一瞬にも永遠にも感じられる時を経て、全身を覆う異様な感覚が抜けた時、リュカは閉じていた目を開いた。
「ここは……」
横ではヘンリーも目を覚ましていた。
「どうだ? 上手く行ったのか?」
その言葉に、リュカは前方を指差した。
「上手く行ったみたい。ほら、あれ」
リュカが指す先に、青灰色の石造りの塔が聳えているのが見えた。ヘンリーは持ち出してきた古い王の日記を開いた。
「この城の旅の扉より、南の地におもむく。南の地には、古き塔あり。真実の姿をうつしだす鏡がまつられていると聞く。しかし塔の扉は、我には開かれず。そのカギは修道僧が持てり。か……ビンゴのようだな」
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第二十三話 祈り続ける人
南の地へ来た二人だったが、すぐには塔に向かわず、一度引き返した。日記の記述を見るに、塔の鍵は修道士が持っている。そして修道院と言えば、この辺りでは海辺の修道院のことで間違いないはずだ。
「結局、すぐに戻ってくる事になったね」
リュカが言った。あれだけ盛大な見送りを受けて旅立ってから、まだ一週間ほどしか経っていない。
「まぁな。でも、一時的な話さ。すぐに引き返すつもりだからな」
ヘンリーが言う。日が暮れる頃、二人は橋を渡ってオラクルベリー島に渡った。海に沈む夕日に照らされ、修道院と墓地の丘が真っ赤に染まっているのが見えてくると、二人は一瞬懐かしさに足を止め、そして再び歩き始めた。修道院の門までくると、賄いのテレズが花畑に水をやっているのが見えた。
「テレズおばさま!」
リュカが呼びかけると、二人に気付いたテレズは目を見張り、まぁまぁ、と言いながら歩み寄ってきた。
「どうしたんだい、二人とも。就職でもしたのかい?」
そういえば、とリュカとヘンリーは思った。二人ともまだメイドと兵士の格好である。
「これにはちょっと事情がありまして……それより、院長様はいらっしゃいますか?」
リュカが聞くと、テレズはもちろん、と頷いた。
「あんたたちが出て行ってから、毎日院長様は二人の無事を祈ってらしたよ。会っておやり。きっと喜ぶよ」
「ええ」
二人は頷いて修道院に足を踏み入れた。礼拝堂に入ると、シスター・アガサが聖母子像に祈りを捧げているのが見える。それが終わるのを見計らって、リュカは声をかけた。
「院長様」
振り向いたシスター・アガサはテレズ同様驚きに目を見開き、そして笑顔を浮かべて聖壇から降りてきた。
「どうしたのですか? 二人とも……旅を諦めてしまったわけではないのでしょう?」
やはり、格好が気になるらしい。
「これには事情がありまして。それより院長、ちょっとお聞きしたい事があります。シスター・マリアの事なのですが」
ヘンリーが言うと、シスター・アガサは首を傾げた。
「シスター・マリアのことを? 直接本人に聞くのではダメなのですか?」
不思議そうなシスター・アガサに、ヘンリーは核心を突く質問をした。
「シスター・マリアはここ十年以内……少なくとも八年前にはここにいた。違いますか?」
シスター・アガサは頷いた。
「ええ、確かにシスター・マリアは九年前にこの修道院に入りました。でも、何故そんな事がわかるのですか?」
未だ質問の意味がわからず、きょとんとしているシスター・アガサに、ヘンリーは頭を下げた。
「他人の事を根掘り葉掘り聞くのは、神の教えには反しているかもしれませんが、多くの人々の命と暮らしがかかっています。どうか、その辺を詳しく聞かせてください」
シスター・アガサはしばらく考え、頷いた。
「いいでしょう。あなた達が意味もなくそんな質問をしてくるとは思えませんし。そうですね、あれは九年前のことでした。彼女がここに担ぎこまれてきたのは」
シスター・マリアは背中をバッサリと斬られた状態で川を漂っていた所を、漁に出たオラクルベリーの漁民に拾われたのだと言う。まだ息があった事から、彼女はこの修道院に運び込まれ、シスター・アガサによって回復魔法をかけられた。
魔法は間に合い、シスター・マリアは一命を取り留めたが、何故自分がそんな状態で川を漂っていたのか、そもそも自分は何処の何者なのか、という記憶を全て失っていた。
「マリアと言う名前も、本人が自分の名前を“マリ”としか覚えていなかったからです。私は身と心が癒えるまで彼女をここに置いてやり、その後ご家族や家を探すつもりでしたが……本人はそれらを何も覚えていませんでした。ただ、自分がとても罪深い事をした、と言う漠然とした記憶があるとかで、毎日神に祈りを捧げていました」
そこで、シスター・アガサはマリアにシスターになる事を薦めた。神に仕え、より強く神のご加護を受け取る事で、失われている記憶が取り戻せるかもしれない、と考えての事である。
「シスター・マリアの信仰は、とても真面目で敬虔なものでした。どんな罪を犯したのか、それすら記憶にないと言うのに、毎日のように懺悔をし、誰ともわからない相手に詫び続け、その人への加護を願い続けていました。傍から見ていて、痛々しいほどでしたよ」
リュカとヘンリーは、そのシスター・アガサの回想を黙って聞いていた。もし、シスター・マリアが本物のマリエル大后なら、自分たちを不幸のどん底に叩き落した張本人として、憎んでも良いはずだ。しかし、こんな話を聞いた後では……
「ですが、未だにシスター・マリアの過去の記憶は戻りません。ひょっとしたら、それこそ記憶を失わせた事自体が、神の思し召しなのかもしれない。私はそうとさえ思っています」
シスター・アガサはそこまで語り終えた所で、リュカとヘンリーの顔を真剣な表情で見つめた。
「どうやら、あなた達はシスター・マリアの過去に関わる、何らかの情報を持ってきたのでしょうね。違いますか?」
そう問いかけてくるシスター・アガサに、ヘンリーは頷いた。
「ご賢察です。確かに情報は持っています。それと今の話を照らし合わせ、おそらくはシスター・マリアがオレの知っている人物だろうと言う確信も持ちました」
ヘンリーは言った。
「ですがまぁ、それは本題ではありません。シスター・マリアがオレの知っている人物だとしたら、その名を騙り、多くの人々を苦しめている邪悪の正体を暴き、倒さねばなりません。そのために必要なものが、南の島にある塔に隠されています」
シスター・アガサは頷いた。
「ラーの鏡の事ですね?」
「はい。どうか、塔の鍵を我々にお貸しください」
シスター・アガサは頷くと、少し待っていなさい、と言って席を立った。リュカはヘンリーを見て言った。
「ヘンリー、やっぱり……シスター・マリアって」
「ああ。間違いなく……」
その時、件の人の声がした。
「私が、どうかしましたか?」
ひゃ、とリュカは変な声を漏らし、ヘンリーは慌てて振り向いた。
「し、シスター・マリア……」
そう、そこに立っていたのはシスター・マリアだった。続いてシスター・アガサが戻ってきて、ヘンリーに言った。
「鍵はお貸ししましょう。ヘンリーさん。このシスター・マリアを連れて行ってください」
「え?」
意味のわからない事を言い出すシスター・アガサに、ヘンリーは戸惑った声を上げる。それを後目に、シスター・アガサはシスター・マリアに尋ねた。
「南の塔の伝承は、教えた事がありますね?」
「あ、はい。神の力で封じられた塔の扉は、神に仕える清らかな乙女の祈りでしか開かない……でしたね」
シスター・マリアは答え、まさかと言う表情になった。
「院長様、まさか私に、その扉を開け、と?」
シスター・アガサは頷いた。
「ええ。リュカとヘンリーが塔の中に入らなければ、旅の目的を達成できないと……そこで、あなたにお願いしたいのです」
「そ、そんな……無理です!」
シスター・マリアは首を横に振った。
「私のような罪深い女が、清らかな乙女などと……そのような者が祈りを捧げては、神もお怒りになるでしょう。私以外の誰かをお遣わしください」
しかし、そのシスター・マリアの訴えを、シスター・アガサは退けた。
「この九年間、あなたがどんなに神に真剣に向かい合い、己の罪に立ち向かってきたか、私は良く知っています。清らかな乙女とは、ただ純潔であればいい、と言うようなものではなく、真摯な魂の持ち主を示している、と私は思っています。ですから……あなたが適任なのですよ、シスター・マリア。どうか、二人の旅を手伝ってあげてください。それに……」
「それに?」
聞き返すシスター・マリアに、シスター・アガサは答えた。
「この旅は、きっとあなたにとっても大事な事だと思います」
シスター・マリアは目を閉じ、しばらく考え込んでいたが、決心が決まったのか、リュカとヘンリーのほうに振り向いた。
「わかりました。私でよければ……足手纏いにはならないようにしますので」
リュカとヘンリーは頷いた。
「お願いしますね、シスター・マリア」
「よろしく頼む」
話がまとまった所で、シスター・アガサが言った。
「今日はもう遅いですから、明日の朝出発なさい。きっとテレズが何時もより気合を入れて料理を用意しているでしょうから」
その夜、リュカはフローラと一緒の部屋で寝る事になったが、そこでフローラから意外な話を聞かされた。
「え、フローラ、家に帰るの?」
フローラは頷いた。
「ええ……私もまだ勉強半ばだとは思うんですが、ラインハットの情勢が良くなくて、戦争になるかもしれないから、今のうちに帰ってくるように、ってお父様が……」
「そっか……」
リュカはフローラの事をうらやましいと思った。彼女には帰る家も、迎えてくれる父も、両方あるのだ。すると、その気持ちを悟ったのか、フローラは自分の口を手で押さえた。
「ごめんなさい、リュカ……私、無神経でした」
リュカに親も故郷もない事は、フローラも知っている。しかし、リュカは笑って手を振った。
「良いよ、フローラ。それより、フローラのお父さんと故郷の話、聞かせてくれないかな」
「良いですよ。私の家はサラボナと言う街にあって……」
フローラも明るい表情を取り戻し、話を続ける。次第に夜は更けていき、リュカとフローラはある約束を交わした。
「じゃあ、リュカの幼馴染みのビアンカさんが、やっぱり西の大陸にいらっしゃるんですか?」
「うん。もし会ったら、わたしは無事で元気だよって、教えてくれる?」
リュカはビアンカとの再会の可能性を、フローラに託したのだった。
「わかりました。その代わり、もしサラボナに来る機会があったら、私の家を訪ねて来てくださいね。リュカの旅の話、ぜひ聞きたいです」
そんなお願いをするフローラに、リュカは快諾し、互いに再会を約束しあった。
(続く)
-あとがき-
引き続き、メイドリュカ祭り開催中。
次回はみんな大好きあの人(?)登場の巻です。