蛍光色に染まった空間へと、侵入する者がいる。
部屋の主――ジェイル・スカリエッティは、どこか覇気のない視線を入り口へと向けた。
そこにいたのは、ナンバーズの三番。トーレだ。
失礼します、と告げると、彼女はスカリエッティの方へと歩き出す。
お互いに顔がはっきりと見えるところまで近付くと、彼女は足を止めた。
「……トーレか。どうしたのかね?」
「はい、ドクター。作戦行動の許可を頂きたく」
彼女の言葉に、スカリエッティは片眉を持ち上げた。
この子が自ら作戦をとは、珍しい。どういう風の吹き回しだろうか。
そもそもトーレ自身が主体的に動くこと自体が稀なのだ。
命じられたままに戦い、勝つ。それこそが戦闘機人の在り方だとトーレは思っているはずだからだ。
それを分かっているスカリエッティは、意外な気分でトーレに先を促した。
「ふむ。作戦とは何かな?」
「はい。……捕らわれたナンバーズの、救出です」
「……そうか。しかし、今の海上収容施設はちょっとした要塞と化してるよ?
せっかく捕まえた戦闘機人を逃してはならない、とね。
そこへ攻め込むというのかい?」
「はい。単身でそれを行いたいと思います」
「……馬鹿なことは止したまえ」
数人のナンバーズを引き連れてのことだと思えば、トーレは一人で行くという。
馬鹿な、と眉間を抑えながら、スカリエッティは溜め息を吐いた。
「……いくら君といえど、それが無茶だというのは承知の上だろう?
どうしてそんなことを言い出したんだ、トーレ」
スカリエッティの問に、トーレは答えない。
ただ黙り込んで、真っ直ぐにスカリエッティを見据えている。
「……決着を」
「……ん?」
「決着を付けたいと、思います。結果がどうあれ、私も只では済まないでしょう。
……だからその義理として、妹たちの救出を行いたいと思います」
何をいっているのだろうか。トーレの言葉を、スカリエッティは頭の中で組み立て直す。
決着をつけたい。彼女がそう望む相手は一人だけ。その彼と妹たちがどう関係するというのか。
……ああ、なるほど。
「……そう、か」
馬鹿なことを、と再び思う。しかし今度は口にせず、胸中で呟くだけで留めた。
そして、スカリエッティは笑みを浮かべる。
どうやらこの三番目の娘は、変なところを自分から継いでしまったらしい。
そう。だからこそ、分かってしまうのだ。トーレがどのような気持ちで、ここにいるのか。こんなことを言い出したのかを。
「分かった。許可を出そう。
……何か欲しいものはあるかい?
武装でもなんでも良い」
「……ありがとうございます。
では、ドクター。持ち運び可能なサイズの爆弾をいくつか。
それと……出力リミッターの解除をお願いできますか?」
出力リミッター。それは、戦闘機人の身体能力、及びISの限界として設定してある値のことだ。
それを解除することで、通常時を上回る力を得ることはできるが――
「……もう帰ってくるつもりは、ないのかね?」
それによって性能バランスが崩れ、力を御しきれなかった場合、むしろ戦闘能力の低下――自爆すらありうる。
スカリエッティの手によって生み出された戦闘機人は、それぞれ完璧に調整がなされている。
それを崩すことで何が起きるのか。実験を行ったことがないため、無事に済むとは言い切れない。
それだけではない。エネルギーも無限ではないのだ。戦闘継続時間だって目減りするだろう。
おそらく、トーレもそれは分かっているはずだ。
だというのに、トーレは一切の物怖じなしにスカリエッティへと頼む込んでくる。
「……かもしれません。
しかし、必ず勝利を手にしてみせます」
娘らしい答えだ。生き死によりも重要なことがあると。
そのために戦いに行かせてくれと頼んでいるのだ。
「……良いとも。ああ、良いともトーレ。
では、頼まれたリミッターカット……それと、気休め程度の調整をしてあげよう。
きたまえ」
「……ありがとうございます、ドクター」
深々と頭を下げたトーレに、スカリエッティは薄く笑う。
彼にしては珍しく、そこには嘲りといった類の感情は一切ない、どこか暖かみすら感じさせるものだった。
馬鹿な子ほど可愛いというが……きっと、それは今の自分の感じているような心境なのだろう。
執着。拘りといった部分を自分から継いだであろうトーレ。
その衝動に素直に従う娘の姿は、愚かでありながらも好感が持てた。
リリカル in wonder
昼食時の六課の食堂。
忙しなく局員が行き来し、談笑の声が木霊する空間の一角で、高町なのはは肩を落としていた。
小さく溜め息を吐く。彼女にしては珍しく、表情には疲れと困惑が。
手元のトレーに載った昼食は、まったく減っていなかった。
指先でつまんだフォークを迷わせながら、彼女は考え事に耽っている。
「なのは、座っても良い?」
「あ……フェイトちゃん」
なのはが頷いたことで、フェイトは彼女の向かいに腰を下ろした。
なのはの様子がおかしなことに、フェイトは気付いていた。
指摘するべきかそっとしておくべきか。考えつつも、答えはすぐに出た。
きっとこの友人は、困ったことがあっても限界まで他人を頼りはしないだろう。
ならば気付いた自分が、フォローしてあげないと。
「なのは、何かあったの?」
「ん……うん」
「悩んでるようなら、聞かせて欲しいな。
力になれなかったとしても、愚痴だけは聞けるし」
「ん……うん。ありがとう、フェイトちゃん。
悩んでるってわけじゃないの。ただ、どうしてこうなったのかなって不思議で」
それを悩んでるっていうんじゃないかなぁ。
そんな風に思ったフェイトだったが、黙って先を促した。
「新人たちのことなんだけどね。
なんだか、急に訓練に熱が入ってきて……」
「それは、良いこと……じゃないみたいだね」
ただ熱が入っただけならば、なのはがここまで困ったりはしないだろう。
迷うように、んー、となのはは声を上げる。
「ううん、良いことだとは思う。けれど、私にはそれが脆さと紙一重のような気がして。
……少し前までは真剣に訓練していたんだけど、今はそれがいきすぎてる気がする。
……どうしてこうなったのかな」
「んー……注意はしてみたの?」
「勿論。けど、納得はしてても我慢はできない……って風に見えたかな」
はぁ、と再び溜め息を吐くなのは。
一体何が起こっているんだろうと、フェイトは首を傾げる。
新人たちといえば、真面目になのはの教導を受けてスキルアップを図っているイメージがあった。
ふと、キャロのことを思い出してみる。けれど、変な様子に心当たりはない。
どうしてそんなことになっているのだろう。
なのはと同じ疑問を、フェイトも抱いた。
「ねぇ、なのは。キャロたち、どんな風になってるの?」
「……うん」
おずおずと口を開き、なのはは説明を始める。
前の廃棄都市で行われた戦闘から、どこか焦りがあったのはなのはも分かっていた。
それも一過性のものだろう、となのはは思っていたのだが、そうでもないのか。
例えば、ティアナ。
ある意味、普段と変わらないように見えるが、ふとした拍子に様子が変わる。
それぞれの小隊で模擬戦を行っている時のこと。
エリオとスバルが衝突し、相方が抜かれてティアナとエリオが対峙することになった。
普段ならば弾幕を展開してスバルにエリオを任せるだろう局面。
しかし、ティアナは逃げなかった。そのままクロスレンジの戦闘を始めて、教えた覚えのないブリッツアクションを使用し転倒。
怪我は掠り傷ていどだったものの、スタイルに合わない戦い方を選んだティアナになのはは驚いた。悪い意味で。
戦術眼は新人の中でも高いはずの彼女が、悪手ともいえる行動を取る。
その場は些細なミスだと判断して注意するだけだったが……。
次に、スバル。
訓練に熱が入っている。それは普段と変わらないが、ふとした拍子に精細を欠く動きをすることがあった。
何故そうするのか。一度ではなく何度もそういったことがあった。
何か動きを鈍らせるほどの悩みがあるのだろうか。いちいち口出しをするようなことではないと思って様子を見ようと思っているが……。
そして、エリオ。
訓練に熱が入っている。入っているが、どこかそれは空回りしているように、なのはには見えた。
そうなる度にキャロに声をかけられ冷静さを取り戻すのだが、なんの解決にもならない。
自分に厳しく訓練に当たっている……といえば聞こえは良いかもしれない。
しかし、自分たちのやっていることはスポーツなどではないのだ。
無理が祟って取り返しのつかない怪我をしたら。悪い癖がついてしまったら。そう考えると、どうしても無視はできない。
問題らしい問題がないのはキャロだろうか。
けれど彼女も、エリオに引っ張られるようにして無理をしている節がある。ような気がする。
考えすぎかもしれないが、それでも不安は拭えない。
相方のエリオも彼女が無理をしていると気付いているのだろう。
気遣っているものの、やはり、頭に血が上ると自分のことを優先してしまい、結果、キャロが……となる。
……問題を並べてみたが、ティアナとエリオがそうなることに思い当たる節はある。
おそらく、廃棄都市での戦闘。その結果が響いているのだろう。
自分のミスでヴィータが軽くない怪我をした。そのことを引き摺っていると、なのはは気付いていた。
キャロはそんなエリオを気遣って。スバルは……なんだろうか。
そんな風に考えていたことをフェイトに伝え、なのはは言葉を句切った。
既に昼食は冷め切っている。食べないと力が出ないと分かっているので、彼女は食欲を欠片もそそらないそれを、口に運んだ。
「……放っておいて良いことじゃ、ないよね」
「んっ……うん」
咀嚼した料理を飲み込むと、なのははフェイトに応える。
「けど、どこまで踏み込んで良いのか。
注意するのは当然だとしても、それぞれが考えていることにまで踏み込むのはやりすぎな気もするの。
……んー、難しいなぁ」
「今まで、教え子から悩み相談を受けたりはしなかったの?」
「……ない、かな?
長期の教導は、今回が初めてだから。深い仲になるよりも早く、期間終了になるのが普通だったんだ。
だからこういうのは初めてで……。
うう……泣き言いっても始まらないけど、やっぱり難しいよ」
「……あはは」
愚痴を溢すなのはに、フェイトは苦笑する。
当たり前のように気配りができる彼女だからこそ、どうしても新人たちが気になるのだろう。
しかし、踏み込んで良いものかどうか悩んでいる。
もしこれが同年代で、長い付き合いならば別なのだろうけれど。
「……人付き合いって、難しいよね。
無邪気にやれてた子供の頃が、ちょっと懐かしいかな」
「……そうだね。
大人になると、変に気を遣って云いたいことを伝えられないってこともあるし」
「それが悪いわけじゃないけど……難しいなぁ」
苦笑し、なのははトレーに添えられていた紅茶を口に運ぶ。
それもまた温くなっていた。
「……けど、なのは」
「何? フェイトちゃん」
「新人の子たちが大事だったら、やっぱり伝えるべきことは伝えないとかな、って思う。
なぁなぁで済ませちゃ、きっと中途半端なことになるよ」
「……うん。そうだね。
無視はしたくない、って思ってるんだけど……」
少しの間考え込んで、なのはは小さく頷くと、残っていた昼食を急いで処理しにかかった。
ちょっとはしたない、とフェイトは思うも、気付けば昼休みの終わりはすぐそこに迫っていた。
自分も急いで食べないと。
「ちょっと話をしてみる。
あの子たちが何を考えているのか。
どれだけ私が考えても、あの子たちの想いはきっと分かることはできないもんね」
「……うん」
「ありがとう、フェイトちゃん。すっごく助かった」
それじゃあ行くね、と空になったトレーを持って、なのはは席を立つ。
下げ台に食器を返しに行くなのはを見ながら、フェイトはこっそりと溜め息を吐いた。
真っ直ぐな彼女の姿が、どうにも眩しく見える。
余計なお世話かもしれないと分かっていながら、その人のために気を配ってあげられる彼女。
鬱陶しいと思う人がいるかもしれないだろうが、しかし、彼女の美点だ。それは。
子供の頃よりも難しくなった、となのはは云っていたけれど、その長所は少しも曇っていない。
嫌われるかもしれないと分かっていながら他人の中へ踏み込む勇気を持つ者は稀だろう。
「……本当、なのははすごいよ」
自分ではそうはいかない。
ふと、フェイトは兄のことを思い出す。
女子寮へ入れて欲しいなんて馬鹿げたことを頼んで、何をしていたのか。
八神はやてと兄の関係はとても複雑なのだと、分かってはいる。
けれど、二人のことを考えると、どうしても胸の辺りにもやもやとした何かが宿るのだ。
……正直にいえば、面白くない。
けれどそれは、完全に兄離れのできない自分が、勝手に抱いている感情だ。
それを分かっているからこそ、フェイトはエスティマがはやての部屋に行った時、なぜそうするのかと聞かなかった。
同時に、八神はやてをどう思っているのかも。
聞いてどうする、とは思う。
自分は兄に何を期待しているのだろう。
ふと考えた思考に対して、胸の内から浮かんできた解答を、フェイトは黙殺した。
この歳になっても兄離れのできない妹というのは、どうなのだろう。
構って欲しい、なんてことを言える、思うような歳ではない。それは分かっている。
けれど、兄が誰かと一緒にいるとどうしても面白くないのだ。
……なんでそんなことを思うのだろう。
苛立ちとも不安とも違う感情に答えを出すことができず、フェイトは肩を落とした。
午後の教導が開始されて、キャロは訓練をこなしながら、同じフォワード仲間である皆の様子をちらちらと伺っていた。
皆、どうしたんだろう。そんな疑問が頭から離れない。
エリオがどうして焦っているのかは知っている。もっと強くなりたいと願い、目に見えた成果が出ないことに焦りを感じているのだ。
戦闘技術が目に見えて上がることはあり得ない。なのはの教導を受けている自分たちだからこそ、良く分かってることなのに。
一月単位で見れば、きっと強くはなっている。けれど、エリオはそれ以上を望んでいるのだろう。
身体を動かし、魔法を行使する度に強くなりたい。ひたむきに、強くなることを願っている。
一緒に強くなろうと彼にいって、エリオもそれに納得してくれたはずだが、ふとした拍子に熱意が空回りしている。
大丈夫かなぁ、と心配になるが、どうしてもキャロはエリオを止めようとは思えない。
彼の真摯な気持ちに気付いているからだ。強くなりたい。自分が弱いせいで誰かを傷付けたくない。
それを間違っているとどうしても思えないため、キャロはパートナーを諫めることができなかった。
……エリオくんは分かる。どうして焦っているのか知っている。
けど、ティアさんやスバルさんはどうしたのかな?
ふと、胸中で誰にともなく呟く。
キャロの目から見ても、ティアナとスバルの様子に変なところがあった。
パッと見れば変化はないようでも、どこか前とは違うのだ。
淡々と訓練をこなしているようで、たまに似合わないことをするティアナ。
ひたむきさならエリオにも負けないはずなのに、気の抜けている気がするスバル。
きっと二人にもエリオと同じように、考えていることや、目指していることがあるのだろう。
そしてそれは、簡単に解決できることではないのだろう。
難しいね、とキャロは念話でケリュケイオンに語りかけた。
あまりお喋りではないデバイスは、コアを瞬かせて返答をする。
皆、答えが出れば良いのだけど。
けれど、答えが出る前に、また戦いがあるかもしれない。
その時にまた誰かが怪我をするようなことになったら嫌だな、とキャロは思う。
「……あ」
視界の隅に、ティアナとエリオの二人が映った。
S2U・ストラーダをかまえて突撃するエリオ。半身を退いてそれを迎え撃つように、ダガーモードのクロスミラージュを向けるティアナ。
ティアナの左手は空いており、後ろ腰に添えられている。手は何かを握りしめようとしているかのように微かに指が折り曲げられていた。
エリオが雄叫びを上げ、S2U・ストラーダを突き込む。それを魔力刃で受け流し――
ティアナが行動するよりも早くエリオはヘッドを引いて、石突きを叩き込んだ。
力加減はしたのだろうが、それでも軽くないダメージが入ったのか。
ティアナはその場に崩れ落ちて、咳き込みながら呼吸を整えようとする。
「だ、大丈夫!? ティア!
すごく綺麗に入ったよ!?」
「だ、大丈夫じゃない……わよ……」
少し離れた場所にいたスバルも、驚いたように声を上げた。
……って、見てちゃ駄目。私の出番だ!
「だ、大丈夫ですか!?」
駆け寄ると、キャロは呻き声を上げるティアナにフィジカルヒールを発動させる。
桃色の魔力光に照らされると、ティアナの表情からは苦悶が徐々に消えていった。
「……ごめん、キャロ。ありがとうね」
「いえ。……それよりティアさん、危ないですよ。
クロスレンジは流石に……」
「接近戦は僕やスバルさんの役目ですから……」
いくらなのはに教えられていても、本職のエリオやスバルとは練度が違う。
迎え撃つのはキャロから見てもどうか、と思えてしまう。エリオも同じ意見なのだろう。
「あまり慣れないことはしない方が良いよ、ティア」
「……うん、そうね。
ちょっと試したいことがあったんだけど、駄目ね、やっぱり。
控えるようにするわ。悪かったわね、心配させて」
よっと、と声を上げて立ち上がるティアナ。
苦笑を浮かべた彼女に、安心しても良いものかと首を傾げたくなるキャロだった。
ふと視線を感じて、キャロはティアナたちから目を逸らす。
視線を向けているのは、少し離れた位置からこちらを見ているなのはだった。
腕を組んでじっとこちらを見ている様子は、正直居心地が悪い。
……ま、また怒られるのかな?
そう思ったが、なのはが集合をかけることはなかった。
おかしい。昨日も午前中も、逐一ミスを指摘して、矯正しようとしていたのに。
今度こそ首を傾げて、キャロは訓練へと戻った。
海上収容施設内にある庭園。
天井が吹き抜けになっており、地面に芝生の敷き詰められた場所に、エスティマはいた。
その他にこの場にいるのは、逮捕されたナンバーズだ。チンク、ディエチ、オットーの三人。
病院の患者着に似た服を着る三人を相手にして、エスティマはナンバーズがどの程度の常識を備えているのか会話を通じて確かめようとしていた。
まっとうな教育を受けず、洗脳に近い形で結社の戦闘機人として戦わせられていたのだとしたら、その事実は裁判で大きな意味を持つことになる。
戦闘機人によってなんらかの被害を受けた者からしたら、たまったものではない話だろう。
常識がなかったから何をしても許されるのか、と。
しかし、時空管理局は人殺しがしたいわけではない。悪を裁きたいわけでもない。
法の下に平穏無事な世界を回していきたいだけなのだ。
犯罪者である戦闘機人にも、罪を償って一人の人間として生きてもらいたい。
エスティマの場合はそこに色眼鏡が入っているが、しかし、彼の同じように考える者は少なくはないのだ。
彼女たちが真っ当に生きるためには、贖罪以外にどんなことが必要なのか。
それを確かめるためにも、エスティマは彼女たちと会話を重ねている。
……のだが。
「……えっと」
またに一人相撲をしているような気分になる。
チンクは別に良い。エスティマとの約束もあるし、エスティマの行うことへ協力的だ。
しかし他の二人をどうしたものかと、途方に暮れることがある。
ディエチは反応が薄く、本当に話を聞いているのかと疑問に思うことがある。
けれど話を振れば言葉少なく返答だけはしてくれるので、聞いてはいるのだろう。
……こちらを観察するようにじっと視線を向けられるのは、酷く居心地が悪いが。
オットーはディエチよりも分かり易い。が、だからといって扱いやすいわけではなかった。
「話を聞いてるかな、オットー?」
「……聞いてる」
と、答えるも、オットーはそっぽを向いたままだ。
敵意が見え隠れしている。どうしてこうなった、とエスティマは頭を抱えたい気分になった。
理由はなんとなく分かっている。
廃棄都市での戦闘でオットーを捕まえたのはエスティマで――その際、手酷く痛め付けたからだろう。
今は健康だが、捕まえた直後の状態は決して無傷とはいえなかった。
彼女を捕まえた際の決め手は非殺傷設定での攻撃ではなく、Seven Starsによる殴打。
冗談みたいな硬度を誇るSeven Starsを全力で叩きつけたことにより、バリアジャケット、ボディースーツを貫通して、フレームが歪むほどの痛手を与えたのだ。
その時の生々しい手応えをエスティマは覚えている。痛い、なんてものではなかっただろう。
そんな風に自分に怪我を負わせた人間へ簡単に心を開くわけもないか。
仕方がないとは思いつつも、エスティマは根気強く先を続ける。
そして話し続けて一時間ほど経ち、吹き抜けから差し込む光に茜色が混じり始めると、エスティマは話を切り上げた。
ディエチはやはり無表情にエスティマを観察して、オットーにも変化はなし。
困り果てたエスティマの様子に、チンクは苦笑していた。
「……今日はここまで。
少し時間が残っているし、話でもしようか」
「……執務官さん、さっさと帰ったら?
それとも戦闘機人とお喋りしてられるぐらい部隊長って暇なの?」
「……暇じゃないさ。
これも仕事の内なんだよ」
「ああそう」
残念だ、と呟くオットー。手強い。どうしたものか。
そう思っていると、不意にディエチが真っ直ぐに手を挙げた。
何事、と見てみれば、無言のままじっと手を挙げている。
もしかしたら言いたいことがあるのだろうか。
「……はい、ディエチくん。なんでしょう」
「質問」
「どうぞ」
「なんでエスティマは、チンク姉のことを変な名で呼ぶの?」
「……あれ、知らないの?」
こくり、とディエチは頷いた。
表情に変わりはないのに、なぜか興味津々といったように見えてくる。
もしかしたら、今までの話も熱心に聞いていたのだろうか。
「フィアットさん……チンクが使っていた偽名なんだよ。
俺にはそっちの方がしっくりくるから、そう呼んでる。
ま、色々と思い入れのある名前だからね」
「チンク姉、そうなの?」
唐突に話を振られて、チンクは慌てたように肩を震わせた。
そして視線を彷徨わせながら、おずおずと口を開く。
「……あ、ああ。そうだな。
私もその名で呼ばれるのは気に入っている」
「……なら、私もそれで呼ぶべき?」
「そ、それは……」
「フィアット姉」
「……やめてくれ」
「駄目なの?」
「それは……その、だな。
その名前で呼ばれるのは……」
そこまでいって、ちらりとチンクはエスティマを見る。
そして微かに頬を染めながら、しどろもどろな口調で応えた。
「……ほ、ほら。言いづらいだろう?」
「確かに」
「……なら、俺もそう呼ぶべきですか?」
「な、なんだと!?」
一転して、ガーンとなるチンク。
面白いなぁ、と思いながらエスティマは苦笑した。
「冗談ですよ。俺は今まで通りに呼びます。フィアットさん」
「そ、そうか。私もお前にそう呼ばれることは気に入って……。
……ん?
こ、この……! またお前は私をからかったな!?」
エスティマの癖に生意気だ!
二人は仲良いなぁ。
馬鹿みたい。
そんな風に三者三様のナンバーズ。
……やってきたことは確かに悪いことかもしれない。けれど、この娘たち自体は悪人ではない。
私情を挟んではいけないと思いながらも、なんとかしてやりたいと、エスティマは思った。
――その時だ。
天井からガラスの砕け散る音が響く。
反射的にそちらを向いてしまい、西日に目を塞がれた。
しくじった、と思うも遅い。何かに身体を突き飛ばされ、エスティマは芝の上を転がる。
咄嗟にSeven Starsへと手を伸ばすが――
「抵抗しないで頂きたい」
咄嗟のセットアップを中断して、エスティマは目を瞬かせながら声の主を見る。
そこにいたのは、まだ捕まえていないはずの戦闘機人、ナンバーズのトーレ。
濡れ鼠になっている彼女は、炎さえ宿っていそうな瞳をエスティマへと向けている。
彼女は妹たちを背後に置きながら、インパルスブレードの切っ先をエスティマへと向けた。
岸から海上に存在する収容施設を眺め、トーレはこれから行うことの手順を脳裏で整理していた。
スカリエッティのいっていた、要塞、という比喩は冗談でもなんでもないのだろう。
管理局に潜り込んでいる姉からの情報によると、今あの場には数人の高ランク魔導師が常駐しているという。
レーダーの類にも穴はない。魔力、AMF、エネルギー反応。不自然なものが発見されたならば、すぐさま防衛体制へと移行される。
脱出も侵入も容易ではないだろう。流石の姉も、あそこに侵入するだけならともかく、妹を助け出すのは無理だといっていた。
……自分が妹たちを助け出せる確率は低い。一人でも救出できれば僥倖だろう。
しかし、トーレはその分の悪い賭けを行う。
何故なら彼女には、妹たちの救出と同等――ある意味ではそれ以上に大切なことがあるからだ。
「……エスティマ様」
今、あの施設には自分の宿敵がいる。
彼と相まみえるために、トーレはこの場に立っているのだ。
エスティマ・スクライア。戦うことですべてを手に入れてきた男。
力を振るい続けることで、己という存在を確かなものとする自分の同類。
……打ち破るべき敵。
おそらく、これが最後の戦いとなるだろう。
単身で敵の要塞へと乗り込む――行動を起こし始めれば、もう退路は消え失せる。
これからはもう戦うことしか、トーレには残らない。
思えば、彼とは長い付き合いだ。
初めて顔を合わせたのは、首都防衛隊第三課がスカリエッティのアジトへと乗り込んできたとき。
本気ではなかったと言い訳はすまい。同じ高速型の戦闘スタイルを持つ敵として、彼はなかなかに手強かったと思えた。
次に彼と戦ったのは廃棄都市。全力を出した彼の前に、自分は為す術もなく打ち砕かれた。
その時からだろうか。決して不快ではない熱が、胸の内に宿ったのは。
人造魔導師。戦うために生み出された存在。同じ高速型。戦うことで己の立場を確かなものにする。
自分といくつもの類似点がある彼。似て非なる者。
姿を見せるごとに高みへと上ってゆく彼の姿に、自分は心惹かれていった。
敵がどれほど強大か分かっていても尚、刃向かい続けるその姿勢。
一振りの刃として至高の域に達しているのではないか。
そんな者が自分の敵として在ってくれることを、柄にもなく天に感謝すらしてしまう。
ここまで倒し甲斐のある好敵手はそういまい。
似た生まれ。似た道程を歩み、遂に彼はType-Rを打倒するに至った。
自分の後継機として生み出された、技量以外のすべてにおいて上回っている妹を。
……そんな彼に勝つ。そう夢想するだけで、トーレは身体の芯が震えるような錯覚を抱いた。
彼に勝つ意味。彼に勝つ意義。それはとても言葉では言い表せない。
闘争者として生み出された戦闘機人。その頂点に存在しているType-Rを打ち倒す存在。
自分の知る限り、そんなことができるのはエスティマ・スクライアだけだった。
戦うことを望まれ生み出された自分に必要なのは、勝利のみ。
その勝利に意味を見出すとするならば、それは強者を打ち倒すことにある。
より強い者を切り捨てることにより、戦闘機人としての価値を引き上げる。
トーレという存在をより大きなものにする。それ以上に充実することは他にあるまい。
「……始めるか」
持ち込んだ手荷物の中から、潜水器具を取り出した。
ゴーグルを額に通して、フィン――足ヒレを履く。
最後に酸素ボンベを取り付けると、ナップザックを背負って海へと飛び降りた。
決して綺麗ではない海の中を進みながら、トーレはひたすらに目的地を目指す。
センサーの類は使えない。少しでもエネルギーを使うようなことがあれば、すぐに察知されるだろう。
今自分が頼りにできるのは、並の人間よりも優れた身体能力のみ。それだけを武器にして、トーレはひたすらに海中を進む。
エスティマが隊舎に戻るまでは時間があるといっても、あまり悠長にことを進めてはいられない。
焦る気持ちを抑えながらも、しっかりと水を蹴り上げて、トーレは進み続ける。
……見えた。
ぼやけた視界の中に、海底から水上へと伸びる支柱を発見する。
スカリエッティに用意してもらった爆薬に、あれを吹き飛ばすだけの威力を望めない。
用途はハッタリだが、相手が本気にするだけの効果を見せなければならないだろう。
頭を下げてより深く潜り込み、支柱とは別の地下――海底施設の壁面に、ナップザックの中から取り出した爆薬を仕掛ける。
用意したもののすべてを間隔を置いて取り付け、トーレはマスクの下で口元を歪めた。
……これで準備は済んだ。
ずっと停止していたエネルギーの供給を全身へと行う。
頼りなかった四肢には力が戻り、視界には各種センサーの表示が復活した。
目を閉じてゴーグルとフィン、それに酸素ボンベを捨て去ると、トーレはISを発動する。
――ライドインパルス。
紫の光が海の中で輝き、次いで、爆ぜたかのようにトーレの身体が動いた。
重荷を脱ぎ捨てるように海面へと出て、弧を描き海上収容施設――そこの吹き抜けとなっている天窓を突き破り、侵入する。
姉の情報が正しければ、ここにエスティマがいるはずだ。
そして目論見通り、彼はこの場にいた。
口元が引きつる。それを必死に堪えて、トーレは気を引き締める。
腰に下げられている武装――柄を右手に握ると、魔力刃に似たエネルギー刃を発生させ、しっかりと握り締めた。
出遅れた警報が施設の中に響き渡る。
蜂の巣を突いたような騒音の中で、しかし、俺たちは微動だにしなかった。
破られた天窓から、冷たさの混じった風が吹き込んでくる。
髪が風に踊る。芝が撫でつけられる。動きといったらそれぐらいだ。
「……トーレ」
「……エスティマ様」
お互いに名を呼び合う。そこに大した意味はないだろう。
敵を確認し合うような作業。実に今更だが。
「余計なことはしない方が良いでしょう。
何か動きを見せれば、この施設を爆破します」
「爆破……?」
「ええ。このように」
そうトーレが呟いた瞬間、轟音と震動が施設を揺さぶった。
耳を劈くような音ではない。おそらくは海底からか。
しかし被害が小さいというわけではないだろう。警報に続いて、火災の発生と消火作業の指示がスピーカーから流れ出す。
海底……濡れ鼠なのはそういうことか。
わざわざ泳いでここまできたとでもいうのだろうか。正気を疑う。岸からどれだけ離れていると思っているんだ。
しかしこの目の前に立っている戦闘機人は、その常識外れな行動を取ったのだろう。
厳重な警備を突破されたのは、否定しようがない事実だ。
しかし、
「……ここから逃げられると思っているのか?」
「そちら次第、というところでしょうか。
逃がさないつもりならば、私はあなた方と共に海の藻屑と消えることになりそうです」
『……ッ、Seven Stars』
『はい、旦那様。爆発物の捜索は行われています。
エリアサーチによる探索の結果、それらしい物は存在しないか、高度な偽装を施されているのではないかと報告がありました。
現在は施設内の探査を行っているようです』
『……ブラフの可能性もある、か。
Seven Stars、ここの所長に俺の限定解除申請を取らせてくれ。
緊急時だ。融通は利くだろう』
『了解です』
そちらが濃厚、とは現段階ではいえないが。
なんとかして時間を稼がなければいけない。
みすみす戦闘機人を逃すなど言語道断。しかし、施設に勤めている局員を巻き添えにするわけにはいかない。
なんとか、現状が打破されるまでの時間を稼がなければ。
「何が目的だ……っていうのは、愚問か?」
「……どうでしょうね」
小さく笑みを浮かべたトーレに、俺は思わず眉根を寄せる。
わざわざこんなところに入り込んだんだ。妹たちを救出しにきた以外に目的はない……と思うが。
「……いくらお前でも、小さくない荷物を抱えてここから逃げられるとは思えないけどな」
「ええ、そうでしょうね」
トーレの返答に、再び疑問が湧く。
……なんだ、コイツ。どんなつもりだ?
「案の定……ここのセキュリティは大したものです。
応援が到着するよりも早く、私は包囲されるでしょう。
元より可能性は低いと思っていましたが……」
そういって、トーレは三人の妹たちに視線を向ける。
隙が生じた。今なら――
「……セットアップ」
瞬間、Seven Starsのデバイスコアが瞬いて、バリアジャケットと白金のハルバードが顕現する。
が、トーレに慌てた様子はなかった。
むしろ、落ち着き払って――否、微かな笑みさえ浮かべている。
……コイツ、もしや。
「……すまないな、お前たち。
どうやら救出は不可能なようだ」
「……どの口が。お前、最初からそのつもりがなかったな?」
根拠もなく……いや、"コイツだからこそ"という直感めいたことを口にする。
そうすると、トーレは貼り付けていた冷静の皮を脱ぎ捨てた。
三日月のような笑みを浮かべて、ぶるりを身体を震わせる。
しかし、俺に向けた切っ先はそのままだ。切り込む隙はどこにもない。
おそらく、稀少技能を発動させたところで反応されるだろう。
「流石はエスティマ様だ。私のことを、よく分かっていらっしゃる」
「分かりたくもなかったけどな。
……もう一度聞いてやる。目的はなんだ」
「は、はは、ハハハ……!
目的? 目的といったら一つしかないでしょう?
エスティマ様。この私、ナンバーズのトーレは、あなたに果たし合いを申し込む」
「……果たし合いだと?」
「ええ。まさか、断るなどとは……」
つい、とインパルスブレードの切っ先が揺れた。
僅かな変化だったが、トーレが考えていることは分かる。忌々しいことに。
傾いた角度の先には、フィアットさんがいる。もしトーレが腕を一閃すれば、俺が割って入るよりも早く、彼女の首を引き裂くだろう。
「……見下げ果てたぞ。
そこまでして戦うことを望むか」
「無論。私は戦闘機人ですから」
「……違う。
もうお前は戦闘機人ですらない。ただの悪鬼だ」
身内を人質に取るなどと。
私利私欲のためにそこまで落ちるか。
『旦那様。限定解除が行われました』
Seven Starsからの報告を聞いて、決心が固まる。
カスラムライトは手元になく、リインフォースもいないため、完全とはいえない状態。
……しかし。
上等だ。どの道、いつかは戦わなければならない敵。
「……誘いに乗ってやるよ。
だから、その刃を下ろせ」
「……エスティマ」
すまない、と言外にフィアットさんが語る。
小さく頷いてそれに応えると、視線をトーレへと戻した。
「ここは少し狭い。
……外へ出るとしましょうか!」
「フルドライブ、エクセリオン!」
『了解です』
トーレはインパルスブレードを両手足に発生させ、俺は両肩にアクセルフィンを。
申し合わせたように天窓から飛び出ると、外は既に茜色に染まっていた。
海面は黄金色に輝き、水平線の向側には傾いた太陽がある。
その中へと飛び出した俺とトーレは、高度を上げながら戦闘を開始した。
Seven Starsのピックに鎌の魔力刃を発生させ、向かってくるトーレとの距離を詰める。
そして、交差。どちらも痛手を受けてはいない。
肩慣らしでもするように、軽く武器を打ち鳴らす。
『待っていた……この時をずっと待っていました』
不意に、念話が送られてくる。
それを無視して、俺はクロスファイアを発動。
六つのスフィアを生み出して、それをトーレへと。
トーレは誘導弾の速度を上回る動きを見せ、至近距離まで近付いたそれを踊るように切り払う。
牽制の誘導弾。それに惹きつけてショートバスターを放つも、避けられた。
舌打ちをし、トーレに釣られて高度を上げながら、術式を構築する。
『エスティマ様。
あなたと死合うことができるこの時を、ずっと待ち望んでいたのです』
「アークセイバー、プラス」
『ファングスラッシャー』
返答せず、十字の魔力刃を投擲する。
高速回転し不規則な機動でトーレへと迫る刃。
遠隔操作を左手で結ぶ印で行いながら、俺はSeven Starsを右脇に挟み、ショートバスターを撃ち放った。
『エスティマ様。おそらく、あなたにしてみれば、私はただの敵でしかないのでしょう』
ショートバスターを避けるトーレ。だが、それは予測済みだ。
ファングスラッシャーを操作し、回避行動を取ったトーレの背後から襲わせる。
次いで、
「ブレイク」
十字の魔力刃を分離させ、二本のアークセイバーへと。
避けることの叶わないタイミングだが――
トーレは身を躍らせ、刀ではなく両手両足のインパルスブレードでそれらを切り払った。
『Sonic Move』
瞬間、移動魔法を発動させて一気に距離を詰め、振りかぶったSeven Starsを大上段から振り下ろす。
大気を引き裂いて叩きつけられた白金のハルバード。
トーレはそれをインパルスブレードを交差して受け止めるが、超重武器の類であるSeven Starsの勢いを殺し切ることは叶わず。
交差した格好のまま弾き飛ばされたトーレへと、休む暇を与えずにフォトンランサーを連射した。
咄嗟に回避行動を取り、避けきれないものを切り払うトーレだが、数発の直撃を受ける。
だが、射撃魔法ていどでは昏倒させることはできない。
ダメージを与えることはできたが――
「ハハ……!」
それが心地良いとでもいうように、トーレは笑い声を上げた。
……なんて、忌々しい。
『ですが、私にとっては違うのです。
あなたは、私にとっての越えるべき存在だ。
最強の生体兵器……性能がどうであれ、事実、あなたはそう認識されている。
なればこそ、戦闘機人である自分にとって、あなた以上に倒すべき存在はいない!』
「聞いてもいないことをクドクドと。
知ったことじゃないな……!」
「ええ、だから教えて差し上げているのです!
この私にとって、あなたがどのような存在なのかを!」
「もう一度いってやる。知ったことじゃないんだよ!」
再びピックに鎌の魔力刃を発生させ、下段にかまえながらトーレへと。
対するトーレは、片手に持った柄を腰へと戻し、エネルギー刃を大上段にかまえて突撃してくる。
交差。掬い上げるように振った鎌を刃が受け流し、手首のインパルスブレードが俺の二の腕を切りつけた。
浅い。が、バリアジャケットを引き裂いて、血が宙へと噴き出す。
治癒魔法をかけるか否か。一瞬だけ迷うも、戦闘続行と判断する。
掠り傷にかまけて動きを鈍らせたら、向こうの思うつぼだろう。
更に、高度が上がる。
眼下に広がるのは海原と、ミニチュアとしか思えないクラナガンの街並みだ。
どれほどの高度まで上がったのだろうか。
『あなたを倒し、最強の戦闘機人の名を、私は手に入れる!
それこそが私の生み出された意味であり、意義だ!』
『何も見えなくなっているだけだ、お前は。
戦うこと以外にだって、やれることはあるだろうに!』
『ご冗談を! 戦わない戦闘機人?
そんなものにどれほどの価値があるというのです!
人として生きる。それを否定はしません。チンクがそうであるように。
だが――私からすれば、そんなものは甘えでしかない!』
『――お前!』
『私たちには私たちの生き方がある。
それをねじ曲げることに、どれほどの価値があるというのです!
自分が何者かを忘れた先にまっているのは、負け犬としての末路だけでしょうに!』
サンライトイエローの魔力光と、紫のエネルギー光が交差を繰り返す。
夕日の中で一進一退の攻防を続けながら、俺とトーレは刃の他にも、念話をぶつけ合う。
俺は徐々に怒りを。トーレは歓喜を徐々に滲ませて。
『お前がそうだとしても、あの人の選んだことにケチをつけるな!』
『ハハ、あなたがそれを云いますか、エスティマ様!
チンクが選んだ? いいえ、違います。
あなたがチンクを勝ち取ったの間違いでしょう!
そうだ……そうやって、あなたは力によりすべてを手に入れてゆく。
素晴らしいじゃありませんか。それこそが、私たちの在るべき姿だ!』
『ほざけ! 力だけで手に入れられるなら、誰も苦労はしないんだよ!
狭い価値観で知ったような口を聞くな、反吐が出る!』
ふと、気付く。すぐ頭上には雲が存在していた。
俺とトーレは同時に減速を行い、そして、申し合わせたかのように、
「IS発動――ライドインパルス!」
「Seven Stars!」
『了解しました。時間制限なし。
――Phase Shift』
大気の壁を、突破した。
音の流れも、何もかもが遅い。
静かな世界。
だが、そんなものに感じ入っている暇はない。
敵は同じ次元に存在している高速型。
一分の気の弛みも許されない、怨敵。
雲を弾き飛ばして、得物を打ち鳴らす。
お互いに掠り傷を与えるだけで、決定打はどちらも打ち込みはしていない。
そうして、山吹色の魔力光と、紫のエネルギー光が交差したのは、これで何度目だろうか。
いつしか月光に照らされた雲の海を眼下に、二つの光輝が得物をかまえ、乱舞を繰り返している。
位置は既に成層圏へと達していた。
高々度航行能力を持つ、一握りの空戦魔導師しか達することのできない次元。
その、何者もいない空間で俺とトーレは食らい合いのような機動を続け、ずっと戦闘を行っている。
『どうしたのです?
稀少技能を完全開放しないのですか?』
『余計なお世話だ!』
それは、俺も考えていたことだった。
音速超過の速度で繰り出される魔法。それを使うことができれば、この戦いを有利に進めることができるだろう。
この泥仕合のような現状だって打破できる確信もある。
しかし、駄目だ。
熱病のような衝動に突き動かされて、積み上げてきたものを崩すことなんてできない。
『何を躊躇しているのです?
あなたらしくもない。全力をもって敵を打ち砕くことこそが、戦闘の醍醐味でしょうに。
まさか、私では物足りないとでも?』
『……ああ。お前相手には勿体なくてね』
『それは失礼。ならば――』
念話に笑い声が混じる。
その瞬間だ。トーレの纏っていたエネルギー光が爆ぜるように夜空を染め上げ、
『――これでもまだ、そのような口が利けますか!?』
稀少技能による感覚加速を受けているというのに、トーレの姿が一筋の閃光と化す。
気付いた時には、紫の光が目前まで迫っている。
咄嗟に引き寄せたSeven Starsによって刃を受け流せたのは僥倖だった。
振り向けば、トーレは直角の機動を描きながら無理矢理に旋回し、再び俺へと突き進んでくる。
『……旦那様』
「いうな、Seven Stars。分かってる!」
切れた稀少技能を再開させて、俺は頭上へと逃げる。
が、速度を増したトーレはすぐ背後へと迫る。
奴が近接戦闘用の武装しか持っていないことを感謝するべきなのだろうか。
振り向き様にSeven Starsを振り抜く――が、空振り。
ならば次の攻撃は――
刹那の内に稀少技能を解除して、左掌に魔力を集中。それで喉元を守るように。
電気変換された魔力――パルマフィオキーナによって、エネルギー刃を受け止め――否、弾かれた。
完全な当てずっぽうだったが、なんとか敵の動きを予測して防ぐことはできた。
が、形勢が一気に傾いたことに変わりはない。
「づあ……!」
「このような戦いを、私は望んでいません。
早く全力を出してください、エスティマ様ぁ!」
目視の叶わない速度で振るわれるインパルスブレードを、勘だけを頼りにSeven Starsで受け止め、弾く。
が、本体は無事だとしても、カウリングは受け止める度に削られてゆく。
それだけではない。斬撃を受ける度に弾き飛ばされ、姿勢制御だけで手一杯だ。
……使うしかないのか? ゼロシフトを。
けれど、それは――
死んだら元も子もない、とは思う。
しかし、死ななければ良いというものではないだろう。
しかし、しかし、しかし――
刹那の内の葛藤。
その勝敗は、脳裏に俺の身を案じてくれている人たちの顔が浮かんだことで決した。
考えろ。自分を上回る速度を持った敵には、どう対処すれば良いのか。
十年に近い戦闘経験は決して無駄ではないはずだ。
どんなものでも良い。どんなみっともない術でも良い。
味方は存在せず、利用できそうな遮蔽物もないこの空で――
――遮蔽物?
「――ッ、Seven Stars!」
『カウリングパージ』
「くっ……小細工を……!」
トーレへと傷だらけになったSeven Starsの外装をぶちまけて、俺はソニックムーヴを使用しつつ一気に高度を下げる。
目指す先は、雲。あの中ならば!
「逃がすか!」
背後から届く声。それに追い着かれないよう、僅かな隙を最大限に生かして、全力で雲の中へと逃げ込む。
「……アルタス、クルタス、エイギアス」
――詠唱を行いながら。
間を置かず、トーレは俺へと刃を向けるだろう。
くるのは背後か。正面か。横か。上か。
高い精度を持つ戦闘機人のセンサーは、姿を隠したていどでは欺けない。
……けれど。姿を隠すことで一瞬だけでも時間が稼げるのならば充分だ。
"左腕で"Seven Starsを保持しながら、生み出された刹那を最大限に生かす。
可能な限りの速度で、命をチップにした賭けを。
おそらくトーレは俺のいる、この雲のどこかにいるのだろう。
俺が気付くよりも早く近付き、この首を奪いにくるに違いない。
速度。敵がそれを武器にするとこうまで厄介だとは思わなかった。
バインドも何も追い着かない、魔法の発動速度を嘲笑う次元。俺がずっと使っていた武器。
速さとは、何者の追随も許さず、一方的に敵を蹂躙する力である。
――ならば、それを上回る速度で蹂躙してやるまで。
「サンダー――」
声を放つために喉が震える。
感じる。この合間にもトーレは迫ってきている。
俺の首を跳ね飛ばすまで、もう一秒とかかるまい。
しかし、
「――レイジ!」
左腕を通して発動した、ミッドチルダ式の広域攻撃魔法。
俺が使ったところでフェイトほどの精度も威力も望めないだろう。
しかし、この状況下ならば話は別だ。
触媒となる雲に囲まれた、この状況ならば……!
火の中に投げ込まれた爆弾のように、光が爆ぜる。
効果範囲はこの雲の中。俺と同じ場所にいるのならば避けようのない、防ぎようのない攻撃だろう。
目を瞑っても目を焼かんとする雷光。
次いで、轟音が耳を潰そうと襲いかかる。
が、それを知覚できることには大きな意味があった。
まだ、生きている。首は胴体と繋がっている。
すなわち――
「A.C.S.!」
『――――』
耳がいかれたのか、Seven Starsの声は聞こえなかった。
しかし、俺の意志を汲んでSeven Starsは予備のカウリングを装着、更に追加外装の加速器を喚び出すと、サンライトイエローの翼を大きく広げる。
そして穂先を下へと向け、俺は最高速度で雲の中から飛び出した。
案の定、トーレはサンダーレイジの直撃を受けたようだった。
頭を下に、まっすぐ海面へと落ちている。
だが、意識は失っていないのだろう。手首足首のインパルスブレードは消えていない。
これでトドメだ……!
トーレへと突撃し、狙いを違わず、ストライカーフレームがボディースーツへと突き刺さった。
このまま零距離――
「――」
砲撃魔法を構築しようと瞬間、怖気に襲われる。
そっと、首筋を何かに撫でられたような。一気に熱を奪われる何か。
その原因は目の前にいる。
トーレはストライカーフレームに身体を貫かれても尚、笑みを浮かべていた。
笑い声が聞こえないことが不気味でしょうがない。
そして、その怖気の正体とでもいうのか。
「お前……!?」
腹を貫くストライカーフレーム。それを引き寄せて、Seven Starsの穂先へとトーレは腕を伸ばす。
ずぶりずぶりと。痛みを感じていないわけでもないだろうに。
『勝ってみせる……勝って、私は……!』
酷く暗い、熱を孕んだ念話が頭を揺らす。
聞いている方の正気を揺さぶる類の、呪詛に似た何かが叩きつけられる。
トーレの行動は止まらない。ストライカーフレームを飲み込んで、遂にSeven Starsの穂先がボディースーツへと食い込んだ。
それでもトーレは腕を止めない。肉を裂く嫌な感触。白金色の装甲に朱色が伝う。
が、それでもトーレは……。
「う、あ……!」
きっと恐怖というものが形を持ったならば、目の前にいる存在のようなもののことをいうのだろう。
理解できない。何故、そこまでして――そもそも、ここまでして勝ったところで、なんの意味があるというのだろう。
『私は、あなたを……!』
「……いい加減に、墜ちろ!」
左掌に魔力を集中。紫電の散ったそれを、トーレの顔面へと叩きつける。
確かな手応えを感じた。が、それ以上に返ってきたのは激痛だった。
「ぎっ――!」
なんのことはない。トーレは顔面で俺の掌を受け止め、"噛み付いた"のだ。
皮膚が裂かれるだけに留まらない。痛みに混じって、バキリ、と何かが砕ける感触。
それが俺の手だったのか、トーレの歯だったのかは分からないが。
「――あああぁぁあぁあああ!」
バキリバキリと万力のように、少しずつ左手が破砕されてゆく。
脳に叩き込まれた痛みに叫びを上げるが、決して楽にはならない。
一瞬の痛みなどではない。常に送り込まれる激痛は毒に近い。
まとまらない思考でなんとかショートバスターを連射するも、駄目だ。
とうに限界を超えているだろうに、それでも尚、トーレは食らい付いてくる。
――コイツ!
『旦那様、危険です!
この速度で地上に向かっては!』
常に冷静であるSeven Starsにしては特異な、余裕のない念話が届く。
それで僅かに我に返ると、ようやく今の状況が俺にも飲み込めた。
今の速度で海面に落ちたら……!
アクセルフィンに魔力を送って高度を上げようとするも、駄目だ。
何故か。それは、トーレがライドインパルスを発動させて俺を引っ張っているからに他ならない。
『トーレ、お前、死ぬ気か!?』
『ハハ……!』
返事らしい返事はない。既にそうするだけの余裕もないのか。
痛みと腹立たしさに耐えるため、ギリ、と奥歯を噛み締める。
「Seven Stars!」
『了解、モード・C』
ストライカーフレームを解除して、Seven Starsが姿を変える。
選んだ形態は近接戦闘用のもの。だが、本来の用途のためにこれを選んだわけではない。
ただ、トーレを引き剥がすために、だ。
ハルバードが姿を変え、右手に片手剣の柄が収まる。
そして、柄からサンライトイエローの光が真っ直ぐに伸びて刃を形成。
それを平手にかまえながら、左脚をトーレに叩き込んで体勢を固定し、
「許せよ……!」
魔力刃をトーレの眼球へと突き込んだ。
非殺傷といっても、眼球などの柔らかい部位を魔法で傷付けられればどうなるか。それが分からない俺ではない。
しかし、このままでは俺もトーレも死ぬ羽目になる。
このまま海面に叩きつけられ、原型と留めないほどに破壊しつくされるだろう。
……俺はこんなところで死ぬつもりはない。
――生きて、やるべきことがあるんだ。
剣を押し込んで、手元にゼリー状の何かを押し潰す感触が。次いで、人のものとは思えないくぐもった叫びが洩れた。
無論、耳に届いたわけではない。形を成さない念話と、噛み付かれた左掌の皮膚から伝わってきたのだ。
が、流石にトーレも耐えきれなかったのだろう。僅かに手を噛み締める力が弱くなる。
俺は皮膚が引き裂かれるのにもかまわず左手を引いて、柄を握った右腕でトーレを殴り飛ばした。
視線を落とせば、左手はなんとも目にしたくない有り様になっていた。
滾々と血は溢れ出し、その合間には白い何かが見え隠れしている。
ついた歯形に沿って何かが食い込んでいる。おそらく、トーレの歯か。
無理矢理引き抜いたからだろう。手の半ばから指の付け根に向けて、皮が不出来な山脈のようになっていた。
『旦那様!』
『クソ、分かってる!』
制動をかけるも、勢いは殺し切れない。
落下予想地点の割り出しをSeven Starsに任せ、フローターフィールドを海面に展開。
しかし、死にはしないにしても、今のままではマズイ。
砲撃魔法の反動で――駄目だ、モード・Cでは撃てないし、Seven Starsを変形させている暇がない。
このままでは――
「Seven Stars、フェイズシフトを使え!」
『ですが、この速度を殺しきることは――』
「いいや、方向をずらす! やれるな!?」
『――了解』
指示に従い、デバイスコアが瞬いて稀少技能が発動する。
が、ここで無理矢理に上昇しようとしても不可能だ。
Seven Starsのいったように勢いを殺しきれるか微妙なところ。
その上、まったく逆への方向転換で生まれるGは通常の比ではないだろう。おそらく、バリアジャケットの防護能力を超えてしまう。
だから、方向をずらす。
真っ直ぐに落下し続ける身体を反らして、海面に沿う機動へと修正。
海面はすぐそこまで迫っている。このまま押し潰されるか、それとも――
「俺は――」
言葉を紡げたのはそこまでだった。
奥歯を必死に食い縛り、落下機動を横へとひたすらに修正する。
直角に近い軌跡を描くも、まだ足りない。もう少し。もう少しで――
――そして、紙一重のところで軌道修正は成される。
しかし、気を抜いたのが悪かったのだろうか。
徐々に速度を落として危険がないと思った瞬間、バランスを崩す。
盛大に飛沫を上げて、不様にも海へと墜落した。