六課が解散してからしばらく身体を休めることも兼ねて、俺は休職することにした。
今まで休みが皆無だったこともあり、久々のまとまった休暇ということで羽を伸ばした――のは良いものの、最初の数日で違和感が付きまとい始めるのはどういうことか。
まず、大したこともしていないからか疲れない。
最初の内は寝れば一日十二時間ほど睡眠に費やすウルトラ時間の無駄遣いができたのに、一週間も経てばそんなことができなくなった。
適度に眠れば目が冴えてしまって、二度寝しようものなら寝過ぎで頭が痛くなる。
しょうがないから早起きをするようになり……そして有り余った時間の使い道をどうするかと、贅沢な悩みを抱えたり。
家事をしたり趣味のデバイス弄りをしている内はまだ良かった。
が、それも時間をかけていられたのは最初だけ。家事は毎日やっていれば作業量が増えないし、趣味も趣味であらかた遊び尽くすと次に何しようか困ってしまう。
それじゃあ最近怠けていたし魔法の訓練でも……と微妙に鈍っていた腕を鍛え直して、とうとうやることがなくなってしまった。
友人と遊ぼうにも皆が皆労働に勤しんでいるから誘ったら「黙れニート」と云われるだろう。おのれ。
ともあれ、この間、一月。
よく保ったと云うべきなのか、どうなのか。
……かなり平和ボケしてるって自覚はある。
なんだかんだで事件が終わったと云っても、未だ俺は必要とされているだろうし。
ゼストさんが戻ってきて、アギトが地上部隊に入ったと云っても、慢性的なエース不足は解消されていないんだ。
幸か不幸か、結社と戦い続け緊張感を抱いていたせいで、地上部隊は全体の地力が底上げされている。
けれど、決定打の存在は、という点では今も昔も大差ないだろう。
まとまった休みをもらったため体調も良好。
もうそろそろ復職しても――などと考えていた矢先だ。
なのはから、そんなに暇ならヴィヴィオのベビーシッターをしてくれない? と云われたのは。
やや迷いながらもなのはが必死そうに頼んでくるから思わず頷き、その日の内から俺はヴィヴィオの面倒を見ることになった。
てっきり海鳴まで出向くと思っていたのだけど――
「パパー、あそんでー」
「……はいはい」
自宅のリビングで考えごとをしていたところに、軽い衝撃が後ろから。
背中のおぶさるようにしてのしかかってきたヴィヴィオの髪を軽く撫でて離すと、腰を下ろしていたソファ-から立ち上がる。
ヴィヴィオは背もたれを乗り越えて抱きついてきた模様。地味にお転婆だ。
そんなヴィヴィオの脇にはウサギのぬいぐるみが抱きかかえられていた。
首にはSeven Starsが結びつけられており、所在なさげに揺れている。
「それじゃあ外に行くか。
ヴィヴィオ、何がやりたい?」
「バトミントン!」
「バド、な。
了解、じゃあ準備しようか。動きやすい服に着替えなさい」
「このままで良いよー。
パパ、早く早く!」
袖を引っ張りながらねだってくるヴィヴィオに苦笑しつつ、財布をポケットにねじ込むと、俺たちは玄関へと。
玄関の立てかけてあったラケットケースを肩にかけて外へ。鍵をかけて、小走りに先へ行くヴィヴィオになんとか追い付く。
廊下を一気に駆けるとエレベーターに辿り着き、うんしょ、と背伸びをしながらボタンを押す。
そうしてどこか得意げな顔で振り向くと、早くー、と手を振ってきた。
……せっかちだなぁ。そんなに急いだって、五分か十分ぐらいしか変わらないだろうに。
そう思いながらも、自分がガキだった頃のことを思い出して、あんな頃もあった、と苦笑してしまった。
追い付くと、パパ遅いー、などと挑発になってない挑発をされたり。
適当に流しても良かったけれど、こんな風にわざわざ憎まれ口を叩くのは十中八九構って欲しいからだろう。ヴィヴィオ本人は考えてやっていないのだろうが。
なので、こいつめー、と髪をぐしゃぐしゃ掻き混ぜると、ヴィヴィオはくすぐったそうに笑顔を浮かべた。
エレベーターが一階に辿り着くと、俺とヴィヴィオは手を繋いでマンションの外へ。
車に気を付けろよー、などと声をかけつつ、ご機嫌な様子のヴィヴィオと手を繋いで公園を目指す。
遊ぶなら俺じゃなくて同い年の子でも、とは思うが、まぁ良いか。喜んでくれているならそれで。
それにしても、と思う。
どさくさ紛れの半ば刷り込みのような形で俺のことをパパと言い出したヴィヴィオだが、まさかここまで懐かれるとは思ってもみなかった。
ヴィヴィオには悪いだろうけれど、てっきり少し経てば忘れられるようなものだと思っていたから。
六課では、お世辞にもヴィヴィオのことを構ってやれていたとは云えないだろう。だからそんな風に考えていたのだけれど、思った以上にこの子の執着は深いものだったらしい。
俺がベビーシッターを任せられた裏には、ヴィヴィオがなのはと二人っきりの際に良く俺のことを口に出していたから、ということがあるらしい。
あんまりしつこく、しかも真正面から云われてはぐらかすことが限界になったとか。アイツも大概甘いな。
まぁ、俺も人のことは云えないけれど。
そんなことを考えている内に、俺たちは公園へとたどり着く。
遊具や砂場、ベンチは隅の方に。ただ広いこの場所は、軽いスポーツを楽しむために作られたのだろう。
時刻は昼過ぎ。平日だからか、遊んでいる子供はあまり多くない。
いるのはベビーカーを押して井戸端会議を楽しんでいる奥様方。それと、幼稚園に行っていないのであろうヴィヴィオと同年代の幼児がちらほらと、だ。
「パパ、ラケット!」
「はいはい」
が、ヴィヴィオは彼らに目もくれず、到着早々にラケットを寄越せとねだってくる。ウサギのぬいぐるみはスカートのポケットにねじ込まれて、上半身を垂らした状態。貞子か。
そんな様子に再び苦笑。シャトルと二本のラケットを取り出すと、五メートルほどの距離を取って、俺は掬い上げるようにヴィヴィオへとシャトルを放った。
的が飛んできたのを見たヴィヴィオは、目を輝かせながらラケットをフルスイング。ヴィヴィオ、それバドミントンちゃう。野球のスイングや。
そんなことをすれば当たり前のように空振るわけで、地面に落ちたシャトルを不満げに見詰めるヴィヴィオ。
……そもそもヴィヴィオがバドミントンするのは少し早い気もするんだけどね。
けれども何故だかお姫様はこれが気に入っているご様子。
「いくよー!」
声を上げつつシャトルを放ると、ヴィヴィオは片手で持ったラケットでシャトルを地面に叩き付ける。
あう、と再びヴィヴィオが不満げな声を漏らすが、ワンバウンドしたところでシャトルを拾い、リフティングのように宙へ上げ、打ち返す。
勿論、ヴィヴィオが受け取れるように手加減して。
「パパ、すごいすごい!」
「ルールを盛大に破ってるけどね」
きゃっきゃとはしゃぎつつ、ヴィヴィオは打ち上げられたシャトルを俺の足下目がけてスマッシュ。
それをゆっくり打ち上げて、と、野球のノックでもしているような気分になってくる。無論、俺が守備の方。どういうことなの。
身体を動かしている内にヴィヴィオもコツを掴みだしたのか――それとも、他人の動きを学習する、という本領を発揮してきたのか。
イジメじみたノックは徐々にバドミントンらしくなってくる。それでも、ヴィヴィオがラケットに振り回されているのは変わりないけれど。
そうしていると、
「紫電、一閃!」
そんなことを叫んで、ヴィヴィオは横薙ぎにラケットをぶん回した。大方、お姉ちゃんであるシグナムの真似だろう。
が、思いっきり動いたせいか今にも落ちそうだったウサギのぬいぐるみが地面へと。
あっ、と声を漏らしたヴィヴィオはラケットを地面に落として、砂埃のついたぬいぐるみを抱き上げる。
さっきまでの機嫌はどこへ行ったのか、眉尻を下げて悲しそうな顔へ。
「ごめんね、だいじょうぶ?」
『……別に大丈夫ではありますが』
「怒らないで……」
『別に怒っていません』
「ううー……」
『ああもう……旦那様、なんとかしてください』
最後の台詞は念話で俺へと語りかけてきた。
どうしよ、とテンパってるヴィヴィオを余所に困り果てたSeven Stars。
おそらく、ヴィヴィオが心配してくるのを鬱陶しく思っているのだろう。
『お前があんまりセメント対応するもんだから、機嫌を損ねたって思ってるんだよ』
『そんなことはありません』
『だったらもうちょっと愛想を良くしろ』
『愛想を振りまく必要はありません。
私はデバイスです……旦那様の』
『……まだヴィヴィオの防犯ブザー代わりにしたことで腹立ててるのかよ。
お前が信頼できるからヴィヴィオの側に置いているんだぞ?』
『むっ……おだてたって何も出ませんからね』
拗ねたように念話を返してくると、仕方がない、と云った風にSeven Starsは声を上げた。
『ほらヴィヴィオ。私のことは良いですから、パパを構ってあげてください。
寂しそうにしていますよ』
「んゆ……」
Seven Starsに声をかけられると、不思議そうにヴィヴィオはこっちに視線を。
すると、バドミントンをしていたと思い出したのか、慌てたようにラケットを持ち直し、しかし手にはぬいぐるみを持ったまま。
「……うてない」
『私をどこかに置くか、またポケットに入れれば良いでしょう』
「……またおとしちゃう」
『……ああもう! 旦那様!』
悲鳴じみた声を上げるSeven Stars。なんだか面白くなってきたけど、放置するのは酷か。
俺は指先にシャトル大の誘導弾スフィアを浮かばせると、それをヴィヴィオの方へとゆっくり放った。
ヴィヴィオはそれを不思議そうに眺めていたが、打つようにラケットを振ってジェスチャーを送ると表情を輝かせた。
そしてぬいぐるみを抱えたままヴィヴィオはラケットを振るが――
「……あれ?」
「残念」
「うー!」
当たる寸前で誘導弾は軌道を変えて、ヴィヴィオのラケットを避けた。
ムキになったヴィヴィオは追っかけてラケットを振り回すが、掠りもしない。
しかし、ぬぐぐ、とムキになってはいるものの、楽しんでいるみたいだからこれで良いか。
スフィアの誘導をゆっくりやりながら、そんな様子をじっと眺める俺。
まぁ、こんな毎日も悪くないと思う。
リリカル in wonder
―After―
デスクワークを終えたなのはは、机の上に並んだ書類を片付けつつ息を吐いた。
今日の仕事はこれで終わり。早く帰ろうと思いながら、彼女は携帯電話を取り出した。
画面には、メールが一件、と表示されている。
送ってきた人物はエスティマだ。
夕食のことがあるからだろう。お疲れ様、何時に帰ってくる? と絵文字も何も使わずに用件だけを聞いてくるのは彼らしかった。
帰り支度を整えると、お先に失礼します、となのはは職場を後にした。
帰宅時間となったクラナガン。なのはは雑踏の中を一人で歩き、駅にたどり着くと、娘の待つ家へと帰るべく電車に乗り込む。
結社の崩壊が起こり、残党もあらかた駆逐された今、ミッドチルダ地上は平和と云って良い。
エース級魔導師は無用の長物とは云わないまでも、以前のように疲労困憊の身体に鞭を打って戦う必要があるほどではない。
教導官であるなのはは常にその実力を必要とされる仕事に就いているため、暇というわけではないが。
彼女は今、ミッドチルダ地上部隊の間を教導官として回っている。
ヴィヴィオのこともあったのでミッドチルダで仕事が出来るように――と希望し、なんとか融通を利かせて貰った形だ。
そしてそのヴィヴィオとの生活だが――最初こそ誤魔化していたものの、彼女の希望をなのははどうしても無視することができず、エスティマと同居することになってしまっている。
最初の内はヴィヴィオの面倒を見てもらい、夕食を一緒に食べて帰ってもらう、という形を取っていた。
だが、なんでパパ帰っちゃうの? とヴィヴィオが言い始めて、その結果今の状態。
甘い上にエスティマに迷惑をかけっぱなし、と流石のなのはも分かってはいる。
聞き分けの悪い子ではないし、むしろ分類すれば良い子にはなると思う。
けれど、ヴィヴィオが悲しそうにしているとどうしても無碍にはできず――と、そんな風に。
幸いなことにエスティマ自身もヴィヴィオと遊ぶことは嫌じゃないようで、少しだけ救われた気分になっている。
本当だったら仕事を休んであの子と一緒に過ごすのは自分の役目だろうし、そうしたいという気持ちもある。
けれど、自分の力が必要とされているのならば――と考えてしまって、仕事を休むことはできない。
存外、自分も優柔不断のようだった。ヴィヴィオが大事なことに代わりはないけれど、だからと云ってその他を蔑ろにできはしない。
どこかの誰かさんを悪く云えないよね、などと彼女は苦笑する。
電車が駅に到着すると、なのはは駅のホームに降り立って、迷わずに改札口へと向かった。
その最中、雑踏の中に見慣れた背中を発見する。
念話を送ると、その背中――シグナムとシャマルの二人は振り返って、足を止めた。
「お疲れ様、二人とも」
「お疲れ様です、なのはちゃん」
「お疲れ様です」
シグナムは律儀に頭を下げて。シャマルはそんな彼女と違い、笑顔を浮かべて。
一言二言、言葉を交わして三人は改札口を抜ける。
そのまま駅を出ると、雑談しながら家を目指し始めた。
女三人で、家に帰れば更に一人加わる。
エスティマくんも肩身が狭いだろうなぁ、と考えつつも、男の人ってこういうの好きらしいし良いよね、とあまり気にしないなのはであった。
「シャマルにシグナム、今日のお仕事はどうだった?」
「問題なかったー……って云っても、医療に問題があったら大変だけど」
「私の方も特には。一時に比べれば平和なものです。
そちらはどうでしたか?」
「私の方も……あんまりない、かな?
今日はちょっと休憩中に変な話題で盛り上がったけど、それぐらい」
「変な話題ですか?」
生真面目な顔でシグナムは首を傾げる。
もっと砕けても良いのに、と思いながら、なのはは先を続けた。
「そう。新人さんたちに囲まれて、エスティマくんと私どっちが強いんですかーなんて聞かれて。
適当にはぐらかすつもりだったのに人だかりが出来て、困っちゃった」
そう、なのはは苦笑気味に云う。
地上部隊で有名なエスティマと、陸と海の両方でエースとして活躍していたなのは。
その上、二人は戦技披露会で何度も戦ったことがある。その度に決着らしい決着がつかなかったため、気になったのかもしれなかった。
管理局に入ってから日数が経っていない新人だと、なのはのようなエースが身近にいることが珍しいのだろう。あんな質問をされた理由は、だからかもしれなかった。
「まぁ、全力全開で戦ったらなのはちゃんが勝ちますからね」
「……ちょっと待てシャマル。全力全開で、という条件ならば勝つのは間違いなく父上だろう」
「むっ。そんなことないわよシグナム。
いくら速いって云っても、避けられない弾幕を展開したらどうしようもないんだから。
なのはちゃんなら、それぐらいはできるし」
「何を云う。ならば弾幕を張る前に潰せば良いことだろう」
「バインドやシールドで足止めできますぅー」
「その発動速度を父上は上回っているのだというのに」
「ううっ……なのはちゃん、シグナムに何か云ってあげてください!」
「あはは……」
どっちも片方を贔屓しているから冷静に見られないのか。
不満そうな二人に、なのはは苦笑するしかなかった。
「まぁ、その話も実際にやってみないと分からない、で締められたから……そういうことで」
「納得できない……」
「納得できません」
むぅ、と眉ねを寄せる二人。
そうこうしている内に三人はようやくマンションへとたどり着き、自宅へと戻った。
エレベーターで上階へと上がり廊下を進んで、自宅へと。
インターフォンを押せばヴィヴィオの声が聞こえて、小さな音と共に鍵が開く。
「おかえりなさい!」
「ただいま、ヴィヴィオ」
「お姉ちゃんたちも、おかえりなさい!」
扉を開けると、ひまわりのような笑顔のヴィヴィオが出迎えてくれた。
ヴィヴィオと共に暮らすようになってからは当たり前の光景となったもの。
しかしなのはは、この子の笑顔と家に帰ってきたことを実感する度に、何か暖かいものが胸に込み上げてくる感覚を覚える。
何度味わっても飽きないそれを噛み締めながら、しゃがみ込んでヴィヴィオを抱きしめた。
「……カレーですね」
キッチンから漂ってくる匂いを嗅いで、シグナムがぽつりと呟いた。
それを聞いたヴィヴィオは、えへん、と自慢げに胸を張る。
「ヴィヴィオがニンジンの皮むいたんだよ」
「わ、すごいねヴィヴィオ。ちゃんとパパのお手伝いできたんだ」
「おてつだいいぐらいできるよー」
「そうだね」
早く、とヴィヴィオに手を引っ張られて、なのははリビングへと。
シグナムとシャマルはその様子に苦笑しつつ、ゆっくりと後を追ってくる。
「パパー! ママ、かえってきたよ!」
「おう、お帰りー。
もうできるから、食器出してくれると」
こちらを一瞥するだけで、エプロン姿のエスティマは鍋をかき回す作業に戻った。
似合ってるんだか似合っていないんだか。素材が悪くないので様にはなっているものの、彼らしくはない。
そんな風に思ってしまうのは、魔導師としての彼ばかりを見てきたせいだろう。
しかし、そんなことを考えていたのは最初の内だけで今はすっかり慣れてしまった。
ヴィヴィオと遊んで父親の代わりをしているのも、主夫として家事全般を行っているのも、今では当たり前のような――ずっと前からそうだったような錯覚すら抱く。
「ただいま、エスティマくん。分かったよ」
別に感慨深くなる必要もないというのに感じ入ってしまった自分自身に苦笑し、なのははエスティマへと返答を。
「ヴィヴィオもてつだう!」
「うん、落として怪我しないようにね」
はーい、とヴィヴィオは元気よく返事をして、人数分のスプーンを手に持つと、よたよたとテーブルへ。
まず最初にヴィヴィオが食器を置いたのは、なのはの席だった。ありがとう、となのはは胸中で言葉を漏らす。
「シグナム、どれぐらい食べるー?」
「大盛りでお願いします、父上」
「シャマルはー?」
「普通で良いですよー」
「了解」
二人の返事を聞くと、エスティマは炊飯器から皿に米をよそって、カレーをかけてゆく。
その度に食欲を誘う香りがリビングまで流れてきて、口の中に涎が溜まってくる。
お腹を鳴らすようなことはしないけれど。
人数分の夕食が並ぶと、それぞれは指定の席へと座った。
ヴィヴィオは俗に云うお誕生日席。その両側にエスティマとなのはが座り、シグナムとシャマルは主人の隣に。
もともと父子家庭で使われていたテーブルなので少し手狭。けれどその窮屈さが、なのはには心地良い。
「それじゃ、いただきます」
「いただきます!」
手を合わすと、ヴィヴィオを早速スプーンをカレーへと付き込んだ。
子供用の小さなスプーンにカレーライスを乗せて、ふーふーと息を吹きかける。
少しだけ過剰。タコみたいに唇を尖らせるヴィヴィオが、なのはには微笑ましく映る。
そんな風にヴィヴィオを眺めていると、彼女の食欲に触発されたのか、空腹感がより一層強くなった。
なのはもカレーを口に運んで、うん無難、と頷く。
レトルトよりは美味しいけれど、飛び抜けているわけじゃない。
けれど決して貶しているわけではない。自分だって料理の腕はエスティマとそう大差ないのだから。
味付けはまだまだ勝っている自信はあるけれど、包丁捌きは負けているかも。具になっている野菜や肉はどれもが綺麗な形に整えられている。
手先の器用さはなんだかんだでエスティマがずっと上だ。
得意、というわけではないけれど料理もできる男の人。
今まで彼の物騒なところを見てきたなのはにとって、彼のそんな一面は少し意外で、新鮮だった。
シグナムと二人で暮らしていたのだから、当たり前と云えば当たり前なのかもしれない。
けれど、自分はそんなことすら知らなかった。だのに彼を知っているようなことをずっと云ってて――それを少しだけ申し訳なく思う。
「……美味しいです」
そんな風になのはが思っていると、シグナムがぽつりと呟いた。
一方シャマルは、どこか悔しそうな顔をしている。
「……わ、私だってこれぐらい」
「……シャマル。確かにお前のお菓子は見事なものだが、他はどうかと思うぞ。
この前お前が振る舞った作ったカレーは、甘口過ぎて駄目だった。酢豚もだ。
それとデザートピザは許さない。絶対にだ」
「えー、ヴィヴィオはシャマルお姉ちゃんのカレー美味しかったよ?」
「そ、そうよね! 美味しかったよね!
それにシグナム、デザートピザは立派な料理よ!」
「ありえん」
「シャマルお姉ちゃん、だからまたおかしー!」
「うん、いくらでも作ってあげるから!」
「……父上、乗せられているのでしょうかこれは」
「……云ってやるな」
ヴィヴィオを可愛がるシャマルに、マイペースな二人。
団欒とした光景を、なのははスプーンを運ぶ手を止めて眺めていた。
そうしているとエスティマが眉根を寄せつつ顔を向けてくる。
「口に合わなかったか?
……そりゃまぁ、お前やはやてからしたら微妙かもしれないけど」
「あ、ううん。そんなことない。十分に美味しいよ?」
「……そんな風に取り繕われても酷く微妙」
「一応、嘘じゃないんだけどな。
けどほら。エスティマくんが料理できるってだけでも、私は驚いたし。
あんまり多くは望んでないよ」
「今時、男が料理できても珍しくはないだろ。
それに、味を突き詰めるわけじゃないならレシピ通りに作れば良いだけだしさ」
「ん、まぁ、そうなんだけど……似合わない、っていうか」
「む、どういう意味だよ」
「えー? パパは料理してると格好良いよー?」
最後だけ理解できたのか、不思議そうにヴィヴィオが声を上げた。
ちょっと目を離した隙にヴィヴィオは口の周りを盛大に汚していたり。
それを拭ってやりながら、なのはは苦笑した。
「そうだね。パパは格好良いね」
「……何か含みがあったようなのは、俺の気のせいか」
「べっつにー」
そーですか。そーですよ。
そんな風に憎まれ口を叩き合うと、シグナムとシャマルがにやにやしているのが見えた。
……どうしてそんな視線が向けられたのだろう。
楽しそうにしているヴィヴィオに、それを囲む自分たち。
ヴィヴィオの願いを叶えてあげたいと思った、なのはがワガママで作り上げた嘘の家族だとしても、ここに宿っている暖かさは嘘じゃない。
この温もりがずっと続けば良いな。そんな儚い、無理だと分かっていることすらついつい思ってしまう。
父親がいて母親がいて。頼りになる姉が二人いて。
自分たちに囲まれているヴィヴィオは間違いなく幸せそうだ。
エスティマに無理を云った申し訳なさは確かにある。
けれど、その微かな痛みが代償と云うのならば、いくらでも、いつまでも感じたって良い。
そんなことすらなのはは思っていた。この瞬間、彼女は確かに想っていたのだ。
――罪悪感を感じるべきもう一人の人物を忘れ去って。
ふと微かな振動を感じて、なのははポケットに入れっぱなしにしていた携帯電話を取り出す。
液晶画面に映っているのは着信通知。
表示されている名前は、はやてちゃん、だった。
「ん、ごめんなーなのはちゃん。今大丈夫?
あ、ご飯中やったんか……じゃああとで……ええの? ごめんなー」
携帯電話を耳に押し当てて、はやては電話に出たなのはへと声を送っていた。
エスティマの家とはやての家はそう離れているわけでもないため直接行っても良かったのだが、それは少しだけ憚られて、彼女はこうして電話をしている。
電話に出たなのはの声は、最初は驚き、そして次第に申し訳なさそうに響きに移っていった。
声も徐々に小さくなって――おそらくリビングから移動したのだろう。背後から聞こえてきた雑音が届かなくなる。
……なのはちゃん、どこの部屋に入ったんかなぁ。
そんなことを、はやては思う。
エスティマの家は半ばはやての庭みたいなものだ。
ずっと通い続けて、キッチンにある調理器具は六割方はやてが揃えたようなもの。
空々しい家の雰囲気に我慢ができずテーブルクロスやクッションを買って置いたり、自分専用のマグカップや歯ブラシをこっそり置いたり。
そんな風に、第三の我が家とも云うべき場所だったエスティマの家。
しかしそこは今、なのはとヴィヴィオ、シャマルの三人が住み始めてまったく別の空間となっているだろう。
はやてに自覚はなかったが、彼女は、そんな風に自分の知る場所が変わったところを見たくなかったのかもしれなかった。
「うん、うん……ヴィヴィオは元気?」
受話器の向こうからは聞こえる声が、ヴィヴィオの名を出した瞬間に喜色を帯びた。
元気で仕方がない。シャマルやシグナムに可愛がってもらって楽しそう。今はご飯をたくさん食べてる。
最近は出迎えをしてくれるようになって、少し嬉しい。
報告というよりは半ば自慢のような話を、はやては笑みを浮かべながら聞いている。
親のいないヴィヴィオが問題なく毎日を過ごしていることは、はやてにとって他人事とは思えない。
過去、両親を失って孤独と云って良い幼年期を過ごした彼女からすれば、心の底から喜ばしいことだと云える。
それは素直に喜べる。
けれど――
「そか。ところで、エスティマくんはどうしてるん?」
その名を口にした瞬間、僅かになのはが口ごもった。
当たり前だ。分かってて――嫌な女と胸中で自嘲しながら――彼の名を口にしたのだから。
彼、エスティマ・スクライアは現在、ヴィヴィオのベビーシッターとして主夫の真似事をしている。
てっきり十分な休養を取ったら地上部隊に復帰すると思っていたはやてからすれば、この状況は寝耳に水だった。
けれどはやてが何か意見する前にヴィヴィオはエスティマに以前よりもずっと懐いてしまい、何もしないでいたら今度は同居まで始める始末。
……そのことに対して、はやてが何かを云える立場ではない。
別に自分は彼の恋人とか、そういった存在じゃない。
幼馴染みではあるし、半ば家族のように付き合っていたのは事実。恋慕をエスティマに伝えたのも事実。
けれどそれに対する返答はまだで、であれば自分は極めて身内に近い他人でしかない。
他人でしかないのならエスティマの決定に口を挟むのは野暮かもしれない。
けれど――それはそれ、これはこれ。
感情を押し殺して理詰めで考えられるほど、はやては賢くなかった。
ついでに云うならば、指を咥えてここまで事態が切迫したことに後悔と危機感を覚えないほど、おめでたくもなかった。
「……そう。元気そうならええんよ」
そう云った瞬間、ごめんね、と取り繕うような声が聞こえてきた。
分かってる。この言葉がなのはの良心を抉っていると理解している。
けれど、どうしてもはやては――牽制しておかなければ気が済まなかった。
何が、とは云わない。そんなことは分かり切っている。
しかし、それに対してなのはが云う台詞は決まり切っている。
ごめんね。けど、そういう風にエスティマくんを見てないから。
そんな言葉を聴いて――けれど、はやてが安心できたのは最初の内だけだった。
今はどうかと聞かれれば――
「……ご飯中にごめんな。
それじゃ、また」
通話を切って、はやては溜息を吐きながらソファーの背もたれに体重を預けた。
前髪を払って天井を見上げると、のっぺりとした平面に視線を注ぎながら口元を歪める。
それは嘲笑や失笑などの類ではなく、苛立ちからだった。
黙って一人で塞ぎ込めば、黒々としたものが次々に溜まってくる。
けれどそれを発散するような場所はどこにもなくて――本当に、嫌になる。
友人二人。その一方には絶賛片思い中。
その二人は同棲していて、シグナムやシャマル、ヴィヴィオがいるのだとしても安心はできなかった。
そもそも、好きな男の隣に他の女が立っていてどうして安心できるという。
それに――はやての最大の懸念は、エスティマとなのはの距離だ。
近くて遠い。そんな形容がしっくりくる二人だったけれど、ヴィヴィオが間に挟まれて、その隙間がずっと狭まったような気がして仕方がないのだ。
……違う。気がする、じゃない。
「……はやて」
鬱々と考え事に没頭していたはやてに、声がかけられた。
視線を向ければ、そこにいたのはヴィータだ。
彼女は所在なさげに立ち尽くしながら、躊躇いがちに口を開いた。
「その……はやても向こうに行って良いと思う。
それに、エスティマに会いたいなら、アタシが向こうから引きずってくるし……」
「……ありがとう。けど、ええんよ」
ええ子やね、と胸中でヴィータに呟く。
エスティマを無理矢理引っ張ってくる――それがどういう意味なのか、ヴィータは分かっているだろう。
見た目や趣向は幼いと云っても、ヴィータは守護騎士プログラムとして長年生きてきた騎士だ。
長年生きてきたのだから感情の機微ぐらい察するだろうし、今の状況がどういうものか分かってもいるだろう。
けれどはやて本人が、もう自分からは何もしないとエスティマに云っている。
だから自ら汚れ役を買って出て――と。
守護騎士が主の心身を守り抜く存在ならば、ヴィータは立派に仕事を果たしていると云える。
……もしエスティマをこっちに引っ張ってきたら。
それはなのはが作り上げて、ヴィヴィオが甘受している平穏にヒビを入れることとイコールだ。
一回や二回なら問題はない。
けれど、エスティマを奪い取って独占できる――我ながら浅ましい――ことに味を占めてしまったら、抑えが効かなくなるだろう。
それが分かる程度に、はやては自分のことを理解していた。
どうしたもんかな、と彼女は思う。
エスティマのことは大好き。
ヴィヴィオは出来るだけ悲しませたくない。
なのはは――
彼女のことを思い出して、はやては思わず目を細めた。
彼女に対して抱く感情は、燻った怒り。
だがそれは、この状況を作り出したからではない。
はやてがなのはに、苛立っているのは――
「……はっきりせぇへんな」
彼女の呟きと共に、握り締めていた携帯電話がきしりと悲鳴を上げた。