それからさらに二週間ほどが経った。その日は賄いの仕事も無く、リュカはヘンリーと共に修道院の裏手の丘にある墓地の掃除をしていた。修道院の建立以来、二百年にわたって海に飲み込まれた人々を葬ってきた墓地。しかし、日当たりの良い丘の斜面に立ち並ぶ墓標の群れには、無念を飲んで死んでいった人々の墓とは思えない明るさがあった。
「なんかこうさ、石切場の墓と比べると、ぜんぜん暗い気がしないよなぁ。ここ」
箒を片手にヘンリーが言う。遠い沖合いに、白い帆を揚げた船が滑るように南へ向かうのが見えた。ここに眠る人々の魂は、沖合いの船に乗り、故郷へと帰ったのだろうか。
「わたし、小さい頃に船に乗った事があるけど、船乗りの人たちって明るくて豪快で、湿っぽさが無いの。きっと、この人たちも明るい方が好きなんだと思うよ」
ヘンリーの集めたゴミを、リュカが屈んだ姿勢で塵取りにまとめていく。だから、彼女は気付いたのかもしれない。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第十六話 休息の終わり
「……きー」
「え?」
リュカは小さな、弱々しい鳴き声に気付き、手を止めた。正面の墓標の陰に、青い塊がぷるぷると揺れている。
「ぴきー……」
それは再び鳴き声をあげた。脅えているように。本当はこの場を逃げ出したいのかもしれないが、どうやら弱っていて動けないようだ。
「お? スライムじゃないか……リュカ、どいてろ」
素手のリュカを守るように、箒を武器のように構えたヘンリーが立つ。そんなものでも、振り下ろせば弱ったそのスライムは一発で死ぬだろう。しかし。
「待って、ヘンリー。その子……弱ってるみたい。きっと他の魔物に襲われたのね」
リュカはヘンリーの服の裾を引っ張って、彼の動きを止めた。
「その子って……まぁ確かにまだ子供みたいだが」
ヘンリーは言った。大人なら片腕で抱えるほどの大きさになるスライムだが、今墓標の陰に隠れているスライムは、せいぜい手のひらサイズだった。このくらいの大きさのスライムの幼体は、他の魔物だけでなく犬や猫、カラスなどにも捕食される事がある。
「きっと、群れとはぐれたのね。おいで。大丈夫。いじめたりしないから」
「お、おい。リュカ……」
呆れるヘンリーを前に、リュカは子スライムを手招きした。最初は脅えていた子スライムも、リュカの優しい声が演技ではなく本気だと感じたのか、そっとにじり寄ってくる。もう少しで手が届くくらいの距離になったところで、リュカは呪文を唱えた。
「ホイミ」
手のひらからこぼれる光が子スライムを包み、傷を癒していく。完治した子スライムは、自分を苦しめる痛みが消えた事に気づき、嬉しそうに跳ね回った。
「ぴきー! ぴきー!!」
「ふふっ……可愛い子ね」
リュカは微笑む。その優しい笑顔に、ヘンリーはしょうがないな、と溜息を漏らしつつも視線は釘付けだった。
(リュカ……こんなに可愛かったっけ?)
年頃の少女らしい健康さを取り戻したリュカの美貌は、やはり年頃の少年であるヘンリーには眩しく映った。十年も一緒に過ごしてきたのに、その十年でさえ見つけられなかった、新しいリュカを見つけた思いだった。
ヘンリーが見守る中、子スライムと遊んでいたリュカだったが、日が西に傾き始めた頃、立ち上がって子スライムに別れを告げた。
「じゃあね。群れのところにお帰り。ヘンリー、そろそろ戻ろう?」
「お、おう」
ずっとリュカを見つめていたヘンリーは、慌てたように首を縦に振った。箒を肩に担ぎ、丘を降りる道のほうへ向かう。リュカも続こうとして、子スライムが付いてくる事に気付いた。
「あら、あなた……」
「ぴきー……」
振り向くリュカを見上げ、子スライムは悲しそうに鳴く。ぼくも連れて行って、と主張しているようだ。
リュカは子スライムをたしなめ、歩き出すが、すぐに子スライムが後を追ってくる。先行していたヘンリーが彼女の遅れに気付いて戻ってきた。
「リュカ、何してんだ?」
「あ、ヘンリー……この子が離れてくれなくて」
困った表情で言うリュカ。ヘンリーは子スライムを見て、むぅと唸ってから言った。
「どうもお前に懐いてしまってるみたいだな……連れて行くしかないんじゃないか?」
スライムは見かけによらず知能が高く、成体の中には簡単な人語なら喋れるほどの成長を見せるものもいる。変種のホイミスライムなどのように、呪文を操る種類さえいるほどだ。スライムが恩を知っていても変ではない。
「わたしはいいけど……院長様が何と言うか」
人畜無害の子スライムとはいえ、魔物は魔物である。聖なる修行の場に連れ込んでいいものか、リュカは判断に困っていた。
「ま、とりあえず話してみろよ。院長様は意外と堅くない人だから、OKかもしれんぞ」
「うん……そうだね。おいで」
リュカが手招きすると、子スライムはその手に飛び乗った。見かけに反してほのかに暖かい子スライムの体温に、リュカは愛しさを感じる。
「なんとか、あなたがここにいれるようにしてあげる。ね、スラリン」
「スラリン?」
何だそりゃ、と言うヘンリーに、リュカは笑顔で答えた。
「この子の名前よ。気に入った? スラリン」
スラリンと名づけられた子スライムはぴきー、と歓迎するように鳴き声を上げ、リュカの手の上でぴょんぴょんと跳ねた。
「……いやまぁ、気に入ってるなら良いんだが」
ヘンリーはそのネーミングセンスはどうよ、とぶつくさ言っていたが、シスター・アガサが快くスラリンを受け入れたため、結局その名前が定着する事になったのだった。
それからまた少し日は流れ、リュカたちが漂着してから三ヶ月ほどが経った。
もうリュカもヘンリーもすっかり健康な身体を取り戻しており、ヘンリーなど成長期も重なって、リュカより頭一つくらい背が高くなっていた。リュカは背こそそれほど伸びていないが、輝くような美貌と、瑞々しくふくよかな肢体には、もう奴隷だった頃のみすぼらしい姿を思わせる陰はどこにもない。
それだけに、二人はそろそろ旅立つべき時ではないだろうか、と考え始めていた。休養は十分取れたと思う。しかし……この三ヶ月は、あまりにも平穏で、そして暖かい人との交流に満ちていた。居心地の良さに、ついつい二人は出発への決意に踏み切れずにいた。
そんなある日の事、リュカとヘンリーは今日は何をするか、と言う事を話しながら、礼拝堂へ向かっていた。リュカの肩にはスラリンの姿もある。
拾った頃は手のひらサイズだったスラリンだが、今は一回り近く大きくなっており、身体を弾ませての体当たりは、ちょっとした木くらいなら揺るがすほどの威力になっている。相変わらずぴきー、としか言えないが、どうやらリュカの言葉を理解するくらいには頭がいいらしく、良く彼女に懐いていた。
彼? が魔物であることを心配したリュカだが、もともとスライムは一番身近な魔物だ。ぬいぐるみにされるくらい親しまれていると言う側面もあり、修道院の女性たちはスラリンを可愛がってくれた。
(そういえば、プックルはどうしただろう)
スラリンを連れているせいか、リュカは最近良くかつての友達の事を思い出していた。遺跡の奥で離れ離れになって以来、もう十年。生きていればさぞかし立派な成獣になっているだろうが……
そんな事を考えながら礼拝堂に入ると、シスター・アガサは一人の老人と話をしていた。ここへの参拝者では珍しく男性である。老人は跪き、祈りを捧げる姿勢で告解をしていた。
「神よ、私は罪深い人間です。多くの魔物たちを鞭で脅し、無理やり闘技場に追いたて、殺し合いを強いている。どうかこの罪びとにお許しを」
白いローブを着たその老人は、肩と声を震わせ、自分の罪を告白していた。その肩にシスター・アガサは手を置き、静かに告げた。
「顔をお上げなさい。神は全てをご覧になり、全てを存じておいでです。魔物にさえも許しを請う貴方の真情は、きっと神に伝わっているでしょう」
そう言って、シスター・アガサは老人の右肩、頭のてっぺん、左肩と手を滑らせるように動かす。罪の穢れを払う儀式だった。それが終わり、老人が立ち上がってシスター・アガサに礼を言ったとき、シスター・アガサのほうでも二人に気付いたようだった。
「リュカ、ヘンリー、何か用ですか?」
「あ、はい。今日の奉仕活動ですけど……」
シスター・アガサの問いにリュカが答えようとした時、告解をしていた老人が振り返った。そして、リュカの顔をみるや、目を大きく見開いた。
「!?」
その顔が驚愕に変わり、老人はリュカに駆け寄ると、いきなりその肩を掴んだ。
「きゃっ!?」
「おい、ジジィ!?」
リュカの悲鳴とヘンリーの怒鳴り声も聞こえないように、老人はリュカの目を見つめ、呟くように言った。
「間違いない、聖母眼じゃ……」
「え?」
老人の言葉の意味がわからずきょとんとするリュカに、老人は手を離して一礼した。
「失礼した。ワシはオラクルベリーのカジノで闘技場を仕切っているザナックと申す。まぁ、世間ではモンスター爺さん、と言う方が通りが良いがの」
「闘技場?」
カジノの事など全く知らないリュカにヘンリーが教えた。
「モンスター同士を戦わせて、その勝敗に金を賭けるギャンブルだよ……で、そのモンスター爺さんが何の用だ?」
言葉の後半で、ヘンリーはザナックに厳しい表情を向けつつ、リュカとの間に割って入った。
「ワシは世間では魔物使いと言われておる……まぁ、間違いではない。しかし、ワシがしているのは、鞭で魔物たちを引っぱたき、逆らえば餌を抜いて、無理やり言う事を聞かせるようにしただけの、紛い物の芸じゃよ……真の魔物使いは、自由にモンスターたちと意思を通わせ、邪悪な者の波動から彼らを解放し、人と魔物の仲立ちをする存在なのじゃ」
「はあ……」
ザナックの言葉の意味が良くわからない様子のリュカ。代わってヘンリーが先を促す。
「で?」
「ワシはかつて真の魔物使いを見た事がある。人も魔物も隔てなく、聖母のごとき愛情で導き、従える力の持ち主を。娘さん、あんたの目はその真の魔物使いにそっくり……いや、そのものなのじゃよ」
「え……わたしが……ですか?」
自分で自分を指差すリュカに、ザナックは頷いた。
「そうじゃ。真の魔物使いに導かれる魔物たちは自分たちもまた神に作られた、神の子供であるという意識に目覚め、本来なら越える事のできぬ種の限界を超え、人と同じように成長できるようになるのじゃよ。娘さん、その肩のスライムは娘さんの育てている子じゃろう?」
「はい、そうですが」
リュカは手を伸ばし、スラリンを撫でた。
「その子はもはや普通のスライムよりも強くなっておる。それこそ娘さん、あんたが真の魔物使いである証拠なのじゃよ」
「え……スラリンが?」
リュカは戸惑う事ばかりだった。確かに、スラリンはまだ子供なのに、親スライム並みの力を持っているし、頭も良いが……
「そうじゃ。だが、あんたはまだその力の使い方に目覚めておらんようじゃな。どうかな。ワシのところで修行してみるつもりはないか? あんたなら、簡単な修行で素質を開花させる事もできようぞ」
ザナックの言葉は真剣だった。その言葉に嘘はないと思える。しかし、リュカは本当に自分の中にそんな素質が眠っているのだろうか、と考えざるを得なかった。何しろ途方もない話だ。
「……少し、考えさせてください」
リュカはそう答えるのが精一杯だった。しかし、ザナックは特に失望した様子も見せず、うんと頷いた。
「そうじゃな。あんたの人生に関わる事じゃ。じゃが、考えが纏まったらいつでも来なさい。オラクルベリーでモンスター爺さんの事と聞けば、すぐにわかるはずじゃ」
ザナックはそう言うと、やり取りを見守っていたシスター・アガサに一礼し、去っていった。ヘンリーは真剣な表情で考え込んでいるリュカに言った。
「うさんくさい爺さんだったな……顔は真剣だったが。院長様。あの爺さんの言う事は本当なんでしょうかね?」
急に話を振られたシスター・アガサだったが、迷いなく頷いた。
「ええ。魔物使いでカジノの住人と言う事で、街では変人扱いされて敬遠されている方ですが、心根は善良で敬虔なお方です。本当のことを言っておいでだと思いますよ」
それを聞いて、リュカの心の中に、一つの考えが芽生えた。
ザナックの所に行くと言う事は、この修道院を出ること。オラクルベリーまでは半日ほどの道のりだが、それでも新しい旅路の第一歩には違いない。
時が来たのだ。暖かい寝床を捨て、父の遺言を果たすべき時が。母を捜す旅に起つ時が。スラリン、そしてザナックとの出会いは、リュカにとって間違いなく宿命なのだと。
「……決心は付いたようですね」
リュカの内心の変化、それが顔に現れたのを見て取り、シスター・アガサは微笑んだ。
「はい、院長様」
清々しい笑顔を見せるリュカに、シスター・アガサは言った。
「リュカ、あなたは今自分の道を見つける、と言う大人としての第一歩を踏み出したのです。その道にはきっと辛い事もあり、悲しい事もあるでしょう。ですが、いつも神はあなたの傍にいて、見守ってくれています。それを忘れないように」
「はい!」
答えるリュカの肩を、ヘンリーが叩いた。
「リュカ、その旅にオレも付き合うよ」
例え何があっても、オレがお前を守る。そう言外に決意を秘めて。
「ヘンリー……うん。ありがとう。頼りにしてるよ?」
「ああ、任せとけ!」
二人は手を握り合い、シスター・アガサは旅立つ若者たちに幸あれ、と胸の中で神に祈りを捧げた。そして言った。
「二人とも、今日は旅の支度を整え、明日旅立ちなさい。そして、別れを告げたい人がいたら、ちゃんと会っておくのですよ」
「「はいっ!」」
リュカとヘンリーは力強く返事をした。
(続く)
-あとがき-
仲間モンスター第一号はスラリンでした。
モンスター爺さんとの出会いをきっかけに、いよいよリュカの新たな旅が始まります。