曲がり角を曲がったのび太。
通路を直進していたゴルゴ。
15メートルの距離を置いて二人は、初めて対峙した。
最初、何が始まろうとしているのか、のび太はまだ理解していなかった。
目の前にいるゴルゴ13を見ても、顔の怖いおじさん、という程度の認識しかもっていなかった。
差し迫った危険に反応したのは、頭脳ではなく、あまたの危険をくぐり抜けてきた本能の方であった。
ふいに、のび太は、手足の動きが鈍くなっていることに気づいた。
まるで、濃い糖蜜の中を泳いでいるかのように全身に強い抵抗感を感じる。
いや、違う。
これは、自分の動きが遅くなったのではない。
感覚のほうが暴走し、手足の反応を超えるほど研ぎ澄まされているのだ。
窮地の予感が、脳の奥底に封印していた記憶を呼び起こす。
思い出すのも恐ろしいが、かつて一度だけ、これと同じようなことが自分の身に起こったことがある。
(ギラーミン!!!)
一瞬、コーヤコーヤ星で一騎討ちを演じた最強の殺し屋の姿が、男に重なる。
気づけばのび太は目の前の男に向けてショックガンを構えていた。
のび太 VS ゴルゴ13
ACT3「撃鉄」
日ごろ、身を置いている環境の差であろうか。
のび太とは対照的に、ゴルゴは一目見た瞬間に、目前の少年が只者ではない事をみとめた。
常人の目には、ショックガンを構えたのび太の姿は、おもちゃを持った子供にしか見えない。
しかし、ゴルゴは戦場において少年兵は珍しいものではなく、銃を持った子供はときに大人以上に危険な存在であることを知っていた。
そして、今彼の目の前にいるのは、半端な軍事訓練を受けた少年兵以上の存在だった。
暗殺者の目は、のび太の完璧な射撃姿勢を見逃さなかった。
足腰は大樹の幹のごとく大地を踏みしめながらも、上半身と腕は柳の枝よりもしなやかに。
努力だけでは決して手に入れることはできない。
真に才能を持つ者だけに許される、芸術品のような立ち撃ちの姿勢であった。
並みのプロなら、こんな隙のない構えを向けられたとたん、その圧力に耐え切れずに、自分から姿勢を崩して、簡単に打ち倒されていたかもしれない。
だが、ゴルゴほど並みや普通という言葉に縁遠い男はいなかった。
銃をホルスターに収めたまま、未知の武器を突き付けられている。
そんな危機的な状況にもかかわらず、男の目は、絶対零度の冷静さを保ち続けた。
視線を少年の方向に据えながら、ゆっくりと腰を落とす。
左手の指を、軽くスーツの襟を引っかけた。
だらりと下げた右手は指先まで脱力弛緩し、いつでも神速のスピードで動きだせる準備ができている。
居合の達人ですら羨む、見事なゴルゴの抜き打ちの構えであった。
そして、二人の時間が止まった。
15メートル、二人の間に横たわるその距離が問題だった。
射撃の達人が撃ち合うには近すぎる間合い、しかし言葉をかけるには遠すぎる距離。
もし、声を張り上げようと息を吸いこめば、それが致命的な隙につながりかねない。
男から漂う気配に呑まれ、のび太は動けなかった。
少年の出方を探るために、ゴルゴは動かなかった。
確実な勝利につながる糸口を見いだせないまま、時間と緊張感だけがつのっていく。
静かに向かい合う二人の頭上で、表面張力の限界に挑戦するように金属管に浮いた水滴がゆっくりと育っていた。
■ ■ ■
覚醒から約600秒が、経過した。
始めの頃、感じていた戸惑いも消え、クァール猫は、自在に建物の中を駆け巡っていた。
故郷の惑星は、地平線の果てまで広がる不毛の荒野。
このような複雑かつ巨大な構造体は、存在しなかった。
しかし、液体のように柱の間をすり抜け、触手を使って振り子のように鉄骨から鉄骨へ移動していると、自分がここで生まれ育ったような気になってくる。
そして、もうひとつ。
ここには、故郷の星では、めったにお目にかかれなかった素晴らしいものがあった。
それは豊富な喰餌(エサ)、温かなカリウムをたっぷりと詰めたクァール猫の命の元。
激しい渇きと悦びが、同時に体の奥から湧き上がる。
すでに、魔獣の超感覚は、この構造体の中に何匹も獲物がいることを感じ取っている。
しかし、殺戮本能に従って獲物に這い寄る前に、クァール猫は足を止めた。
さっきから、ずっと自分を眺めているやつの気配がする。
前回の狩りの時も、こんな風に監視されていたというおぼろげな記憶がある。
いや、ただ覗き見するだけではない。
こいつは、狩りの邪魔もするのだ。
前回の時も、前々回の時も、その前の時も。
いつも、狩りが興に乗ってきたとたん、あの不可視の観察者の邪魔が入り、クァール猫はあと一歩と言うところで獲物を逃してきた。
だが、今回の狩りの邪魔はさせない。
次の狩りも、その次の次の狩りも。
そのために、気の遠くなるような時をかけて、罠を仕掛け、機会を待ち続けてきたのだ。
コンクリートの床に腹ばいになり、巻きひげ状の耳をぴんと立てる。
かつて、クァール猫を創造した太古の文明は、強靭な肉体以外にも精密なエネルギー操作能力を彼らの種族に授けていた。
その能力を使って、体の一部を電磁波に変えると、魔獣は、怨念を込めてそれを観察者の方へと送り返した。
■ ■ ■
星々のような光が煌めく、電脳空間の中。
宇宙にも似たその世界の中に、絹のような光沢の薄衣を羽織った金髪の少女が浮いている。
『デンジャーシミュレーター』のサポートAIである。
この少女の姿が、彼女本来のアバターなのだが、さきほどは小学生ののび太には刺激が強すぎると判断して幾何学模様の立体映像を使っていたのだ。
今、サポートAIの視線は、電脳空間に浮かぶ巨大なスクリーンに釘付けになっていた。
スクリーンには、彼女の一番新しい主人が、険しい顔つきをした男とにらみ合っている姿が映し出されている。
訓練の途中に武器を持った第三者が、乱入するだけでも十分な異常事態だ。
その侵入者が訓練生と戦闘状態に陥るなど、これはもう前代未聞の大事件であった。
おまけに、この主人は彼女の記録の中でも一、二を争う頼りない人物と来ている。
いそいで外部と連絡を取るために、通信用のタッチパネルを手元に呼び出した。
しかし、手を触れようとしたとたん、白く燐光を放つパネルにひびが入った。
黒い水のようなものが亀裂から染み出し、吸盤を備えた触手となって少女に襲いかかる。
【クラッキング攻撃! 何時の間に、私の中にウィルスが!?】
触手を引きちぎり、ワクチン・プログラムで分解する。
だが、千切っても、千切っても、新しい触手が空間から湧き出し、四方八方から襲いかかってくる。
やがて怒涛のウィルス攻撃に、免疫ソフトが間に合わなくなり、攻性防壁を兼ねた衣装が少しずつ黒い波に浸食され始めた。
【これは、クァール。こんな能力を隠していたなんて、今まで猫をかぶっていたということですか!】
じりじりとクラッキング攻撃に押されながら、サポートAIはスクリーンに向かって叫ぶ。
【マスター、緊急事態です! 私の機能が乗っ取られようとしています! いそいで、リストバンドをはずして、この場から退避してください! ……マスタ?】
突如、スクリーンの上を走る砂嵐。
映っていた少年の姿が消え、嘲笑う黒豹の顔が画面を埋め尽くす。
機械らしからぬ絶望が、サポートAIを襲った。
通信機能と音声機能を完全に制圧された。
もはや、外部と連絡をとる手段が……ないっ!
「マスタッ……逃げて……」
スクリーンが音を立てて、砕け散る。
雪崩打つ銀河の輝きとともに、黒豹の頭部が少女めがけて降下する。
とっさに、身を守るために、手を掲げた小さな体を巨大な顎が一呑みにする。
今や、電脳空間で唯一の存在となった黒い獣は高らかに勝利の雄たけびを上げた。
自由だっ!
もう、誰にも邪魔はさせない!
俺は、自由なんだ!!
■ ■ ■
地面に身を伏せていたクァール猫が、黄金の瞳を見開いた。
黒い体毛が逆立ち、雷光のような凄まじい力が全身から噴き出した。
痛覚のカットをはじめとする、無数のプロテクト。
訓練生を殺傷しないように獣を縛っていた不可視の鎖が、次々に音をたてて弾け飛ぶ。
そして、最後の呪縛が砕け散った瞬間……。
幻覚を現実に変える、『デンジャーシミュレーター』の力が、クァール猫のものとなった!
突然、巨体が跳ね上がり、前足が手近にある鉄骨の一つを一閃。
前足に隠されていた鋭い爪が鋼をバターのごとく抉り取り、深いわだちを残す。
言いようのない歓喜が、クァール猫の身体を貫いた。
ついに、手に入れた!
もはや、この体はこけ脅しの立体映像ではない。
叩き潰し、引き裂き、殺し、啜り、食らうための本物の肉体を手に入れたのだ!!
闇の中を黒い稲妻となって、獣は走る。
目の上のたんこぶだった監視者を片づけた今、彼と餌を遮るものは、もうどこにもいない。
現在、この構造物の中には、五匹の喰餌がいる。
縄張り争いをしているのか、睨み合っている手ごわそうな気配が二つ。
その気配を遠巻きに観察している、雑魚が三匹だ。
あらゆる狩りに通じる定石として、クァール猫はまず、雑魚の方に向かった。
近づくにつれ、餌たちの囀りが聞こえ始めた。
「おい、あいつ、さっきから何をしているんだ?」
「わっからねえ。ここからじゃあ、よく見えねーだよ」
「なあ、あいつは何かに気を取られているみたいだし、俺たちだけで襲ってみないか?」
「馬鹿言え。兄貴から、あの男は普通じゃねえ、ってさんざん言われただろうが。早く携帯で応援を呼べよ」
「へへへ、それもそうだな。今の内にこのビルを包囲して逃げられないようにしてやるぜ」
空気振動を連絡に使っているとは、なんと非効率的な生き物なのだ。
それに、ここまで接近しても、まったく気づく様子がないとは、なんと鈍い奴らなのだ。
こんな下等な連中は、食われて完全生物である自分の一部となった方が、幸せというもの。
音もなく、この雑魚どもを食い殺すのは容易いことであった。
しかし、手を下す寸前、もっと良い考えが魔獣の狡猾な頭脳の中に生まれた。
食われる前に、この前菜どもにはもう少しだけ仕事をしてもらうことにしよう。
肉球で足音を消しながら、そろりそろりと餌どもの背後に近付いていく。
何も知らない奴らの一匹が、外と連絡を取るために携帯式の通信機器を開いた。
その画面から漏れる光の輪の中に、わざと巨大な頭部を突っ込ませた。
闇から明るい場所に入ったせいで、金眼の瞳が針のように細く尖っていくのを感じた。
捕食者の存在に気づいた雑魚たちの顔は見ものだった。
その滑稽な表情に一時、耐えがたい飢えさえも忘れた。
鈍そうな雑魚は、自分が見たものを理解できなかった。
頭の回る雑魚は、自分が見たものを必死に否定しようとした。
餌たちの前で口を大きく開く。
湾刀のような牙の列、ざらざらした大きな舌、その奥に続く赤黒い闇。
貴様たちは、これからこの中に入るのだぞ、と言い聞かせるように見せてやった。
黒い獣は、一言も吠え声を発しなかった。
だが、餌たちは、在りもしない咆哮に打たれたかのように自分から吹っ飛んだ。
手から離れ、床に落ちた通信機器がくるくると遠くへ滑っていく。
恐怖と闇が、視界を黒く塗りつぶす。
そして、クァール猫の思惑通り……
三匹の雑魚たちは一斉に、懐の銃を抜き出した。
■ ■ ■
―――負けるもんか。
コーヤコーヤで、殺し屋ギラーミンと戦った前に、口にしたセリフを心の中で繰り返した。
自分が決闘に勝ったときの記憶を、何度も掘り起こす。
目の前に立つ、冷たい男の威圧感にあらがうために。
ゴルゴは、動かない。
その瞳は風のない湖面の如し、決闘を前にした動揺は、微塵も感じられない。
のび太の視界の中で、逞しい体が一回り大きくなったように見えた。
―――僕が、負けるもんか!
萎えそうになる勇気を振り絞る。
これまで、くぐり抜けてきた冒険の旅を必死に思い出す。
白亜紀へ行った、覆面の男たちと戦った。
宇宙へ行った、ギラーミンたちと戦った。
魔境へ行った、邪悪な大臣たちと戦った。
海底へ行った、ポセイドンたちと戦った。
魔界へ行った、魔王や悪魔たちと戦った。
宇宙へ行った、ドラコルルたちと……
今まで積み重ねてきた勝利の記憶を燃やして、心の力の糧とする。
まるで、夜の闇に怯える人間のように……。
ゴルゴは、動かない。
その手足は静かな火山の如し、金剛不動の姿勢の中に、途方もない力を感じさせる。
過去の栄光など、この男の前に何の意味もないような気になる。
のび太の視界の中で、ゴルゴの姿がさらに大きく膨らんでいく。
―――僕が、こんな奴に負けるもんか!!
ついに思い出の種も尽きた。
ゴルゴは、動かない。
しかし、その影は、すでに山脈のごとき大きさでのび太に圧し掛かっている。
その頂上で、氷のような眼が冴え冴えと冷たい光を放っていた。
巨大な暴風雨を前にした蟻のような気持ちになる。
なけなしのプライドや勇気が、今にも吹き飛ばされそうになる。
―――僕は……
勇気と言う圧力を失った一瞬、心に開いた隙間に冷たいものが流れ込んだ。
それは人間にとって最も原始的な感情……恐怖。
怖い、怖い、怖い、怖い怖い怖いコワイコワイコワイコワイ!!!
一端、心の中に侵入した恐怖は、たちまちの内に水みたいに踝を洗い、腰にまとわりつく。
そこへ、さらにたたみ掛けるように残酷な現実がのし掛かってきた。
のび太は、この勝負が自分にとって不味い方向に傾いていることに気づいた。
さっきから、ずっと銃を構えている右腕に微かなしびれが生じたのだ。
子供でも扱える軽い未来の銃を使ってきたのび太は、片手で銃を撃つことに慣れてきた。
片手撃ちの不利をものともせず、たいていの敵は、一瞬で仕留めることができた。
だからこそ、今のように長い時間、銃を構える必要はなかった。
一度、意識した痺れはあっという間に肩まで広がり、すぐに無視のできないものになった。
トレーニングをしていない非力な子供の腕は、何分間も射撃姿勢を維持するようにできていない。
あと30秒も経てば手が痙攣をはじめ、構えを保つことができなくなる。
いや、すでに引き金を引くのにコンマ1秒か2秒の遅れが出ているはずだ。
それは、実戦において容易に生死を分ける時間の差であった。
将棋で言えば、すでに王手の一歩手前。
引き金に指をかけることすらなく、ただ抜き打ちの体制を堅持するだけで、ゴルゴはのび太を敗北の崖っぷちまで追い込んだ。
なまじ、際立った射撃の才であるため、のび太にはそのことがよくわかった。
怯えていたが、震えている暇はなかった。
汗が目の中に入ったが、拭っている余裕はなかった。
息苦しかったが、口をあけて空気を吸うことができない。
もし、口を開けたら、そこから恐怖がさらに体の奥へはいっていくような気がした。
悲鳴を上げられない代わりに、のび太は必死に頭の中で親しい者たちに助けを求めた。
(パパ! ママ! ジャイアン! スネ夫! しずちゃん! ドラえもん……たすけて、ドラえもん!! 誰か助けてよ!!!)
だが、浮き彫りになったのは、誰も助けに来ないという現実。
目の前には、敵しかいないという圧倒的な孤立感。
このまま、対峙があと10秒も続けば、のび太は自分から膝を屈していたかもしれない。
一発の銃弾も放たぬ内に、二人の勝負はゴルゴの勝利に終わっていたかもしれない。
しかし、のび太の心が完全に恐怖の黒い潮に呑みこまれようとした瞬間、
―――戦いの開始を告げる銃声が立て続けに鳴り響いた。
頭上の水道管にぶら下がっていた水の玉が、銃声の振動で落下する。
二人の目には、落ちていく水滴がスローモーションのように映っていた。
極限まで蓄えられた緊張感は、破裂した瞬間に、意識と感覚を果てしなく加速させていく。
凍っていた時が、ゆっくりと流れだした。
刻まれた闘争の記憶に従って、肉体が反射的に動き出す。
手に銃を取るは二人、最後に残る勝者は一人。
銃声と硝煙が支配する、『銃撃の刹那(バレットタイム)』が始まった!!
***
あとがきのやうなもの
ついに、魔獣はくびきから解き放たれた!
だが、のび太もゴルゴもそのことは知らず、お互いに銃口を向ける。
二人の勝負のゆくえはどうなるのか?
漁夫の利を狙う、クァール猫はいつ動き出すのか?
やあ、みなさま、誠京麻雀って好きですか?(謎)
この言葉の意味が解らなかったあなた。
あなたは善良な一般人です。きっと平和な一生を送るでしょう。
この言葉の意味がわかった、ってか一般常識だろ、というあなた。
あなたはもうかなり手遅れです。このふざけた世界、と書いて地獄へようこそ!
EX=GENEを先に、更新するつもりでしたが、
のび太VSゴルゴの方が、筆が進んで、何時の間にこっちを先に更新することになりました。
人生って何が起きるか、わかりませんね。
とまれ、次の更新は土曜日か日曜日になる予定です。
なお、これはチラシの裏的設定ですが、
『デンジャーシミュレーター』を開発したのは、
ヤマタノオロチで有名なモンスターボールやパラレル西遊記のヒーローマシーンと同じ会社です(w)
(だから、道具の名前が英語だった)
では、みなさま、また!