クラナガンから外れた森林地帯の一つに、結社の持つ研究施設の一つがある。
元を辿ればそこは最高評議会の用意したスカリエッティのアジトの一つ。それを結社に所属した研究者たちに貸し与え、研究を行わせていた。
そう、行わせていた、だ。
今現在、その施設はたった一人の人物が無断使用していた。
自分の庭ともいえる結社のデータベースを改竄し、資材を使い込み、自分だけの兵器を造り上げている。
研究施設の奥底にある一室に、その人物はいた。
ナンバーズの四番、クアットロ。以前は彼女の特徴であった眼鏡はなく、編まれた髪は解かれ、背中に流されている。
彼女の腕には、一人の赤ん坊が抱かれている。紫の髪を持ち、瞼を開けば、そこには金色の瞳があるだろう。
微かに体を揺らし、子供を眠りに誘うクアットロ。そんな彼女の顔には、柔らかな笑みが浮かんでいる。
彼女を知る者が見れば、誰もが驚くだろう穏やかさがあった。
しかし、
『う、あ……』
呻き声のような念話が届いた瞬間、その笑みは変容した。
静穏から不穏へと。同じ笑みでも別種の、嫌らしさが滲む。
クアットロの目の前には、一つの治療ポッドが置かれていた。
その中には、全裸の女が収められている。
損傷の激しかった肉体は修復され、今は交換した機械部品を生体部分に適応させている最中だ。
ナンバーズの三番、トーレ。エスティマに敗北し、海面へと叩き付けられ、行方不明となっている者がそこにいた。
『お目覚めですか、トーレ姉様?
もうそろそろだと思い、待っていましたよ』
『クアットロか……?
私は……そう、そうだ。エスティマ様と……エスティマ様に……』
負けたのか、と続き、トーレからの念話は途絶えた。
そんなトーレに、そうですわ、とクアットロは笑いかける。
トーレの目は開いていない。故に、クアットロがどんな表情で自分を見ているのか、彼女には分からない。
その腕に、何を抱いているのかも。
『感謝してくださいね、トーレ姉様。
敗北したあなたを、この私が助け出して差し上げたのですから』
『……余計なことを。
私は、命を賭けた戦いをエスティマ様に挑み、そして、打ち砕かれたのだ。
ならば、もはや生きる意味などない。
生き恥を晒しては、勝者であるエスティマ様に申し訳がない。
何故だ……何故私を助けた、クアットロ!』
トーレの訴えに、クアットロは噴き出す。
だが、トーレにそれは聞こえない。ポッドのガラスを越えて彼女に伝わることはない。
『トーレ姉様、忘れてはいけませんよ?
どんな拘りがあろうと、それ以前に、私たちは結社に所属する戦闘機人。
例え敗北しようと、生きている限りドクターのために戦わないと……』
ねぇ、とクアットロは肉声を上げ、腕の中にいる赤子に視線を落とす。
クアットロの言葉の真意に気付かず、しかし、とトーレは云う。
『だが私は……戦闘機人として……』
『ナンセンスですよ、トーレ姉様。
戦闘機人は所詮道具。ロボットだからマシーンだから、ですわ。
そこに変な拘りを持ち込むだなんて、トーレ姉様もお馬鹿なチンクちゃんと変わらないのですか?』
『……純粋無垢な機械ではない。我々は。
戦闘機人には戦闘機人の矜持がある』
『あらあら。邪魔な贅肉を付けてしまって……。
まぁ、良いです。死にたいのならば、お望みのように』
『……すまない』
『いえいえー』
ですが、とクアットロは続ける。
『折角助けたのですから、機械として最後に役に立ってもらいますよ?
私も鬼ではありません。もう一度、トーレ姉様が恋い焦がれるエスティマ様にぶつけて差し上げましょう』
『ふざけるな! 私にそのつもりは――』
『トーレ姉様にそのつもりがなくてもぉ、コンシデレーション・コンソールって便利なものがありましてぇー。
修復ついでに、積んじゃいましたっ』
『……やめろ、クアットロ。
私は戦闘機人として、望まぬ戦いは――!』
『ええ。戦闘機人として、ひたすらに戦って下さいねぇ』
それでは、とクアットロは念話を打ち切る。
トーレからなおも念話は届くが、それをシャットアウトし、そして、高らかに笑い声を上げた。
酷く滑稽。戦闘機人の意味を履き違え、そこに意義を見出した姉は、こうして純粋な存在に戻るだろう。
馬鹿みたい、とひらすらに笑う。
最後にトーレの放った懇願は、ここ最近にないほど、クアットロの嗜虐心と自尊心を満たしてくれた。
――そして。
そんなクアットロの様子を見て、腕に抱かれた赤子は、小さな脣を動かし、弧を描いた。
高町なのはは、つい先日にあった海上収容施設襲撃事件の報告書を眺めつつ溜め息を吐いていた。
エスティマに撃破された戦闘機人の三番の行方は不明。未だ捜査は続けられているが、場所が場所な上に墜落直後はジャミングがかかっていたこともあり、引き上げられてはいない。
続いて、巨大ガジェット。なのはが頭を悩ませているのは、これの存在だった。
戦技教導隊の者として、これの具体的な攻略法を考えてくれとエスティマに云われているのだ。
現場で行われた対処は、なんとも力業。AMFの影響を受けない一撃必殺をもって正面から打ち砕く、という手段をエスティマはとった。
しかし、それを馬鹿げているとなのはは笑えない。
交戦していたSeven Starsとバルディッシュに記録された巨大ガジェットのデータを元に、仮想訓練場でダミーを相手にしてみたが、一人では倒すことができなかった。
AMFにより通常魔法で相手が砕けない場合になのはが取る手段は、砲撃用の加速リングで岩石などを飛ばす魔法、スターダストフォール。
しかし敵はそれをものともしない装甲を持っているようだ。
……ミッドチルダ式じゃあ少し厳しいかも。
そう、なのはは取りあえずの答えを出す。
もしこのガジェットが再び現れたときはヴィータを中心に据えて交戦するのが望ましいだろう。
しかし、もしヴィータがいない場所にこのガジェットが現れたら。
それを考え、再びなのはは溜め息を吐いた。
「AMFC……切り札はあるけれど……」
どうしても何かに依存する形で戦うことになってしまう、か。
苦しいなぁ、と呟きながら、なのはは傍に置いたマグカップを口に運ぶ。
いつの間にか中身の紅茶は冷めており、暖かみが欲しかった彼女は、少しだけ眉を潜めた。
そうしていると、不意に事務室のドアが軽い音を立てて開く。
姿を現したのは、エスティマだ。左腕を吊っている彼は、部屋の中を眺めたあと、なのはの方へと近付いてきた。
巨大ガジェットを撃破した代償として、彼の左腕は酷い状態になっている。
しかし思い詰めた様子は微塵も見せず、彼は軽い調子で声を上げた。
「よう、調子は?」
怪我をすることに慣れてしまったのだろうか。
確かに両手で数え切れないほどの大怪我を彼はしているけれど。
きっと本人は、思い詰めたところで怪我の治りが早くなるわけではないなどと割り切っているのだろう。
「……難しいよ。
ガジェットっていっても、これはもう別の何かとしか思えないかな」
「数合わせの雑魚とは思えない性能だからな、あれ。
……なんで今更あんなものを投入したんだか」
「ん……やっぱり、廃棄都市の戦闘で私たちがナンバーズを抑えたのが大きいんじゃないかな。
それで焦って、って」
「……かな。結社も一枚岩じゃないってことなのかもしれない」
「……えっと、エスティマくん? なんだか私と違うこと考えてない?」
「そうか?」
不思議そうにエスティマは首を傾げる。彼自身は何も疑問に思っていないようだ。
しかし思い付いたように、あー、と声を上げると、はっきりとしない口調で説明を始めた。
「ガジェットを発明したスカリエッティなんだけどな」
「うん」
「アイツ、ナンバーズがどれだけ高性能かを見せ付けるためだけにガジェットを作ったんだ」
「……まぁ、確かにAMFを展開すれば戦闘機人は映えるけど。
いくらなんでも、それはないと思う」
思わず、ジトっとした目をエスティマに向けてしまう。
しかし彼は真面目な顔をしたまま、薄い怒りを瞳に浮かべ、皮肉げな笑みを浮かべた。
「……どうかな」
本気、なのだろう。スカリエッティと直接顔を合わせ、言葉を交わした人間は少ない。
その数少ない人間の内一人が、エスティマだ。はやても顔を合わせたことはあるものの、言葉自体は交わしていないと聞いている。
そんな彼が云うのだから、あながち冗談ではないのかもしれない。
「ね、エスティマくん。左腕の具合はどう?」
けれど、胡散臭すぎるのも事実だ。
これ以上この話を続けるのもなんだと思ったなのはは、話題を変えることにした。
「ん、ああ。全治一週間だと。
シャマルが良くやってくれたよ。処置が遅かったらもう少し長引いたらしい。
筋肉やら靱帯やらが駄目になってもそれだけで済むんだから、魔法って便利だ」
「……あんまり過信するのもどうかと思うよ?
度を過ぎた治癒魔法の使用は免疫能力の低下に繋がるって何かで読んだ覚えがあるし」
「分かってるよ。
……医務室で耳タコになるほど云われた」
「嫌なら怪我しなきゃ良いのに。
……まぁ、今回ばかりは仕方ないと思うけど」
「そういうこと」
もし自分があの場にいたら、と考えると、なのははエスティマを責める気が起きなかった。
守るべき存在がすぐ傍にいたら、彼と同じかそれ以上に無理をしたかもしれない。
守る、と決めたのだ。色々なものを。そのために力を振るうと、高町なのはは決めているのだから。
「やー、フェイトもはやても俺のことを白い目で見るし、左腕がこれだから仕事の効率下がってグリフィスには溜め息吐かれるし。
分かってくれるのは、なのはだけだよ」
「……」
前言撤回。あまり一緒にはしたくない。
そこから、二人は息抜きついでに世間話を始める。
先端技術医療センターに預けてある女の子の話だったり、ユーノとアルフのことだったり、他愛もないことだったり。
そうやって会話をしている最中、二人っきりで話すのは久し振りだとなのはは思う。
はやての一件を除けば、エスティマと一対一で話す機会はそうない。
大体シャーリーやはやて、フェイトと一緒なことが多いのだ。
だからといって新鮮に思えないのは、付き合いが長いからなのかもしれない。
悪い意味ではなく、安心して顔を合わせていられるという意味で。
そうしているとまた、事務室の扉が開く。
もう遅い時間だ。ここに顔を出す者はそう多くないはず。
なのはとエスティマは同時に顔を向ける。
そこにいたのは、ティアナを始めとした新人フォワードたちだった。
失礼します、と断って彼女たちは部屋に入ってくる。
それぞれが神妙な表情を浮かべていることに、なのはとエスティマは思わず顔を見合わせてしまった。
「えっと、皆どうしたの?」
「はい。あの、ですね……」
なのはに問いかけられ、ティアナははっきりしない口調で応える。
しかし彼女はぎゅっと手を握り締めると、俯き、顔を上げ、なのはたちを見据えて口を開いた。
「なのはさん。
フルドライブモードを前提とした訓練を、始めてもらえないでしょうか」
リリカル in wonder
自分たちが日々強くなっているのは分かっている。
なのはの教導に従っていればちゃんと強くなれるのも理解している。
けれど、それよりももっと自分たちは強くなりたいのだ。
廃棄都市での戦闘もそうだし、もし自分たちの前に例の巨大ガジェットが出て来たら。
その時何もできないのは嫌だと、ティアナたちは云う。
どうやら、気持ちは四人とも同じようだった。
細かく突き詰めれば違いはあるのだろうが、手段として強くなりたいというのは一緒なのだろう。
『どうするつもりだ?』
『どうするって……私、これでも教導は予定立ててやってるんだよ?
フルドライブモードの使用は、もう少し先のつもり。
それに、今この子たちは……』
念話のやりとりをしながら、なのははじっとフォワード陣を見詰めていた。
怒っている、というわけではない。ただただ戸惑っているように、俺には見える。
……ん。
視線を感じたので顔を向けてみれば、俺のことをちらちらとティアナやエリオが見ているようだった。
やっぱり左腕のことだろうか。……まぁ、当たり前だろう。ストライカーだなんだと云っておきながら、この様だ。
こんな風に俺が怪我したことも、新人たちの焦りに拍車をかけているのかもしれない。
ストライカー魔導師の責務の一つか。向けられる期待が大きい分、もし敗北などしたら周りの者をどれだけ落胆させるか。
その上、俺は六課の部隊長なんだ。冗談でも倒れたら、なんて考えちゃいけない。
『……なのは。訓練を前倒しにはできないのか?』
『……え? えぇ?
エスティマくん、この子たちに肩入れするの?』
『まぁ、そうなるかな』
『……あのね。誰もがエスティマくんみたいに運が良いわけじゃないんだよ?
一度の失敗で取り返しのつかないことが起きる可能性だってあるんだから。
背伸びした訓練なんかやらせて無理が祟ったら本末転倒だよ。
無理を通すために訓練があるんじゃないの。無理をせずどんな事態にも対応できるように鍛えるの』
『分かってる。そうムキになるなって。
ただ、溜まりに溜まった熱量を無視することもできないだろう?
今の状態で放置したって、良い方向に流れるとは思えないけどな』
『かもしれないけど……それでも私は、無茶を推奨するようなことしたくないよ』
『……じゃあ、こうしよう。
現場でのフルドライブモード使用には、なのはの許可を必要とする。
そうすれば、勇み足を踏むような危険も減るだろう?』
『……んん』
どうにも、なのはの反応は芳しくない。
何をそんなに嫌がるのだろうか。
そう考え、意識の違いだろうとすぐに思い至る。
原作とは違い、無茶らしい無茶をやらないなのは。無茶の使いどころを分かっている、といったところか。
一方俺は、負けるぐらいなら無茶を押し通す――負けたら全てが終わる、という戦いに身を投じていたということもある――なんて考えがある。
最近になってそれが薄れたといっても、完全に消え去ったわけじゃない。
だからこそ俺は新人たちのお願いに対して肯定的だが、なのはは気が進まないのか。
力はあっても困るものじゃない……とは思うのだけど。
……いや、それは手にした力を律せるだけの心の強さありきか。
きっとなのはは、新人たちにその強さがないと思っているのだろう。
信用していないわけじゃない。ただ教官として冷静な判断を下しているのだと思う。
それに対するティアナたちの反応は、やはり不満げだ。
ずっと黙り込んで俺との念話を交わすなのはを見る視線には、戸惑いがある。
理由を話してぶつかれば、きっと分かってくれる――そんな思いがあったのだろう。
「……あの、部隊長」
「……ん?」
唐突に俺へと声をかけてきたのはティアナだ。
「部隊長は、どう思いますか?
私たちが強くなれば、六課の戦力だって今よりも充実するはずです。
それは決して悪いことではないと、思うのですけど……」
それに続き、エリオも。
「期待を裏切るようなことはしません。だから……」
「……そうだな」
……なんとも。
抑えつけてこの場をやり過ごしたとしても、やはり捌け口のない熱意の行方が心配になってしまう。
どうしたものか。
『なのは、見ての通りだ。
上官命令ってことでここを収めても良いけど……良い方に転がるとは思えないよ』
『それは私も分かってる……けど』
それでも、教導官としては自分の意志を曲げられない、か。
……頑固者め。
どうやって方向性を定めようかと考えて、視線を落とす。
そして、そこに下がっていたSeven Starsを目にして、一つの案が浮かんできた。
『なのは。第三者の意見を聞いてどうするかを決めるってのはどうだ?』
『第三者?』
『ああ。おそらくは、誰よりも新人たちのことを見ているだろう奴らだ』
不思議そうな顔をなのはに向けられ、思わず苦笑を返してしまう。
危険を共に冒す相棒たちからの素直な意見。お前たちの主人はどれだけの者なのか。
そんな忌憚のない言葉を、デバイスたちから聞いてみようじゃないか。
「たまに突飛なことを考えるよね、エスティマくんって」
「そうか?」
「そうだよ。デバイスたちから話を聞くにしたって、普通はアドバイス程度だと思う」
脣を尖らせながら不満をいうなのはを宥め、俺は開発室の作業台にスタンバイモードのデバイスたちを並べた。
クロスミラージュ。
マッハキャリバー。
ケリュケイオン。
S2U・ストラーダ。
Seven Starsにレイジングハート。
無論、デバイスたちだけの意見を聞くわけではない。
もう一人の小隊長であるはやてを呼んである。彼女がきたら、今は自宅療養しているヴィータと通信を繋いで、隊長、副隊長格の意見を交換することになるだろう。
そう考えていると、開発室の扉が音を立てて開いた。
姿を現したのは、はやてとリインフォースⅡ。人間サイズのリインⅡは、俺と同じように左腕を吊っている。
風呂上がりなのだろうか。二人の髪の毛は湿っており、リインⅡは長髪を結い上げていた。
頬は上気し、なんとも色っぽく見えて困る。はやてが。
「……あー、ごめんな、夜遅くに」
「ええよー、お仕事やからね」
「ですです。新人さんたちのことは、リインも心配でしたからー」
全員揃ったところで、はやてがヴィータへと通信を繋ぐ。
画面に表示されたヴィータは、律儀に局の制服を着ていた。
『よう。とっとと始めようぜ。
……まさかこんな面倒なことになるなんてなぁ』
呆れたような溜め息を吐きながら、画面の向こうにいるヴィータは額を抑える。
その様子に俺たちは苦笑して、
……では。
薄明かりの中でコアを鈍く光らせるデバイスたちを眺めてから、俺は小さく頷いてSeven Starsへと声をかけた。
「それじゃあSeven Stars。議事進行よろしく」
『……了解しました』
返答までに僅かな間があったのは、こんなことに巻き込まれたことへの不満だろうか。
それでも律儀に受け容れる辺り、コイツらしい。
『それでは始めましょうか。
なぜこんな状況になっているのかは、傍で聞いていたのだから分かりますね?
あなたたちからマスターの様子を元に、それを参考に高町教導官のプランに方向性を持たせます。
嘘、大袈裟、紛らわしい。そういったことがないように』
「……Seven Stars、ふざけてないで早く始めろよ」
『それではクロスミラージュ』
華麗に俺のことをスルーすると、Seven Starsはティアナのデバイスへと声をかける。
橙色のデバイスコアは瞬きを上げると、電子音混じりの声を。
『私から云うことは、そう多くありません』
『そうですか。……本当に?』
『はい。マスターが願っていることは、全て、ご自分で云われましたから』
『そうでしょうね。しかし、私が聞きたいことはそうではありません。
そのマスターに対し、あなたはどう思いますか?』
『肯定的に考えています。私の機能を十全に扱うことができるようになれば、マスターはより強くなれるでしょう。
求められれば、私はそれに応えるだけです』
なんとも機械的で受け身な反応だ。
それほどデバイスとのコミュニケーションを取っていなかったのだろうか。
受領してから一年も経っていないのだから、仕方がないのかもしれないけれど。
少しの肩透かしと多大な落胆を勝手に抱きながら、俺はSeven Starsに次へ進んでもらおうと口を開こうとする。
しかしそれよりも早く、クロスミラージュは続きを話し始めた。
『機能をフルに使われずにいる現状は、心苦しいものがあります。マスターがより強い力を欲しているのならば、余計に。
マスターが力を求めており、私にはそれに応える機能がある。しかし、それは封じられ全機能をマスターのために使うことはできません。
それを私は、申し訳なく思います』
『なるほど。ありがとうございました』
礼を云い、Seven Starsは次にマッハキャリバーへと。
デバイスのやりとりを眺めながら、俺は、ほんの少しだけくすぐったいような気持ちになった。
自分が開発に関わったデバイスが、ちゃんとマスターの意志を汲んで意見を口にする。
そんな俺にとってはありふれたことが、こうも嬉しいものだとは思わなかった。
……いけない。今は、デバイスたちの意見をしっかり聞かないと。
気を引き締め、俺はデバイスたちの会話に再び耳を傾ける。
『マッハキャリバー、あなたはマスターが希望することに対して、どう考えていますか?』
『はい。正直な話をすれば、相棒はクロスミラージュのマスターに引き摺られている節があります。
同じチームの者がそれを望むから、と。
それに関しては反対するつもりはありません。相棒が望んだことです。
しかし、相棒個人の話をするならば、私には少し不安があります』
『それは、どのような?』
『はい。相棒は迷いを抱えています。今の状態で教導が次のステップに進んでも、相棒は今までと同じようにスケジュールを消化するでしょう。
しかし、それによって手にした力を相棒は持て余すのではないかと危惧しています』
クロスミラージュよりはマスターとの交流があったのだろうか。
マッハキャリバーは明朗にSeven Starsからの問に答えてゆく。
『今の相棒にとって、新しい力は必要なのか。相棒自身もそれについては答えを出せていないでしょう。
なので、フルドライブモードの教導を行うことに対しては肯定しますが、その場合、相棒の扱いには細心の注意を払っていただきたいのです』
『分かりました』
賛成一、条件付き賛成一……といったところだろうか。
その後、S2U・ストラーダとケリュケイオンの意見を聞いてもみたが、それぞれクロスミラージュとマッハキャリバーと似たような答えを返してきた。
まとめると……教導が次の段階に進むことには異論はない。しかし、今まで以上にマスターたちに気を配って欲しい。
そんなところだろうか。
「デバイスたちの意見はこんなところか。
……じゃあ、次ははやてにリインフォース、どう思う?」
話を向けられたはやては、考え込むように視線を落とす。
「ん……なのはちゃんほど、私は新人たちの面倒みとらんからなぁ。
六課じゃ捜査官として動いているのがほとんどやから、あの子らの気持ちを汲んであげることはあんまできん。
私としては、ティアナとエリオに限定して、スバルとキャロはそのままがええと思うわ」
「リインもです。
抑えが効かなそうな二人はともかく、ストッパーのスバルとキャロまでフルドライブモードの教導を始めてしまうのはどうかと思うのですよ」
『けどそうすっと、教導を二組に分ける羽目になる……まぁ、その場合はスバルとキャロはアタシが面倒見るよ。
明後日には六課に戻る。病み上がりの肩慣らしにゃ丁度良いと思うしな』
……成る程、ね。
教導を二組に分ける……今までもやってきたことだけど、それを通常組とフルドライブ組に分けるってところまでは考えが及ばなかったな。
それを行うことで、フォワード陣に亀裂が走ることもあまり考えられない。むしろ今のまま全員で教導を始めれば、意識の違いで噛み合わせが悪くなる、か。
「……どうだ、なのは。
皆の意見を聞いてみて」
「……うん。
っていうか、考えてみたらデバイスたちがマスターの意見に関して否定的なことを云うわけがないよ!」
断り辛くなったじゃない、となのははジト目で俺を見る。
……まぁ、そうだけど。
けど、本気で駄目だと思ったのならばデバイスだって反対はするさ。
主人のことを第一に考えるのだから。
「……レイジングハートは?」
『……マスターのために力を、という感情に身に覚えがないわけではありません。
しかし、教導官としてのマスターの立場を考えると、素直に賛同できるわけではありません。
無回答、とさせて頂きます』
「そっか。Seven Starsは?」
『十全に機能を発揮できないデバイスは、デバイスではありません。
私たちは、マスターに勝利を約束するために力を尽くすべき存在ですから』
「……お前らしい答えだよ。
それで、どうする? なのは」
「……保留、ってことにはできない。それは分かってる。
どれだけティアナたちが頑張ろうとしているかは、充分に分かったから。
けど……力を手にして自信じゃなく、自分の力を過信しちゃったら……って考えると、どうしても踏み出せないんだ」
「それは、なんで?」
「だって、それで皆を悲しませた人を、私は知ってるから」
じっと、なのはは俺に視線を注ぐ。そういうことかと、ようやく合点がいった。
手にした力に酔って、自分では抱えきれないものを守ろうとして潰れた……と云いたいのだろう。
それに関しては否定のしようがない。
……けれど。
「……ああ、そうだな。
けど、なのは。新人たちは一人なんかじゃない。お前という手綱があるし、共に戦う仲間がいる。
あいつらは俺の二の舞を演じたりはしない……って、思うよ」
「……それって、自分は一人だったって云ってるようなものだよ?」
ちら、とはやての方を見ると、なのははどこか怒りを滲ませた声を上げる。
それはそうだろう。はやてがずっと傍にいたのに、そんなことを云うのだから。
けど、事実を曲げるつもりはない。それに、なのはに嘘を云ったところですぐにバレるだろう。
だからというわけではないが、迷いなく、俺は先を続ける。
「ああ。一人だと思い込んで突っ走ってた。すぐ傍で心配してくれる子がいるってのにね」
「まったくや」
俺の言葉に、冗談めかした口調ではやてが一言付け加える。
言葉に出さず、ありがとう、と苦笑して、俺は先を続けた。
「けど、あいつらは違うはずだ。ティアナやエリオをスバルやキャロが止めてくれる。
……まぁ、アイツらの面倒をお前ほど見たわけじゃないから、半分以上願望が混じってるけどな」
「信じてる、の一言で済ませられる問題じゃないんだけどね、私にとって。
んー……よしっ」
呟き、なのはは立ち上がる。
そして作業台の上に転がっていたレイジングハートを手に取ると、苦笑しつつ口を開いた。
「ティアナとエリオに対象を絞ってフルドライブの教導、始めることにするよ。
新人たちが暴走しないように、ちょっと厳しくなると思うけど。
それで駄目そうだったら、元のスケジュールに戻す。これで良い?」
語り掛けると、作業台に残ったデバイスたちは感謝するようにチカチカと瞬いた。
薄く笑みを浮かべ、なのはは小さな溜め息を吐く。
「教導計画を練り直さないとね……あーあ、今日は徹夜かなぁ」
などとわざとらしく声に出すなのは。
無視したいところだけど、俺がその徹夜をさせる原因の一つでもあるのだから、無視はできないだろう。
「……手伝うよ」
「え、良いの?」
「わざとらしい……俺の仕事はデバイスたちの設定変更で良いか?」
「リインはエスティマさんを手伝うですよー」
「ほんなら、私はなのはちゃんのお手伝いやね」
「ありがとう。それじゃ、頑張っていこう!」
「……少しは怪我人を労っても良いと思うんだ」
なんてことを云いつつも、久々にデバイスを弄れるということで楽しくなってきた。
ちょっとしたチューンを……とも思うが、シャーリーに大目玉食らいそうだし、設定変更と簡単な整備だけにしておくか。
ネクタイを緩めつつ、俺は作業台の椅子に座ってクロスミラージュを手に取る。
主人を想うこいつらの気持ちに、少しでも応えてやるのが、デバイスマイスターの役目だ。
久々に、腕を振るうとしますかね。
その翌日、早朝練習のために訓練場へ集まっていた新人たちの前に、なのはが現れた。
一晩の間預けられていたデバイスたちが戻ってきて、それを握り締めながら、ティアナはなのはへと視線を送る。
徹夜をしたのだろうか。化粧で隠してあるが、表情からは微かな疲れが見て取れた。
しかし彼女は表情を引き締めると、早朝の冷えた空気を短く吸って、全員に届くように張った声を上げた。
「部隊長や八神小隊長と一緒に考えてみて決めたよ。
ティアナにエリオ、あなたたちの教導は次のステップに進ませます。
スバルとキャロは今までと同じ。けど、それはそれぞれのパートナーをより確実に補助できるようにするためだから、勘違いしないでね」
その言葉に、目に見えて喜んだのはティアナとエリオだ。
スバルとキャロは、安堵したような反応を見せる。その中にはそれぞれ違った色も混じっているが、やはり大きいのは、相方の望みが叶ったことへの喜びか。
「……けれど、私は今でも二人の教導を進めることに対して、不安があるの。
時期尚早だって……どうしてもね。
より強い力を扱うことで、訓練の危険度も上がる。体も消耗する。
それに耐えられる下地は作ったつもりだけど、まだもう少し、基礎固めをやりたかった。
……あなたたちが壊れないよう、これから私は、今まで以上に厳しく教導をしようと思う。
それで無理だと分かったら、前の教導計画に戻すから。良いね?」
「はい!」
なのはの言葉に、ティアナたちは声を張り上げ、返事をする。
いつになく真面目な表情のなのはは頷くと、早速、訓練場のセットアップを開始した。
蜃気楼のように風景が揺らめき、仮想訓練場が廃虚の形を取り始める。
デバイスを握り締めながらティアナをそれを眺め――視界の隅に、人影を捉えた。
それはエスティマだ。制服のネクタイを解き、シャツの裾を出したまま上着を羽織るという、なんともだらしがない格好でこちらを眺めている。
その隣には、はやてとリインフォースの姿もあった。
どうしたんだろうと、思っていると、不意にクロスミラージュから念話が届く。
内容は、徹夜で自分たちをフルドライブモードに対応できるよう調整してくれたとのこと。
部隊長がなんで、と思うも、当たり前のことかもしれないと思い至る。
否定的ななのはとは違い、エスティマは自分たちに対して肯定的だった。
その責任として、今日から始まる教導の準備を自分の手で行ったのかもしれない。
……自分たちのためにそんなことをさせて。
申し訳ない気持ちになってしまう。
思えば昨晩、あの場でエスティマに助けを求めるように言葉をかけたのは卑怯だったのではないか。
なんだかんだ云っても、なのははエスティマの部下だ。だったら、多少の無茶だとしても上司として命令すれば通ってしまうだろう。
なのはが教導計画を変えることに気が進んでいないのは、見ての通りなのだから。
ティアナは遠くにいるエスティマに対して、小さく頭を下げる。
それに気付いたスバルが首を傾げるも、なんでもないとティアナは苦笑した。
「……頑張らないとね」
「……うん」
ティアナの声に、スバルは手を握り締める。
それにどんな意味が込められているのだろうか。ティアナには分からない。
視線を巡らせてみれば、エリオはこれから始まる教導に息を巻いているようで、肩を怒らせていた。そんな彼へ、キャロは心配そうな視線を送っている。
これから自分たちは新しい一歩を踏み出す。
それがどう作用するのかは、分からない。しかし、寄せられた期待や心配を裏切らないよう、全力で自らを鍛え上げよう。
胸の中で一人誓い、準備が完了した仮想訓練場へ、ティアナは踏み出した。
喝采はない。喝采はない。
蛍光色の灯りに包まれた研究室は、以前と比べ活気が目減りしているようだった。
部屋に響くものは、研究機材の上げる低い唸り声のみ。以前は響き渡っていた、キーボードを叩く音は一切ない。
部屋の主、ジェイル・スカリエッティ。彼は無精髭の生え、呆けた顔をしたまま背もたれに体重を預け、ただただ天井を眺めていた。
視線の先には何があるというわけではない。彼が何か、別のことへ想いを馳せているのではないか。
脱け殻のようにも見える彼の姿を見れば、誰しもそんな感想を抱くだろう。
彼を形づくっていた欲望、意欲、そういったものが、今の彼からは一切見えないのだ。
燻り、広がる前の野火なのかもしれない。しかし、炎が広がる兆候は、まったくない。
何故か。それは――
「……ドクター。
いつまでそうしているおつもりですか?
こうしている間にも、執務は溜まってゆきます」
「……そうだね。
しかし、それは意味のあることかい?」
そう、スカリエッティは答える。
彼にとって、自らが造り上げた結社という組織の価値は、ここにきて一気に減っていた。
プロジェクトFを途中で投げ出したように。面白半分――否、面白全部で数多もの研究に手を染め、興味を満たせばそれを打ち捨てたように。
再び彼は、自分が積み上げてきたものを手放そうとしている。
これもまた、彼に与えられた呪縛の一つか。
生命操作技術の完成を第一の目標として生きる、スカリエッティ。
その目的から外れたことをしてしまえば、無理にテンションを上げたとしても、興味は次第に消えてしまう。
結社の首領として君臨していた理由は、エスティマ・スクライアという作られた命がどう足掻くのかを眺めていたかったから。
しかし彼は、もう結社という敵がどうあっても、自らの人生というものを定めているだろう。
自分はもう、彼にとって不要な存在でしかない。不要な存在でしかない自分は、彼にとってノイズでしかない。
それはスカリエッティとしても望まないことだ。彼が最も輝く舞台を演出する目的で造り上げた結社が、それを阻害してしまうなど。
ならば、こんな組織など――
結社に所属する研究者たちのことなど、知ったことではない。
今までもそうしてきたように、打ち捨てることに対して心が動くことはない。
もう、この組織で行うべきことは残っていない。
チンクはエスティマの手に渡った。トーレは自らの矜持に殉じた。
残る娘たちは、まだ自分というものを持っていないようなものだ。彼女たちのためにしてやれることなど、残っていない。
だから、とスカリエッティはひたすらに気持ちを萎えさせる。
このまま物言わぬ屍になっても不思議ではないほどに。
そんな彼の姿勢に、傍らに立ち続ける女性――ウーノは、脇に抱えたバインダーをぎゅっと握り締めた。
「……燻ってるとは、らしくないですよドクター」
「……そうかね?」
「はい」
「なら、ウーノ。私に何をしろというのかね?」
「ドクターは、ドクターのなさりたいように」
ウーノの言葉を、スカリエッティは鼻で笑う。そして目を閉じた。
「やっているさ。私は何も行いたくないのだからね」
対するウーノは、スカリエッティの態度を気にした風もなく、首を横に。
「いいえ、間違っていますドクター。
今のドクターはご自分の行いたいことをやっているとは云えません。
分かっているでしょう、ドクター?」
云われ、スカリエッティは僅かに目を見開いた。
視線を天井から横に――傍らに立つウーノへと向ける。
彼女はただ、スカリエッティの隣にいるだけだ。いつものように。無表情で、しかし、瞳の中には確かな優しさを浮かべて。
その優しさは、ただスカリエッティに向けられるためにある。
「もう一度云いましょう。らしくないですよ、ドクター。
ただ腐り落ちるのを待つのは、楽しいですか?
結社を潰すにしても、それを楽しまないのは……そう。らしくない。
そんなにも心配ですか?」
何が、とウーノは云わない。彼女は分かっているのだ。
このまま結社が自然消滅した場合、結社のために用意された娘たちの居場所がなくなってしまうということを。
初期稼働組はまだ良いだろう。しかし、自分たちが戦闘機人というだけで満足してしまっている娘たちは――と。
だが、こうやって時間を稼いだとところで娘たちが成長するわけがない。
チンクも、トーレも、己というものを見付けた戦闘機人は皆、内に篭もっているだけでは成長しなかっただろうから。
「……らしくない、か。
そうだね。かもしれない」
呟き、スカリエッティは再び天井へと視線を戻した。
そうして、五分ほどだろうか。再び研究機材の上げる唸りだけが部屋に満ち――
「……カカッ」
頬を吊り上げ、スカリエッティは短い笑い声を上げた。
そして、立ち上がる。
反動をつけ、椅子を蹴飛ばしながら、二つの足で地面へと降り立った。
そして両腕を振り上げ、準備運動でもするように十指を蠢かせると、
「――ああ、らしくない。らしくなかったね私は。
すまないウーノ。日和っていたようだ。
やはり! 私は! 私らしくあるべき……だっ!」
勢いよく振り下ろし、それを鍵盤型キーボードの上で踊らせる。
パチパチと驚異的な速度で画面が明滅する。開いては閉じ、開いては閉じ。
電子の花火とでも云うような光景を展開しながら、スカリエッティは半開きになった口を半月状に歪ませた。
「答え合わせといこうじゃないか……なぁ、ウーノ。
私の求めたものが、どのような形に実っているのか……ああっ!」
結社のデータを纏めにかかっているスカリエッティ。
彼が何をしようと思っているのか、ウーノには分からない。
しかし、スカリエッティはただ自分が楽しむために何かをするのだろう。
それで良い、とウーノは微笑む。
今までも、そしてこれからも、そうやって自らの欲望に従う姿こそが、彼らしさなのだから。