翌日、何とか見つけて泊まる事のできた宿から、一行は西に向けて出発した。
「それでヘンリー、目的の山まではどれくらいかかりそう?」
今日はリュカが御者を務め、ヘンリーは横で地図片手にナビゲートをしている。
「三日……ってとこかな。あの山がそれっぽいが」
ヘンリーは前方を指差した。遠くに南北に走る山並みが霞んで見え、南の端の山には霧がかかっている。
「グレートフォールってのは滝の名前でもあって、えらく高い滝なので、水が地面に落ちる前に飛び散って霧になってしまうんだそうだ。あの山がそうなんだろう」
「へぇ……ちょっとその滝も見てみたいね」
リュカはのんきな感想を言ったが、それも三日後には吹き飛ぶ羽目になる。なぜなら……
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第三十二話 地上の星空
「こ、これ全部が一つの山?」
目的地のグレートフォール山の麓で、一行は呆然と山を見上げていた。山脈だと思っていた山並みは、実は一続きの巨大な山だったのである。その山腹はセントベレスのような切り立った崖で、山頂部は広い高原になっているらしい。いわゆるテーブルマウンテンと呼ばれる形式の山だった。
「こんなの、どうやって登るの?」
リュカの言葉に、ヘンリーは首を捻った。
「う、うーん……まぁ、登った記録があるからには、道はあるんだろうけど……今でも使えるのかね」
下手すると崖を必死に登る羽目になるかもしれない。とりあえず、行ける所まで行く事に決め、リュカたちはグレートフォール山に取り付いた。
山登りはまさに苦難の連続だった。崖に道が付いている事は付いていたのだが、あちこち崩れて道が消えていたり、落石が襲ってきたりで、生きた心地がしない。しかも、馬車は途中で置いて行く他なくなった。道の幅が人一人分程度まで狭まってきたのだ。
「ここから先は、馬車を降りて歩いていくしかないね……とりあえず、誰か馬車に残って番をしてくれる?」
リュカが言うと、マーリンが手を上げた。
「済まんが、ここからは年寄りの足にはちとキツイわい。残らせてもらうよ」
次にピエールが手を挙げた。
「では、それがしも。魔法使いのマーリン殿一人では心もとないゆえ」
「え? ピエールは出来れば着いてきて欲しかったのに」
リュカが言った。戦闘も回復もどちらも可能なピエールは、なかなか街に帰れない長期戦には欠かせないメンバーなのだが……
「え? い、いや、しかし。それにはホイミンもおりますし」
ピエールが珍しくリュカの頼みを拒否する。その身体がなぜか小刻みに震えているのを見て、ヘンリーはピンと来た。
「さてはお前、高所恐怖症だろ」
言った瞬間、ピエールは目に見えて動揺した。
「な、なななな、何を!? それがしが高い所が怖いなど……! 下を見下ろして目が回ったり、足がすくんだり、冷や汗が出たり、そんな事は断じてない! あるはずがない!!」
見るからに高所恐怖症だった。仕方なくリュカが助け舟を出す。
「うーん、それじゃあ、ピエールもお留守番よろしくね。ホイミン、コドラン、お願い」
リュカは空を飛べる仲間を選んで連れて行くことにした。しばらく道を進んだ所で、ヘンリーは耐え切れなくなったようにくっくっと笑った。
「あの野郎、思わぬ弱点があったもんだ。しばらくこのネタでからかってやろう」
「もう、ヘンリーってば……良くないよ? そういうの」
呆れたように言うリュカに、ヘンリーは言い返した。
「良いんだよ。アイツ、オレが船酔いする事は散々バカにしてくれたからな。これでおあいこさ」
「はぁ」
リュカは溜息をつくと、山道を登っていく。ヘンリーもそうだが、セントベレス山頂から下界を見おろしていた二人は、高所恐怖症とは無縁である。崖に刻まれた道を登り、日が暮れたらキャンプを張り、時々襲ってくる魔物を撃退し……と言う事を続ける事三日。ルラフェンから出発して一週間後、ようやくリュカたちは山頂に辿り着いた。
「……すごい。山の頂上じゃないみたい」
リュカは思わず溜息をついた。そこは広大な草原で、中央に大きな湖さえある。そこから川が流れ出していたが、おそらくそれがグレートフォールの滝に続いているのだろう。湖の対岸には森もあり、さながら神が人の手の届かぬ所に創った庭園と言う趣だった。
「見事なもんだ……天界とか楽園ってのはこういうところだよな。光の教団の連中が作らせているような紛い物じゃない」
ヘンリーもしばらくその光景を眺めていた。
「……っと、あまり感心してばかりもいられないな。ルラムーン草を探さないと……お?」
歩き出すヘンリーの服の裾を、リュカが引っ張って止めた。
「ん? どうしたんだ? リュカ」
ヘンリーが振り返ると、リュカは湖の方を指差した。
「ルラムーン草は夜になると光るんでしょう? だったら、夜のほうが探しやすいよ。それまでちょっと一休みしようよ。せっかく来たんだし」
「……それもそうか」
ヘンリーは頷いたのだが、数分後、彼はそれに頷いた事を後悔する。
湖のほとりで、ヘンリーは岩に背を預けて湖の反対方向を向き、帽子を顔に載せていた。視界を塞いで雑念を払おうと言う意図だったが、逆に水音がいろいろ想像させる。そう、彼の背後、湖の所ではリュカが水浴びをしている。一週間、お風呂にも入れなかったリュカは、ここで身体を洗って行くと宣言したのだった。
パシャ、パシャ、と言う水音が聞こえる度に、ヘンリーは思わずその光景を想像してしまっていた。一糸まとわぬ姿の美少女が、手の届く所に……
(いかんいかん。落ち着けオレ。リュカはそう言う風に見る対象じゃないだろ……守るべき相手だろ)
ヘンリーはそう自分に言い聞かせる……が、落ち着かないのは彼も年頃の少年である証拠だろう。何しろリュカは奴隷の身から自由になった後は、どんどん綺麗になる一方だ。こんな事がなくても、意識してしまうのは日常茶飯事だ。
(まったく……リュカの奴、恥ずかしくないのか? それとも、それだけオレを信頼してくれてるって事か? 絶対に覗いたりしないと)
ヘンリーは思う。すくなくとも、恥ずかしくないとか、ヘンリーを男として意識してないとか、そう言う事はないはずだ。リュカにも少女らしい羞恥心があるのは、初めての出会いの時にスカートめくりをして泣かせた事で証明されている。
(……そう言えば、今リュカってどんな下着を着けて……って、ダメだダメだオレ!! 考えるんじゃない!!)
悶々とするヘンリーの脳裏に、何か話しかけてくる声があった。自分の声で。
(良いじゃないか。覗いてしまえよ)
それは悪魔の姿をしたヘンリーだった。
(何を言ってるんだ、お前は。騎士としてそんな事が許されるか)
天使の姿をしたヘンリーがそれに反論するために出現し、古典的な脳内善と悪の最終戦争が始まる。
(甘いな。油断している方が悪い)
(そこにつけこむなど男として言語道断!)
(今更いい子ぶるなよ。気になってるんだろ? 服の上からでも胸が大きいのがわかるなーとか)
(だから、そう言う事を言うな! リュカは守るべき相手だぞ! 傷つける事なんか許されるか!)
(そうやって、一生見守るだけとか言うつもりか?)
(当たり前だ)
(お前、それプロポーズじゃねーか)
「何い!?」
自分の中の悪魔の声にヘンリーが驚いて声を上げた時だった。
「どうしたの? 大声出して」
リュカの声に、ヘンリーは心臓が止まりそうになった。恐る恐るふり向くと、とっくに水浴びを終えたのか、服をしっかり着込んでいる彼女の姿がそこにあった。
「い、いや……なんでもない」
ドッと疲れたヘンリーだった。
ヘンリーの精神的疲労はともかくとして、一行は湖のほとりにキャンプを張り、夜が来るのを待った。山の上の日暮れは早く、山稜の向こうに日が沈んでいくと、まだ地上は夕焼けに照らされているのに、山頂は暗闇に覆われ始めた。
「さて、そろそろ探しに行くか……ん?」
ヘンリーがそう言ってテントを出たところで、急に立ち止まった。
「どうしたの? ヘンリー……って、うわぁ……」
リュカも続いて外に出て、その光景に息を呑んだ。
広大な草原が夜の闇に包まれるにつれて、そのあちらこちらに光が灯っていく。光の数は急速に増え、やがて天の星空を写し取ったように、草原の全てが無数の光に彩られた。
「あれが全部ルラムーン草……?」
「そう、みたいだな……驚いたな」
ルラムーン草は記憶を持つ、と言うベネットの説が納得できた。この広大な台地の上で、ルラムーン草は何百年、何千年と星空を見続け、その様を地上に写し取ってきたのだろう。リュカとヘンリーは自分たちがまるで星空の中に浮いているような感覚に浸りながら、その光景を見続けていた。
出発から二週間、リュカたちはルラフェンの街に戻ってきた。ベネットはルラムーン草を見て狂喜乱舞した。
「これこそ、まさにルラムーン草! 良くやってくれた。さっそく実験に取り掛かろう!」
リュカとヘンリー、マーリンが見守る中、ベネットは炉に火を入れた。大きな壷の中で、キメラの翼や帰巣本能のある生き物の一部が煮込まれ、白い煙が立ち上る。溶液の色が変わってきたところで、ベネットはルラムーン草を手に取った。
「今じゃ。このタイミングで……」
ベネットがルラムーン草を壷の中に放り込んだ途端、反応が激しくなり始めた。ぶくぶくと泡が湧き立ち、煙の色も白から青へ、青から赤へ、赤から緑へ、とめまぐるしく変わっていく。
「おいおい、大丈夫なのか!? 爆発とかしないだろうな!?」
ヘンリーが言った瞬間、ベネットが答えるよりも前に、壷が凄まじい閃光を放った。
「きゃあっ!」
「うおっ!?」
「眩しっ!!」
悲鳴が上がり、視界を塗りつぶす光の中、リュカは気を失った。
最初に意識を取り戻したのは、リュカだった。
「う……」
頭を振りながら身を起こすと、周囲に他の三人が倒れているのが見えた。とりあえず、手近にいたベネットを起こそうとして立ち上がると、何かが床に落ちた。
「……これは?」
それは中に淡い光を宿した、透明な多面体の結晶だった。その落ちた音か、リュカの起きた気配に反応してか、ヘンリーたちも起きてくる。
「いつつ……どうなったんじゃ?」
腰をさするベネットに、リュカは結晶を見せた。
「ベネットさん、こんなものがあったんですが、これは?」
「……おお、これは魔力の結晶じゃ! どうやら何かの魔法にはなったようじゃな。娘さん、試してみてくれんか?」
ベネットは結晶を見て喜色を浮かべたが、リュカは戸惑った。
「わたしが……ですか? ベネットさんが試すのでは?」
そう聞くと、ベネットは恥ずかしげに頭を掻いた。
「うむ、そうなんじゃが……良く考えたら、ワシはこの街から出た事がないのでな。ルーラを使っても意味がなかったわい」
思わずコケそうになるリュカとヘンリー。
「ま、まぁ、そう言うことでしたら……」
リュカは気を取り直し、手のひらの上に結晶を置いて、意識を集中させた。彼女の魔力と結晶が同調し、そこに秘められた力がリュカの脳裏に流れ込んでくる。そして、彼女はその呪文の名を知った。
「……ルーラ!」
次の瞬間、リュカたちの姿は虹色の閃光と共にその場から掻き消えていた。
(続く)
-あとがき-
天然無防備お色気万歳(殴)。
それはさておき、次回から二つのリング編。いよいよリュカたちにも人生最大の選択が迫ります。