「ヘンリー殿下、ヘンリー殿下! お気を確かに」
揺すぶるパパスに、ヘンリーは目を開けて答えた。
「うるさいな、聞こえてるよ……何だよ、こんな所まで助けに来たのか?」
呆れた様な声。ヘンリーは投げやりな態度で言葉を続ける。
「良いんだよ。オレなんかいらない子なんだ。みんなそう言ってる。王位はデールが継げば良い」
次の瞬間、パパスはぴしゃり、とヘンリーの頬を平手で打った。思わずリュカは息を呑んだ。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第十二話 永訣の刻
「な、殴ったな!? 親父にも殴られた事がないのに!!」
打たれた頬を押さえ、涙目で叫ぶヘンリーに、パパスは静かな、しかし力の篭った口調で答えた。
「さよう。父上エドワード陛下の代わりに打ちました。殿下、殿下は父上の気持ちをお考えになった事がないのですか? 陛下は貴方を王位にと望んでおられるのですよ」
ヘンリーは目を見開いた。
「嘘だろう。親父がそんな事を言うなんて……」
パパスは首を横に振った。
「真です。陛下は忙しさにかまけて、殿下と十分な時間を作れなかった事を悔いておいでです。まずはお帰りになり、父上と話されよ」
ヘンリーはしばらく黙っていた。いろいろと考える事があるらしい。リュカは侍女頭をはじめとする、ラインハットの家臣たちの話を思い出しながら言った。
「殿下、皆さんも殿下の事を慕っています。イタズラ好きで困るけど、本当は優しい殿下のことを」
ヘンリーはなおも数分考えていたが、やがて首を縦に振った。
「……わかった。城に帰って、父上と話してみよう」
口調が改まったものになっていた。どうやらこの王子の内心に、好ましい変化があったらしい、とパパスは思った。
「ならば急ぎましょう。追っ手が来ないうちに」
パパスが言った時だった。
「ほっほっほっ、逃げられると思っているのですか?」
「何奴!?」
パパスは剣を抜き、声の方向を見た。
「い、何時の間に?」
リュカは驚いた。背後の通路に、巨大な鎌を持ち、神官のような服装をした奇怪な人物が立っていたのだ。フードから覗く顔は男とも女ともつかない、中性的な美貌。しかし、薄い紫色の肌、赤い目、エルフのように、しかしより長く鋭くとがった耳が、その美貌を損なう邪悪な気配を発していた。
「貴様、魔族か……魔族が何故ラインハットの王位継承に介入する?」
パパスが剣を正眼に構え、リュカとヘンリーを庇う様に立った。
「それは、これから死んでいく貴方の知る必要のない事。ジャミ、ゴンズ!」
魔族が叫ぶと、その左右に奇怪な影が二つ出現する。馬頭の魔族と、巨大な剣を構えた鬼面の魔族。
「我が名はジャミ」
馬頭の魔族が名乗った。
「我はゴンズ」
鬼面の魔族が名乗った。
「主の命により」「貴様の命を頂戴する」
言うや否や、ジャミとゴンズはパパスに襲い掛かった。リュカには見切れないほどの速さで、ゴンズの剛剣がパパスに迫る。しかし。
「その程度か!」
パパスはゴンズの剣を跳ね上げ、散った火花にゴンズの驚愕した顔が照らし出されている間に、返す剣でその胴体を薙ぎ払った。散った血しぶきがジャミに降りかかり、その目を潰す。
「!?」
視界を失い、一瞬動きを止めたジャミ。その隙を逃さず、パパスの剣がジャミの胴体を存分に刺し貫いて心臓を砕いた。馬頭の口から黒い血を吐きちらし、ジャミの巨体が床に沈む。その上から、胴体を半ば両断されたゴンズの身体が崩れ落ち、二体の魔族は屍と化した。
「ほほう、その二人を容易く討つとは……あなた、只者ではありませんね? では、このゲマがお相手して差し上げましょう」
「!?」
パパスは顔を上げた。ゲマと名乗った魔族の声が、さっきまでいた位置とは違う方向から聞こえてきたのだ。そう、背後から。パパスは振り返り、息を呑んだ。
「と、父様……」
何時の間にか、背後に回りこんだゲマはリュカを抱きかかえ、その喉に持っていた鎌の刃をあてていた。黒く禍々しい、見るからに邪悪な魔力を秘めた刃が……
「さぁ、かかってきなさい。ですが、貴方の娘の魂は、永遠に地獄を彷徨う事でしょう」
嘲笑するゲマに、パパスは唇を噛み破らんばかりに歯軋りをした。
「ひ、卑劣な……!」
「ほっほっほ、最高の褒め言葉ですよ、それは」
高笑いするゲマ。その時、意外な人物が動いた。
「この野郎! リュカを離せ!」
ヘンリーだった。護身用の短剣を抜き、ゲマに飛び掛る。ついでプックルもまた。だが。
「邪魔です」
ゲマは一撃でヘンリーとプックルを弾き飛ばした。右の壁に叩きつけられたヘンリーがずるずると崩れ落ち、左の床に落ちたプックルがピクリと痙攣して動かなくなる。
「ヘンリー王子! プックル!」
パパスは助けたいと思ったが、動けばリュカの命がない。どうしようもない窮状に追い込まれたパパスに、ゲマが腕を伸ばす。その指先に、赤い輝きが燈る。
「良いものですね、子を思う親の苦しみ、怒り……親に助けを求める子の嘆き、悲しみ……どれも至上の美味ですよ。さぁ、もっと苦しみなさい。その苦悶に沈む魂の最後の輝きこそが、我らの力をより高めるのです。メラミ!」
ゲマが呪文を放った瞬間、パパスの腕が地獄の業火に包まれた。
「うぐわぁーっっ!?」
パパスの逞しい右腕が燃え上がり、その手から剣が転げ落ちる。
「父様! 父様ぁ!!」
泣き叫ぶリュカの前で、ゲマは哄笑しながらメラミを放ち続ける。パパスの左腕が、右足が、左足が、胴が、次々に炎に包まれていく。
「ほっほっほ、そろそろとどめを刺してあげましょう」
ゲマの指がパパスの顔に狙いを定めた。その時、パパスの苦悶に歪んだ顔が、急に穏やかなものになる。その変化に、一瞬ゲマは呪文を放つ事を忘れた。その隙に、パパスは言った。
「リュカ、良く聞きなさい。お前の母さんは、実は生きている」
「え?」
リュカは思いがけないパパスの言葉に、思わず顔を上げた。
「どうか、生きて、生き抜いて……私の代わりに母さんを探し出してくれ。この父の遺言だ」
想像を絶する苦痛の果てに、それを超越した境地に、パパスは達していた。ああ、自分はもう死ぬ。それは避けられない……だが……これから凄まじい辛苦に晒されるであろう娘には伝えられる。
生き抜くためにすがる希望を。明日に向かって進み続けるための目標を。それは、いっそ死んでしまったほうが楽かもしれない、という道を歩むであろうリュカにとっては、逆に酷い贈り物かもしれないが……
「くっ、そろそろ黙りなさい! メラゾーマ!!」
気圧された事に怒り、ゲマが最後の呪文を放つ。次の瞬間、パパスはその全身を炎に包まれていた。それが消え去った時、そこにはパパスの姿はなく、ただ床が黒く焼け焦げていただけだった。
「と……う……さま……?」
リュカはその光景を呆然と見ていた。さっきまで生きていて、魔物を簡単に倒すほど強かった父が、もうこの世にいない。その現実を信じられない。
「やだ……父様……いやぁ! 父様ぁぁぁ!! と……う……さま……」
リュカは叫び、気を失った。まだ六歳の幼い少女にとって、目の前の惨劇は精神の限界を遥かに超える打撃だった。
「ほっほっほ、安心なさい。あなたの娘はわが教団の奴隷として、幸せに暮らす事でしょう……さて」
ゲマは腕を伸ばし、ジャミとゴンズの屍に光を放った。
「ザオリク」
呪文が完成すると、二体の魔族の破壊された肉体が、急速に回復していく。貫かれた心臓が鼓動を再開し、引き裂かれた胴体が再び一つになって、二体はこの世に蘇った。
「ゲマ様……申し訳ございません。失態でした」
「お見苦しい所をお見せし、また復活までさせていただいた事、まことに申し訳ございませぬ」
頭を垂れ、許しを請うジャミとゴンズに、ゲマは寛容なところを見せて笑った。
「良いでしょう。あの男、人間としては頂点を極める強さでした。お前たちが遅れを取ったのも無理はありません」
しかし、ゲマの笑顔もそこまでだった。
「お前たちにはより強い肉体を持って復活してもらいました。ですが、次はありませんよ?」
「「はは」」
二体はさらに頭を垂れ、己の主に対する絶対の忠誠を誓った。
「では、帰るとしましょう……ジャミ、その王子を連れてきなさい」
「御意」
ジャミが気絶しているヘンリーを抱えあげた。ゴンズは床に落ちていた自分の剣を拾い上げ、ふと倒れているプックルに目を留めた。
「ゲマ様、このキラーパンサーの子はいかがしましょうか?」
ゲマは一瞬プックルに目をやったが、すぐに目を背けた。
「放っておきなさい。野に帰れば、いずれその魔性を取り戻すでしょう」
魔族と違い、キラーパンサーなどはどれだけ恐れられているとしても、所詮は野獣。ゲマにとって利用価値のある生き物ではない。
「では行きましょうか……おや?」
ゲマは空間転移の呪文を唱えようとして、リュカの腰に下げられた道具袋から漏れる光に目を留めた。取り出してみると、それは金色に輝く不思議なオーブ。
「……これは……妖精の力を感じますね。もしやゴールドオーブ……? いや、そこまでたいした宝物ではないようですが、いずれにせよ我らには不快な代物。こうしておきましょうか。
ゲマが力を込めてオーブを握り、何か呪文を唱えると、それは黒く濁り、やがてひびが入って砕け散った。
「これでよいでしょう。では、帰りますよ。お前たち」
「「ははっ!」」
三体の魔族を黒い空間の歪みが包み込み、一瞬で消え去った。
それからしばらくして、倒れていたプックルの身体がもぞもぞと動き、彼は起き上がった。周囲を見回し、大好きな人たちがいない事に気がつく。周囲を探し回り、匂いをかぎ、どれだけ探しただろう。プックルは、主人と主人が慕っていた大きな男が、もうここにはいないと悟った。にゃあ、と悲しげな声で鳴き、プックルはその場に残っていた、主人たちの気配が残る唯一の品を口でくわえ、引きずるようにしてその場を去っていった。
(幼年期編・完 青年期編に続く)
-あとがき-
悲劇の日……わかっていても書くのが重いものです。
パパスの死に様は原作とちょっと変わりました。一代の英傑の死に「ぬわーっ!」は無いと思うのですよ。