その夜、ヘンリーは未だ意識を取り戻さず気を失ったままのリュカと共に、牢の中にいた。背中一面に鞭の傷があるため、うつ伏せに寝かされているリュカの身体は、薬が塗られ包帯が巻かれて、丁寧な手当てがしてある。しかし、過労で回復力の衰えたリュカには、それでもまだ不十分らしい。そっと触ってみると全身が熱を持っているようだ。
「ちっ……バカな事をしちまったぜ」
ヘンリーは吐き捨てるように言って、背中を牢の壁に預けた。
(ついカッとなっちまった。あのクソ野郎をブッ殺したのは爽快だったが、これで脱走は難しくなったな)
自重すべきだった、とヘンリーは後悔する。いつか脱走の手立てを見つけるまでは、何があっても隠忍自重。今日もリュカがいたぶられているのを、黙って見過ごすべきだったのだ。殺されるわけではないのだから。
「へ……それが出来るほどお利口さんなら、オレはこんなところにいやしねぇか」
ひとりごち、ヘンリーはリュカを見つめる。
「オレは死刑になるかもしれんが、なんとかしてリュカは助けてやらないとな……」
そう言った時、牢の入り口から声が聞こえた。
「それは無理だ。お前もその娘も死刑と決まったからな」
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第十四話 脱出
「なっ……てめぇ、あの兵士か!」
ヘンリーはそっちを見て怒鳴った。確かに、そこにいたのは昼間の兵士たちの隊長だった。彼はふっと笑うと、ヘンリーに話しかけた。
「なかなか元気そうだ。昼間は強く一発入れすぎたと思ったんだが」
「教団の犬の攻撃で参るヘンリー様じゃねぇ。それより、リュカが死刑ってどう言う事だ!?」
怒鳴るヘンリーに、兵士は苦笑で答えた。
「その娘が鉄球を投げつけた獄卒だが、助からなかった」
「そいつぁこの十年で一番良い知らせだ」
ヘンリーは言うと、兵士から顔を背けた。
「話は終わってないが」
「うるせぇな。教団の犬に話す事は何もねぇ」
兵士の言葉にそっけなく答えるヘンリー。すると、兵士は思わぬ事を言った。
「お前、ここから逃げたくはないか?」
「なに?」
ヘンリーは再び兵士の方を向いたが、すぐにまた顔を背けた。
「そりゃあ……逃げたいさ。こんな所。兵士サマにはここは楽園かもしれないが、オレ達には地獄だ」
「なら、私に付いて来い」
兵士が言うと共に、ガチャリと音がして、牢の扉が開いた。兵士の手には牢の合鍵。
「え?」
戸惑うヘンリーに、兵士は急かすように言葉を続けた。
「逃げたいんだろう? その娘を連れて付いて来い。大丈夫だ。処刑場に直行とか、そういう事は絶対にない。私を信じろ」
ヘンリーは一瞬迷ったが、すぐに決断した。これ以上現状が悪くなる事はない。リュカを抱き上げて背負いあげた。
「ん……つっ……!」
それで痛みが走ったのか、リュカが意識を取り戻した。
「悪いリュカ。痛むか?」
ヘンリーが声をかけると、リュカはまだ意識が完全には戻っていないのか、ぼうっとした声で言った。
「ん……ちょっと……ヘンリー、どうしたの?」
「ああ、ちょっと移動中だ。しっかり掴まってろよ」
「うん……」
リュカが腕に力を込め、身体をヘンリーに押し付けた。
(リュカ……こんなに軽かったか? それに……いやいや、今はそんな事を考えてる場合じゃない)
背中に何か柔らかい感触が二つ当たる。それに対する感想を打ち消し、ヘンリーは兵士の背中を追った。気を紛らわせるために、兵士に話しかける。
「なぁ兵士サマよ」
兵士は振り向かずに答えた。
「私はヨシュアだ。そう呼んでくれて良い」
「じゃあヨシュアさんよ、何で俺たちを逃がそうとする?」
ヘンリーが問うと、ヨシュアは苦いものが混じる口調で答えた。
「私なりに……この教団の現状に疑問を隠しきれなくなってな……私には妹がいた。マリアと言う名でな。その娘と同じくらいの年頃だった」
「……いた? だった?」
過去形で語られる事にヘンリーが疑問を抱くと、ヨシュアは事情を話し始めた。
「死んだ。死刑にされたんだ。教祖のお気に入りの壷を割った、と言う、ただそれだけの事でな……魔炎で焼き尽くされて骨も残らなかった。あんなに可愛い子だったのに……あんなに優しかったのに。あんなに教団の教えに忠実だったのに……!!」
ヨシュアの肩が激情と慟哭で震えた。
「……私は、妹が理不尽に殺されたと言うのに、その決定に逆らえなかった……我が身大事さでな。情けない兄だ」
「そうか……悪い事を聞いたか?」
ヘンリーは言った。教団の手先になっている男。許し難い敵だが、彼と妹を襲った理不尽な悲劇には同情できた。
「いや、済まない……愚痴になってしまったな」
ヨシュアは首を振って気にするな、と言うと、言葉を続けた。
「だが、お前たちは違った。絶対に逆らえない相手に立ち向かう勇気があった。我が身可愛さしか考えられない奴隷たちの中で、お前たちだけが違った。そんなお前たちを見殺しにする事はできない……そう思ってな」
「そうか? 無謀なだけかもしれんぜ」
ヘンリーはそう言ったが……半ば本音だったが、ヨシュアは首を横に振った。
「無謀でも良いさ……おっと、ここだ」
ヨシュアは右手の扉を開けた。さらさらという水の流れる音が聞こえる。明かりをつけると、小さなプールのような水面が見え、その横に大きな木の樽が積み上げてあった。
「ここは?」
ヘンリーが聞くと、ヨシュアは手近な樽に取り付き、押し始めた。
「ここは死んだ奴隷を捨てるための水路さ。海に通じている。ちょっと手伝ってくれ」
「ああ。リュカ、ちょっと待ってろよ」
ヘンリーはリュカを床に降ろし、ヨシュアを手伝って樽を押し始めた。
「ヨシュアさんよ、これで海に出ろってか?」
ヘンリーの問いにヨシュアは首を縦に振る。
「ああ。海流に乗れば、数日で北の大陸の海岸に近付くはずだ。そこの袋に一週間分の食料と水、それに薬……あと、当座の資金として三千ゴールドほど入れてある。使ってくれ」
手際の良さに、ヘンリーは首を傾げた。
「ずいぶん準備がいいんだな……ひょっとして、誰か他の人を逃がしたかったんじゃないのか? あんた」
ヨシュアは手を止めた。
「……ああ。本当は、マリアを逃がすために用意したんだ。あの子は優しかったから、地下で奴隷たちが働かされている事に、胸を痛めていた……だが、そんな事を言えば、あの子は背教者として粛清される。その前に……」
ヘンリーは答えず、樽を押し始めた。水路に樽を転がすスロープの上に来たところで、樽を横倒しにして蓋を開ける。
「さ、入ってくれ。上には娘は怪我が元で死に、お前は後追い自殺したと、そう報告しておく」
ヨシュアは袋を放り込んで言った。ヘンリーは頭を下げた。
「何から何まで済まないな。何も礼ができないが」
「礼なら、この教団の実情を世間に広めてくれ。そして、ここを潰してくれれば、私はそれで満足だ」
そういうヨシュアに、話を聞いていたリュカが頭を下げた。
「本当にありがとうございます、ヨシュアさん。怪我の手当ても……」
ヨシュアは微笑んだ。
「構わないさ。マリアの分まで幸せになって欲しい。さ、早く」
リュカはヘンリーの助けを得て立ち上がりながら、ヨシュアに言った。
「あのっ……ヨシュアさんも……一緒に行きませんか?」
ヘンリーも頷く。
「そうだぜ。一緒に来いよ」
しかし、ヨシュアは首を横に振った。
「それは無理だ。この水路は誰かがスイッチを押さないと海に繋がらないんでね……それに、教団の片棒を担いだ私だ。今更逃げ出せんさ。ここで、何とか奴隷たちを守れないかやってみるよ」
言うヨシュアの顔には、決意した人間特有の晴れやかさがあった。その顔を見ては、もうリュカにもヘンリーにも、何も言えなかった。
「……そうか。達者でな」
「どうか、お元気で……!」
それだけを言うと、二人は樽の中に入り、ヨシュアは蓋を閉め、水路に転がし入れた。樽がゆったりと水路の先に流れていく。ヨシュアは部屋を出ると、そこにあったスイッチに手をかけた。
「神よ……ここにはいない正しき神よ。もはや貴方に祈る資格は私にはないかもしれない。それでも、どうかあの二人に加護を……!」
ヨシュアは祈りを込めてスイッチを押した。途端に、部屋の向こうで激しい水流の発生する音が響き渡った。
悲劇の日から十年。天界に最も近い地獄から、リュカとヘンリーの新たなる旅が始まろうとしていた。
-あとがき-
あれ? ヘンリーが激しく主人公っぽい……まぁ、リュカはヒロインなのでいいんですが。
あと、前回でリュカがマリアの代わりに鞭打ちにされてましたが、マリアはどうなったのかと言うと、死んでました。全国のマリアファンの皆さん、ごめんなさい。
ヘンリーを巡ってリュカとマリアで三角関係とかもちょっと考えましたが……