地底湖の空間に反響していたリュカの叫び声がようやく消えた頃、彼女は次の言葉を搾り出した。
「アンディさん、冗談でしょう?」
あれほど真剣にフローラを愛していた彼が、いきなり変節するなんてあり得ない。そう信じてリュカは聞いたのだが、アンディは首を横に振った。
「僕は本気ですよ、リュカさん。冗談でこんな事は言えない」
「ふ、フローラさんはどうするんですか……あなたを信じて、あなたと結ばれたくて、それでわたしたちにあなたを助けてくれと、あの娘は言ったんですよ……? そのフローラを……将来を誓い合った相手を捨てるんですか?」
リュカが翻意して欲しい、気の迷いだったと言って欲しいと願いながら言うと、アンディは一瞬考え込む表情になり、そしていかにも良い事を思いついた、と言うような明るい表情で言った。
「ああ、それならフローラはヘンリーさんと結婚すれば良いんですよ。ヘンリーさんならフローラに……」
その言葉を断ち切るように、ヘンリーの怒号が沸いた。
「てっめえ! ふざけるんじゃねぇぞ!!」
次の瞬間、ヘンリーの鉄拳がアンディの頬桁を殴り飛ばしていた。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第三十九話 告白
もんどりうって床に倒れたアンディに、ヘンリーは怒りの言葉を投げつける。
「この野郎……見損なったぞ! そんな軽い奴だとは思わなかった! てめぇみたいなチャラい野郎に……リュカを渡せるわけねぇだろう!!」
すると、倒れていたアンディがむくっと起き上がった。殴られた頬をさすり、苦笑を浮かべる。
「いたた……スカラを事前に掛けていなかったら、奥歯を何本か折られるところでしたよ」
妙な事を言うと、アンディは真面目な表情になって続けた。
「僕も、ヘンリーさんにフローラを渡すつもりなんてありませんよ」
「……なに?」
アンディの言葉の意味が理解できず、戸惑った声を上げるヘンリーに、アンディは言った。
「今のが、ヘンリーさんの本心なんでしょう? リュカさんは渡さないと……つまりリュカさんは自分のものだと」
「……なあっ!?」
アンディの言葉に、ヘンリーは真っ赤になった。
「……お前、まさか……オレにこれを言わせるために……」
ヘンリーが言うと、アンディは笑顔で頷いた。
「ええ。まぁ、横で見てればわかりますよ。ヘンリーさんがリュカさんのことを愛しているだろうと言う事は。そうですよね、ビアンカさん」
「はぇ……っ!?」
アンディの言葉に、ビアンカは笑顔で頷き、リュカは妙な声を出し、ヘンリーは怒りを上乗せしてさらに赤くなった。
「こ、この野郎! そう言うことは他人が言うもんじゃないだろう!?」
「おっと、殴るのは勘弁してくださいよ。スカラかかってても痛いんですから」
アンディは手を挙げてヘンリーを宥めた。
「そうですよね。自分で言うものですよ。だから、今言えば良いんじゃないですか?」
ヘンリーはあまりの事にピシャリと自分の額を叩き、天を仰いだ。その姿勢で固まる事しばし。ヘンリーは天を仰ぐのをやめて、リュカのほうを向いた。
「……そうだ。オレは……リュカの事が好きだ」
ヘンリーは言い切った。
「十年間、ずっとお前の事を見ていた。だが……オレにはお前を好きになる資格なんか無いと、そう思っていた。オレのせいで、お前は父親を失ったんだから……だから、お前を好きだという想いを、ずっと我慢していたんだ」
ヘンリーの言葉は続く。
「だけど、このお人よしたちのせいで、我慢が利かなくなっちまった。だから言うよ、リュカ。オレはお前を愛している。この世の誰よりも。もし、お前がオレを許してくれなくても……それでも」
告白が終わり、静寂がその場を覆った。ビアンカとアンディが見守る中、リュカはそっとヘンリーに近づき……
その頬を打った。
「!?」
三人が驚き、ヘンリーは(やっぱダメだったかな……)と思った時、リュカは彼の胸に頭を預けるようにして抱きつくと、詰るように言った。
「ヘンリーのバカ……ずっと……十年間ずっと……言ってるじゃない。あなたを恨んだりなんてしてないって」
リュカの目から涙が溢れた。
「それどころか、感謝してるのに……わたしがここまで来られたのは、ヘンリーのお陰なのに……そんな卑下するような事をどうして言うの? もっと……もっと堂々と、あなたらしく言ってよ。わたしの事が好きだって」
リュカはさっきまで、ビアンカに昨日言われた事が理解できなかった。ヘンリーに対する本当の気持ちって、一体なんだろうと。
ヘンリーは何時もわたしの傍にいてくれて、わたしを守ってくれて、家を飛び出てまでわたしに着いてきてくれて……どうして、そこまでしてくれるんだろう? と思っていた。その事にお礼を言っても、気にするなの一点張り。
そんな彼の事を思うと、胸が苦しくなった。けっして長い人生を送っているわけではないけど、その半分以上を共に暮らした、かけがえのない大事な人なのはわかっている。でも、その感情を何て表現して良いのか、わからなかった。
でも今はわかる。ヘンリーが教えてくれた。そう、わたしは――わたしも――
「あなたの事が好き。ヘンリー……愛してる」
リュカは言った。
「だから……わたしの事で我慢なんてしないで」
「……リュカ!」
ヘンリーは腕の中のリュカを……世界中の誰よりも大事な女性を抱きしめた。
「……おめでとう」
静寂を破ったのはビアンカだった。
「大事な妹みたいなリュカが好きになったのが、どんな男か知りたかったけど……予想以上にいい男だったわよ、ヘンリーさん。リュカの事をこれからも守ってあげてね」
「ああ……言われるまでもないさ」
頷くヘンリーに、今度はアンディが手を差し出してきた。
「お節介でしたかね?」
ヘンリーは苦笑しつつ、アンディの手を握った。
「ああ、とんだお節介野郎さ、あんたは。でも、ありがとう」
二人は固い握手を交わした。
「けど、何であんな小芝居を打ってまで、オレに殴られてまで、こんな事をしたんだ?」
ヘンリーが疑問を言うと、アンディはふっと笑った。
「お礼ですよ。天空の盾を謝礼に、と言うことでしたけど、僕にとってはそんな盾より、フローラの方が遥かに大事だ。その大事な人との結婚を助けてくれる人たちに、盾一つじゃ等価交換とは言えません。だから、こんな事をさせてもらいました」
そう答えると、アンディは手を離した。ヘンリーは自分の手を開いた。そこに載っていたのは……今手に入れたばかりの、水のリング。
「それは僕からお二人の愛への贈り物です。炎のリングも、ルドマンさんから返してもらったら、差し上げます」
リュカが慌てたように言った。
「で、でも……これは試練のために必要なんじゃ?」
「そうだぜ。これは受け取れねぇよ」
ヘンリーも言うが、アンディは首を横に振ると、バッグから小箱を取り出した。それを開けると、それなりに高価そうな指輪が二つあった。
「これは、僕が働いて貯めたお金で買った結婚指輪です。試練の内容に関係なく、僕はこれをフローラに送って、結婚を申し込むつもりでした」
蓋を閉じて、アンディは続けた。
「それに、二つのリングは、僕だけでは手に入れられなかったでしょうが、あなたたちなら手に入れられたでしょう。だから、これはお二人が持っているべきです。これで結婚式を挙げてください」
ヘンリーはアンディと水のリングを交互に見て、そして頷いた。
「わかった……ありがたく戴いておくよ。さすが未来の大商家の旦那だ。太っ腹だな」
「本当に……ありがとうございます、アンディさん」
ヘンリーとリュカがお礼を言うと、アンディは苦笑した。
「今の僕には、それくらいしかルドマンさんを真似られませんからね。さぁ、帰りましょうか」
頷いて、リュカはリレミトの呪文を唱えた。
数多くの挑戦者が尽く脱落していく中、アンディが炎と水の二つのリングを手に入れて戻った、と言う話は、たちまちサラボナの街の噂になった。さっそくルドマンは結婚式の準備をはじめ、街きっての大立者の娘のものとあって、街全体が祭りのように浮き立つほどの大騒ぎとなった。
そして三日後。サラボナの大聖堂で、アンディとフローラの結婚式は華々しく執り行われた。リュカとヘンリー、ビアンカも新郎新婦の友人として参列した。
最上質の絹布で出来た純白のウェディングドレスとヴェールを纏ったフローラは、まるで天女のように美しく、白いタキシードを着たアンディもそれにつりあう凛々しい装いで、さすがはルドマン家と街の人々を驚嘆させる。
司祭の結婚を寿ぐ祈り。祝福の賛美歌。指輪の交換に続いて誓いのキスがあった時は、リュカは顔を赤らめ、ヘンリーは口笛を吹いて祝った。全ての儀式が終了し、退場する新郎新婦に、街の人々や友人たちの祝いの声がかけられた。リュカも、目の前をフローラが通り過ぎる時に、声をかけた。
「おめでとう、フローラ。とても綺麗よ! アンディさんとお幸せにね!!」
その声が聞こえたのか、フローラは微笑むと、手をさっと挙げて何かを投じた。それがぽすっと軽い音を立て、リュカの手に収まる。
「え?」
腕の中に突然出現したそれ――花束を見て、リュカが戸惑うと、ビアンカが言った。
「あら、良かったわね、リュカ。花嫁さんのブーケを渡された人は、次に結婚できるって言う言い伝えがあるのよ」
「えっ……」
リュカは思わず顔を赤らめ、ヘンリーと顔を見合わせてしまった。それを見て、周囲の人々と新郎新婦が一緒になって祝福の言葉をかける。
「リュカも、幸せな結婚をしてくださいね!」
「お、次はあんたたちの番かい? 羨ましいねこのこの!」
その言葉の波の中で、リュカは真っ赤になって照れ、ヘンリーは照れくさそうに、それでも幸せな笑顔を浮かべ、リュカの肩を抱き寄せた。
結婚式に沸いた数日間が過ぎ、フローラとアンディは水のリング探しに使った例のクルーザーで船出して行った。これから一ヶ月ほど新婚旅行として各地の街や名所旧跡を見て回るらしい。
リュカとヘンリーはアンディから約束どおり、天空の盾と水と炎のリングを受け取っていた。これで天空の装備の半分は手に入った事になる。
「行っちゃったね」
水平線の向こうに遠ざかるクルーザーを見送って、リュカが言う。
「ああ……さて、リュカ」
「ん?」
ヘンリーに名を呼ばれ、振り向いたリュカが、ヘンリーと目が合った途端に赤くなる。ヘンリーは溜息をついた。
「お前、オレと顔を合わせる度に、そうなるつもりなのか?」
「そ、そんな事はないけど……でも」
もじもじとした態度で言うリュカ。それを見て、ヘンリーはがばっと彼女を抱きしめた。
「あー、もう本当に可愛いなお前は!」
「きゃっ!?」
小さく悲鳴を上げたリュカだったが、愛する人の温もりに包まれている、と言う実感に目を閉じる。その時だった。
「はいはい、そこまで。みんな見てるわよ」
ビアンカがパンパンと手を叩き、リュカとヘンリーを二人だけの世界から引き戻した。
「「あ」」
リュカはまた真っ赤になってヘンリーから離れ、ヘンリーはコホンと咳払いをして誤魔化した。
「リュカのお姉さんとしては、早くくっついて私を安心させて欲しいんだけど」
ビアンカが言うと、ヘンリーは頭を掻きながら答えた。
「いやまぁ、それはもう……な」
「うん……」
リュカがまた照れる。ビアンカは目を丸くした。
「何時の間に?」
「正式に申し込んだのは、結婚式の日だよ」
ヘンリーが答える。ビアンカは苦笑して言った。
「なら、ついでに一緒に式を挙げちゃえば良かったのに」
それにはリュカが答えた。
「それも考えたんだけど、わたし達が結婚するとしたら、やっぱりあそこだと思うから」
「え?」
事情のわからないビアンカのために、リュカは呪文を唱えた。
「ルーラ!」
(続く)
-あとがき-
と言うことで、ヘンリールート確定でした。と言うか、最初からヘンリールートしか考えていなかったんですが。主人公とヘンリーが異性の場合、奴隷時代の十年と言う深い絆があるせいで、引き剥がすのが大変です。
次回はリュカとヘンリーの結婚式です。