本局から繋がっている地上本部の転送ポートで待つこと既に三十分。
腕組みしながら溜息を吐くも、一向に待ち人は現れない。
通りかかる人からぶしつけな視線を向けられるが、もう慣れたことだ。名前が売れてしまっているので、最近はスルーする人の方が少ない。
……しっかし遅いなぁ。連絡もないし、何かトラブルでもあったのか。
何分か遅れるって連絡があったらそこら辺の喫茶店で時間を潰せるが、いつ来るか分からないから動けない。
いや、隊舎で待ってれば良いんだろうけど……迎えにくるって伝えちゃったしなぁ。
などと考えていると、不意に転送ポートが重く、くぐもった稼働音を上げた。
いつの間にか俯いていた顔を上げると、丁度人影が転送ポートに現れる。
キャリーバッグを引き摺る、眼鏡を掛けた女の子。着ている制服はちゃんと陸のものだ。
シャリオ・フィニーノ。本来ならばフェイトの執務官補佐となるはずだった子。クロノが紹介してくれたのは、彼女だった。
年齢は俺の二つ下。これより三課は、お子様二人の部隊となる。書類上では違うけれど。
「ああああああ、遅れちゃった! すみませーん! エスティマ・スクライア執務官はいらっしゃいますかー!」
「ここにいますよ」
「きゃああああ! 申し訳ありません、本当にごめんなさい!
シャリオ・フィニーノ通信士、ただ今到着しました!」
「いえ、急に引き抜いたのはこっちですから。準備も慌ただしくなったでしょう。
じゃあ、行きましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
申し訳ない、といった様子で、もう一度彼女は頭を下げる。
その様子に、思わず苦笑してしまった。
遅刻して悪びれなかったらやっていけるか本気で心配だったが、杞憂だったか。
「気にしなくても良いですよ」
「そんな……今後こういったことがないよう、気を付けます」
「だから、良いですって」
そんなやりとりをしながら本部内を歩き、隊舎へと向かう。
「あの、スクライア執務官」
「なんでしょう」
「私の上官なのだから、そんな固い言い方じゃなくても……」
「あー……そっちの方が気が楽だと言うのなら。
ん、じゃあ固くならないよう気を付けるよ、フィニーノさん」
「フィニーノ……あの、シャーリーと呼んでください。
ほら、発音しづらいじゃないですか、私の名前。だからそっちで」
シャーリー。なんだか叫びたくなる名前だ。
「分かった」
「はい。あの、スクライア執務官」
「何?」
「スクライア執務官」
「なんですか」
「スクライア執務官」
……なんだよ。
延々とファミリーネームを呼ばれて怪訝な顔をする俺。
しかし彼女は気にした風もなく、じっと顔に視線を向ける。
「ああ……本局まで噂は届いていますよ。
勲章持ちのストライカー。エース・アタッカー。
陸のトップエースにこうやってご指名いただけるなんて……」
「あ……うん」
なんだか悦に浸っている彼女に若干引きそうになる。
忘れてた。この子、ミーハーだった。
「それに、ハラオウン執務官に聞いていたよりもずっと落ち着いていますし。
やっぱり実物は違うなぁ」
「へぇ……ちなみに、クロノはどんなことを?」
「えっと……君をあんなロクデナシに引き渡して済まない。苦労すると思うがよろしく頼む、と。
……実はけっこう不安だったのですが、杞憂でした」
「なんだと」
「あはは、変な人だったらどうしようって心細かったんですよー」
「なんだと」
……クロノの野郎。
エイミィさんに脚色無し、男の子クロノの生態でも報告してやろうか。いや、そうしようそれが良い。
やや固さの残った……というか、どこかずれた認識をお互いに抱いたまま会話を続けて隊舎へと。
そして、第三課の部屋へと辿り着くと、フィニーノさん……もとい、シャーリーは緊張した面持ちで咳払いをした。
「ここが首都防衛隊第三課の……」
「あ、緊張しなくて良い――」
と、途中まで口にして、勢いよく彼女は扉を開けた。
「遅れて申し訳ありません! シャリオ・フィニーノ通信士、ただ今着任いたしました!
本日より――」
と、そこまで言って、あれ、と首を傾げる彼女。
それも当然か。
第三課の中に人はいない。薄く開けられたブラインドカーテンから差し込んだ日光が、時間の止まった部屋を薄く照らしているだけだ。
「……えっと?」
「皆、今は長期任務に出ていてね。他の部隊に派遣されてるんだ」
「はぁ……そうなんですか」
首を傾げる彼女を尻目に、部屋に入って電気を点ける。
三日掛けて掃除をしたから、埃っぽさ……というか、廃墟然とした雰囲気は抜けている。
最近は俺一人しかここで活動していなかったから酷い有様だったのだ。
「シャーリーのデスクはここ。端末の調整はある程度やっておいたから」
「ありがとうございます」
キャリーバッグのカラカラといったホイールの音が部屋に響き、彼女は指定された机に座る。
そして端末を起動させ、立ち上がるまでの時間を使ってバッグから次々と荷物を出し始めた。
……ん、人の荷物を見るのは良い趣味じゃないし、こっちも業務を始めますか。
俺も自分の席――本来ならば部隊長の席に着くべきなのだろうが、俺は元の場所を使っている――に座って、端末を起動。
オーリスさんから届いた中将の指示にざっと目を通し、どうしたものか、と首を傾げる。
最高評議会から怪しまれないためにスカリエッティのアジトそのものを調べるわけにはいかない。そのため、それらしい施設を教えてもらってはいるのだが……なぁ。
それとは別に三課の仕事もあるし、あまり俺の目的に集中するわけにもいかない。
俺が管理局に居続ける理由を優先したいが、居続けるために仕事もこなさないと。
どうしたもんか、と背もたれに体重を預けて画面を眺めていると、
「あの、スクライア執務官」
「ん?」
「設定、完了しました。早速ですが、デバイスを預かっても良いですか?
ハラオウン執務官から私が必要とされた理由がそれだって聞いていますし……それに」
「それに?」
「エースのデバイスがどんな子なのか、すっごい興味があるんです!」
「無愛想な天然だよ」
『世間ではそれを、クールビューティーと言います』
「クールビューティー違う。黙ってろ」
胸元に下がっていたSeven Starsをシャーリーに手渡すと、彼女は早速端末に黒い宝玉を接続する。
そして、わぁ、と声を上げたあと、
「……え、何これ」
表情を凍り付かせて、絶句した。
「外装はともかく、この構築……それに材質。スクライア執務官、これって自作ですか?
もしそうなら、設計図を下さい」
「悪い、そのデバイス、もう解散したプロジェクトの忘れ形見なんだ。
設計図も何もかも、残ってない」
なんて嘘を吐く。
そんなぁ、と頭を抱えるシャーリーを尻目に、俺は本棚から百科事典ほどもある参考書を引き抜いた。
それに俺がまとめたレポートを付けて、シャーリーの机に置く。
「これ、Seven Starsに使われている材質の。それとこっちは俺の分かる範囲での整備方法」
「んー……あー、思い出しました。これ、ちょっと前に発表されたばっかりの液体金属。
でも、実用段階にこぎ着けていたなんて、聞いてませんよ?」
「まぁねぇ」
「うわぁ……予想の斜め上だぁ……」
そう言い、頭を抱えるシャーリー。
だが、数秒間そうしていたと思ったら、すぐに彼女は顔を上げて拳を握り締めた。
「ふ、ふふふ……燃えてきましたよ。実戦配備すら始まっていないデバイスを弄れるだなんて。楽しいですねー!
よろしく、Seven Stars」
『よろしくお願いします』
リリカル in wonder
……目を覚ます。
身を起こして目元を押さえると、溜息を一つ吐いた。
随分と懐かしい夢だ。もう、一年前のことになる。
暗い仮眠室の中をふらふらと歩いて電気を点けると、洗面台で顔を洗って制服を身に着けた。
時計を見れば、もう昼過ぎ。
少し寝過ごしたか。それでもシャーリーが起こしに来なかったってことは、飛び入りの任務がなかったのだろう。
上着からリングペンダントを取り出して首に下げると、寝癖がないかどうかを確認して仮眠室を出た。
……夜戦任務があると体内時計が狂うな。無理矢理寝るか、貫徹するか。今日はどっちにしよう。
三課のドアを開けると、聞こえてきたのはテレビの音。
どうやらまたテレビをラジオ代わりにして作業をしていたようだ。
今に始まったことじゃないから気にしないが。二人っきりの部隊だから、規律も緩い。少人数でガッチガチに固めたら居心地が悪くなる。
「あ、エスティマさん、おはようございます」
「おはよう。もう昼過ぎみたいだけどね」
「はい、ぐっすりでしたね」
シャーリーは端末をタイプしたまま、顔だけをこちらに向けて喋っている。なんとも妙な光景だが、もう慣れた。
「どう、調子は?」
「はい。Seven Starsも上々です。エクセリオンも段々と安定してきましたし。
あ、けど乱用はいけませんからね?」
「分かってるよ。んで、エクステンドの方は?」
「基礎設計は終わりました。あとは予算さえ確保できれば……」
「了解」
自分の机に座り、端末を起動。
真っ先に目に付いたのは、シャーリーから送られてきたであろう基礎設計図だ。
画面の隅にあるのは3Dで再現された純白の片手槍。エクステンド・ギア、と呼ばれるデバイスの強化外骨格シリーズだ。
シャーリーを三課に招いたのは勿論Seven Starsの整備をお願いするためだが、それとは別に、俺は彼女に前々から考えていた強化プランへのアドバイスを頼んだ。
……もっとも、開発部に提出した設計図は「デリート!」と星が付きそうなほど綺麗な顔で消されたんだが。
エクステンド・ギア。それは、新デバイスを指すものではなく、現行のデバイスをカスタマイズするものである。
現在、デバイスのパーツにはメジャーどころだとカートリッジやヴァリアブルバレット形成用のバレル、魔力刃形成用の銃剣などが存在する。
しかし、それらは接続端子の規格が違ったりするせいで現在陸に配備されているデバイスとは相性が悪いのだ。B級マイスターでも改造できる範囲とはいえ、配備されているすべてのデバイスを改造するわけにもいかない。
それに、もし改造したとしても機能拡張したせいで容量が増え、収納機能の限界を超えてしまいスタンバイモードにすることが出来なくなる場合もある。
そうなるとデバイス本体の容量も増やさなければならず、しかし、いちいち改造する手間も費用も足りず……と。
そこで俺は考えた。
規格が合わないのならばコネクタを作ればいい。収納できないのならば、そもそも収納しなければ良い。
そのアイディアを前面に押し出した強化外骨格、『デンドロビウム』――は、シャーリーに消されたのである。畜生。
ただ、アイディアだけは悪くなかったとか。シャーリーに言わせれば、発想の勝利。
収納をせず外装を持ち歩いて現場に向かう以上、なるべくコネクタを小型化。機能拡張をするならば、本体となるデバイスの容量を取らない軽いドライバを。連結して強度が落ちないよう、頑強な作りに。
その三つさえクリアすれば――というか、その三つがメインであり全てなのだが――完成するわけだ。
パーツとコネクタを買うだけで強化できます。安上がりです、と中将に説明したところ、割と好評。
実戦配備はまだまだ先。というか、正式配備すら決まっていない段階。
それでも興味を持ってくれたゲンヤさんが人柱になってくれて、あの人の部隊で試験運用をしてもらっている。
……面倒見の良い人だ。何から何まで、本当に。
そして、試験運用で蓄積したデータを元に作っているのが、画面の隅に移っている片手槍。
開発コード、『カスタムライト』。Seven Stars用の追加外装。そもそもエクステンド・ギアを思い付いたのがSeven Starsの外装交換システムを弄っている最中のことだった。
……ちなみにシャーリーにはカスタムライトの開発コードを教えたときに、
「改める光ですか!」
とか感心された。違うねん。軽い、って意味やねん。
今更訂正もできないが。
……ただ、このカスタムライト、製作に金がかかる。
ただでさえ性能の高い、現在のSeven Starsを更に機能拡張するわけで、それは小金で作れるような代物じゃないのだ。
魔力保有枠だけではなく、予算も俺一人が使っているようなものだから他の部隊よりも好き勝手はできるのだが、流石にこれはなぁ。
「……自腹を切るしかないのか」
「かもしれませんねー。陸が貧乏ってのは本当だったんだって驚いてますよ。
や、特許とかで予算を確保するのも手かなぁ。もう遅いですけど。
エスティマさん、なんで特許をミッドチルダ地上本部にあげちゃったんですか?」
「……予算の足しになると思ったの」
中将への点数稼ぎって意味もあったが。
ちなみに、これでアインヘリアルの予算が浮く、とあの人は大層喜んでいた。なんでそこまで拘るんだよぅ。
「ままなりませんねー。……おや?」
不意にシャーリーがずっと聞き流していたテレビへと目を向ける。
釣られてそこに目をやると、画面に映っている、風化した記憶が少しだけ蘇った。
マンションのベランダで、女の子を人質に取った強盗。手に持った包丁を振り回し、喚き散らしている。
「……これは」
「これはもう捕まりますね。ベランダまで顔を出して。……航空武装隊が出張ってるみたいですよ?
これ、あの面白い人のところじゃないですか?」
シャーリーが口にした面白い人、とは、ヴァイスさんのことだ。
ん……間違いはない。部隊名は合っているし、事実、そうだろう。
どうするか、と眠気の残っていた頭が回転を始める。
このままならば、ヴァイスさんは狙撃に失敗するかもしれない。必ず失敗する、というわけではないだろうが。
もし失敗したのならば、原作と同じようにトラウマが生まれて武装隊からヘリパイロットへと転向、か。
さて、どうしたものか。
現段階で六課は作られないと半ば決まっている。だからヴァイスさんが狙撃に失敗するのは、純粋にミッドチルダ地上本部の損失になるだろう。
エース級の狙撃手を失う痛手。このまま見過ごして良いものか。
……そして、一人の女の子から光を奪うことを見過ごしても良いのか。
最後に浮かんできた考えに、思わず苦笑する。
馬鹿が。そんなこと、今は関係ないだろうに。
「……シャーリー」
「はいはい」
「急にテレビに映りたくなった」
「へー……って、はぁ!?」
「そーゆーわけなので、ちょっと出てくる」
「へ? って、ちょ、エスティマさん!?」
Seven Starsをシャーリーから奪い取ると、意味が分かりませんよー! と響くシャーリーの声を無視して部屋を出て、走りながら携帯電話を取り出した。
繋げる先はオーリスさん。
出るかな飛行許可。
なんでこんなことに、と、薄く唇を噛み締めながら、ヴァイス・グランセニックはストームレイダーのスコープを覗き込んでいた。
引き金にかけた指は、まるで針金でも通っているかのように動かない。
視線の先。スコープの先。ドットサイトの交わる先は、ひっきりなしにブレている。
錯乱しているのだろうか。女の子――妹のラグナを人質にとっている強盗は、意味もなく包丁を振り回している。
そのせいで狙いが定まらない。抱き寄せられたラグナがすぐそばにいるのもある。
もし外したら、狙撃手に気付いた強盗がどんな風に取り乱すか――そんなこと、考えたくもない。
この程度の狙撃は、過去何度も成功してきた。ヘリからの狙撃すら可能とする自分には、この程度、造作もない。そのはずだ。
だのに、らしくもなく心臓が激しく脈打っている。冷静に相手を狙い撃とうと自分自身に言い聞かせても、なんの足しにもならない。
……当てられる気がしねぇ。
武装隊に入って、狙撃の腕を買われて……エースとまで呼ばれているのにこの有様だ。
『どうしたヴァイス。急げ』
『分かってます』
上官からの念話に舌打ちしたい気分になりながら、ヴァイスはスコープから目を離して額の汗を拭う。
その際、手を見下ろすと、みっともなく震えていた。
ぎゅっと握り締めても収まらない。
「ストームレイダー……みっともねぇな」
『There is not such a thing』
「ありがとよ。けど……こりゃ、今までの任務の中でも一等難しい狙撃だ」
『Aim calmly』
「分かってる」
呟き、再びスコープに目を当てた。
その時だ。不意に、強盗犯が動きを止めた。
撃つなら今だ。そう考え、引き金を引こうとして――もし引き金を引いた瞬間に目標が動いたら。そんなことを考えてしまった。
指は痺れたように動かない。力を込めても緩やかに上下するだけで、最後まで押し込むことができない。
くそ、と自分自身に悪態を吐き――
『……くそ。ヴァイス、狙撃中止だ』
『ま、待ってください。俺は出来ます。やらせて――』
『分かってる。お前は優秀だ。これぐらい造作もないことぐらい、充分に知ってる。
だが、中止だ。フォローに回れ』
『フォロー?』
『ああ。噂の執務官様がおいでなさった。邪魔をするなと上からのお達しだ。
……ったく、いい気なもんだな、花形部隊は』
尚も上官の悪態は続くが、ヴァイスの頭には届かない。
噂の執務官。花形部隊。その二つから脳裏に浮かんだのは、同じ学校を卒業した年下の友人だ。
アイツが? 何故?
先程までの緊張感も相まって、ぐるぐると思考が渦を巻く。
その時だ。
『A fellow』
「……ん?」
ストームレイダーの呼びかけで我に返り、ヴァイスは目を細めて視線の先をはっきりと見据える。
マンションのベランダを駆け抜ける小さな影がある。ストームレイダーが呼びかけたのは、あれのせいか。
なんだ、と思い――
「……あれは」
金毛赤瞳のフェレット。数度、見たことがある。
フェレットは軽快な足取りで走り続けると、強盗犯のところまで行って脚を止めた。
そして、小動物らしく首を傾げる。
不意に現れた動物に、強盗も、腕に抱かれたラグナも呆然とし――
強盗が手に持った包丁が、フォトンランサーによって弾き飛ばされた。
間髪入れずにラグナがフープバインドで固定され、フルオートで連射されるサンライトイエローの直射弾が次々と叩き込まれる。
遠く離れているというのに、ヴァイスの元まで届く強盗犯の悲鳴。
そして、強盗犯がラグナを手放したときだ。
フェレットの体が光に包まれ、元の姿――奇妙なバリアジャケットに身を包んだ少年、エスティマ・スクライアへと変わる。
彼はラグナを抱きかかえてベランダから離れると、デバイスを起動させずに足元にミッド式の魔法陣が展開した。
そして左腕を突き出し、
「サンダー……スマッシャー!」
轟音を伴って、トリガーワードと共に砲撃魔法がぶち込まれた。デバイスを使っていないため完全ではなかったのだろうが、それでも魔導師ではない一般人には間違いなくオーバーキルだ。
紫電が散り、スコープを覗き込んでいたヴァイスは思わず目を閉じる。
そして、再びスコープを覗き込むと、そこには泡を吹いて白目を剥いている強盗犯の姿。
……終わった、のか?
十秒にも満たない救出劇。ただ見ていることしかできなかっただけに、あまり実感が湧かない。
それでも、エスティマが小脇に抱えている妹の姿を目にして、ヴァイスは放心と共に深く息を吐いた。
「……ったく、余計なことを」
ひょっとしたら借りになるのか、これは。
ラグナちゃんを現場の捜査官に引き渡した後、てめぇそこで大人しくしてろ、と放置プレイをくらった。
何やら、意味のない横槍を入れた俺に航空武装隊はお冠なようだ。当たり前だが。
任務の成功はともかくとして、本来ならばヴァイスさんが狙撃をして一件落着。そうなるはずだったのだから。
強盗犯をこのマンションまで追い詰めたというのに、最後の最後で手柄を横取りされて怒らない奴がいるわけがない。
……だからって、現場検証が終わるまで放置ってのも露骨な嫌がらせだが。
携帯電話を取り出すと、シャーリーからメールがきていた。
テレビに映ってますよ部隊長、良かったですね。だそうだ。冷たい。
……ま、良いけどさ。
今以上に肩身が狭くなった代償として、優秀な魔導師を潰さずに済んだんだから儲けもの。
ただ、もう勝手なことはできないのかもな。前ならともかく、今は三課にシャーリーがいるんだ。俺一人にやっかみが集中するならとにかく、彼女を巻き込むのは悪い。
考え足らずに軽率な行動を取ったか。しばらくは大人しくしていよう。
などと考えていると、
「おう、エスティマ。久し振りだな」
「ヴァイスさん」
振り向けば、そこにいたのはヴァイスさんだ。彼は疲労を引き摺った笑みを浮かべながら、こっちに近付いてくる。
……んー。
『ヴァイスさん。俺と喋ると面倒なことになるかも』
『ああ、気にすんな。今回のことを注意していた、って言えば問題ねぇだろ』
念話を一旦打ち切ると、ヴァイスさんは神妙な顔をしながら口を開く。
「……なぁ、エスティマ。お前の管轄じゃねえだろ、ここは」
『直接顔を合わせたのは二ヶ月ぶりぐらいか? どうだ、あの眼鏡っ子とは仲良くやってるかよ』
「はい。近い場所にいたので、つい」
『ぼちぼちやってますよ。シャーリーも元気です』
「つい、じゃねえだろうが。まぁ事件も丸く収まって問題ないから良いけどよぉ」
『まぁ、あの人懐っこい子が元気がないってのも想像できねーけどな。
また今度、遊びに行くか』
「すみません。どうしても見過ごすことができなくて」
『良いですね。シグナムもラグナちゃんに会いたいって言ってましたから。シャーリーもヴァイスさんのことを面白い人って言ってましたよ』
「すみません、じゃねぇだろ。まぁ、何も起こらなかったからこれ以上は言わねぇけどよ」
『面白い人……褒められてんのかねぇ。
ん、まぁ良い。そっちに合わせるから、空いてる日を教えてくれよ。
……なぁ、エスティマ』
「……はい」
『なんですか?』
『ラグナを助けてくれてありがとな。……ま、お前がこなくても俺がなんとかしたんだが』
『でしょうね。航空防衛隊のエースには余計でしたか』
『ん……まぁな』
歯切れが悪い。あの人が何を考えているのか薄々分かってはいるので、なんとも悪い気分だ。
『ともかく、借りが一つできたか……何か困ったことがあったら言えよ。できる範囲で力になってやる』
『ありがとうございます。……早速一つ良いですか?』
『なんだよ』
『会いたかったぞ、ガンダム! と言ってください』
『……意味分からねぇ。一応、真面目に言ってるんだけどよ、こっちは』
『お互い、真面目なんて似合わないでしょうに』
『そうだな』
「んじゃあな」
「はい。また」
最後だけは肉声で別れを告げる。
……考えなしに今回の行動を取ったわけじゃないが、これが吉と出るか凶と出るか。
微妙なところだな。
ヴァイスさんが今の部隊に所属し続ければ、彼をどこかの部隊に引き抜くことはできなくなる。
今でさえエースと呼ばれている彼を三課に取り込むなんて、それこそ燻ってる火種に油を注ぐようなもの。航空武装隊と三課の仲が最悪になるだろう。
しかし、ただのヘリパイロットとなったヴァイスさんを引き抜く必要性も感じない。だったらエース級魔導師として活躍してもらった方がマシだろう。
……ま、今回のは三課にとってマイナスな行動ではあった。少し考えればこの結果は分かっていた。
本当、これがどう出るんだろうかね。
暗い、暗い部屋。
多くの本棚に囲まれ、遮光カーテンによって窓を覆われた部屋。
その中を、光源となるいくつもの紙片が舞っている。
イエローの光を纏った紙片。そこに書かれている古代ベルカ語を頭の中に入れながら、カリム・グラシアはマルチタスクを使用して文字の羅列――予言の内容を見極めようとしていた。
彼女の稀少技能、予言者の著書。それに記される事柄に、ここ最近、一つの新たな項目が増えたのだ。
内容は目を通す度に変貌する。まだ確定していない、いくらでも変化を起こす未来のことなのだろう。
ただ、その内の一つ。四行からなる予言の二行目、三行目が、一定の方向性を持ち始めている。
それを見極めようと目を細め、彼女は側に立つ緑髪の少年に声をかけた。
「ヴェロッサ」
「なんだい」
「陸の様子はどうでしたか?」
「どうもこうも、相変わらずさ。海で起こることには無関心を決め込み、自分たちの仕事をするので手一杯。
……ま、仕方がないとは思うけどね」
「そうではありません。例の――」
「ああ、分かっているよ」
聞きたくない、とばかりにヴェロッサはカリムの言葉を遮る。
彼女はそれで少しだけ眉間に皺を寄せたが、すぐに表情を元に戻した。
「旧い結晶と無限の欲望が交わる地。
死せる王の下、聖地より彼の翼が蘇る。
死者達は踊り、中つ大地の法の塔は虚しく焼け落ち。
それを先駆けに数多の海を守る法の船は砕け落ちる――だったね。ああ、それに対する備えとしてパイプを作っておくのは忘れていないさ」
「ええ。まだはっきりとした解釈は終わってないとはいえ、肝心な部分――これが管理局システムの崩壊を予言していることは十中八九確かでしょう。
その前に、出来ることをせねば」
「そのための供物かい? はやては。
……っと、ごめん。言い過ぎた」
「気にしていません」
カリムが気にした様子もないので、ヴェロッサは胸を撫で下ろす。
供物。別にそういうわけではないが、事情を知っている者が穿った見方をすればそう受け取ることができるだろう。
八神はやて。自分たちの妹分とも言える存在。
彼女は以前から管理局に入りたいと言っていた。カリムのように籍だけを置くのではなく、ヴェロッサのように一人の局員として働きたいと。
しかし、彼女が所属しようとしているのはヴェロッサのいる海ではない。陸の首都防衛隊第三課を希望しているのだ。
首都防衛隊第三課。防衛長官であるレジアス・ゲイズ直属の部隊群。その一つには、ヴェロッサの友人であるエスティマが所属している。
はやてがそこへ入りたいと望む気持ちは充分に分かる。微笑ましい理由だ。
ただ――その彼女を足がかりにして、ミッドチルダで聖王教会や本局勢力を動きやすくするというのに、どうしてもヴェロッサは良い気がしなかった。
しかし、カリムの言いたいことも分かる。予言された災厄がいつ起こるか分からない以上、なりふり構っている場合ではないのだから。
それに、パイプ作り。最初から利用するつもりでエスティマに近付けと言うのならば簡単にこなせただろう。だが、それよりも先に自分は彼と知り合ってしまったのだ。
友人や妹分を利用するようなやり方には、どうしても嫌悪感を抱かずにはいられない。
……こういうところが、青さなのかねぇ。
早く大人になりたいような、なりたくないような。
「カリム。そっちの予言はともかく、もう一つの方はどうなんだい?」
「こっちの方は、さっぱりですね。
抽象的で……どうやら個人を指しているらしい、というのまでは特定できたのですが」
周囲を囲むページの一つを掴み、カリムはゆっくりと口を開く。
「王の証、もしくは印を持つ者、邂逅を果たす。
暗幕の跡地で力果て、死者の列に加わり――ここまでね」
予言のページはまだ埋まっていない。
それが何を指し示しているのかは、分からない。
今はまだ。
本来存在しないはずの予言は、未だその輪郭をはっきりとさせていない。