雨の降りしきる中を進むトレーラーが三台。
カーブに差し掛かる度に強風に揺られ、車体の進みは早いとは云えない状態だった。
亀の歩み、と云うほどではないが、運転しているドライバーはストレスを感じているであろう速度。
それに揺られる車両には、六課のエンブレムが記されていた。
本来ならば六課はヘリでの移動を主とするが、この天候ではそれも叶わない。
山の中にある結社の本拠地へと移動するため、六課の面々は車両での移動を行っていた。
その中の一台――先頭を行く車両には、新人たちとフェイト、ギンガが乗っている。
薄暗い荷台の中は対面するように椅子が並んでおり、誰も口を聞いていない――が、その反面、念話が飛び交っている。
移動が始まってから続く静寂を破ることを悪いことだとでも思うように、誰も声を上げようとはしていなかった。
まず、スバルとギンガ。
二人は向かい合いながら俯き加減で、先の戦闘で発覚した事実について話し合っていた。
三課が壊滅した時の真実。あの時、何があったのか。
二人がずっと知ろうとして、しかし、エスティマとゲンヤが口を噤んでいたため、知ることの出来なかった事実をようやく知ることができたのだ。
そして、その事実は――
『……ギン姉』
『……何? スバル』
『お母さんが生きていること、知ってたの?』
『知らなかったわ。
何かある、とは思っていたけどね』
『……そっか』
そこで念話を一度区切り、スバルは瞼を閉じた。
真実を知らされてから、ずっと嫌な胸騒ぎがスバルを襲っている。
母が生きているのが嬉しくないわけではない。無論、それは喜ばしいことだった。
しかしそれとは別にスバルが思っていることとは、今まで自分たちに一切を隠していた父とエスティマのこと。
どうして二人は自分たちにそれを教えてくれなかったのだろうか。
それさえ教えてくれれば、自分は――
そこまで考えて、ああそうか、と思う。同時に、当然だとも。
思いの外頭は冷静に回ってくれている。それは今まで何度も組んできたパズルが解けたせいなのかもしれないし、現実から逃げようとしているからなのかもしれない。
そう、当然だ。
母を守ってくれなかったから、と自分は長い間エスティマ・スクライアという人物を憎んできた。
彼を憎み続けるエネルギーは存外強くて――もし母が生きていると知ったら、自分は母を助けるためにすべてを費やしていただろう。
おそらくエスティマと父はそれを危惧していたのではないかと、スバルは思う。
もし自分が姉のように割り切れるところがあったら別なのかもしれない。
けれど実際は違い、思い込んだら一直線とティアナが云う在り方に間違いはなかった。
……けど、だからって馬鹿らしいよ。
そう胸中で呟いて、スバルは浅く脣を噛む。
エスティマ・スクライアという人物は、自分の力で母を助けることができると思っていたのだろう。
そして、自分のせいで母をナカジマ家から奪ったと思っているのだろう。
だからこそ謝り続けて、一切の弁解をせず、いつか、犯した過ちの精算ができたその時に――と、戦い続けていたのではないか。
……すべてはスバルの推測だった。
エスティマという人物を怨み続けていた割りには、いや、故にと云うべきだろう。
彼が何を考えているかなど一度たりとも考えたことはない。
あるとしたら精々、リボルバーナックルを持つ戦闘機人を初めて見たときに、彼が何かを隠しているのではないかと思ったぐらいだ。
その疑問も、長年熟成した恨み辛みで塗り潰して、結局は思考停止。
事実を見ようとしなかったのは自分だけで、本当に馬鹿みたいだった。
今までずっと自分の続けてきた、母を忘れたくないという想いは間違っているとは思っていない。
しかし同時に、エスティマへとどんな顔を、言葉を、気持ちを向けて良いのかも分からない。
……歪んだやり方とはいえ、彼はずっと自分たちを守ろうとしてくれていたのに。
勿論、何も云わなかったエスティマが悪くないわけがない。
しかし悪かったのだとしても、彼が自分たちのことを考えてくれたのは事実で――
「……ああもう」
ぽつり、と呟いた言葉に、荷台にいる全員の視線が向けられた。
居心地の悪さを抱きながらスバルは目を逸らし、溜め息を吐く。
『……ねぇ、ギン姉』
『ん?』
『ギン姉はさ……これからどうするの?』
『これから……随分とアバウトなことを聞くのね』
『あぅ、ごめん。……けど、どうしよう。
お母さんが生きているのなら助ける。これは絶対。
けど、それから……』
『きっとね』
スバルが言い淀むと、ギンガは無理矢理に言葉を断ち切って割り込んでくる。
そして困った風に笑うと、どこか昔を懐かしむような口調で念話を送ってきた。
『お母さん、怒ると思う。
私たちと……あと、お父さんとエスティマさんに』
『えっ、全員に?』
『うん。きっとそうよ、スバル。
だってお母さん、そういう人だと思うから』
どこか他人事のように云うギンガだが、仕方ないだろう。
おそらく自分で云っていても自信がないのだ。
なんせ、母が自分たちの元からいなくなって十年近い時が経っている。
その長い時の中で劣化したイメージを妄想で補い、本当の母がどんな人だったのかを思い出すことは、誰にもできないだろう。
しかし、
『……うん、そうだね』
きっとそうだろう。根拠のない自信がスバルにはある。
戦闘機人である自分たちを、己の遺伝子情報を持っている、というだけで育てる決意をしてくれた母。
そんな普通の人には分からない偏屈な優しさを持っているのだから、勝手に怨んでいた自分たちも、勝手に守ろうとしていた二人も、気に入らないと怒るだろう。
なんで皆仲良くやらなかったの!――そんな声が聞こえてくるようだった。
……これから助けに行くのに、怒られるのは嫌だなぁ。
そんなことを思いながらも、スバルの顔には薄い笑みが浮かんでいた。
……怒られるのは嫌だけど。
もう一度、皆一緒にってのは悪くないかもしれない。
そして、母を中心に置いてまた笑い合うことができたなら、それはきっと良いことじゃないか。
勿論、エスティマがずっと恨みを向けていた自分を許してくれるか分からないけれど。
そうなることができれば……。
そう、スバルは考えていた。
そのためにも、この戦いは負けられない。
ぎゅっと手を握り、スバルは――父に持っていけと手渡されたリボルバーナックル。それと共にあるマッハキャリバーを、握り締めた。
ギンガたちが念話を交わしている一方で、フェイトも。
彼女もまた、クアットロにより知らなかった真実を晒された者の一人だったが、他の者と違い、さほどダメージを受けているわけではなかった。
それは、彼女がずっと一人の人間として生きてきたことが大きい。
むしろ、クローンであるということの方を疑ってしまうほどである。
データを見れば本当のことかもしれないと思うし、身体を詳しく調べれば証拠となるものが出てくるのかもしれない。
が、別にそれ自体に大して興味があるわけではないのだ。
どっちだって良い。だって私は私だしと、完全に割り切ることができていた。
だって、馬鹿げている。
もし自分がクローンだと云われてショックを受けようものならそれは――自分を家族と扱ってくれた皆に申し訳が立たない。
友人として接してくれたなのは。
ずっとついてきてくれたアルフ。
姉と慕ってくれるキャロ。
兄として面倒を見てくれたユーノ。
そして――同じクローンだというのにその事実を隠し、おそらくはフェイトの知らないところでずっと戦い続けてくれたエスティマに。
クローンと云われてダメージを受けるのならば、普通はおそらく、偽物、という一点にだろう。
しかし、フェイトは自分がフェイトであると分かっている。
自分だからこういう人間になったのだ――私は私でしかないと断言できる。
それに、同じ人物のクローンだと云うのなら兄と自分は同じはずだ。
だというのにこうも違う人間になって――クローンだろうと育ってしまえば人と違いはない。
少し人と違う生まれ方をしただけなんだから、傷付く必要なんてないんだ。
人は生まれで変わるのではない。勿論それは重要な一要素だとフェイトも思っているが、重要なのは、それからどう生きてきたのかという一点ではないだろうか。
捨てられた兄が今のような生き方を選んだように。
拾われた自分が今のように育ったように。
……兄さん、か。
フェイトは声に出さず、口の中で言葉を転がす。
兄はどんな気持ちで自分を守ってくれていたのだろう。
……いや、それを聞くのはきっと酷だ。
聞けば絶対に教えてくれないし、教えてくれたとしても兄は絶対に照れ隠しで誤魔化してしまうだろうから。
自分に必要なのは、兄が必死で守ってくれたという事実だけで良い。
だって、そうだ。ずっと兄が気にかけていてくれたと思うだけで、こうも――
『フェイトさん』
『ん、キャロ、どうしたの?』
ぽつり、と投げ掛けられた念話に、フェイトは応える。
送り主であるキャロは、フェイトの膝の上に乗っていた。
重くないわけではないが、これから始まる決戦に不安があるのだろう。心細そうにしている妹を放っておくことが、どうしてもフェイトにはできなかった。
そのキャロは、フェイトに手を重ねながら、僅かに頭を動かす。
その先にいるのはエリオだ。
おそらく真実を公開された者たちの中でも、一等ダメージの大きい部類に入るであろう彼は、陰鬱な雰囲気を濃く纏っていた。
車両に乗車する前はまだ気力が残っていたようだったが、ただ待つことしかできないこの時間で、その虚勢も剥がれ落ちてしまったのだろうか。
エスティマとなのはの二人で言葉をかけたらしいけれど、やはりそう簡単に立ち直らせることはできないらしい。
フェイトとは違って、エリオは真っ正面から事実を受け止めてしまったのだろう。
俯き加減で膝を所在なさげにしている彼からは、覇気というものが感じられなかった。
相方がそんな状態なのを無視できず――けれどどう接したら良いのか分からないのか。
フェイトの手を握るキャロからは、無言の助けが聞こえてくるようだった。
……助けてあげたいけれど。
どうだろう、とフェイトは首を傾げる。
自分で云っておいてなんだが、自らの出生を気にしないと云うのは普通に考えてどうなのだろう。
半ば吹っ切れてしまっている自分の考えは参考にならない気もする。
フェイトの考えは、フェイトだけのものだ。
それが誰かに適応されると考えると、妙な気分になってしまう。
それで良いの、と問いたくなってしまうのだ。そんな誰かのコピーのような真似をして。
別に文句があるわけではないが、悩んでいることがことだけに、安易な答えを与えたくなかった。
『エリオ』
念話を飛ばすと、怯えたように彼は身を竦ませる。
が、声の主がフェイトだと分かると、どこか安堵したように肩の力を抜いた。
おそらく、同じ身の上であるフェイトに声をかけられたというだけで安心できたのだろう。
思ったより傷が深いのかも、とフェイトは思いながら、彼女は先を続ける。
『ねぇ、エリオ。悩んでる?』
『……悩んでるって云うよりは、もう何がなんだか分かりません。
お前は作り物だって……そんなことを云われたら』
『そっか』
やっぱり、とフェイトは小さく頷く。
こんな状態で放置することはできない。
自分だって似たような――母が逝って右も左も分からなくなった時、兄に助けてもらったのだから。
そう考えつつも、あんまり甘やかせちゃ駄目だ、とも。
兄にべったりだった時期は、実のところ黒歴史に近いものがあったから。
あまりに子供だった自分を思い返すのは恥ずかしくて、フェイトとしては忘れたい思い出でもある。
思い出でもあるのだが、兄やユーノ、なのはたちと過ごした時間を忘れるわけがないのだから、始末に負えない。
……ともかく。
『ねぇ、エリオ』
『はい』
『あんまり偉そうなことは云えないけれど……少し、考えてみよう。
エリオがクローンだったとして、生まれてからやってきたことは嘘になるかな』
『……分かりません』
『そっか。けどね、エリオ。
確かにエリオはエリオ・モンディアルじゃないのかもしれないけど――エリオ・ハラオウンではあるよね?』
『……どういうことですか?』
『答えはどうとでも出せるから……望む答えは、エリオが出すと良いよ。
うん。この問題は、誰かに答えを求めない方が良いと思う。
でないと、私みたいになっちゃうと思うから』
『フェイトさんみたいに……ですか?』
不思議そうに聞いてくるエリオに、フェイトは苦笑した。
エリオがあの時の自分と歳が近い分、余計に思ってしまう。
誰かに依存してしまう人間は脆く、弱い。それ故の強さがあるとは思うものの、人として生きてゆくには根が華奢になってしまう。
あの時の自分と同じような状態にエリオはならないよう――と、フェイトは思う。
『大丈夫。エリオは一人じゃないから。
それだけ覚えていれば、きっと悪くない答えが出せると思うよ』
その言葉はどんな風に届いたのだろうか。
エリオは一瞬だけ目を見開くも、再び悩むような表情へと戻ってしまった。
『……エスティマさんもフェイトさんも、それぞれの考え方をしているんですね。
腐って、失うだけの人生は嫌だから戦う。
クローンだけど、自分は自分だから。
……そんな風に、僕にも答えが出せたなら』
掠れ気味の念話を聞いて、フェイトは目を瞬いた。
兄がそんな風に考えていたなんて――という驚きと、実に兄らしいという呆れが半分。
ああけど、そうだ。本当にエスティマらしい。きっと自分の出したような答えはとうの昔に……いや、きっと当たり前のように思っているのかもしれない。
自分は自分。思考停止ではなく、自分というものがどういう人間なのかを理解した上で、何をなしたいのかを決めているのだ。
きっとそう。少し、色眼鏡が入っている気がするのは否めないけれど。
『……ああそうだ、エリオ』
『なんですか?』
『難しい話じゃなくて、簡単だけど大事なことを、教えてあげる』
云われたエリオは、フェイトがこれから向けてくれるであろう内容に興味を持ったようだった。
『男の子なんだから、女の子を心配させちゃ駄目だよ。
愛想を尽かされちゃうんだから』
『……そんなことですか』
『うん、そうだね。
けど、大事なことだよ』
今は自分のことで精一杯なのか。
フェイトの言葉をそんなことと云い、エリオは再び顔を俯かせた。
……余裕がないから、というのは分かっているけれど。
エリオにはまだ早かったのかもしれないと、フェイトは苦笑した。
人から見れば安っぽい意地にしか見えないのかもしれないことだが、けれど、虚勢を張るのも空元気を浮かべるのも、その理由一つでできる気がする。
否――その理由だけあれば何とだって戦える人を、フェイトは一人知っていたから。
色んな意味で問題がある兄のように、とは云わない。
しかし、兄が戦い続けることのできた理由の一つに、間違いなく意地があるだろうとフェイトは思っていた。
次は、二台目のトレーラーに乗るアギトを。
と云っても、彼女自身にはなんら問題らしい問題はない。
彼女はエスティマが結社の本拠地を攻めるために掻き集めた戦力の一つであり、本来ならばゼストと共にこの戦いへ参加するはずだった。
しかし実際は違い、ゼストはレジアスが防衛長官としての職務を行う上で手の届かない――オーリスを救う手立ての確保――所の穴埋めを行うべく動いている。
そのためゼストはこの戦いに参加することができず、アギト一人が戦列に加わることとなったのだ。
そのアギトは、トレーラーの二台目に乗り込んで、これからユニゾンを行う者を値踏みするように視線を向けていた。
エスティマ曰く、同じ魔力光を持ち古代ベルカ式の魔法を使う騎士。ユニゾンするならばこの上なく相性の良い相手、とのことだ。
が、しかし――
……気に入らねぇ。なんだこいつ。
ずっとロードを探し求めていたアギトにとって、目の前にいるシグナムは待ち望んでいた者のはずだった。
しかし、腐りに腐った空気を纏う少女をロードに選びたいとは微塵も思わない。
むしろ、こんな奴がアタシのロードだというのか、と怒りすら感じていた。
が、ここでシグナムに見切りを付けようとアギトは思わない。
ゼストには恩があり、そのゼストが再び友と笑い合えるようになるかもしれない。
そのチャンスを作ってくれたエスティマの頼みを蔑ろにすることはできないのだ。
そもそもエスティマはゼストを当てにしていたというのに、その期待を裏切ってゼストは自分の都合を優先している。
恩と申し訳なさが混ざり合って、これ以上エスティマに迷惑をかけることなどできなかった。
だから戦わないという選択肢はないが――
『おい、シグナムって云ったな。
お前、これから戦だってのに、どうしてそんなしけた面してるんだよ』
アギトに念話を向けられて、シグナムは俯けていた顔を上げた。
ずっと前髪に隠れていた瞳が顕わになり、そこに微塵も自信が宿っていなかったことで、アギトの苛立ちはより一層強くなる。
騎士がそんな顔をするんじゃない、と、古風な考えを持っているアギトは罵倒したくなってしまう。
が、それも自制。このシグナムはどうやらエスティマの娘らしいし。
『……別に、どうにも。
大丈夫。戦うさ』
そのシグナムは、アギトの問に答えになっていない答えを返した。
それに対して、アギトは悪い意味で満足してしまう。
もう話すことはないとばかりに顔を背けると、腕を組んで目を瞑ってしまった。
そんなアギトの反応に、シグナムは自嘲の笑みを浮かべる。
今口にしたことに間違いはない。もう自分には戦うことしか残っていないのだから、と。
守護騎士になるべく自らを鍛え続け、守護騎士として主を守るべく戦ってきた自分。
敬愛する父を――主を守る盾となり、剣となって己の存在を燃やし尽くすことができればそれはきっと本望だ。
ずっとそう思ってきたし、今でもその誓いは間違っていないと思っている。
しかし――
……父上は私のことを、どう思っていたのだろうか。
疑心暗鬼とは違う、不安そのものをシグナムは抱いている。
過去に自分を殺した相手。いくら初期化されようと、事実は変わらない。
その相手を引き取って育てる。どんな気持ちを抱きながら、父は自分を見ていたのだろうか。
何があっても自分の味方でいてくれると父は云った。
しかし、それは本当のことなのだろうか。
心からの言葉だったのだろうか、それは。
信じたい。嘘だ。その二つの気持ちが渾然一体となってシグナムに重く圧しかかっていた。
ふと、シグナムは幼少時のことを思い出す。
酷く古い、曖昧ですらある記憶――まだ自分がプログラムとして再起動し、間もない頃のことを。
あの頃の父は仕事にかまけてあまり自分の相手をしてくれなかった。
当時の自分はそれを忙しいだけだと思っていたが、実際のところは違ったのではないだろうか。
ただ自分が疎ましくて、顔も見たくなかったから――だから、あの微妙な距離感があったのではないだろうか。
そう考えれば納得できてしまう。
時間が経って父が自分を気にかけてくれるようになったもの、おそらくは妥協なのだ。
面倒だけど仕方がない……そう、父は思っていたのではないだろうか。
自虐趣味がシグナムにあるわけではないが、次々と湧き上がってくる妄想は都合良く解釈できて、より一層彼女を泥沼に引き摺り込む。
その果てに行き着く結論はただ一つ。
……自分は疎まれていた。愛されてなどなく、ただ惰性で隣に置かれていた。
AAAランクになったら隣に、などはただの方便で、ただ顔を見たくなかったからなのかもしれない。
だというのになんて不様。
父の役に立つにはそれだけの力がないといけないのだと勝手に解釈して意気込んでいた自分は、どれほど滑稽だっただろう。
まるで価値などない。むしろ、居るだけで父の魔力を食う分お荷物でしかないのではないか。
消えて無くなりたい、とシグナムは思う。
……けれど。
父がどれだけ自分を疎んでいようと、せめて役に立ちたかった。
それは今までの贖罪なのかもしれない。
自分がいない方が良かったなどと、思いたくない。そんなことは嫌だ。
自分が生きていたことに必ず意味があったと信じたいが故に、それを証明するために――たとえ父が自分を嫌っていようとも、その証を残したい。
なぜならば……シグナムはずっと追ってきた背中を、エスティマのことが大好きだったから。
例え邪魔でしかなかったのだとだしても、ずっと抱き続けた自分の気持ちだけは幻想だと思いたくなかった。
……だから父上、お願いです。もう一度だけあなたのために戦わせてください。
この戦いで一人でも多くの敵を道連れに自分は消える。
道具としてでも良い。せめて役に立ったと、云って欲しい。褒めて欲しい。
今まで、何一つ役に立つことができなかった。
だから最後に、父の平穏を破壊せんとする敵を摘み取る機会を与えて欲しい。
そうして、少しでも父が喜んでくれるのならば……それだけで自分は満足だ。
自分の行うことを肯定してくれると、父は云った。
……ならば父上。あなたのために戦うというこの勝手、許してください。
破滅的で後ろ向きな決意を胸に、シグナムはこれからの戦いに望もうとしている。
そんな彼女がどのような結末を描くのかは、未だ分からず。
そのシグナムと同じ車両に乗るはやてとなのはは、彼女の様子を見ながらも言葉を向けようとはしなかった。
否、向けはしたのだ。そんなことはない。シグナムが考えているようなことをエスティマは思っていない、と。
しかし返された反応は拒絶であり、馬鹿にするなという怒りすらあった。
どうしてこの親子はこうも頑固なのだろう。
思い込んだら一直線、などではない。一度下に下がったら、全てを巻き込みながら底へ辿り着くまで決して止まらない嫌な癖がある。
エスティマはシグナムがそうなることを危惧していたようだが、どんな皮肉か彼が隠し通していた秘密が後押しとなり、シグナムは今、彼の写し身のような有り様となっている。
その癖、芯の強さは確かなものだから、雑音などには耳も貸さない。
以前の自分たち――エスティマの心が折れたときも、彼を救う決定打となったのは自分たちではなく、大破したデバイスの遺言であった。
精々が背中を押した程度で……きっと今のシグナムも、同じような状況なのだろう。
エスティマとの長い付き合いがある二人は、そう思っていた。
が、そのエスティマの言葉を今のシグナムは聞こうとしない。
この戦いが始まる前、二人で話をしようとして逃げられたのをはやてたちは目撃していた。
おそらく怖いのだろう。父が自分を嫌っていると確かめることが。
もし暖かな言葉を向けられたとしても、今のシグナムにはそれが嘘のように聞こえるのではないか。
本当に、不器用。言葉では信じず、行動で証を見せなければ心に届かないだなんて。
どうしたものかと、はやては肩を落とした。
そんなはやてに、なのはからの念話が届く。
『大変な状態で決戦を迎えることになっちゃったね』
『ほんまになぁ……完全な状態でもちょっと怪しいのに、これはあかんよ。
私らが頑張らんとなぁ』
『うん……そうだね。
それに、エスティマくんにもあまり無理はさせたくないし』
そう云うなのはに、はやては小さく頷いた。
彼女が云っていることは、常日頃からの無茶に対してではない。
不良品のレリックウェポンとして生きているエスティマ。
今まで彼が肉体的に苦しんでいたいた原因の一つにそれがあったことに気付いて、困り果てているようだった。
強大な力を持っていながらも、それを行使する度に崩れてゆく矛盾。
本当に戦わせるためにスカリエッティはエスティマを改造したのかと、疑ってしまう。
が、それは仕方がない。十年前の時点ではレリックウェポンの技術は確立しておらず、彼に施された処置を今見ればお粗末としか云えない完成度なのだから。
ただ――それを含めて、なのははエスティマに同情していた。
おそらく、これは他の一般局員もだろう。
スカリエッティに改造され、平穏を生きる代償に望まぬ戦いを強いられ、と。
黄泉がえりの代償としてはあまりに重い。否、生き返るためには当然の代価なのかもしれない。
ただ、そのために彼はその半生を戦いに費やすしかなかった。
もし戦いを嫌がって逃げ出せば、後には何も残らない。
故に、大事なものを守るためには、崩壊の秒読みが行われている身体を押して戦うしかない――これを同情するなと云う方が無理だ。
悪夢から抜け出すには駆け抜けることしか許されず、逃げてはいけない。
そして駆け抜けるまでに身体が保つかは保証されていない。
『……終わらせようね、はやてちゃん』
『当たり前や。これに勝たなかったら、意味がない』
うん、と頷いて、なのはは顔を上げる。
その視線の先には結社の本拠地があり――そして、ヴィヴィオがいる。
自分をママと呼ぶ幼子。
あの子を助け出して、そして、今度こそ――
『で、だ。ザフィーラ。アタシは突入部隊の方に配置されるから』
『分かっている。俺は主を守るとしよう』
守護騎士二人は、これから行われる戦いについて念話を交わしていた。
絶対に負けが許されない戦い。決戦という云い方がしっくりくる争いに、万が一があってはならない。
戦闘の配置は既にエスティマから言い渡されている。
スカリエッティからの情報によって明らかになった施設の構造。
その中から救い出す対象は少なくない。
サンプルとして囚われている行方不明者。ヴィヴィオ。それに、簡易量産型として生み出されたらしい戦闘機人。
ゼストによって調べ出された場所とスカリエッティの情報に齟齬はなかっため、間違いはないのだろう。
そこまでは良い。問題は、頭痛の種である巨大ガジェットだった。
施設の中であれが戦うことはないだろう。であれば、出て来るのはおそらく外。
門番にしてはあまりにも厄介な敵に対する備えとして、いくらか戦力を割かねばならなかった。
それに外での敵は巨大ガジェットだけではない。
通常のガジェットもこの戦闘に参加するべく、各地から結集しているという。
六課以外の管理局の部隊が間引きを行っていると云っても、撃ち漏らしが出ることはほぼ確実だ。
もしそれを放置しようものならば、展開されたAMFにより自分たちは無力化されてしまう。
それを防ぐためにも、外での戦いに間違いがあってはならなかった。
突入するのは、なのは、ヴィータ、空を飛べない新人たち、ギンガ、シグナムにアギト、リインⅡとエスティマ。
エスティマが入っているのは、アテにしていた戦力――ゼストが参戦していないことが関係している。
それと、六課での戦いで姿を現した最後の戦闘機人。スカリエッティ曰く、あれを倒せる可能性があるのはエスティマだけだと云う。
他の者では戦闘機人の特性上、勝負にすらならないらしい。
にわかには信じられない話だが、エスティマの電磁投射を用いて放つ紫電一閃を防いだと聞いているから、あながち嘘ではないのかもしれない。
ちなみに、砲撃で大穴を開けて突入という策は却下されている。
自分たちがこれから攻め込もうとしている拠点のある山は、酷く地盤が緩いという。
そんなことろに拠点を作るなんて馬鹿か――とヴィータは思ったものの、れっきとした理由があるらしい。
地下に眠る聖王のゆりかご。それを飛ばす際に障害とならないよう、崩壊ギリギリの強度を保っているのだという。
外は、はやて、フェイト、シャマル、ザフィーラ、ヴァイス、シャッハ。それに半ば強引に引っ張ってきた戦闘機人の五番。
中と比べれば数は少ないが、巨大ガジェットに対してこれだけの戦力が揃えられたと考えればその異常さが分かるだろう。
……見事に分散させられている。あのガジェットさえいなければ、全員で攻め込むこともできただろうに。
頭が痛ぇ、とヴィータは溜め息を吐く。
あのガジェットは魔導師殺しと形容して良い。
動力源であるレリックを元に放たれるAMFは厄介であり、それで機動力も防御力も失ったところに通常時では防ぐのも辛い砲撃、回避の難しい雨のようなレーザー射撃が突き刺さる。
倒す手段とするならばヴィータのリミットブレイクか。しかしそれも、AMFが展開されれば大振りな攻撃な分、直撃させられるかが怪しかった。
故にアテにできるのは、味方になった唯一の戦闘機人か。不信感があるものの、今は信じるしかないだろう。
……どうなるか。
勝つ、とは思っているものの、それが容易ではないことぐらい、気が遠くなるほどの年月を戦い続けた二人は身に染みて分かっていた。
そして、三台目へ。
この車両は他のものと赴きが違う。
荷台の内装は電子機器が壁に埋め込まれる形となっており、俗に云う指揮車の形となっていた。
今、その指揮車の中ではエスティマに対し、応急処置が行われていた。
セッテに受けた怪我の治療は勿論として、それ以外――スカリエッティからもたらされた知識によって、土壇場での強化が行われているのだ。
フローターフィールドで僅かに浮かんだエスティマ。その彼の胸元へ、旅の鏡を通じて手を差し込んでいるシャマル。
彼女は溜め息を吐きつつ額に浮かんだ汗を拭うと、ずっと展開していた旅の鏡を閉じた。
「……終わりました」
「ん、ありがとう」
一言呟いてエスティマは身を起こすと、確かめるように胸元をさする。
が、本人からすると違いは感じられないのか、眉根を寄せながら首を傾げた。
「……何か変わったのか?」
「えっと、魔法を使えば分かると思います。
今までとはかなり負荷が減っていると思いますから」
「そうなのか?」
「はい。えっと……ですね。
資料を見た感想なのですが……」
そこからシャマルの主観が混じった説明が始まる。
そもそもレリックをリンカーコアと融合させる技術、その効果は非常に分かり易い。
AAAの魔力ランクを持つ魔導師でも、リンカーコアのサイズは掌に収まるていどだ。
が、そのリンカーコアをレリックに収めることにより、サイズは両手に乗るほどにまで巨大化する。
魔力を水として、今まではコップにしかそれを収めることができなかった。
しかし、そのコップをレリックという洗面器に入れることで、魔力の保有量は飛躍的に向上するという。
「けどですね。エスティマさんに行われた処置は技術が完全でなかったから、無駄が多すぎたんです。
完全なレリックウェポンがリンカーコアとレリックを溶け合わせているのなら……。
えっと、エスティマさんの場合は、瞬間接着剤で無理矢理くっつけた感じ……かなぁ」
「……お粗末すぎるだろ」
「はい。ですから、レリックから魔力を引き出そうとすると、融合が中途半端だったために身体に強い負荷がかかったんです」
「あのクソマッド……中途半端なことをしやがって。
ああ、それで、今の俺はどうなってるんだ?」
「はい。急いで処置を行ったし、私も理論を把握したわけではないので、完全とは言い難いですが……今までよりはかなりマシになってます。
魔力を完全開放すれば負荷はかかります……いえ、使える魔力が増えた分、より強くなったかもしれません。
けれど普通に戦う分には、負荷も減り、魔力の引き出しもスムーズに行えると思います」
「分かった。取りあえず、助かったよシャマル。
負荷が強いと云ったって、そもそも限界を超えた力を振るわなければ良いんだし。
土壇場での強化としては、上出来さ」
「いえ。お役に立てて幸いです」
そこで一度会話が途切れる。
エスティマはこれから起こる戦闘について考えようとしたが、シャマルから何か云いたそうな視線を感じて、どうした、と言葉をかけた。
「……エスティマさん」
「うん」
「その、シグナムのことなんですけど……。
どうにかしてあげられませんか?」
「……どうかな。すっかり嫌われたみたいだし」
そう云って、エスティマはどこか自虐的な笑みを浮かべた。
彼の言葉は、ここにくる前に娘と話をしようとして、拒絶されたことからのものだ。
念話で声をかけてはみたものの、シグナムの様子を見れば、確かな効果があったとは思えない。
当たり前だ、と彼は思っている。
都合の悪いことを隠し通して、シグナムをずっと育ててきた。
そのメッキが剥がれた今、もうこんな親など信じられなくなったのだろう。
それでもこの戦いに望んでくれたのは、惰性か、何かか。
一応、エスティマは移動を開始する前に、各々に戦闘に参加するかどうかの意志を確かめている。
エリオやシグナムを始めとした者たちが戦えないようなら仕方がない、と思っていたのだが、蓋を開けてみれば全員参戦。
エリオはおそらく、自分の言葉に触発されて。シグナムは――
ともあれ、シグナムのこと。
力になってくれるのは素直に嬉しいが、エスティマとしては彼女をこの戦いから外したかった。
が、その旨をはやてたちに伝えたら、火に油を注いでどうするんや馬鹿、と怒られる有り様。
擦れ違い、と云ったらこれ以上のものはないだろう。
エスティマは嫌われたと思い、シグナムを戦いに巻き込まないよう遠ざけたい。
シグナムは嫌われたと思い、せめて戦うことで力になりたいと願っている。
その食い違いに、両者が気付くことはあるのだろうか。
おそらく、このままでは気付かないだろうが、
「……嫌われてなんて、いませんよ」
そのままでは駄目、と云うように、シャマルが声を放った。
「……まず最初にごめんなさい、エスティマさん。
あなたを殺した、と聞いてもあまり私は実感が湧きません。
申し訳ないって思うけど、やっぱり……」
「……ああ、それで良いよ。
もう随分と前のことだしね。
シグナムも、シャマルみたいに受け止めて欲しかったけど……」
それは酷か。
シャマルがそれほどショックを受けていないのは当たり前なのかもしれない。
管理局へと入る際、彼女とシグナムには闇の書事件で起こったことの説明があった。
その時に塞ぎ込んだのはシャマルであり、しかし、今回はシグナムである。
違いは恐らく、何を大事に思っているのかだろう。
不特定多数の人を傷付けたことよりもエスティマが大事だと思っているシグナム。
エスティマよりも不特定多数を傷付けたことが大きな過ちだと思うシャマル。
人一人を殺すこととエスティマを殺したことは罪の重さとして同じであり、そこにバイアスがかかるとしたら、個々が何に重きを置いているのかという違いにすぎない。
そしてシャマルは、以前傷付けたと知った者たちとエスティマの命に価値の違いをあまり見出していないのだろう。
まるっきりシグナムとは逆の在り方だ。
「こうなることが怖かったんだ。
それでも、ずっと隠し通せば良いやと思ったツケが回ってきたんだろうな」
「……そう、ですか。
けど、お願いです、エスティマさん。
問題をこのままにしないで欲しい。きっとシグナムは、エスティマさんに声をかけて欲しがっています」
「……けどな、シャマル」
「それでもですっ。
悲しいですよ、このままじゃ。
エスティマさんもシグナムも、どっちも相手を大事に思ってるのに、どうして……」
ぐす、とシャマルは鼻を啜る。
そんな真っ直ぐな反応に、エスティマは面を食らって目を瞬かせた。
「いや、そんな泣かなくても……」
「ん、処置が終わったか……って、エスティマお前」
処置をするために引かれていたカーテンを引いて、小柄な影が現れた。
戦闘機人の五番、チンク。
彼女は今にも泣き出しそうなシャマルとエスティマを交互に見て、白い目をした。
「……何をやってるんだ」
「あー、いや、違いますフィアットさん。
というか、何を考えてるんですか」
「ふん」
不機嫌そうに顔を逸らすと、彼女は近くにあったパイプ椅子に腰を下ろす。
彼女が着ている服は以前のボディスーツではなく、管理局の制服へと替わっていた。
だがそれも正規のものではなく、嘱託魔導師用のであり、エスティマたちのものとはデザインが違う。
ついでに云うと急いで連れてきたせいで、サイズが微妙に合ってなかった。
袖を余らせた彼女は、すぐに落ちるそれを捲りつつエスティマへと視線を送る。
「それよりエスティマ、良かったのか?
いくらなんでも、私をこの戦いに引っ張り出すのは骨が折れただろうに」
「いやぁ、拉致同然で引っ張ってきましたから。
結果さえ良ければ事後承諾でどうにかなるでしょう。
……問題は、勝てるか否か、って点ですね」
「……珍しく気弱だな。絶対に勝つ、ぐらいは云って見せろ」
「……そうですね」
威勢の良くここにきたものの、存外に弱っているのかもしれない。
そう思いながら、エスティマは苦笑を浮かべた。
「障害は大きいけれど、勝ちます。
そのためにずっと走り続けてきたんだから」
「……それで良い。それでこそ、だ。
だが、命を捨てるような真似だけはするなよ。
無茶を通して道理が引っ込むことはない。しっぺ返しは……」
「分かってます。というか、そもそも俺は無茶をしないと決めてますから。
いくらこれが決戦と云っても、それを取りやめようとは思いませんよ」
「……そうか」
小さな、しかし、満足げな笑みを浮かべて、チンクは眩しそうにエスティマを見た。
それでこそ。彼女はどんな風に自分を見ているのだろう。
分からないが、背中を押してくれているのは確かなようだ。
その気持ちに応えたい、とエスティマは思う。
彼女もまた、エスティマの望む平穏に欠かせない一人なのだ。
そんな人に――人たちに背中を押されながら敗北するなんて不様は晒せない。
だから絶対に、とエスティマが思ったところで、出鼻を挫くようにチンクが声を上げた。
「……その、だな、エスティマ」
「は、はい」
「これを……」
云いつつ、チンクは隣にあった棚から何かを取り出した。
衣類、だろうか。折り畳まれたそれが何か考えながらも、エスティマは受け取る。
「……これは?」
「お守り代わりだ。
フィニーノに頼んでバッテリー式にしてもらった。
使えて一回。ないよりマシ、といったていどだが」
チンクの言葉を聞きながら、エスティマは受け取ったそれを広げる。
するとようやく合点が入って、どこか照れくさそうに頷いた。
「助かります、フィアットさ……っと」
エスティマは途中で言葉を句切ると、唐突に現れたウィンドウへと視線を移す。
チンクは居心地が悪そうに再び椅子に戻ると、会話を始めようとするエスティマを眺めることにしたようだった。
開かれたウィンドウは三つ。
映っているのは、ユーノとクロノの二人だ。
音声のみ、と表示されているのはヴァイスか。二台目のトレーラーに乗っている彼が念話を送ってくるとはどういうことか。
ユーノは背後が暗いことから無限書庫なのだと察しがついた。
クロノはバリアジャケットを纏い、艦橋の機器が見えることからクラウディアからか。
『や、エスティ。なんだか久し振り。
慌ただしいことになってるみたいだね』
「本当にな。それで、どうしたんだよ二人とも」
『うん、僕の場合はようやく掘り起こせたゆりかごの見取り図を。
これを飛ばさないようにするのがエスティの仕事だって分かっているけど、一応ね』
『僕はそう大した理由もない。形の上で、一応顔を見せようと思っただけだ』
『うお、酷いなアンタ。誰だか知らないけどよ』
ヴァイスの言葉に、エスティマもユーノも苦笑した。
おそらく、クロノがどんな役職に就いているのか知らないのだろう。陸に勤める一人の武装隊員ならば当たり前かもしれないが。
が、クロノに気分を害した様子はなく。
すぐに表情を崩すと、申し訳なさそうな顔をする。
『悪いな、エスティマ。
できることなら僕も母さんもクラウディアを引っ張ってそっちに行きたかったんだが』
『……ん? クラウディア? 引っ張って?
あ、あのー、すみません。もしかしてとんでもなく偉い人だったりしますかね?』
そんな風に恐縮しているのかどうか分からない反応を見せたヴァイスを無視しつつ、エスティマはクロノに返す。
「気持ちだけ受け取っておくよ。
確かにそうなったら楽ではあるけど、ミッドに次元航行艦が現れたりしたらちょっとした騒ぎだ。
……まぁでも、変な話だな。
身内の全戦力を投入したら、一体全体、何人のストライカーが集まるんだか」
『ギャー!? 艦長さん!?
うお、すみませんでしたッ』
が、そんなヴァイスをクロノも無視しつつ。
『ハハ、云えてるな。
……それでどうだ、エスティマ。勝てそうか?』
その言葉を聞いてエスティマは苦笑する。
クロノが大真面目に聞いてきたということもあるだろう。
ついさっきチンクに聞かれたようなことを再び向けられ、笑うなという方が無理な話だった。
「勝つさ。……これで満足か?」
『ああ、満足だ。
……それを嘘にするなよ』
『うん、エスティ。
僕からも一つ。無理をするな、とは云わない。
けれど、五体満足で帰ってきてよ。主役が怪我してたんじゃ、祝勝会も盛り上がらないしね』
「もう勝つつもりかよ、お前ら。
戦うのはこっちだぞ……ったく、本当にお気楽な」
『何を云ってるんだ』
『君が勝つ、って云ったんじゃないかエスティ。
なら僕たちは、君の言葉を信じるよ』
……こいつら、真正面から何を。
顔を俯け、くすぐったそうに頭を掻くと、エスティマは口元を笑いの形に変える。
……本当に、こいつら。
「……こっちはシリアス気分だったってのに、水を差すなよな」
『酷いね、クロノ』
『まったくだ。こっちもシリアス気分だというのに』
「どこがだよ」
呆れたようなエスティマに釣られ、ユーノとクロノは愉快そうに笑い出す。
エスティマも分かっている。この二人が現状を温いとは微塵も思っていないだろうと。
だがそれでも、虚勢を張って少しでも楽に――俗に云う男の意地を張れと言外に云っているのだ。
クロノもユーノも、戦いに参加できず悔しくないわけがないだろう。
それ故に、激励をエスティマへと向けているのだ。
……ああ、コイツらとも一緒に戦いたかった。
叶うことはないだろう願いを、ついエスティマは抱いてしまう。
部下たちと一緒である今とはまた別種の、なんだって出来る、という感情ではなく。
打ち破れないものは存在しないと思える熱を覚えた。
『ん、あなたは……?』
ふと、ユーノが何かに気付いたような声を上げる。
同時に、クロノも。
だが二人が見ているのは、それぞれ別のようだった。
ユーノはチンクを。
クロノはようやく半べそを止めたシャマルにだ。
二人はそれぞれ、どんな気持ちを抱いているのだろうか。
おそらくユーノは、ずっとエスティマが追い続けていた者を初めて目にした故の感慨か。
彼がどのような気持ちを抱いているのか、画面越しでは分からない。この場で口にすることもないだろう。
決戦前にするような話ではないだろうから。それだけの分別が、ユーノにはあることはエスティマも知っている。
クロノはユーノとは違い、久々に見たシャマルを観察するようだった。
闇の書事件の担当をした執務官である彼にとって、彼女の存在は過去のことではないのだろう。
主を変え、姿形も変化して――そんな彼女がどんな風に育ったのかを、一歩引いて眺めているようだった。
どこか居心地の悪さを感じて、エスティマは繋がりっぱなしになっているヴァイスとの通信へと声を向ける。
「……で、ヴァイスさん。どうしてあなたは念話を繋いできたんですか」
『あー、なんつーかな。酷く雰囲気が暗くてよ。
決戦間近でピリピリしてるっつーのとも違いみたいだしな。
なんかあったのか?』
「……色々と」
『そうかい。ま、深くは聞かねぇけどな。
俺は俺で上手くやるさ。お前もちゃんとやれよ。
俺がここにきたのは、お前の腕を信じてなんだ。
負け戦なんざ割りに合わねぇ。気張れや、なぁ、エースアタッカー?』
「その名は止めてくださいって……」
その指揮車の奥。
つい先ほどまではチンクに頼まれた作業を行っていたシャリオは、作業台に乗せられたSeven Starsに視線を落としていた。
「……どうしたの、Seven Stars」
彼女の呟きに対してSeven Starsが応えることはなかった。
否、シャリオだけではない。
他の誰か問いかけようと、Seven Starsは沈黙し続けているのである。
起動はしている。エラーが出ているわけでもない。
となればSeven Starsの意志で言葉を発さないということになるのだが、何故彼女がそうなっているのか、分かる者はいなかった。
が、シャーリーはその反応を誤解し、目を伏せる。
そして躊躇いがちに口を開くと、ごめんね、と呟いた。
「……けど、私、皆の力になりたかったの。
やったことは間違っているのかもしれないけれど、それでもこれ以上誰かが傷付くのを見たくなかったの」
駄目だったかな、とシャリオは問う。
しかし、やはりSeven Starsが応じることはなかった。
シャリオがSeven Starsに行った――否、エスティマとSeven Starsに行った処置とは、スカリエッティから知らされたものだ。
レリックとリンカーコアに蓄えられた魔力を一斉開放し、レリックウェポンのスペックを引き上げるシステム、ツインドライヴ。
Type-Rの場合は戦闘機人のエネルギーと魔導師としての魔力、その両方を爆発的に吐き出す代物だが、エスティマの場合は違うのだ。
すべてを魔力に割り振って、魔導師としての分を越えた、理論上では瞬間的に次元航行艦の動力炉に匹敵するであろう出力を実現する。
故に、ツインドライヴという名称は正しくないのかもしれない。
ともあれ、それだけの出力を用意できれば、まず間違いなくAMFCは作動する。
が――
「……馬鹿にしちゃったのかな、私。部隊長のやってきたことを。
敵の力を借りて、敵に打ち勝つ。
それを知ったら部隊長、怒るかな」
答えはなく。
自問自答をするように、シャリオは目を瞑る。
これしかないと、シャリオは思っていた。事実、力になれるのならと今でも思っている。
しかし同時に、本当に良かったのかという疑問も存在していた。
それに対する答えはない。
そしてSeven Starsは、ただ黙り続けるだけであった。
――自分は主に勝利をもたらす道具である。
しかし主を守ることもできず、勝利を与えることもできないのならば。
……道具である価値すらもない。
ならば口を噤もう。道具であることに全力を尽くそう。
自らの意志を押し殺して、ただ振るわれるだけの武器であり続けよう。
リリカル in wonder
「そういうわけで、お馬鹿さんたちはこの拠点へと突き進んでいます。
こちらがわざと作った警備網の穴を抜けてね。
攻め込んでくる場所が分かる以上、それに合わせて私たちも動きましょう。
何か質問はあるかしら?」
ブリーフィングルームで妹たちを見回しながら、クアットロは口の端を持ち上げた。
残ったType-R。ルーテシア。それに、自分。
数で云えば心許ないことこの上ないが、不安を彼女が滲ませることはない。
ことこの場に至って、何を不安に思う必要があるという。
勝つか負けるか、二つに一つ。
その勝ちを拾うために打てる手は打った。
……もしあの場で六課を襲撃しなかったら、ジェイルから洩れた情報によって、自分たちはいつ敵が攻め込んでくるのかも分からない状況に立たされていただろう。
これは背水の陣である。目下最大の敵である六課を滅ぼせるか否か。それによって、自分たちの未来は決定されるだろう。
散々エスティマや六課を馬鹿にしているクアットロだが、しかし、それはしぶとさや厄介具合の裏返しであった。
ストライカーが四人、ゼストを入れれば五人もの人外が常駐しており、オマケと云っても侮れない戦力が揃っている部隊。
その連中が自分たちを目の敵にして戦っているというのは、頭痛の種以外の何ものでもない。
スカリエッティならばこの状況を楽しんで苦にもしなかったのだろうが、クアットロは違う。
興味のあるもの以外を不要と切り捨てる彼と比べれば、まだクアットロは真っ当な人間だろう。
もっとも、彼女はそれを否定するだろうが。
つい、とクアットロは傍らに立つオルタへと視線を向ける。
彼は彼で何を考えているのか。ジェイルの浮かべるそれと同種の薄ら笑いをたたえながら、戦略画面を見詰めていた。
……この子は。
すげ替えられた結社の頭。ジェイル・スカリエッティの代替。
これさえ残っていれば、自分たちは負けないという確信がクアットロにはある。
戦力的な意味ではなく、結社という組織の存在が。
勝てば今のまま存続すれば良い。負けてもこのオルタさえいれば、いずれは――長い年月がかかるだろうが、復活することは可能だろう。
生命創造技術の完成。そのための空間作り。
スカリエッティはそれをただの手段と断じて遂には切り捨てたが、彼女にとっては違うのだ。
自分たち戦闘機人は選ばれ、望まれ、生み出された存在である。
それをより昇華し、完璧な生命とも云える存在を造り出すことができるなら。
そのための条件を整えるために、結社は決してなくなってはならない。
それ故に、この戦いは負けられない。
エスティマ・スクライアを初めとする敵を殲滅しつくして、自分たちがどれほど優秀かを示し。
そして、自分と同じ存在を生み出し続けよう。
今は亡き最高評議会の望んでいた夢なのかもしれない。それは。
人を超えた存在である自分たちが、暴力を含めたあらゆる力を用いて、お前たちの上に君臨してやろう。
でなければ、自分たちが作られた意義がない。存在する意味も。
故に、この一戦は是が非でも負けられないのだ。
クアットロと同じように、この場にいる者たちにも敗北は許されないだろう。
ウェンディだけは違うのだろうが、その他は別だ。
ディードは双子の片割れを連れ戻したいと願っており、そのための居場所である結社を残したいと願っている。
ノーヴェは母親を独占したい――おそらくその欲求に気付いていないだろう――がために、タイプゼロに負けられないと意気込んでいる。
ルーテシアは与えた情報の真偽を確かめもせず、母親を目覚めさせるには結社とエスティマ・スクライアに使用されたレリックが必要であると思い込んでいる。
この駒たちと、有象無象を使ってこの戦いを凌ぎきる。
車両が目的地に到着すると、隊員たちはレインコートを着込んで外へと出た。
バリアジャケットは展開していない。魔力反応によって察知される恐れがあるため、このように動いている。
安全靴を履く余裕もなかったため、各々は泥を革靴で弾きながら山を登り始めた。
そう時間も経っていない内に、靴の中には冷ややかな感触が広がってゆく。
それに顔を顰めながら、ティアナは他の者たちと同じように、黙々と山を登っていた。
この土地への侵入者を察知する設備がないわけではないだろう。
が、それは半ば無力化されているのだ。
ティアナたちを先導する、紅い一対の光源。
闇夜に溶け込むそれは、身体の縁を深緑色の光で覆った一匹の犬だった。
ヴェロッサ・アコースの持つ稀少技能により発現した猟犬。
それにより洗い出された警備網の穴を、ティアナたちは進んでいるのだ。
雨の打ち付ける音と、雷の遠鳴りを耳に入れながら、ティアナはマルチタスクの一つを割いて、六課が壊滅したときのことを思い出す。
戦闘機人との戦闘で負傷した自分が目を覚ませば、もうすべては終わっていた。
見るも無惨な姿に変わった隊舎に、知らぬ内に傷を抉られていた仲間たち。
もし自分が立っていたとしても、それを回避することはできなかっただろう。
それだけの力が自分にはないと、ティアナは分かっている。
けれど――だからと云って無力感がないわけではない。
もう二度と犯さないと決めていた過ちを再び犯して、暴走した挙げ句に痛手の一つも与えられず倒されて。
これではなんのために無理を云ってフルドライブの教導を受けたのかすら分からない。
たくさんの期待をかけられてこの様では、誰にも顔を向けることなんかできない。
だからせめて、この戦いで。自分に一つでもできることを。
数時間前に戦闘機人から叩き付けられた言葉が、脳裏に浮かんでくる。
無意味だなんて誰にも云わせない。才能がないのだとしても。
頑張ればなんでもできる、なんて都合の良いことがまかり通るとは思っていない。
けれど――授けられた力を十全に発揮しないまま諦めてたまるものか。
心は折らない。膝も屈しない。
たとえ泥を舐めようとも、私は自分自身を諦めない。
そう思いながら、ティアナはポケットへと手を伸ばす。
そこにはクロスミラージュと一緒に、もう一つのデバイスが収められていた。
「ここまでか……総員、戦闘態勢。
デバイスのセットアップを行ったあと、打ち合わせ通りに別れて動くぞ。
何か動きがあればすべて指揮車にいるグリフィスに送れ。あいつを通じて、俺が指示を出す」
「……了解」
声を潜めて、各員はエスティマの指示に従う。
そして、デバイスを握り締め――
「――行くぞ!」
「はい!」
各々が魔力光の残滓を纏いながら、林を突き破り、施設の転送ポート兼、資材搬入口へと殺到した。
なのはが前へと出て、出力を絞ったショートバスターで道を開く。
粉砕された扉へとスバルとギンガの二人が先行し、迎撃のために出て来たガジェットの相手を始めた。
「良し、はやてにフェイトはこの場で撃ち漏らしのガジェットを相手にしてくれ。
他の皆は二人の援護を。頼むぞ」
「了解!」
声が聞こえると、ティアナの周りからいくつかの影が消える。
魔力光の輝くを引き連れて空へと上がる影が三つ。
はやて、フェイト、ザフィーラだ。
その他、シャッハとヴァイス、チンクは地上でガジェットの相手を。
シャマルは前線でも管制を行うために、結界魔法を展開しつつ各々のデバイスとクラールヴィントをリンクさせ始めていた。
そして――
「リインフォース!」
「はいです!」
名を呼ばれ、リインⅡがエスティマとのユニゾンを開始する。
サンライトイエローと白の魔力光が混ざり合い、繭のように二人を包み込んで、一秒と経たずにそれが弾ける。
その中から姿を現したのは、パラディンモードと呼ばれるエスティマのユニゾン形態だ。
サンライトイエローの光を撒き散らし、背後のスレイプニールを羽ばたかせて、雨の降りしきる闇夜を照らし上げた。
その時だ。
地響きを唸らせながら、山肌を持ち上げて、一つの巨体が浮上する。
闇の中に浮かぶカメラアイ。サイコロの五面を連想させるそれが、獲物とする者たちを流し見た。
「エスティマくん!」
「……分かってる」
巨大ガジェットを目にしてSeven Starsを握り締めたエスティマを、上空のはやてから叱咤するような声が響いた。
エスティマは舌打ちしつつ、顔をガジェットから突入口へと逸し、ティアナへと視線を向ける。
「……行くぞ」
「は、はい!」
飛行と徒歩の違いはあるも、隣だっての行軍。
こんな形でエスティマと肩を並べることになるとは思ってもみなくて、ティアナはクロスミラージュを握る手に力を込めた。
負けられない、という意志をより強く保ち、彼女はエスティマと共に施設の中へと侵攻を始めた。
姿を現した巨大ガジェットを目にして、はやてはまず、早かったな、という感想を抱いた。
突入組が戦闘を始めて、何もしていない自分たちが痺れを切らし、突入しようとする所を狙ってくると思っていたが――
ともあれ、これはこれで予定通り。
「……フェイトさん」
「分かってる。私が前衛。
ザフィーラさんが機動防御、はやてさんが重火力での砲撃を」
やっぱり固いな、と苦笑しつつ、はやてはシュベルトクロイツを握り締める。
リインⅡはここにいない。もし広範囲に及ぶ戦闘ならば自分とユニゾンしたのだろうが、ここでは違う。
個々の強敵を撃破しなければいけない以上、あの子はエスティマと一緒に戦うべきだと彼女は思い、彼へと自分の騎士を託していた。
故に、個人での戦闘能力はこの場においてそう高くはない。
フェイトにザフィーラ、シャッハにチンク。最後衛であるヴァイスとシャマルは仕方がないため除外すれば、最弱と云って良い。
そんな自分に求められるのは、固定砲台としての能力のみだ。
何があろうとザフィーラは守ってくれるだろう。その隙に大火力を用意して、フェイトの作った隙にそれを叩き込む。
即席のタッグとしてはそれが限界か。
……まさかこんなことでフェイトちゃんと一緒に戦うとはなぁ。
はやては一人苦笑していると、雨を弾く巨大ガジェットが軽い駆動音を上げ、スピーカーから発されたであろう声が響いた。
『ようこそ、六課の皆様方。
わざわざやられにくるとはご苦労なことです。
それにしても――』
細かな音が上がり――恐らくはカメラアイの――次いで、溜め息がスピーカーから洩れる。
それに反応したのはチンクだった。
バリアジャケットをまとえない彼女は、黄色いポンチョタイプの雨合羽を着て、上空の巨大ガジェットを見上げる。
『チンクちゃん。よくもまぁ、顔を出せたわね』
「……そればっかりは弁解のしようがないな」
『まったくよ。
男に抱かれたいがためにわざと捕まり、今度は身内を売るだなんて。
分かってる? 戦闘機人だなんだなんて関係なしに、かなりの外道よあなた』
クアットロの言葉に何かが抉られたのか。
苦いものを口にしたかのように、チンクは表情を歪ませた。
しかし、そのていどでは揺るがない何かが、彼女にもあるのだろう。
すぐに毅然とした表情を取り戻して、チンクは宙に浮かぶクアットレスⅡを見やる。
「……そうだな。
だが、それが私の選んだ道だ。
アイツの邪魔をすると云うのなら――」
『倒すと? この私を? あなたが?
どの口が吼えるのか……まったく、度し難い。
それに――』
再び微かな駆動音が雨の中に混じる。
『フェイトお嬢様……よくここにこられましたわね。
てっきりショックを受けるものだと思っていましたが』
「侮らないで。あなたが思うほど、私は弱くない」
小さな、しかし、しっかりとした声でフェイトは断言する。
手に握られたバルディッシュは戦意を現すようにハーケンフォームへと変形し、金色の魔力光が夜空を照らす。
だが、それをなんの脅威とも思っていないのか。
クアットロはこの場にいる全員を鼻で笑うと――否。
彼女が笑ったのはそれではない。
『さて、良い具合に時間が潰せたでしょう。
それでは――』
巨大ガジェットの下部に装着されたイノメースカノンに焔が宿る。
放たれるか――そう思い、空に上がる三人は回避行動を取るべく構える。
が、違う。
クアットレスⅡは敵に背を向けて、砲口を拠点である山へと。
それへ真っ先に反応したのはザフィーラだった。敵の挙動に注意を払っていたからだろう。
咆哮と共に鋼の軛が幾重にも展開されるが――
『そのていどで』
嘲笑の滲む言葉と共に展開される、高濃度のAMF。
AMF対策を術式に編み込んだ魔法であっても、ガジェットの生み出すそれとは次元違いのフィールド魔法を前にして、鋼の軛は色褪せる。
瞬間、紅蓮の砲火がクアットレスⅡから放たれた。
放たれる高熱が雨を瞬間的に蒸発させ、轟音が雨音を吹き飛ばす。鋼の軛をガラスのように粉砕し、残響が木霊した。
地表に到達するよりも早く熱が木々を焼き尽くし、間を置いて突き刺さった本体は雨でぬかるんだ山肌を掘削する。
何故自分たちの拠点を――と考えるよりも早く、はやてたちはエスティマから聞かされていたことを思い出す。
この山は地盤が緩く、砲撃魔法で穴を開けようものなら――
「この……!」
「させるかい!」
フェイトとはやては、共にサンダーレイジの術式を構築する。
この魔法を使うにはこの上ない条件が整っている天候。威力は期待できるだろう。
砲撃を放っている今、いつかのように雲を吹き飛ばされる心配も薄い。
雷鳴が轟き、上空に位置する雨雲から一筋の雷光が迸る。
次いで、はやての発動させたサンダーレイジも。
おそらくどんな魔導師も、この二発を受ければ再起不能になるであろう――
『……このクアットレスはⅡよ? Ⅱなのよ?
対策を練ってないとでも?』
が、フェイトとはやての呼び出した雷は機体に直撃する寸前でその起動を変える。
行き先は持ち上げられたクアットレスⅡのアーム部分だった。
雷の直撃を受けつつも、ショートした様子はない。
帯電した腕を振り上げながら、クアットレスⅡは向けていた背を翻し、再びこちらへと向き直る。
同時に、雪崩れ始める山の表面。内部はどうなっているのか。
嫌な焦りを感じながらも、はやてたちにはどうすることもできなかった。
『……さあ、では私たちも始めましょうか。
忌々しい怨敵たちよ。
この私、ナンバーズのクアットロが……あなた方を新世界への手向けにしてあげましょう』
時間は少し遡る。
ガジェットを擦れ違い様に破壊しつつ、エスティマたちは通路をひたすら直進していた。
保護すべき者たちやゆりかごの位置が分散しているため、いずれは別れて行動することになるだろう。
その際、どう人員を割り振るべきか。
戦闘が開始されて各々の様子を眺めながら、エスティマは思案していた。
スバルとギンガに問題はない。ややスバルが意気込みすぎているかもしれないが、ギンガによってそれは抑えられているだろう。
キャロにも問題はない。が、エリオは違う。動きからは普段の精彩がやや失われていた。
惰性で動いているわけではないのだろうが、鋭さというものが欠けている。
……なのはやヴィータと一緒に進ませるのが無難か。
そう思いつつ、視線をシグナムへと移した。
アギトとユニゾンを果たしたシグナムは、以前と比べれば一皮剥けた強さを発揮して、ガジェットをものともせず突き進んでいる。
が、心根が素直だからなのだろう。普段よりも機械的な戦い方から、彼女がどんな心情なのかを窺い知ることができた。
戦うことに集中している……否、戦うことしか自分には残っていないと思っているのか。
『シグナム、あまり突出するな』
『……あいよ、了解。
アタシがついてるから、そうヘマはしないさ』
シグナムからの返答はなく、代わりにアギトが。
心強いと思う一方で、どうしても拭えない不安はやはりある。
……あの子には俺がついてやらないとな。
そう心に決めて、エスティマは侵攻速度を僅かに下げた。
資材搬入路が終わり、ここからは施設内のそう広くない通路に切り替わる。
目の前にある十字路。どの方向に進むべきか。
「Seven Stars」
『……』
エスティマの呼びかけに応えず、その解答のみ――データウィンドウが表示される。
直進すればゆりかごへ。右は戦闘機人プラント、左はサンプルとなっている者たちの保管場所か。
用は済んだが、一言も話そうとしないSeven Starsにエスティマは嘆息した。
……何を臍曲げてるんだコイツ。
もしや、紫電一閃・七星を防がれたことがそんなにショックだったのだろうか。
なんにせよ、こんな状態でずっといるわけにもいかないだろう。
もうそろそろ怒るべきかとエスティマが思った瞬間だった。
視界の隅――風景が陽炎のように歪む部分に気付けたことは幸運だったのか。
いや、戦場に降り立ったことで気を張り巡らせていたことも関係しているのだろう。
目を細めながら、エスティマはおもむろにSeven Starsを一閃。
大気を凪ぐ白金の刃――だが、それが空振ることはなかった。
次いで上がったのは金切り音。しかし、それは金属同士が衝突したものとは、趣が違う。
キリキリと細かい擦過音を立てていると、陽炎のように揺らめいていたソレが姿を現す。
まず目に入ったのは、打ち合わせている刃を挟んで向き合っている、その顔だった。
角張った顔面の造形は人の物ではなく、それを証明するように意志の灯った瞳は四つ。
それ――ルーテシアの召喚蟲であるガリューは、声なき声を轟かせながら腕を一閃し、二人は爆ぜたように距離を置いた。
「部隊ちょ――」
「俺が相手をするから、気を逸らすな!」
すぐ傍にいたティアナが声を上げるも、エスティマはガリューから目を離さず両手に握るデバイスへと力を込めた。
人型の召喚蟲は初めて相手にするが――
思考を巡らせつつも、微かな違和感が湧き上がってくる。
それは何か。単純な話、ガリューの行動に、だ。
身を隠す術を持っているというのに、わざわざ姿を現したのは何故だ?
たかが召喚蟲に知恵はないから、と切って捨てるのは簡単だが――
『エスティマさん!』
「……そういうことか!」
『――Phase Shift』
リインⅡの警告と、エスティマの舌打ち。
それに反応したSeven Starsが、咄嗟に稀少技能を部分開放した。
視界のすべてが遅い。
エスティマに背を向けて――おそらくは信頼の現れであろう――戦うなのはの挙動も。
ガジェットを相手どっている新人たちの動きも。
押し寄せるガジェットの侵攻も。
それらのすべてが停止同然となった中、動けるのはエスティマのみだ。
彼が瞳に映すのは、背後――何もない空間から突き出した、小さな手。
旅の鏡はシャマル特有の魔法だと思っていたが、違うのか。
ただ、ルーテシアも一応は古代ベルカ式の使い手ではあるのだ。
模倣なのかコピーなのかは分からないが、あり得ないと断言できはしないだろう。
そのまま真っ直ぐ伸ばされれば、背後からエスティマのリンカーコアを抜き出したであろうそれを避け、エスティマはガリューへと。
振りかぶったSeven Starsを袈裟に振り下ろし、硬質な手応えを覚えながらもそのままに振り下ろす。
鎧のように見える甲殻は、ガリューの身体そのものなのか。
ひび割れた甲殻の隙間からは、紫色の体液が噴き出し――
――時間の流れが正された瞬間、轟音と共に人型の召喚蟲は吹き飛ばされた。
受け身も取れず壁へと激突し、盛大に粉塵が上がる。
そこにカスタムライトの砲口を向けながら、エスティマは周囲に意識を配った。
ルーテシアの気配――レリックウェポン特有の、強大な魔力反応を感じることはできない。
おそらく、ここではないどこかから旅の鏡を使用したのだろう。
もっとも、いたところでこの閉鎖空間では地雷王も白天王も召喚することはできないはずだ。
召喚蟲そのものは脅威かもしれないが、戦力が半減している彼女自身を脅威とは思えない。少なくともエスティマには。
トドメのつもりでガリューが激突した場所へと、ショートバスターを放つ。
音速超過の打撃を受けただけでも、人間ならばまず間違いなく致命傷だ。
その人よりも頑丈な召喚蟲といえど、これで行動不能になるだろう。
サンライトイエローの光が砲口に集い、吐き出され、着弾すると再び粉塵が巻き上がり――
「きゃあ!」
飛行魔法を使っていたエスティマ、なのは、ヴィータ以外の者たちは突然の揺れに悲鳴を上げた。
エスティマたちも何事かと目を瞬かせ、そして、気付く。
施設の揺れる轟音に混ざりながら、天井が嫌な歪み方をしていた。
メキメキと徐々に、しかしある一点を超えれば決壊するであろう速度で天井板が軋み始めていた。
このまま呆けていれば道が埋まって、ゆりかごへとルートが閉ざされる。放置すれば迂回することになり、余計な時間がかかるだろう。
ただでさえヴィヴィオが捕まっている今、ゆりかごの確保が遅れては致命的なことになりかねない。
エスティマの脳裡に、ここの地盤が緩いというスカリエッティの言葉が蘇る。
まさかこの台風で――まさか今のショートバスターが原因じゃないだろうな――などと思いつつ、舌打ち一つ。
「クソ!」
目を見張りながら、エスティマは部下たちを流し見た。
この中で体勢をすぐに立て直せるのは、空を飛んでいる三人のみ。
そして、今にも崩壊しそうなここを抜け出せるのは自分だけだろう。
……突出するしかないのか。
戦闘が始まる前にグリフィスと交わした会話が脳裏を過ぎる。
この局面でもいつもと変わらない状況になるのだろうか。
再びエスティマは稀少技能を発動し――
その瞬間だった。
崩壊の音とは別種の、大気の壁を突破する破裂音が通路に木霊する。
自分のものではない。ならば――
「――――――!!」
次いで届いたのは声ならぬ声。
大気を振るわせる音に意味はなく、甲高い咆哮はこの場に存在するあらゆるものを震撼させた。
それを放つのは何か。
エスティマが首を巡らせると、右の通路から鮮烈な紫の光が爆ぜていた。
見覚えのあるエネルギー光。まさかそれをここで見ることになるとは思わず、エスティマは身体を刹那の間だけ硬直させる。
だが、紫の光はそれで充分だと云わんばかりに更なる咆哮を上げた。
自分とエスティマの間にいるあらゆるもの――者。
なのは、ヴィータ、新人たちを邪魔だと云わんばかりに弾き飛ばして一直線に突き進んでくる。
その挙動に以前の洗練された鋭さはない。前が疾風ならば今は暴風。前髪の隙間から垣間見える双眸は、理性の色が浮かんでいなかった。
薙ぎ払われた者たちは停止同然に加速した世界の中で壁に激突し、一拍遅れて粉塵が舞い上がる。
それも、遅い。
「……トーレ!」
突撃してくる戦闘機人の名を呼びつつ、エスティマはSeven Starsを振りかぶる。
ゆりかごのことが頭から抜け落ちたわけではない。
しかし、これの相手をできるのは自分しかいないという事実と、仲間たちを傷付けられたという反射的な怒りによって、エスティマは矛先を宿敵へと向けた。
が――
エスティマが意識を逸らした瞬間、何かが彼を突き飛ばす。
その力は思いの外強く、彼は目を見開きながら降り注ごうとしている土砂の向こう側へと。
そして、彼を突き飛ばしたシグナムは一瞥もくれず、レヴァンテインをトーレへと――
彼が認識できたのはそこまでだった。
瞬間、天井が決壊してひしゃげた鉄骨と土砂が一緒になり降り注ぐ。
稀少技能が切れると同時に通路に響き渡る轟音に瞠目する。
ついさっきまで開いていた道は水を吸った土に塞がれていた。
『え、エスティマさん、何があったですか!?』
エスティマの稀少技能を発動させる際、対象に入っていなかったリインⅡは慌てたように声を上げる。
が、それに構わずエスティマは奥歯を噛み締めて、八つ当たり気味にSeven Starsを握り締めた。
「……トーレだ。アイツ、生きてたんだ」
『え?』
「それでなんのつもりか、シグナムが俺をこっちに突き飛ばした!
ああ、クソ、どうして……!」
『部隊長、無事ですか!?』
遣り場のない苛立ちを声に出そうとしたエスティマへと、グリフィスからの通信が入る。
茹で上がりそうな頭を必死に覚ましつつ、冷静になるよう心掛けながら、エスティマは応えた。
「……グリフィス、何があった?」
『はい。外では八神一等陸尉を初めとした皆さんが、戦闘を開始しました。
その際、巨大ガジェットの砲撃が施設へと放たれたんです。
状況はどうなっていますか?』
「……分断されたよ。嫌な話だけど、案の定、俺が突出する形になった。
俺はこれから一人でゆりかごの制圧に回る。
他のところには、俺以外の奴らが行くだろう。
面子が決まり次第、連絡を頼む」
『了解しました』
グリフィスとの連絡を切ると、エスティマは胸元のリインⅡ、Seven Starsへと視線を向ける。
やるせなさは今も胸の内で渦を巻いている。
しかしここで足を止めていても意味はない。怒りを吼えたところで何も変わらないのならば、少しでも状況をマシな方向へと動かすべきだ。
沸騰寸前だった頭がグリフィスとの会話と自制によってようやく冷める。
気を入れ直すと、エスティマは二機のデバイスへと声をかけた。
「……行くぞ。さっさと終わらせて、皆のフォローに回る」
『はいです。シグナムも心配ですから、急がないと』
「Seven Stars、お前も返事ぐらいしろ。
いつまで腐ってるんだ」
『……了解』
まったく、と嘆息しながら、エスティマはスレイプニールの羽を散らしつつ移動を開始する。
その往く手を阻むために壁に埋め込まれていたガジェットが稼働し始めるが、エスティマはそれらを一顧だにせず魔法を発動。
防衛のために出てくるガジェットなど、雑魚ですらない。
刃を振るうことすらなく、前に突き出したカスタムライトの砲口が瞬く度にスクラップの山が出来上がってゆく。
そのあまりにも軽い手応えに、彼は僅かな驚きを覚えた。
成る程、確かに。魔力を吐き出すのがスムーズだし、以前から当たり前のように感じていたしこりのような感触が消えている。
AMFが重いとは思うものの、それと差し引きゼロに思えるほど。
この分ならば、近接戦闘で魔法を使う場合、今までよりもずっと戦い易いだろう。
肩慣らしのつもりで魔法を使う片手間に、エスティマはなのはとの念話を繋いだ。
『なのは』
『う……、あ、エスティマくん、大丈夫!?』
『なんとかね。悪かったな、一人で先行して。
……お前の方こそ大丈夫か? シグナムはどうなった?』
『……ごめん、分断された。戦闘機人三番の攻撃で、少しの間気絶しちゃったの。
皆の位置は今把握しようとしているから。分かり次第グリフィスくんに伝えるよ。
……本当に、ごめん』
『……仕方がないさ』
そう、仕方がないことだった。
そうでも思わなければやっていられない。
またも沈み込みそうになる意識を強引に切り替えて、エスティマは先を続ける。
『……取りあえず、分断された皆のこと以外でも、重い判断をする場合は俺に通信を送ってくれ。
俺はこのままゆりかごの玉座の間に行って、起動キー……ヴィヴィオを引き離してくるよ。
念のために駆動炉も破壊したいけど、それは時間が許したらか。
まぁ、先にヴィヴィオを助け出せれば、ゆりかごが飛ぶこともないだろう。
ここら辺はデータが少なすぎて、断言はできないけど』
『了解。じゃあ私はちりぢりになった皆のフォローを。
こっちが終わったら、すぐに助けに行くからね』
『手間だけならそっちの方がかかるだろ。
まぁ、期待しないで待ってるよ。
それじゃ、お互いに気を付けて。
……皆を、シグナムを頼む』
『……うん。任せて。
エスティマくんも、ヴィヴィオをお願い』
最後のやりとりに、お互いが僅かに私情を覗かせた。が、それに触れずなのはとの通信を切って、エスティマは戦闘に意識を集中させる。
そろそろ中心部が近いのだろう。押し寄せるガジェットの数が増えてきたし、AMFの出力も増しているようだった。
カスタムライトだけではなく、Seven Starsも用いてガジェットを粉砕しながら、エスティマはひたすらに通路を進んだ。
そうしていると、横に走っている壁の赴きが変わる。
塗装だけではなく、材質まで変わったのだろう。ならば、既にゆりかごへ入ったのか。
現在位置の把握を――とエスティマが移動を止めようとすると、不意に、艦内のスピーカーから声が漏れた。
『ようこそ、エスティマさん』
「……お前は」
声こそ子供特有の甲高さが含まれているが、特徴的な喋り方をエスティマが聞き間違えるはずがない。
歯を噛み鳴らしながら、エスティマは周囲を警戒しつつ神経をささくれ立たせた。
『満足なもてなしができなくて申し訳ない。
まだこの艦は準備中でね。だのに、母が出航を急ぐものだから、来客の対応をする余裕がないのさ。
もし良かったら、なのだけれど。
僕の誘導に従って進んでくれないかな』
オルタの言葉が句切られると同時に、エスティマの眼前へとデータウィンドウが展開された。
それはゆりかごの見取り図だ。その中に複数の矢印が描かれており、二つの光点はエスティマの現在位置と目的地なのだろう。
ユーノの探し出した地図をそれを見比べ、齟齬がないことを確かめると、エスティマは鼻を鳴らす。
「なんのつもりだ。
こんなことをして……」
『なんのつもりも何も。
あなたが奥まで進んでくれれば、それだけ友軍との合流がし辛くなるだろう?
僕らにとってもそれは、都合が良いのさ。
ああでも、強制はしないよ。ゆりかごの中を彷徨って、時間を潰してくれるのも有り難い。
どうする?』
「……上等だよ」
吐き捨てるように呟いて、エスティマは与えられたデータの通りに通路を進み始める。
艦内戦闘を想定して作られたであろう通路は広い。
そこを一人、ガジェットと戦うこともなく、エスティマは飛び続ける。
『ああしかし、あなたと言葉を交わす機会が得られて本当に良かった。
興味があったんだよ。僕にもね。
ジェイルのものとは方向性が違うのだけれど……。
わざとなのか、違うのか。
僕にはジェイルの記憶が植え付けられているわけだけど、その措置は中途半端なのさ。
どうにも自分の記憶という気がしなくて、まるで本でも読んでいるようなんだよ。
だから……ああどうも、ジェイルが何故あなたを気に入ったのかが分からない。
けど、僕と同じ無限の欲望が興味を抱いたのだから、決してつまらない人間ではないはずだ。
教えて欲しいね。あなたが何者なのかを』
「知ったことか。
あのクソマッドが俺に抱いている執着なんぞに興味はない」
ただひたすら真っ直ぐに指定された道を行くエスティマ。
彼にオルタとの会話をする気はないのだろう。
ぞんざいな扱いをしながら、一秒でも早く目的地に着くためにスレイプニールへと魔力を送る。
そしてオルタは、そんなエスティマに何を思ったのか。
『ハハ』
短く、愉悦が濃く滲んだ笑い声を上げた。
『なら、良いさ。無駄話はなしだ。来ると良い』
「……行ってやるよ。云われなくてもな」
ずっと進み続けていた通路が遂に開ける。
エスティマがずっと進んでいた通路は戦艦の下部を這うように伸びていただけで、上には一度も上がっていない。
玉座の間は最上階に近い。おそらく、この目の前にあるモノを駆け上がれば、オルタがそこにいるのだろう。
僅かに目を閉じ、一度だけ深呼吸をすると、エスティマは緋色の瞳を上へと向ける。
眼前にあるのは、材質によって光り輝く、黄金螺旋階段。
戦艦の中央シャフト、とでも云うべきなのだろうか。ひょっとしたら整備のために後付けされたのかもしれなかった。
螺旋階段には所々に横へと伸びる通路があるが、エスティマにとってそれはなんら価値がない。
ただ真っ直ぐ――上へ、上へ。
エスティマは足を着けずに、飛行魔法を駆使して踏破する。
この真上に待つスカリエッティの元へと、ひたすらに。
あなたは希望だと、母は云った。
しかしそうなのだろうかと、オルタは眼前に写し出された男の姿を見て、胸中で己に問いかける。
希望とは、なんなのだろう。
エスティマに云った言葉に嘘はない。植え付けられたジェイルの記憶はどこか他人事として受け取ることしかできず、記憶に込められた感情を読み取ることはできなかった。
故に、ジェイルが何故エスティマへと執着していたのかオルタには分からない。
だがおそらく、ジェイルはエスティマ・スクライアという人物に希望を見出したのだ。
無限の欲望を満たす何かを頭ではなく感性で受け取り、それを己の中心に据えるべく結社を放棄した。
ジェイル・スカリエッティと似た存在であるオルタだからこそ、その出来事に心の底から驚かされる。
無限の欲望が他者へとその欲望を託すだなんて、あり得ない。
欲望とは己のものである。それは人間もスカリエッティも変わらない。
だがジェイルは、その欲望を満たす存在としてエスティマ・スクライアを認めたのだ。
分からない、あり得ない。
無限の欲望とは、その飽くなき探究心故に自分以外のものを蔑ろにする呪いがかかっている。
もし科せられたルールを破るような行動や感情を抱けば、一瞬前まで大切だったものは屑にしか見えなくなる。そういった類の呪いが。
しかしジェイルは、そのルールに沿いながらエスティマ・スクライアを認めた。
そう――己の意志で、己のルールを破らないよう、他者を気にかけたのだ。
この異常性。理解ができるだろうか。
かけがえのないもの、と認めた故に譲歩したのだ。無限の欲望が。
その行動は、跪いたのと同義だ。
クアットロの話を聞く限り、エスティマ・スクライアはジェイルを自らの手で捕らえられなかったことに深い無念を感じたらしい。
それがオルタには理解できない。
あなたは完全な勝利をしたのだ。敵の心根を折り曲げて屈服させた。これ以上の勝利はないだろうに。
しかし、エスティマ・スクライアはそれに気付かず。
……仕方がないことかもしれない。
そもそもオルタ以外に、ジェイルの行動がどれほど異常なのか気付いていないのだから。
――ともあれ。
あなたがこれより見せてくれるものは何か。
それを目に焼き付け、僕は飛翔するとしよう。
ああ、まだ生まれたばかりなのだよ僕は。
だから教えて欲しい。
右も左も分からない雛鳥に、まずはジェイルを屈服させたその強さを。
何、大丈夫。
この上ない好敵手を、用意したからね――
オルタの思考が区切りを迎えると同時、螺旋階段から伸びる扉が吹き飛ばされた。
玉座の間。薄暗い通路から、光源の満たされたそこへと、エスティマは真っ直ぐに。
そして――
同種のデバイスが打ち合い、鐘の音の如くゆりかごを揺らす。
対峙するのは戦闘機人のⅦ番。
これが始まりだと、猫のようにオルタは目を細めた。