翌朝、目覚めた二人はシスター・レナに呼ばれ、教会の外に出た。
「何があるんですか? シスター・レナ」
まだ眠い目をこするリュカに、シスター・レナが案内して行ったのは、かつてのリュカの家、その裏手だった。
「見て、リュカ」
「……あ!」
リュカはそこにあったもの……桜の若木を見て、十年前の妖精界での記憶を思い出した。あの日、ポワンに貰った桜の苗木は、リュカが不在の十年の間に、リュカの背よりも高く成長し、青々とした葉を茂らせていた。
「あなたの桜は、どういうわけか塩や毒がまかれたこの土地でも成長し続けて……村の人たちは、みんなこの木を“リュカの木”と呼ぶようになったの。リュカの木が育つたびに、みんなどれだけ励まされてきたか」
シスター・レナは目を細めて、リュカとリュカの木を交互に見た。
「例えどんな遠くに旅に出ても、決して忘れないでね、リュカ。ここはあなたの故郷。この木があなたとサンタローズのみんなの絆。もし旅に挫けそうになったら、この木の事を思い出してね」
「……はい!」
リュカは目に涙をにじませ、それでも力強く返事した。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第二十一話 病める都
シスター・レナをはじめとするサンタローズの村人たちとリュカの木に見送られ、リュカとヘンリーは旅立った。これからどんな風に国を元に戻すための戦いを始めるか、と言う計画を練るためにも、一度ラインハットの本領の様子を見ていこう、と言う話になったのである。
「でも、様子を見るのはいいけど、どういうところを見ていくの?」
具体案を聞くリュカに、ヘンリーは答えた。
「うん……できたらデールの様子がわかれば良いと思うんだが」
ヘンリーの異母弟、デールはまだ十四歳だが、ヘンリーの失踪と父王の死によって王位を継いでいる。しかし、実権は母であるマリエル大后に完全に掌握されており、デールはほとんどお飾り同然の存在らしい。
「それに、大后の事でもちょっと気になる事があるんでね。そこを調べるのが目的だな」
そう、と頷くリュカ。ただ「気になる事」の詳細までは、ヘンリーは教えてくれなかった。
そんな会話をしているうちに、川の関所が見えてくる。ラインハット本領と旧レヌール地方を隔てる大河、その川底を掘りぬいて作られたトンネルで、かつてリュカもパパスに連れられて通った場所である。レヌール側には特に人はおらず、普通に中に入った二人だったが、本領側の地上部分に出た途端に、兵士が行く手を塞いだ。
「何者だ? 通行手形が無ければここを通すわけには行かんぞ」
もちろん、通行手形など二人は持っていない。どうするの? とリュカがヘンリーに目で合図すると、ヘンリーは自信満々の足取りで一歩前に進み出た。
「俺たちの通行手形は、これだ!」
いきなりヘンリーは兵士を殴りつけた。
「き、貴様、何をする!?」
頬を押さえながらも槍を向けようとする兵士に、ヘンリーはニヤニヤと笑いながら言った。
「よぉ、久しぶりだな、トム。カエル嫌いのお前が兵士とは驚きだ。それとも、もう平気になったのか?」
「な、なに?」
トムと呼ばれた兵士は目を白黒させた。
「何故、私の名前を……それに私がカエル嫌いだと何故知っているんだ?」
槍を向ける手を止めて聞くトムに、ヘンリーは言葉を続けた。
「背中にカエルを入れた時が、一番傑作だったな。あの時お前は泣き出した上にちび……」
「わーっ! わーっ!!」
トムは大声を上げ、ヘンリーの言葉を遮った。そして。
「その話を知っている人は……それにそのお顔立ち。まさか……まさか……ヘンリー殿下ですか!? まさか生きておられたとは……」
ヘンリーは頷いた。
「ばぁか、気付くのが遅いんだよ。そう、そのヘンリー様だよ。生憎、この通り足は二本とも付いてらぁな」
パンパンと自分の脚を叩いてみせるヘンリーに、トムは涙を浮かべて言った。
「なんともまぁ……お懐かしゅうございます、殿下。あの頃は泣かされてばかりでしたが、思えばあの頃のわが国には笑いが絶えませんでした。しかし今は……」
「おっと、そこまでだ、トム」
ヘンリーは人差し指でトムの口を塞いだ。
「兵士のお前が国の批判をしては、いろいろとまずい事もあるだろう。聞かなかったことにしておくぞ。それより、通してもらえるな?」
「はっ! 喜んで!!」
トムは最敬礼をしながら道を開けた。
「よし、じゃあ行こうか、リュカ」
「うん」
トムに見送られ、リュカとヘンリーは関所を通過する事ができた。城へ向かう馬車を見ながら、トムは涙を手で拭い、一人ごちた。
「この国はもう終わりだと思っていた……まだ希望はあったんだなぁ」
十年ぶりに街を訪れたリュカは、その変わり様に驚きを隠せなかった。
「これが、あの賑やかだったラインハット……?」
出店や屋台が埋め尽くしていた広場は、今はひっそりとしており、行きかう人々も一様に押し黙り、目を伏せている。建物の壁には無数のチラシが貼られていたが、どれも同じような事が書いてあった。
“ラインハット、万歳! 全ては王国のために”
“兵士募集中 生涯忠誠、命かけて国に尽くせ”
等々、国への忠誠を強調するそれらのチラシが貼られた壁の下で、みすぼらしい服装をした六歳くらいの少女と、弟らしい幼児が、縁の欠けた皿を置いて座っている。物乞いだ。だが、誰もその皿に金を投げ入れようとはしない。
「……よせ。あの子達だけじゃない。この広場だけで、どれほどああいう人たちがいるか……」
思わず財布にのびたリュカの手を押さえ、ヘンリーが憤懣やるかたない、と言う口調で言った。
「親父はこの国から貧しい者をなくしたい、と言うのが口癖だったんだ……くそっ」
ヘンリーの激しい怒りに、リュカが言葉を失ったその時、突然ラッパの音が響き渡った。その途端、慌てて物乞いたちが路地裏に逃げるように走りこんでいく。それと入れ替わるように、住民たちが建物の中から出てきて、道の両側に人垣を作り始めた。その間に開けられた道を、ラッパとラインハットの国旗を持った兵士たちが行進してくる。
「讃えよ! マリエル大后陛下のお通りである!!」
兵士たちが叫ぶと、住民たちは口々に「ラインハット、万歳! 大后陛下、万歳! 全ては王国の為に!」と連呼し始めた。数分待って、兵士たちに守られて、四頭立ての華麗な馬車がしずしずと進んできた。
「大后……!」
やはり路地裏に潜み、様子を見ていたヘンリーが言った。馬車の窓から、胸を張り誇らしげな表情で民を睥睨しているマリエル大后の姿が見えた。誰がこの国の主なのか、一目でわかる光景だった。
馬車が通り過ぎても、しばらくは万歳の連呼が続いていた。まだ馬車の護衛兵の列が続いていたのだ。それが通り過ぎるまで、万歳を止めるのは許されないらしい、とリュカが思ったとき、それを裏付けるように騒動が起きた。
「おい、貴様! 陛下に対する忠誠が足りないようだな。貴様のような奴は、我が栄光あるラインハットの民に相応しくない!!」
兵士たちが数人がかりで、人垣の中から一人の男性を引きずり出した。彼の万歳の仕方に因縁をつけているようだ。
「ひいっ! お、お許しください!!」
蒼白な顔で男性が懇願するが、兵士たちは許さず、その場で男性をリンチにかけはじめた。殴り倒し、倒れた所で足蹴にして転がす。周囲の人々は助けることもせず、必死になって万歳を叫び続ける。自分に累が及んではたまらない、と言うように。
凄惨な暴力はしばらく続いたが、男性が動かなくなると、それで気が済んだのか飽きたのか、兵士たちは唾を吐きかけて男性から離れ、他の人々を威圧するように見渡した。
「お前たちも、こいつみたいになりたくなかったら、国への忠誠を心から誓う事だ! いいな!!」
そうして兵士たちは去っていき、人々はようやく万歳から解放され、人々は疲れきった表情で家に帰り始めた。その中で、倒れている男性に一人の女性が縋りつき、泣き叫び始めた。
「あんた! あんたー!! 酷いよ、どうしてこんな事に!! お願いだから目を開けておくれよぉ……!!」
リュカとヘンリーは目配せすると、潜んでいた路地裏から飛び出た。兵士たちがいないことを確認し、男性と女性に駆け寄る。
「おかみさん、ちょっと失礼」
ヘンリーがそう言って女性をどかし、抗議の声より早く男性の首筋に手を当てる。
「大丈夫。まだ生きてる。リュカ!」
「うん、おじさん、しっかり……ベホイミ!」
リュカは男性の身体に手をかざし、最近覚えたばかりのベホイミを唱えた。強い癒しの光が男性の身体を包み、傷を癒していく。
「う、うう……お、俺は……」
そのベホイミで、男性は意識を回復したらしい。女性が目に涙を浮かべ、男性にしがみつく。
「ああ、あんた……良かった!」
女性は感激の涙を流していたが、しばらくしてリュカとヘンリーの方を振り返った。
「ありがとうございます、旅のお方。何も礼はできないけど、せめてうちの宿に一晩泊まって行ってくれませんか? もちろんお代は戴きませんから」
「いえ、当然の事をしたまでですから」
リュカは手を振った。
「ところで、何で俺たちが旅人だと?」
ヘンリーの質問に、女性――宿屋のおかみは溜息をついた。
「当然の事を……この街の人たちは忘れちまったからですよ」
結局、リュカとヘンリーは助けた主人とおかみの熱心な勧めで、二人の経営する宿に泊まる事になった。
「酷い事になってるね……この国」
リュカの言葉に、ヘンリーはああ、と頷き、質問を返してきた。
「リュカ、昼間の大后の行列なんだが……大后を見て、おかしいと思ったことは無いか?」
「え?」
リュカは首を傾げた。
「さぁ……わたしはあまりあの人に詳しいわけではないし。何かあったの?」
ヘンリーは首を縦に振った。
「ああ……あの大后、全く歳を取っていなかった。十年前のままだ」
「えっ?」
リュカは昼間見た大后の顔を思い返してみる。確かに、不自然に若いような気もするが……
「それだけじゃない。誰かに似てないか?」
リュカは再度大后の顔を思い返し、確かにどこかで見たような顔だと気がついた。誰だっけ、と考え込み……ふっとリュカはそれが誰だったかわかった。
「まさか……シスター・マリア?」
「そう、それだ」
ヘンリーは頷いた。
「修道院にいる時、どうしてもシスター・マリアの顔を見て、妙な感じが取れなかったんだ。今になってみればわかる。もしマリエル大后が普通に十年間歳を取っていたら、シスター・マリアの顔になるはずだ」
「……どういうこと?」
リュカの言葉に、ヘンリーはわからん、と首を横に振った。
「だが、なんとなく予想は付く。酷い予想だが……あの大后は偽者かも知れない」
「偽者?」
リュカは驚いた。突飛な発想に思えたのだ。しかし。
「そう考えると辻褄が合うんだ。あの人も、昔から悪い人だったわけじゃない。デールがまだ生まれる前は、オレにとっても優しい義母だったんだ。デールが生まれてしばらくしてから、あの人はだんだん変わって行った。もちろん、わが子可愛さで変わったのかもしれないが……」
ヘンリーは黙り、窓の外に見える王城を眺めた。
「……何とか、あの中に入れないかね」
その時、リュカはある事を思い出して、ポンと手を打った。
「兵士に志願したらどうかな?」
「なに?」
ヘンリーはリュカの方に向き直った。
「街にチラシがいっぱい貼ってあったでしょ? 兵士募集中っていうの。あれに申し込んでみたら?」
「……なるほど。それはいい手かもしれないな」
ヘンリーは頷いた。
「しかし、リュカはどうするんだ? あまりお前兵士向きには見えんぞ」
ヘンリーだけなら兵士でも通じるが、リュカはどう見ても荒事向きには見えない。
「うーん……まぁ、お城に仕えるのは兵士だけじゃないから、何とかなると思うよ」
リュカは微笑んだ。
(続く)
-あとがき-
ラインハット編スタート。ヘンリー主役祭りはもうちょっと続きます。
リュカがどうやって城に入るかはお楽しみに。