翌日、一行はビアンカを通じて水門の通行許可を取り、その北の広い内海に出た。ほぼ対岸に、白い煙のような滝の水飛沫に包まれたグレートフォール山が見える。
「オレ達は一度あの山に登った事があるが、特にこの前の神殿みたいな建物は見かけなかったぜ。ルドマンさんは本当にあれが怪しいと睨んでるのか?」
ヘンリーの言葉に、アンディはグレートフォール山から目を離さないまま答えた。
「ええ。伝承によると、水のリングは“水の力に囲まれた場所”にあるそうです。あの山は内海の傍にあって、山頂に湖があり、そこから滝が流れ出している……間違いなく“水の力に囲まれた場所”です。きっと、何かがあるはず」
それを聞いて、リュカはマーリンに尋ねた。
「どうかな、マーリン。何か聞いたことはある?」
「伝承自体は、ワシも聞いたことがあるな……言われて見れば確かに、グレートフォール山は水の聖地と呼ぶに相応しい、南の死の火山と対になる存在と見えるな」
なるほど、とリュカは思う。サラボナを中間点とすると、二つの山はほぼ同じ距離にあり、性質は水と炎で正反対。まるで神様が意図してこの二つの山を配置したようにさえ思えた。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第三十八話 滝の奥で
納得した一行を乗せ、一日で内海を横断した船はグレートフォール山への川、その河口付近に停泊した。小さな船といえど、川を遡るにはいささか大きすぎる。
「まぁ、ここに留まる理由はそれだけじゃない。あの滝の水飛沫の下は、まるで嵐のような危険地帯なんだ。ボートは使えない。川沿いに歩いて近づくしかないぞ」
船長がそう解説する。川を見るとかなりの急流で、その流れの速さに負けない強風が川に沿って吹き付けてくる。膨大な量の滝の水が、落ちていく最中に巻き込んだ空気の流れが、この風を作っているのだ。リュカたちは船員が嵐の中で甲板作業をするのに使う、オイルスキン(油で煮込んだ革)製のレインコートを借りて、川に沿って上流へ向かう事にした。
数時間進むと、滝まではまだ大分あるにもかかわらず、風に乗って水飛沫が豪雨のように叩きつけてくるようになった。視界もほとんど白一色で、ほとんど前が見えない。横の川は轟々と音を立てて流れ、波と泡で真っ白だ。
「みんな、離れたらダメだよ!」
「おう、オレはここにいるぞ!」
「僕も大丈夫。傍にいます!!」
「私もまだ大丈夫よ!!」
リュカたちは声を掛け合って、お互いの居場所を確認しながら先に進んだ。風と飛沫はますます強烈になり、まるで激流の中を歩いているようだ。息も苦しくて、地上にいるのに溺れそうだ。
そんな悪戦苦闘をどれだけ続けただろうか。突然、風と水飛沫が止んだ。リュカはほとんど閉じていた目を開いて辺りを見回す。そこは、三方をドーム状になった岸壁に囲まれた、巨大な空間だった。おそらくレヌール城くらいならすっぽり入る大きさだろう。
残る一方を、落下するグレートフォールの水飛沫が覆っている。ここは長年の水飛沫の浸食で削られて出来た、グレートフォール山の垂崖の巨大な凹みだった。
「や、やっと滝を抜けた……」
リュカが言うと、ビアンカが溜息をついた。流石のオイルスキンも水飛沫が激しすぎて、途中からは防水の用をなさなくなっていた。全身ずぶぬれである。
「うう……もうびしょ濡れよ。寒いわ……」
日の光が水飛沫でほとんど遮られるせいか、その空間は外と比べてかなり気温が低く、吐く息も白かった。また、今もしのつく雨程度には水が降って来るので、長い事ここにいたら凍えてしまうだろう。
「どこか、雨宿り……って言って良いのかわからんが……できる場所を探そう。火を起こさないと全員凍死だぜ」
ヘンリーが言い、馬車の中にいた仲間たちも加え、ドーム内の探索が始まった。
三十分ほどした時、岩を叩くカンカンと言う音がドーム内に響き渡った。全員の視線が集中したその先で、ブラウンが大金槌で大きな岩を叩いていた。
「ブラウン、何か見つけたの? ……これは?」
傍に寄ったリュカは、滝からの気流とは違う空気の流れを感じ取った。岩の周りをよく見ると、岩壁との間に隙間があり、大きな空洞に繋がっているようだ。
「こいつは当たりか? よし、岩をどかそう!」
ヘンリーがそう言って岩に取り付く。アンディ、ブラウン、ピエール、プックルも手伝って、岩を押していくと、それはバランスを崩して、ゴロゴロと川のほうへ落ちて行った。その跡に馬車も入れそうな巨大な洞窟が姿を現した。
「空気の流れがあるって事は、どこかには通じているよな。入ってみよう」
ランタンを灯し、一行は洞窟の中に入って行った。中もかなりの湿気があるが、とりあえず壁や床が湿るほどではない。少し奥に進んで、やや広い空間に出たところで、リュカが馬車を止めさせた。
「ここで少し休んでいこうよ」
全員まだずぶ濡れだし、馬車の中にまで水が吹き込んで、かなりの荷物が濡れてしまっている。
「そうだな……火を起こして服や荷物を乾かそう」
ヘンリーは馬車から薪を取り出したが、それもかなり湿ってしまっていた。
「お? これじゃ火がつかないな……」
ずっしり重い湿った薪を降ろしてヘンリーが困った口調で言うと、ビアンカがニッコリ笑いながら出てきた。
「それじゃ、それは私に任せてもらえるかしら?」
「え? あんたが?」
ヘンリーは疑問形で言いつつも、お手並み拝見とばかりに場所を譲る。そこで、ビアンカは手にしていた包みを解いた。中から現れたのは、リュカにも見覚えのある品だった。
「あ、ビアンカお姉さん、それって……」
「そ、あの時のあれよ。炎の爪」
かつてレヌール城のお化け退治をした際に、亡霊の王妃からビアンカにご褒美として与えられた、あの武器だった。ビアンカはそれを腕に填め、二、三度素振りをすると、気合を込めて正拳突きを放った。
「はあっ!」
その気合が炎の爪からまさに炎となって迸り、薪を直撃した。湿気っていたはずの薪が、まるで枯れ枝のように燃え上がる。
「うお? すげえな……メラミ並みの熱量じゃないか」
ヘンリーが感心した。彼もメラ系魔法は操るが、まだメラミは使えない。
「ほほう、炎の爪か。導かれし者のアリーナ姫も使っていたと言う武器じゃな」
「えっ、そうなの?」
ビアンカは憧れのアリーナ姫の武器を持っていると言う事に、踊りだしそうなほどに嬉しそうな表情をした。もっとも、炎の爪は後世になって量産品が作られるようになったので、これがアリーナ姫の炎の爪かどうかはわからないのだが……マーリンはそんな事を言って乙女の夢を壊したりはしなかった。
ともあれ、焚き火は用意できたので、一行はこの広場で一休みしていく事になった。ただし、ビアンカがロープを張ってそこにシーツや毛布をかけて、男女の境界線を作っている。
「ここから先は男子禁制。覗いたらぶっ飛ばすわよ?」
「覗かん、覗かん」
ビアンカとヘンリーのそんなやり取りがあり、男女に分かれて焚き火に当たる。冷え切った身体に、ようやく温かみが戻ってくる感じだ。
「はい、リュカ。お茶よ」
「ありがとう、ビアンカお姉さん」
リュカはビアンカの差し出したカップを受け取り、冷ましながら飲んだ。奴隷だった頃は熱々のお茶を飲む、などと言う贅沢は出来なかったため、リュカは猫舌である。
「ふぅ……」
お茶を半分ほど飲んでリュカが一息つくと、何やら仕切りの毛布の方を見ていたビアンカは、リュカに視線を戻した。
「どうやら、覗いてはいないみたいね」
男性陣の気配を探っていたらしい。リュカは苦笑した。
「ヘンリーはそんな人じゃないよ、ビアンカお姉さん」
その答えに、ビアンカの方こそ苦笑する。
(ヘンリーさんだけ……ね。聞くまでもないかしら?)
そう思いつつ、ビアンカは聞いた。
「ヘンリーさんの事を、どう思ってる?」
「え?」
唐突な質問に、リュカは一瞬混乱したが……すぐに普段思っている通りに答えた。
「大事な……とても大事な人。この世で一番信頼してる」
この十年間、何時も傍にヘンリーがいた。嬉しい事も、悲しい事も、辛い事も、みんな二人で分け合って生きてきた。かけがえのない友達。一番の親友。
「ビアンカお姉さんは……ヘンリーを許せない……の?」
リュカはその懸念を口にした。サンタローズの人々のように、パパスとリュカを陥れたラインハットを、ひいてはヘンリーを許せないと思っているのなら……
「そう言うことじゃないわよ」
ビアンカは首を横に振った。
「ずっと一緒に生きてきて、これからも一緒に生きていく人の事を、本当はどう思っているのか……ちゃんと考えた方がいいわよ?」
「え……?」
リュカはビアンカを見たが、彼女は「ちょっと寝るね」と言うと、無事だった毛布に包まって横になってしまった。
(わたしが、ヘンリーの事を本当はどう思っているか?)
ビアンカの言葉の意味が良くわからないまま、結局リュカたちはその広場で一晩を過ごし、十分荷物や服を乾かした所で、洞窟の奥に進んだ。しかし。
「うう……またびしょびしょになっちゃった」
リュカが何度目かの水脈を越えた所で言う。そう、滝の奥の“水の力に囲まれた”洞窟だけあって、いたるところに地下水脈があり、そこを泳いで渡ったり、頭上から滝のように水が落ちてくる所を潜ってすすまなければならなかったりで、結局は全員濡れ鼠になるしかなかったのだ。
「……まぁ、溶岩よりはマシと思うしかないな」
ヘンリーもちょっとうんざりした表情である。しかし、厄介なのは水ばかりではなかった。棲息している魔物の強さと言い、洞窟の構造の複雑さと言い、死の火山よりも格段に上で、一行はかなりの苦戦を強いられた。そうした中で、ビアンカは炎の爪の威力もあっただろうが、驚異的な強さを見せ付けた。
火に弱い水棲の魔物に対し、火球をぶつけて丸焦げにし、蹴りとパンチを組み合わせたコンボで撃沈していく。顔を舐めようと伸ばしてきたベロゴンの舌を掴み、ジャイアントスイングで壁に叩き付けたのを見た時には、ヘンリーとアンディは顔を見合わせて呆れるしかなかった。
「すげぇな、あの人……」
「さすがリュカさんの幼馴染みですね」
一方収穫もあった。途中で襲撃してきた魔物の中で、踊る宝石を仲間にする事が出来たのである。リュカのモーニングスターをまともに食らった相手が、起き上がったと思ったらリュカの回りを踊るように回り始めたのを見て、ビアンカが目を丸くする。
「これがリュカの不思議な力……? すごいのね」
「神秘的なものですねぇ……」
アンディも感心する。しかし、リュカが踊る宝石を抱き上げて命名すると、二人はヘンリーも交えて顔を見合わせた。
「それじゃあ、今日からあなたの名前はジュエルよ。よろしくね」
嬉しいのか、長い舌をくるくる回して喜ぶジュエル。それを見ながら、ヘンリーは言った。
「あのネーミングセンスが、人間のオレたちにはな……魔物たちは嬉しいみたいなんだが」
「リュカの子供はちょっと心配よね……父親になる人が、ちゃんとした名前を付けてあげないと」
ビアンカが横目でヘンリーを見る。
「な、なんだよ?」
ビアンカの視線に、ヘンリーはちょっとたじろいだ様子を見せ、ビアンカはくすくすと笑った。
「何でもないわよ。先に行きましょうか」
ビアンカはそう答えたが、アンディが辺りを見回して言った。
「で、どちらに行きましょうか?」
いま戦っていたその場所は、数本の通路が集まる大きなホールのようなところで、全体を足が浸るくらいの水が満たしている。通路も川になっていて、ある通路は流入口、別の通路は流出口になっていた。数えてみると、入ってきたものも含めて通路の数は七本。どれが正解かはわからない。
「一本一本当たるしかないか……」
ヘンリーがうんざりした口調で言った時、リュカが言った。
「あの、みんな。この子が道を知ってるって」
「え?」
三人の視線が、リュカが抱き上げている踊る宝石のジュエルに注がれる。そいつは元々笑顔のような表情を、さらににやーっとさせて見せた。
(……大丈夫なのか?)
リュカ以外の全員の内心が、見事にシンクロした。
結局、ジュエルの言う事は正しかった。複雑な通路を抜けて、地下深くへひたすら降りていった先には、広大な地底湖があった。ランタンの弱い光では、底も向こう岸も見えないほどだ。
その湖の、リュカたちがいる岸辺から少し沖合いに、東屋のようなものが建っている小島があり、岸から飛び石伝いに行ける様になっていた。リュカ、ヘンリー、ビアンカ、アンディは馬車を岸辺に残し、その島へ渡った。東屋に入ると、淡い蒼い光がその中心に灯っていた。
「これが……」
「間違いなく……」
「水のリング……」
「とても綺麗ね……」
全員がほうっという溜息と共に、光源となっている指輪を見た。炎のリングとは対照的に、流水を象った意匠の銀の台座に、揺らめく水中のような光を宿したサファイアが填め込まれている。アンディはそっと歩み寄り、リングを取り上げた。
「これで、二つのリングが両方揃ったな」
「おめでとう、アンディさん。これでフローラと結婚できますね」
リュカとヘンリーが祝福し、ビアンカが拍手をする。すると、アンディは真剣な表情で振り返り、リュカの所に歩み寄ってくると、そっとリュカの手を握った。
「え? アンディさん?」
彼の行動に戸惑うリュカに、アンディは思いも寄らない事を言い出した。
「この試練の旅の間に思うようになったのですが……リュカさん、あなたは美しく、優しく、そして強い、すばらしい女性だ。ひょっとしたら、これこそが運命なのかもしれない」
そう言って、アンディは水のリングをリュカに差し出した。
「どうか、僕と結婚してください」
リュカがその言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。そして。
「えええぇぇぇぇぇ!?」
地底湖の水面に細波を立てるほどの驚きの叫びが、地底にこだました。
(続く)
-あとがき-
本編ではわからないと言っていますが、ビアンカの炎の爪はアリーナの使っていたものです。特殊効果がメラミなので(Vの量産品はギラ)。ついでに言うと多分VIのムドー城で拾うものでもありますね。
さて、ヘンリーにとっては「自重していたら先に告白されたでござる、の巻」なわけですが、リュカを巡る恋の行方は次回をお楽しみに。