シスター・マリアの祈りによって出現した扉を潜り、一行は塔の中に入った。まずいきなり目に付いたのは、広大な美しい中庭だった。中央に噴水があり、その周りを花畑が取り囲んでおり、日の光が燦々と射し込んで、噴水の水しぶきを煌かせていた。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第二十五話 真実の鏡
「中は吹き抜けだったのか……しかし見事なもんだな」
ヘンリーが言う。どうやら、塔の大まかな構造は、小さな塔を四つ、正方形になるように並べ、外壁を兼ねた回廊で繋いだようになっているらしい。中庭側の壁にも、彫刻や壁画が無数に飾られており、天空の剣を構えた少年と、彼に従う仲間たちが、見るからに醜悪な怪物と戦っているモチーフのものが多い。どうやら、天空の勇者と導かれし者たちの事績を描いた年代記のようだ。
リュカたちは中庭に入り、年代記を見て行った。次第に視線が上を向き、頭上には外からも見えた、最上階の橋が頭上を渡っているのが見えた。しかし……
「あの橋、途切れてるよね……?」
リュカが言った。橋は中央付近で、そこだけ切り落としたように綺麗に途切れていた。
年代記には文字による情報はなく、天空の装備がどんな形状をしているのかがわかっただけだった。リュカたちは中庭を離れ、塔を登って行った。驚いた事に神の至宝にまつわる神聖な建物であるにもかかわらず、中には数多くの魔物が生息しており、リュカたちはかなりの頻度で戦闘を強いられた。
もっとも、全てが無駄な戦いだったわけではない。リュカに邪気を払われたホイミスライムが一匹、仲間に加わったのである。
「よし、じゃあ今日からあなたの名前はホイミンよ。よろしくね、ホイミン」
ホイミンと名付けられたホイミスライムは、嬉しそうにふよふよ漂いながら触手を振り回して踊る。それを見ながら、ヘンリーは額に手を当てた。
「リュカは、力は凄いけどネーミングセンスはアレだよな……」
もし、彼女に将来子供が出来たら、男の子ならムスコス、女の子ならムスメスとか名付けかねないとヘンリーは心配した。名前はちゃんとオレが考えてやらねばなるまい。
(……ん? オレがリュカの子供に名前をつけるのか? ちょっと待てオレ。何を考えている)
首を振って、頭に浮かんだとんでもない考えを振り払うヘンリー。それをピエールが不審そうな目で見ていた。
ともかく、回復魔法に長けたホイミンの加入もあって、リュカたちは特に大きな傷を残す事もなく、塔の中を進んでいった。幾つか宝箱を見つけたりもしたが、本命の探し物が見つからない事に、次第に焦りの色が濃くなり始める。
本命――ラーの鏡ではない。ラーの鏡が納められている区画は見当がつくが、そこへの道……例の途切れた橋をどうにかする仕掛けが、どうしても見つからないのだ。どこかにスイッチがあって、それを操作することで橋を開通させると踏んでいたのだが……
「どうしても見つからないか……どうやってここを通るのかな?」
リュカは途切れた橋の上で考え込んでいた。その時、ホイミンがふわふわと漂ってきて、ボクをボクを、と言いたげに自分を指差した。触手で指差しと言う表現は、正しいのかどうか不明だが。
「そっか、ホイミンは飛べるんだったね。ちょっと待ってて」
リュカは荷物の中からロープを取り出し、ホイミンにその端を渡した。
「それじゃあ、お願い、ホイミン」
ホイミンは頷いて、橋の途切れた部分にふわふわと飛んでいく。が、真ん中部分に差し掛かった瞬間。
「!?」
バチッという音が響き渡り、ホイミンは空中で見えない壁に激突したように動きを止めると、気を失ったのか下に落ちていった。
「ホイミンーっ!?」
慌ててロープを手繰り寄せるリュカ。幸いホイミンは生きていて、まだロープを握っていたので助かったが、身体のあちこちが電撃を受けたように黒く焦げていた。
「どうやら、バリアーか何かがあるらしいな」
リュカがホイミンにホイミをかけている間に、ヘンリーは腕組みをして考え込んだ。橋の仕掛けが見つからないだけでなく、バリアまであるとなると、鏡を納めた区画は難攻不落だ。どうすべきか、と思った時、動いた人物がいた。
シスター・マリアだった。彼女は橋の途切れた部分ギリギリまで歩いていく。リュカとヘンリーは慌てて後を追った。
「シスター・マリア、一体何を?」
リュカに聞かれ、シスター・マリアは振り向いた。
「この塔に関する伝承の中に、こういう言葉がありました。目に見えなくとも、尊いものがある。形がなくとも、素晴らしい物がある。決して目に見えるものだけが真実ではないと」
その言葉を聞いて、ヘンリーは背筋が寒くなった。
「まさか、シスター・マリア?」
シスター・マリアは視線を橋の途切れた部分に戻した。
「この橋こそ、見えないものを尊いとした神の試練なのでしょう。それならば、きっと信じるものには道が開かれるはずです」
そう言って、シスター・マリアは躊躇うことなく、足を一歩前に踏み出した。
「!」
ヘンリーは息を呑み、リュカは思わず目を手で覆った。そして、次の瞬間、目を疑った。
何もないはずの虚空に踏み出したシスター・マリアの足が、しっかり床を踏みしめている。何時の間にか、橋は繋がっていた。
一体どんな仕組みなのか……幻覚の類なのかもしれないが……リュカもヘンリーもそうは思わなかった。確かにこの塔には神の大いなる御業があるのだと、そう信じるしかない光景だった。
「神よ、罪深き私を受け入れていただき、感謝いたします」
シスター・マリアは立ち止まって祈りを捧げると、先に進んでいく。リュカとヘンリーも後を追い、橋の向こうにある区画に入った。
「あれが……」
「ラーの鏡……」
リュカとヘンリーはその部屋の中の聖壇に安置されたものを見て、思わず声を漏らしていた。その鏡は見事なまでの美しさを持っていた。その名を冠する太陽神ラーを象徴する、太陽の光のような放射状の模様が周囲の縁取り部分に刻まれ、中心部は一点の曇りも歪みもない、完璧な平面を構成している。カジノのレプリカなどとはまるで次元の違う存在だった。
リュカとヘンリー、シスター・マリアは聖壇に近寄り、恐る恐る、といった感じで鏡を見た。一瞬、鏡の表面に自分たちの姿が映ったと思った瞬間、鏡の表面から眩しい光が放たれた。
「えっ!?」
「なんだ!?」
「きゃあっ!?」
光の中に、三人の悲鳴がかき消されていった。
嫁ぐ時、最初に感じたのは不安だった。王が求めているのは、私自身ではなく、私が結婚に当たって持たされる持参金。ただそれだけではないのかと。もちろん、大国ラインハットの王室と私の家が婚姻で結びつく事は、私の両親にとっても商売をするうえで大きなメリットがある、と言うことは理解していたし、大貴族や大商人の娘には、恋愛結婚などまずする自由はないのだと、理性ではわかっていた。
しかし、私の心配は結果から言えば杞憂だった。ラインハット王、エドワード陛下は、本当に心優しい方で、不安に震える私を優しく包み込んでくれた。この時、私は愛を……恋を通り越して愛を、陛下に抱いた。
陛下が先のお后様との間にもうけられたヘンリー殿下も、とてもかわいらしく明るい子だった。二人のお陰で、私は王室に嫁ぐ事への不安を乗り越えられたと思う。
幸せな日々の中、私は陛下との間に子を授かった。その子はデールと名付けられた。二番目の王子だが、私はヘンリーを次の王に、と言う陛下のお気持ちを察していたし、それを妨げるつもりなどなかった。デールがヘンリーを良く補佐し、兄弟二人で国を栄えさせて行ってくれれば良いと。
陛下もデールの将来について考えてくださっていたようで、ある日こんな事を言われた。
「いずれデールが成人した暁には、デールをレヌール大公として封じ、この国の西半分を与えようと思う。レヌール城は歴史ある美しい城だそうだ。今は誰もいないが、修理してかつての美しさを取り戻せば、デールに相応しいよき居城となろう」
私は嬉しかった。陛下がデールの事をしっかり考えてくださっていると。
だが、私はその夜から不思議な悪夢にうなされるようになった。
成人したデールが大勢の家来を連れ、レヌールに入城する。しかし、そこは廃墟のままで、驚いたデールを、突然家来たちが襲い、殺してしまう……いや、それは家来に化けた魔物たちなのだ。
私は悲鳴を上げて飛び起き、傍で幼いデールが眠っているのを確認して、安堵の息をつくとともに、恐怖で震えた。あまりにも恐ろしい夢……それが一回だけなら、気のせいと笑い飛ばせたかもしれない。しかし、悪夢は毎夜のように続いた。
ただの夢、ただの夢だと自分に言い聞かせても、毎晩繰り返され、細部まで鮮明になっていく悪夢は、次第に私の心を狂わせて行った。毎朝、自分の傍にデールがいる事を確認し、何時も傍にデールを置かなければ安心できなくなって行った。一人放り出されたヘンリーがどう思っているか、などとは考えもしなかった。
それどころか、私の保護を失い、孤立し、イタズラで自分や陛下の気を引こうとするヘンリーを、私は愚かな子供であり、デールに及ばない器なのだと決め付けるようになってさえいた。
そして、その頃から、夢の内容は少しずつ変化していった。大筋では変わらない。デールがレヌールへ赴き、殺される。デールを殺すのは最初の頃は魔物だったが、この頃になると、デールを殺すのは人間だった。ヘンリーであったり、陛下であったり、ロペス大臣であったり、パパスと言う見知らぬ剣士だったりした。
それでもまだ、私は陛下への愛を失ったわけではなく、夢と現実の区別もまだ付いていた。そこで、悪夢の内容を相談するために、ある高名な夢占い師と言う触れ込みの男を呼び寄せた。それが、デズモンとの出会いだった。
デズモンは夢の内容を聞き、それは夢魔の仕業だろうと言って、何やら虹色に輝く薬を手渡してきた。
「これは秘宝、夢見のしずく。これさえ飲めば、悪夢をもたらす夢魔はたちどころに退散しましょう」
私はそれを飲み……驚いた事に、その夜は夢を見なかったのだ! 私はデズモンを賞賛し、望みの褒美を取らせようと言った。それを聞いて、デズモンは王室付きの占い師の地位を求めた。
私はそれを快諾し、陛下にデズモンの登用をお願いした。最初渋った陛下も、私の繰り返しの嘆願に折れ、デズモンを宮廷占い師に任命した。
その直後から、私は再び悪夢に悩まされ始めた。デズモンに相談すると、彼は夢見のしずくをまた与えてくれた。効用はあらたかで、私はまた悪夢から解放され……代わりに違う夢を見始めた。
それは、デールが皇帝になっている夢。ラインハットの王ではなく、世界の全てを支配する皇帝に。だが、薬の効果が切れると、再びデールが殺される悪夢が私を待っていた。
私はもはや、デズモンのくれる薬なしには……悪夢からの解放と、皇帝の夢の魅力無しには、一時も暮らせなくなっていた。夢と現実の境が曖昧になっていた。もはやヘンリーを含め、夢の中でデールを殺す者全てが私の敵だった。夢に出てこない者しか信用できなくなっていた。
だから、ある日……デズモンが言った言葉に、私は迷わず頷いていた。ヘンリーを追放し、デールを立太子するという恐るべき策謀に……なぜ、占い師のデズモンがそんな事を言い出したのか、考えもせずに。
ヘンリーが拉致され、失踪したと聞いた時、私の心には安堵しかなかった。これでもう、デールは殺される事はないのだと思った。だが……私の悪夢の中で、デールを殺していたのはヘンリーだけではなかった。大臣ロペスに、兵士長、パパス。それに……それに……
「迷う事はありませんよ、マリエル王妃」
私を呼び出して、デズモンは言った。
「あなたの大事なデールを害そうとする者たちは、みんな殺せばいいのです。一言言えば良いのですよ。あれを殺せ、と。そのための準備は既に整っています」
ああ、その通り。その通りです。でも……ああ、なんて恐ろしい……!」
それだけは言えなかった。その人だけは。
陛下を殺せとは、それだけは言えなかった。
逡巡する私を見ながら、デズモンはちっと舌打ちした。
「そろそろ潮時か」
「……デズモン?」
私は顔を上げた。そこにいたデズモンは……
見たこともないような、邪悪な笑顔を浮かべていた。私は思わず悲鳴を上げ、後ずさりした。
「お前を傀儡とし、この国を支配するつもりだったが……思いもかけず苦労させてくれた。もはや夢見のしずくも残り少ない。言うとおりに踊らぬ人形など、パペットマンにも劣る」
「で、デズモン……お前は……お前は! お前が、私を!!」
私は悟った。私に悪夢を見せていたのは……
「そうだ、オレがお前に夢を見せていたのだ。今頃気付いたか」
デズモンは嘲笑し、腰の剣を抜いた。銀色に光る死の刃。私は踵を返し、部屋から脱出しようとして……それよりも早く、デズモンの剣が私の背中を断ち割った。
「が……」
自分の身体から噴き出した血だまりに沈んだ私を、デズモンは冷たく見下ろしていた。そして指を鳴らすと、魔物が二匹。彼の横に現れた。
「お前はこの死体を始末して来い。お前は、こいつの身代わりになれ」
醜悪な魔物が、呪文を唱えて私の姿に変わる。そして、もう一匹は私の身体を掴み上げ、窓から夜空に飛び出した。草原を、森を、一飛びに越えていき……魔物は私を川の中に放り込んだ。
気がつくと、鏡の発する光は消えていた。
「今のは……いったい?」
白昼夢のような体験に、リュカは呆然と呟いた。その時、シスター・マリアが立ち上がった。
「これは……確かに真実を見せる神器なのですね。私の真実をも映し出してくれました」
彼女は涙を流しながら振り向いた。
「じゃあ、やっぱりあんたは……」
ヘンリーが搾り出すような声で言うと、シスター・マリアは頷いた。
「ええ。全てを思い出しました。私はシスター・マリアではありません。魔族に操られ、大罪を犯した愚かな女、マリエルです」
そう言うと、シスター・マリア……いや、マリエルは鏡を抱いてその場に膝を突いた。
「ヘンリー、それにパパスの娘リュカ……本当に、本当にごめんなさい……! 私は、私は罪も無いあなたたちから大事な人を奪い、十年もの間塗炭の苦しみを味あわせてしまった……!!」
号泣するマリエルの目から、涙がボロボロとこぼれてラーの鏡に滴り落ちる。リュカとヘンリーはじっとその姿を見ていた。
(続く)
-あとがき-
大后の扱いって原作で納得行かないことの一つだったりします。あの人は徹底的に悪役にするか、反省するのでも物凄く苦しみ抜くか、どっちかのほうが良いなぁと。
今回は後者なわけですが、ちょっと反応が怖い……