カラン、とグラスの中で氷の踊る音が響いた。
すっかり日の沈んだ外の景色と比べ、部屋の中は照明によって煌々と照らされている。
が、その部屋の中は酷く無機質であり、置かれているものと云えばテーブルに椅子、ソファー。それぐらい。モデルハウスと云われても信じそうだ。
こうして荷物を片してしまうと、親子二人で住むには少し広かったのかもしれないと思えてしまう。
しかし実際はそんなことなく、暮らしている最中はこれが丁度良かったのだけれど。
今、俺がいる場所はベルカで借りているマンションの一室だ。
六課で働いていた最中はここに一度として帰ってくることはなく、こうして足を運んだのは戦いが終わったから――ではない。
家具らしい家具もない。半ば物置とも云える状態となっているのは、新居への引っ越しが決まっているからだ。
「結婚おめでとう、エスティ。
なんだかんだで先を越されちゃったね」
指先で摘んだグラスを口元に持って行きながら、ユーノは苦笑気味にそう呟いた。
こいつが俺に向けた言葉に、間違いはない。
エスティマ・スクライアは明日、八神はやてを妻として迎える。いや、入籍自体は既に終えたから、もう夫婦と云えるだろう。
けれど、区切りとなる結婚式が行われるのは明日。だからなのか、未だ、彼女を伴侶として思うことはできなかった。
……いや、それも違う。
伴侶と云うならば、あの日、指輪を渡した時から、俺はずっと彼女を意識していたのだし。
なんと云えばいいのだろう。上手く、言葉にできない。
ゴールした、という感慨が未だに湧いていないから、こんなことを考えているのかもしれなかった。
それも明日になれば、何か変わるのだろうか。
「……どうした、エスティマ」
憮然とした声を放ったのは、クロノだ。
ユーノとクロノはテーブルで並びながら、俺の向かいに座っている。
流石に飲み慣れているからなのか、グラスに入った酒の減りはユーノより早かった。
既に頬は上気していて、呂律こそしっかりしているものの、酔いが回り始めているのかもしれない。
そんなクロノは、ジト目になりつつも微かな笑みを浮かべ、口の端を持ち上げる。
「ようやく追い付いてくれて、僕は嬉しいよ。
ははは、これからはお前も同族だぞエスティマ。独身貴族が貴族と呼ばれる由縁を噛み締めると良い」
「……なんだろう。祝福されている気が微塵もしないんだけど、気のせいか?」
「……気のせいじゃないと思うよ」
一人で楽しげなクロノ。パパさんはどうやら大変なご様子で。
つまみを食べようと、俺はテーブルに広げられた包装紙へ手を伸ばす。
食器類は既に新居へと運び込んであるから、広げた袋がそのままテーブルへと並んでいる。
生活感というものが既にないこの家。
俺としてはこのままここに暮らしても良かったのだけれど、
『えぇー……そりゃないわ、エスティ。
新婚生活やで? 門出やで? 私らの灰色青春生活が終わって、これからは桃色人生が待ってるんやで?
新しいお家に引っ越さんでどないするっちゅーねん!』
とのこと。
女の考えていることは分からない。
いや、分からなくはないけれど、熱意の方向性が何かズレてる気がする。
ともあれ、話を戻そう。
「それにしても、やっぱり八神さんとゴールイン、ってのは意外性がないよねクロノ」
「ああ、そうだな。傍目から見たら、いつくっつくのか、といった具合だったし。
……やっぱり幼馴染みというのは引き合う運命にあるのか」
「俺とお前だけだろ。ああいや、ユーノもある意味それか。
……妹の使い魔相手ってのは、なんともインモラルだけどな」
「まったくだ」
「……あ、愛があれば問題ないと思うんだ」
と云いつつも全力で目を逸らしているのは自覚があるからなんだろう。
本当、いつの間にくっついたのやら。
おそらくは、俺が三課で戦っている最中に、ってところなんだろうけど……あ、なんだろう。そう思うとイラっとした。
冗談で済むレベルだけれどさ。
それでも放っておくのは気に入らないので、ちょっとした意地悪を。
「そういやさ、クロノ。俺はあまり知らないんだけど、使い魔との間に子供ができたらどうなるんだ?」
「こ、子供!?」
「ん? ああ……」
慌てるユーノを尻目に、クロノは分かったとばかりにほくそ笑んだ。
どこか勿体ぶるように唸り声を上げつつ、首を傾げる。
「どうだろうな。人の姿を取ってはいるし……やれるんだろう?」
「の、ノーコメント。っていうか僕の話は良いから!
弄るならエスティだって、クロノ!」
「それもそうか」
「おいこの野郎。お前、どっちの味方だ」
「どっちでもないさ。人生の後輩たちを弄れれば、僕はそれで良い」
「鬼畜!」
「いかにも」
「外道!」
「いかにも」
「出来ちゃった婚!」
「……悪かった」
「……気にしてるんだ」
「今でもチクチクと……家に帰ることが少ないと、責任取ってくれるって云ったのにー、ってな……」
そこそこ上機嫌だったクロノは、いきなりバッドに入ったり。
項垂れたクロノにしてやったりと笑みを浮かべて、肩に手を置いた。
「それで、エスティ……どうなの?」
「どう、って?」
「ここに出来ちゃった結婚の人がいるけど、まさかエスティもその口ってことはないよね?」
「おいやめろ」
「ああ、ないない。それは絶対にない」
クロノをガン無視しつつ、俺とユーノは言葉を交わす。
ないない、と手をひらひら振る俺をユーノは胡散臭そうに見てきた。
どうにも信じてもらってないらしい。いや、当たり前だと思うけど。俺だって他人がそんなこと云ったら似たような反応をすると思うし。
が、俺の場合は絶対にない。言い切れる。
……だってやってねーもの。
「……えっ、中学……いや、小学生の発想?」
「うるさい。俺だって気にしてるんだよ。
……お前に分かるか?
六課が解散してから、毎晩毎晩隣で寝息立ててる女がいるのに手が出せないこの苦痛……!」
「いや、手を出そうよ」
「できねーよ! だって約束しちまったんだから!」
「いや、その約束は破ろうよ」
「はは、お前らしくはあるよ」
何この散々な云われよう。
でも、仕方ないだろ? プロポーズしたあの日、そういうことは結婚するまでお預け、って云われたのだし。
それが今まで心配かけた仕返しっていうのなら、俺はもう何も云えない。
今日まで涎垂らしてご飯運ばれるのを待っている犬の如く過ごしているしかなかったんだよ……!
「ハハ、けどそれも今日で終わりだ。ざまぁ見ろ!」
「誰に云ってるんだろうね、クロノ」
「さぁ。取り敢えず、僕らに云っても意味がないことは確かだ。
ああそれと……初夜云々が迎えられるとは思わないことだ。
疲れ果てて何も出来ないのが関の山だよ。いや、本当に」
「前線に居続けた魔導師の体力舐めるなよ。
この……日和りマイホームパパにインモラル兄貴」
「威勢が良いな。流石は――」
そこまで云って、何かを思いついたようにクロノは立ち上がる。
そしてサムズアップした指を外に向けて、どこか不敵な笑みを浮かべた。
「外に出るぞ、エスティマにユーノ。最後の最後だ。馬鹿騒ぎでもしよう。
所帯を持てば、そんなこともできなくなるだろう?」
懐からデュランダルを引き出して、行くぞ、と促してくる。
ユーノは呆れた笑みを浮かべながらも嫌がりはしていないのか、腰を浮かべる。
俺は――
小さく笑みを浮かべて、胸元のSeven Starsを握り締めた。
ここからなら、公共施設の訓練場はそう遠くない。
時間も時間だ。魔法の練習している人だっていないだろうから、ほぼ貸し切り。
騒音の類もユーノにシャットアウトしてもらえば、迷惑にならないだろう。
思う存分、楽しめそうだ。
エスティマたち男連中が馬鹿をやっている一方、新居の方ではなのは、フェイト、そしてエイミィが集まって似たようなことをしていた。
結婚式を終えてから移り住む家は、あろうことか一軒家。
今まで長い年月を戦いに費やしたエスティマのはやての貯金額は、危険手当をもらっていたこともあり、年齢から考えると非常に頭が悪いことになっている。
が、それでも一括購入とはいかず、数年のローンを組むことになっていた。それでも数年。資金面では何一つ不自由することもない。
同居する予定となっているシグナムやリインⅡにヴィータ、ザフィーラとエクスもお金を出すとも云っていたのだが、二人はそれを断っていた。
暮らすだけなら今までの家で良い。だのに引っ越すのは自分たちのワガママなのだから、と。
既に家族が揃っていることで、部屋の空きもない。が、ヴィータたちは未だに前の家に住んでいる。こちらに越してくるのは、はやてとエスティマが新婚生活を満喫し切った頃に、と決まっていた。
気を遣わせて悪いなぁ、とはやては思っている。しかし、ようやくゴールできる彼との生活を暫く楽しみたいのは事実だ。
蔑ろにする、というほどではないが、しばらく自分の心は彼だけに向いてしまうだろう。
そんな自覚が、彼女にはあった。
……長かった、と彼女は思う。
初めて彼と出会い、そして、エスティマを意識するようになってからどれだけの時間が経っただろう。
まだ結婚式が残っているのだから感慨に耽る時じゃないと分かっていながらも、ようやく、という気持ちは抑えることができなかった。
思えば、結婚式をしようと決めてから随分と時間の流れが速かったような気もする。
お互いの親族に改めて挨拶に行き、結婚の許可をもらって。
意見が違えることもあったけれど、式場選びや当日の内容、席順、招待状、料理、引き出物。それらを決めて、ようやくだ。
簡単ではないと思ってはいたけれど、いざ実際に自分が行っていると、その大変さが良く分かった。
区切りを付けるのも大変だ。それも自分たちだけではなく、周りを巻き込んでのイベントなのだから当たり前なのかもしれないけれど。
……周り、か。
招待状を送った中の一人に、少しだけはやては不安がある。
それはおそらくエスティマも同じように不安を抱いていて、しかし、自分とはきっと別の方向性を持っていた。
招待状を送った者たちからは参加すると返事をもらっている。
しかし、只一人、今日になっても応えを返していない人物がいるのだ。
それは――
「それにしても、ようやくゴールインかー」
呟かれたエイミィの言葉に、はやては顔を上げる。
一人ビールの缶を持った彼女は、それをゆらゆらと揺らしながら何かを思い出すような表情をしていた。
自分の過去に思いを馳せているのだろうか。彼女とクロノが結婚してから、まだそんなに時間は経っていないはずだ。
それでも懐かしむのは、やはり、自分たちが後を追ってきたからなのだろうか。
「長かったねー。二人の出会いからしっかり知ってる私たちからしたら、本当にそう思うよ」
「あはは、私自身もそう思うてます。
なんでこんな時間かかったんかなーって」
「それは勿論、エスティマくんが煮え切らなかったからだよね」
話に続いたのはなのはだ。
彼女はエイミィと違って――というか、エイミィ以外の三人は――チューハイの缶を握っていた。
まだ酒が飲めるようになってから時間が経っていないこともあり、あまりアルコールに慣れてないのだ。
「まったくもう。なんだかんだでエスティマくんもお堅いよね。
全部が全部終わらないと、だなんてさ。
まぁ、結社と戦ってる最中に結婚式挙げられたら、私たちもどうすれば良いのか分からなかったけどね」
「まぁまぁ。その堅さも誠実さと思えば、格好いいよ?」
「フェイトちゃんはエスティマくんを贔屓しすぎなのっ。
はやてちゃん、困ったことがあったら云ってね?
言いづらいことでも、私がズバッとお話をつけてあげる!」
「それはちょっと遠慮しとくわー」
「なんでっ!?」
ややなのはのテンションが高いのはアルコールが回っているからなのか。
それとも、自分たちを祝福してくれているからなのか。
そこら辺の機微までは分からないはやてだったが、友人たちが式を楽しみにしてくれていることは分かる。
それを確認する度に、ああ良かった、と思えるのだ。
自分たちも幸せで、周りはそれを祝福してくれて。
きっと明日は良い日になる。それだけは間違いないだろう。
「あ、そういえばさ」
「なんですか?」
何かを思い出したようにエイミィが声を上げた。
「なんではやてちゃん、海鳴で式を挙げようと思ったの?
折角ベルカの方に住んでるんだから、近場でも良かったと思うのに。
教会でのチャペル、結構人気じゃない?」
「ええ。それも選択肢の中にはあったんですけど……やっぱり、お父さんとお母さんが眠ってる世界で、って。
もう両親の顔は写真見ないと思い出せないぐらいですけど、やっぱり、私を産んでくれた人たちやから、晴れ姿を見せたいんです」
「あ、そか……ごめん」
「いいえー。
あはは、しんみりせんで下さいよ。」
そんなワガママのせいで、大半がミッドチルダに住んでる友人や上司たちを海鳴へと呼ぶことになってしまったのだから、申し訳がない。
幸運なことに皆が皆出席してくれるようだし、問題はないけれど。
……ああ、明日が楽しみ。
そんなことを思いながら、はやては手元のチューハイを一気に煽った。
ジュースか何かと間違えそうになる飲み物だけれど、アルコールが入っているのは確かだ。
少しずつ酔ってゆく感覚を覚えながらも、はやては熱のこもった溜息を零した。
そうして、左の薬指に通された婚約指輪へと視線を落とす。
本来ならば大事に仕舞っておくべきこれを今、彼女は指に通している。
明日になればここには結婚指輪が通されて――だから今は、婚前最後の余韻を楽しもうと、思っていた。
照明によって照らされたダイヤはきらきらと輝いていて、あの日、夕日の中でもらった時となんら変わらない。
プリズムのように光るそれは純粋に綺麗と云えて、これを送ってくれた時のエスティマを思い出し、はやてはうっすらと笑みを浮かべる。
そうしていると視線を感じて、彼女はなのはへと顔を向けた。
「ん、なのはちゃん、どうしたん?」
「あ、いや……綺麗だなーって思ってさ。
今の横顔、すっごく美人さんに見えたの」
「あはは、ありがと」
「お世辞じゃなくて、本当にだよ?
……私も、そういう人が欲しいなぁ。
ヴィヴィオも、ママは結婚しないのーなんて聞いてくるし。
……はぁ」
「うんうん。なのはちゃんも良い人を見付ければいいよ。
あ、お見合いとかする? クロノくんの部下に、将来有望な子が結構いたりするみたいだしー。
フェイトちゃんは彼氏とかどうなの?」
「わ、私は全然。まだそういうの考えられないし」
「……何この驚愕のおぼこ率。もう二十歳なんだよ?
……私とはやてちゃんだけ、かー」
「あ、私もまだですよー」
「「「な、なんだってー!?」」」
どういうことなの、はやて。
超スピードとかそんなもんじゃ。
愕然とする三人を余所に、はやては一人、照れくさそうな笑みを浮かべていた。
「今になってすっごく後悔してるんですけど、プロポーズ受けたときに結婚までお預けーいうてしもて」
「じゃ、じゃあ……お互いに手で、とか……?」
「いえ、全然」
あり得ねぇー、とエイミィは白い目を向けたり。
フェイトとなのはは、そういうもんだよねー、と納得していたり。
この場ではマイノリティだが正しいのはエイミィの方である。
「……私、エスティマくんのこと誤解してたよ。
彼、忍耐力のある紳士だったんだね……。
いやでも、その紳士っぷりは正直どうなの? はやてちゃん的にも襲って欲しかったんじゃないの?」
「あ、やだ、そんな……」
図星ですけど、と云った具合にはやては顔を逸らす。
やや笑みを浮かべつつも照れて、顔は真っ赤に。
両手で顔を挟んだその様子は、童女のようにも見えたり見えなかったり。
それを見たエイミィは、何かに耐えるようぶるぶる震えたり。
「……く、くあーっ! エスティマくんにあげるのは、なんだか勿体ないよ!
私がもらうー!」
「ちょー!? 私、清い身体のままでお嫁に行きたいんやー!
なのはちゃんにフェイトちゃん、助けてー!」
リリカル in wonder
―After―
『おっはよーおっはよーボンジュール。
おっはよーおっはよーボンジュール。
旦那様。旦那様。おはよー旦那様』
「……その悪夢じみた起こし方はやめろ」
起床早々に顔をしかめながら、俺は胸元のSeven Starsをデコピンで弾く。
目を開ければ、窓から既に弱々しい朝日が差し込んでいた。
目やにを指でこすりつつ、あくびをしながら身を起こす。
ソファーで寝ていたからか、やっぱり身体の節々が痛い。
けれども、それは床で死んだように眠っているクロノやユーノと比べればまだマシだろう。
起こすか、と思いつつも止めておいた。時間にはまだ余裕が十分にある。
ただ単に俺が早起きしたのは、絶対に遅刻したくないことと、一晩経って出てくるであろうアルコールの臭いを消したかったからだ。
ここへ持ってきた荷物の中からバスタオルを取り出すと、俺はそのまま浴室へと。
湯を張らずシャワーだけで済ますつもりだ。服を脱ぎ、お湯が温まったのを確認すると、俺はスコールを浴びた。
心地良い感覚に目を細め、身体を洗いつつ昨日の模擬戦を思い出す。
悪ノリで始めたものの途中からウルトラ罵倒合戦が開始されて完全に熱が入り、フルドライブやリミットブレイクこそ使わないもののかなり熾烈で不毛な争いになりましたとさ。
最初は俺の圧勝で、希少技能禁止縛りでやったら実力伯仲。
途中で結界張るのに飽きたユーノを交えて三つ巴に発展し、本当に不毛なことやっていた気がする。
けれども……ああ、命を削る覚悟も気負いも決意も必要でない、友人たちとの模擬戦は本当に楽しかった。
この満ち足りた時間は戦いを終わらせることができたからこそ甘受できて……そしてこれから、更に俺は幸せになる。
この上ないぐらいに幸福で、何か落とし穴ががあるんじゃないか……と思わなくもないが、そんな風に考える時間はもう終わった。
ただ幸せに。今度こそ、それだけを考えることのできる時間が始まるんだ。
シャワーを止めて身体を拭くと、服を身に着けつつ頭をタオルでがしがし拭きつつリビングへ。
すると既にユーノは起き上がっていて、おはよう、と寝ぼけ眼で声を上げた。
「お風呂借りても良い?」
「どうぞどうぞ」
「ありがと……うう、身体の節々が痛いよ。
もうちょっと身体も鍛えた方が良いね、これは」
筋肉痛が酷いのか、歩きづらそうにユーノは浴室へと消えていった。
ユーノがシャワーを浴びる音を聞きながら、俺は未だに転がっているクロノを起こす。
目を覚ましたクロノは、ユーノ以上に筋肉痛の酷さを訴えたり。普段から艦長席に座って動かないくせに、まだ自分が現役だと思うからだ。ざまぁ見ろ。
それぞれ準備を終わらせると、俺たちは家を出る。
次に戻ってくる時は、家具を全部処分して業者に鍵を返す時か。
少し感慨深い気がするも、それは最後にとっておくべきだろう。
鍵を閉め、俺たちは女性陣との待ち合わせ場所へと出向いた。
まだ外の空気が冷たい時間、男三人でとぼとぼと歩く。
むさっ苦しいことこの上ない行軍だけれど、それも五分ほど続ければ終わった。
おはよう、と挨拶を交わして女性陣と合流し、俺たちは転送ポートに。
まだかなり早い時間だが、これから俺たちは翠屋に行って時間を潰すことになる。
そうして先に俺とはやて、それに親族であるユーノとフェイトが会場に行き衣装合わせ。
今はゆっくり出来ているものの、これからの時間は慌ただしくなるだろう。
転送ポートで海鳴に飛べば、出た先は海浜公園。
ここにくるのも久し振りと思いながら、ふと、他の皆がきていないことに気付いた。
ここにいるのは俺と、
「……なのはちゃんが気を遣ってくれたんよ。
遠回して行こう? 朝のお散歩や」
「……悪くないね」
んふふ、と笑うはやてと腕を組み、俺たちはゆっくり歩き出す。
日中だったら違うのだろうけれど、早朝に公園を歩いている人はまばらだ。
だから俺もいつもみたいに照れることはなく、彼女の感触を感じながら、共に歩くことができた。
はやての歩幅に合わせて、かつて歩いた場所を行く。
正直、この公園自体はあまり良い思い出がない。
けれども、ここが――この世界が記念の地となるのはもう決まったことだから、しっかり記憶に焼き付けるよう、俺は視線を巡らせた。
「……なーエスティ」
「何?」
「もし、な。本当に、もし、やけどな。
私とエスティが魔法とか関係なしにこの世界で出会ってたら、どんな風になってたんかなぁ」
「……これまた難しい質問するなぁ」
とは云っても、真面目に考えろってわけじゃあないだろう。
遊びのようなものだと分かっている。
だからこそ俺は、
「……そうだな。
普通に出会って、恋して、今みたいに、学校帰りに腕組んだりしてるんじゃないのか?」
乙女趣味が過ぎるようなことを口にする。
あはは、とはやては控えめな笑い声を上げつつ、組んだ腕をぎゅっと抱き込む。
それで彼女からの温もりが伝わってきて、より一層、彼女と共に在ることを実感できた。
「やっぱり、気の多いエスティの気を惹くために頑張ったりするんかな、私。
それでようやく一緒になって、って? 今となんも変わらへんなぁ」
「……あのさ。皆が皆、俺に気が多いっていうけど、そんなことないだろ?」
「浮気性じゃないことは知っとるよ?」
「そう。俺は一途なんです」
「けど、八方美人やもん」
「……これからは気を付けます」
「よろしい。……な、エスティ」
「ん?」
「私だけを見てる、って証が欲しいなぁ、なんて奥さんは思います」
そう云って、はやては足を止めた。
瞳は塗れて、どこか熱っぽく俺を見詰めている。
何が欲しいのかなんとなく分かって、俺は彼女の頬に手を添えた。
身長差があるため、やっぱり俺が屈まないといけなくて。
はやては背伸びをして顎を上げる。
ゆっくりと焦らすように顔を近付け、そっと、触れるだけのキスを。
お互いに顔を離した瞬間くすぐったそうに笑みを浮かべて、もう一度キスをし、再び俺たちは歩き出した。
公園を出て、見覚えのある道を過ぎ、道路に出たところではやては足を止める。
なんだろう、と思って俺も足を止めると、彼女は懐かしさを表情に浮かべていた。
「ここやで」
「ん?」
「私が、エスティを拾ったところ」
「……道路のど真ん中」
「せや。私が見付けてあげなかったら、轢かれてたかもなー」
「……本当に命の恩人だね」
「うんうん。その命の恩人とくっついたんやから、しっかりご奉仕せなあかんよー。
……なんちゃって。命の恩人なのは、エスティもやね」
「……そうだね」
……あまり、そのことに触れて欲しくはないけれど。
急かすように、俺は腕に絡んでいるはやての手へと、空いている掌を重ねた。
それで何を彼女は思ったのか。もしかしたら、Larkのことを勘違いしたのかも知れない。
止めていた歩みを再開して、更に俺たちは先にゆく。
住宅街の中を進んで見えてきたのは、旧八神家だ。
ミッドチルダに移住する際、生活資金が必要ということもあって、はやてはこの家を売却していた。
そこには今、誰かが住んでいるようだ。表札は変わり、車庫には車が入っている。
見知らぬ人が過ごしている家を、彼女はどう思うのだろうか。
視線を落として見てみれば、はやては儚げな視線をじっと向けていた。
この家への思い入れは、やはりあるのだろう。
短い期間とはいえ、ここで過ごした本来のヴォルケンリッターたちとの記憶。
それの結末は悲しみで染まっているだろうけれど、しかし、楽しかった思い出が色褪せることはない。
きっと、そうだ。
「……また、家族が増えると良いなぁ」
「増えるさ。俺は、そのつもりだけど?」
「やん、もうえっちぃなぁ」
「……お預けくらっている俺の前で、黄色い声を出さないように」
「……やっぱ我慢してた?」
「……かなり」
「あはは、ごめんな。
うん、私もちょーっと後悔してたりするから、お相子ってことで」
「気にしなくても大丈夫。それも今日で終わりだし」
「う、うう……エスティがお猿さんになる気まんまんや。
て、手加減してくれてもええんやで?」
「どうだろ。猪突猛進なところがあるからなぁ、俺」
「そのまま突っ込む、と」
「……結構はやても下品だよね」
「この歳までおぼこやった分、耳年増になってるからですぅー。
誰かさんがずーっと振り向いてくれへんかったからな」
「……今は、はやてしか見てないよ。君しか目に入っていない。
こうして側にいる。それじゃ不満?」
云いながら、俺は組んでいた腕をそっとはやての腰に回した。
そうして彼女を引き寄せて、髪の毛へと頬を埋める。
どんな顔をはやてがしているのかは分からない。けれど、頬に伝わってくる彼女の体温は少しだけ熱くて、照れているのかな、なんて思う。
「……ひ、人様の家の前でいちゃついたら迷惑やでっ。
ほら、行こう!」
「はいはい」
慌てたように歩き出すはやて。
しかし腕を組んだままだから、引っ張られるように俺は歩き出す。
そうして歩調を合わせて、また二人一緒に。
どこまでも、どこまでも。
こんな風に彼女と歩いて行けたら、なんて幻想すら抱いてしまう。
それほどに、はやてと送る一瞬一瞬は心地良くて――本当、彼女を選んで良かったと、心の底から思えた。
更に歩みを進めると、次に見えてきたのは病院だ。
両親を失ってからはやてがずっと通っていた場所。
思い入れがあるのかどうかは、流石に分からない。
また伺うように、俺は彼女へと視線を。
はやてはじっと建物を眺めながら、ぎゅっと俺の腕を掴んでくる。
だがそれは、心細くて縋り付いたわけじゃない。
大丈夫だから、と云っているような。むしろ、心配している俺の方を元気づけるような強さですらあった。
「……石田先生、元気かなぁ。
もうずっと会ってないから忘れてるかもしれへんけど、結婚しましたー、って挨拶しときたかったわ。
一人ぼっちでいたとき、私のことを気にかけてくれた人やから、もう大丈夫ですーて伝えたいんよ」
「そっか。じゃあ、挨拶しに行こう。
流石に今日は無理だと思うけれど、新婚旅行の帰りにでもさ」
ちなみに新婚旅行は、ミッドチルダではなくこの世界で行うことになっている。
修学旅行で回るような場所――京都や有名なアミューズメントパークなんかを見て回りたいという、はやての希望だ。
よくよく考えてみれば、彼女はこの世界で遠出らしい遠出をしたことがないのだから、そう考えるのも当たり前か。
……もしくは、これからずっとミッドチルダで生きるから、故郷となる場所や国を見て回りたい、と思っているのかもしれない。
そこまでは流石に俺でも分からなかったが、彼女が旅行を楽しみにしているのは事実。
だったら俺も楽しんで、彼女と共に思い出を作りたいと思う。
それはともかくとして。
はやては小さく頷くと、柔らかな笑みを浮かべ、俺へと顔を上げた。
「……せやね。石田先生、びっくりしてくれるかなぁ。
こーんな格好いい旦那様ができましたーって紹介したら」
「……まぁ俺はともかく、はやてが結婚できるぐらいに大きくなったことは祝福してくれるさ」
「……むぅ。そこで乗ってきてくれてもええやんかー。
エスティのこと、色んな人に自慢したいのにー」
「自慢できるほどの男かな、俺。
俺は胸を張ってはやてのことを自慢できるけれど」
「大丈夫やって。私が太鼓判を押してあげる。
エスティがどれだけ立派かなんて、あなたを選んだ私がいっちばーん理解してるんやからな。
だから卑下したらあかんよ。ほら、背筋を伸ばして。色男が台無しやんか」
「……ああ」
苦笑しながら頷くと、俺たちは止めていた足を動かし出した。
病院を通り過ぎて、商店街を過ぎ去り、そうして、皆が待つ翠屋へと辿り着く。
まだ式場に入るまでは時間があるから、ここで最後の時間潰しといこうか。
「……はやて」
「……ん?」
名を呼び、組んでいた腕をゆっくり解いて、俺は彼女をそっと抱きしめた。
少し驚いたはやてだったけれど、すぐに微笑むと俺の背中に腕を回して、二人、抱き合う形となる。
確認、というわけじゃなかったけれど彼女が少しも嫌がっていないことを知ると、俺は腕に力を込めた。
少し、苦しいかもしれない。応じて、はやてもやや強めに俺のことを抱きしめる。
そうして二人で身体を合わせて、ゆっくり身体を揺らしながら、お互いの耳元で消え入るように声を放つ。
「……いちゃつきはここまでだから」
「せやね。もう、甘えんぼさん。
けど私も、エスティ分の補充ー」
「じゃあ俺ははやて分?」
「なんかエロエロやなー」
「エロエロかなー」
少しはそういう気分になったりもする。
けれど、身近に感じる彼女の温もりは劣情よりも確かな暖かみ、そして、染み渡るような愛情を胸に灯す。
少しですら離れたくない。このままでいたい。
陳腐と云えば陳腐なのかもしれない願いを思わず胸に抱いてしまいそうなほどに。
すぐそばにある彼女の髪に顔を埋めれば、微かな、彼女独特の香りが届いてくる。
栗色の髪やずっと変わらない髪飾りは抱きしめている人をはやてと確かに教えてくれて、ん、と上がる微かな吐息、それに乗った声色は、どれだけ聞いても飽きない音色を奏でる。
五感すべてがただ一人、はやてへと向けられて、彼女は俺にとって只一人の女の子なんだと実感できた。
けれど、いつまでもそうしているわけにはいかない。
名残惜しさを感じながらも腕を解くと、俺とはやては皆が待つ翠屋へと一緒に入った。
翠屋で時間を潰し頃合いになると、俺たちは式場へと移動を開始した。
まず行うのは衣装合わせで、業者の人に手伝って貰いながら俺は紋付き袴へ着替えることに。
一番懸念していたことがこれでもある。外人の面でこれは流石に似合わないんじゃ……とも思うのだけれど。
お似合いですよ、という業者さんの言葉は世辞なのか本音なのか。
……まぁ良い。式が終われば披露宴。そこで着るタキシードこそは似合ってるだろうから。
慣れない衣装を着たことと、徐々に迫ってくる結婚式に、ピリピリと緊張感が増してくる。
何をするってわけでもないのに、これは本当、どういうことか。
じっとしていることがこの上ないほどに苦痛。
衣装が衣装だから動き回れないことは百も承知だけれど、軽い運動でもして気を紛らわせないことにはやってらんない。
そんな馬鹿げたことを思いつつ席を立とうとして――
「……兄さん、今、良い?」
「ん、ああ。大丈夫だよ」
扉を開けて姿を現したのは、フェイトだった。
彼女は今日のためにわざわざ服を買ったのか、装飾こそ抑えめなものの、身体のラインがはっきりと浮かぶような黒のドレスを着ている。
露出は多めだが、その上から羽織ったボレロによって下品な印象は拭われていた。
よく似合ってる、というのが素直な感想だ。素が良いのだから、余計なものがゴチャゴチャとつくよりこっちの方が良い。そんなことを思う。
フェイトは歩み寄ってくると俺の襟元を正して、気にしなくても良いような小さな埃を取り去ってゆく。
そして背後に回り、よし、と呟くと、彼女は俺の両肩に手を置いた。
「似合ってるよ、兄さん。格好いい」
「……ミスマッチだと思うんだけどな、これは。
似合ってるって云うのならフェイトの方こそ。綺麗だよ」
「……うん」
ぽつりと、それだけ呟いて、フェイトの言葉は止まってしまう。
どうかしたのだろうか。そう思って振り返ろうとすると、させないとばかりにフェイトは声を上げた。
「……なんか、寂しいな」
「何がだ?」
「兄さん、今日からはやての旦那さんになっちゃうんだよね。
それで、近い内に、本当にお父さんになって。
……嫌だな。私、兄さんのこと大好きだったから、誰かと一緒になっちゃうの、やっぱり悔しいよ。
……こんなことなら、もっと甘えてれば良かった」
とん、と俺の背中に何かが当たる。
それはフェイトの額だったのかもしれない。顔を隠すようにそんなことをされれば、妹がどんな顔をしているのか分からない。
そんなフェイトに対して、俺は苦笑するしかなかった。
肩にかけられた手に自身の手を重ねて、馬鹿だな、と呟く。
「……はやての旦那になろうと、フェイトの兄貴ってことは変わらないだろ?
好きなだけ迷惑かけてくれよ。これからだって、ずっと俺は前のお兄ちゃんなんだからさ」
「……うん」
ぐす、と鼻をすする音が聞こえて、少し経ってからフェイトは顔を上げた。
「結婚おめでとう、兄さん」
……思えば、その言葉は初めて聞いた気がする。
はやてとの結婚を認めてくれはしたものの、やっぱり、何か思うところがあるような表情を、フェイトはずっと続けていたから。
「……ありがとう」
短く返して、俺は微かに息を吐いた。
それは満足から漏らした吐息で、祝福されたという実感は、やはり何ものにも代え難い。
「ふむ……」
「おいレジアス。こんな日ぐらい、そのしかめっ面を緩めたらどうだ」
「うるさい。これは儂の地だ」
そんなことを云うおっさん二名の姿が、式を行うための神社付近にあった。
レジアスとゼスト。エスティマによって招待された二人は、正装でこの場にやってきている。
ちなみに管理局の礼服でないのは、コスプレにしか見えないので止めてください、と釘を刺されているからである。
「……結婚式。今の私をこれに呼ぶのは、何かの嫌がらせでしょうか」
「……オーリス、気落ちするな」
「気にしてません!」
レジアスに声をかけられ、オーリスは非常に不機嫌な顔でそっぽを向く。
さもあらん。三十路で焦りまくっている彼女からすれば、若人二人の挙式はめでたくあると同時に羨ましくてしょうがないのだった。
「しかしエスティマも謙虚な奴だ。
地上を代表するストライカー。それの式ともなれば、上層部を引き連れてきてやっても良かったものの」
「何度も云ったがやめてやれ。
そもそもそんなに呼んでどうするんだ。上層部でアイツと直接の面識がある者など、そう多くないぞ。
ナカジマ家は呼ばれているそうだ。それで十分だろう」
「……納得できんが、まぁ、呼びすぎても迷惑なだけというのは理解している。
儂も式に出るのは一度や二度ではないからな。
だが、それでも……」
納得しない様子のレジアスに、やれやれ、とゼストは苦笑する。
なんだかんだでこの男はエスティマを気に入っているのだ。それに、三課で彼と共に地上の盾となった八神はやても。
否、はやて・スクライアと今は呼ぶべきだろうか。いや、式の最中に妻の姓を変えると聞いているから、まだ気が早い。
ともあれ、そんな二人の結婚式だから顔に似合わずレジアスが今日という日を楽しみにしていたことを、ゼストは知っていた。
「旦那ー!」
ふと、軽快な足音と共に特徴的な呼び方が聞こえて、ゼストは視線を巡らせた。
見れば、そこには普段と違ってめかし込んだアギトの姿がある。その後についてきているのはシグナムか。
アギトは小走りにゼストへ駆け寄ると、どうよ、と胸を張った。
「似合ってるかな? ちょっと奮発してみたんだけど」
「ああ、良く似合っている」
「えへへ、ありがと。
おい、シグナムも早くこいよ!」
「分かっているさ。
……おはようございます、ゲイズ中将。オーリス査察官。グランガイツ一等陸尉」
アギトと違い、シグナムはこの日でも自分の立場を忘れていないのか。
律儀に敬礼する彼女に三者は同時に苦笑。そんなに堅くならなくても良いだろうに。
「……いえ。上官であることもそうですが、何より父上の式へきて頂いたのは本当に有り難く思います」
「気にするな。……それよりもどうした?
親族は先に行っていると聞いていたが」
「はい、そうです。しかし、父も友人たちとつもる話もあるだろうと思い、私は遅れて合流することにしました。
これから父上の顔を見てこようと思います」
「そうか。
では、アイツに気張るように伝えておけよ。
説教というわけではないが、結婚式は酷く緊張するものだからな」
「はい。ありがとうございます」
レジアスの言葉に神妙な顔で礼を云い、それでは、とシグナムは先に行く。
彼女の背中を見送りながら、三人――アギトを加えた四人は、式が始まるまで談笑でもするかと、口を開き始めた。
「ここが、なのはさんの生まれ育った世界なんだねー」
「魔法がなくても、なんとかなるもんなのねぇ」
「ほら二人とも、あんまりキョロキョロしない。
ただでさえ私たちは目立ってるんだから」
そんなことを云いながら歩いているのは、スバルとティアナ、そしてギンガである。
彼女は目に入る景色一つ一つに瞳を輝かせながら、自分の知る管理世界との違いを楽しんでいるようだった。
それもそうだろう。魔法に慣れ親しんだ彼女らからすれば、魔法のまの字も存在しない文明は未知そのものだから。
しかし、そんな風にはしゃぎ回るのは人生経験の少ない者だけなのか。
彼女の後ろを歩くゲンヤ。そして、クイントはそんなスバルの調子に苦笑していた。
杖を突きながら歩いているクイント。そう、彼女は結社に捕らわれていた状態から快復し、杖つきではあるものの、歩けるほどまでになっていた。
長年使っていなかった筋肉を取り戻すのは一筋縄ではいかないのだろう。
が、彼女とほぼ同時期に目覚めたメガーヌが未だに車いすに座っていることを考えれば、流石はタイプゼロの素体に選ばれた人間と云うべきか。
魔法の使えない世界へ不自由な状態で行くのは心細かったらしく、メガーヌとその娘のルーテシアは結婚式に参加していない。
が、クイントは式を挙げると聞いてからオーバーワークのリハビリをこなし、こうして海鳴へ辿り着いていたり。根性とは恐ろしい。
クイントが目覚めたことで、ノーヴェの問題はどうなったのか。
ここではそれを語らない。めでたい日に野暮というものだろう。
「……はぁ、惜しいことをしたわ」
「おう、どうした?」
「折角、子供の頃から目を付けていたのに……あの歳で三佐よ三佐! あなたと同じ階級じゃない!
私の目に狂いはなかったと誇るべきか、逃がした魚は大きかったと嘆くべきか……」
「……何やら物騒なことを考えてる気がするんだがよ。
その心は?」
「ギンガとスバルの旦那様候補が……」
「……いやお前、祝ってやれよ。
八神の嬢ちゃん……いや、はやての嬢ちゃん、って云うべきか。
あの子はずっとエスティマを追いかけてたんだ。流石に野暮ってもんだぜ」
「かもしれないけどっ。
もー、浦島太郎だったからしら? そんな気分よ。
楽しみの一つだったのに、残念だわ」
「まぁ、あの野郎の幸先が決まっちまったのはちぃとばかり残念だがね、俺も」
云いながら、ゲンヤは先を歩くスバルたちに置いて行かれないよう、無理をしない範囲でクイントを引っ張った。
ありがと、と微笑んで二人は娘たちを少しずつ追いかけてゆく。
どこまでも二人一緒、そんな風に。
エスティマとはやての二人がこの夫婦を見たら、どんな感想を口にするのだろうか。
ぞくぞくと参列者が集まってくる中で、遂に結婚式は始まった。
海鳴にある神社――そう、ジュエルシードが暴走したあそこである――へ集まった皆は、準備が整うと列をなしながら階段を上り始めた。
遂に始まる。その緊張感に、服のせいもあるだろうが、汗が噴き出した。
だらだらと嫌な汗を流しながらも、俺はSeven Starsへと念話を送る。
『……どうだ?』
『……戦闘機人のⅤ番の姿は、見えません』
この結婚式唯一の懸念は、彼女がきてくれるかどうか、だった。
酷い話だとは思う。自分からふった女を今日という日に呼び出すなんてことは、本当に。
けれど彼女にきて欲しかったのは事実だ。今の俺があるのは、あの人のおかげでもあるのだから。
……やめよう。今ははやてのことだけを考えたい。
こんな時に他の女に目移りしているようじゃ、本当に失礼だ。
Seven Starsに、そうか、と返して俺は視線を上げた。
その際、視界の隅に隣に立つはやての姿が入り込む。
白無垢姿となった彼女は、いつもと違う印象を受ける。髪型も何もかも見慣れたものじゃない。ともすれば別人かと思ってしまいそうですらある。
しかし隣に立つ彼女の顔を俺が忘れるわけがない。
俺の妻になってくれる女。共に歩む伴侶。言い方はたくさんあるけれど、その実は、俺が永遠に愛し愛されたいと恋い焦がれた女だ。
『こら、集中せなあかんよ』
『ごめん』
苦笑一つを浮かべて、俺は式へと意識を戻した。
階段を上りきり、鳥居を潜って、石畳の境内から社へと真っ直ぐに進む。
背後から聞こえてくる足音は数多。けれど話し声は一つとして聞こえてこない。
念話なんていう便利な魔法があるから、ということもあるだろう。けれどこの時ばかりは、皆が厳粛に俺たちの式を祝ってくれてるのか、なんて都合良く思えた。
神社にたどり着くと、本格的に式が始まる。
礼をし、お払いを受け、斎主が俺たちの結婚をここの神様に伝えて。
この身体じゃ慣れてない御神酒に咽せそうになりながら三献の儀を終えると、今度は誓詞奏上を。
一歩前に出て、友人たちが見ている中ではやてを妻とする、なんてことを歌い上げるのは酷く気恥ずかしい。
が、それも発想の転換。見せ付けてやれ、ともう半ば自棄になりながらそれを終えた。
そこでもう精も根も尽き果てて、外面は生真面目を装いつつも頭は真っ白。
耳から入ってくる指示の通りに身体を動かして――そして、指輪交換が始まった。
慌てつつもそれが外に出ないよう取り繕って、はやてと向き合う。
白無垢姿の彼女。これから行われることに、やはり気恥ずかしさがあるのかもしれない。
やや躊躇いを見せるはやてに、胸が高鳴った。そんな風に照れるはやてを見たことは初めてじゃないけれど、胸が締め付けられるような感覚がある。
指輪を取り出し、そして、彼女の手を取る。
俺ほどではないにしろ、デバイスを握り続けてやや堅い彼女の手。
けれどそれは、ずっと俺に着いてきてくれた証なんだ。そっと彼女の手、その薬指へ手を這わせながら、俺は指輪を通した。
今度は、はやてから俺へ。
小さな手が持ち上がって、俺の手を包むように。
デバイスを握り続けて傷だらけ。堅くなった皮膚は砕けてるところすらあり、細かい傷がいくつも刻み込まれている。
彼女はそれを愛おしげに撫でると、名残惜しそうに指輪を通した。
婚約指輪と比べればずっとシンプルなそれ。
しかしこれは、俺がはやての、はやてが俺の伴侶となる楔。
それを彼女にはめることがどれだけの意味を持つのか……ちゃんと、理解している。
『……幸せにするよ』
『……幸せにしたるからな』
そっと、念話で語り合う。
同時、お互いに笑みを浮かべて、指輪交換は終了した。
……その時だ。
『……綺麗だよ、二人とも。眩しいぐらいだ。
……お幸せに』
聞き間違えるはずのない念話が、俺へと届く。
けれど彼女の姿を探すことはできない。そんなことをして式をぶち壊しになんかできないから。
代わりに俺は一度だけ目を伏せ、ありがとうございます、と念話を送る。
返答はない。けれど無言の沈黙が、放った言葉以上に伝えることはないと云っているようで。
……それだけで、俺は満足だ。
全員に祝福される中、式は滞りなく終わり、俺たちは神社を後にする。
共に、傍らの彼女と。ずっと一緒に。
どこまでも、どこまでも、歩き続けることができる限り。
式のあとの披露宴は滞りなく――なんてのは嘘で、酷く盛り上がった。
披露宴なんて大層な名前がついているけれど、実際は新郎新婦を肴にした宴会だ。
始まりは中将のありがたーくながーい演説……ではなく、仲人のクロノが取り仕切った。
なんだかんだで、俺たちが出会った事件を担当した執務官様だ。あいつ以外にいない、というのは俺とはやての共通した希望だった。
披露宴の内容は……まぁ、愉快だった、と云おう。そうでなければ言葉を濁したい。
細かい進行は流石に覚えていないものの、各々がやった宴会芸……宴会芸? はどれもが面白かった。
色濃く覚えているのは……酔っぱらったゼストさんが空気を読まずに槍をぶん回して超絶技巧を披露したりとか。
……シャーリーが空気読まずに、どこかからサルベージしてきた過去の戦闘映像(スプラッタ部分カット)を放映したりとか。
新人たちが集まって歌をうたって……私たちは前座です、と云っていたから嫌な予感はしたんだ。
んで、トリは変身魔法で子供になったフェイトとユーノ、そしてなのはが、アリシアちゃん脱退おめでとーとか云って歌い出す始末。ユーノは自棄になってた。
渾身のネタでしかないのに上手いのだから始末に負えない。あれで黒歴史は最後にして欲しいもんだよ、本当……。
それと同じぐらいに印象的だったのは、シグナムだ。
何をしたわけでもない。彼女はただ、俺とはやてのことを皆の前で祝ってくれただけだった。
けれどそれは父親である俺の心に響いて、情けないことに涙を流しそうになったり。
ともあれ、そんな風に披露宴があって、二次会があって、と。
そんなこんなで新居に戻ってきたら、もう時間は深夜の一時を回っていた。
流石に疲労困憊となった俺たちは今、リビングでくつろいでいる。
「はい、どうぞー」
「ありがとう」
キッチンから戻ってきたはやては、持ってきたマグカップをテーブルに置く。
ことり、と湯気の立つそれの表面は黒一色のブラックコーヒーだった。
はやての方もコーヒーだけど、俺と違って砂糖とミルクが入っている。
無理に付き合うことはない、ということをしっかり分かっているんだろう。
彼女は自分のマグカップをテーブルへと置く。俺と色違いのそれは、はやてが拘って選んだものだ。
並べられたカップと同じように、はやては俺の隣へと腰を下ろした。
動けば肩が触れるような、そんな距離だ。
「楽しかったなー」
「うん。最高の一日、って云い方をしても間違ってないと思うよ」
「せやね。皆が祝福してくれて、楽しんでくれて、私たちも楽しくて。
この上ないなぁ、本当」
「ああ。頑張って良かったって思えるね」
カップを口に運んで、一息。熱さすら感じるコーヒーで唇を湿らせながら、ふと、テーブルの上に置かれたはやての手に目がいった。
指輪の通された左手。そこへ無造作に持ち上げた手をゆっくりと重ねる。
驚いたようにはやては身じろぎするけれど、成されるがままに、手は重なった。
今日一日でこんなことをするのは何度目だろうか。けれど、どれだけ彼女とこうしても飽きない。
飽きるわけがないとも云える。だって、彼女とこうしたいからこそ、俺ははやてを選んだんだから。
会話は止まり、静まりかえった家の中。
動くものと云えば時計の針と、カップから立ち上る湯気ぐらい。
そして、お互いの手に伝わる温もり、そこにこもる小さな鼓動。
彼女は確かにここにいる。
夢幻ではなく、幻想などでもなく。
俺が守りたいと願ったもの、その中心として、実感を伴い隣に在ってくれる。
それがたまらなく嬉しい。
気付けばどちらともなく身体を寄せて、知らぬ内に顔が近付いていた。
啄むようにキスをして、それを幾度も繰り返す。はやての唇は甘い。なら、俺の唇は苦いのかもしれない。
吐息を合間合間に挟みながら、俺たちは飽きもせずキスを重ねて、いつの間にか重ねた手をそのままに抱き合っていた。
……今日は別に良いかな、とも思う。
クロノにはああ云ったけど、前言撤回だ。
今はただ抱きしめて、こうしているだけで満足だから。
問題は、はやてがどう思っているかだけど――
「……今日は、ゆっくりせえへん?」
「……賛成。何も、そんなに急がなくて良いからね」
「せや。いつだって、二人は一緒やからな」
「うん。ずっと一緒だ」
そう云い、薄く笑んで、お互いの額を擦り付け合う。
ただのじゃれ合いで深くはない交わり。けれどこれで良い。少なくとも、今はまだ。
……願わくば、こんな日だまりのような日々が続きますように。
祈るように心の中で呟いて、俺たちは、飽きもせずずっとそうしていた。
END