礼拝堂の中に、厳粛な空気が漂う。シスター・アガサが旅立つ者への祝福の言葉をかけ、リュカとヘンリーの身体に聖水とワインを混ぜた「命の水」を振りかける。それが終わると、シスター・マリアが弾くオルガンの音に合わせ、修道院の住人たちが賛美歌を歌った。旅立つ人々を讃える歌を。
夢を抱き 勇みて進まん 大地踏みしめて
ああ 希望にあふれて 我らは進まん
恐れはあらじ 勇みて進まん 招きに答えて
我らの旅路 神は祝い給う 励まし与えて
手を携えて 互いに進まん 旅路の終わりまで
曲が終わり、シスター・アガサは最後の言葉をかけた。
「さぁ、旅立ちの時です。決して正しき道を踏み外さず、光の下を歩いていってください。あなた方の旅路に、神と聖霊のご加護がありますように」
「本当にありがとうございました、シスター・アガサ。わたしはこの三ヶ月をきっと忘れません……!」
リュカは頭を下げた。記憶にはそういう人がいたかわからないが、シスター・アガサはリュカにとって祖母のような人物だった。短い間だったが、愛に飢えていたリュカに惜しみなく愛情を注ぎ、再び立ち上がる力をくれた人だった。
「私もですよ、リュカ。例え旅立っても、私はいつでもあなたたちが帰ってきても良いように、ここの扉を開けておきます」
シスター・アガサはそう言って笑顔でリュカを抱擁した。その横で、シスター・マリアがヘンリーと別れの挨拶を交わしていた。
「行ってしまわれるのですね」
「……ええ」
ヘンリーは珍しく歯切れの悪い返事をした。その様子に気付いた様子もなく、シスター・マリアは笑顔で言う。
「私には何も出来ませんが、こうして毎日あなた方の旅の無事を祈りましょう。どうかお気をつけて」
「……ありがとう」
ヘンリーは帽子のつばを下げて礼を言った。それは、庭師の老人がプレゼントしてくれたものだった。
「ほう、似合っとるな。男前が上がったぞ」
「ああ、爺さん。ありがとう」
ヘンリーは庭師に肩を叩かれ、今度は機嫌よく頷いた。
「短い間だったが、孫が出来たような気分じゃった。もしここに戻ってくる気があるなら、わしの跡を継がんか? なかなか筋が良かったでな」
「考えておくよ」
ヘンリーと庭師が別れを惜しんでいる間、リュカはテレズとフローラに別れの挨拶をしていた。
「おばさま、ありがとうございました。フローラもお元気で。可愛い花嫁さんになってね?」
テレズは涙をハンカチで拭いながら答えた。
「ああ、でも何時でも帰っておいで。ご飯用意して待っているからね」
フローラも涙こそ見せなかったが、寂しそうな表情で頷いた。
「リュカさんもお気をつけて。見つかると良いですね、お母様」
「うん……それじゃあ、別れが辛くなるから、もう行きます。ヘンリー」
「ああ、行くか」
リュカの声に応じてヘンリーが手を上げる。そのまま扉を開け、二人は一同の見送る中、オラクルベリーへ続く道に旅の第一歩を記した。数歩進んでは振り返り、また数歩進んでは手を振り……遅々とした進みではあったが、それが長い長い旅の始まりだった。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第十七話 新たなる旅立ち
オラクルベリーはラインハット王国が治める北の大陸の南、ビスタ港のある半島の対岸に見える大きな島である。その中心地で島と同名の街オラクルベリーは別名を「眠らない街」とも「夢見る都」とも言われる新興の大都市だった。
「うはぁ……すげえ街だな。ラインハットの城下町より広いんじゃないか?」
街の入り口に立ってヘンリーが呆れたように言う。一応はラインハットの領内とはいえ、王城から遠く厳しい統制も届かないため、西の大陸にある都市連合の商人たちは投資先をラインハットからここに変更している。近年圧政が続くラインハットの中でも例外的に、そして急速に栄えている街だ。
「ちょっと人いきれでクラクラしそう……」
リュカも頷く。彼女が肩から提げているバッグの中で、スラリンがぴきー、と主に同意するように鳴いた。本当は自分で歩かせたい所だが、念のため人目につかないようバッグに隠れてもらったのである。しかし、それで正解だろう。子スライムなどすぐに迷子になり、永遠に見つからないと思わせる人ごみである。
「さて、いつまでもおのぼりさんしてる訳にはいかないな。リュカ、モンスター爺さんの所に行くんだろう?」
「うん、そうだったね……ちょっとその辺で聞いてみようか」
リュカはせかせかと歩く街の人のリズムに頑張って合わせながら、モンスター爺さんことザナックについて聞いてみる事にした。まずはその辺の若い男性に聞いてみる。すると、すぐに返事が返ってきた。
「ああ、モン爺か……知ってるけど、君が行くのか?」
「はい。それが何か?」
頷くリュカを見る青年の目に、怪しげな光が浮かぶ。
「ふーん……もったいないな。君みたいな若くて可愛い娘さんが、あんな怪しい爺さんのところに行くなんて。それより、俺と付き合わないか?」
青年はそう言いつつ、リュカの肩を抱き寄せようと手を伸ば……そうとしたが、いきなり横から延びてきた手に手首を掴み取られる。
「おっと、オレの連れに勝手なことをしないでもらえるかい? 兄さん」
「何だお前……」
男の声が尻すぼみになったのは、自分より頭半分は高いヘンリーに気圧されたからだった。
「まぁ、気にせずモンスター爺さんの居場所を教えてくれよ。知ってるんだろ?」
ヘンリーは愛想笑いをしつつ、しかし目は全く笑わせずに男の手首を掴む手に力を軽く込めた。男の顔が引きつる。
「わ、わかった! 教えるから手を離してくれ!」
「ああ、悪いな」
ヘンリーが手を離すと、男は半分涙目で道を説明した。
「この通りをまっすぐ行って、二本目の通りを左に行き、倉庫街にでたら、塀で囲ってある地下の入り口を探せ! そこがモン爺の家だ!!」
それだけ言うと、男は飛ぶように走って行った。
「簡単にわかってよかったね」
「ああ、そうだな」
無邪気に笑うリュカを見ながら、ヘンリーはやっぱりこいつ、オレが付いてないと不安だな……と言う思いを新たにしていた。
男の言うとおり、倉庫街の一角、塀に囲まれた空き地の一角に、地下への入り口があった。階段ではなくスロープ状になっており、その気になれば馬車でも入れられそうな幅と高さがある。
「ここでいいのか?」
とても家には見えない外見に、ヘンリーが首を傾げる。しかし、リュカは疑わなかった。
「うん……間違いないよ。ちょっと耳を澄ませてみて」
「ん?」
リュカに言われて、ヘンリーは耳に手を当てて意識を集中させる。すると、地下から聞いた事のない妙な音が響いていることに気付く。さらに意識を集中させると、それは複数の魔物の鳴き声が重なって聞こえるのだと言う事がわかる。確かに、ここは魔物の棲み家のようだ。
「なんか嫌な感じだな……まぁ、降りてみるか」
「うん」
リュカとヘンリーは足を滑らせないようにスロープを降りて行った。すると、通路の奥から一人の女性が歩いてきた。リュカよりやや年上と思われる美女で、何故かバニーガールの姿をしている。
「こんにちわ、お二人様。魔物使いザナックの家にようこそ」
美女は気さくに挨拶をしてきた。
「あ、はい……こんにちわ。あなたは?」
リュカが聞くと、美女は胸を張った。露出度の高い衣装でそれをすると、かなり男性には効果絶大だろう。実際ヘンリーは赤い顔をして視線をあさっての方向に向けていた。
「良くぞ聞いてくれました。私はザナックの助手で、イナッツと言います。あなたたちはリュカとヘンリーですよね? ザナックから話は聞いています。こちらへどうぞ」
リュカとヘンリーは頷き、イナッツについて歩き始めた。途中にはいくつもの罠や落とし扉が仕掛けてあり、剣呑な雰囲気を漂わせている。
「もし捕まえてある魔物が逃げ出しても、ここで食い止めるようになっているんですよ。中にはブラックドラゴンとかアンクルホーンとか、一匹逃げ出しただけで、この街を壊滅させかねないのもいますし」
イナッツは平気な顔で恐ろしい事を言う。リュカはとんでもない所にきてしまった、と思った。本当に、自分に魔物たちを御する力があるのだろうか?
悩みつつも通路の先まで来ると、大きなシャッターが下りていた。その片隅に人間用の非常口があり、イナッツはそこを開けて中に声をかけた。
「ザナック様、リュカさんがいらっしゃいましたよ」
「おお、そうか! 早速入ってもらえ」
ザナックの返事が聞こえ、イナッツはどうぞ、とリュカたちに非常口に入るよう促した。言われたとおりそこを潜ると、ザナックが満面の笑みを浮かべて待っていた。
「おお、良く来たな、リュカ。まぁ、そこに座りなさい」
ザナックが指すソファにリュカとヘンリーは座り、向かいにザナックが座る。イナッツがお茶を出した所で、ザナックは本題を切り出した。
「して、ワシの元で修行をしてみる気にはなったかな?」
リュカは頷いた。
「はい。本当にそんな力があるのなら、旅の助けにはなると思いますし……でも、修行ってどれくらいかかるんですか?」
もし何十年も、とかだとかなり困る。というか修行をするという選択肢を取り消す。すると、ザナックの答えは意外なものだった。
「まぁ、半日もかからんと思うぞ」
「おいおい、爺さん。そんな簡単に魔物使いってなれるモンなのか?」
もともと怪しい爺さんだと思っているヘンリーが、容赦ない感想を言う。いくらなんでも半日はないだろうと。しかし、ザナックは自信満々だった。
「真の魔物使いは技術ではない。生まれ付いての素質と能力じゃよ。リュカは類まれな素質の持ち主。ならばその程度で済むだろうさ」
ザナックはそう答えて茶を飲み干した。カップを置いて立ち上がる。
「さてと……疑問がなければ、早速始めるが?」
「は、はい。お願いします」
リュカは自分も慌てて茶を飲み、立ち上がった。
「では、奥の部屋に来なさい。そこで修行をしよう……ヘンリーはその間に武器でも買いに行くといいじゃろう。この街の品揃えはなかなかじゃぞ」
ヘンリーは胡散臭そうにザナックを見た。
「オレが見てちゃダメなのか?」
「うむ。この修行は、高度な集中力を必要とする。余人を交えて行うのは失敗の元じゃ」
ザナックは厳かな口調で答えたが、ヘンリーはさらに疑問を重ねた。
「修行とか言ってリュカにセクハラしたりしないだろうな?」
「するかバカモン! さっさと行かんかいっ!!」
ザナックは顔を真っ赤にして怒った。ヘンリーはおお怖い怖い、とおどけたように言うと、リュカの頭をぽんぽんと叩いた。
「じゃ、ちょっと買出しに行って来るが……ジジィにやらしー真似されそうになったら、バギの一発もお見舞いしとけ」
「あはは……行ってらっしゃい、ヘンリー」
イナッツに送られてヘンリーが出て行く。リュカはザナックに連れられ、奥の部屋に移動した。入り口のほかに鉄格子で別の部屋と仕切られている部分があるほかは、ほとんど何もない部屋だった。
(続く)
-あとがき-
モンスター爺さんとのイベント、かなり脚色してみます。
いや、いきなり愛とか言われても困るじゃないですか。
ちなみに、賛美歌は実在の賛美歌第二編164番 「勝利をのぞみて」の替え歌です。歌詞はヤバイと言われますが、賛美歌はOKですよね? たぶん……