冷たい風が髪の毛を揺らす場所。人の温もりや活気といったものが欠落した都市。ミッドチルダのクラナガン、そこの辺境ともいえる、廃棄都市郡。
その一角に、管理局の制服を着た者たちが指揮車を中心にして展開していた。
地面に広がるアスファルトはひび割れて、雑草がたくましく顔を出す道路には不釣合いな現役の車両。その脇には一組の男女がいる。
いや、男女とは言えないだろう。二人とも少年少女の域を出ていない。
顔にはまだあどけなさが残っているが――それとは上手く混ざり合わない真剣な表情を、少女、八神はやては浮かべていた。
バリアジャケットは既に展開している。黒いボディースーツの上から白い上着。ベレー帽を頭に乗せている彼女は、手に持ったシュベルトクロイツの先端を地面に下げ、身長差があるため見上げる形でエスティマ・スクライアに視線を送っていた。
エスティマもまた、バリアジャケットを展開している。白を基調にした装甲服。マントの裾を揺らしながら、彼は送られてくる通信をじっと聞いていた。
――今日、首都防衛隊第三課がここへきたのは、上からの命令があったからだ。いつの間にかクラナガンに入り込んでいた違法研究組織。害虫が知らぬ間に巣を作るように、彼はいつの間にか廃棄都市郡に根を張っていた。
その根が深いのかどうかは、まだ分からない。ただ、大規模な戦闘が予想されるという。
……それにしても、とはやては胸中で呟く。
今回の任務は予定にない急なものだった。今日になって出動要請がきて、そうして三課はここにいる。
要請に応じたときのエスティマの顔。それを思い出して、はやては首を傾げたい気分になった。
通信がくる少し前までは自分たち――はやてやリインフォースⅡ、シャーリーと談笑していたとは思えないほどに乾いた表情。
そして今もエスティマは気を抜くことなく、不機嫌にも見える顔色を一切変えずに通信に聞き入っていた。
片手槍のカスタムライトを握る彼の手は、やや強めの力が入ったままだ。
……緊張しているんかなぁ。
そこまで重要な捜査なのだろうか、これは。そう思うも、確信はできない。
エスティマがこういった顔をすることが稀にあることを、はやては知っていた。
しかし、彼が今と似た顔をしている状況を思い出してみても、共通点は見当たらない。
強いて言えば、任務中であること。任務中に緊張感を持つのは当たり前なのだから、共通点とは言えない。
なんでこんな顔をしているのだろう、とはやては疑問と共に、不安が湧き上がってくる。
聞いてもきっと教えてくれない。隠し事が下手なくせに、エスティマは隠し事をしたがるのだ。それはずっと近くにいるはやてだからこそ知っていること。
きっと今も、何かを隠しているんじゃないか。勘でしかないが、はやては確信していた。
……隠し事なんて。そんなことせんで、頼ってくれてもええのに。
そう考えるも、いや、と自分自身で否定する。
最近になってようやく分かってきたことだが、隠し事をする場合には、隠したい、隠さなければならない、といった二つの違いがある。
はやてもエスティマに隠したいこと――プライベートなこと――と、隠さなければならないこと――聖王教会の仕事――があるように。
部隊長ともなれば、部下に言えないことの一つや二つはできるはずだ。彼が今隠しているのは、それなのかもしれない。
……それでも知りたい。頼って欲しいって思ってしまうのは、きっとワガママやね。
自分は独占欲が強いのかもしれない。
そんなことを考えていた時だ。
「……はやて、ザフィーラ。リインフォース」
「はい」
「行くぞ。戦闘機人プラントが発見されたらしい。それと同時に、違法研究を行っていた研究者も。
防衛用の機械兵器に苦戦しているらしい」
はやてはリインフォースとユニゾンで後衛。ザフィーラが先頭で。そう短く告げると、エスティマは裾を翻して先に行ってしまう。
足元にいるザフィーラに目を向けると、彼は尻尾を一度だけ揺らして、彼の後に付いていった。
はやても遅れないように、駆け足で続く。
「……はやてちゃん」
「なんや、リイン」
「なんだか、空気が重いですよー」
目線の高さで空を飛ぶリインフォースが、がっくりと肩を落として息を吐いた。
この子も場の空気が読めるようになったか、と少しだけ感慨深くなりながら、はやては苦笑する。
「しゃーない。ちょっと大変そうなお仕事やからね。せやけど、大丈夫。
ちゃちゃっと終わらせて家に帰れば、いつもどおりになるよ」
「うー……早く終わらせて帰るです」
肩にへたり込んだリインフォースは、そのままずぶずぶと沈みこんでユニゾンイン。なんとも気合の入らないセットアップである。
スレイプニールを使わず、はやては飛行魔法を発動して宙に浮く。
突入口である地下水道の入り口に遅れて到着すると、片膝をついたエスティマがザフィーラの頭を撫でていた。
しかし、視線だけは間隔を空けてライトに照らされている地下水道に向けられている。
彼は腰を上げるとカスタムライトのロッドを伸ばし、戦闘態勢へと移行すると、サンライトイエローの光に身体を包む。ブリッツアクションか。
本来は空戦魔導師であるはずなのに、最近では陸戦も板に付いてきたエスティマ。これも聖王教会と関わりが深いからだろうか。
シスター・シャッハに感謝するべきなのか、呆れるべきなのか。
「行くぞ。はやて、ザフィーラにブーストを」
「分かった。盾の守護獣に、守りの加護を――」
『――祝福の追い風を』
リインフォースに詠唱が引き継がれ、強化魔法が完成する。
狼形態のザフィーラはくすぐったそうに身を震わせると、一度だけこちらを向いて、下水の流れている隣にある通路を進み始めた。
そうして第三課の任務は開始される。
はやてはエスティマの背中を追いながら、リインフォースと強力していくつもの魔法を構築する。
ある意味、バックアップは何も起きていない時が最も働いているだろう。いざというときのためにフィールドバリアの準備。治癒魔法。追加の強化魔法。バインドの用意。戦闘が開始されれば、自分の身を守りつつそれらを迅速に発動させなければならない。もっとも、すべてをフォローできるが故に彼女の仕事が増えているのだが。
三課に入ったばかりの頃はエスティマと肩を並べて戦いたいと不満もあったが――彼とは相性が悪すぎる。自分と一緒にいたら持ち前の速度を殺してしまうのだ。
脚を止めて戦うならまだしも、移動しながら戦う場合は足手まといになってしまう。
だから彼女は少し離れたところから彼を手助けする。それが一番。
ひたすらに通路を進んでいると、不意に閃光が瞬いた。
迫る熱線をザフィーラが弾くとほぼ同時に、
『ガジェットドローンⅠ型を六機確認』
エスティマとザフィーラに念話を送る。
分かった、と二人から念話が返ってくると同時に、走り続けているザフィーラとエスティマの足元に古代ベルカ式、ミッドチルダ式の魔法陣が展開する。
鋼の軛。地面から生まれ出でたライトブルーの刃で三機の機械兵器が。ザフィーラの背後から放たれるようにして出現した六発のサンライトイエローの誘導弾が二手に分かれて三機のガジェットドローンを食い散らかし、爆散させる。
僅かに歩調を弱めて周囲を警戒してみるが、何もない。はやてがエリアサーチをこの場に残したことを確認すると、三人は再び進軍。
その調子でどれだけの機械兵器を鉄屑に変えた頃だろうか。
不意に通路が途切れ、開けた場所に出る。
目に映ったのは、いくつもの生体ポッド。空のものもあれば、人か、人のようなものが浮いているものもある。
思わずそれに目が行ってしまうが、暗い空間の中、その隅に動く人影を見つけた。
白衣を着た三人の男。それを守るように、二人の女が立っている。長身と小柄。
女の方は二人とも青を基調にしたボディスーツを身に付けている。ただ、小柄な――長い銀髪が特徴的な方はその上にコートを羽織っているが。
彼らを目にして、はやては気を引き締めなおした。
相手が機械兵器ではなく人ならば、エスティマが彼らに――
ぎゅっとシュベルトクロイツを握り締める。しかし、エスティマは一向に口を開かない。
そして、それは向こうも同じだ。はやてたちが管理局員なのだと気付いているだろうに、動き出す気配がない。
……何かあるん?
問いかけようとして、はやてはエスティマの背中へと視線を向けた。
そこで、不自然なことに気付く。
カスタムライトを握る彼の手が震えている。ぶるぶると、切っ先が定まらずに揺れている。
「……エスティマく――」
「……はは」
はやての呼びかけを遮り、エスティマの口から言葉が漏れた。
彼がどんな表情をしているのか、はやてに分からない。ただ、震えていた声からは、濃密な感情を読み取ることができる。
それはきっと、
「ははは……」
歓喜だ。
流石にザフィーラも様子がおかしいと思ったのだろう。こちらを伺うように、戦闘機人を警戒しながらも顔を向けてくる。
しかし、エスティマはそれにも構わず、
「はははは……!」
ひゅん、と風切り音を上げて、手の中でカスタムライトが一回転。
そして切っ先を戦闘機人に突き付けると、
「見つけた……ようやく見つけた!」
『カートリッジロード』
ガン、ガン、ガン、とカートリッジが炸裂する。
「Seven Stars!」
『魔力刃形成』
ガンランスの刃に、サンライトイエローの光が集い魔力刃が形成される。
バチバチと大気を焼く音。左腕でロッドを握っているせいなのか、魔力刃には雷撃が負荷されているようだ。
その時になって、ようやくはやては我に返った。
呆然としている場合じゃない。様子がおかしいならば、まずは落ち着かせなければ――
『――Phase Shift』
しかし、はやてが行動を起こすよりも早く、エスティマは稀少技能を発動させてしまった。
瞬間、彼の姿が掻き消える。ベルカの騎士といえど一握りの者しか反応ができないほどの速度。それをもって彼は戦闘機人へと突撃し――
ガギン、と、酷く重々しい音が連続して、火花が何度も瞬くと共に再び姿を現した。
見れば、手首に魔力刃に似たエネルギー翼を発生させた戦闘機人とエスティマが鍔迫り合いの状態に。
……わけが分からへん。何が起こっとるの?
状況に追いつけないはやてたちを無視して、エスティマは声を張り上げる。
「失せろトーレ! お前は眼中にないんだよ!」
「エスティマ様、私を邪険に扱いますか。なかなかに屈辱ですよ!」
離れた場所にいるはやてたちに聞こえるほど大きく舌打ちして、エスティマは裾を翻す。
鍔迫り合いをした状態のまま脚を僅かに持ち上げ――切り結んでいる方とは違う、石突き。ステップを踏みながらそれを後ろ回し蹴りの要領で蹴り飛ばし、蹴りに乗せた殴打で戦闘機人を弾き飛ばす。
不意打ちを受けた長身の戦闘機人はガードをする間もなく連撃の魔力刃で切り裂かれ、たたらを踏みながら胸元を押さえ、くつくつと笑い声を上げる。
しかし、エスティマは彼女に注意を向けない。
演舞のようにガンランスを振り回し、ステップを踏んで、カスタムライトのカートリッジを更に一発ロード。
刃を振り上げ、エスティマは銀髪の戦闘機人へと身体を向ける。
その際、長い後れ毛に隠れて僅かに覗いた彼の横顔は、口元を三日月のように吊り上げたものだった。
リリカル in wonder
蛍光色の照明に照らされた通路。そこを、青を基調としたボディスーツに身を包んだ少女が二人、歩いている。
浮かび上がった身体のラインは、どこか幼さが残っている。十四、五歳といったところか。
その片方。後ろで髪の毛を束ねた少女――ディエチは、隣にいるセインへと顔を向けた。
「今頃、会ってる頃かな。チンク姉」
「かもなー。感動のご対面ってやつ?」
「そうはなってないと思う」
「だよねー」
ディエチとセイン――というよりは、現在起動しているナンバーズにとって、エスティマとチンクの因縁は半ば常識と化していた。
友達として接して、それが実は敵だった。ありがちな話とは思うが、それは物語だった場合だ。実際そんな状況が身近で起きれば、話の種になるだろう。
事が起こったのはもう随分と前だが、今でもこの話題は引っ張られている。
それは話の中心人物であるチンクが未だにエスティマのことを忘れていないから、というのもあるが、彼女たちの環境が閉鎖的、というのも理由になっているのか。
しし、と笑いながら、セインは会話を続ける。
「まー、トーレ姉とメガ姉も一緒にいるしねー。案外、あの子がこっちに引き込まれたりして。力ずくで」
「かもね。力ずくで」
「けど力ずくで一回ボロ負けしてるからなぁ」
「ボロ負けしてるね」
言いつつ、二人は脚を進める。
行き先は訓練室。日課となっているトレーニングは、嫌な話だが彼女たちにとっては娯楽の一つだ。
訓練室に入ると、既に先客がいた。
バリアジャケットである茶色の外套を翻しながら、淡々と槍を操っている姿。
ゼスト・グランガイツ。レリックウェポン二号機。エスティマが試作機ならば、実験機とも言える存在。
彼はセインたちを一瞥するも、反応はそれだけだ。腕を休ませることなく、日課のトレーニングを行い続ける。
相変わらず無愛想、とセインは彼から視線を外すと、ディエチと共に訓練を開始した。
どちらも直接戦闘を行うタイプではないので、コンビネーションを。
そうして一時間ほど身体を動かすと、彼女たちは腕を止めた。
この二人でできることはそう多くない。やはり他の姉妹たちがいないとどうも――と。
これから何をしようか、などと考えていると、訓練室に小さな影が入ってきた。
五歳ほどの少女。紫の長髪と、黒を基調とした、フリルの多い服が特徴的な。
ルーテシア・アルピーノ。彼女もまた、ゼストと同じレリックウェポン。その三号機。
だが、その物騒な身の上とは思えない仕草――胸に四つのボトルを抱えて、無表情ながらも必至そうな様子――を見せながら、彼女はふらふらと歩いていた。
彼女はゼストへとボトルを渡すと、一言二言交わしてセインたちの方へと。
「……はい」
「ありがとうございます、ルーお嬢様」
「ありがとう」
「……ん」
小さく頷き、彼女は手元に残ったボトルに口を付ける。自分の分も準備していた辺り、妙にしっかりしている。
両手で持ったボトルから伸びるストローをちうちうと吸う姿に、和むー、とセインは表情を弛ませる。
「お嬢様は訓練したりしないんですか?」
「しなくて良いって、ゼストが」
「そうですか。ま、いつ何があるか分かりませんから、魔法の訓練はやっておいた方が良いと思いますよ」
『セイン』
『何さディエチ』
『こっち睨んでる』
誰が、とは言わないが、なんとなく察することができた。
顔を向けず、指先のペリスコープをゼストの方へ。ディエチが念話で言うように、こちらを睨んでいた。
……まー、悪い虫っちゃあそうなんだろうけどさぁ。
「んじゃあ私たちはこれで。飲み物、ありがとうございました」
「……うん」
それじゃ、とルーテシアに手を振って、セインたちは訓練室を後にする。
そしてドアが閉まると同時に、どはー、と息を吐いた。
「ゼスト様、やっぱ私たちのことを嫌ってるねぇ。その内態度も軟化するかと思ったけど、ありゃあ駄目かも」
「仕方がないとは思うけど」
「ま、一度殺された上に兵器として復活させましたー、なんて言われたらしょうがないだろうけど。
でも、殺気立つことないだろうにねー」
言いつつ、二人は通路を歩く。
そうしていると、ふと、通りがかった分かれ道で見知った顔を見つけた。
培養ポッドを見上げる小さな姿。一声かけようかと思うも、セインは止めて脚を進める。
「ルーお嬢様もそうだけど、やっぱり親って大事なもんなのかねぇ」
「大事なんじゃないかな。良く、分からないけど」
「私らの場合はドクターだけど……親って感じがしないしなぁ、あの人」
脳裏にスカリエッティの顔を思い浮かべてみるが――喜色全開で笑い声を上げる光景が浮かび、思わず溜息。
「まぁ、私たちには分からないことだ」
「そうだね……って」
ディエチが脚を止めると同時に、セインも脚を止めた。
そして、通路を歩く三人の姿に目を見開く。
「ちょ、三人ともどうしたの!?」
「すまん。手を貸してくれ」
現れたのは、トーレ、クアットロ、チンクの三人だ。
任務から帰還したのだろうが――何があったのだろう。彼女たちの姿は、誰でもそう思ってしまうであろう有様だ。
チンクは身に纏ったシェルコートが引き裂かれている。頬に細かい切り傷があるが、怪我と言ったらその程度。
他の二人、気絶してチンクに引き摺られているトーレとクアットロ。トーレの方は、右腕が嫌な方向に折れ曲がっている。青色のスーツは赤黒く染まっているが、どうやらそれは返り血のようだ。
トーレと比べれば幾分マシだが、クアットロも普段の余裕ある様子からは考えられない状態。
眼鏡のレンズは割れて蜘蛛の巣状に罅が入り、フレームが辛うじて耳に引っかかれていた。縛った髪の毛は解け――いや、片側が見事に切り取られているのか。
「いや、油断した。リミッター付きだとしても、技量は変わらないものだな」
「……油断したの、クアットロだろうね」
「いや、冷静すぎない二人とも!? ドクター、急患ですー!」
「……よし、終了。左腕はまた後日。
薬は窓口で受け取れ」
「どうも。いつもすみません」
「いつも、だな、本当に。こっちは常連なんか欲しくもないんだが」
そう言って舌打ちする医師に、思わず苦笑。
目の前にいる中年男性は、俺の専属とも言って良い医師だ。中将と共闘することになってから、ずっと身体の調子を見てくれている人。
最初の頃はもっと口調が丁寧だったりしたのだが、今はこんなんだ。
まぁ、ことある毎に病院のお世話になっているから、恨み言の一つや二つ言われてもおかしくないんだが。
空いている左腕で、額に触れる。包帯のざらざらとした感触。フィアットさんのISで起こった爆発を防ぎきれず、ぱっくり額が割れました。
ちなみに右腕はトーレと刺し違えて、あわや切断、と。捕まえたぁ!→バスターコレダー! のノリです、はい。
その他、五カ所の打撲と骨にヒビ。魔法で治療されたから重傷というわけではないけれど、二、三日は戦えないだろう。
……くそ。
折角、あの人と会えたっていうのに取り逃がしてしまった。
次のチャンスが巡ってくるのがいつになるのか分からないっていうのに――
「スクライア執務官」
「あ、はい」
思考に没頭しようとしていたところに、医師の声が届いた。
顔を上げると、彼は呆れ顔でカルテを机の上に並べている。
「この間見せて貰ったリミットブレイクのプランなんだがな」
「はい。何か問題が?」
「……リミットブレイクそのものが医師としては頭痛の種なんだが、まあいい。
意見が欲しい、ってことだが、これはどういう意味だ?
死なない範囲でどこまで戦えるか、ってのを予想しろってことか?」
「はい、その通りです」
「ああそうかい」
再び舌打ちされた。まぁ、当たり前か。
彼はしかめっ面のまま、トントン、と机を指で叩く。
「何度も言ったし、あんたも耳タコだろうが、もう一度。
死にたがりの人間を治すのは、俺の大嫌いなことの一つでな。
治してもそれを嘲笑うようにまた怪我をされちゃ、たまったもんじゃない。治す甲斐がないわけだ。
……仕事だから手は抜かないがな。
だがそれでも、言わせてもらおうか。
死んでもやらなきゃならないことなんて、ないんだよ。生きてこそ、だ。
死に急ぐ執務官様は、そこら辺を分かっているんでしょうかね?」
「分かってますよ。だから、ギリギリのラインを見極めて欲しいんです」
「っとうに……!」
苛立たしげに頭を掻きむしると、彼は深々と溜息を吐いた。
そして手で目元を覆うと、自分自身を落ち着けるように深呼吸する。
「……まあいいさ。
で、リミットブレイクだが。
俺の予想では、三回。負荷、魔力量から考えて、これが限界だ」
「そうですか。もっといけると思っていたんですが」
「普通の人間なら、このリミットブレイクを三度も使うことはできない。負荷に耐えることも。
……レリックウェポンに改造されたのだとしても、魔力放出量やらなんやらが飛躍的に上がったわけじゃないんだ。
大魔力に対応した身体に生んでくれた両親に、感謝しろ。
もし並の身体ならば、とっくの昔に壊れてる」
「そうですね」
言いつつ、苦笑する。
フェイトの失敗作なのだとしても、人造魔導師として作られたこの身体のポテンシャルは高い。
それを証明するように、俺は原作のゼスト隊長のような身体の不調を感じたりはしていないのだ。
古いベルカの血を引く隊長は、あまり魔力量が多い方ではなかった。だからこそ、インプラントされた魔力結晶体の生み出す莫大な魔力に身体が耐えられなかったのではないか。
しかし俺は、九歳の時点でAAランクの魔力を持っている。だからこそ、魔力を持て余して、目に見えるレベルで身体を傷付けるようなことはない。
……もしレリックウェポンなんかに改造されなかったら、最終的にはどこまで魔力量は伸びたのだろうか。
今更なことを考えながら、席を立って医師に頭を下げる。
またよろしく、と声をかけたら、殺されそうな目で睨まれた。……他意はないんだけど、やっぱり不謹慎だったか。
通路を歩きながら、頭を締め付ける包帯と、首にかかる違和感に痒みを覚える。
首から吊した右腕が重い。数日でおさらばとはいえ、このまま生活をすると考えると気が沈む。自業自得なんだけどね。
この後はどうしようか。時刻はもう夕方の六時。一度隊舎に寄るべきなんだろうけど――
そんなことを考えていると、通路に置いてあるベンチに見知った顔を見つけた。
「……エスティマ、おめぇ、どうした?」
ゲンヤさん。陸士の制服を着た彼は、目を見開きながら腰を上げる。
なんでまたこの人がこんな所に。
「えと、任務でドジっちゃいまして……」
「大怪我じゃねぇかよ。大丈夫なのか?」
「痛覚は魔法で切ってますから、動く分には問題ありません。二、三日で完治するようですし」
「それなら良い……良いのか? まぁ、問題ないならかまわねぇが」
と、胡散臭い目で俺を見るゲンヤさん。
え、何その視線。不思議生物でも見るような。
「ゲンヤさんはどうしたんですか? 先端技術医療センターなんて、滅多に来る場所じゃ……」
そこまで口にして、ああそうか、と納得する。
ゲンヤさん本人に必要はなくても、ギンガちゃんやスバルには関係があるのか。
定期検診か何かだろうか。
しかし、どうしよう。口にした言葉は引っ込めることができない。
俺にかけられた言葉に、ゲンヤさんも目を逸らしている。
「えっとな……えーと、そう、そうだ。痔が酷くてよ」
「……そ、そうですか」
「そ、そうなんだよ」
……酷い切り返し。何も言えない。言うつもりもないけど。
「……お大事に」
「おう」
身体を張った嘘ですか。……嘘だよね?
どんな目でゲンヤさんを見れば良いんでしょーか、と言葉に出来ない心地となる俺。
話を逸らさないと。
「えと、そうだ。この間の件、ありがとうございます」
「ん? ああ、気にすんな。優秀な魔導師が入ってくれれば、それだけでこっちは助かるんだからよ。
それに、そう何度も礼を言われちゃ、逆にこっちが畏まっちまう」
そう言い、笑うゲンヤさん。
この間の件とは、シグナムのこと。
あの子が所属する部隊は、陸士108部隊になることが半ば決定しているのだ。
最初はヴァイスさん辺りにでも頼もうと思ったのだが、俺が介入したおかげで幸か不幸か、あの人は一人のエース級魔導師として日々こき使われている。
そんな状態のあの人にシグナムを預けても、酷い重荷になるだろう。
任務をこなしつつ、他のことも。それがどれだけ負担がかかるかは、分かっているつもりだ。
そうなると、俺が頼りに出来るのはゲンヤさんしかいなかった。
クロノに頼むのも手だろうが、シグナムを海にやれば俺との距離が離れ、きっとあの子は今以上に切羽詰まった状態になるだろうから。
「シグナムのことは任せておけ。あんま口にすることじゃねぇんだろうが、俺の部隊は人間できてる奴らが多いと思ってる。
可能な限り俺も気を配るから、心配しねぇでお前は自分の仕事をやってろ」
「すみません」
「だからもう良いって」
そうしてると、
「あ、見付けた! エスティマくん油売ってないで、はよう帰ろ――」
通路を早足で通りかかったはやてが、俺に気付いた。
「あれ、はやて? なんでここに?」
「なんでって……エスティマくんの診察が終わるのを待っとったんよ」
「先に帰っても良いって言ったのに」
「なら、帰らなくてもええやん」
「そうだけどさ」
俺の言葉に唇を尖らせるはやて。どうやらご機嫌斜めの様子。
……っと、そうだ。
「あ、ゲンヤさん。紹介します。この子、三課で働いてくれている――」
「八神はやて、言います。……って、あれ?」
はやてはゲンヤさんの襟元に付いている階級章を見ると、慌てて姿勢を正して敬礼を。
その様子に驚きながら、気にすんな、と苦笑する。
「よろしく、ゲンヤ・ナカジマだ。陸士108部隊の部隊長をやっている。
しかし、仲良いみてぇだなお前ら」
「ええ。九歳からの付き合いだから……もう、五年になりますね」
「五年かー……なんや、もっと長い気がする」
「そう? 俺は短い気がするけど」
「そりゃエスティマくんは駆け足に色々やってたからなー。
私だってここ数年はエスティマくんと一緒やから、早く過ぎたなー思うけど」
などと会話しつつ、ゲンヤさんも忘れないように話を振らないと――
と、顔を向けたら、何やらニヤニヤとした笑みが向けられていたり。
……何?
「幼馴染みかお前ら」
「まぁ……そうなるんでしょうね。少し遅めですけど」
「こっから長い付き合いになるんだろうから、幼馴染みさ。なぁ? 八神の嬢ちゃん」
「えっと……はい、そうですね」
こくり、と頷くはやて。
まぁ、そうだろうけど。
「エスティマ。幼馴染みってのは、大事なもんだからな。歳を取ると自分のことを分かってくれてる奴ってのは減っていくもんだ。大切にしろよ」
「あの……」
はやては少しだけ顔を俯かせると、何やらもごもごと口にする。
「幼馴染みで終わらせるつもりは、ないんで……」
「ん?……おー、そうか。
なんだエスティマ。お前ぇ、不憫かと思ったらそうでもないんじゃねぇか!」
「いや、この怪我とかどう見ても不憫……ってマズイマズイ! 背中叩かないでゲンヤさん!」
痛覚切ってるからその分怖いよ!
悪い悪いと謝るゲンヤさん。
そのまま会話を続けていると、彼は時計を見て立ち上がった。
娘たちがもう出てくる頃なのかな。変に食い下がったら迷惑になるだろうから、はやてと一緒に先端技術医療センターを出る。
話し込んでいる間に、とっぷりと陽が沈んでしまった。車のライトと街灯が照らす夜道を、ゆっくりと歩く。
「なぁ、エスティマくん」
車の騒音に負けないよう、はやてが大きめの声を上げた。
なんだろうか。電灯が点いていると言っても、暗いものは暗い。
上手く表情を読み取れないでいると、彼女は先を続ける。
「あの人がシグナムを引き取ってくれる人?」
「そうだよ。男手一つで娘二人を育ててる立派な人だ。あの人なら、きっとシグナムを悪いようにはしないさ」
「そか。少しだけ胸が軽くなったなー。
それにしてもエスティマくん、あんな偉い人と知り合いやったの? 最初見たときは普通に話してたから、驚いたわ」
「ん、プライベートでね。三課……今の状態になる前の三課で、俺の面倒を見てくれた人がいてさ。
その人の旦那さんが、ゲンヤさん」
「……女の人?」
「うん。ギンガちゃんにそっくりな――ああ、ギンガちゃんは、その人の娘なんだけど――」
「ふーん」
話の途中なのに、興味なさげな相槌を打たれた。どうやらまたご機嫌斜めな様子。
どうしたんだろうか。
「はやて、何かあった? 妙に不機嫌だけど」
「べっつにー。……いや、あったわ、不機嫌な理由」
え、何その今思い出したみたいな言い方。
「エスティマくん、今日の任務でなんであんな馬鹿みたいなことしたの?」
と、いきなり口調に怒りの色が混じった。
……その内、言われると思っていたけどさ。
「ノープランで突っ込むから、ザフィーラも私もどうフォローして良いかさっぱりやった。
隊長さん、指示も出さないで何やっとんの?」
「う……それは……」
「それで二対一で袋叩きに合って大怪我。戦闘機人がもう一人いるのに私らが気付かなかったら、もっと酷いことになっていたかもしれへん。
もう自重してとか、そういう次元じゃない」
ぐうの音も出ない。
……そう。本日の任務であった内容は、はやてが言ったような感じである。
ナンバーズを前にして目の前が真っ赤になった俺は、そのまま突撃。トーレを半ば無視する形でフィアットさんを捕らえようとしたが、邪魔が入って散々なことに。
最終的にはトーレと相打ちの形で俺は戦闘不能になり、ザフィーラに首根っこを咥えられて長距離転送で離脱。
その後、はやてのデアボリックエミッションで区画ごと魔力ダメージを叩き込むという力業で決着となった。
しかし、俺たちが退いた後に送られた陸士部隊の報告によると、戦闘機人の姿はないという。逃がしてしまったわけだ。
冷静になった今ならどれだけ自分が馬鹿なことをしたのか分かるが……またナンバーズが目の前に現れたら、落ち着いて戦えるかどうか。
「……あんな、エスティマくん」
「うん」
「今日のエスティマくん、らしくなかった。
それに戦闘機人を見たときの、ようやく見付けた、ってどういう意味?
何か理由があって無茶をしたなら、それをちゃんと教えて。
じゃなかったら、また今日みたいなことが起きる。
……私は、エスティマくんに怪我して欲しくないんよ。危ない目にも、遭って欲しくない。
三課が陸の主力として扱われているんやから、私が馬鹿なこと言ってるんは分かってる。
けどそれでも……」
言いながら、はやては腕を持ち上げて、俺の左袖をきゅっと掴んだ。
言葉にできない何かを訴えてるような、そんな行動。
脚を止め、どう言ったら良いものかと考え込んでしまう。
……本当、どこまで言ったら良いものか。
「……あのさ、はやて」
「うん」
「さっき言った、前の三課の話なんだけど。
……部隊が壊滅した事件には、あの戦闘機人たちが絡んでいるんだ。
だからどうしても、彼女たちを見ると大人しくしていられない」
「……仇討ち?」
「どうだろう。それとは違うんだけどね。
……罪を。そう、罪を償わせたいんだ」
「ん……ちょお、難しいな」
はやては困ったような口調で口を開くと、袖から手を離した。
そして今度は、ゆっくりと、俺の手へと。
手を重ねるのではなく、指と指を重ねる形で手を繋ぐ。どこか遠慮しているような。
はやての手は、なぜか汗でしっとりと湿っていた。
気温が高いわけでもないのに、どうしたのだろうか。
「はやて?」
「よう分からへんけど、エスティマくんがそうしたいってのだけは分かったわ。
けど、それと無茶は別。放っておいたらどっかに飛んで行ってしまいそうなエスティマくんは、捕まえておかんとな」
ほな帰ろ、と口にすると、はやてはプイっと顔を逸らしてしまった。
どんな表情をしているのか分からない。まだ不機嫌なのかねぇ。
どうしたもんか、肩を竦める。
――そうすると、首から提げていたリングペンダントが動いて心地よい音が響く。
チリン、と。
握り締めると、チリン、と、手の中のリングペンダントが音を上げる。
それをじっと見つめながら、ナンバーズの五番。チンクは小さな息を吐いた。
仰向けにベッドへ寝転がり、投げた四肢がシーツに皺を作っている。
……アイツ、背が伸びていたな。
隣立ったらどうなっているだろうか。もう、私の方がずっと低いんじゃないか。
そんなことを考えて、彼女は口元を綻ばせた。
しかし次の瞬間には、自分自身を戒めるように引き結ぶ。
久し振りに出逢ったエスティマは、自分のことを目にして、驚くほどに戦意を高揚させていた。
あの夜に交わした約束を、忘れていないのだろう。
それが嬉しいと思う反面、どうしたものか、と考え込んでしまう。
エスティマが自分を捕まえ、罪を償わせる。彼の決めたルールはそれだ。
しかし、それは果たされるのだろうか。
分からない。
いつまでもエスティマに甘えては悪いと分かっている。戦闘機人事件から三年だ。三年経って、ようやく顔を合わせることができた。
しかし、自分から捕まりに行くのは何か違う。
ここまできて管理局に自首するなど、どんな尻軽だ。それに、エスティマへの負い目もある。
彼が決めたことにぐらいは従ってやらないと。我ながら不器用だと分かっているが、しかし、もう二度と彼を馬鹿にするようなことはしたくないのだ。
「次に会えるのは、いつだろうか」
どんな状況で会えるのだろうか。今度は負けてしまうのか、勝ってしまうのか。
……駄目だ。妄想が止まらん。
いかんいかん、と枕に顔を埋めて、チンクは呻き声を上げた。
暗い、暗い部屋。
天然の光源は何一つなく、部屋を照らす物は人工的な、蛍光色のライト。
いくつものディスプレイに囲まれ、手元の鍵盤型キーボードを叩きながら、黄色の目を爛々と輝かせる男がいる。
目の下にできた濃い隈が瞳の輝きを助長して、彼の印象をより狂気的な方向に強めていた。
ジェイル・スカリエッティ。碩学にして狂人。違法研究に手を染めなければ、間違いなく歴史に名を残しているであろう天才。
彼はモニターに映る戦闘映像を見ながら、どこか不満げに溜息を吐く。
それでも、楽しそうな表情は変えずに。
「ふむ。限定解除をせずとも、トーレとは互角に戦うか。
隠密行動しかできない故の経験不足が、ここに来て響いているのだろうか。
このままではその内、押し切られてしまいそうだよエスティマくん」
そう、今のままでは。
「ドクター」
すっと、暗がりから女が姿を現す。
ナンバーズ・ウーノ。彼女はスカリエッティに近寄ると、脇に抱えたバインダーを手渡す。
受け取ったそれを流し読みながら、スカリエッティは小さく頷く。
くつくつと、喉を鳴らして。
「同士たちの準備は、整ってきているようだね」
「はい。作戦の要である転送魔法も、アルザスの魔導師を捕らえたことで調整できました。
あとは、ガジェットの生産が規定数に達するのを待つのみです」
「よろしい!」
ウーノの報告を聞いて、スカリエッティは靴の踵を鳴らし、両腕を開き、振り上げる。
「ははは、嗚呼、楽しみだ! 楽しみだとも!
そうだろう、ウーノ?」
「はい、ドクター」
スカリエッティの喜びようになんら疑問を持った様子も見せず、彼女は笑い声を上げる彼に笑みを送る。
これから起きることを想像するだけで、徹夜に徹夜を重ねて蓄積した疲労も吹き飛ぶというものだ。
興奮を抑えられないと言うように身体を震わせ、スカリエッティは唐突に身を折り、不気味な格好でキーボードを叩く。
蠢く指の動きが尋常ではない。それが彼の胸中を表しているかのよう。
「遂に、遂に迫ってきた、この時が!
私が真の敵になる時が。エスティマくんが真の敵となる時が!」
キーボードを叩き、いくつものディスプレイが浮かぶ。
そこには稼働中のナンバーズが映されている。
Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ、Ⅹ――
「私の娘たちが最大級のもてなしをしよう!
……君は満足してくれるかね? 私を満足させてくれるかね?」
――Ⅷ、Ⅸ、ⅩⅠ、ⅩⅡ
本来ならばこの時期に起動していないはずのナンバーズ。Type-Rの名を持つ者達も。
歓喜が多分に含まれたたった一人の喝采が、研究所に響く。
――カウントダウン・0。
彼の秒読みは、ようやく終わった。