進む先にある通路には、爪痕のように壁が傷つき、目を凝らせば床に転々と血の跡があった。
焦げ跡――炎が舐めたであろう痕跡も所々にある。おそらくそれは抵抗の証か。
それらはすべて、シグナムと戦闘機人の三番が戦った名残だ。
それを追う人数は五人。
ギンガを先頭に、そのあとをスバル、エリオとキャロ、そしてティアナが続いている。
最後尾から先を行く皆の背を見るティアナは、この状況になった経緯を思い出していた。
それは一種の確認なのかもしれない。
今まで起こったことから先の展開を予測する。
敵地で戦っている今の自分たちは、半ば必然的に敵の策に溺れるしかない。
溺れた上で足掻き、罠という罠を食い破らなければ勝つことなどできないだろう。
そのためには些細なミスも許されず、これ以上の損耗は絶対に防がなければならない。
ともあれ、今の状況。
戦闘機人の三番によって奇襲を受け、分断された自分たちは、それぞれ分かれて行動を取っている。
指示を出したのはヴィータだ。
彼女はエスティマへの救援を後回しとして、自分となのはの二人が戦闘機人プラント、シグナムを追う形でティアナたちを囚われた人たちの救出へと割り振った。
エスティマへの救援がないのは、おそらく部隊長の実力を信じているからだろう、とティアナは思う。
何があってもあの人は負けない。ティアナもそう思っており、ある種、エスティマのことを信じる彼女の姿は盲目的ですらあった。
それはともかくとして、勿論、聖王のゆりかごに向かう場合は遠回りをしなければならず、そんな時間的余裕がないというのも大きいだろうけれど。
一方、そのヴィータは未だ気絶しているなのはと共に、戦闘機人プラントの制圧へと赴くようだった。
エースだから、ストライカーだから、といった言葉に騙されそうになるが、たった二人で大丈夫なのか、という不安がティアナにはある。
無論、信頼はしている。しかし、この敵地でたった二人で進まなければならないという状況は、自分たちよりもずっと辛いだろう。
だからと云って、自分たちが楽なわけではないけれど。
シグナムの救援と共に自分たちが行うことは、囚われた人たちの救出。
ロングアーチ00――ティアナはその人物と会ったことがない――の報告によれば、この先にいる人の数は、とてもじゃないけど自分たちだけでは助けられない。
事前調査でそれは分かっていたことなので、既に手は打たれている。
ロングアーチ00によって調べ出された、囚われた者たちの存在している座標。
それに間違いがないかティアナたちが確認を取ったあと、地上本部に待機している結界魔導師たちが遠距離召還魔法を発動させる。
それによって人質に等しい人々を助け出す――と、事前に決まっていた。
ちらり、とティアナは彷徨っていた視線をスバルとギンガの二人へ固定する。
囚われた人たちの中には、あの二人の母親もいるらしい。
どんな気持ちで――と考え、分かるわけがないか、と馬鹿げたことを考えた自分自身に苦笑する。
死んだと思っていた肉親が生きており、それを助け出す役目を任された二人。
軽い気持ちでここにきたわけでは、決してないだろう。
おそらく、遠い昔に取り上げられた家族を取り戻すべく全力を尽くすはずだ。
彼女らの気持ちを把握できるわけではないティアナだったが、それだけは分かる。
ギンガはともかく、スバルとはずっと一緒にやってきたのだから。
その彼女が――決して頭は悪くないのに向こう見ずの突撃馬鹿な友人が――この期に及んで、冷静になれるわけもなし。
分かっている。今更だ。頭を冷やせなんて言葉が届くわけがないと知っている。
だから今は、その熱意が上手く状況に噛み合うことを祈ろう。
突撃馬鹿とは云っても、スバルはティアナたちと共になのはの教導を受けてきた。
学んだ事柄をすべて放り投げられるほど、体に刻まれた教訓は安くない。
エスティマが出撃前に云った言葉が脳裏を過ぎる。
――今まで積ませた訓練、経験が無意味なものだったと思わせないでくれ。
分かっています、と再度胸中で言葉をかみ締め、ティアナはクロスミラージュを握り締めた。
その時だ。
前進を続けていたティアナたちの前に、分岐点が現れる。
片方はトーレとシグナムの刻み込んだ破壊の痕跡が見て取れる通路。
もう片方は、サンプルの保管場所と示されたプレートが伸びる道。
そこへと差し掛かり、一行は足を止める。
どうするべきだろうか。指示を仰ぐために念話をなのはへと向けるも、返事はなし。
続けてグリフィスに念話を繋ぐと、なのはたちの状況が簡素に伝えられた。
交戦中。苦戦している。故に指示はこちらで。
それを聞いたティアナは、僅かに表情を暗いものにした。
否、彼女だけではない。この場にいる全員が、心配を顔に浮かべる。
しかし今の自分たちに何ができるわけでもなく。
グリフィスからの指示を待ちながら、五人は気を張り詰める。
『……命令の変更を行います。
フォワードはこれより、囚われた人たちの座標確認を行ってください』
『……待ってください、じゃあ、シグナムは』
指示から僅かな間をおいて、ギンガが念話を送る。
この中でも最もシグナムと親交のある彼女だからこそなのだろう。
これはある意味、見捨てるのと同じ意味を孕んだ命令だ。
が、
『命令を無視し、単独で行動しているシグナムのために戦力を割くのは危険と判断します。
それが引き金となって、作戦の崩壊すら有り得るでしょう。
……繰り返します。フォワードは囚われた人たちの座標確認を。
それが終了次第、シグナムの捜索を続行してください』
冷たささえ感じさせる、突き放した言い方でグリフィスは念話を切る。
ティアナはそれに苦味を覚えたが――間違っているとは云えない。
シグナムの無事と作戦の成功を天秤にかければ、局員として選ぶべきは後者だ。
おそらく、ティアナ以外の全員もそれを分かっているだろう。
更に、もしエスティマが指示を出したとしても内容に変わりはなかっただろう。そんな予感がある。
「……聞いたわね。
私たちの仕事をすぐに終わらせて、シグナムの捜索に戻るわよ」
云いながら、ギンガはサンプルの保管場所である部屋へと進み始めた。
彼女の胸中はどんなものだろうか。友人を見捨てて――ではない。違う、とティアナは思う。
おそらく、ギンガとスバルの思うことは自分たちと違うだろうと。
この先にいるのはスバルたちの母親。
それを助けるために自分たちは動こうとしており、そのためにシグナムを後回しにする。
喜ぶべきなのか。悲しむべきなのか。
……おそらくは、その両方を感じ、有効な打開策を思い付けない故の怒りを抱いているのではないか。
言葉少なく指示に従おうとするギンガの後姿に、ティアナはそんなことを思った。
ただ、それはティアナも同じではある。
部隊が違い、それほど面識がないと云っても顔を知っている者を切り捨てることは酷く気分が悪い。
早く終わらせないと、と彼女は足を進ませた。
シグナムの痕跡がなくなった以外はあまり代わり映えのしない通路を進みながら、それぞれは何を思っているのか。
足取りは決して軽くはない。しかし重いわけでもないのは――おそらく、己がなすべきことを理解しているからなのだろう。
足を止めていては何もできない。勝ち取るためには駆け抜け戦わなければいけない、と。
そうして――ティアナたちは目的地にたどり着く。
開けた視界を埋め尽くしたのは、遠近感が狂うほどに壁へと並べられた培養ポッドの列だった。
通路は広く、二車線道路ほどの幅があるだろうか。
その両脇には二段構造となった棚、そこにホルマリン漬けの標本の如く、人の納まったガラスの筒が収められていた。
その光景にまずティアナは圧倒され、次に強烈な嫌悪感を抱いた。
ガラス越しに見える人々の顔はどこか作り物めいており、人ではなく物のようにしか見えない。
サンプル。実にその言葉がしっくりくる扱いに、吐き気すら催す。
ギリ、と誰かが歯を噛み鳴らす音が静かに上がる。
誰だろうか。キャロではないだろう。エリオかもしれない。一番可能性が高いのはスバルか。
だがしかし、この光景に嫌悪感と比例した怒りを抱いているのは、誰もが同じだろう。
「……座標確認、急ぐわよ」
そんな中で、ギンガの言葉が上がる。
我に返ったようにティアナたちは動き始め――それを待っていたように、並び立つ培養ポッド影から二つの人影が現れた。
それを認め、ティアナは知らぬ内に目を細めていた。
戦闘機人のⅩⅠ番とⅨ番。
二人はデバイスを起動させた状態で姿を見せ、一方は締まりのない笑顔を。もう一方は敵意に燃えた瞳をスバルとギンガに向ける。
「やー、待ちくたびれたっスよ。
そこらじゃもう戦いが始まってるのに、アタシらの出番は遅くて遅くて。
……それにしても」
そこまで云い、ウェンディは笑みをたたえてティアナに視線を向ける。
それを受け、ティアナはクロスミラージュのグリップを更に握り締めた。
冷静になるべきと分かってはいる。しかし、六課での戦闘中にかけられた言葉は簡単に忘れることができないものであった。
「負け犬ちゃんがここにくるとはちょっと予想外っス。
てっきり、お外でメガ姉に吹っ飛ばされる役でもやってると思ってたのに」
「……そう。予想が外れて残念だったわね」
あからさまな嘲笑、それに滲んだ挑発には乗らず。
ウェンディはつまらなそうに肩を竦めると、まぁ良いっス、と盾ともサーフボードとも取れないデバイスを構えた。
同時、ノーヴェも拳を構えてスバルと対峙を。念話でやりとりでも行ったのか、スバルも同じようにリボルバーナックルを構えた。
右をスバルが。左をノーヴェが。鏡合わせのように、二人は視線を交錯させる。
『……エリオくん、キャロちゃん。私と一緒に座標の確認を行うわよ。
スバルにティアナ。悪いけれど、時間を稼いで』
『了解』
ギンガからの指示に、異口同音でそれぞれは応える。
分かっているのだ。この場で行うべきことは戦闘機人の捕縛ではない。
それも目的の一つではあるが、重要なのは囚われた人々の救出なのだから。
空気が張り詰め、それぞれの間に剣呑が気配が宿る。
スバルにノーヴェ。ティアナとウェンディはそれぞれ相対する相手との交戦に戦意を燃やし。
ギンガ、エリオ、キャロ、の三人は立ちはだかる二体の戦闘機人をすり抜ける隙を伺っている。
睨み合いの状態が続き、秒が過ぎ、分が刻まれ――
施設が震動した刹那、それぞれは動いた。
何が起こっているのかを確認するよりも早く、全員が気を取られた一瞬を突くべくそれぞれは動く。
そして、ティアナは――
リリカル in wonder
マズルフラッシュの如く瞬いたエネルギー光。
それに対応し、ティアナは回避行動を取りつつクロスファイアを発動した。
一瞬前まで自分のいた空間を薙ぐ、無数の直射弾。それらを紙一重で回避し、反撃として誘導弾を放つ。
橙色の軌跡を描いて乱舞するクロスファイア。数は六。
殺到する光条は鋭く、凡庸ながらも鍛え上げられた地力が伺える。
が――
「無駄無駄っス」
軽口を叩きながらウェンディは構えていたデバイスを引き寄せる。
盾として展開されたそれは直撃の刹那、魔力弾との間に割り込んですべてが弾かれた。
エスティマの使うSeven Starsと同じ材質で作られたデバイスであるそれは、生半可な攻撃では破壊できない。
非殺傷設定では当然。物理破壊設定でもだ。
ヴィータですら破壊できるかどうか怪しい。完全なオーパーツ、というよりは現代技術のロストロギアと云うべき代物だろう。
が、そもそもティアナは高い打撃力をたたき出す魔導師ではない。
正面からあのデバイスを破壊することは不可能と、本人も理解して割り切っている。
だから、私の狙うべきは――
トリガーを引き絞り、次々とカートリッジをロードしながら、ティアナは幻影魔法、射撃魔法を行使する。
が、それらは直射弾により食い破られ、盾によって防がれる。
予想していたこととは云え、ティアナに焦りがないわけではない。
が、それに駆られて突っ込めば前回の再現となる。
二度も同じ過ちを犯すつもりはない。
ティアナは歯を食いしばりながら逸る気持ちを押さえ込み、片方のクロスミラージュをホルスターに戻してカートリッジを装填する。
が――
「逃げ道はないっスよー」
間延びした口調とは正反対の弾幕――全方位に浮かんだスフィアを目にして、ティアナは舌打ちを一つ。
そうバリア出力の高くないフィールド防御を発動し、それに衝突して爆ぜた魔力弾、その穴から移動魔法で包囲から抜け出す。
炸裂し、舞い上がった粉塵を引き裂いて、ティアナはクロスミラージュをウェンディへと向ける。
が、彼女の姿はない。
煙によって視界がゼロになった瞬間を使い、移動したのか。
それに気付いた瞬間、危機感に背筋が泡立つ。
咄嗟にクロスミラージュをダガーモードへと変形させ、フィールド防御を発動させつつ周囲に注意を向ける。
瞬間、意識の外にあった方向――真上から魔力弾が降り注ぐ。
顔を上げればウェンディはデバイスへサーフボードのように乗り、豪快なターンを決めつつ射撃を放っていた。
エネルギー弾が直撃する刹那、バリアバーストを発動。しかし吹き飛ばすのは敵ではなく自分。
強引と云えば強引な回避方法だったが、それによってティアナは敵の攻撃範囲から逃れることができた。
床を転がり、背中を強打したことで息が詰まる。
視界は転がり上下の感覚が一瞬だけ失われた。
ともすれば酔ってしまいそうな状況の中でティアナは幻影魔法を発動し、ダミーを生み出す。
立ち上がる彼女。そのまま倒れ伏す彼女。魔力によって編み出された虚像が三体姿を現した。
しかし、間一髪で逃れた彼女へと次が押し寄せる。
すべてを吹き飛ばせば関係はない、とばかりに降り注ぐエネルギーの雨に、一瞬で虚像は消し飛ばされ魔力光の残滓を残して掻き消える。
蹂躙という表現が似合う暴力の旋風を辛うじてやり過ごし、ティアナは半ば自棄に――なったように見せかけて――直射弾を放つ。
が、やはりサーフボードのようなデバイスによって防がれる。
その事実に舌打ちを。意図的に。
――ティアナにとってウェンディとは、まさしく格上の相手である。
戦闘機人故の高い反射神経を頼りに振り回されるデバイスは、絶対防御とは云わないまでもティアナにとってソレに等しい。
また攻撃の面でも、小手先が通用しないレベルにまで火力に差が開いている。
同じ射撃型だとしても、威力、手数、速度のすべてにおいてティアナが劣っている。
速度も同じく。魔法によって多少の強化はされているものの、並の人間、しかも少女でしかないティアナとウェンディの身体能力には大きな開きがあるだろう。
だがしかし、スペックに大きな開きがある現状、ティアナがウェンディに勝利するのは不可能だろうか?
否。性能差がすべて結果に繋がるわけではない。
機械ならばそうだろう。だがしかし、ウェンディは戦闘機人であっても機械ではないし、ティアナもそうだ。
彼女は覚えている。廃棄都市での戦闘――自分の失態でヴィータに重症を負わせた戦いを。
あの時、終始戦闘を有利に進めていたのはウェンディだった。事実、勝利したのもウェンディと云える。
だが――戦いの中に勝機は存在していなかっただろうか?
否。存在はしていた。自分とエリオが先走ったことであの時は費えたが――今ここで、かつての戦いが再現されようとしている。
そうなるように、ティアナは仕向けている。
ただ黒星としてあの戦いを忘れ去らず、経験を勝利への糧とするために。
ウェンディは今、格下と見てティアナのことを舐め切っている。
先ほどからの攻防がそうだ。おそらく全力で戦えば――ツインドライブを使えば一瞬で決着がつくであろうにそうしない。
獲物を前に舌なめずりをする――いや、小動物をいたぶっている猫のように、勝負を決めずに遊んでいる。
そこに付け入る隙がある――とは思うものの。
……そう簡単にやらせてくれないわよね!
胸中で悲鳴にも似た声を上げながら、ティアナは押し寄せる弾幕を幻影魔法、移動魔法、防御魔法を駆使して凌ぐ。
その度に決して多くはないティアナの魔力は目減りし、このままでは反撃の前に魔力切れが訪れてしまう。
このAMF下で魔力が一定量を切れば、いくら隙が生まれようとも攻め入ることが不可能になってしまうだろう。
それを回避するために、なるべく早く勝負を決めないと――
できるのか? と自分自身に疑念が湧く。
おそらく、敵の慢心を突けるのはたった一度。
いくら舐め切っていると云えど、この戦闘機人だって二度も同じ失態を晒せば学習するだろう。
それを逃せば魔力に余裕がないこともあり、必死確定。分の悪い賭けにしたって悪質過ぎる。
が、今の自分にはそれに縋るしか道がない。
エリオやキャロ、ギンガが戻ってくればまだ話は違うのかもしれない。
しかし――
ウェンディを中心で捉えつつ、視界の隅で仲間の様子を見やる。
スバルは未だに同型の戦闘機人と戦っている。エリオたちの方には新手が現れたのか、部屋の奥からは二人の魔力光に混じって深紫の鮮やかな輝きが放たれていた。
応援は望めない。今すぐにでも忘れたい事実だったがそれを計算の内に入れ、再びティアナは思考を戦闘へと戻した。
無機質な床を這いずる様に転がって、ウェンディの放つ直射弾を避ける。
狙いは絶妙であり、ティアナが能力の限界を発揮すれば避けられる速度と精度で攻撃は続けられていた。
こちらの息が切れるのを楽しんで眺めているのが、表情から分かる。最早察する必要すらない。
「ああ、そうそう。気付いてるっスか?」
気安く、まるで散歩中に並んだ人へ声をかけるようにウェンディは言葉を向けている。
が、ティアナにはそれへと応える余裕はない。
息を切らせ、瞳を輝かせながら雨霰と向けられる射撃をかいくぐる。
返事をする様子がないことにウェンディが気にした様子はない。
初めから期待していなかったのだろう。もしくは、余裕を見せ付けるためだけに声をかけたのか。
「この震動、多分、ゆりかごが発進しようとしてるっスよ。
てっきりアタシらも乗っけてくれると思ってたのに、メガ姉もせっかちっスねぇ」
ゆりかご――そこには部隊長が。
なのに、発進を阻止できず、今にも浮かび上がろうとしていると云うことは。
有り得ないと思う一方で、猛烈なまでの嫌な予感が湧き上がってくる。
まさか、部隊長が……?
「アンタらの隊長、今頃どうなってるっスかねぇ。
セッテが相手じゃ普通に無理だと思うっスけど」
「……そんなこと、ない。
部隊長は負けないわよ……!」
息をするのがやっとだというのに、ティアナは腹の底からそう云い返した。
瞬間、ウェンディの顔に喜悦が滲む。
それは、嬲っている獲物が存外元気だったことに喜びを見出した類のものだった。
「ああ、元気があるみたいで何よりっス。
ほぉら、追加っスよー」
円を描くように射出用リングが宙に展開し、即座に直射弾が放たれる。
その数は十を超え、誘導弾ではないにしろ避けるのは至難。
思考の空白を突くように現れたそれへ、ティアナは一瞬反応が遅れてしまう。
防御も回避も間に合わず、辛うじて取れた行動はクロスミラージュを盾にすることだけだった。
それで防ぐことができたのは三発。残り七発は狙いを違わずティアナの体へと命中し、エネルギー光が炸裂する。
その衝撃にティアナは宙を舞った。
バリアジャケットを貫通しても余りあるその威力に意識が明滅する。
四肢からは一切の力が抜け落ち、受身を取ることもできず床を転がる。
落下した際、頭から落ちなかったのは幸か不幸か。
しかし代わりに強打した肩からは嫌な音が上がり、痺れが抜けると共に焼けるような痛みが頭を駆け巡った。
が、その激痛に叫びを上げる余裕すらティアナにはない。
喘ぐように口からは声なき声が漏れ、呼吸が乱れる。
自分が痛がっているのか苦しんでいるのかも分からない状況の中、猛烈な吐き気を感じ、嫌な咳を漏らす。
……だが。
「……へぇ」
ウェンディが感心したような声を上げる。
それを聞きながらも意識には留めず、右手を持ち上げ、ティアナはクロスミラージュをウェンディへと向けた。
外れたのか、折れたのか。左腕は持ち上がらない。指先は痺れて動かない。これではカートリッジをロードするのも無理だろう。
ガクガクと膝を震わせながら、ティアナは左の拳銃を消してワンハンドモードへと変える。
差し向けた銃口は揺らめいて標的を正確に捉えてはいない。
だが瞳に宿った意思だけは確かに。相手を射殺さんばかりの戦意と敵意が滲み出している。
そのティアナの姿を見ても、やはりウェンディが浮かべた表情は変わらない。
否、腕一本を使用不可能になった彼女がこれからどうするのか。それを楽しみにしているかのように、より深い笑みが刻まれる。
「あらら……肩、いっちまったみたいっスねぇ。
外れた……んじゃなくて、折れたかな?
すげぇ痛そー……まだやるっスか?」
「……当たり前よ」
対峙するウェンディ、そして自分の状態を把握しながら、ティアナは歯を噛み締める。
おそらくどこかを切ったのだろう。口の中には血の味が満ちており、広がった錆臭さに頭がくらくらとする。
が、その状態でも尚、彼女は勝負を捨てていない。
……私は、諦めない。
その一念で彼女は崩れ落ちそうになる体を保っている。
……今まで、自分の人生はお世辞にも順調とは云えなかった。
両親に先立たれ、頼りにしていた兄も先に逝き。
普通の子供が甘受するべきである生活を送ることができず、自立の早いミッドチルダの人間の中でもかなり早く自らの人生を考える必要があった。
手元に残っていたのは兄が残してくれた遺族年金、そして戯れに教えてもらった魔法のノウハウ。両親からは回転の速い頭を授けてもらった。
それだけを頼りに今まで生きて、空戦魔導師と執務官という夢を見て妥協し、そして今がある。
ケチのつきっぱなしと云えばそうなのだろう。ティアナにそれを否定するつもりはない。
だが――
ただ唯一の自慢は諦めの悪さだ。
素質が足りず空戦魔導師になることを先延ばしにした。
難関と云われる執務官試験に真っ向から挑まず、経験を積むことを選択した。
それらはすべて遠回りであり――しかし、自分の背丈に合った選択だったはずだと、彼女は信じている。
抱いた夢へと伸びる道筋をまっすぐに突き進む強さは生憎と持ち合わせていない。
だから力をつけて――その選択が間違いだっただなんて。
積み重ねてきた力がこの場で通用しないだなんて――諦めるだなんて。
「認めてやらないわ」
一種、清々しさえ滲む笑みを、彼女は浮かべる。
クロスミラージュをダガーモードへと。
それをフェンシングのように構え、突き出し、砕けた左肩を背に庇った。
そして足下に展開するミッドチルダ式魔法陣。選択する魔法はブリッツアクション。
応じるウェンディは、小馬鹿にしたような笑みを浮かべたままデバイスを右手に装着し、足下にテンプレートを展開。
もうツインドライブを使わなくても勝てると分かっているのだろう。
見るからに敵は満身創痍。これに負けろという方が無理な話。
……ああ、良い感じ。
自分を含めたこの状況に、ティアナは既視感を抱く。
ダガーを構えた自分。右腕にデバイスを装着したウェンディ。
もしこのまま武器を弾かれ、鳩尾へ一撃を叩き込まれれば六課の時の再現だ。
……そうなるようにし向けたんだから。
雑魚としか自分を見ていない戦闘機人。
彼女はおそらく、自分の優位を見せ付けるために、ティアナを一蹴したあの戦いを再現するだろうと――そう、ティアナは判断している。
そしてそれが正しいと云うように、ウェンディから仕掛けてくる気配はない。
すべては自分の出方次第。
なら――と、ティアナは意識を集中させる。
これから行うことが成功するのか。それは正直、自信がない。
脳裏に焼き付けた一つの挙動は今も色鮮やかに思い出すことができる。
だが――素質がない以上、真似ごと止まりでしかない自分にあの人の技を完全に再現できるのかと。
憧れているが故に自信がない。
そもそも高い壁であるのに、そこへ思い入れが水増しされて、はっきり手が届かない存在だと思ってしまう。
しかし同時に、ずっと手を伸ばし続けてきたものだからこそ近付きたいと――いつか、ドア・ノッカーを手に入れた夜、銃口を夜空へと向けた時と同じような感情が浮かび上がってくる。
『……お願い、クロスミラージュ。
一度だけで良いの。私に、夢を見せて』
『……Yes.
Yes my master.』
空を飛べず、戦場の星にもなれず、ただ地を走るしかない私に。
そんな主人の願いを叶えようと、クロスミラージュはデバイスコアを瞬かせる。
小さく笑い、ありがと、と短く応えて、彼女は息を吐く。
……勇気を、力を貸してください。
そして呼吸を止めて、これから行う挙動へと全精力を注ぎ込むために目を据わらせた。
時は少し遡り、ノーヴェとスバルが対峙し始めた場所へと戻る。
ノーヴェは右腕にリボルバーナックルをはめた自分の同型機を見据えながら、遂にここまで、と耐えられないほどの苛立ちを感じていた。
彼女の母――遺伝子上での――クイントが眠るこの区画。ここは彼女にとって、ある意味では聖域であった。
眠り続け、一切自分に言葉をかけてくれない母。それをただ眺めるしかない自分。
端から見れば随分と滑稽な風景だろう、それは。
しかしノーヴェにとって、黙したまま何も語らない母と向き合っている時間は、かけがえのないものだった。
そんな風にクイントを意識するようになったのは、いつからだっただろうか。
思えば、始まりは今の自分と同じように、メガーヌ・アルピーノを眺めているルーテシアの姿を見かけたことだったかもしれない。
その頃の自分はまだクイントに微塵も興味を抱いておらず、ああそういう人がここにいるのか、と認識している程度だった。
その自分はルーテシアの姿を見かけ――確か、そう。幼い頃、自分の面倒を見てくれていたチンクに質問したのだった。
あの子は何をしているのか、と。
それは純粋な疑問でしかなかった。
彼女からすれば自分の遺伝子提供者が眠っていようと、その事実以上の価値は存在しない。
故に母親をじっと見ているルーテシアの行動は不可解であり、どうにも理解できないことだった。
そんなノーヴェに対して、チンクは云った。
母親に声をかけてもらいたいのだろう、と。
その言葉の意味がノーヴェには分からず、普通はそういうものなのか、とその場は済ませた。
この時のルーテシアと比べればノーヴェは幼いと云って良く、伝えられた言葉に疑問を抱くことはしなかったのだ。
それから少し時間が経ち、ある日、ノーヴェはルーテシアと会話する機会が訪れた。
それはどんな状況だったか。休憩所で二人っきりになり、気まずさから始めた会話かもしれなかった。
その際、ノーヴェはなんの気なしに彼女へと問いかけた。
母親ってそんなに大事なものなのか、と。
それに対して、ルーテシアは疑問を一切抱かず、小さく頷く。
そして、聞き取りづらいほど小さな声で、彼女は云った。
お母さんが目覚めれば、私は人形じゃなくなるから。
彼女から帰ってきた応えはあまりにも主観的で、ノーヴェは言葉に込められた意図をはっきりと飲み込むことができなかった。
が、人形、という一言がどうにも引っかかり、ノーヴェはクイントのことを僅かに意識するようになる。
これは、クアットロが事ある毎にナンバーズを道具として扱う発言をしていたことが起因している。
それに加えて――自分の同型であるタイプゼロの二体が、普通の人間として生活しているという、ことも。
自分が人形だとノーヴェが思ったことはない。
が、外から見ればどうなのか。もしかしたら人形なのかもしれない。
お人形さん、とクアットロがルーテシアを揶揄するように、もしかしたら自分も人形であるのかもしれない。
無論、ノーヴェには今の生活に文句があるわけではなかった。
望まれた存在として生み出され、いつか始まる闘争への準備をする毎日はルーチンワークをこなすような飽きこそあったものの、姉妹たちと過ごす毎日は退屈ではなかった。
このままでも別に良い、と思う反面、どうしても気になってしまう。
もし自分が人形ではなくなったのなら、どうなるのだろうか、と。
それに気付いてから、ノーヴェの姉たちを見る目は少しだけ変わった。
例えばウーノ。
スカリエッティの秘書として生み出された姉は、望まれた形として動き続けている。
その一方で、彼の散髪やらなんやらに気をかけていたりなど、存在意義以上に自分の楽しみとしてスカリエッティに尽くし、それを楽しんでいる節があるように思えた。
例えばトーレ。
ナンバーズの中でも最も早く生み出された純粋な戦闘タイプである姉は、望まれた形としてスカリエッティの敵と戦っている。
その一方で、戦いに独自の価値観を見い出し、闘争に余計な感情を持ち込みつつ楽しんでいるように思えた。
例えばクアットロ。
指揮官タイプとして生み出された姉は、望まれた形としてスカリエッティの敵を翻弄している。
その一方で余計な悦びを抱きながら敵を弄び、それを楽しんでいるように見えた。
例えばチンク。
トーレに続く戦闘タイプの戦闘機人として生み出された姉は――しかし望まれた風に戦う一方で、何か別のものに変わりたいと願っていたようだ。
それを幼い頃から知っているノーヴェは、チンクが結社から抜け、今になって敵対するのだとしても、何故か怒りを抱くことはなかった。
敵として立ち塞がるなら倒す。そう思う一方で、良かったね、と祝福している自分もいる。
……多分チンク姉は、人形であることを止め、人として歩み始めたんだ。
そのこと自体が幸せなのか、ノーヴェには分からない。
しかし、楽しそうに生きる姉たちに憧れを抱いてしまうのは確かだ。
そんな風に自分も――。
それを願った瞬間、ノーヴェの中には八つ当たりじみた怒りが息吹いた。
向ける対象はタイプゼロの二体。
戦闘機人であるのは自分と変わらないのに、あの二人が人間として生を謳歌しているのは、おそらく母親がいたからだ、と。
もし自分にも――なのに、どうして。
怒りの発生源は嫉妬であり、それ故に、ノーヴェはあの二人が持っていない物を大事にしていた。
眠り続ける母親と、彼女の遺したリボルバーナックル。
結社が管理局を打倒し余裕が生まれた時に、ドクターはクイントを目覚めさせると約束してくれた。
その時まで遺された二つを守りきって、そうして、母親と出会うことで自分は――
そのためにノーヴェは結社の保有するType-Rの一体として戦い続けてきたのだった。
しかし宝物であったリボルバーナックルは片方を奪われ、そして今、クイントすらも奪い去ろうとタイプゼロは本拠地まで迫ってきた。
……何もかも独占するつもりかよ。
それだけは許さない、とノーヴェは息を巻く。
この場でタイプゼロの二体を叩き潰し、六課を退けて逃げ切り、そうして、ずっと待ち続けた母との対面を。
胡散臭くはあるが、クアットロは約束してくれた。この戦いが終わったらその褒美に、と。
その望みを胸に宿し、ノーヴェはスバルと対峙している。
『……ねぇ』
ふと、眼前のタイプゼロが念話を送ってきた。
全員に向けたものではない。対象をノーヴェにのみ絞った代物だ。
返答するかどうか、と迷いながらも、ノーヴェは臨戦態勢を保ったまま念話を返した。
『なんだよ』
『一つ、教えて。
どうしてあなたは、お母さんに拘っているの?
リボルバーナックルだって大事にして……それに、私とギン姉を敵視して。
……どうして?』
『答える義理はねぇな。それに、教えたって無駄だろ。
テメェはここでスクラップにする。リボルバーナックル、返してもらうぜ』
重い金属音を伴いながら、ノーヴェはジェットエッジのローラーをスライドし、左のリボルバーナックルを構えた。
それを見て、スバルも右のリボルバーナックルを構える。
同時、この場にいる全員が行動を起こすべく姿勢を下げ――
施設を揺らす振動を切っ掛けにして、爆ぜるように動き出した。
ティアナはウェンディと。他の者たちはType-Rの二人を避けて、通路の奥へ。
それを見たノーヴェは舌打ちしたい気分になるも、まぁ良い、と捨て置く。
目の前のセカンドを倒してから向こうを潰せばいい。それに、奥にはルーテシアがいる。足止めぐらいにはなるだろう。
逡巡は刹那。スピナーが唸りを上げ、スバルとノーヴェは惹かれ合うように戦闘を開始した。
それぞれのローラーが地を削り、グリップの効く鈍い音と共に前進を。
ぶつかり合うようにノーヴェとスバルは衝突し、お互いが繰り出した拳はそれぞれが展開したフィールド防御へと激突する。
が――
魔力と共に戦闘機人の腕力にものを云わせ、ノーヴェは強引にスバルの防御を貫いた。
戦闘機人、という点は一緒なのだとしても、あちらは十年前の旧式でしかない。
一人で技を研鑽するしかなかったノーヴェがいくら格闘技術において劣っていたとしても、基本スペックを凌駕している以上、優位であることは揺るがないのだ。
これは格闘家の試合ではなく、格闘技を武器の一つとして使う魔導師の戦い。
一要素で劣っているのだとしても、他のすべてが相手を上回っているのならば、負けはない。
逆に、敵が唯一勝っている格闘技術で勝負を挑んでくるというのならば、むしろ好都合だ。
つまりは、それを行わせないように戦えば良いだけの話。
防御の上からスバルを吹き飛ばしたノーヴェは、次に射撃魔法を発動させる。
黄色のエネルギー光が浮かび上がり、即座にスフィアがスバルへと殺到。
連射されるエネルギー弾をシールドで弾きながら、スバルは雄叫びを上げて再度接近しようとしてくる。
が――
「ああ、お前はそうするしかねぇよなぁ」
射撃と同時にエネルギーを溜め、砲撃を撃ち放つ。
流石に守りきれないと悟ったのだろう。スバルは防御を諦め、回避する。
身を捩って紙一重でエネルギーの本流から逃れる彼女だが、しかし、体勢を崩した一瞬をノーヴェは見逃さない。
ジェットエッジの加速器が火を噴き、それと共にノーヴェはスバルへと肉薄する。
その体勢で格闘を繰り出したところで、体重は乗せられないだろう。
故に、選ぶとしたら――
「……ッ、マッハキャリバー!」
スバルが叫びを上げると同時、青色の魔力光が瞬き、ウイングロードが展開された。
不安定な足下へ強引に足場を作ることで姿勢を安定させようとしたのだろう。
だがしかし、あまりに読み易い。
スバルよりも早く動いていたノーヴェはウイングロードが展開される一瞬を狙い、拳をスバルへと叩き付けた。
左のスピナーが旋風を巻き上げ、打撃力を上乗せする。
マルチタスクでの思考分割が間に合わなかったのだろう。スバルは魔法ではなく、"右腕"でノーヴェの拳を受け止め――
……この野郎!
叫びを上げず、怒りをそのまま挙動に乗せて、ノーヴェは強引に姿勢を変える。
拳を打ち出そうとした遠心力をそのまま利用して後ろ回し蹴りが。ジェットエッジのローラーは勢いをそのまま伝え、ノーヴェの踵がスバルの脇腹を捉える。
薙ぎ払う、という表現がしっくりくるほどその一撃は綺麗に決まり、スバルは吹き飛ばされて壁へと激突した。
幸運なことに培養ポッドには当たらず、その隙間へと。
衝突に一拍遅れて粉塵が舞い上がり、それを眺めながらノーヴェは舌打ちする。
確かに、デバイスで攻撃を防ぐのは間違いでもなんでもない。スバルのとった行動は正しいと云える。
だがノーヴェにとって自分の手でリボルバーナックルを傷つけることは決して許せない事柄の一つであり、故に、今の行動に繋がった。
母の形見を傷つけずにすんだと安堵すると同時に、簡単にリボルバーナックルで受け止めるという判断をしたスバルに際限なく怒りが湧いてくる。
コイツは、と。
ノーヴェと違い、スバルにリボルバーナックルをそこまで大事にするつもりはない。
無論、ぞんざいに扱うつもりはない。消耗品と割り切っているわけでもない。彼女にとってもリボルバーナックルは母のデバイスであり、大切なことに代わりはない。
が、戦闘中にそんなことを気にするほど、スバルは甘くなかった。
ただノーヴェが勝手な拘りを抱き、勝手な縛りを自分に架しているに過ぎない。
が、彼女からすればそのすれ違い、価値観の相違にも自分とスバルの境遇が違うからだと、再び嫉妬を抱く。
……アタシにはこれしかねぇってのに。
唯一と云っても良い母親との絆。それが形となったデバイス。
過去、シグナムと戦闘した時、廃棄都市で右腕を奪われた際にも彼女は似たような怒りを抱いていた。
それが今、スバルと対峙するこの時でさえも現れている。ただそれだけの話だ。
「……起きろよセカンド。
この程度で終わりか?」
「……冗談。
私は、お母さんを助けるためにここへきたんだ。
それを果たせずに負けるなんて、できるわけがないよ」
瓦礫を押しのけ、額から血を流してスバルは立ち上がる。
それを見、上等、とノーヴェは鼻を鳴らし、再び二人は戦闘へと。
だが、やはりスバルの拳はノーヴェに届かない。
強固なバリアを持っていようと、それを上回る射撃、砲撃を前にして彼女は為す術がない。
それをノーヴェも理解しているからこそ、距離を取りつつちまちまと相手を削っている。
本来ならば彼女が好まない消極的な戦いだが、それを行っている原因はスバルの使うリボルバーナックルを破壊したくないからこそだ。
合理的だからではなく、単純な拘り。戦闘で抱くには贅肉と云って良い感傷だ。
が、スバルにはそれをはね除けるだけの力はない。
ノーヴェの放った砲撃により、再び彼女は吹き飛ばされる。
バリアジャケットはすでに所々が破れ、素肌からは血が滲んでいる。痛々しい、と形容できす姿になっているも、未だスバルは闘志を失わず。
立ち上がる彼女へと苛立ちを抱きながら、ノーヴェは舌打ちをした。
諦めが悪い。それはきっと、母親を助けたいという気持ちが体を支えているからなのだろう。
「……あのさ」
口の端に滲んだ血を左手で拭い、スバルは口を開いた。
視線をノーヴェへと向け、震える身体を強引に持ち直しながら。
「もう一度、聞くよ。
あなたは、どうして戦ってるの?」
「云うつもりはねぇ、って伝えただろうが。
ほざいてる暇があるならかかってこいよ」
「……それでも」
黙れ、と云うノーヴェにかまわず、スバルは先を続ける。
何かを確かめるようにリボルバーナックルへと左手で触れ、僅かに瞼を落とした。
「私は知りたい。
私はお母さんを助けたくてここにいる。勿論、六課の魔導師として、ってのもあるけど。
あなたはどうして? 結社の戦闘機人だから?
……違う、よね」
確かめるように言葉を紡ぐスバルを、ノーヴェは無視した。
それを彼女はどう受け取ったのか。
おずおずと、スバルは口を開き――
「リボルバーナックルのことで怒ったり、私たちのことを目の仇にしたり。
……もし、あなたが私たちと同じようにお母さんを大事に思ってくれているなら」
「……思ってくれているなら?」
「……戦わなくても、良いんじゃないかな」
スバルの言葉に、ノーヴェは頭の中で何かがぶち切れる音を聞いた。
この期に及んでコイツは何を。
否――戦わなくても良い? するともしかしたらこの敵は――"手を取り合おう"だなんてことを次に口にするのか?
「――ああ、そうかよ」
燃えたぎる意識とは裏腹に、酷く凍て付いた声色が漏れた。
自分でもそのことを意外に感じながら、ノーヴェは小さく笑みを零す。
奪おうとするお前たちと、奪われたくないと願う自分でこうも違うのか。
その違いはなんなのだろう。やはり母親がいたか否か、なのだろうか。拾われた先に受け入れてくれる人がいたから、なのだろうか。
自分もそうなりたかった、と思っているわけではない。自分にも姉妹がいて、決して悪い扱いを受けていたわけではなかった。
しかし――
この、どこまで行っても交わらない価値観の違い。
自分と同じ顔を敵がしているからこそ、それがどうしても頭にくる。
……もう良い。
「……死ねよ」
呟くと同時、胸の内にあるリンカーコア、それと融合しているレリックが咆吼を上げた。
足下に形成されるのは、テンプレートと魔法陣が混ざり合い幾何学模様を描くType-R独特の魔導式。
ツインドライヴ。それの解放に伴って吹き上がるエネルギーと魔力の本流が旋風を生み出し、ノーヴェとスバルの間に風が吹き荒ぶ。
ノーヴェに応えるつもりがないと分かったのだろう。
僅かに悲しそうな表情を浮かべ、スバルは瞼を閉じた。
そして開くと同時、彼女の瞳は黄色――戦闘機人のソレへと変貌する。
足下に展開されるテンプレートと、呼び起こされるIS、振動破砕。
両者が上げた力の本流に大気が歪み、絶叫の如き轟音が通路に響き渡った。
言葉も交わさず、二人はリボルバーナックルを構えて。
鏡写しのように、右を、左を。カートリッジが炸裂し、スピナーが火花を散らして限界運動を行う。
そして――
スバルとティアナを背後に置いて、ギンガたちは培養ポッドが並ぶ通路を疾走していた。
背後で戦っている二人が心配じゃない訳ではない。が、自分たちが任務をこなさなければ二人を助けることだってできない。
選択肢の中には任務を放り投げて助けに入るというものが存在しているものの、それは絶対に選べない。
ここには局員として、囚われた人たちを助けにきたのだ。その自負があるからこそ、誰もが後ろを振り返ったりはしなかった。
そして――再び。
待ち受けていたように、三人の眼前へと小さな影が現れる。
装飾過多で趣味に走った黒いバリアジャケットを着た少女。
彼女を目にして、エリオの脳裏には六課での戦闘が呼び起こされた。
あのとき、ガジェットや無数の召還蟲を従え、自分たちと戦っていた女の子。
それがここで立ち塞がるのなら――
S2U・ストラーダを構え、エリオは視線を二人へと送る。
自分はここで足止めを。その意図を込めた動きだったが、ギンガはともかく、キャロは瞳に動揺の色を浮かばせた。
いや、動揺というのは正しくないか。心配の方が正しいかもしれない。
この戦いが始まるまでずっと塞ぎ込んでいた自分のことを気遣ってくれているのだろう。
優しい子だ。ここに至るまで、何度も心配されたことだってある。
けれど――今は。
『僕は大丈夫。
だからキャロは行って』
『……けど』
『転送魔法が使えるのはこの中でキャロだけなんだ。
捕まっている人たちが転送できるかどうかの確認ができるのかも、君だけ。
……心配してくれるのは嬉しいけどさ。
僕のせいで万が一があったりしたら嫌だよ』
エリオの言葉に、彼女は何を思ったのか。
引きはがすように顔を背けると、キャロはギンガと共に通路をそのまま走り去った。
残されたエリオはデバイスを構え、眼前の少女へと切っ先を向ける。
この空間では巨大な召還蟲を呼び出すことはできないだろう。
ならば彼女自身の実力はどれほどか。自分の力は通用するのか。
召還魔法を使用する、というキャロとの共通点が故に、エリオはこの子がさほど単独戦闘が得意ではないという先入観を抱いている。
が、それは捨て去るべきかもしれない。
外見がどうだろうと。戦闘スタイルがどうであろうと、彼女がレリックウェポンであることに代わりはないのだ。
改造された魔導師。それはエリオが幼少の頃から見ていた、エスティマ・スクライアと同じ存在であるということである。
あの人が今の自分よりもどれだけ先に進んでいるのか分かっているからこそ、眼前の少女がエスティマとオーバーラップし、何か得体の知れない存在のように思えてくる。
先に仕掛けるか否か。それとも出方を伺うか。しかしその場合、こちらの対処が追いつかない手を打たれたら――
やや消極的な思考に流れてしまうのは、敵が強大ということ以外にも、未だエリオが完全に立ち直れていないことを意味する。
いくら同年代と比べて強い意志や決意を思っていようと、エリオは十歳の子供でしかない。
その彼に迷いを捨て去れというのは不可能な話だろう。
焦りを抱きながらも、エリオはルーテシアの挙動を伺う。
が、彼女はそんなエリオを、ぼう、と見つめるだけで何もしてこない。
注視しなければ瞬きすらも忘れているような――どこか人形めいた印象を、エリオは初めて彼女へと抱いた。
六課で戦った時はエリオ自身が戦闘に集中していたため敵の様子に注意を配ることができなかったが、今は違う。
様子をうかがっている今だからこそ、エリオは彼女のことをそう思った。
その時だ。
「……戦わないの?」
「……え?」
人形めいた、と思っていたからか。
不意に呟かれた一言に、エリオの反応は僅かに遅れた。
しかし少女はそれを意に介した風もなく、何を見ているのかも定かではない視線をエリオの周りに向けて、口を動かす。
「あなたたちは、侵入者。
私たちから大事なものを奪いにきた人。
なのに、どうしてあなたは戦わないの?」
「……戦うさ」
僅かな苛立ちを感じつつ、エリオはデバイスを構え直した。
それに伴い、カチャリ、と軽い金属音が鳴る。
だがやはり、少女はエリオが何をしようと気にした様子がない。
あるとすれば、敵が臨戦態勢を取ったという、茫洋とした認識だけか。
だが――眠たげですらある彼女の雰囲気は、腕を振り上げた瞬間に一変する。
足下に深紫へと色どられた、亜種の古代ベルカ式魔法陣が展開される。
それと共に、少女は僅かに眉尻をつり上げた。
「……それなら倒す」
宣言の通りに、彼女が両手にはめたグローブ型のデバイス、そのコアが瞬いた。
瞬間、放たれる射撃魔法。
それらをステップを踏みつつ回避しながら、エリオは浮ついていた意識を戦闘のものへとシフトさせる。
射撃は正確。しかし避けられないほどじゃない。
弾幕もそう厚くはないため、切り込むことは可能。ただその場合、バリア出力はどうなのか。
レリックウェポンということもあるから、装甲が薄いということはないだろう。……多分。
ただもし装甲に自信がないのならば、接近した瞬間、攻め入られることを忌避するが故にこちらの動きを阻害してくるはずだ。
それを確かめるためにも、様子を見てみるべきか。
しかし、相手の出方を伺ったところであまり意味があるとは云えないだろう。
もし相手の手の内を熟知していれば違うのだろうが、そうでない今、敵の動きを想像したところでその通りになるとは云い難い。
むしろ、下手に型にはめることで突発的な状況に対処できなくなる方が危険かもしれない。
……取りあえずは様子見を。
胸中でそう呟き、エリオは足元にミッドチルダ式魔方陣を展開する。
本来エリオは近代ベルカ式の騎士だが、彼は育ったハラオウン家の影響を受け、複数のスタイルを使い分ける魔導師となっている。
故に、魔力光を瞬かせながらエリオは射撃魔法を構築する。
即座に射出された魔弾は――しかし少女のシールドに弾かれ、霧散した。
顔色一つ変えずに防御に成功した彼女。回避ではなく防御を選んだということは――
……違う。あんな射撃魔法、防げない方がどうかしている。
牽制のつもりで放つにしたって、もっと良い手があっただろうに。
自分が消極的であることを自覚しながらも、しかし、エリオはそれから脱することができない。
勝てるのか? という疑問がどこからか湧いてくる。
決して実力に自信がないわけではない。しかし、自分の生まれを気にしているが故に――押し殺そうとしても脳裏にちらつく――腹を決めて攻め込むことができないでいた。
こんなことじゃ駄目だ、と分かっていても。
「……ストラーダ!」
己自身を鼓舞するためにエリオは叫びを上げた。
それへ応じるようにデバイスコアが瞬く。次いで、S2U・ストラーダは先端に魔力刃を発生させる。
相棒を構えると、エリオは切っ先をルーテシアに向けて床を蹴った。
しかしエリオが肉薄しようとも、やはり彼女は眉一つ動かさずにシールド魔法を展開。
表情そのものは変わっていなくとも、微かに吐き出された吐息は守りに徹するために力を込めているようエリオには見えて――
「はぁあああっ!」
裂帛の気合を乗せ、身を翻しつつシールドに衝突していた魔力刃を横薙ぎに。
深紫のシールドは横一文字に引き裂き、エリオは強引に軌道を変更。S2U・ストラーダを振り切ると同時に、切っ先をそのまま突き出した。
防御は抜いた。このまま刺し貫くことができれば――
そう思う反面、あまりにもあっさりとした決着。その直前に違和感を抱いて、エリオは攻撃を続行しつつ掌に極小プロテクションを展開した。
刹那、肉眼では捉えられない違和感――殺気に、エリオは攻撃を強引に中断しつつ向かってくるであろう何かへと、プロテクションを叩き付ける。
何があったのかは分からないが、確かな手ごたえが手に――決して弱くはない打撃によってエリオは弾き飛ばされ、着地すると共に体勢を整える。
抱いていた違和感に反応できたことによってダメージは皆無だが、もし気付くことができなければどうなっていたことか。
冷や汗で背中を濡らしながら、エリオは姿の見えない乱入者がいるであろう場所に視線を向けた。
やはり敵の姿は見えない。しかし、そこに何かがいると示すように、ソレの足元には紫色の液体が滴っていた。
血、だろうか? そう思うと同時、エリオの脳裏には自分たちが分断される前に襲い掛かってきた召還蟲の姿が過ぎ去る。
稀少技能を発揮したエスティマによって一蹴され、再起不能になったと思っていたが――しかしそれは、人間であれば、という枕詞がついてしまうということだろうか。
人ではないが故に、人以上の頑強さを有している。
しかし、エスティマが与えた打撃が利いてないということは有り得ないだろう。
音速を超えた速度で、あの超重武器を叩き付けられる。そこに手加減が込められていないのならば、並の人間ならば原形を留めないほどに破壊し尽くされ、魔導師であっても行動不能になるのは確実だ。
現に敵が血を流していることが、無事ではない証拠。
ならば数が増えたと云っても、絶望的な窮地に立たされたというわけではないだろう。
……勝ってみせる。
その意思を込めてS2U・ストラーダーを握り締めるエリオ。
しかし、
「……ガリュー、駄目。休んでて」
エリオを無視するかのように、眼前の少女は姿を見せない召還蟲へと声をかけていた。
やはり表情は無いように見える――が、瞳の中に心配そうな色があるのは気のせいだろうか。
しかし少女のかけた言葉を無視するかのように、ボタボタと床に紫の体液が零れ落ちる。
それが滴りながらも徐々に近付き出したことで、エリオはデバイスを構え直すが――
「駄目!」
叫びを上げて、少女は姿を見せない召還蟲へと抱きついた。
それによって、ガリュー――それが名なのだろう――の歩みが止まる。
エリオはそれを眺めながら、今こそ攻め込むべきなのだろうと思い、しかし、心の中で頭を振った。
隙を突くというのは戦いにおいて当たり前のことだろう。
しかし、効率だけを頭に入れたその行いは、酷く人の道から外れているように思えて――それ故に、動くことができなかった。
「……投降するんだ」
召還蟲へとしがみつく少女へ、そう、エリオは言葉を向ける。
彼女が六課を襲ったのは事実。結社の一員であることも事実。
しかし、自分の召還蟲をかばう姿や、ナンバーズと比べて高いとは云えない戦意に、僅かな望みが浮上する。
この子はもしかしたら――と。
しかしエリオの言葉に頭を振って、ルーテシアは拒絶の意思を見せる。
ガリューを庇った直後だからだろうか。先程よりも幾分、感情の浮かんだ表情を彼女は見せた。それは気を抜けば見逃してしまいほど儚かったが。
「……嫌」
短く、たった一言で返された言葉だったが、込められた意思はエリオをはっきりと拒絶していた。
何故、とエリオが思うよりも早く、彼女は言葉を重ねる。
「……あなたたちの好きにはさせない。
ここを守って、ⅩⅠ番のレリックを返してもらうの。
……だから、投降なんてしない」
揺るがない決意は言葉に滲み、彼女の意思が強固であることをエリオは察する。
ならば、とここから戦いを再開するべき――なのかもしれない。
……けれど、僕は。
方向性を見つけられない胸中の衝動が、エリオを戦いへと誘わない。
自分がどうしたいのか。それを押し殺し、一人の局員としてここに立っているはずなのに。
そう思い、そうして、
「……君はどうして結社なんかで」
ぽつり、とエリオの口から言葉が漏れる。
それは、エリオの知っている結社のメンバーと眼前の彼女との間に、溝があるように思えたからだ。
戦闘狂やら傲慢な奴やら、頭のおかしな科学者やら。
やや無感情ではあるものの、真っ当な人間に近い彼女がどうして、と彼は疑問に感じた。
それに対して、
「……心が欲しいから」
ややズレた返答を彼女は寄越した。
それがどういう意味かエリオが飲み込む前に、少女は先を続ける。
「お母さんが目覚めたら、私に感情が芽生えるってドクターが云っていた。
だから私は、ⅩⅠ番のレリックが欲しい。
エスティマ・スクライアに使われたそれを取り返して、お母さんを目覚めさせるの」
そこまで云い、彼女は一度だけ言葉を句切って、
「……そうすれば、私は人形じゃなくなるから」
少女の放った一言に、エリオは言葉を失った。
人形じゃなくなる――意味を租借し、瞬間、押し殺していた暗い類の感情が奥底から滲み出してくる。
自分はエリオ・モンディアルとして生を受けたのではなく、それの代替として作り出されたクローン。コピー。死んだ息子を忘れられなかった両親の愛玩人形。
しかし自分はその事実に気付かず、エリオの名を借りてずっと生きてきた人間であり――
……僕は誰なんだ?
ずっと心に巣くっていた疑問が、この時になり本格的に胎動を始める。
今は考えるべきじゃない。そうやって封じ込めてきた思考が、目の前の少女――自分がそうなのだと云う存在によって。
「……人形じゃ、なくなる?」
「うん」
ならば――僕は。
意識が急速に色褪せてゆくような錯覚を抱きながら、エリオは自分の戦意が萎えてゆくのを自覚した。
人間になりたいと願う彼女。そんな少女を前にして、僕は何をしたら良いのだろう。
局員として彼女を捕らえるべきだと分かってはいる。しかし今のエリオには、その義務さえも人形に与えられた役目のように思えてしまい、その意義を見失いつつあった。
……僕はこの子を倒すべきなのか?
倒すべきだ。当たり前のこととして頭の中に返答が浮かんでくる。
しかし、自分"如き"作りものが、確かな渇望を抱いている人の邪魔をして良いのかと、疑念が。
戦闘の前にエスティマやフェイトからかけられた言葉が脳裏を過ぎる。
だが――果たして、本当に?
あの二人は何を勝ち取り、どうして今を享受しているのか。それがまず、エリオには分からない。
そもそも自分は人ではない。人のような何かでしかない。目の前の少女が人形めいているなどと思うことすらおこがましい。
彼女が人として生まれ人形となり、人間になりたいと願っている者ならば。
自分は人形として生まれた癖に己を人と勘違いし、滑稽に動き続けている玩具だろう。
……任務も立場も、何もかも。
ともすればそれは、着せ替え人形に与えられた服のようなものなのか。
そんな僕が、この子を――
気付けば、いつの間にかS2U・ストラーダの切っ先は下がりきり、床に魔力刃を当てていた。
ずっとエリオが動きを止めても少女が攻撃をしてこなかったのはそのせいなのか。
あと僅かにでも力を抜けば、おそらく膝から下は崩れ落ちて、立ち上がることすらできなくなるだろう。
……何も考えたくない。
そう思うが故に戦いを放棄することが酷く甘美な誘惑に思え、エリオの思考は徐々にそちらへと――
『エリオくん!』
目をつむろうとしていたエリオへと、不意に念話が届く。
放ったのはキャロだ。声が聞こえたことで、少しだけエリオの瞳に意志の光りが戻った。
『座標の確認は終わったよ。今、修正したのをグリフィスさんに伝えたから、大丈夫。
すぐ助けに行くから、待ってて』
「……もう、良いんだ」
『……エリオくん?』
肉声で呟いた声はキャロに届かなかっただろう。
それは沈黙となって彼女に伝わり、どこか焦りのこもった声が返ってきた。
『エリオくん、大丈夫なの? 怪我、しているの?』
声だけでも彼女が心配しているだろうことが伝わってくる。
それが酷く心を揺さぶり、エリオは頭を振った。
『待ってて、すぐ行くから!』
それでも尚、キャロからの念話は止まらない。
『……ごめんね、一人にして。
エリオくんが苦しんでるの分かってて、私、気にかけることしかできなかった。
どんな言葉をかけて良いのか、分からなかったの』
どんな気持ちで彼女は言葉を向けているのだろうか。
そんなことを、エリオは思う。
人形に話しかける子供……ではないのだろう。
彼女は一人の人間に対して言葉をかけている。そのつもりなのだ。
僕はそんなものじゃない。いくらエリオが思っていても、彼女はエリオを大事なパートナーとして気にかけてくれる。
それが――痛くて。
ありがたいと思うと同時に、自分は人形でしかないと思うが故に裏切っているようで、エリオは返答することができなかった。
『でも……これだけは云える。
私、エリオくんがいなくなるなんて、考えたくないよ。
六課で一緒に頑張ってきて、大変なことばかりだったけど……私、楽しかった。
エリオくんと一緒にいた時間、嫌じゃなかったもの!
迷っているなら一緒に答えを見付けてあげる。辛いのなら、今すぐ助けに行くから。
だからエリオくん、返事をしてよ!』
『……キャロ、僕は』
どうして、君は。
言葉にできない感情が際限なく湧き上がってくる。
愚痴じみた叫びや、自分なんかに言葉をかけてくれる感謝や。
そういったものがないまぜになって、自分が何を云いたいのかすらエリオには分からない。
『……エリオくん?』
『……僕は、どうすれば良いの?』
縋るように呟いた彼に、僅かな沈黙が返された。
それにエリオは、ああやっぱり、と思い――
『……エリオくんが何をしたいのか、私には分からないよ。
エリオくんは、どうしたいの?』
……僕が何をしたいのか?
それは――と考え、駄目だ、と彼は再び頭を振る。
人形でしかない自分が何かを願うだなんて――ああ、そうか。
小さく、エリオは笑みを零す。
『……ありがとう、キャロ』
『え?』
『……そうだよね。僕が何をしたいか、だよね』
呟き、すとん、と何かが胸に落ちた気がして、エリオはいつの間にか俯いていた顔を上げた。
少し前まで、エリオはエスティマやフェイトが真実を知りながらも人として生きてゆけるのかが分からなかった。
けれど、今ならば。キャロからの問いかけに、一つの答えを見つけ出した気がした。
何がしたいのか――己で行いたいことを定め、そのために動く。
……僕は管理局の魔導師になりたかった。
モンディアル家の次、第二の家族と云うべきところで抱いた夢として、それがある。
偏屈や潔癖と云って良い義兄の背中や、絵物語に出てくるエスティマの活躍を見て、ああなりたい、と願い――そして、ここに立っている。
握るデバイス、S2U・ストラーダへとエリオは目を落とす。
本来の持ち主である義兄は、何を願ってこれをくれたのだろう。
不必要になったから、ということは決してないはずだ。
そして自分も、一から新しいデバイスを作った方が性能が良いと分かっていながらこれを使っているのは――
……生まれは確かに人と違うのかもしれない。
しかし今まで歩んできた道程は決して人形のそれではなく、作り物でもない。
積み上げられた日々は虚構ではなく確かな現実として脳裏に焼き付いている。
エリオ・モンディアルが両親と過ごした日々は、おそらく偽物。
けれど自ら選んで進んできた毎日は――そして、手を取り合って戦ってきたパートナーは。
モンディアルではないかもしれない。
しかし、エリオという一人の人間、その土台として存在している。
地に足をつけ、前を見、時には下や上に視線を落とす。
それが人の生き方で、自分が積み上げてきた人生は、作り物でもなんでもない。
それでも尚、作り物と云われるのならば受け入れよう。
否定はしない。自分で手に入れたものよりも、与えられたものが多いという事実に代わりはないから。
だから――いつの日か、僕は僕だと云えるように。
そのためにも、ここで足を止めるわけにはいかない。
エリオは小さく息を吐き、眼前の少女を見据える。
人形から人になりたいと願う彼女を。
その望みが間違いじゃないという考えは、今も変わっていない。
否、己の足場を再確認したことで、否定したくないという思いはより一層強くなった。
故に、
「……名前を教えて」
エリオは眼前の少女へと問いかける。
少女は微かに目を細めながらも、消え入るような声で呟いた。
「……ルーテシア」
「……そっか、ルーテシア。
僕は……エリオだ」
ファミリーネームを名乗ることはせず、エリオは軽く言葉を交わした。
そして、
「ルーテシア。これから、この場にいる人たちを、僕らは転送魔法で外に連れ出す。
君のお母さんも、一緒に」
六課の作戦をわざわざ彼女に教えながら、彼はルーテシアの背後にある培養ポッドへと視線を向けた。
先ほどまでは気付かなかったが、おそらく、そこに入っているのが彼女の母親なのだろう。
長い紫の髪はそっくりだ。顔立ちも、目を開けば似ているのだろう。
ここで彼女が待ち受けていたのは作戦の邪魔をするためではなく、母親を守りたいから。奪われたくないため。
おそらく、彼女は結社の一員として動いている自覚すらあるまい。
ただ彼女自身の目的を満たすために戦い、それを結社の者たちに利用されているのではないか。
だったら彼女を排除することは勿論、嘘を教えたくもない。
度を超えた馬鹿正直で度し難いとは分かっている。
しかし、それでも。
「どうする、ルーテシア。長距離転送の邪魔はさせない。僕が君を止める。
……これが、君の望みを絶ってしまうことになるのは分かってる。
だから――投降して欲しい。
投降して、別の道を探そう。
君のお母さんを管理局で目覚めさせることができるかどうかは、正直、分からない。
けれど、約束する。
君が感情を欲しいと願うのなら、僕はそれに協力するから」
「……どうして、そんなことを云うの?」
苛立ち、だろうか。猜疑心かもしれない。
端正な顔をあからさまに歪め、ルーテシアは当たり前の疑問をぶつけてくる。
それにエリオは苦笑し、そうだよね、と頷いた。
「それが管理局の局員だから……そして、僕がそうしたいから」
エリオの放った言葉に、ルーテシアは更に困惑したようだ。
表情はそのままに首を傾げて、呆れたように息を吐いた。
しかし戦意は完全に失ったのか――それが投降の意志かは分からないけれど――彼女は両腕を下ろし、臨戦態勢を完全に解除する。
これで――と、エリオは思う。
しかし、
『エリオくん!』
悲痛な響きの大声が念話で送られてきて、エリオは何事かとキャロがいるであろう通路の奥へと視線を向けた。
そこからはキャロを背負ったギンガがローラーブーツを走らせ、近付いてきていた。
しかし、合流するまでの時間すらも惜しいのか、彼女からの念話は続けられる。
『AMFが強すぎて、転送魔法がちゃんと作動しない……今のままじゃ、十中八九失敗しちゃう!』
『そんな……!』
そんなはずは、とエリオは目を見開く。
施設内に展開されているAMF濃度は事前に調査され、対策は練られているはずだった。
だのに、ここにきてトラブルが起きるなんて――
『……外にいる巨大ガジェットが原因じゃないかって云われてる。
このままじゃ……!』
キャロの念話が途切れた瞬間、振動と共に鈍い音が施設の四方から上がった。
視線を移せば、天井、床、壁へと小さな亀裂が走っていた。
今はまだ注視しなければ気づけないレベルだが、このままでは――
「……クアットロ?」
呆然とした声をルーテシアが上げる。
何が起こっているのか分からない。聞いていない。そういった類のものだ。
このままじゃ――
戦闘に特化したエリオでさえ、この状況がどれだけ不味いものか理解できる。
であれば、召還師である二人は自分以上の危機感を抱いているのだろう。
どうにかしないと、と焦りながらも、この場にいる者たちでは囚われた人々を全員転送することなどできない。
AMFがなかったら、どうにでも出来るだろうに。
もどかしさに歯を噛み鳴らし、エリオはS2U・ストラーダを握りしめた。