人のざわめきが遠鳴りに響き、絶えず続いている。
普段ならば聞こえないであろうそれは、窓硝子が一枚残らす砕け散っていることで、外の喧噪が隊舎の中まで届いているのだ。
今、六課の隊舎で以前と同じ状態である場所は存在せず、エスティマ・スクライアがいる情報処理室もまた、そうであった。
外からは管理局の車両が放つ紅いランプの光が届き、断続的に部屋の中が照らし出される。
その中で彼は、見つけ出した無事な情報端末でゼスト・グランガイツとの連絡を取っていた。
が、エスティマの表情は少しも明るくはない。
むしろ苦渋ばかりが滲んでおり、どうしたものかと思案する彼の口元は、一文字に引き結ばれている。
僅かに躊躇いながら、彼はその口をゆっくりと開く。
「……分かりました、隊長」
『……すまんな』
重々しい了承に対する反応は、これもまた、重々しいもの。
ゼストも分かっているのだろう。この局面で自分が抜けることが、どれほどの意味を持つのか。
オーリスが現在の医療技術では治療が困難な重傷を負ったことで、ゼストは結社の拠点から医療機器を奪取するとレジアスに誓った。
が、そのためにゼストが向かう先とはエスティマたちがこれから攻め入ろうとする本拠地ではないのだ。
距離も離れている。目的の物を手に入れたとしても、応援にこれるかどうかは怪しい。
そもそも一人で拠点の一つを潰すということ自体が難しいというのに――
『……これが俺の成すべきことだ。
が、お前の力になると口にしておいて、約束を違え……これでは以前の奴と何も変わらん。
いくら罵られても弁解はできん』
「……そのつもりはありませんよ」
仕方がない、とエスティマは額を抑え、溜め息を吐いた。
そう、仕方がないことなのだ。
そもそもゼスト・グランガイツという男は、レジアスの動向を見守るついでで自分の力になってくれていたようなもの。
自分と、レジアスと。その二つが天秤にかかれば、どちらに傾くなど火を見るよりも明らかだろう。
が――
痛いな、とエスティマは頭痛を堪えるように目を細めた。
オーバーSランクと呼ばれたストライカー。それが改造を施され、その上固有の融合騎まで保有しているゼストは、ある意味エスティマと同等の戦力なのだ。
実際に戦ってみなければどちらが強いと断言はできないだろうが、そう考える時点でゼストがどれだけの実力を持っているのか――味方であればどれほど頼りになるか、というストライカーの条件を満たしている。
その彼がこれから始まる決戦に参加できないとなれば、配置を変えなければならないだろう。
エスティマは外で指揮を執りつつの戦闘を行うつもりだったが、ゼストがいなくなった今、考えていた配置では施設内の制圧を行う決め手が欠ける。
なのはに不安があるわけではない。ヴィータにも。
しかし、屋内での戦闘――それも派手に暴れ回ることができないという縛りがある以上、小技で攻めることのできる者はどうしても必要だったのだ。
俺が行くしかないのかと、彼は小さく拳を握り締めた。
「隊長」
『なんだ』
名を呼び、エスティマは戦いのことから頭を切り換える。
何を云ってもゼストが意志を曲げないことを知っているからこそ、これ以上ぐだぐだと云ってもしょうがない。
ならばこれから一人で戦いに赴く彼へ、何か言葉を贈ろう。そう、エスティマは思った。
「約束を破るなら……ってわけじゃありませんが、一つお願いがあります。
寿命を縮めるような無茶はしないでください。
あなたがいなければ、きっと中将は寂しがる。
あなたの代理なんて、俺はもう御免なんです」
『……分かった。約束させてもらおう』
最初は真剣に。最後は冗談交じりな台詞を、ゼストは苦笑しつつ受け止めた。
「頼みますよ。
……まったく、放って置いたらベルカの騎士はすぐ死にたがるんだから、釘を刺しておかないと安心できません」
『……お前にそれを云われるのは酷く心外なんだが』
まぁ良い、と画面の向こうでゼストは苦笑する。
そして今度はエスティマが心外だと云わんばかりに顔を顰めた。
「……俺は死にたがってませんけど。
前はともかく、今はね」
『それは気になる変化だ。
俺やレジアスを上回る頑固者がどうしてそうなったのか、興味はあるが――
……すまんエスティマ。ここまでだ』
不意に、ゼストの表情が引き締められた。
瞳には焔が宿るが如く決意が満ちて、画面の端で揺れていた黄金の槍型アームドデバイスが振るわれる。
おそらくは目的地が近いのだろう。
それを察して、エスティマは小さく頷いた。
「ご武運を、隊長」
『……エスティマ』
もう時間はないだろうに、ゼストは彼の名を静かに呼んだ。
『もう俺を隊長と呼ぶな』
「……それは」
『勘違いをするな。
もうお前は、俺と同等の存在だろう。
エース、ストライカー……俺と肩を並べて戦えるほどの。
それだけではない。部隊を率い、ずっと戦い抜いてきた。
いくらか歳は離れているが……これからは友と呼ぶと良い』
その言葉に、エスティマは喉元まで声が出かかった。
そうだとしても、あなたが俺の隊長であることに変わりはない――
が、それを飲み下し、照れくさそうにエスティマは笑う。
「……分かった、ゼストさん」
『……ではな、戦友。また会おう。
今度はメガーヌやクイントも揃えて』
「……それは死亡フラグ」
『……妙なジンクスを気にするほど、俺は女々しくないぞ』
ではな、と通信が途切れる。
しばらくの間エスティマはブラックアウトした画面を眺め、ふと、いつの間にか頬が緩んでいたことに気付いた。
……存外、今のやりとりは楽しかったのかもしれない。
軽口を叩ける状況ではないと分かってはいたが、おそらくゼストにとって、レジアスのために戦える――潰えたと思っていた夢を実現することができた今は、幸福なのかもしれない。
……その幸福を一瞬で終わらせないために。
これからもずっと続けさせるために、どうか生き残って下さい。
届かないと分かっていながらも、エスティマは心の中で呟いた。
大丈夫。あの人は強い。おそらく自分と同じぐらいには。
誰にも負けないと信じ込んでいる自分と同等ならば……そう、あの人は勝つに決まっている。
「……よし」
当てにしていた戦力の一つは駄目になったが、それをいつまでも悔やんでいるわけにはいかない。
残る戦力を把握して、早く移動を開始しなければならないだろう。
そう思い、エスティマが踵を返そうとした時だ。
「ああ、部隊長。ここにいましたか」
ガラス片を踏み締める音と共に、グリフィスの声が響いた。
目を向けてみれば、エスティマが入ってくる際に吹き飛ばして歪んだ扉の向こうに、彼の姿がある。
グリフィスは足元に気を配りながら部屋へ入ってくると、ポケットから取り出したメモ帳に目を落とす。
薄暗い上に、襲撃で眼鏡が壊れたせいなのだろう。酷く目つきが悪かった。
「車両の手配ですが、なんとかなりそうです。
ヘリは襲撃を受けたことで完全におしゃかですが、装甲車はなんとか。
現在、故障箇所がないかどうか確かめさせています」
「了解。
……こっちは悪い知らせだ、グリフィス。
当てにしてたロングアーチ00がこれなくなった。
突入隊の戦力が減ったから、穴埋めをしなきゃならない」
「……困りましたね、それは。
と云っても、僕はロングアーチ00がどれほどの魔導師か知らないので、なんとも云えないのですが」
「……ああ、俺と同等の戦力と考えて間違いはない。
ユニゾンデバイスを持っていることも」
「それは痛いですね。
で、穴埋めをするということは……」
「俺が突入隊に行くしかないな」
「……やはりですか」
参りましたね、とグリフィスは目頭を揉みほぐす。
溜まっていた疲れと今の報告で嫌気が差したのか。
「まぁ、いつものことですから慣れましたけど……。
つくづく思います。部隊長は小隊指揮官の方が向いていますよ」
「元々そっちの畑だったからな、俺は。
部隊長になったのだって、前線から俺を離して療養させたいって中将の思惑があったからだろうし。
……まぁ、だからって仕事をしない言い訳にはならないけど」
「もうそのあたりは部隊長と付き合い始めて諦めましたよ。
それじゃあ……」
「ああ、いつも通りに頼む。
各員から送られてくる情報をグリフィスが整理して、俺に送ってくれ。
……と云っても、結社の本拠地だから当たり前のようにジャミングがかかってるだろうし。
どうしたもんかな」
「ああ、それは……あまり大きな声では云えないのですが」
そこまで云って、グリフィスは声を潜める。
周りに誰もいないことを確認すると、彼は納得できないような顔をしながら、口を開く。
「……スカリエッティから、ジャミングを無視できる念話のプログラムを与えるという申し出がありまして。
僕が部隊長を捜していたのは、それの判断を仰ぐためだったんです。
映像通信は使えず、音声のみとは云っても、目隠しの状態で戦うよりはかなりマシなはず……とは分かっているのですが。
……どうしますか?」
「罠だと思うか?」
「……すみません。まるで分かりません。
ああいう類の人は、ちょっと苦手で」
自分とは合わないと、はっきり分かっているのだろう。
もしかしたら念話プログラム以外のことでも言葉を交わしたのだろうか。
あまり話題にしたくないといった様子で、グリフィスはエスティマからの指示を早く欲しいようだった。
「……分かった。奴と話をしてみて、それから決める。
悪かったな」
「いえ、助かります。
ああ、それと……フォワードたちのことを」
「……ああ」
グリフィスが最後まで云わなくとも、エスティマは彼が何を云いたいのか気付くことができた。
と云うよりも、気付かない方がおかしいだろう。
まだ部下たちがどれほどのダメージを受けたのか、エスティマは把握していない。
なのは、フェイト、はやての三人は顔を合わせたため大丈夫なようだと察しはついているが、新人たちとなると途端に分からなくなる。
そもそも彼女らとはそれほど親交があるわけでもないのだ。
「ただでさえ主力の一人が欠けた今、彼らを外したくはありませんが……。
戦えないようなら仕方がありません。
部隊長の目から見て、駄目だと思う者はここへ残すのが無難かと」
エスティマへと判断を任すのは、副官という立場故か、それともエスティマの実戦経験からくるものを信じているからか。
真っ直ぐな視線を受けて、エスティマは頷いた。
「分かった。それじゃあグリフィスは、引き続き車両と、他の部隊との連携の把握を頼む。
ああ、ヴァイス・グランセニックって魔導師は本拠地に攻める際に連れて行くから、そこら辺にいたら引っ張ってきてくれ」
「酷い扱いですね……了解しました。
それでは」
足早に立ち去ったグリフィスを眺め、彼の背中が見えなくなると、エスティマも動き出す。
小さな瓦礫を一つ蹴飛ばして、これからのことで頭を悩ませながら、淡々とひび割れた廊下を歩く。
粉塵が落ちた床には所々に水溜まりができており、数時間前までは活気のあった隊舎は、すっかり廃虚然としてしまっている。
その中を黙々と歩き、通路を出るとロビーへと。
倉庫から運び出された照明によって照らされたそこには、動き回る人影と、やはりここにも喧噪が。
しかしその片隅にいる一団には、重苦しい空気がのしかかり、ここでは珍しくもない――なくなってしまった、瓦礫の一部にでもなっているようだった。
その彼らへと近付くと、エスティマに気付いたのか、一人が勢いよく立ち上がって敬礼をした。
ティアナだ。Type-Rと戦闘を行い昏倒した、と聞いたが、幸い怪我や深手の傷の類は無いとの事だった。僥倖だ。
なのはから聞いた、戦闘可能な状態にある、というのは嘘じゃないらしい。
ティアナに釣られて、残る三人も敬礼を。
それだけの気力が残っていると思うべきか、どうか。
「どうだ、四人とも。
これから結社の本拠地に攻め込むことは、なのはから聞いていると思う。
率直に聞くよ。戦えるか?」
「はい!」
唐突な大声に、ロビーに木霊していた喧噪が一瞬止んだ。
声を上げたのは、またもティアナ。
この中では最も血気盛んなのだろうか。
頼もしいと思う反面、嫌な予感もする。
戦えはするだろう。あとは、先走りしないよう誰かが注意してやれば、と云ったところか。
「……はい。戦えます」
次いで声を上げたのは、スバル。
彼女はエスティマの顔を見つつも、瞳だけは直視できないようだった。
しかし、
「戦って、お母さんを取り戻します」
それが芯にあるからか。
先の言葉とは違い、力強い響きでスバルは言い切った。
ノーヴェとの戦闘で無傷だったわけでもないだろうに、それを気にもせず。
だが、そんな二人と違い、エスティマへ返答をしない者が二人。
キャロとエリオだ。
キャロはエリオを気遣っていたから返事が遅れたのだろう。
触れるか触れないか、といったところまで手を伸ばしつつも、どんな言葉を書けて良いのか分からないようだった。
「……二人は?」
「……私は、大丈夫です」
ちら、とエリオに視線を流しながら、キャロは呟いた。
しかし、エリオは迷っているようで口を開けはするものの言葉は出てこない。
……分かっていたけど、重傷だな。
これも自分の行った偽善の反動と考えると、エスティマも頭が痛くなる。
しかし、自虐に浸かって状況が好転するわけでもなし。
傷を抉るようなことになってしまったとしても――
……否。
それだけはしたくない、とエスティマは思う。
おそらく指揮官としては、ここで悪役にでも徹して激を飛ばすべきなのだと分かってはいる。
戦えないのならば不要と断じるべきだと理解もしている。
しかし――傷付いた者を戦えないからと云って、更に突き放すことはできない。
部隊を統率する者としての義務があるのだとしても。
形だけは取り繕わなければ、という最低限の意識はエスティマにもあったが。
グリフィスが云っていたように、能力からくる適正だけではなく、性格もまた、指揮官には向いていないのだろう。
だからと云って仕事をしないわけにはいかない、とはエスティマも口にしたが。
『エリオ。何か、俺に聞きたいことはあるか?』
他の者に聞こえないよう、エスティマはエリオへと念話を飛ばす。
唐突だったからだろうか。ビクリとエリオは身体を震わせて、怯えるように顔を上げた。
『知っていると思うけれど、俺もお前と似たような境遇だよ。
だから、エリオが知りたいことに答えてやれるかもしれない。
なぁ、エリオ。お前は何をそんなに怯えているんだ?』
『……僕は』
頭の中で自分のことですら整理がつけられていないのか。
おそらく、知らされた事実が事実なだけに、半ば思考停止しているのだろう。
自分にも身に覚えがあったので、エスティマはエリオが言葉を続けるのをじっと待った。
『……僕は作りものなんですよね』
『ああ、そうだ』
『……けど、エスティマさんもそうです。フェイトさんも。
教えてください。なんでそんなに、平気でいられるんですか?
……違う。エスティマさんの場合は、どうしてそうやっていられるんですか?』
そうやって、とはどういうことか。
おそらく、今まで何を思って生きてきたのかということだろう。
そもそもエスティマの中身はエリオたちとは違う故に、答えらしい答えを返すことはできない。
しかし……エスティマなりの答えは一つだけある。
不幸語りをするようで、心の底から気は乗らないが、この際だ。
エリオが求めているということもある。分かり易い形でヒントを与えてやっても良いだろう。
『……生まれがこんなだからさ。
変な奴に目を付けられて、戦うことを日常に組み込まざるを得なくなって。
そうして戦い続けて、痛いのに飽きて、自責の念に身動きが取れなくなって逃げ出したこともあったよ。
それでも今こうして立っているのは……逃げ出せば、手元に残った大切なものが消えてなくなるからだった』
『……大切なもの、ですか?』
『……ああ。
それは約束だったり、意地だったり。まぁ、色々だ。
今は彼女が――ああいや、悪い』
そこで一度、エスティマは言葉を区切る。
それは、ふと脳裏に一人の女性が浮かび、それが口に出てしまったからだった。
が、落ち込んでいるエリオがそんなことを聞いたらどんな顔をするのか想像はつく。
真面目に云ったのだとしても、茶化されたと思うのではないだろうか。
『ともあれ、エリオにはそういったものはないかな?』
『……あるには、あります。
けど、こんな僕がそれを大切と云って良いのか。
……作り物が本物を欲しがって良いのか、分からなくて』
その言葉にいよいよ末期だ、と思いながらも、エスティマは苦笑する。
この悩んでいる状態が上手く転がれば、まだ目はあるだろうと。
『……説教臭くなって悪いけどさ。
逃げ出せば、きっとこれからの人生、ケチばっかりが付くものになる。
エリオはそれで良いのか?』
『……嫌に決まってます』
『なら、どうする。
戦うか否か。それをここで選べ、エリオ』
『いきなり云われたって……』
『そうだな。同情はする。
けれど、時間はすぐそこまで迫っているぞ』
『……なら』
念話での会話はそこまで。
エリオは俯きがちだった顔を僅かに上げると、視線を彷徨わせつつも、最後にはエスティマと目をしっかりと合わせた。
「……戦います」
おそらくそれは、追い詰められた者が行った消去法。
こちらの方がマシ、といったレベルでの判断でしかないのだろう。
エリオの答えを聞いて、キャロは安堵して良いのか不安になるべきなのか困っている風に。
ティアナとスバルは横目で彼を見ながら、お互いに頷き合っていた。おそらく、フォローをしようと念話でも交わしたのだろう。
「分かった。全員参加だな。
それじゃあ、時間に余裕はないけどできる範囲で良い。
体調を整え、装備の点検を怠らず。
なのはを通して次の指示を出すからそのつもりで。
それじゃあ――」
そこで一度区切り、エスティマは四人の顔を見回した。
「頼むぞ。今まで積ませた訓練、経験が無意味なものだったと思わせないでくれ。
期待を裏切ってくれるなよ」
「了解!」
良し、とエスティマは頷いて、踵を返した。
不安はまだ残ってはいるが、それも大分緩和されただろう。
あとは、新人たちの面倒を見るであろうなのはとヴィータに期待か。
「次は……」
気にかけるべき者はまだ残っている。
が、最も言葉をかけるべきと分かっているが故に、後回しにしてしまった子が一人。
おそらく駐車場に停まっているであろう108部隊のトレーラーを目指して、エスティマは歩き出した。
「……ごめん。本当にごめん、なのは」
「……良いの、フェイトちゃん。仕方がなかったって、分かってるから」
隊舎から僅かに離れた場所で、なのはとフェイトは向かい合っていた。
フェイトが謝罪を続けている理由はただ一つ。Type-Rとの戦闘に集中していたためにヴィヴィオが攫われることを許してしまったからだった。
それに応じたなのはの言葉に嘘はない。
高速戦闘型の戦闘機人……それもナンバーズの後期型を相手にしながら何かを守るだなんて、普通は不可能だと分かっている。
それに……悪いと云うのならば。
「……そもそもヴィヴィオを守るのは、私の役目だったんだ。
なのに助けることができなくて、ママ失格……かな」
守ってあげると約束したのに、それを果たせず。
例えそれが子供と交わした口約束だったとしても――否、口約束だったからこそ、守れなかったのが悔しくてたまらない。
それはある意味、なのはの意地だった。
簡単に翻すことができ、なかったことにできる約束だからこそ、守る価値がある。
確かなものではないからこそ、心を賭けて守らなければならないことだった。
約束を交わした相手を信じて待つしかできないからこそ、期待を裏切ってはいけなかったのに。
……なのに、自分は。
ふと、胸元のレイジングハートに目を落とす。
不屈の心と名付けられたそれの持ち主である自分。
その魔杖を用いて生み出す力は、守る力。身近にいる大切な者を守る力。
だと云うのにそれを果たせず――なんのための力なんだろうと、迷ってしまいそうになる。
が、なのははそれを表情に出さないまま、曖昧な笑みをフェイトに向けた。
それが今の彼女ができる精一杯の強がりだった。
そんな彼女の虚勢を知ってか知らずか。
フェイトは小さく頷くと、さっきまでの表情を改めて、すっと視線を隊舎へと向けた。
「なのはは凄いよね」
「……え?」
「だって、多分、私にはそんな風に考えられないから。
……考えてるつもりで、全然そんなんじゃなかった。
知らず知らずの内に守られてたんだ。ずっと。
だから、なのはは凄いよ。
何かを守ろうと決意して、果たせなくても前を向いていられるだけの強さって、簡単には身につかないもの」
見透かされてたかな、となのははバツの悪い表情をした。
が、フェイトは隊舎の方を見ているから気付かない。そうなることを知ってやったのか。
そんな細かな思い遣りに、なのはは心の中でありがとうと呟いた。
「なのはは兄さんと向いてる方向が違うけど、その強さは兄さんと似ていると思うんだ。
だから大丈夫。なのはに出来ないことはないよ。
だから、ヴィヴィオを助け出すことだって、きっといつもみたいに――」
「……私を信じてくれてるのかな。
それとも、エスティマくんを信じてるのかな」
「あ、そ、そういう意味じゃなくてっ」
慌てた様子で、フェイトはなのはへと視線を戻した。
その様子があまりにも可笑しくて、気分じゃないのに、なのははくすくすと笑い声を上げてしまう。
「本当、フェイトちゃんはお兄ちゃんっ子だなぁ」
「……あう」
そして否定しないんだね。
何がどうなったらこうなるんだろう。
自分も妹であるなのはは、心底から不思議に思った。
が、この兄妹ならばあり得るのかもしれない、とも。
昔のことに想いを馳せる。まだ自分が魔法と出会っても間もない頃のことを。
あのときから、エスティマはずっと秘密を抱え込んでいたのだろうか。
ずっと誰かを守るために一人でいたのだろうか。
……ああ、確かに。その在り方は自分と似ているのかもしれない。
皆を守りたいから矢面に立つ。それは多くの人に囲まれているようで、実のところ独りぼっちなのではないか。
守らなければならない。故に、戦わなければならない。
誰かが傷付くよりも自分が――そう思ってしまった瞬間から、守る側へと立ち位置を変え、己の心のみが拠り所の戦いが始まる。
彼と自分は、背中合わせの存在だったのではないか。
見ている方向が違う。似ているようで、守ろうとしているものが違う。
自分は抱え込んだものを。エスティマは目に映り、自分に近しいものを。
そして腕の届かないものまで守ろうとして、無茶せざるを得なくなる。
ああ、今この瞬間になって彼が無茶をし続けた理由がはっきりと分かった。
同時に、共感も。
ヴィヴィオはきっと、守りたいと思うには重い存在だった。
彼女に付加されている数々の価値。人造魔導師。聖王のゆりかごを飛ばす鍵。
抱き締めるだけでは足りなくて、奪おうと伸ばされる手をはね除ける必要もあったのだ。
それに気付かず、奪われた時になって目の当たりにするとはどんな皮肉。
守りたいと思っていたものは、自分ではなくエスティマが守りたいと願っていたものに性質が近かった。そういうことだろう。
……だったら。
「……決戦、か」
「……うん。なのは、兄さんをお願い。
私は外で戦うことになってるから、すぐ隣で守ってあげられないんだ」
「分かってるよ。任せて」
エスティマに無茶はさせない。
今度こそは――今回ばかりは、自分が無茶をする番だ。
それがヴィヴィオに守ると云った自分の責任で、果たすべき事柄だろうから。
何があろうとも、この戦いで、ヴィヴィオだけは――
自分の手で助け出してみせる。
「さて……じゃあ、私はこれから、新人たちを見てくるよ」
決意を新たに、なのはは一歩を踏み出す。
その時だ。
視界の隅に、見知った影が二つ――その内一つが、逃げ去るように走っていった。
それをなのはとフェイトは眺め、同時に首を傾げる。
そこにいたのはエスティマとシグナム。今の状況で爆弾とでも形容できる二人だった。
「……参ったな」
走り去るシグナムの背中を見ながら、溜め息混じりにエスティマは呟いた。
今から追いかけても追い着くことはできないだろう。セッテに叩き込まれたダメージは治療こそしたものの、完全に抜けたわけではない。
全力で走れば苦痛に喘ぐ羽目になるのは目に見えていたし、そんな状態で追いつけるとも思っていない。
だからと云って追いかけないのはどうか、とも思うのだが、
……どんな言葉をかけろって云うんだ。
いざ相対してみて、言葉らしい言葉を何一つかけることができなかった。
気にすることはない。
お前がやったわけじゃない。
そもそも俺が下手を打ったから――
伝えるべき言葉は前もって考えておいたはずなのに、しかしシグナムを前にしたとき、エスティマは何一つ云うことができなかった。
その原因は、考えるまでもない。
エスティマと向き合ったときにシグナムが浮かべた表情を見て、彼は何も云えなくなったのだ。
シグナムが走り去る前に見せた表情の中には確かに怯えが混じっており、おそらくそれは、造り上げてきた信頼関係が壊れたのではないか。
そう、エスティマは思ってしまった。
……当たり前だ。
一度自分を殺したことがある、と知らせるというのなら、今まで何度もチャンスはあった。
しかし機会の悉くを先延ばしにして、もし必要がないのならば墓の下まで持って行って良いとすら思っていたその偽善。
傍目から見て醜く映るか、仕方がないと思われるかはこの際関係ないだろう。
肝心なのはシグナムがどう思ったのかであり――おそらく彼女は――
「……エスティマさん」
「……ん、ああ、ギンガちゃん」
自分勝手な思考の底なし沼へと落ちつつあったエスティマを引き上げたのは、ギンガの声だった。
振り返れば、そこには制服姿のギンガがいる。傘を差した彼女は、シグナムが走り去った方向を一度だけ見て、エスティマへと視線を戻す。
「……大変だったみたいですね」
「……いや、大変なのはシグナムだよ。
俺は、別に」
「嘘ですよ。辛そうな顔をしています」
云われ、エスティマは頬に手を当てる。
しかし、鏡を見ているわけでもないのに自分の表情が分かるわけがない。
彼は、苦笑を無理矢理に作る。
「……そうかな」
そう呟いてから、おや、とエスティマは目を見開いた。
彼女にしては随分と直接的な心配をされたからだ。
スバルと比べればずっと固さが抜けているとは云っても、彼女が気遣うような言葉を向けてくることは、ゼロでなくともそう多くない。
もっぱらがシグナムに関する心配ごとで、今のは純粋に自分に向けてのものだった。
どうして――ああ、そうか。
「……悪かったね」
「どうして謝るんですか?」
「どうしてもこうしても。
隠し事をしていたわけだからさ、俺は」
「……本当に謝る必要なんて、ないじゃないですか。
エスティマさんは今まで、私たちの本当のことを教えず、自分の力だけでお母さんを助けようとしてくれていたんでしょう?
……確かに、教えてくれなかったことに対して腹立たしさはあります。
家族のことだし……けど、私たちはずっと――」
「それも俺が好きでやってたことだから。
……この話はクイントさんが戻ってきて、ゲンヤさんを交えて話をしよう。
不毛だよ」
「……はい」
納得できない、といった感情をありありと顔に浮かべるギンガだったが、彼女は渋々と言葉を引っ込めた。
そうして、話題は元のシグナムへと。
そもそも話を変えたのは、エスティマが先回りしたせいだったのだが。
「……今回のことで嫌われた、かな」
「そんなこと、ありませんよ」
「どうかな」
「そんなことありません。
……エスティマさんは、シグナムがどれだけ父親を――あなたを慕っていたのか、微妙に分かっていないんですね」
「分かっているさ。だから、裏切られたって思ったんじゃないかな」
エスティマが応えると、ああもう、とギンガは頭を掻いた。
どうしてこの親子は、と小声で云うと、やや強い力でエスティマの背中を叩いた。
それが思いの外強く、エスティマは目を白黒させる。
「え、何!?」
「ぐだぐだ考えてないで、ちゃんとシグナムに言葉を届けて上げてください!
顔を合わせることが無理なら、せめて念話で!
……一人で勝手に自己完結して終わりにされても、気持ちは伝わりませんよ」
……今の言葉、その最後は。
おそらく、クイントのことを伝えられなかった自分たちのことを云ったのだろう。
響きには微かな寂しさが含まれてはいたが、しかし、エスティマを責めてはいなかった。
それに対して、救われた、という場違いな感情を抱きながら、エスティマは頷く。
「……そうだね。
ありがとう、ギンガちゃん」
「いえ。それじゃ、頑張ってください。
また後で」
云いたいことを言い尽くしたのか、邪魔はしないという意思表示なのか。
長い髪を踊らせながら、ギンガはエスティマに背を向けて、歩き出した。
彼女から視線を外して、エスティマはシグナムへと念話を送る。
が、返事はない。というよりは、念話の受け取りを拒否しているようだった。
ならば、
『……聞こえるか、レヴァンテイン。
お前を経由して、シグナムに念話を届けてくれ。
……頼む』
『ja.』
シグナムが念話を拒否していることを、レヴァンテインが知らないはずはないだろう。
が、それでもレヴァンテインは主に念話を届けてくれるという。
エスティマの頼みを聞いたわけではない。
レヴァンテインもレヴァンテインなりに、主を心配しているのか。
そんなことを思いながら、エスティマは頭の中で言葉を整理し、術式を組み立てる。
普段はほぼ無意識の内に使っている念話をわざわざ組み立てる。
……なんだかんだ云って、怖がっているのは自分自身か。
『……シグナム。聞こえているか?』
念話を送るも、返事はない。
が、そもそも期待はしていなかった。
シグナム自身が閉じ籠もっているような状態なのだ。応えてくれるとは最初から思っていなかった。
これから伝える言葉はエスティマが思っていることで、それは押し付けに等しい。
が、それでも彼女には何かを伝えなければならない。
何か、とは。言葉にしてしまえば途端に陳腐になるような類のものだ。
……認めよう。
お世辞にも自分は良い父親ではなかった。
だがそれを言い訳にして目を逸らすのはもう止めだ。
不要な気遣い、妙な距離感。
それらのすべてを意識せず、剥き身の言葉をシグナムへと。
『……まず最初に。
すまなかった。俺がずっと黙っていたのは、お前がこんな風になるのを怖れていたからだ。
怖かったんだよ。最初は覚悟していたけれど、一緒に過ごしてゆく内に、大事にしたいと思うようになって。
……その結果がこれだ。
けれど、シグナム。一つだけは信じて欲しい。
お前は何も悪くないんだ。
だから、自分のやりたいことをやれば良い』
そこでエスティマは一度、念話を区切る。
やはり返答はない。期待していなかったとは云っても、やはり堪えるものがある。
脣を舐め、僅かに瞼を下げながら、エスティマは最後の言葉をシグナムへと。
『……お前が何を思っていようと、俺はお前を肯定する。
俺だけはお前の味方でいる。独りにはしない。
それだけは、嘘じゃない。
間違いなくお前は、俺の守りたいものの一つだから』
……ふと、脳裏に何かが瞬くように。
自分で口にした言葉に、エスティマは既知感を覚えた。
それが何かは分からない。酷く霞みがかった記憶の中からは、誰かから向けられた励ましの言葉としか思い出すことができなかった。
しかし、反射的に自らの顔へと浮かんだ苦笑から、それが誰の言葉だったのかを思い出す。
「――ああ……お前も、こんな気持ちだったのか?」
だとしたら、本当に――
「おう嬢ちゃん。ちいと悪いが、付いてきてもらうぜ」
その一言。
説明らしい説明を受けぬまま、海上収容施設から拉致同然で連れ去られたチンクは、車に揺られながら現状を把握しようと努めていた。
何か結社と管理局の戦いに動きがあったのだろうか。そう考えるも、根拠となるものは何一つなかった。
暗い護送車の中で揺られるチンクに与えられる情報は何一つない。
これからどこへ向かうのか。これから何をさせられるのか。
そんなことも知らせず私をどこへ――などと云える立場でないことは、今更だが。
「……くそう」
そう、チンクは呟く。
だが言葉とは裏腹に、彼女に浮かんでいる表情は悔しさではなく心細さだった。
海上収容施設という檻から出され、自分はどこへ行くのだろう。
別にあそこの居心地が良かったわけではない。
しかしあそこにいれば、彼――エスティマ・スクライアは顔を見せに来てくれる。
唯一彼との接点を持つことのできる居場所から引き離され、彼女の心には不安が浮かびつつあった。
自分を取り巻く状況が分からないということも、それに拍車をかける。
狭く、決して広いと云えない車内に閉じ込められたチンクは、これから何が起こるのかと想像して、酷く嫌な気分となっていた。
実験にでも付き合わされるのだろうか。
タイプゼロが管理局に入っていると云っても、あれは十年前の技術で生み出された戦闘機人。
チンクもそれに近い年代に生まれたとはいえ、決して少なくない回数の改良を受けている。
殺されることはないだろうが――などと、物騒なことを考える彼女。
最悪と云えば最悪な情景を思い浮かべてしまうのもまた、自分がどうなるか分からない現状のせいであった。
その時だ。
なんの前触れもなく、運転席側にある荷台の扉が開かれた。
まだ車両は動いているが――
「ああ、悪かったな嬢ちゃん。
いきなりこんな風に連れ出しちまってよ。
なんとか予定が立ちそうなんで、もうそろそろ事情を説明させてもらうぜ」
そう云いつつ、よっこいしょ、と重い声を上げて椅子に腰を下ろしたのは、一人の中年だった。
銀髪なのか、白髪なのか。それは分からないが、男の頭髪は短く刈られた白一色。
事務方なのだろうか。大柄だが、筋骨隆々としているわけではない。太っているわけでもまた、ないのだが。
暗闇の中で彼の姿が徐々にはっきり見えてくると、男を一度どこかで見たような覚えがチンクにあった。
おそらくは捕まった自分たちを見にきた管理局の士官の一人だ。あまりにもその数が多いので、いちいち彼女は憶えていなかったが。
「前にも一度挨拶したことあったんだが、一応な。
108陸士部隊を受け持ってる、ゲンヤ・ナカジマ三等陸佐だ。
……タイプゼロの親、って云やぁ、分かるか?」
「……ああ、あなたが」
肉親ではなく育ての親か。
チンクはさほどタイプゼロの二人に興味があったわけではなかったため、ゲンヤの顔を薄ぼんやりとしか覚えていなかった。
しかしその彼が何故、ここに?
「まず本題から入らせてもらうぜ。
これから六課が結社の本拠地へと攻め込むことになった。
その際にだな。AMFをものともしねぇ戦力が必要なんだ。念のためにな。
エスティマのレポートを信じれば、嬢ちゃんは管理局に協力的って話だ。
そこで白羽の矢が立ち、嬢ちゃんにはこれから六課と共同で戦ってもらうことになる」
「……正気か? 私はナンバーズだぞ?」
「……俺も正直、どうかと思うんだがね。
だが、場合が場合だ。
やってくれるか?
……かなり酷なことを云っているのは承知の上だ。
嬢ちゃんがいくら協力的とは云っても、身内と戦うのは良い気がしねぇだろうしな。
もし少しでも気が咎めるなら云ってくれ。今ならまだ引き返せるぜ」
静かなゲンヤの声は、考える時間を与えると言外に語っているようだった。
が、今は、という言葉から察するにそう余裕があるわけでもないのだろう。
どうするか――チンクは考え、指先を毛先へと伸ばした。
それをくるくると弄びながら、彼女は視線を流す。
……妹たちと戦う。
それにあまり気が乗らないのは確かだ。
自分は自分で、一つの目的があり管理局へと下った。
捕まろうとして捕まったのではない。義理はきっちりと果たしたつもりではある。
しかし――
「……一つ、教えて欲しい」
「なんだ?」
「なんでこんなに切羽詰った状況なんだ。
攻め込むとは云っても、随分性急なような気がする」
「ああ、やっぱり気になるか。
実はな。組織を抜け出したスカリエッティが出頭しやがったんだよ。
で、それを奪い返そうとした戦闘機人によって、六課が焼かれた。
拠点があの様じゃあ、これから満足に動くこともできねぇ。だっつーのに、結社側はスカリエッティなしでこれからも活動を続ける気でいる。
それを防ぐのは今しかねぇってことで、今はどの部隊も決戦準備の最中だ」
ゲンヤの言葉を聞くチンクは、目を見開いていた。
彼の話に口を挟まなかったのは失礼と思ったからではなく、内容が予想を超えていたからだ。
ドクターが出頭?
六課が焼かれた?
決戦?
何がどうなったらそうなる。
そもそもドクターが出頭……あの人はエスティマを弄るのが楽しかったのではないのか?
いや、そんなことより――六課が焼かれた?
エスティマは無事なのか?
ぐるぐると頭の中で、与えられたばかりの情報が回り出す。
が、そんな混沌とした頭の中でたった一つ、揺るがない想いがあった。
それは、エスティマの力になってやりたいという感情だ。
恋慕の情を別にしても、自分に新しい生き方を与えてくれた彼の力に、少しでもなれたらと。
妹たちと戦うのは気が進まない。
しかし――スカリエッティが出頭した今、この戦いはどこへ向かう?
海上収容施設へ顔を出していない以上、おそらく結社の残存戦力を纏め上げているのはクアットロだろう。
ドクターにその気がないのならウーノはまず間違いなく結社に残ってはいないだろうから。
……何をやっているんだあいつは。
確かにスカリエッティに振り回されて今までの戦いを台無しにされ、頭にきたのは分かる。
想像でしかないが、クアットロならそうなっているだろう。
しかし、そんな状態で戦いを長引かせたところで、どんな意味があるというんだ。
ドクターが折れたというのならば、もう自分たちが戦う必要もないというのに。
……が、そう思うのはおそらくチンクだけか。
戦うこと以外に生きる意義を持っている彼女だからこその考え。
戦うための道具でしかない――未だ自分はそうでしかないと思っている妹たちからしてみれば、おそらく、自分の方が異端に見えるのだろうし。
……ともあれ。
スカリエッティが自分から折れたと云うのならば、チンクはそれを信じて、自分にできることをしようと顔を上げた。
戦いに意味らしい意味がなくなったと云うのならば――けじめとして。そして、妹たちのこれからのために。
この戦いを終わらせて、先に進むための準備をしよう。
「……決戦、参加させてもらおう」
「……分かった。すまねぇな、嬢ちゃん」
いや、とゲンヤの言葉に頭を振る。
するとゲンヤは、運転席に繋がる扉を開けて、何かをその手に掴んだ。
彼がその手に抱いたものは、戦闘機人用のボディースーツ。それに、管理局の制服だ。
色が違うのは正規局員のものではないからか。
彼はそれをチンクに渡すと、静かな瞳を向けてくる。
「戦闘用のコートは六課の技術屋が持ってる。
到着次第渡してもらいな。
……ありがとよ」
「いや、こちらこそ礼を云わせてもらおう。
チャンスを与えてくれて、感謝する」
「……チャンス?」
眉根を寄せるゲンヤに、チンクは苦笑した。
そう、これはチャンスだ。
残る妹たちが管理局に恭順するかどうかは、まだ分からない。
しかしもし自分と同じ道を歩むなら――その第一歩を作ってやれることができる。
そのためならば戦おう。
そしてその戦いが、エスティマのためになるなら――
受け渡された衣服をぎゅっと抱きしめ、チンクは意志を固めた。
新人たちの元へと戻ったなのはは、ついさっきまでと雰囲気が違うことに気付いた。
ティアナとスバルは滲んでいた疲労を吹き飛ばすほどの活力が戻っており、瞳に力が宿っている。
キャロは未だエリオのことが心配のようだが、そのエリオも、さっきと比べれば随分とマシになっているようだった。
部隊長が直々に顔を出したから、なのか。
何をしたのかは分からないがこの変わりよう。
エスティマの変な影響力は、あんなことがあっても変わらないらしかった。
ついさっきまで頭を占めていたヴィヴィオのことを意図的に隅へと追いやり、なのはは表情を引き締める。
自分を母と呼んでくれる子を取り返したいと願う者から、新人たちを統率する者へと。
彼女は意識してゆっくりと四人の顔を流し見、小さく頷く。
「持ち直したみたいだね。
これでなんとか戦える、ってところかな。
……じゃあ、部隊長からも話はあったと思うけど、私からも改めて。
これから私たちは、結社の本拠地へと攻め込むことになる。
決して楽な戦いにはならないけれど、全力全開で……今まで学んだことをすべて、出し切ってもらうよ。
私も気を配るつもりではあるけれど、必ず助けてあげられるって断言はできないから。
自分の力で戦い抜く……それをしっかりと、頭に入れておくように」
「はい!」
なのはの言葉に、新人たちの声が続く。
自分が長い時間をかけて育て上げた魔導師たち。
決して完成したとは云えないけれど、それでも並の局員よりは骨があると、なのはは自負している。
今まで教え込んだことを発揮できれば、生き残ることだって可能だろうとも。
祈るような気持ちを胸にたたえながら、それを顔に出さず、なのはは小さく拳を作る。
「よし、良い返事だね。
それじゃあ、戦おう。
これから始まる戦闘が、幕引きとなるように。
……ううん。私たちが幕を引くんだ。
その意識を強く持って」
「はい!」
良し、となのはは頷く。
雛鳥ではない。けれど、空を縦横無尽に羽ばたけるだけの力があるとは云えない子たち。
この子たちの力を信じよう。もしかしたら背中を預けることにだってなるかもしれない。
「……全員、車両に搭乗!
待機状態へ!」
「了解!」
蜘蛛の子を散らすように新人たちは整備の終わった車両へと移動を始める。
彼女らの背中を見送りながら、なのはは小さく笑みを浮かべた。
……大丈夫。
まだ危うさはあるかもしれないけれど、それを振り切るだけの力があると信じている。
ずっと育て上げながら、四人の強さを目の当たりにしてきたのだから。
どうか、不屈の心が皆に宿っているように。
声に出さず何かへと願いを向けて、なのはは新人たちのあとを追い始めた。