな」と確信していた。アニエスは水谷豊っぽい仕草を心がけつつさらに畳み掛ける。

「ところでミス。先ほどうかがった、あなたのお泊りになっている宿ですが……、トリスタニアでも一番の高級宿ですね。もしさしつかえなければ、ひとつだけ。御代がいかほどかお教え願えますか?」
「ひ、一晩……、そう、一晩、5エキューほど、ですわ」
「なんと」アニエスが眉を跳ね上げる。多彩な責め方をする女である。「それはお高い。ですが妙だ。わたしの記憶が確かならば、その宿の最上級の部屋は30エキュー、下限でも10エキューはするはずですが」
「ま、間違えたのです。いいまちがいです。だれにだってあるわ。それくらい。ほんとほんと」
「なるほど」アニエスは多いに満足した。「間違えた。なるほど。それにしても豪儀なことだ。ひとばんで50エキューとは。平民には考えもつかない」
「わたくしは貴族の身分ですもの。安宿だなんてそんなの……、じ、自重したんですわ。ケティ自重。ほんとはお財布さんにそうとう無理させてるのよ?」
「つまり、見栄を張っていらっしゃる? 実はそれほど財政に余裕がないと?」
「ですです」

 こくこくと頷くケティ。
 しかし猟犬の足は速く、牙は鋭い。
 喰らいついたエモノは決して逃がさない。

「それはおかしい」
「ひぎぃ!」びっくーとケティが表情を強張らせた。
「ひぎぃ好きだなぁきみ」才人はオーディエンスに徹している。

 アニエスは滔滔と、

「職業柄、失礼、元職業柄、どうも気になりましてね。ミス・ロッタ。あなたの体からはどうもいい香りがするのです。それが気になってしかたない」
「こ、香水ですわ。淑女のたしなみです」
「いえ、違います。香水を髪には振り掛けないでしょう。これでもわたしは鼻が利くのです。香りはあなたのその髪から立っている。そして、くだんの宿の最高のサービスには、水に香料を混ぜた湯浴みが含まれています。あなた、それを利用しましたね? 節制はどうしました……」
「くっふう……っ」

 少女の細面が、徐々に青ざめる。

「たらり!」
「汗の流れる音かよ。だから口で言うなよ」
「そして……話を事件に戻しますが……悪漢二匹を血祭りにあげたメイジは、現場から、なんと金貨にして実に一万エキューもの窃盗品を持ち出したのです」
「そっ」

 そんなに持っていってない、と言ったらおしまいだ。少女メイジはがばっとアニエスを睨んだ。

「そ、そんなゆうどう尋問にはひっかかりませんよ!?」
「思いっきり引っかかってるじゃねえか」

 才人が囁いた。

「あっ……」

 ケティが涙目で才人を見た。たすけて。
 救いを求める眼差しを、沈黙で少年は退けた。だめだこいつ。

「はう、あう」

 ケティはほぞを噛む。どうしよう。ぎぎぎ…。この女。平民の分際でこのわたしをはめるなんて! しかも平民さんにまで裏切られた! あんなに眼をかけていたのに!
 二重のショックであった。
 王手――。
 この状況では最終奥義『雨乞い!雨乞い!と杖を振りながら叫んで転げまわる』を駆使しても逃げられまい。
 ……殺しちゃいますか?
 埋めれば見つからないだろうか。平民の一人や二人、とケティは思うが、さすがにさっきの才人の無双っぷりを見てしまうと容易には踏み切れない。
 がっくーと両膝を地面に落として、ケティはうなだれた。

「――わたくしが、やりました」

 アニエスはかぶりを振る。詰みである。

「その言葉を待っていた」
「こんな、こんなはずじゃなかったの」ケティはしおしおになっていた。「そう、元はといえばわたくし、平民さんにお金を取り戻させてあげようとしたの……ほんとですのよ。ただつい忘れて豪遊しただけで」

『平民さん』が自分のことだとは露知らぬ才人は、すげえ自爆女だなあという感じでケティを見つめていた。とりあえず同情の余地はありそうだが、それにしても可愛い顔して豪快な真似する娘だなあ。
 アニエスが、彼女を落ち着かせるようにして肩を叩く。

「ミス・ロッタ。安心するといい。わたしたちにはあなたを告発する意図はない」
「たち!?」才人がさりげなく含まれていた。
「むしろ、あなたを危険から守るべきだとさえ思っている……」
「え……」

 ケティが、希望に濡れた眼を才人とアニエスへ戻す。託宣を待つ巫女のように粛然とした表情が、彼女の顔には表れていた。

「突然ですが、わたしは遍歴の女剣士アニエスともうすもの。故あって先日辞職しましたが、トリスタニアで衛士の職についていたものです」
「まあ。そうでしたの」
「そしてこちらは仲間のサイト」
「なんで!?」
「つべこべいうな」アニエスは鼻を鳴らした。「貴様の命はわたしが拾った。だからわたしのものだ」

 ひでえ理屈もあったものだった。まったくケティを責められない。
 アニエスは続けて自ら放った剣を拾い上げ、惚れ惚れするような滑らかさで鞘に納める。そして朗々たる声を森に響かせた。

「ここで緊急ニュースです。ミス・ロッタ。あなたは、狙われている!」
「な、なんだってー!」

 驚愕が唱和した。

 000

「お誘いにしては無粋ね」

 キュルケ・フォン・ツェルプストーは胸元の杖をもてあそぶ。眼前では大腿に重度の火傷を負った男がひとり、苦悶してひざまずいていた。そうさせたのはむろんキュルケだ。
 だが仕掛けてきたのは相手である。
 ちょうど町に入ったあたりから、尾行がついてきたのは知っていた。なにもキュルケにそれを察知する技能があったわけではない。メイジがそうしたときに頼るのは、もっぱら使い魔だ。彼女のフレイムが追っ手の存在を主人に報せたのだった。
 性根が好戦的なキュルケである。コナをかけられれば、それが不穏でも、とりあえずは応じる。
 そういうわけでちょっと裏道に入ってわざわざ挑発してみたのだが、しかけてきたふらちものはたったの二人であった。フレイムから受ける感覚ではもう二三人いるようだったのだが、どうも自分は本命ではないらしい。テンションが下がってきたのでのらくらかわすか、と思った矢先、彼女はこんなことを尋ねられたのだった。

「火のメイジだな?」

 うなずいた。
 そしたら問答無用で襲われた。
 ほら、と鑑みてキュルケは思うのだった。焼くしかないじゃない。
 それにしても、属性を確認されたことが不思議だった。ハルケギニア・メイジにおける『属性』という概念は、例えば日本国における血液型性格診断よりもかなり信仰が篤く、また信憑性も高い。『水』は湿っぽく、『火』は苛烈、『風』は自由で『地』は四天王で最初に負ける。
 こうしたテンプレートから逸脱するような例はそれこそ山ほどあるが、キュルケあたりはかなり見たまんまの性格をしていた。だから言い当てられたことは不思議ではない。しかし言い様が気にかかる。ここは普通なら「あなたは火の属性ですか?」という中学英語の構文のような文句が適当なはずである。しかし賊(と、言い切っていいだろう)は『火』の『メイジ』であることを確認してきた。魔法学院の制服を着た、キュルケに対して、である。
 ここまで1.5秒くらいで思考して、キュルケはま、いいかと嘆息した。どうやら人違いのようであるし。
 しかし、それはそれ。襲われたカタはきっちりつけるべきだ。
 キュルケは目を細めて、油断なく杖を構える。

「狙いはあたしの連れのほう?」
「……」

 黙して語らないのは、今しがた焼いた男の後方に位置する女、いやむしろ少女に近い年頃のメイジであった。しかし身なりは町娘そのもの。ただ手にしたワンドのみが彼女の高貴な血を証している。恐らく元は落ちぶれた貴族であろう。
 栗毛を揺らし、少女は顔をうつむかせ、ぼそぼそと口を開いた。
 呪文の詠唱である。
 キュルケは犬歯を剥き出しにして戦意を募らせる。
 が、

「あら」

 杖の行き先は火傷にあえぐ男のほうだった。皮膚の一部を炭化させるほどの熱傷が、見る間に癒えていく。
 秘薬も使わずやってのけた。かなり高度な『水』の魔法である。最高峰の水の使い手は欠損した身体さえ治療するというが、栗毛の少女メイジの実力は練度としてそれに一枚落ちる程度だ。
 低く見てもキュルケと同格の、それも水の使い手。
 なかなかに、そそる。
 しかし仲間を見る間に癒すと、少女はキュルケに対して深々と頭を下げたのだった。

「どうも……、連れが短気を起こしまして」
「謝っちゃうの?」拍子抜けして訊ねる。「ヤらないの?」
「……た、戦いませんよ……、あなた、『トライアングル』くらいあるでしょう? それならそもそも条件に当てはまらないですし。お察しの通り、わたしたちの目的はあなたではありませんから……、邪魔立てなさらないのなら、わざわざ争う必要もありません」
「まあ、ね」

 油断はせず、しかしキュルケは臨戦態勢を解く。思いつきが的を射ているなら今ごろギーシュかモンモランシーはちょっとした危地にある。
 だが、まあ普通に知ったことではなかった。
 基本的にキュルケはその場のテンションに重きを置く女である。選択は一貫するが、行動は風見鶏だ。まだ有効かどうかはともかく、留学生の身分で街中ドンパチやらかすほど、同級生の縁は深くない。誤解されがちだが、キュルケは好戦的なのであって戦闘狂ではない。年中盛るためにも、カロリーは有効活用するタイプである。
 それでは、と一礼し、少女は足を引きずる仲間に肩を貸してきびすを返す。
 その刹那であった。
 手品師のような、出がかりの消えた動作だった。少女の背から、小さな香水瓶が飛んでいた。それは放物線を描いてキュルケの顔面を目指している。瓶をつかもうとして、反射的に手が伸びた。
 ぴりりと皮膚表面をなぶる気配。キュルケは本能的に危険を察し、腕を引き足で地を蹴った。
 回避行動は半分間に合い、半分遅きに失した。
 狙い済まされた小規模な『エア・ハンマー』が正確に彼女の頭部、顎先を揺さぶる。と同時に宙にあった香水瓶が不自然なほど粉々に砕け散った。

「このっ」

 不意打ちとは上等だ。こちらもすでに詠唱は終えている。初弾で仕留め切れなかったことを後悔するがいい。杖をかざしかけたキュルケを制動したのは、突然の立ちくらみと、鼻をつく刺激臭であった。

「ひ、『火』は止めた方が、いい……、ですよ? もうわかってると思いますけど、それ精製油ですから。へたに魔法使うと……、わかりますよね?」

 キュルケは膝をつく。手もつく。本音では倒れこみたい。彼女にそれを留めさせるのは、噛みきった咥内の痛みと、そして目前の少女への敵意である。

「ぬふぅ」

 震える意識に叱咤をかける。すぐにでも上向きかける焦点を必死で当てた。気弱そうな少女は、徐々に後退している。ただし油断はない。すん、と鼻先にまとわりつく油のにおいをかぎながら、キュルケはようよう問うた。

「……あ、ああ、貴女、な名前は? あたた、しは……、び『微熱』のくゆ、……キュルケ。――キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・ツェルプストー!」
「ツェルプストー! ラヴァリエール領の隣の大貴族じゃないですか! こ、怖いなぁ。……って、名前ですか? 突然聞かれても……、えっと、じゃあ『土くれ』のフーケってことにでもしておいてください。……それじゃ」

 おやすみなさい、ゲルマニアの学生さん。声のあとに詠唱と、再度の衝撃がキュルケの頭部を襲った。
 今度こそ完全に白目を剥いて、キュルケは意識を失う。
 そしてほんの束の間を置いて彼女が目を醒ますと、裏通りはほこりっぽい静寂を取り戻していた。がばっと起き上がり、頭痛をこらえ、血の混じった唾をぺっとキュルケは吐き捨てる。それからぎりぎりと歯噛みする。砂を巻いた赤毛を盛大にかきあげ、両肩をいからせて、もちろん彼女は復讐を誓う。絶対の報復を心に決める。そしてたぶんほとんど気づいてる人はいないと思うので補足すると、ここで『フーケ』と名乗った栗毛の女の子は原作五巻であとがきに登場してすごい適当にキャラ付けされたあのジャンヌと同一人物なのだった。

「フーケ……」

 キュルケはひとり、油くさい顔でししくした。

「ぶっころすわ!」



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