多くの人々は『レンネンカンプ』というVゲームを純粋に楽しむ
若しくは現実世界と違う膨大な時間を有意義に使おうと考えログインしていた
『レンネンカンプ』の世界で最も優れた『魔術師』と称された男も
好きな読書を思う存分楽しみ、ごろごろと昼寝をすることを目的としており
どちらかと言うとゲームより、『膨大な時間』に魅力を感じて
この狂った世界へログインすることを選択した口だった
■掛け違えた人生■
国防軍統合作戦本部第3戦略作戦室長、階級は若干28歳にして中佐
ヤン・ウェンリー准将のリアルでの肩書きはエリートと言って問題ないものであった
ただ、この人も羨む肩書きは望んで手にいれた物ではなく
30年弱の人生の中で起きた幾つかの躓きによって得た地位であったが・・・
最初の躓きは貿易商であった父親が急死したため
大学に通う学費のアテが失われたことであった
彼は当然その躓きから立ち直ろうとし、タダで志望する歴史学を学べる大学
日本共和国立国防大学戦史研究考察学科に入学する
入学後、最初の2年は順風満帆であった。好きな歴史がタダで学べ
実技は殆ど無く、学科の試験ばかりで卒業も楽々出来そうであった
しかし、3回生への進級を間近に控えた初春に突如所属学科の廃止が決定され
泣く泣く、国防大の花形学科の戦略作戦学科を余儀なくされる。
その後は、坂道の転げ落ちる球と同じような転落人生だった
もっとも、周囲の人間からは羨ましいほど栄達振りであったのだが
任官から間もなく起きたテラチト事変でロビエト連合国の海軍の一部強硬派が
小規模な艦隊を率いて南下した際、その地区の基地司令官の指揮下にあったヤンは
基地司令官以下、殆どの士官が逃走したあと
高速一漁離脱が可能な隣国から拿捕した漁船に民間人を乗せて脱出する
ヤン達の脱出行は大成功だった。基地から逃走した司令官たちが囮となって
ロビエト海軍強硬派の追撃を一身に受けてくれたお陰で
一人の犠牲者も無く、無事に安全圏へ退避することが出来た。
この成功と民間人を見捨てて逃亡した後ろ暗い事実を隠そうとする軍部の思惑によって
ヤンはテラチトの英雄として祭り上げられ、前例を無視した昇進街道を歩むこととなる
本当に欲しい物は中々手に入らない。人生とは中々にむずかしい物である・・・
■■
友軍の無残な敗北の報せが立て続けにもたらされる中
いったい、どこで人生のボタンを掛け違えたのか?
やむなく軍人になったときか、思わぬ武勲を立てることになったあの事件か?と
考え出したらきりのない不毛な思考の渦にヤンは呑みこまれていた
望みもしない軍人生活で盛大に溜ってしまった鬱憤を幾許か晴らすため
彼は仮想世界の悠久の時を利用して好きなだけ読書を愉しみ
ゆっくりと怠惰に過ごす予定だった
『先輩、思い悩んでいても仕方が無いですよ!どう足掻いても避けられない事態なら
より良い方向に好転させるため努力をしたほうが、よっぽど建設的だと思いませんか?』
「私はとんでもなく不幸だね。仮想世界に来てまで軍人なんかしなくちゃらないんだから」
後ろ向きな思考にどっぷりと漬かろうとしたヤンを無理やり引き上げたのは
現実世界で彼の後輩でもあり、国防軍に所属するアッテンボローであった
彼もヤンと同じように膨大な時間を利用として『共和国荒廃記』という
ご大層な題名の自著を執筆するためこの仮想世界に来ていたのだが
デスゲームが始まって以後、『あの髭面に一発ブチかましてやる』とばかりに
本来の目的そっちのけでゲームクリアを目指して一直線であった
『仕方がありませんよ。先輩が勤勉にでもならなきゃ何とかならないほど
いまは最悪に近い状況なんですから、このまま手を拱いてパエッタ司令官殿に
お任せしていたら、先にやられた第4、第6と同じ轍を踏む事になりますからね』
どうやら、お祭り好きの後輩は怠惰な尊敬する先輩を怠けさせる気はさらさらなく
始まったばかりのこの狂った祭りに盛大に巻き込む心算のようであった
■■
まったく面白くない事ではあるが、アッテンボローの言ったことは正しい
薄っぺらな知識で作られた机上の空論で作られた三方位からの包囲殲滅作戦は
指揮する兵の錬度を全く考慮しなかったせいで見事にご破算
既に三方の内、ニ方を担う友軍は敵司令官の芸術的な采配で壊滅している
正直、『最悪に近い状況』から戦況を引っくり返すのは並大抵のことではない
だが、完全に不可能と言う訳ではないことも事実だ
それに、私が強制的に戦場へと突然ワープさせられたせいで
不安な顔をさせてしまった被保護者を安心させてやるためにも
どうにかして、その困難を克服して元の場所にも戻らないといけない
これは現実以上にやることが多いな、こんな筈ではなかったんだが・・・
■
現実での苦悩を仮想世界でも味わう『魔術師』は
最悪に近い状況を少しでも改善するため相手に憎まれる
『三度目の忠告』を行うのではなく、ある作戦を同盟軍共有フォルダに保存する
それは、戦力分散さえしなければ全く使う必要のない作戦であった
こうして、全ての手札は出揃いアスターテ最後の勝負が始まる
■戦いは終わりへ・・・■
遂に、ラインハルト率いる帝国軍とパエッタの率いる同盟軍が激突する
帝国軍は殆ど無傷の120万、一方の既に一軍を残すのみの同盟軍は90万
既に戦力比は開戦前と逆転し、士気の上でも帝国軍が圧倒的に有利
この状況で、同盟が有利に戦局を動かすなど到底無理な話であった
開戦間もない段階から帝国軍は押し捲りで、確実に同盟の戦力を削り取っていく
そんな攻勢の中、パエッタを含めた最高幹部の一部流れ矢で負傷したため
全軍の指揮権は負傷していない者の中で、最高位の副参謀長ヤンへと移譲される
指揮権を得たヤンが先ず行ったのは、敗北の回避を全軍に約して鼓舞し
開戦前に共有フォルダに保存した作戦を開くよう指示することだった
戦闘最終局面で魔術師は初めて魔法の杖を振る
■
『もう少し勝ちに行こうか、キルヒアイス!ヘインに連絡をしろ』
『はい、ラインハルト様。中央突破を為されるのですね』
自らの意図を正確に読み取った聡明な親友に満足気に頷くと
より完璧な勝利を求め、既に寡兵となりつつある同盟軍の中央突破を図る
その先陣を切らせるのはこの戦いで信頼にたる働きを見せたヘイン
■■
『ヘイン!総司令部からご指名だ。中央に兵を集めて一気に
敵陣の中央突破を図るらしい。私達に先陣を切れと言っている』
おいおい、先陣って簡単に言ってくれますけど一番危ない役回りだろ!
こっちはもう危ないのは勘弁なんだよ。せっかくこのままジワジワと押していけば
無難に勝てそうなのに、なにに挑戦しようとしてるんだよあの金髪は!!
「戦況甚だ優位に候、反包囲陣形を維持しつつ軽挙妄動を慎み敵に当たるべし
こんな感じで金髪が好きそうな言葉を使って命令拒否る返信を送ってくれ!」
まったく、調子に乗って最前線で『我が最強の魔法剣をとくと味わがいい!』
なんてガキくさいことやれるのは、絶対安全なVゲームや妄想の世界だけだ
『総司令部からの返信だ。[命令に変更なし、ブジン大将の勇戦を望む]
随分と期待されているじゃないか。安心しろ横に私が付いていてやる』
やっぱり、あの金髪と赤髪コンビ、人の言うこと聞かなさそうだからなぁ
もうごちゃごちゃ考えても仕方ないか・・・、畜生!!ヤケクソでやってやる!!
「全軍突撃だ!敵の中央を突破する。一気に突き抜けるぞ!!!」
■
優勢を駆って中央突破を一気に図り勝負を決めに掛かった帝国軍は
先陣を切った食詰めの大活躍とヘインの少しの活躍もあって
同盟軍を中央から真二つに分断するのことに成功する
この瞬間、帝国軍は金髪を初めとする天才からヘインを含む凡人まで
自軍の勝利が決定的になったと認識を一つにする
だが、この認識は決して間違いではなかったが、正しくもなかった
この中央突破が、魔術師が仕掛けたトラップを発動させる最後の鍵だったのだから
■■
『勝ったな・・・、ヘイン達もよくやっているようだ』
『はい、ラインハルト様』
「なんとか上手くきそうだ・・・、アッテンボローも良くやっている」
両軍の指揮官が戦況を見つめながら呟いたのは、ほぼ同時刻
帝国の中央突破が完全に成功した瞬間だった
この瞬間から、帝国に傾きすぎた勝利の天秤が、少しだけ同盟へと戻る
「よし、このまま全軍左右に分かれたまま前進して敵軍の後背に回れ!」
ヤンの作戦の下、左右に分けられた同盟軍はそのまま直進したのち旋回し
中央を突破した帝国軍の後背に喰らい付いたのだ
戦略的に各個撃破した敵を、更に戦術的に二つに分断して各個撃破するという
芸術的とも言える戦法を採ったラインハルトであったが
その思惑は既に同盟の魔術師によって完璧に読まれ、それに対する手まで打たれていた
開戦からこれまで同盟軍の予想を常に上回り続けてきたラインハルトという構図が
ここに来て初めて崩れ、帝国軍全体に動揺が広がる・・・
『くそ!してやられた。ヘインはこの事を読んでいたというのか!!』
『ラインハルト様、今は前進するしかありません』
『その通りだ。このまま前進して我々も同盟の後背に喰らい付く!』
完璧と思われた作戦を敵将に読まれ強かに逆撃を受け
激昂しかけたラインハルトであったが、全てを読んでいたヘインに
これ以上醜態を晒して失望されたくないというプライドからか
直ぐに冷静さを取り戻し、最善手を迷うことなく打ち、軍の動揺を最小限に抑える
数時間後、帝国軍と同盟軍は奇妙な陣形を作って戦っていた
まるで、お互いがお互いを呑み込もうとする二匹の蛇が作る輪のような陣形で・・・
■無茶な戦争イベント■
ヤンの魔術によって戦線は完全に膠着し、消耗戦が始まっていた
そんなか、戦闘時間が規定時間を越えたのか、
両軍の武勲やら損害ポイントやらが規定数値に達したせいか
よく理由は分からないが、デスペナなしでの撤退が選択可能になったことが
メールで知らされ、それを受取ったラインハルトとヤンは迷わず撤退を選択する
彼等は無益な戦闘を好む殺戮快楽者ではないので
不毛な消耗戦を続ける気は無く、この選択は当然だった。
同盟軍170万、帝国軍30万・・・、両軍あわせて200万人のプレイヤーを
動かず物言わぬ木偶に変えて、アスターテの死闘はようやく終わりを迎える
■
多くの人々を無理やり巻き込んだアスターテの死闘は終わったが
残念な事に、この狂った戦争イベントはこれでお仕舞いにはならなかった
『レンネンカンプ』での戦争イベントは以後もルールの大半が不明なまま
何度か発生する事になり、多くの人々に恐怖を与え続ける
初めての戦争イベント『アスターテの死闘』で分かった事実もごく僅かで
イベント発生権限が特定のプレイヤーにしかない。
また、イベント参加者は基本的にランダムで選ばれ戦場に強制召喚され
その後、イベントが終わると参加する前にいた場所に戻される
また、戦闘開始前の初期段階でイベントを終わらせようとすると厳しいデスペナがあり
ある程度勝敗が決まるか、煮詰まってくるとデスペナなしで
両軍の指揮官の選択次第でイベントを終了できるようである
もっとも、多少のル-ルが分かったところでプレイヤーの大半は
ほとんど何の裁量権を待たずに一兵卒として強制的に参加させられるため
どうすることも出来ない。彼等に出来る事は死なずに戦争イベントを潜り抜けるか
大魔王レンネンカンプを一刻も早く倒してゲームをクリアして
戦争イベントの呪縛から逃れること位しか方法は無い
か弱き一プレイヤーに与えられる選択肢は現実と同じで多くないようである
■
仮想世界での非日常の戦争イベントは終わり、再び日常のRPGパートが始まる
運良くヘインと食詰めのコンビは仮想世界の日常に戻ることが出来たが
それが平穏な生活に直結するとは確約はされていない
仮想世界の日常にも現実と同じか、それ以上の危険が溢れているのだから
・・・ヘイン・フォン・ブジン伯・・・電子の小物はレベル88・・・・・
~END~