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No.5421の一覧
[0] イ吏い魔[ドジスン](2008/12/21 23:21)
[1] 吏い魔[ドジスン](2008/12/21 23:22)
[2] い魔[ドジスン](2008/12/21 23:24)
[3] おまけ[ドジスン](2008/12/21 23:32)
[4] おまけ2[ドジスン](2008/12/21 23:33)
[5] おまけ3[ドジスン](2008/12/21 23:35)
[6] おまけ4[ドジスン](2008/12/21 23:38)
[7] おまけ5[ドジスン](2009/01/01 23:48)
[8] おまけX(本編ではなく、ネタバレを含みます)[ドジスン](2008/12/21 23:44)
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[5421] おまけ5
Name: ドジスン◆bcd22b31 ID:31a83a6e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2009/01/01 23:48



 000 はた迷惑なフーケたち シャトー・ド・ヴォー・ル・ヴィコント 5 000


 000

 拿捕した野良メイジ三人を無力化し膝を割りアキレス腱を切り前歯を全部折り身包みをはいで放置したアニエスに対し、現代日本代表の才人と箱入り娘見本のケティは震え上がって何も言えなくなった。
 一同は怖いお姉さんの先導に従い、トリスタニアへ続く街道へ復帰する。才人は万感を込めて長年の友のように感じる森を後にした。が、気配を感じて振り返った。ふと気づけば一匹のオオカミが丘陵地からこちらを見下ろしているではないか。
 才人ははっと目をみはる。おまえ、もしかして、あのときの……。へへ、思えばお互い若かったぜ。見送りにきてれたのか? そうさ……、俺たちは犬だ。犬っころだ。けどよ、俺たちには牙がある。ご立派な誇りはないかもしれねえけど、こいつは意地を守れるかもしれねえ牙だ。あばよ、犬っころ。俺は俺で生きていくさ……。
 勝手なストーリーを展開してモノローグに自分で涙ぐむ才人にアニエスから声がかかった。

「おい貴様。なに立ち止まってる。逃げようとしたら真ん中の足を切り落として食べさせるぞ」
「はい! ただいま!」

 ヘッドスライディングばりに平身低頭して、才人は恩人へ追従する。その顔面に浮かぶのは紛れもなくこびへつらいの笑みであった。男はともかく、綺麗なおねえさんとかにしつけられるのは、かなり嫌いじゃない年ごろである。そんな意地もある。

「わたしの推測が正しければ、この連中の狙いはミス・ロッタが略奪、もとい膺懲なされた際始祖ブリミルの名の下に押収した盗品にあるはずです」
「ま、まあそれしか考えられませんわね……」

 渋々と納得するケティに、才人は「こいつまたギったのか」といった意味合いの目を送っていた。

「何はともあれ、まずはその中身を詳しく検めなくては。むろんこれからわれわれも同行して検分させていただきますが、何か心当たりのようなものはありませんか?」

 問われるケティは、いかにも作ってる感じで小首をかしげて指を立て目線を上に向けて「うーん」と唸った。
 ちくしょうかわいいな、と才人は思った。左手が急に痛みを発した。
 ぽんと万引き少女が手を打った。

「ああ、そういえば!」
「おお、やはり」アニエスの双眸が鋭く光を放った。
「なんだか、血文字で名前がずらーって書いてる気持ち悪い紙きれがありましたわ、ありましたわ!」
「それだー!!」アニエスが興奮した。大手柄の予感に目が血走っている。

 怪気炎を上げるアニエスに隠れやれやれと嘆息しながら、才人はいよいよ間近に迫ったトリスタニア市門壁を見上げた。思えば一週間くらいでずいぶん色々なことが起きたものだとさめざめ思う。
 異世界に召喚され、少女の死に目に立会い、魔法使いを相手に大乱闘して、爆発オチで怖気づき、ほのかなあこがれを裏切られ、犯罪者の烙印を恐れ逃走し、有り金を全部なくしてヒッピーになり、森で野生の生活を経て左手の模様と会話して、あげくサディスティックな女の人に拾われ仲間にされた。
 箇条書きマジックも手伝い、才人は素直に思った。
 俺すげえ。なんていうか、意味がない方向ですげえ。
 喉元過ぎればなんとやらで、乗り越えた今振り返れば、それらの日々もなんだかいい思い出になるような気がしてきた。いずれ元の日本に帰り、再び日常に埋没し、やがて長久かがなべ、異世界の出来事を思い返すこともなくなったころ、昔語りをするように孫か何かに話すのだろう。
 おじいちゃんはな、むかしファンタジーな世界にいったことがあるんだぞ。そこにはリアルツンデレとかがおってな……。ママおじいちゃんまた左手を相手に妄想を恥ずかしげもなくベラベラ喋ってるよ、はやく死ねばいいのに。みたいな……。
 才人がそんな微笑ましい現実逃避に没頭することを、許さない流れがある。彼らの向かう先である市門で騒動が持ち上がっていた。見れば、体つきの細く神経質そうな中年の女性が、門に詰めている兵士になにやら詰め寄っていた。

「ですから! この女性がかの悪名高き『土くれ』のフーケだといっているでしょう! はやく牢獄なり裁判所なりに送ってしまってくださいな!」
「そう言われましても、はっきりとした目撃者も証拠も盗まれた物品もないというのでは……、昨今じゃ冤罪も色々と増えてましてマスコミの目が厳しく、一存でそのような重犯罪者をかってに捕まえて名を挙げてしまうのも内外に問題が生じたり……、ええと、ミセス・シュブルーズ? ご理解いただきたいのですが、われわれの職務はこの門の警護と入市の検察です。犯罪者の護送をなさっているのでしたら、あなたがたの魔法学院には元々衛兵が詰めておるはずですが」
「それが! 役にたたないから! われわれ教師が自らこうして足を運んでいるのですよ! いいからもう貴方の上司を出しなさい!」
「ま、まあまあミセス・シュブルーズ」同僚の剣幕に腰を引きながらなだめるのは、コルベール先生である。「実際彼のいうことも正しい。手続きといってもさして手間のかかるものではないのです。それにここまでの道中ろくろくミス・ロングビルからの事情聴取もできませんでした。学院のことを報告するにせよ、ここは一度どこかで宿も取って……」
「だまらっしゃい! このハゲ! 日和見はもうたくさんです! わたくしには家のローンがあるのです!」
「ハゲ! なんですと! わたしのどこがハゲだと? あるでしょう、髪! ここにあるでしょう!」

 やいのやいのと交わされる押し問答である。残りの教師二人はなんだかナアナアな感じで「困りましたなあ」「いやはやまったく」とばかり、既に傍観を決め込んでいた。
 アニエスが辟易しきった様子で渋面を浮かべ、ケティは挙動不審になって才人の背に隠れた。

「また『フーケ』だと?」アニエスが眉根を寄せる。
「あわ、あわわわ」ケティがてんぱる。

 そして才人は、見覚えのある顔をふたつほど集団に見出して青ざめる。コルベールとかいうあの先生はまだいい。問題は、

「ん?」

 と視線に気づいて振り返った真フーケである。いっかな進展しない貴族たちの滑稽を、にやにや見つめていたその頬が才人を認めるやかすかに歪む。
 才人は彼女を騙し討ちにしたまさにその当事者である。
 ついでにいえば、大勢のメイジに対して暴行に及んだ慮外な平民でもある。フーケはそのことを知っている。というか才人が半ば自分から暴露した。
 そして実際のところ瓦礫駆除をしていた彼女を捕まえようといいだしたタバサの思惑は、図書館からの書物接収の罪を押し付けるためである。そのへんの裏を何も知らず気絶から起きて朦朧とする頭で『彼女のゴーレム。あれは城下で噂になっている犯罪者のものである可能性がある。確かめたほうがよい』というたったの3センテンスに納得したのが誰あろう才人であった。
 であるから、当然あのでっかい土人形を操っていた女性がどういう罪を犯していたのかは知らないし、コルベールにその旨の説明を求められても才人には何も話せない。というか、そもそもあの学院に居合わせた貴族と顔を合わせている時点でまずい。
 やっべえ、と才人は思う。
 ほらね、とフーケは嗤う。
 彼女の頭の中には、瞬時にして「狂ったオールド・オスマンに暴行されそうになったところを眠りの鐘で反撃したがかなわずそこをさらにあの平民のボウヤも一緒になって十八禁展開になった上泥棒の罪を着せられた」的な言い訳が思い浮かぶが、そうした詭弁を使うまでもなく、状況は彼女へ味方した。

 才人とフーケの視線が合ったその刹那、運命のもぐらが門前の土中からひょっこりと姿を現したのだった。

 微妙にぬめった茶色の毛並み。つぶらな瞳に大きい手。正直ドットの使い魔としてはもったいないほど高性能なジャイアントモール。いわずもがなギーシュ・ド・グラモンのつい最近召喚されたばかりの使い魔、ヴェルダンデの巨体である。

「でけえ! なにあの超でけえもぐら! あんなんまでいるのかよ! あのレベルのもぐらが地面掘りまくったら地盤沈下しまくりじゃねえか!」

 といまだに未練がましく無粋な方向で驚くのは才人だけだった。各人の目線は、巨大もぐらそのものよりも、もぐらに背負われた土まみれの主人へと向いている。

「あれは……、ギーシュさま!」としゃがんだまま叫んだのはケティである。
「げっ」とうめくのは才人。

 一瞬何かを逡巡しながらも、満身創痍のギーシュを見ると、ケティはすぐに駆け寄って怪我の具合をあらためようとする。顔面血だらけ自慢の金髪も土だらけ服は砂利まみれの姿を見て、「これはひどい」と呟きながら、

「お医者さま! お医者さまはいらっしゃいませんか! もしくは水メイジのかた! 水ポケモンでも可です!」と叫んだ。
「ここにいるぞ!」と歩み出たのは空気だった学院教師の一人である。一瞥するやギーシュの症状を看破して、「なんだかすり傷じゃないか。ほら、頭から水をかければすぐ起きる。きみは離れたまえ」

 さっとケティが離れるや、間をおかずざんぶとギーシュの全身が水をかぶった。うめき声をあげながら薄目を開けたギーシュが、捜し求めた下級生の姿をおぼろに捉える。

「……ケティ? ケティなのかい? ああ、よかった。きみは無事だったのか……」
「ギーシュさま……」

 キュンとするケティである。なんで地面から登場して怪我しているかはわからないが、起き抜けに名前を口にされて悪い気はしない。これでなかなかケティも未練がましいところがあるのである。
 だがその胸キュンも、くわっと目を見開き叫んだギーシュの言葉を聞くとすぐ消し飛んだ。

「そうだ! 寝てる場合じゃない! モンモランシー! モンモランシーがさらわれてしまった! くそっ」
「……」

 ケティは抱き起こしかけたギーシュをすぐ地面へ放り出した。

「なんですと?」とコルベール先生が聞きとがめる。「どういうことかね? さらわれたとは……、それにミスタ・グラモン。その怪我は一体?」

 他方、また厄介ごとか、と内心うんざりしつつ、趨勢を静観するフーケである。タイミングを逸したが、さてどうやってここから逃げ出してやろうか、まずはあの平民の暴力事件をネタに脅して――

「フーケです! 『土くれ』のフーケと名乗る賊が、モンモランシーをかどわかしたのです、先生!」ギーシュが全力で訴えた。

「えっ」素で『土くれ』のフーケ当人が目を丸くした。

「『フーケ』?」とコルベール先生が問い返す。心なしかその声色に真剣味と、そしてわずかな安堵がまじる。「なんと、きみは『フーケ』に出会ったのかね、ミスタ・グラモン? しかもそれがミス・モンモランシを拉致したと」
「そうです、先生!」ギーシュはひとりだけテンションが違っていた。「すぐに官憲に……、いや、この手で、必ず彼女を助けなければ。ああ! モンモランシー!」
「これは……、どういうことかしら?」シュブルーズ先生が話が違うとばかり、『ミス・ロングビル』を見やった。「彼女が『フーケ』だったのでは? まさか、コルベール先生のおっしゃる通り、あの呆け老人……」

 盛り上がるギーシュをよそに、学院メイジ一同は混乱と困惑に包まれた。徐々にオールド・オスマンの正気へ疑心を深めていく輪を後にして、ケティは唾は吐かないが口で「ぺっ」と言いながら砂を蹴飛ばし、才人・アニエスの元へ戻ってくる。

「なんかー、もうどうでもいいって感じですねー、ここはもういいからはやく宿へ行きませんかー」すでに態度が投げ槍だった。
「わたしは構いませんが」アニエスが思案げに呟いた。「なにやら事態が昏迷してきたもようですね」
「どぅおーでもいいですわ!」ケティが頬を膨らませた。「ちょっとミス・モンモランシが誘拐されただけじゃないですか。貴族が身代金目当てに誘拐されるなんて珍しいことじゃないですし、わたくしたちには関係ありませんっ」
「そ、そうだな、うん、なんかよくわかんねーけど、俺たちには関係ないみたいだし、行きましょうか」一も二もなく賛同した才人は、さっきからフーケの視線が怖くてしょうがない。ギーシュとも目を合わせない。

 率先する二人に引かれて、あまり目立ちたくないアニエスも、いいかげん市内へ入ることを決めた。門の衛兵はすっかり学院関係者から興味を失って、雑談や税の取立てに熱意を燃やしている。
 才人はこそこそと一団をやり過ごすべく、身を縮めて歩き出した。が、そうは問屋がおろさないとばかりに、フーケが自由になる足で彼を転ばせる。ルーンの補助もなく無様にすっ転んだ才人の顔を何の気なしに見たコルベール先生が、おやっとばかりに眉を上げた。

「きみはミス・ヴァリエールの? なぜこんなところに。帰ったのではなかったのかね」「いやそのこれはええと」「それよりも『フーケ』を!」「というか結局ミス・ロングビルはなんなのですか?」「泥棒?」「いやでも、こうなると学院長がマトモかどうか怪しいですし」「平民さんなにやってるんですか! おいていっちゃいますよ!」「ん? あれ、おまえアニエスじゃないか。戻ってきたのかよ」「誰のことだか知らないが人違いではないかな。わたしはアニエスではなくマ二工ヌだ」「それよりもなによりも、学院のことを報告すべきだと思うのですが……」「生徒がさらわれているのですぞ! 『それよりも』とはなんですか」「いやいやだからそれはイッツノットマイジョブというやつで」「ぼくが不甲斐ないばかりに、モンモランシー……」「まったく、わたくしにはまだ家のローンが。ローンがあるというのに」

 好き勝手喋りだした一同を、覚めた目で見る女がひとり。誰あろう彼女こそ、今後の身の振り方と、起きている状況と、どう動くべきかを、ゆっくり考えにまとめた世紀の大怪盗『土くれ』のフーケさんである。このままむざむざ囹圄の人となる気はないフーケは、イニシアティブを取るべくして、『ミス・ロングビル』の仮面を再び被りなおした。

「みなさん!」

 腹の底からの大声である。ぴたりと紛糾する平民、メイジ、教師、生徒が口をつぐむ。彼らの意識は自然フーケへ吸い寄せられる。
 見るものを安心させるような微笑を浮かべると、彼女はいった。

「とりあえず、宿でも取って考えをまとめてはいかがでしょう?」

 この提案に、異を唱えるものはいなかった。

 000

「あー気分わっるいですわー」

 いまだにブツクサ言いながら、ご機嫌斜めなケティが漆喰風に偽装された壁をパンチで砕く。凹型の空間から『ロック』をかけた木箱を取り出し、さらにそこから巨大な布袋を取り出した。違法メイジからの収奪物である。
 アニエスは早速真剣な表情でその中身をあらためる。才人は手持ち無沙汰で立ち竦んでいた。その表情は優れない。
 入市後、すぐに一行は、コルベールら教師四名、ならびにフーケ、そしてギーシュの六名とは、ケティが無愛想に連絡先を教えただけで別れていた。べつに同道する理由もなかったからである。勝手に失踪したケティは本来ならば説教のひとつも食らっている立場なのだが、皆彼女ごときにリソースを振りまいていられる余裕はなかったらしい。結局お咎めなしにスルーされていた。

「うう」

 うめく才人である。その脳裏には、別れ際のフーケの言葉と邪悪な笑いがこびりついて離れなかった。

『協力しなかったら、あんたも道連れにしてやるよ。わかってるよねえ、「平民の英雄」さん?』

 一体何がどうなっているのか、事情はわからないが、激しく危険な雰囲気を感じ取っている。これ以上あの悪女っぽいお姉さんに関わるべきではないと、才人の六感が囁いている。ついでにいえばそれはアニエスからもケティからも感じ取っているのだがもうどうしようもない。武器を持ったときの武力以外、彼はただの少年に過ぎなかった。

「……あった」

 苦悩する少年の横で、鼻息の荒いアニエスがくだんの連名血判状をとうとう見つけ出した。爛々と目を輝かせて羊皮紙に記された名前を吟味しはじめる。が、すぐに困惑気味に眉がひそめられた。

「元貴族が多いな。当たり前か。しかし、これだけでは大手柄に、なりうるか?……いや、廃絶されていない実家を探し当て、これをネタに強請るか。あるいは政敵の多い貴族に売るか。さて、乗ってくる輩はいそうだが……」
「なんだかぶっそうなことおっしゃってますけれど、どうかわたくしを巻き込まないでくださいね」

 他人事のように呟くケティ。元凶が自分であるとは、わかっていないようでわかっている。なので、奪った貨幣を仕分けして、すでにどこかへ放棄することを決めていた。金は重要だが度を越えた固執は命を奪う。そこを本能的に理解している少女である。一枚いちまい、残った貨幣を床に並べていく。

「エキュ金貨が一枚、スゥ銀貨が二枚、ドニエ銅貨が五枚、エキュ二、三枚、スゥ四、五、六枚、なんか知らない銀貨が一枚………………え゛?」

 よどみなく動いていた指が、一枚の、真新しい銀貨をつまんだ瞬間、停止した。
 ケティも止まった。
 心臓だけが、急激に彼女の内部で激しくビートを刻む。震えるぞハート。ごくりと唾を飲み込む。はばかるように黙考するアニエスの背を見、腕組み首をひねる才人を盗み見る。二人の意が自分にないことを知りながら、つぶさにその銀貨を確かめる。

 あら、通貨にこんなのあったかしら? ええ、ないわ。見たことないわ。じゃあ新スゥ銀貨? 知らないうちに施行された? いやいやないない。ないはず。じゃあこれはなにかしら。っていうか、なにかしら。そもそもこの肖像画、誰の? 先代陛下? アンリエッタ殿下? そんなバカな。だって男のひとじゃないですかーこれえ。ふふふ、ケティったらおちゃめさん。というかわたくし、これ、もう何回か、買い物に、使ったような……。だって、結構な割合で入ってるし……。ええ、なんで今気づくの。なんでもっと早く気づかなかったの? これ、なに? あれ? あれなの? もしかして。頭に「ニ」がついておしりに「セ」がつくあれ? 落ち着いて、落ち着くのよケティ。まだ慌てる時間じゃないわ。こういうときは、クールにならなくては。落ち着いて、

 ――確かめなくちゃ。
 体温を軽く一度下げたケティは、青ざめつつも呪文を唱え、杖を振る。

 結果は。
 かんぺきに黒だった。

 どごお。
 ケティが床に突っ伏した音である。

「ぎ、ぞ、う、こ、う、か」

 しかも間違いなく『錬金』で作られている。トリステイン国法に照らせば、れっきとした重罪である。造幣大権は国王その人の直轄下にあり、トリステインでは一部の大公や大司教を除いて、独自の貨幣流通は許されていない。王位不在の現状では実質機能していない権利である。
 またたとえ許諾を受けたとしても、既存のエキュ・スゥ・ドニエの規格から大きく逸脱することは許されておらず、含有量はたいてい据え置きである。ここ数十年で新たに流通が認められた新エキュ金貨も、人口に膾炙するまでにはさまざまの紆余曲折と血で血を洗う政争が、その裏にあったとまことしやかに語られている。
 ハルケギニアでは、実に先進的なことに国際通貨制度が運用されている。詳しいことはともかくそうなっている。
 そしてだからこそ、その鼎を脅かすようなまねをした場合、問答無用でアレである。アレ。恐ろしくてケティは関係代名詞をつかわずにはいられない。

「『ディテクト・マジック』?」アニエスが目ざとく気づく。「ミス・ロッタ? 何をなさっているのですか」
「なななな、なんでもごごご、ごーごーごー」杖を取り落とすほど取り乱しながら、ケティは首をぶんぶか振った。

 説得力が皆無である。彼女の手元を眺めたアニエスは、ひょいと一枚の見慣れぬ硬貨をつまみあげた。
 その顔が凍りついた。

「……ミス・ロッタ? これは」
「あーっ、あーっ、きーこーえーまーせーんーわー」耳をふさいで、ケティは暴れた。
「贋貨では?」
「ぎゃおー! たーべちゃーうぞー!」ケティは壊れた。
「これ、使ったのですか?」
「うわーん!」とうとう泣いた。「わざとじゃないの、わざとじゃないのぉ! だって、混ざってたから気づかなかったんですのよ! わたしも、お店の人も!」
「それは……、不幸中の幸いというか」アニエスがことの深刻さにおののいた。「いやしかし、このご時世に……、偽造貨幣を流布したとなると……」

 あまりの醜態を見咎めて、才人がのんきに口を挟んだ。

「なんかまずいんですか?」
「死罪だ」アニエスがためらいもなく言い切った。
「言わないで!」ケティがいやいやした。
「まあ、ばれなければどうということはないが。とはいえ、魔法で貨幣を偽造するのも、あまつさえそれを使用するのも、重罪には変わりない」慰めているのかとどめかわからないアニエスの言葉だった。「とくにメイジの場合、コモン・マジックである『ディテクト・マジック』を使えば防げる被害だからな。店側にも咎めはあるだろうが、支払の際に顔と名前を覚えられている可能性が高いから、ミス・ロッタに司直の手が伸びることは充分ありうる」
「ひいいいい」ケティが脅えきった。

「え、魔法でお金つくれんですか?」
「つくれる」アニエスが頷いた。「土の魔法に『錬金』というものがある。たとえばレンガを真鍮に変える……、そんな平民の理解を超えた業だ。もっともゴールドは、かなりの使い手でも少量変成させるだけで相当疲弊するというから、価値の暴落は免れているがな。しかし銀と銅はそういうわけにもいかん。もとより純粋に鉱物のみでつくられた貨幣などないから、市井のメイジでも造型に心得があれば誰でも硬貨を偽造することができる。その濫造を防ぐために、物質に対して魔力の有無を調べる魔法はかなり密に行われている。そのへんの店はともかくちょっとした大店で調べないということはまずないはずだが……、ミス・ロッタはどうやら上得意だったようだな。現場での露見は免れたというわけだ。もっとも、むろん目の前で探査すれば客の機嫌を損ねることになるから、今ごろは手配が行っているかもしれないが」
「どどど、どーしましょう!」涙目のケティである。

「そういや、お札もコピーしただけで犯罪だっけなぁ」と地球を懐古する才人である。
「とくに今は、貴族も平民も貨幣を用いた犯罪には神経質になっているからな。わりと洒落にならん」一言ごとに反応するケティを眺めながら、アニエスは続けた。

 才人のように紙幣経済を当然のものとして培われた感覚ではわかりにくいが、現在のハルケギニア経済の、少なくとも上流は金本位制(実質は金銀複本位制)を採用している。なぜここで上流に限るのかというと、貴族を除いた市民層に兌換銀行券の流通している気配がないためである。よって特にハルケギニアの『銀行制度』は、貴族ないし富裕層に偏重したものと措定して話を進める。地勢的に考えてもっとも制度が整備されているのはアルビオンだろうが、魔法とか空飛ぶ怪物の存在により、主要交通網と空路に限っては地球なみのインフラが成立しているだろうと思われるため、各国間ではさほどの差異はないであろう。
 現状では金貨:銀貨:銅貨の比率は10000:100:1。この比率からして、かなり造幣益が働いているだろうことは想像に難くない。
 かつ、近年鋳造された新エキュー金貨の市場価値は従来のエキュー金貨の三分の二。これは新金貨における金の含有量が減らされたことを意味する。いわゆる悪貨への改鋳であり、グレシャムの法則に従っていま市場には質の悪い新金貨が流通を始めているが、それでも比率は6666:100:1である。

 ところで、悪貨への改鋳といえば日本とはかなり馴染みが深い。
 よく知られている話だが、トクガワ幕府はエド時代にこれを繰り返しすぎたせいで小判、つまり金の価値が下落した。必然銀高目となって、開国寸前のニッポンでは銀貨の価値が国際相場の実に三倍になったのである。鎖国ゆえの、貨幣史上でも極めてめずらしい価値の乖離が起きだのだった。これが後の金銀の大量流出に繋がった。

 かように貨幣の改鋳は綱渡りの所業なのである。それはここトリステインでも例外ではない。先の貨幣比率で予測がつくとおり、いま国内のあちこちで明らかなインフレの兆候が見られている。

 参考までにいくつか例を挙げておく。たとえば十八世紀末期、ルイ十六世の統治下にあったフランスでは、エキュ銀貨は一枚で労働者五日分の賃金に相当した。また地球版アンリエッタことアンリエット・ダングルテールやルイーズ・ド・ラヴァリエールが生きた十七世紀中ごろに流通していた貨幣はかの有名なターレル銀貨だが、こちらはさすがにハルケギニアほどではなくともインフレの傾向が見られる。
 しかし、実のところ経済史上におけるインフレインフレした市場というのは、ほとんど現代かそれに準じた時代のものである。地球の中近世、特にヨーロッパでは新大陸の発見が物価を騰貴させたと言われるが、今日のインフレと比較すると子猫くらい可愛いものだ。(またこれは学説の一種であり、この時期のインフレは新大陸からの金銀流入のみならず穀物の収穫量に影響されたためである、とする説もある)
 重ねて余談ではあるが、先に挙げた十七世紀中ごろ、フランスはルイ十三世の治世ではちょうど金が騰貴して金銀比価の増加が問題視されていた。そのため1640年には貨幣改鋳令が発せられたというわけである。改訂された比価は14.00から14.50。これは当時としてはりっぱに革新的な試みであった。
 ではハルケギニアではどうなのか。

 まずトリステイン市民の月間消費がエキュー金貨にして10、つまりスゥ銀貨で1000枚になる。次にハルケギニアでの一ヶ月は四週間三十二日なので、週の消費は金貨で2.5枚だが銀貨で250枚。一週間は八日だから、一日あたり銀貨31枚と銅貨25枚の消費をしていることになる。
 秤量貨幣制度下とは異なり、いわゆる地金の『相場』と貨幣の『価値』は相関関係にあるがあくまで別物である。さらにおそらく貴金属の流通総量が違うのだろうから単純比較で換算するのは早計だが、それでも確かに言えることがある。
 銀貨三十枚で一日の生活費、金貨と銀貨の価値に百倍の差。
 贔屓目に見ても、金貨以外の貨幣で過インフレ傾向が生じている。なおかつ均衡を欠いた非常に不便な市場である。べつに実際そうなんだしみんなそれで生活してるんだからそうなんだでもいいとおもわなくもないが、それを言うと始まらなくなるのでしようがない。

「もともとはこんなではなかったんですよ」とケティは言う。ものを知らない才人に説明をすることで、彼女は精神の安定を得ようとしていた。「もう何百年もハルケギニアの物価は安定していたんです。金銀銅の比価もひじょうに市場に優しいものでした。ところが最近になって物価が高騰してしまい金は騰貴して……」

 そこで才人はついこの間、自分がコインでインスタントな凶器を作成したことを思い出した。あのときはせいぜい百円玉が三十枚ほどだったが、それでもコインケースはかなりじゃらじゃらと重かったのである。金の比重は19.3。そして銀は10.5。もっともコインはだいたい3グラム前後が相場だから重量の面では心配は要らないかもしれないが、

「これをいっつも持ち歩いて使うのって、かなりめんどくね?」

 携帯性と利便性。生活必需品としてはなかなかバカにできない点で問題がある。
 ケティは呆れた顔をした。

「いつも持ち歩きはしませんわ。思慮ある貴族はきちんと銀行と手形を使います。もっとも、ご自分の魔法に自信があるかたは厳重に金庫を設けてしまうそうですけれど……。でも、そういうかたはだいたい銀行業務もはじめちゃうそうです」
「平民は?」
「さあ」
「銀行など使えるわけがない。アレはもともと貴族か、それに準じる商人のためのギルドだ。魔法が絡むしな」アニエスが口を挟んだ。「だから給金は誰にも見つからないよう保管するか、それが難しい場合ある程度合同して出納簿をつけ管理することになっている」

 才人が首を傾げて言を差し挟む。

「それも、一応銀行じゃないんすか?」
「そうともいえる」アニエスが頷く。「ただし、魔法が介在しない以上不安な面は残る。特に、メイジの犯罪者相手には平民の金庫など心もとない。おまけに特定職をのぞけば金貨は平民にまではあまり回ってこないから、全体量はかさばっていく一方だ。羽振りがいいのは、そうだな、鍛冶屋か肉屋、賭場くらいか。金庫はどんどんかさを増やさねばならないというわけだ。そうなってくると数も数えられない平民はそれができる者の食い物同然だ。だから揉め事は後を絶たない」
「うげ。平民の中でもそんな感じなのかよ」

 貴族嫌いが板についてきた才人へと、アニエスが頷いてみせる。
 ケティは「ふむん」と数秒沈思し、

「弊害はそれだけではありませんわね?」
「むろんだ」アニエスはいった。「いちばんいただけないのは、月末に支払われた給金が次の月末には元々の価値がだいぶ失われてしまうことだ。物価というのか? とにかくそれが上がり続けているから、そういうことが起きてしまうらしい……わたしも理屈はよくわからん」
「そうすると、結局現物支給が好まれるようになってしまいますね……バーター経済に戻っちゃうから……」ケティが唸った。「結果、下層で貨幣離れが起きて上流との落差がますます大きくなっちゃう。物流も滞る」
「まあ、そうなるよなあ」

 辟易した顔で才人は呟く。詳しいことはともかく、物々交換では流通の効率が悪すぎるということくらいは彼にもわかる。
 どうやらかなりバランスの悪い市場である。
 こうなるとハルケギニアでの金相場自体が特殊である可能性が浮上する。しかし銀貨との比率が百倍であることを考えれば、ゴールドがじゃんじゃん取れるお国柄とは考えにくい。むしろ銀がじゃらじゃら取れて、銅がそれ以上にバリバリ採れる土地なのだろう――と、直截的に考えれば帰結するが、実態はおそらく違う。
 先述したとおり、貨幣は必ずしも純金や純銀と同一視されないためだ。また、この世界では銀や銅が貴金属ではないかもしれないという可能性も低い。もしそうならばそもそも貨幣に採用されないだろう。と、才人はない知恵を絞って考えるのだが、そもそも『錬金』の魔法なんてものがある時点で、そのあたりを常識に照らし合わせることに無理があるのには、まだ魔法に対して無知であるため気づかない。
 そのあたりを鑑みてハルケギニア金銀銅相場の様相を推察すると、銀貨や銅貨といった小額貨幣において、いま現在深刻なインフレーションが起きているという結論に至る。

 極端すぎる例ながら、メジャーどころでは1923年、ハイパーインフレ下にあったドイツの状況に近い。この頃のドイツは年始に二百五十マルクだったパンが年末には四千億マルクになるという、ギャグとしか思えないのに笑えない事態に陥った。ドラゴンボールでいえば初登場のヤジロベーから一年で超ベジット百人分くらいにまで戦闘力インフレが生じたのである。
 さらには百兆マルク札という、こども銀行よりもスケールのでかい紙幣が刷られたりもした。このバカ騒ぎを収束させたレンテンマルクが『アンビリーバボーだ』という評価を受けたのも無理からぬことだった。
 そのさらに上を行くのが同時代のハンガリーで、こちらは物価が一年間で380ジョ(なぜか変換できない)倍になった。ジョとは命数法で垓の上穣の下。
 ゼロを数えようとするといらいらするほどの単位であった。まさにゼロの使い魔である。あと最近ではジンバブエがタイムリー。いまいくらなんだろう。

 そこまでいったらもう奇跡頼みでもするしかないが、しかしドイツなみとは言わないまでも、ハルケギニア流通貨幣はいま湯水のごとくちまたに溢れている。だからこそスゥ銀貨がエキュー金貨の百分の一しか価値がないという市場が成立するのだ。
 そろそろ原作がどんな話だったか忘れてきているかもしれないが、今回はもうこういう路線だと割り切ったほうがいい。なんなら女性キャラの一人称をわっちにすることもやぶさかではない。
 とまれ、それではなぜこんなアンバランスな貨幣状態になったのか。
 新金貨が三分の二エキューというかろうじてマシな体裁を保っているのであれば、諸悪の根源、悪貨はスゥ銀貨とドニエ銅貨にこそあると演繹できる。では、いったいなにがどうしてこんなことになったのか?

 というようなことを、才人はアニエスに尋ねてみた。

「しらん」アニエスの脳は途中で思考を放棄していた。教育を受けているとはいえ出は平民。彼女はひとけたの掛け算でやっとだし、七の段で涙目になるほどの萌えキャラであった。
「それはですね…」そこで顔を突っ込んできたのが目立ちすぎのきらいがあるケティであった。「じつは、ちょっと前まで周辺各国、とくにトリステインでは、少額貨幣がふそくしていたのです。今とは正反対の状況にあったわけです」

 なぜかといえば、平民層に『貯蓄』の概念が広がり始めたせいである。
 それにより小銭の流通がだぶついて、市場の価格設定がわやくちゃになった。
 現代的に言い換えれば、釣り銭も含めて世の中から小銭がなくなった状態を想像すればいい。非常に買い物がしにくい経済状態になってしまったというわけである。

「それだけで?」それだけでも馬鹿にならないのかもしれないが、才人にはぴんとこない。
「トドメに、隣国のアルビオンで内乱がおきたせいもあります」ケティの注釈が入った。
「りんごくって、外国じゃん。為替市場もないだろうし、ああでも、国債はあるかもしれないのか……、にしたって、物価はともかくお金はそこまで関係ねーだろ」
「ありますよ。だってエキューもスゥもドニエもハルケギニア共通貨幣ですもの」
「……ん? んん?」
「そのへんは深く考えると面倒なので気にしないでください」ケティはこほんと咳を口にだして、「内乱とゆーのはとにかく利権をばらまいて味方を増やさなくてはいけません。それでもってへたな対外戦争よりも戦費がかかるんです。なにしろ地元なので適当な大本営発表がしにくく、国民にはもろに負担がやって来ます。また当然国家がにぎってる貿易も先細り状態になってしまいます。戦時国債も発行されましたが……現政府である王党派が劣勢なので、もう紙切れ同然です」

 地球・西洋での公債の概念は近世の幕開けとほぼ同期しており、ここハルケギニアで存在していてもおかしくはない。ただまあ、おかしくないだけで色々ぶち壊しではある。

「でも、ほら、それなら軍需景気ってのになるんじゃねえの」
「は?」平民から軍需景気、などという単語が飛び出してきて、ケティは面食らう。「ああ……。いえ、ちがいますわ。それは一時的にドラッグできぶんがハイになるようなものです。根本的な景気の回復とはぜんぜんちがいましてよ」

 ファンタジーなのに難しいな。才人は顔をしかめてうなった。

「そういえば、日本も同じようなことしたってじいちゃんが言ってたな」
「あの国はなぜか浮いて動くので交易にかなり頼っていますけど、それと同じく、商売をするお金持ちが多いんです。それが軒並み差し押さえられてしまったので、経済は混乱状態にあるというわけです」
「ふうん」才人もだんだんわけがわからなくなってきた。
「日本語で話せ」アニエスの脳はますますこんがらがっていった。

 ケティは続ける。

「さらにさらに、決起した貴族派においつめられた王党派同様、貴族派もとちくるったのか皮算用で空手形を連発したのです。具体的にはアルビオン内でしか通用しない不換紙幣を強引に流通させるという暴挙です。これがとどめになりました」

 西南戦争中の西郷さんも満州事変前の大陸軍閥も、戦費のために似たようなことをしてインフレを招いている。
 その二例に増して有名なのがアメリカ独立戦争でやらかした軍事費捻出のための荒稼ぎ。世に名高いコンチネンタルである。そしてフランス革命で発行されたアッシニャと呼ばれる不換紙幣。両者ともに年率1000%だとか780%の物価上昇を招いた。
 いまのアルビオンはこれらの例を足して二倍したくらいヤバイ状態だと思って構わない。
 実弾がなくちゃ戦争ができないのはどこの世界でも同じであり、そして本位制から離れた不換紙幣は管理通貨制度がととのってこそのものであるという法則は、ハルケギニアでも適用できるらしかった。

 またアルビオンの内乱では、両軍ともに傭兵を雇うために国庫から大量のお金をばらまいた。ただのクーデターならば根回しを万全にすれば、戦闘自体はすぐさま終わる。むしろ内戦を勃発させた時点で、たとえ貴族派が勝利してもクーデターは経営的には失敗なのだ。
 それどころか、今もなお王と皇太子は生き延びているという噂がまことしやかに流れている。さらにそれを仕留めるため、貴族派はやっきになって資金を投入していた。畢竟今やかの国では総計十万を越える傭兵がたむろしており、その維持と報酬のためさらに莫大な支払が発生するだろう。払えなければ、傭兵はセオリーどおり夜盗賊軍の類に落ちる。ますます国土は荒れていく。魔のサーキットであった。
 以上の要素を鑑みて、同国内の政情は今後十年単位で不安定になるだろうことが目されている。
 つまり貴族派が政権を立てても、それだけでは国が立ち行かないことは明らかなのだ。
 よって識者のあいだでは、アルビオンは続けてなんらかの行動を起こすだろうという懸案が広まっていた。
 もっとも可能性が高いのは、おそらく貴族派を扇動したのであろうガリアあるいはゲルマニアとの連合、もしくは併呑。
 次にありうるのが、アルビオンが唯一軍事的に優位に立てる国家、トリステインとの戦争である。
 国政の舵取りことカーディナル・マザリーニはまさにそのあたりを見越してアンリエッタの輿入れを推し進めているのだが、一枚岩ではないのが組織というものである。渦潮に翻弄されるがごときトリステインの運命とともに、ハルケギニア経済は今まさに混乱のただなかにある……。

「とお父さまがおっしゃっていました」

 聞きかじりらしい。
 頭をフル回転させた才人は、とりあえず自分なりに噛み砕いて結論を出してみた。

「つまり、やばくなったアルビオンの連中が質の悪い銀貨や銅貨を出しまくったせいでお金の価値が暴落した。そして不景気になった、ってことかな?」
「いえす」ケティが頷いた。「実例を挙げてみましょう。たとえば現在おおよそ2000エキューほどあれば庭付き一戸建てのお屋敷が変えるとされていますが、では一ヵ月後、二十万スゥでお屋敷が変えるかといえば否であるわけです。額面はお上が保証するのですけれど、それが市場の現実に対して適性でないと、銀貨での支払が拒否されてしまうというわけですね」
「最初からそう言え」アニエスも納得したようだった。
「といいましても、さすがにこの状態はそう長くは続かないと思います」とケティ。
「なんで?」
「いや、政府がほうっておくわけないじゃないですか……。だいたいもうアルビオンの内戦も収束しますし、悪貨につられて地銀の相場まで下落しちゃってるので、早急に手は打つはずです。もっともいつ、なにをどうするのかはわかりませんけど」

 中央と所領、それぞれの経済でかなりの格差が生じているのも問題だ。特に顕著なのは今年の豊作によって単価がすごい勢いで下がっている農作物である。末端ではまだまだ物々交換が成り立つので被害は少ないが、都会では価格の下落は深刻な被害に繋がる。そして先にケティが懸念したとおり、バーター経済は循環率が非常に悪いのである。
 流れが滞ると水は腐る。人離れが起これば経済も腐る。

「というわけでまとめです。具体的ないまのトリスタニアの、ある期間を区切って……、一年としますか。まず実質取得として市民純生産をちっちゃいユル(y)、物価水準をペオース(P)、ちっちゃいユルとペオースの積が大きいユル(Y)とします。次に経済全体の流通貨幣をマン(M)、これは市民の年間消費である120エキューと市民数の積を代入することにしましょう。最後に1ドニエ銅貨が移動する回数をダエグ(D)とするから、貨幣の流通速度は……」

 ケティは木炭を用い、なにやらごそごそと床に落書を始めた。対数を用いたそれなりに本格的な計算式である。才人も一応学校で習った範囲ではあるのだが、図形が違うこともありさっぱりわからない。
 アニエスは腕にじんましんが出始めたので天井の染みを数え始めた。

「ハルケギニアすげえ」才人も似たり寄ったりだった。「そんなのどこで習うんだ? もしかしてあの魔法学校で教えてるの?」
「魔法学院は魔法しか教えませんよ」ケティが文字を並べながらいった。ちなみにトリステイン魔法学院の魔法偏差値は48くらいだと思われる。その代わりトップはきっと70越えだ。「これはアカデミーから株分けされたトリステイン国立・魔法経済シンクタンク予備校の魔法通信教育で習ったのです」
「魔法って頭につければなんでも許されると思ってねーか」

 ブリミル歴6242年は伊達じゃないということだった。

「ともかく!」ケティが叫びを発した。「そういう状況なので! 偽造貨幣とか! ほんと冗談じゃ済まされないんですよっ! ねえっ、どうしましょうっ、ねえ! 正直に謝ったら許してくれないかしら!」
「あ、戻った」
「これである程度合点がいったな」アニエスは懐手してさもありなんとばかりうなずく。「道理で早々と撤退せずミス・ロッタを狙ったわけだ。『フーケ』を自称する連中にとってもこの贋金の露見は痛手というわけか」

 とそのとき、何気なく血判状を見下ろす彼女の瞳が細まった。合計十数名の署名捺印が記された羊皮紙上には、名前以外にも日付と場所の記載がある。日付はおよそ今から半年前。そして場所は、トリスタニア市内を貫流する河川のそば、倉庫街を示す住所である。

「とりあえず、ここに行ってみるか。おいサイト、準備しろ」アニエスは当然のように命じた。
「へーい」あ、考えないでただ人に言われたとおりに動くのって楽だな、と駄目な方向に開眼する才人である。
「うう、わたくしも、いくことにします」ケティがへろへろになりながら復帰した。「ともかくさっさとこの宿は引き払わなくては……」

 そこで一端チェックアウトを済ませ、一行は市街を歩き血判状にある向かった。迷った末、物証となりうる盗品の数々は、貸金庫屋に預けることになった。道中のケティはひたすら挙動不審であった。
 目的地にはさほど時間をかけず到着した。もともとケティが取っていた宿の客層は酔狂な貴族がメインである。大きな商会が軒を連ね日々市場取引が行われている区画は、河をはさんだ向かい側にあった。
 問題の倉庫は、周囲を占めるほかの建造物に比べると、いかにも貧相でこじんまりとした建物だった。名目は穀倉庫で、所有人の名義は『レコ☆スタ』とある。
 鉄製の扉には当然厳重に錠が施されていた。
 徐々に雲行きが怪しくなる空を仰ぎつつ、アニエスは一分に一回ため息をつくケティを無視して、才人に命じる。

「ぶち抜け」
「え?」才人は耳を疑った。
「静かにぶち抜け」アニエスが微妙に言いなおした。
「それは犯罪じゃ……」
「正義だ」そういうアニエスの口ぶりは、正義からもっとも縁遠い感じに、才人には見えた。近視眼的という意味では近いかもしれない。

 才人はため息交じりに鎖分銅を装備する。どんどんどつぼにはまりこんでいる気がした。だが憂いを吹き払うような熱が、武器を持った彼には灯るのだ。細かいこととか、気にしなくていいんじゃねえ? ノーフューチャー上等じゃねえ? 的なデスペラード魂に後押しされた才人は、まず分銅を思い切り投げつけようとしてアニエスにはたかれた。そういえば『静かに』『ぶち抜け』というオーダーである。

「ようし。そんじゃ」

 と、今度は鎖分銅を掌中に握ったまま、扉と真正面から組み合った。錆の浮いた鉄の冷たさが、末端から触れてくる。人智を越えた力を前に、些少の冷気はあまりに無力だった。
 才人は歯を食いしばる。
 腰から、思い切り、体を押し込んだ。
 乾いた、鈍い音がした。才人は手ごたえを感じた。
 さらに力を込めた。やがて限界を迎えたのは、扉ではなく木製の桟である。才人の頭よりも一メイル以上高い位置にある枠組みが悲鳴を上げ、軋み、歪み、拉げ、そして砕けた。ふいに抵抗を失してたたらを踏むが、あわやというところでアニエスが扉に手を添えている。

「……おまえ、なかなか使えるな」
「ど、どうも」思い切り呼吸を乱しながら、才人は複雑な顔で褒め言葉を受け取った。

 屋内には、水路から荷揚げされてそのまま搬入されたと思しき木箱がうずたかく積み上げられていた。かびの饐えたにおいが充満する空間を颯爽と進んで、アニエスはしばし周囲を確認する。地面に手をつき、箱に耳を当て、拳で表面を叩き、抱えて揺すり、一通り満足するまで検証を終えると、最後にケティを呼んだ。

「『ディテクト・マジック』を」
「……これの中身も、アレなんですか?」おずおずと、弱気ケティが問う。
「それは開けてみなければわかりませんが」
「じゃあ、アレだったら通報ですか?」
「それをしたらわれわれも逮捕されます」アニエスが当たり前のように答えた。
「え、じゃ、じゃあ、どうするんでしょう?」ぎこちなくも可憐に笑うケティが、脂汗を流して再度問うた。
「まず証拠を固めます」
「ええ」
「そして首謀者を探ります」
「ええ」
「次に首謀者に取引を持ちかけます」
「んん?」
「バラされたくなければいうことを聞け、と」
「それは死亡フラグです!」ケティが頭を抱えた。
「あなたにしても、それは同じことですよ。ケティ・ド・ラ・ロッタ嬢」アニエスが無表情に告げた。「ここまで関わった以上、あなたももはや部外者では済まされない。最後まで付き合ってもらう」
「えっ……」絶句して、少女は女を見上げた。上背の差、そして明度の不足が、平民の剣士の表情を隠していた。ケティは自分が怪物と話しているかのような錯覚にとらわれた。

 ケティは、ここでようやく、自分たちが頼りにしてはいけない種類の人に従っていたことに気づいた。後の祭りである。少年少女がしり込みする間に、復讐鬼はさっさとバールのようなものを用いて木箱を開封した。
 中身は、果たして、アタリである。
 
 匣の中には、例の銀貨が、「みつしり」と詰まってゐた――

「人生おわった」

 ケティがぺたんと尻餅をついた。震える声で、

「へ、平民さん、どうしま――あら? 平民さん?」

 振り返った先に、平賀才人の姿は影も形もなかった。







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