タクシーが目的地に到着すると、運転手に料金を支払って、俺は足早に外へと出た。
顔を上げる。その先にあるのは、まだ顔を覗かせたばかりの朝日に照らされた、先端技術医療センターだ。
昨夜の戦闘で、かなりの人が搬入されたのだろう。
慌ただしいほどではないとはいえ、自動ドア越しに見えるロビーには人の姿がちらほらと見えた。
駆け出したい気持ちを抑えながら、俺はゆっくりと歩くように心がけて、建物の中へと入ってゆく。
メールをくる途中にゲンヤさんへ送り、返ってきた内容を信じるなら、ギンガの様態は落ち着いているらしい。
今も意識は戻っていないらしいが、それは薬で眠らされているからだそうだ。
怪我こそ酷いが、命に別状はない。安堵していいのか分からないが、いくらか焦りは薄めることができた。
顔見知りの医師と擦れ違って会釈を送りつつ、淡々と脚を動かす。
そして目的の場所―― 一般人は立ち入り禁止となっている戦闘機人に関係する区画に到着する。
受付の看護士に局員IDを提示して許可をもらうと、真っ白な廊下を進んだ。
少し進むと、壁に沿う形で設けられたソファー、そこに座るゲンヤさんを見付ける。
顔には濃い疲労が浮かんではいたが、それだけだ。悲しみなどの、そういった感情は浮かんでいない。
「ゲンヤさん」
「おう、きたか」
俯いていたゲンヤさんは、俺を見ると立ち上がる。その際、少しばかりフラついて彼は苦笑した。
「大丈夫ですか?」
「気にすんな。……俺ももう歳だな。緊張続きで徹夜をしたらこんなだ」
「……自覚があるなら、まだ元気ですね」
「失礼な奴だな。……まぁ、座れよ」
「はい。失礼します」
ゲンヤさんの隣に腰を下ろすと、二人して同時に溜息を吐く。
徹夜をしているのはお互い様。気疲れしているのも、だろう。
「……スバルちゃんはどうしてます?」
スバル。警戒態勢になってはいたが、俺はあの子に持ち場を離れる許可を出していた。
六課にいたって何もできない、という理由もあるが、それ以上にギンガちゃんの側にいさせてやりたいというのもあったのだ。
「泣きっぱなしでな。疲れたのか、今は病室のベッド借りて寝てるぜ……そっちはどうだい」
「六課でも問題は――」
そこまでいって、はやてのことを思い出すが、この人にいう必要はないだろう。
なるべく平静を装いながら、続ける。
「――問題は、ありません。まぁ、みすみす結社にロストロギアを明け渡してしまったんです。
その上で損害があったら、見事に俺は無能でしょう」
「おめぇはそうネガティブに走るなってのに。そもそもやっこさん連中の目的なんざ、俺たちにゃあ分からねぇんだ。
被害が部隊になかったのなら、それで良しとしようや」
……それで良いのだろうか。
スカリエッティを捕らえるために戦い続け、無理をしたツケが回ってきてしまった俺。
直接的な力の代わりに手に入れたのは、指揮官という別種の力だが……あまりに重い。
行いたいことは山ほどあるというのに、行うべきこと――部隊長としての責任がついて回って、身動きが取れないことだって珍しくはない。
今回のことだってそうだ。出来ることならフェイトではなく、俺自身が救援に向かいたかった。
ずっと自分の力だけを頼りに戦ってきたせいだろう。人の力を借りる今の状況が、どうしても窮屈に感じる。
……本当、ままならない。部隊長の仕事に追われて、自分の成したいことを忘れないようにするのが精一杯だ。
「……ですが、六課に何もなかったとしても、救援が遅れたせいでギンガちゃんは」
いってから、失敗したと後悔する。
弱音を吐くためにここへきたわけじゃないのに。心労でいったら、俺よりもゲンヤさんの方がずっとあるはずなのに。
しかしゲンヤさんはうっすらと笑みを浮かべるだけで、俺を責めようとはしなかった。
「死んだわけじゃねぇんだ、そう重く受け止めるなって。
……ああ、ギンガだけどな。機能停止状態でここに運び込まれ、緊急手術。腕をスペアと交換、だ。
それ以外の怪我は打撲と擦過傷で、大したことはねぇ。
新しい腕を馴染ませるのに、それなりの時間がかかるらしいが、無事は無事だ。
……ギンガが戦闘機人であることを、有り難く思うとはな」
少し自嘲気味に、ゲンヤさんは笑った。らしくない。
背中を起こして、ゴツ、と壁を後頭部で叩く。
どうしたもんか、と二人で再び溜息を吐いた。
「……危うく、クイントの忘れ形見を失うところだった。
今更かもしれねぇが、ギンガとスバルを局員にしたことを後悔してるぜ。
今、ミッドチルダ地上に勤務している武装隊員は、普通に死と隣り合わせだからな。
嫌な時代になったもんだよ」
「それをなんとかしたいとは思いますが……すみません」
「だから、気にすんなって……ああ、そうだエスティマ」
「はい?」
ゲンヤさんは背筋を伸ばすと、真面目な――疲れを感じさせない目を向けてきた。
「シグナムのことだ」
彼女の名前を聞いて、思わず下唇を小さく噛んだ。
怪我はそう酷くはないと聞いている。が――
「酷く弱ってたぞ。話ぐらいは聞いてやれや」
「……そう、ですか」
「ああ。まぁ、シグナムが話してくれねぇってことも有り得るがな。
ギンガのことを気に病んではいるんだろうが……あの落ち込みようは、それだけじゃねぇだろうよ。
もうそろそろ、あの子が何を考えているのか知ってやっても良いんじゃねぇか?」
「……様子を見るつもりではありました。けれど、そこまで踏み込んでいいものか、計りかねてて。
あの子にとって俺はなんなのか……重荷になっていないかどうか。
あの子が守護騎士になりたがっているのは知っています。けれど、俺は――」
「別の生き方をして欲しい、ってか?」
「はい」
「そいつぁ、無理だろ」
断言され、思わず呆気に取られる。
しかしすぐに我に返ると、すぐにゲンヤさんを――気を付けなければ睨み付けてしまいそう――見た。
「いくら外見が同じっつっても、あの子は普通の人間と違う。
それを分かったつもりで、一般論を説くんじゃねぇよエスティマ」
その言葉は、きっとこの人なりの教訓なのだろう。戦闘機人の姉妹を育て上げて得た。
納得したくはないと思いながらも、そうだろうな、と思ってしまう。
シグナムがいくら人に近いといっても、俺に向ける好意や懐きようは、きっと根底に自分は守護騎士であるという認識があるからだろう。
だからこそ俺の役に立ちたいと思ってしまう。守護騎士として、主を守ろうと。
その意思を尊重してやりたいと思う反面、親として接していた内に抱いてしまった情が、それで良いのかと待ったをかける。
思ってしまうのだ。もっと別の、器用な生き方があるんじゃないかと、どうしても。
それは俺の傲慢なのだろうか。
分かってはいる。何か一つのことを目指している者に忠告や説教をしたって、そんなものは雑音にしか感じない。
身に染みて分かっていることだ。
けれど、守護騎士を目指すことで苦しんでいるならば……俺は。
いや、これも分かっている。なんの苦労も障害もなく目標を達成できるわけがないことぐらい。
……はは、馬鹿か俺は。
分かっていても納得できないのは、結局俺がシグナムに甘いからだ。
あの子の意思を尊重するなんて言っておいて、その実は俺の意思を押し通そうとしているだけじゃないか。
「……俺も親馬鹿ってことですかね」
「まぁ、な。子供が可愛くねぇ親なんかいねぇんだ、恥じる必要はないだろう。反省は必要だろうがな」
「はい……それじゃ、俺はもう行きますよ。お大事にとギンガちゃんに伝えてください」
「おう」
立ち上がると、俺は考えを巡らせながら立ち去る。
何が最良なのかは、まだ分からない。
ただ、俺とシグナムのやりたいことの齟齬に気付いて、その折り合いを付けようと思えるぐらいにはなった。
リリカル in wonder
時計のアラームに急かされて、私はむくりとベッドから起き上がった。
寝ぼけ眼で部屋を見回してみても、いつも先に起き出している相方の姿はない。
どうしたんだろう――そうだ。ギンガさんのお見舞いに行ったんだったわ。
どんなことが起こったのかは分からないけれど、昨日の戦闘でギンガさんと、一緒に戦っていた108のフォワードの人は戦闘機人に敗北。
戦闘を見ていた私たちだけど、送られてくる映像はなのはさんとフェイトさん、八神隊長とヴィータ副隊長のデバイスから送られてきた映像だけなので、どんな戦いがあったのかは分からない。
なのはさんとフェイトさんが到着した場所にあったのは、惨敗を喫した二人の姿。
特に、片腕を失ったギンガさんの姿は今も頭に残っている。
スバルは大丈夫って強がっていたけれど……あのあと、先端技術医療センターに飛んでいったのを見るに強がりだと思う。
ベッドから抜け出すと、ん、と声を上げながら固くなった背筋を伸ばす。
あんな大規模な事件があったばかりだけれど、私たちは今日も訓練。なのはさんもタフだわ。
身支度を調えながら、昨日見ていた戦闘を思い出す。
災害救助の局員として働き続けていた私たちには、遠かった戦場。そこで繰り広げていたストライカー級魔導師のぶつかり合いは、想像を軽く超えていた。
雲上人だと思っていたなのはさんたちの戦い。それに対抗する戦闘機人。
今の私たちじゃあ、とてもじゃないけど割り込めない世界だった。
多人数で当たることが前提とはいえ……本当にあんな連中に勝てるのかしら。
トレーニングウェアの裾を引っ張って準備を終えると、待機状態のドア・ノッカーをポケットに収めて私は部屋を出る。
人気のない廊下を、一人で進む。なんだか慣れない状況に首を捻りながら寮のロビーを抜けると、外には既にエリオとキャロが待っていた。
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはよ、二人とも」
挨拶を返しながら、どことなく元気がないわね、と胸中で呟いた。
いつもは朝だというのに眠気を欠片も見せない様子だっていうのに、今日は違う。
やっぱり、この二人も昨日のことが抜けていないんでしょうね。
けど、わざわざそれを声に出して指摘するのも野暮ってもんでしょう。私も人のことをいえないもの。
……なんて風に、不干渉を貫けたら良いんだけどね。
「ほら二人とも、あんまり暗い顔をしていたらなのはさんが心配するでしょうが。
私たちだって一応は六課の隊員なんだから、空元気ぐらい見せてみなさい」
ま、今はスバルがいないんだから、私があいつの代打をやったって良いわよね?
そんな気持ちで放った言葉だったんだけど、お子様二人組は不思議そうに私を見上げる。
……分かってるわよ。らしくないことぐらい。
思わず腕を組んでそっぽを向くと、くすくすと笑い声が聞こえた。
「……ほら、とっとと行くわよ!」
「はい!」
とても二人の顔を見ることができなくて、私は一人で先に歩き始める。
けれど、追ってくる二人の上げた声は、さっきよりも元気が篭もっているような気がした。
「やー、遊んだ遊んだ。やっぱり身体を動かすのは楽しいっスねー」
アジトの廊下を進みながら、ウェンディはご機嫌な調子で髪を揺らしていた。
彼女の機嫌がいい理由はただ一つ。久々の戦闘で、歯応えのある相手とぶつかり、その戦いを十分に楽しめたことだ。
鉄槌の騎士に、教会騎士団の中から選ばれた、予言者の護衛を務める者。
その二人を相手取って、終始有利に戦いを進めることができたことは、ウェンディにたまらない爽快感を与えている。
「アンタも頑張ったっスね、マイルドセブン。ワックスがけをしてあげるっス」
そういって、ウェンディは待機状態――腕輪の形状になった、自分のストレージデバイスへと声をかける。
外装を壊されはしたが、本体は無事そのもの。術者、道具、共に無傷のようなもの。
ドクターにいわれた目標は、達成できただろう。
今日のご飯は美味しく食べられそうだ――そんなことを考えているウェンディだが、気になることが一つ。
ちら、と背後を除いてみれば、そこには肩を落としたノーヴェの姿がある。
どうしたもんスかねぇ、と誰にともなく、声に出さず問いかけた。
どうやら戦闘中に大事にしていたリボルバーナックルが大破したらしい。
そのことを気に病んで、アジトに戻ってきたというのにこの様だ。
ドクターに頼めば修復ついでに改造までしてくれそうだが――きっとノーヴェはリボルバーナックルを強化しようとは思わないだろう。
こだわりがあるのは分かるが、それに足を引っ張られて危ういところまで行ったなんて、冗談じゃない。
ため息を一つ吐いて、ウェンディは足を動かしながらも振り返った。
「ノーヴェ、ノーヴェ。いい加減、デバイスに拘るのもどうかと思うっスよ」
「……うるせぇ」
「いや、今日は云わせてもらうっス。大事にするのはノーヴェの勝手だから好きにすればいいとは思うっスけど、ね。
負けたらどうなるかも分からないアタシたちは、必ず勝たなきゃいけない。
ノーヴェだって、負けたくないっスよね? そんなことになったら、お母さんと離ればなれっス」
「うるせぇってんだろウェンディ! 云われなくても分かってんだよ!」
叫びを上げて、ノーヴェはウェンディを追い越し、先に行ってしまう。
ありゃりゃ、と声を上げてはみるが、ウェンディに悪気はない。
普通に考えれば分かるだろうに、なんでそんなことに拘るのか。
もし負けて管理局に捕らわれてしまえば、眠っているクイント・ナカジマと離ればなれになる。
そうなってしまったら二度と会うことはないだろう。管理局だってわざわざ掴まえた戦闘機人――それもType-Rを逃がすような下手は打たないはずだ。
それに、スカリエッティに捕らわれたサンプルを、そう簡単に管理局が奪還できるとは思えない。
もし、本当にもし、管理局がクイントを奪還したとしても再び会うことはないだろう。
自分を生きたまま長い眠りにつけて、十年近くの年月を奪い取った組織の一員と顔を合わそうと思う人間なんていないだろうし。
いるとしたら、それは馬鹿かよっぽどの変人だ。
大事な人と会えなくなる。そんなものを賭けて戦っているのだから、形振りかまっている場合じゃない――とウェンディは思うのだが、ノーヴェは違うらしい。
よく分からないっスねぇ、と首を傾げると、ウェンディは真っ直ぐにスカリエッティの元へと向かった。
ソファーの背に身体を預けながら、チンクはシャワーを浴び水を吸って重くなった髪を指で弄んでいた。
くるくると巻いたり。結ぶつもりのない三つ編みにしてみたり。
無表情で淡々と手を動かすその様子に、隣に座っているセインは居心地の悪そうな顔をしている。
うわぁ……苛立ってる。絶対に苛立っているよチンク姉……。
とほほ、方を落として、セインはチンクを回収した時のことを思い出していた。
何があったのか、自分がISを使って顔を出した場所には八神はやてとチンクが一緒にいたのだ。
それもご丁寧にシェルコートで相手を守った状態で。
何かあったらしいとは思うのだが、それをチンクは説明しようとしない。
だというのにこんな態度を取られていれば、気になって仕方がない。
しかし、怖くて聞けるわけがない。
どうすりゃ良いの、とセインは困り果てていた。
そうしていると、チンクと同じように髪を濡らしたトーレが休憩室に現れた。
彼女はチンクを一瞥すると、首を傾げながら手に持ったドリンクを一気飲みする。
喉を鳴らしながら飲み干すと、満足したようにため息を吐いた。
一応、女の子なんだけどなぁ……そんなことを思うセインだが、目の前にいる姉は生物学的に女というだけで、別の何かなのかもしれない。
「……なんだチンク。浮かない顔をしているな」
「……そういうお前は、機嫌が良さそうだ」
「ああ。久々に――エスティマ様以外で、歯応えのある敵と相まみえることができた。
生き甲斐が増えれば、嬉しいのも当然だろう?
次の作戦が楽しみになるというものだ」
よっぽど充実した時を過ごしたのだろう。戦闘を思い出しているのか、トーレの声には恍惚が滲んでいるようだった。
そんな彼女とは逆の、苛立ちを浮かべた少女。チンクはちらりとトーレを見ると、再び髪の毛を弄る。
「……気楽で良いな、トーレは」
「ほう?」
「……いや、なんでもない。すまなかった」
すぐに言葉を取り消すチンク。その姿に、トーレは訝しげな顔をする。
今になって、ようやく様子がおかしいと気づいたのだろう。
どこか値踏みするような目つきでチンクを見ると、ふむ、と頷く。
「どうした。エスティマ様関係で何かあったのか?」
「……あったとも言えるし、なかったとも言える」
「嘘だな。お前がそんな風に悩むこと、エスティマ様以外にないだろう。
何があった?」
その言葉に、チンクは顔を強張らせた。
よく見ている、とセインは感心する。
伊達に初期起動組というわけではないのか。それとも、年長者という矜持がこの姉にも一応はあるのか。それは分からないが。
「……私は何をしているんだろうと思ってな」
「……なかなかに難しいことをいう。私としては分かり切っていることだとは思うが。
チンク。お前は、好きでドクターの下にいるのだろう?
ならば、疑問を挟むことは今さらだろうに。
目的がどうあれ、お前だって一人の闘争者じゃないか」
「目的……目的か」
そう呟いて、チンクは立ち上がった。
何を考えているのかは、セインにもトーレにも分からない。
ただ、髪の毛を一房三つ編みにして、首のリングペンダントを揺らし、彼女は立ち去った。
「……トーレ姉」
「なんだ、セイン」
「チンク姉が気難しいっていうか……色々と複雑なのは分かるけどさ。
どうしてこうなったんだろうね」
こう、とは何を指しているのか。口にしたセインにも分からない。
しかしトーレには通じたのか、彼女は楽しげに口の端を釣り上げた。
「まぁ、お前には分からないことだろう」
「む……トーレ姉にそう云われると、なんか癪なんだけど」
「……何故だ? まぁ、良いか。
要するに、チンクにはやりたいことがあるのだ。無論、私にもある。
今はただの戦闘機人でしかないお前に、それを理解することはできないだろう」
「どういうこと? ただの戦闘機人って……どう転んだって、戦闘機人であることに変わりなんかないじゃんか」
「生き甲斐だ。夢、ともいえる。そういったものを見つければ、自ずと分かるさ。
ドクターの生み出した戦闘機人。しかし生まれがそうであるだけで、戦うだけが人生のすべてとなるわけではない、ということだ。
……もっとも、私は少し違うがな」
にやり、と笑う姉に、うへ、とセインは顔を背ける。
セインからすればチンクと同じように、トーレもよく分からないのだった。
戦うために生み出された存在である戦闘機人。"そう"いうものに生まれてしまったのだから仕方がない、というのがセインの考え方だ。
だというのに、チンクやトーレは違うという。
しかしチンクはともかく、トーレも違うというのはどういうことか。
戦うしかないから戦っている自分たち。それとトーレがどう違うというのだろう。
「……セイン。お前はもう少し物事を深く考えたらどうだ?」
唸っていると、トーレにそんな声をかけられた。
……心外だ。
ベッドの中で丸くなりながら、シグナムは回らない頭で色々なことを考えていた。
睡眠から覚めて、もう一度寝直そうとしても上手く眠れない。
なので、寝ぼけた頭で繋がりのない思考を繰り返している。
ギンガを助けられなかったことや、戦いに負けてしまったこと。
そこから始まり、段々と今までの人生を振り返ってゆく。
深く考えず、眺めるように思い出す毎日は、果たして、意味があったのだろうか。
エスティマの明確な敵と相対し、打ち勝つことができずに負ける。
主を守ることが守護騎士の役目だというのに、今の自分はまったくの逆だ。
主に守られている守護騎士だなんて、ただの笑い話にしか思えない。
まだ幼い。経験が少ない。そういった言い訳などいくらでもできる。
しかし自分は言い訳などしたくはなかった。真っ向から敵に当たり、主の障害を排除し、外敵から主を守れる存在になりたかった。
もう何も知らない子供のように、日だまりの中で過ごすことなど許されないというのに。
……私は守護騎士になれない。それだけの力がないし、絶対に諦めないと思っていた心根も、強大な敵を前にして折れてしまった。
……守護騎士になれない自分に、どんな価値があるのだろう。
そんな風に考えても、シグナムは答えを出さない。
悩んでいるふりをして、その実、考えてはいない。
ずっと休みなく走り続けてきた彼女にとって、認めたくはないが、失意に沈んだ今の状況は安らぎを覚える。
緊張もなく時間を過ごせるのはどれぐらい振りだろうか。
いけないと分かってはいても、無力感にすべてを投げ出してしまいたくなる。
そうしていると、枕元に投げてあったレヴァンテインが声を上げた。
来客らしい。誰だろうか。今は誰とも会いたくない。
休憩時間はまだ残っているのだし、と言い訳をして、シグナムは狸寝入りを決め込むように枕へ顔を埋めた。
しかし、どうやら相手は立ち去る気がないらしい。
シグナムが眠りに落ちようとすると、思い出したようにインターフォンが鳴る。
十回目ほどになってようやく、シグナムは顔を上げた。
そして、モニターの向こうにいる人物を見て目を見開く。
「……ち、父上?」
シグナムの部屋の前にいたのは、エスティマだった。
彼はじっとインターフォンのカメラに視線を注ぎながら、ドアが開けられるのを待っている。
どうしようか、と迷うも、シグナムはベッドから抜け出した。
そして床に投げてあったトレーニングウェアに足を通して――髪はまとめず、広げたままで顔を洗うと、玄関のドアを開いた。
ゆっくりと開かれた扉の向こうにあるエスティマの顔を、シグナムは直視できない。
伏し目がちで見上げても、口から上を見ることがどうしてもできない。
どんな顔を見せて良いのか、分からない。
「……おはよう、ございます」
「おはよう、シグナム。上げて貰ってもいいか?」
「はい。散らかっていますが」
どうぞ、とエスティマを部屋に上げて、シグナムはキッチンへと。
二人分のインスタントコーヒーに電気ポッドからお湯を注ぐと、リビングへと持ってゆく。
コトリ、とテーブルにカップを置くと、湯気の立つそれをエスティマは口に運んだ。
シグナムもエスティマと同じように腰を下ろして、コーヒーに口を付けた。
熱く、苦い飲みものでずっと霞がかっていた頭が冴える。
一口飲んだあと、伺うようにエスティマを見ると彼は視線をテーブルに向けたまま何かを考えているようだった。
「……シグナム。怪我は大丈夫か?」
「あ、はい。それほど深いものでもなかったので」
「そうか。なら、良かった」
「……あの、父上。それを聞くためだけに、わざわざ?」
鬱陶しがるような響きの篭もった声を、思わずシグナムは上げてしまった。
しかし仕方がないのかもしれない。今のシグナムにとって、エスティマはもっとも会いたくない人物の一人だ。
叱責にしろ同情にしろ、どんな感情を向けられたって辛い。
エスティマはそんなシグナムのことを分かっているのか、薄く、困ったように笑った。
「いや、話をしにきたんだよ、シグナム」
「話、ですか?」
「ああ。随分と遅れてしまったけれど……シグナムが何を考えているのか。どんなことがしたいのか。
それを、いい加減に知らなきゃならないと思ってさ」
「……別にそんなこと」
「……そうだな。けれど、俺は知りたいんだ。余計なお節介なんだろうし、干渉を嫌がるシグナムの気持ちも分かる。
けれど、はっきりさせよう。今のままじゃ、きっとロクなことにならない。俺もお前も」
……今更のことだ、とシグナムは思う。
自分が何をしたいかだなんて、あの日、管理局へ入ることを決めた時に伝えたはずだ。
自分は父上の守護騎士になる。そのための力をつける。
考えていることだって、ちゃんと伝えたはずで――
……いや、違うか。
最初はそうだったかもしれない。けれど、擦れ違っていた数年で、自分の考えも変わった。
ほんの少しだけかもしれないけれど、純粋だった子供の頃の願いは、今になって色褪せている。
思い通りにならない現実や、芳しくない結果。
それを前にして生まれてしまった諦めは、夢や願いを蝕んでいる。
「シグナム。守護騎士になりたいという願いは、今も変わっていないのか?」
「……はい。けれど、私は」
守護騎士になれるのだろうか。
そう続けようとして、上手く口が回ってくれなかった。
上がらない魔導師ランク。手も足も出なかった敵。
そういったものを前にして、誤魔化しようもなく折ってしまった心根。
「私は……」
こんな自分が、果たして守護騎士になれるのだろうか。
そう考えてしまうと、堪らなく不安になる。
「……自信がなくなった?」
「……はい。私は今まで、父上の守護騎士となるべく歩んできました。
けれど、今のままで本当になれるのだろうかと、思ってしまって。
……いえ、違います。なれないのだと、思ってしまった」
その諦めがあまりにも重くて、同時に、もう背伸びをしなくて良いのだ、という囁きが心地良い。
駄目だ駄目だと分かっていても、思うように身体が動いてくれない。
これ、という理想や夢はある。けれど、その過程でぶつかる障害を目にしてしまうと気持ちが揺らぐ。
「……教えてください、父上。私は、あなたの守護騎士になれるのでしょうか?」
なれる。そう云って欲しい。そうすればまだ頑張れる。
酷い話だ。守るべき主に縋って、甘い言葉をねだるなんて。
けれど、
「どうかな。俺には、分からないよ」
返ってきた言葉は、望んだものと違った。
思わず落胆してしまう。
「……そう、ですか」
「ああ。俺が思う守護騎士と、お前が思う守護騎士はきっと違う。
シグナム。お前のなりたい守護騎士ってのは、どんな存在なんだ?」
自分は、何になりたいのか。
それは酷く単純な問だ。
あらゆる脅威から主を守り、主の目的を達成するための刃となる。
そのために必要とされるのは、完全無欠の力で――今の自分は、それとは程遠い。
「俺はな、シグナム。お前には幸せになって欲しい。
本当のところは、守護騎士として俺に尽くす人生のどこが幸せなんだって思っている」
「そんなことはありません。私は、そのために生まれたのですから」
「……そう、だな。俺がどう思おうと、それがお前の幸せで、やりたいことか。
なら、シグナム。これからお前はどうするんだ?」
「……え?」
「さっき、お前は俺に守護騎士になれるのかと聞いた。
俺には分からないことだよ、それは。今のままでも十分だと思っているから。
お前を遠ざけたのは、俺と一緒にいれば今回みたいな――戦闘機人と戦う羽目になって、命の危険に晒されるからなんだ。
AAAランクなんて無茶をいったのも、せめて生き残れるだけの実力を身につけて欲しかったから。
……どんなことが起きるのかは、その身で覚えただろう。
その上で、お前はまだ守護騎士になりたいと思うのか?」
「……はい」
少しの間をおいて、シグナムはそう答えた。
どんな危険があろうとも、自分は父上の守護騎士になりたいと思っている。
不安なのは、いざというときに父上を守れないのでは、ということのみだ。
それがあっても――やっぱり守護騎士になりたいと願ってしまう。
……私は、父上の守護騎士になっても良いのですか?
その問に対する答えはない。
ただエスティマは、近くにいても戦い抜けるだけの実力をシグナムに求めている。
……過保護な人だ。
要するに、娘である自分を危ない目に遭わせたくないのだろう。
だから最低限の譲歩として、何があっても切り抜けられるだけの実力をシグナムに求めた。
それが分かって、シグナムは安堵した。
……私は必要とされていた。勿論それは守護騎士としてではなく、娘として、だが。
ずっと、シグナムは不安に思っていたのだ。
主を守るために存在する守護騎士。なのに、自分は幼い頃から守られているだけだった。
以前の自分が罪を犯していたということもあるだろうが――それを含めて、手元に自分を置いてくれないことは、父上にとっての邪魔になったからではないのかと。
そう思っていたのだ。
私は、あなたの傍にいても良いのですね。
しかし、安心すると同時に反骨心が湧き上がってきてしまう。
「……父上」
「なんだ?」
「私は、いつまでも守られるだけの子供ではありません。
あなたが思っているほど、弱くもありません」
拗ねたような口調で、シグナムは云う。
その急な態度の変化に、エスティマは面食らっていた。
「えっと……シグナム?」
「いつか……いえ、近いうちに、必ず父上の隣に立ってみせます。
父上の方から守ってくれと云いたくなるような、立派な騎士になってみせます。
だから――」
シグナムの脳裏に、幼い頃の思い出が浮かんできた。
主人と守護騎士の関係ではなく、親と娘の。
あの頃に戻れるというのならば、私はいくらでも頑張れる。もう一度立ち上がるなんて、簡単だ。
そうして気付く。
ああ、そうか。
自分はあの頃に戻りたい一心で、ずっと背伸びを続けていたのか。
「だから、父上。もう少しだけ、待っていてください」
「……ああ。期待してるよ」
じっと見上げるシグナムの視線に、エスティマは微笑みを返す。
そして彼は手を伸ばすと、少し躊躇いながらシグナムの髪に触れた。
ポニーテールを解いた彼女の髪を、ゆっくりと撫でる。
懐かしい気持ちになりながら、シグナムは目を細めた。
「……頑張ります」
頭を撫でられ、気持ちよさげに目を細めるシグナム。
この子が何を求めているのかは、なんとなく分かった気がする。
守護騎士になりたい、というこの子の願いに、きっと果てはないのだろう。
俺の傍に立って、未来永劫に主を守る。守護騎士となって何かをしたいのではなく、守護騎士になるのがこの子の夢なのだろう。
ひたむきなシグナムの姿勢に、俺自身の姿がダブる。
はやてのこともそうだ。俺は、こんなにも危うい姿に見えていたのか?
命を賭けて何かを成す。聞こえは良いかもしれないが、指をくわえて見ている立場からすれば怖くて仕方がない。
そんな気持ちを、今まで人に味わわせていたのか?
……それでも良いとは、思っていた。
どれだけ迷惑をかけようとも、目的さえ達成できれば満足だと思ってはいた。
けれどそんなことを繰り返していたら、すべてを失ってしまうのではないだろうか。
自分の命もそうだし、守りたい人たちに愛想を尽かされたり。
今更生き方を変えられないとは思う。しかし、それで良いのかとも思う。
俺にとって大切なこと、守りたいものとは、身近にいる人々と、自分を含めた皆の平穏。
しかし、それのために支払う代償はどれほどのものなのだろうか。
身体を痛め付けて戦い、それですべてが終わったあとに、何が残るというのだろうか。
もし俺がまた無茶をすれば、おそらく、六課の皆はそれを防ごうとするだろう。
昔ならばともかく、今のはやてやなのは、フェイトたちにはそれが出来るだけの力がある。
その時俺は、彼女たちを巻き込むことを良しとするのだろうか。
……そんなこと、出来るわけがない。
この戦いは俺がすべきもので――しかし、拡大した戦いは、既に俺一人のものではなくなっている。
それこそ、俺一人の命を注いだところで何も変わらないほどに。
俺の変わりに誰かが傷つくだなんて、考えたくはない。
けれどそれは、俺以外の人も同じように思っていることだろう。
本当、今更だ。指示を出す立場になって、初めて痛感するだなんて。
すぐ近くにいるシグナムや、はやてたちを失う。俺がそれを嫌だと思うのと同じぐらいに、彼女たちもそう思っている。
それを理解した瞬間、例えようのないざわつきが胸を襲った。
……なんだろう。死ぬことなんて、怖くなかったはずなのに。
怖いことといえば、何もできずに失うこと。為す術もなく翻弄されるぐらいならば、死ぬ気で抵抗してやると思えていたのに。
今の俺は、死ぬ気で、なんてことを口にすることすら躊躇ってしまう。
これを弱くなったと考えるべきか、成長したと考えるべきか。
「……シグナム」
「……はい?」
「あまり、根を詰めるなよ。俺を残して死んだりなんて、絶対にするな」
「……父上、何を当たり前のことを云っているのですか?」
「ああ、そうだな。当たり前だよ、本当」
不思議そうに首を傾げるシグナムに、苦笑する。
……本当、当たり前のことだっていうのに。