山荘を朝早くに起ったリュカたちは、九十九折りの山道をそれからさらに登り、峠道の難所に差し掛かっていた。チゾットの街に続く、山中の大トンネルである。このトンネルより上の斜面は道を作ることすら許さない断崖絶壁になっていた。
従って、トンネルと言っても中は急傾斜と急カーブの連続する構造となっており、時々地中を抜けたと思ったら、目も眩むような谷を吊橋で越えていたりする。絶景には違いないが、一刻も早く抜け出したいポイントではあった。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第四十三話 祝福の日
しかし、トンネルに入った直後から、一行はいきなり戦闘に巻き込まれた。いかづちの杖を掲げる死者の王、デッドエンペラーとその近衛兵である死霊兵の群れが待ち構えていたのだ。
「なんで、こんな街道の通路にこういう魔物が出て来るんだよ!?」
悪態をつくヘンリーに、マーリンが魔封じの杖を構えつつ答えた。
「これから行くチゾットは、かつてこの山脈に覇を誇った山岳民族の街でしてな。その王族の墓が山中のところどころにあり、そこからこうして亡者の群れが彷徨い出ることがあるそうなのですよ」
解説しつつ、死霊兵の群れにベギラマを放つ。追い討ちをかけるように、コドランが火炎の息で薙ぎ払い、包囲網の一角を火の海に沈めた。
「よーし……」
死霊兵たちが燃える炎を見ながら、リュカはとどめのバギマを撃とうとしたが、突然気分が悪くなった。
(!?)
吐き気がおこし、めまいがする。急に動きを鈍らせ、膝を地面に突いたリュカを攻撃しようと、デッドエンペラーがいかづちの杖を振り上げた。
「させるかよ!」
間一髪、ヘンリーがパパスの剣を振るってデッドエンペラーの首を刎ね飛ばした。それでも、さすがアンデッドだけに首がなくなっても杖を振り回そうとするそいつに、ビアンカの炎の爪がとどめを刺す。気がつくと、周囲の敵は全滅していた。
「どうした、リュカ? 大丈夫か?」
剣を鞘に納めながら、ヘンリーが駆け寄ってくる。ビアンカとマーリン、プックルもまだ蹲ったままのリュカの傍に近づいてきた。
「うん……ちょっと気分が悪くなっただけ。今は大丈夫」
リュカの返事を聞いて、大丈夫そうに思った者は一人もいなかった。明らかに顔色が悪く、息も荒い。
「高山病……かもしれませんな」
マーリンの言葉に、ビアンカが首を傾げる。
「高山病?」
「さよう。高い山の上というのは、地上より空気が薄いのですよ。それで、体調が崩れるのです」
それを聞いて、ヘンリーが首を捻った。
「セントベレスでは何とも無かったけどな……まぁ、そう言うことなら少し休んでくれ、リュカ」
「うん、ごめんね」
リュカはビアンカとプックルに助けられ、馬車に乗り込んだ。御者台に乗ったヘンリーとビアンカが後ろを見ると、プックルに添い寝されたリュカは、落ち着いた様子で眠っている。
「大丈夫そう……か?」
まだ少し不安そうな表情で言うヘンリー。一方、ビアンカは何かが引っかかるような気がしていた。リュカの症状に、見覚えがあるような気がしたのである。
(なんだっけ……思い出せない)
もやもやしたものを抱えつつ、馬車はゆっくりとトンネルを抜けていく。標高も次第に上がり、気温が下がって、吐く息が白くなってきた。何本目かの吊橋を越えて外に出た時、御者台の二人はそこに見えた光景に息を呑んだ。
向かいの山は巨大な氷河に覆われ、白銀の輝きを見せている。こちらの道も雪が積もって、白く輝いていた。右を見れば、昨日から登ってきた山道が遥か眼下に見え、まさに絶景ポイントだった。
「ん? どうしたの?」
気がついたリュカが起きてきて、やはり絶景を見て目を丸くした。
「わぁ……凄いね。この高さをずっと登ってきたんだ」
言うリュカに、ヘンリーが尋ねた。
「気分はもう良いのか? 寝てて良いんだぜ」
夫の気遣いに、リュカは笑顔で答える。
「うん、大丈夫。寝てたらだいぶ良くなったよ」
血の気が引いていた頬にも、だいぶ赤みがさしている。大丈夫そうか、とヘンリーは判断した。どうせ今日はこの街で一泊するのだ。明日になれば、もっと良くなっているだろう。
「よし、じゃあ宿を取るか。きっと眺めが楽しめるぞ」
ヘンリーは明るい声で言ったが、異変はその宿でまさに起きた。
それは、夕食時だった。それまで普通に料理を食べていたリュカが、突然顔を蒼くし、口元を手で覆った。
「う……!?」
「ど、どうした? リュカ!」
ヘンリーに答える余裕も無いように、立ち上がったリュカは食堂の外に飛び出していくと、こらえきれなくなったのか、その場で吐いた。それを見て、後を追ってきたヘンリーとビアンカは顔色を変えた。
「リュカっ!?」
「この子をベッドに……急いで!」
宿の人間も出てきて、その場は騒然となった。リュカは部屋に運ばれ、ベッドに寝かされたが、まだ蒼い顔で、息も早くかなり具合が悪そうだった。しばらくして、宿の主人が呼んだ教会の司祭が部屋に入ってきた。食中毒かもしれない、と思った主人がキアリーを掛けようと呼んだのだが、司祭は首を横に振った。
「中毒の症状では無いですね。とりあえず、安静にして一晩休ませるように……と思いますが」
司祭が言う。中毒でないのは幸いだったが、病名がわからないと安心できない。
「くそ、何だってんだ……!」
妻の容態に苛立つヘンリー。その時、ビアンカはこの状況を説明するある可能性を思い出した。そう、村でも貴重な若い女手として、何度か立ち会った……ビアンカはリュカのベッド際に座ると、静かな声で尋ねた。
「リュカ、ちょっと良いかしら?」
「……なに?」
目を開けて聞き返してくるリュカに、ビアンカは核心に触れる質問をした。
「リュカ、最近アレはちゃんと来ている?」
「……アレ?」
代名詞の指す物がわからずキョトンとするリュカに、ビアンカは言った。
「月に一度の……女の子の日よ」
今度は流石に意味がわかった。リュカは赤くなり、すこしおろおろした表情で答えた。
「そういえば……二ヶ月くらい来てない……」
そう、とビアンカは頷き、男連中の方に振り向いて言った。
「病気じゃないわ。おめでたよ」
「え?」
意味のわからないヘンリーに対し、司祭がおお、と明るい表情になった。
「そう言う事でしたか。神も喜び給うでしょう」
そこで、ようやくヘンリーも事情を理解した。
「つ、つまり……リュカとオレの子供が?」
「そうなるわね」
ビアンカが頷き、ベッド脇を譲った。入れ替わったヘンリーはリュカの手を握り、感無量と言った感じで言った。
「リュカ……ありがとう」
「ヘンリー?」
いきなり礼を言われて戸惑うリュカに、ヘンリーは言葉を続ける。
「なんて言って良いか良くわからないけど、凄く嬉しいよ、オレ」
リュカも微笑んだ。
「うん……こっちこそありがとう、ヘンリー。今わたし、凄く幸せ」
そう言って、リュカは自分のお腹を撫でる。まだはっきりとはわからないが、そこに自分とヘンリーの血を受け継ぐ子供がいるのだと思うと、無限の愛しさが湧いてくるのを感じた。
「男の子かな? 女の子かな? ヘンリーはどっちが良い?」
リュカに聞かれ、ヘンリーは即答した。
「どっちでも良いさ。元気な子なら。名前、考えておかないとな」
すると、リュカが手を挙げた。
「わたし、実は考えてみたんだけど」
「……言ってみろ」
ヘンリーがちょっと不安ながらも聞いてみると、リュカは答えた。
「えっと、男だったらトンヌ「却下」」
ヘンリーが押しかぶせるように言うと、リュカはえー、と口を尖らせた。
「名前はオレが考えるよ。何時も仲間の名前はお前が考えているからな。こっちはオレに任せろ」
ぶー、とリュカは拗ねて見せたが、本気ではなかったようで、ヘンリーの肩に顔を寄せた。
「うん……任せる。かっこよくて可愛い名前を考えてね」
「ああ」
その会話の間、ビアンカは二人の世界から外れていた。
(良いわねー……私も早く結婚したい)
妹分であるリュカがヘンリーにだけ見せる幸せそうな笑顔を見ると、ビアンカはそんな事ばかり考えてしまうのだった。ともあれ、彼女は手をパンパンと叩き、二人の注意をひきつけた。
「そうと決まれば、急いでグランバニアに降りたほうが良いようね」
リュカとヘンリーはビアンカを見た。
「グランバニアまで、山道を降りて三日だそうよ。この街はマーリンの話では空気も薄いし、寒そうだから、身重なリュカにはよくないわ。急いで山を降りて、グランバニアへ行った方が良いと思うわ」
「そうだな」
ヘンリーは頷いた。
「大きな街らしいし、環境はそっちの方が良いだろう。リュカは万が一を考えて、戦いには参加せず、馬車で待機……と言うことで良いよな?」
「うん。わかった」
リュカは素直に頷いた。つわりも始まった今、無理をしてお腹の子に何かあってはいけない。
リュカはもう一度自分のお腹を撫で、そっと子供に心の中で語りかけた。
(あなたは男の子? 女の子? どちらでもわたしは構わない。元気に生まれてきてね。お母さんも頑張るから)
そのリュカの顔は、もう少女ではなく母親の顔だった。
(続く)
-あとがき-
ビアンカが付き添っているので、チゾットで妊娠が発覚です。ところで、原作でチゾットのシーンでピンと来た人は、どれくらいいたのでしょうか?
私はわかりませんでした(笑)。