出生の秘密を聞き、沈黙に沈むリュカ。
「それで……パパス王はどうされたのですか?」
アイシスが気がかりな表情で言う。リュカは目を伏せ、事実を告げた。
「父様は、十年前……いえ、そろそろ十一年前になりますが、魔族との戦いで……」
「……そうでしたか」
アイシスはそっと黙祷を捧げた。
「あれほどのお方が……あの方がここへ来られた時、わたくしは今の貴女ほどの歳でしたが、抑え切れないほどのときめきを覚えたものです」
アイシスはそう言って目を閉じた。在りし日のパパスに想いを馳せているのかもしれない。しばらくそのままでいたアイシスは、目を開くとリュカに言った。
「リュカ姫……そう呼ばせていただきますが、一度グランバニアにお帰りなさい。パパス王が貴女に伝え切れなかった多くの事が、そこにはあるはずです。パパス王とその過去を知る多くの方と話すことで、貴女の母親や、天空の勇者に関する旅の目的に近づくでしょう」
「グランバニア……はい」
リュカは頷いた。そう言えば、パパスとサンチョはグランバニアの酒を愛していた。生まれ故郷の味だとすれば納得が行く。
「決まりだな。次の目的地は」
「行こう、リュカ。あなたの本当の故郷へ」
ヘンリーとビアンカの言葉に、リュカは黙って頷いた。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第四十二話 山道を行く
アイシスが用意してくれた船を借り、リュカたちは再び海路を取って東へ向かった。波を越える事一月。やがて、前方に壮大な規模の山並みが見えてきた。
「あれがグランバニア山脈だ。グランバニアに行くにはあの山を越えねばならんが……一番楽なチゾット越えの道でさえ、雲を突くような高さを越えて行かねばならん」
船長はそう言って、リュカに双眼鏡を貸してくれた。それを使って一番高い稜線を辿っていくと、微かに町らしきものが見える。船長が言う峠と同じ名のチゾットの街だ。すぐ後ろの山頂は雲に隠れていて、おそらくセントベレスの半分よりも高いくらいの高度はあるだろう。
「凄い所に街がありますな……あそこまで登っていくのですか」
「それだけじゃなく、降りていかないといけないわよ」
ピエールとビアンカが交互に双眼鏡を覗きながら口々に言った。
「グランバニアの山は世界の屋根……あまりに険しく、人の足も入らぬ山も多いため、今も神仙や妖異の類が多く住むと言われておるの」
マーリンが久々に薀蓄を披露しはじめた。
「古くは、旅人に一夜の宿を提供し、その実泊めた旅人を餌食にする人食いの妖婆や、道に迷った旅人にいくつかの質問をし、心清い者は助けてやるが、邪悪な者は谷底へ落としてしまう神の伝説が残っておる……まぁ、そう心配そうな顔をするでない。今のは伝説じゃし、道も整備されて迷う事はないという話じゃ」
披露するのは良いが、余計な事まで話してしまうマーリンに、まだ子供のスラリンやコドランは露骨に怖そうな表情をしている。
「老師……少しは場を読んで気遣うべきかと」
ピエールが呆れたように言うと、マーリンは済まぬ、と言って頭を下げた。
「まぁ、そう言う伝説が残るくらい、きつい山道と言うことじゃよ。登る前に休憩は十分取っておいたほうが無難じゃろうて」
マーリンが言って、地図の一点を指差す。そこには「ネッドの宿屋」の注意書きがあった。サラボナの噂の宿屋同様、山越えする旅人のためのベースキャンプ的宿場である。
「女王陛下からは、その宿まで送るよう言われている。もう少しの辛抱だよ」
船長が見る先には、船酔いで死んでいるヘンリーとブラウンの姿があった。
ネッドの宿屋で二泊して疲れを取り、一行はいよいよチゾットへの山道に足を踏み入れた。流石に一番楽な道、と言うだけあって道幅は広く、傾斜も緩やかで、しっかり石畳で舗装してもあるのだが……
「……後何回折り返すんだよ?」
ヘンリーがうんざりした口調で言う。道は山腹を切り裂くように登っては百八十度近く折り返し、また登っていく……という九十九折り構造で、ここから見えるだけでも二十回以上折り返している。なまじ上まで見えるだけに、見るだけで疲労感が増す。
折り返し点の間はだいたい二十~三十分かかるので、見える範囲だけでも半日はかかる計算だ。確かにうんざりする。
「文句を言う男は女の子に嫌われるわよ? ね、リュカ」
ビアンカがからかうように言う。
「うるさい人だな。オレはリュカにさえ嫌われなきゃそれでいいよ。なぁリュカ」
板ばさみになったリュカは「あはは……」と笑うしかなかった。ヘンリーとビアンカの関係は、ピエールとのそれとはまた違う意味で、何時も緊張している。
そんな会話をしながら、ひたすら登り続ける事半日。朝早くネッドの宿を出たにもかかわらず、陽は既にだいぶ傾き、夕方の気配が忍び寄ってきた。今日のうちにはとてもチゾットには辿り着けそうもない。
「今夜は道端で野宿かな……? そう言うのも久しぶりだね」
リュカが言うと、荷台でスラリンとプックルが嬉しそうな鳴き声をあげた。この二匹、まだリュカに甘えたいところがあるのだが、最近はヘンリーがリュカを独占しているので、野宿でもないと大好きな主人と一緒に寝る機会がないのだ。
「まぁ仕方ないか。ん?」
ヘンリーも一瞬野宿の覚悟を固めたが、道端の看板に気付いて、馬車を止めた。
「なになに? ミッド山荘、これよりすぐ。宿泊できます。二食付き……あら、宿屋があるのね」
ビアンカがそれを読み上げた。途端に、スラリンとプックルは萎んだ。
「あ、あはは……ま、また今度ね? スラリン、プックル」
リュカがフォローするが、二匹は冴えない顔のままだった。そして、確かにすぐにミッド山荘なる宿屋は見つかったが……
「……すごい事をするな」
ヘンリーが外観を見て言った。山小屋を想像していたのだが、それは山腹に開いた大きな洞窟だった。ただ、入り口を板で覆い、ドアと窓がつけてある。ドアの上には「ミッド山荘」となかなかの達筆で看板が掛けてあった。
「どうする? 泊まる?」
ビアンカもこの外観には心配そうな表情だ。すると、突然ドアが開いた。
「!?」
驚いてドアに注目する一行の前で、中から出てきたのは、背の曲がった白髪の老婆だった。
「おや、お客さんかい……? うちはこんな見た目でも快適安眠だよ。イッヒッヒッヒ……」
とてつもなく怪しい言動だった。
(古くは、旅人に一夜の宿を提供し、その実泊めた旅人を餌食にする人食いの妖婆や……)
ヘンリーとビアンカはマーリンの薀蓄を思い出し、荷台に乗っている彼のほうを見た。マーリンはいやいや、あれは伝説だし、と言うように顔を背ける。するとその時。
「じゃあ、今晩一晩、お世話になります」
リュカが言った。驚いてヘンリーとビアンカはリュカを見た。
「おい、良いのか……?」
確認するヘンリーに、リュカは頷いた。
「うん。お婆さんからは邪気は感じられないわ」
あ、とヘンリーは声を上げる。そう言えば、自分の妻はそう言う特技があったのだった……
「リュカが言うなら安心だな。じゃ、泊まるか」
ヘンリーは言った。ビアンカもリュカの言う事なら信用する。こうして、一行はミッド山荘に泊まることにした。洞窟を改装した宿屋だが、以外に中は乾いていて清潔で、快適な環境である。
(これなら良く眠れそうだ)
そう思ったヘンリーだが、その夜の事だった。
(……ん?)
ヘンリーはふと目が覚めた。洞窟の中なので外が見えるわけではないが、感覚的にはまだ真夜中のようである。
(……珍しいな。夜中に目が覚めるなんて……ん?)
ヘンリーはそこまで考えて、自分の身体の異変に気がついた。力を入れても、身動きが取れないのだ。
(な、何だこれは? マヒした時みたいだ……!)
そう考えた時、何やら怪しげな音が廊下のほうから聞こえてくるのに、ヘンリーは気付いた。
しゃこっ……しゃこっ……
しゃこっ……しゃこっ……
刃物を研ぐ音のようだった。何故真夜中の宿屋で、そんな音が聞こえるのか。そんな疑問を感じるより早く、あの老婆の声が聞こえてきた。
「……獲物は三匹……とくにメス二匹の方は、どっちも脂が乗って旨そうじゃ……イッヒッヒッヒ……」
ヘンリーは驚きのあまりアゴが外れそうになった。やはり、ここは人食いの妖婆の棲家なのか。いや、そんな落ち着いている場合ではない。このままでは皆食われる!!
しかし、身体が動かない!
(た、助けてくれ!! 今時こんな死に方ありか!? いーやーだー……)
ヘンリーの意識はだんだん薄れていった。
ゴトリ、という音でヘンリーは目を覚ました。
(あれ? オレはどうなったんだ……? まだ生きているのか?)
昨夜の怪異を思い出し、ヘンリーは身体に力を入れた。よし、手も足も動く……と確認した所で、彼はリュカとビアンカの姿がベッドの上に無い事に気付いた。
「おや、目が覚めたかい?」
唐突に老婆の声がした。ヘンリーはそっちを見た。部屋の入り口にあの老婆が立っていて、周りを怪しげなオーラが取り巻いている。
「うわああぁぁぁぁぁっ!?」
ヘンリーは絶叫した。すると。
「きゃっ!? ど、どうしたの!?」
「な、なに!?」
リュカとビアンカの声が横から聞こえてきた。
「え?」
ヘンリーがそっちを見ると、リュカとビアンカはテーブルについて、朝食を食べようとしていた。
「ヘンリー、どうしたの? なかなか起きないから、疲れてるのかと思って、無理に起こさなかったんだけど……夢見でも悪かったの?」
リュカが気遣わしげな表情で聞いてきた。
「え? 夢? そ、そうか……夢か……」
ヘンリーは言った。そこへ、老婆がオーラ……と見えた湯気の立つ皿を差し出してきた。
「なんだかわからないけど、これをお食べ。うちの名物、ヤマバトのシチューだよ。昨夜はオス一匹、メス二匹も罠にかかっていてねぇ……大漁じゃったよ、イッヒッヒッヒ」
「ヤマバトかよ! ンな怪しい笑い声だから、すっかり勘違いしたじゃねぇか! つか、鳥は一匹二匹じゃなくて、一羽二羽と数えるモンだろう! 常識的に考えて!!」
ヘンリーが全力でツッコミを入れると、老婆は首を傾げた。
「そうじゃったかねぇ……男が細かい事をお言いでないよ。それと、あたしのこの笑い声はクセなんじゃ。気にしないでおくれ。イッヒッヒッヒ」
そう言うと、老婆は部屋を出て行った。ヘンリーはどっと疲れた表情で、熱々のシチューを見下ろした。
悔しい事に、シチューは極上の味だった。精神的疲労はともかく、肉体的にはすっかり回復した所で出立の準備をしていると、また老婆が部屋にやって来た。手に長い包みを持っている。
「ん? お婆ちゃん、どうしました?」
リュカが言うと、老婆はリュカに包みを差し出してきた。
「この宿に泊まったお客さんへのサービスじゃ。お客さんの剣を研いでおいてやったぞい。イッヒッヒッヒ」
「え?」
リュカは受け取った包みを解いた。中から出てきたのは……
「えっ……父様の剣?」
リュカは目を丸くする。そう、それはパパスの剣だった。しかも、無くなった筈の鞘まで新しく設えてある。リュカは鞘から剣を抜いた。
「うそ……!」
「マジかよ……」
リュカとヘンリーは目を疑った。錆と刃こぼれでもはや使い物にならないだろう、と思っていた剣は、見事なまでの輝きを取り戻していた。ほとんど新品同然と言っても良い。刀身は鏡のようで、リュカたちの顔をくっきりと映し出していた。
「信じられない……ありがとうございます! お婆ちゃん!!」
リュカはテーブルに剣を置き、老婆に抱き着くようにして礼を言った。
「気に入ってくれたならええんじゃ」
老婆がそう返す中、ヘンリーはパパスの剣を取り上げていた。鞘から抜き、二、三度素振りをくれてみる。
「……なぁ、リュカ」
「ん?」
ヘンリーの呼びかけに、リュカは振り向いた。
「この剣……オレに使わせてくれないか?」
ヘンリーは言った。パパスは彼の永遠の目標。いつか越えるべき、偉大な人物だ。その剣を使いこなすことが出来れば、一歩パパスに近づけるような気がする。
「……うん、良いよ。ヘンリーが使ってくれるなら、きっと父様も喜んでくれると思う」
リュカは笑顔で頷いた。ヘンリーはありがとう、と言うと剣を天を指すようにまっすぐ立てた。
(パパスさん……見ていてください。オレはリュカの笑顔を必ず守って見せます)
その誓いに応えるように、刀身が輝いた。ヘンリーは剣を鞘に収め、ベルトを通して背中に背負った。その姿は、リュカの目に今まで以上に凛々しく眩しく映った。
(ヘンリー……まるで父様みたい)
夫と父、二人の最愛の人を二重写しに見ながら、リュカはそっと涙を拭っていた。
(続く)
―あとがき―
パパスの剣、復活です。原作では鋼鉄の剣にちょっと勝つくらいの性能でしたが、この作品ではリュカのドラゴンの杖と並ぶ、夫用の最強武器になります。
そうすると、アンディルートだとアンディがこれを使うのかー……あんまり似合わないなぁ(ぇ