仕事を終えた後、待ち合わせの場所に急ぐ。
時間にまだ余裕はあるが、ずっと気になりながらも先延ばしにしていた事柄だ。
そのせいか、どうしても急ぎ足となってしまう。
人混みの中、目的地にたどり着くと、その場で周囲を見渡した。
いないか。流石にまだ早かっただろうが――
「お、早えぇな、エスティマ」
雑踏の音に紛れて、ここ最近聞いていなかった声が耳に届く。
振り返ると、そこにいたのはゲンヤさん。その隣に、ギンガとスバル。
「……お久し振りです、ゲンヤさん」
「おう、久し振り。なんだ、ちょっと見ない内に背ぇ伸びたか?」
「いや、そんなことはないと思いますけど……」
「そうか。よし、今日は遠慮せずにたらふく食え。俺の奢りだ」
そう言いながらバンバンと背中を叩かれる。
やたらテンションが高い気がするが、それも仕方ないのかな。
ちら、とギンガに視線を向けると、彼女はバツが悪そうに目を逸らした。
……胃が痛い。ゲンヤさんはああ言ってくれているけれど、あんまり食えそうもないかな。
「おとーさん、早く行こうよ!」
「待てスバル。もう少し話してから――」
「おーにーくー!」
ちなみに奢ってくれるのは焼き肉である。まぁ、人数が少ないわけでもないし妥当か。
空気を読むには歳が足りないスバルは食欲に駆られて暴走気味。引っ張られるゲンヤさん、哀れである。
「おうエスティマ、お前、何か食べたい――」
「おとーさん、今日はどれぐらい食べて良いの!?」
「静かにしろスバル。ええと、それでエスティマ――」
「おとーさん、早く行かないと席がなくなるよ!」
「分かったから黙ってろ。それでなエスティマ――」
「おーとーさーん!」
「ああもう、ちったぁ大人しくしろって!」
話を振ろうとしてくれるも、一向にスバルが言うことを聞かない。
……ウチのシグナムは良い子なんだなぁ。
いやまぁ、もう少しワガママを言っても良いぐらいだけれど。
スバルがゲンヤさんにくっついているせいで、自然と俺はギンガとペアに。
しかし、会話が皆無である。
こっちから何を言えばいいのかさっぱり分からないし、向こうからも何も言ってこない。
……年下の女の子に何を怯えてるんだろう。情けない。
中身の年齢入れたら二回り近く離れてるのに。
けど、彼女の顔を真っ向から見ることができないのだ、俺は。
ギンガを見ていると、クイントさんを思い出してしまうから。
焼き肉屋に辿り着くと、四人席に通される。
通されたのは良いんだが、座の配置がまた胃に悪い。
俺の向かいはゲンヤさん。それは良い。
ただ、隣がギンガだ。顔を背けていてもプレッシャーを感じる。Gジェネのハマーン的な。
ファミリープレートといくつかの単品を頼んで、注文を終える。
……ファミリープレートを頼まれて少し反応しそうになったのは、きっと俺の被害妄想だろう。
……あんまり食べない方が良いかもな。戻したら悪いし。
箸を割ってぼーっとしていると、肉が運ばれてきた。ちなみにスバル、意味もなく割り箸を大量に割ってゲンヤさんに怒られている。
ゲンヤさんに声をかけられるが、あまり内容が耳に入ってこない。焼け焦げた肉の匂いが鼻に籠もって胃がキリキリと痛む。
淡々と肉を焼く作業を繰り返していると、
「んじゃま、そろそろ良いか。ちっと遅れたが、エスティマの快復祝いだ」
名前を呼ばれたからか。はっと顔を上げると、困ったようにゲンヤさんが笑みを浮かべていた。
「おにーさん、おめでとう!」
「……おめでとう、ございます」
「あ……うん」
言葉に詰まる。どう応えたらいいのかさっぱりだ。
……くそ、謝るつもりだったのに。
そんなことを考えていると、
『エスティマさん』
『ん、ギンガちゃん?』
『あまり暗い顔をしないでください。最近になって、ようやくスバルが元気になったんです』
『そっか……ごめん』
バレないようにこっそりと溜息を吐いて、笑顔を作る。
そうして箸を動かそうとし、
『それと』
『うん』
『遅れましたが、勲章、おめでとうございます。
きっと母さんも喜んでると思います』
『……そっか』
……なんだかな。素直に受け止めることができない。
この子なりに励まそうとしてくれているのか、それとも、遠回しに責めようとしているのか。
……穿ちすぎだな。
『ギンガちゃん』
『はい』
『ありがとう。少し、元気が出た』
『いえ』
リリカル in wonder
クロノに頼み事をするため、久々にアースラへと足を運んだ。
あと数年で廃艦処分になるとは思えないぐらいに元気に動いているが、見えないところにガタがきているのだろうか。
そんなことを考えながら廊下を進み、クロノの部屋へ。
ドアを開けると、クロノは机に座った状態で手を挙げてきた。
「良くきたな」
まあ座れ、と促されたので、部屋に上がって遠慮なしにソファーへ腰を下ろす。
代わり映えしないクロノの執務室。周りを見渡しても、執務官補佐としてコキ使われていた頃と大差ない気がする。
本や書類の配置などはもちろん違うのだが、なんと言えばいいのか。雰囲気は欠片も変わっていない。
「クロノ、そっちに変わりはないか?」
「ああ。いつものように、だ。特に大きな事件を担当するわけでもなくね。
まぁ、闇の書事件のような大事件がそう頻繁に起こられたらたまったものじゃないが」
そう言い、クロノは苦笑する。
「君の方は活躍しているそうじゃないか。こっちまで噂が聞こえてくるよ。
陸のエース・アタッカーは優秀だ、と」
「その名で呼ぶな。あとその噂、皮肉だから」
「知っている」
……この野郎。
人が地味に傷付いているのを知っていてこの言いよう。性格が悪いとしか思えない。
「最年少の勲章持ちストライカー。毎日のように違う管轄に首を突っ込んで現場を引っかき回しているらしいじゃないか。
……大丈夫か?」
「肩身が狭いことに違いはないよ。けど、もともと三課は火消し部隊――悪い言い方をすれば尻ぬぐいを担当していたんだ。
実際に動いている人間が一人になれば、ヘイトが集中するのは仕方ないさ。
や、有名人は辛いね」
「……限界ならすぐにそう言え。また倒れられたらこっちの寿命が縮む。
今だって、あまり顔色が良くないように見えるぞ」
「気のせいだろ。ま、気を付けるさ」
軽く流そうとするも、クロノがジト目を向けてくるものだから嫌な汗が流れる。
そんな俺の様子に、クロノは額に手を当ててこれ見よがしに溜息を吐いた。
「それで、頼み事とはなんだ?」
「ああうん。デバイスに明るい執務官補佐が欲しくてね。A級ライセンスを持っている人とか、余ってない?」
「余ってない」
「マリーさんとかスカウトしたい」
「無理だ」
ですよねー。
「それにしてもいきなりな話じゃないか。君はマイスターの資格を持っているんだし、今まで必要なかっただろう?」
「んー、まあそうなんだけど、最近は現場に出ることが多くてデスクワークにかまける時間がないんだ。デバイスの調整も。
もうそろそろ補佐官がいないと限界でさ」
「君が声をかければ、いくらでも人が寄ってきそうなものだが」
だからですよ。
とは言えず。
開発部から三課に戻ってくる前、それとなく声をかけてはみた。
しかし、Seven Starsを弄ることのできるだけの技術を持っている人はいても、既に重要なプロジェクトに引き抜かれていたりで適当な人材がいなかったのだ。
中将パワーで強引に引き抜いてこれ以上やっかみを向けられるのも嫌だし。
最終手段でシスター・シャッハやはやてに泣き付くというのもあるにはあるが、これ以上頼ると俺の立場がヴェロッサ以下になってしまいそうだし。
そうなると、頼る先は自然とここだけになってしまうのだ。
陸と違い、海には高ランク魔導師が多く配属されている。故に、自然と大出力に耐えられるデバイスに明るいマイスターもこちらに集中する。
俺個人としてはレイジングハートやバルディッシュを魔改造したマリーさん辺りが欲しいのだけれど……。
「マリーはアースラの重要な技術スタッフだ。早々手放せる存在じゃない」
「ううむ……じゃ、じゃあ、適当な人材を紹介してくれない?」
「……まぁ、それぐらいなら」
「悪い。恩に着る」
「そう言って恩を返された覚えがないんだが、気のせいか」
「返す言葉も御座いません」
「まったく……」
再び溜息を吐かれた。
……うわぁ、もう一つ頼み事があるのに、非常に言い出しづらいですよ。
「あ、あのさ、クロノ」
「今度はなんだ」
「ハラオウン家の財政に余裕はある?」
「いきなり人の家の財政事情を聞いてくるとは、失礼な奴だな。
……まぁ、余裕はある。母さんも僕も働いているし、出費らしい出費もしていないからな」
「仕事の虫め。せめてエイミィさんぐらいには金使えよ」
「余計なお世話だ! というか、君にそんなことを言われたくないんだよ!
ああもう、その件はユーノを交えて今度だ!
何が言いたい貴様!」
しまった。逆鱗に触れてしまった。
バン、と机を叩いて身を乗り出すクロノ。怒り笑いの表情が実に怖いです、はい。
「えっと……リンディさんに話を通してもらいたいからクロノにも言うんだけど」
「なんだ」
「一人の男の子を、引き取ってくれない?」
ミッドチルダのクラナガン郊外。綺麗に舗装された広い道に沿って、広大な敷地を使った豪邸が並んでいる一角。
その中の一つ、モンディアル家の邸宅を塀の外から見上げ、さて、と胸中で呟いた。
以前、他の部隊の増援として遺伝子操作技術関係の研究施設を調査したときのことだ。
その施設はプロジェクトFを始めとした研究を行っていた。
防衛システムを完全に黙らせた後、何かスカリエッティに関する手がかりはないかとデータを漁っている最中に、俺はこの家の名前を発見した。
モンディアル家。ミッドチルダの富裕層。数々の研究に資金援助を行っており、その中にはクローニング治療に関するものもあった。
……おそらく、足がかりはそこだったのだろう。
バタフライ効果が起こりすぎて最近あまり使い物にならなくなってきた原作知識だが、本編とは縁の薄い部分ではまだ使いようがあるのか。
エリオ・モンディアル。短い人生を閉じた彼は、しかし、今も立派に生きている。
そう、原作通りに。
本来ならば、彼は近い内にどこぞの研究施設へ送られモルモットとして扱われる。プロジェクトFの成功例は貴重だから、あまり珍しい話ではないだろう。
しかし、その研究施設というのは、先の任務で俺が潰してしまった所なのだ。
俺が施設の調査に関与しなかったら、おそらくエリオは両親から引き離されて、誰にも助け出されぬまま一生を過ごすことになったわけだが……なんの因果だろうね。
ざ、とアスファルトを踏んで足を門の方に向ける。着慣れていないスーツが息苦しい。
今の俺は陸士の制服ではなく、グレーのスーツ姿。
管理局のガサ入れですよー、と真っ向から行ったところで素直に話を聞いてくれないだろうしね。
今日の俺は執務官エスティマ・スクライアではなく、スクライア一族のエスティマ君である。資産家のモンディアルさんに援助を受けにきた。
そういう設定だ。
インターフォンを鳴らすと、一言二言声を交わして門が開かれる。
邸宅まで続く五十メートルほどの道を進み――この金持ちめ――ドアを開こうとした時だ。
不意に内側から扉が開かれ、目に映ったあまりの光景に言葉を失う。
……メイドさんだ。メイドさんがいる。
いらっしゃいませ、と恭しく頭を下げるメイドさんがいる。
こちらへ、とメイドさんに先導される。ブロークンファンタズムされる破壊力無限大のおばさんメイドではなく、年若いメイドさんに。
――この金持ちが……!
そんな風に顔に出さず色々な理不尽を呪っているときだ。
「うわぁ……!」
子供特有の甲高い声が聞こえ、思わずそちらを向いた。
廊下の曲がり角から、赤毛の少年が顔だけを出してこちらを見ている。隣にいるのは、髪の毛に緩いウェーブのかかった女性だ。
「ママ、ぼくあの人知ってるよ! エース・アタッカーだ!」
「こら、エリオ。失礼でしょう? お部屋で大人しくしてなさい」
ぶーぶー文句を言いながら母親に連れて行かれるエリオ。シグナムよりちっちゃい。子供というか幼児だ、あれは。
……俺の同族か。そう思い、苦笑しそうになるのを堪えた。
メイドさんに応接間に通されると、そこには既に一人の男性が待っていた。
上品に――上品なのか?――整えられた髭。細いが、病的というほどではない体躯。
エリオの父親。初めまして、と挨拶をすると、彼は朗らかな笑みを浮かべながら握手を求めてきた。
……なんぞ、と一瞬呆気にとられるも、すぐに握り返す。
「初めまして、エスティマ・スクライアくん。いや、君とこうして顔を合わせることがあるとは思ってもみなかった」
「はぁ……」
「さあ、どうぞ座ってくれ。融資の話だったかな? 遺跡発掘には興味があっても、今まで手を伸ばしたことがなくてね。
それと、後でで良いんだが、君個人にも頼みたいことがあるんだ」
……へぇ。
あまりにもフレンドリーな対応に驚いたが、そうか。
渡りに船、といった感じなのかもしれないな。
「……モンディアルさん。僕個人に頼みたいこと、とはなんでしょうか。
そちらの方を先に聞かせてもらえるとありがたいのですが」
「ああいや、大したことじゃないんだよ」
話を振ると、どこか焦りを含んだ表情で誤魔化される。
……まぁ、そもそもスクライアとしてここに来たこと自体が嘘っぱちなんだ。そっちから話を始めた方が、俺もやりやすい。
「モンディアルさん。先に謝らせてください」
「何をかね?」
「今日、僕はスクライアへの融資を頼みにきた、となっていますが、それは嘘です。
本当の目的は、あなたの御子息に関することです」
「……一体、なんの――」
僅かな沈黙の後、喘ぐように声を上げるモンディアルさん。
別に脅すつもりはない。なるべく柔らかい笑顔を作ると、それを彼に向ける。
「落ち着いてください。事を荒げるつもりなら、あなたの思うようなことをしに来たのなら、執務官としてこの場に立っています。
そうでしょう?」
「う……む」
モンディアルさんは薄く唇を噛むと、視線を落とし、次いで項垂れる。
そして、たっぷり十秒ほど待つと、ここへ来る前に整理しておいた事柄を口にし始めた。
「モンディアルさん」
「なんだ」
「エリオくんと、離れたくはありませんよね?」
「……当たり前だ」
項垂れたまま両手を固く結んで、押し殺した声が上がった。
……そう、当たり前だ。親の心境なんてきっと俺には分からないが、それでも大切な人が死んだら、陳腐な奇跡でも良いから蘇って欲しいとは思う。
そんな当たり前の感情故に、きっとこの人はエリオを蘇らせた。
その割には簡単に彼を手放した気もするが、多分それは、どこかで罪悪感を抱いていたからなのかもしれない。
プレシアがフェイトをアリシアだと認められなかったように、エリオをエリオと認めたら、元のエリオはどうなるのか、と。
……ならば、俺はその罪悪感に付け入ろう。嘘を嘘のままにしてやろう。
戦力が足りない。金が足りない。力が足りない。
俺の敵を倒すには、それらのすべてが欠けているのだから。
「提案しよう、モンディアルさん。
エリオくんを、養子に出しませんか?」
「何を――!」
「そう遠くない内に!」
激昂しようとした彼を、それを上回る大声で黙らせる。やっていることがヤクザじみているが、この際無視だ。
「エリオくんは、あなたが縋ったのと同系列の研究者に攫われるでしょう。プロジェクトFの成功例は貴重だから。
僕がどうやってここへ辿り着いたのか知っていますか?
それは、とある研究施設に彼の名前と素性が記されてあったからだ。
ねぇ、モンディアルさん。何も一生エリオくんと会えなくなるわけじゃない。
簡単には手出しできない者に彼を預ければ、ずっと一緒にいることは叶わなくとも、息子と縁を切る必要はなくなる。
……もう一度言います。彼を養子に出してください。
そして、自首を。
クローンを誰に依頼して作成したのか。その司法取引に応じてもらえば、悪いようにはしません。最低でも面会だけはできるよう、努力しますよ。
エリオくんにも、自分がどういう存在なのか知られないよう気を付けます」
そこまで言って、一つの忘れていたことを思い出す。
――自首をしたくないのならば、時空管理局地上本部に資金援助を。それで手を打つ、と伝えろ。
そう、中将から選択肢を与えるように言われていたのだった。
しかし、今から一言付け加えるのも間抜けな話だ。
……分かってる。俺としても中将としても、そっちの方が良いってことぐらい。
ただ、こればっかりは上手く言葉にできないが、気持ちが悪くて言えないような気もする。
なんでだろう、と考え、そして、すぐに答が出た。
思わず苦笑する。それでモンディアルさんが怪訝な顔をした。
……なんてことはない。金で都合の悪いことに目を瞑る。まずそのこと自体が、俺の体を散々弄り回した連中のやっていたことと同じだからで――
そしてもう一つ。エリオを――ある意味フェイトや俺の兄妹とも言える存在を金を払わせた上に奪い取るようなやり方に、猛烈なまでの嫌悪を感じるのだ。
……変なところで潔癖性なのかもな、俺は。割り切れたら楽なんだろうけど。
中将と結託までしているのに、変な話だが。
「さあ、選択を」
「……違法行為に手を染めたことがバレた以上、もう言い逃れはできない、か。
危ない橋を渡っている自覚はあったがね。
分かった。君の出した提案に乗ろう。
……エリオを、頼む」
「……はい」
小さく頷いて、その時になって、ようやく気付いた。
いつの間にか手が震えている。足に上手く力が入らず、熱っぽい。
……胃が痛い。気分が悪い。
モンディアルさんとのやりとりを終えて部屋を出ると、ふと、足元に小さな影を見付けた。
首を傾げつつ下を見ると、そこにいたのは赤毛の幼児、エリオである。確か、約三歳。
彼は何故だか知らないけれど、妙に輝いた目で俺のことを見ている。シグナム以上に純粋な視線が存在しようとは思わなんだ。
「えっと……エリオくん?」
「はい! エリオです!」
「そう、元気が良いね。はじめまして、僕はエスティマ・スクライア。よろしくね」
「はい! ね、お兄さんってエースアタッカーだよね?」
「……あーうん。そうだよ」
やっぱりそっちの方が通りが良いのかなぁ。本当に好きじゃないんだけど、この二つ名。思いっきり皮肉から付けられたものだし。
……けどまぁ、そんなことをわざわざ口にして話の腰を折るのはアホらしいし、この子に言っても分からないだろう。
しゃがんでエリオと目線を会わせると、笑みを浮かべる。
「すごいねエリオ。詳しいな」
「えへへ」
褒められたからなのか。くすぐったそうに笑う彼の表情には、影らしい影はない。
天真爛漫に毎日を過ごしているんだろうなぁ。
「……エリオ、魔法に興味はある?」
「はい! ぼくも大きくなったら魔導師になりたいんです!」
そう言ってエリオは手を差し出すと、掌からバチバチと電気を発した。
……騎士じゃなくて魔導師か。また変なところでバタフライ効果が……いや、まだ子供だし違いが分からないのかもしれない。
しっかし、魔導師志望か。まぁ、男の子なら分からなくもない。自分に魔力資質があると自覚しているのならば尚更。
「魔導師、なりたいんだ」
「はい!」
「そか。……あのね、エリオ。今日、パパとママのところに来たのは、君をスカウトしたかったからなんだ」
「すかうと?」
「んー……魔導師になるための勉強をさせてあげませんか、って」
「本当に!?」
「本当だとも。才能あるからね、エリオは」
別に嘘じゃない。十一歳でAAランクは充分なほどの素質があると言って良いだろう。陸戦と空戦の違いはあるが、稀少技能を抜いて考えれば直接的な戦闘能力は俺より上じゃなないかな。
「パパとママから近い内に話があると思うから」
「はい!」
「よし、良い子だ。……それじゃあ、またね」
頭を一撫でして立ち上がる。そして玄関へ向かおうとするが、とことこと足音が聞こえたので振り返った。
見れば、エリオはにこにことした笑みを浮かべたまま俺の後を着いてきていた。
苦笑を一つ。
「玄関まで案内してくれる?」
「まかせてください!」
その一月後のことだ。
エリオをハラオウン家へと養子に出し、モンディアルさんが自首する日。
ちなみに、リンディさんとクロノの元に行ったのはモンディアル家で話を付けたその日の内に、である。
考えさせて、とずっと返事を保留にされていたが、二週間ほど前にやっと養子の件を了承してもらえた。
やはりプロジェクトFの成功例であることが判断に時間を必要としたのか。それでも、受け入れてくれて助かった。
リンディさんは次元航行艦から降りるつもりがあったらしく、これをその良い機会とするようだ。
今はまだアースラの艦長を続けているが、今の任務が終わり引き継ぎを果たしたら―― 一月もしない内に、アースラから降りるらしい。
……あと一月。その間、エリオをどうしているかと言いますと、
「シグナムお姉ちゃん、魔法つかえるの?」
「もちろんだとも。空もとべるぞ」
「すごいすごい! いいなー、ぼくも空とびたいなー」
……なんでこんなことに。
思わず両手で顔を覆ってしまう。
スケジュール調整、もっとちゃんとやってれば良かった。いや、自首をこれ以上遅らせるわけにもいかなかったわけで……。
深々と溜息を吐きつつ顔を上げる。
視線の先にはレヴァンテインを起動させてお姉さんぶってるシグナムの姿と、デバイスを羨ましがってるエリオ。
一月限定とはいえ……早く帰ってくるよう心がけないとな。
「エスティマくん、どうしたん?」
「ん?」
エプロンを着けたままのはやてが、俺の隣へと座る。
さっきまで洗い物をしてくれていたのだ。俺がいるときはやらなくて良いって言ってるのに……本当、頭が上がらない。
胃袋握られてる上に家事までやってもらって、この子がいなかったら悲惨な生活を送りそうだ、本当。
「なんか暗い顔しとるよ。また悩み事?」
「また、ってなんだよ。俺が四六時中悩み事しているみたいな言い方」
「えー、だってそうやもん。はやてさんのお悩み相談室はいつも開いてるから、どーんときてくれてかまへんよ?」
「最近、友達の女の子に家事をやらせてしまっています。申し訳ないのですが、どうすれば良いでしょうか」
「むふー、なかなか難しいですなぁ。遊びに連れて行って、ご機嫌を取ってみると良いかもしれません」
「……善処するよ」
「別にええんよ。好きでやってることやし。そりゃ、遊びに連れて行ってくれたら嬉しいけどな?
うん、それに……」
「それに?」
「だ、旦那様の――」
『旦那様』
「なんだ」
Seven Starsがいきなり口を挟んだせいで、はやてが何を言おうとしたのか聞きそびれた。
「えっと、はやて?」
「……ええんよ。ええねんよ」
あ、あれ? なんかすごい落ち込んでるんだけど。しかも何か悟ったような顔で。
良く分からないけどごめんなさい、と胸中で呟く。
「で、どうしたSeven Stars」
『よろしいのですか?』
「何がだ」
『ベランダを御覧下さい』
「あ?」
言われ、窓の外に視線を向ける。
するとそこには、元気に空を飛ぼうとしているシグナムとエリオの姿が!
「ばっ、エリオは空飛べないっつーの!」
「ば、バインドを!」
突撃する我。そしてバインドを発動するはやて。
……なんでこんな気苦労をせにゃならんのだ。
暗い、暗い部屋。
多くの本棚に囲まれ、遮光カーテンによって窓を覆われた部屋。
その中を、光源となるいくつもの紙片が舞っている。
イエローの光を纏った紙片。そこに書かれている古代ベルカ語を頭の中に入れながら、カリム・グラシアはマルチタスクを使用して文字の羅列――予言の内容を見極めようとしていた。
彼女の稀少技能、予言者の著書。それに記される事柄に、ここ最近、一つの新たな項目が増えたのだ。
内容は目を通す度に変貌する。まだ確定していない、いくらでも変化を起こす未来のことなのだろう。
ただ、その内の一つ。四行からなる予言の三行目が、一定の方向性を持ち始めている。
「王の――」
口に出し、これで合っているのかと疑問を浮かべ、
「王の資格……いえ、印? を持つ者……力果て、死者の列に加わり……」
そうして読み上げている内に、再び文字の羅列は変化する。
カリムは椅子の背もたれに体重をかけると、顎を上げて溜息を吐いた。
「何か大事なことが書かれているのは間違いないのだけれど」
ただ、たった今変わったばかりの部分の中で、一つだけそのまま残っているものが存在する。
「王の資格。もしくは、印を持つ者。……これが、深く関わるということかしら」