サンチョが用意したテーブルに、リュカ、ヘンリー、ビアンカがつき、サンチョが「粗茶ですが……」と言いながら出してきた茶が置かれた。サンチョもまた椅子に座ると、気持ちを落ち着けるように茶を一気に飲み干し、ほう……と溜息をついた。
「さて……話を聞く前にはっきりさせておきたいのですが、ヘンリー殿はラインハットのハインリッヒ王子……なのですよね? 違いますか?」
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第四十五話 自省と許し
「違わない。その通りだ、サンチョ卿」
ヘンリーは頷き、その上で続けた。
「もう多くの人に責められている事だし、オレもそれから逃れる気はないが……パパス殿とリュカの不幸、サンタローズの惨劇について、確かにオレとオレの国の責任は重大だ。誠に……申し訳なかった」
そう言って、ヘンリーは頭を下げた。サンチョは内心抑え難い激情を抱えてはいるようだったが、努めてそれを抑えて答えた。
「ラインハットの国で起きた事については、私も聞いております。大后と大臣に化けた魔物が、長年国を牛耳っていたと……」
「ああ。だが、それで責任を魔物と背後にいる光の教団に転嫁しても始まるまい。奴らに付け込む隙を見せたわが国にも責任がある事だ」
再び済まなかった、と頭を下げるヘンリー。サンチョはしばらく考え込み、一つ質問した。
「ヘンリー殿下の謝罪は、ラインハットの公式見解であると……そう看做してよろしいのですか?」
ヘンリーはそれにも頷いた。
「ああ。今の王はオレではなく、弟のデールだが……オレと違うことは言うまい。パパス殿がここグランバニアの王であられたことは、一ヶ月ほど前にテルパドール女王アイシス陛下より伺って始めて知った事ゆえ、今まで公式の謝罪がないことについては、深くお詫びする。デールにも公式に謝罪のための使節を派遣するよう、要請しておく」
そのヘンリーの言葉に続いて、リュカがサンチョに尋ねた。
「あの……サンチョさん。父様が王様だと言うのは……本当の事なの?」
あくまでもサンチョの口から決定的事実を確認したい。そう思うリュカに、サンチョは答えた。
「はい。旦那様はグランバニア国王、デュムパポス・エル・ケル・グランバニア陛下にあらせられます。そして……お嬢様、いえ、姫様はグランバニア第一王女、リュクレツィア・メル・ケル・グランバニア殿下にあらせられます」
「リュクレツィア……それが、わたしの本当の名前」
リュカはその名前を何度も胸の中で反芻した。母マーサが付けてくれた、父パパスが祝福してくれた名前。そう思うと、胸の中にほのかな暖かさが宿るような気がした。
「そうなんだ……リュカって本当にお姫様だったのね。これまでみたいに気軽にリュカなんて呼んじゃダメね」
ビアンカが言う。リュカは慌てて首を横に振った。
「そんな事ないです。ビアンカお姉さんは、わたしにとってはやっぱりビアンカお姉さんで……身分なんて関係なく、大事な人だと思ってます。だから……これまで通りリュカって呼んでください」
それを聞いて、ビアンカは安心したように微笑んだ。
「ありがとう。リュカならきっとそう言ってくれるって信じてたわ」
そのやりとりを聞いてから、サンチョは言った。
「ヘンリー殿下のお立場と見解については理解しました。私の個人的な見解は、今は置いておきましょう……では、話していただけますか、姫様。この十年の事を」
サンチョの目には、主君の身に起きた不幸を受け止める覚悟が宿っていた。リュカも頷き、口を開いた。
「そう……あれは――」
全てを語り終える頃には、陽は西に沈み、夜の帳が辺りを覆い尽くそうとしていた。
「そう……でしたか。苦労なさったんですね、姫様」
サンチョは目を真っ赤にしていた。パパスの死を知らされた時、彼はおうおうと声を上げて号泣し、しばし話が中断するほどだった。リュカの傍らにパパスがいないのを見た時に、ある程度覚悟はできていたのだろうが、やはりこらえ切れなかったようだ。
リュカもパパスの事を話す時は、号泣まではいかなかったが、目からボロボロと涙をこぼし、しばしば話に詰まった。ビアンカも涙ぐみ、パパスの死を悼んだ。
大神殿脱出後、リュカがヘンリーと常に行動を共にし、その間に愛を育んで行った事については、サンチョは特に感情を激する事もなく、静かに聴いていた。そして、ようやく話が終わった今、サンチョはヘンリーの方を向くと、深々と頭を下げた。
「ヘンリー殿下、感謝いたします。この十年間、良くぞ姫様を護っていただきました。このサンチョ、心よりお礼申し上げます」
いきなりの謝礼に、ヘンリーのほうが戸惑った。
「いや……オレの立場として、リュカを守るのは当然の義務だし……オレとしては、リュカと結婚した事について、うちの娘はやらん的な怒りの言葉を覚悟していたんだが」
その言葉にはサンチョのほうが苦笑した。
「そんな事は言えませんよ……貴方の事を話す姫様の幸せそうな顔を見ては、何の文句も言えません。姫様……おめでとうございます。良き殿方を迎えられましたな」
言葉の後半はリュカに向けられたものだった。リュカは涙を拭いて笑顔を見せた。
「ありがとう、サンチョ」
しかし、その時にはサンチョは難しい顔になっていた。
「そうなると……姫様のお帰りを、国王陛下はじめ、国の重鎮たちに知らせねばならぬのですが……多くの者はラインハットへの恨みを抱いています。明日が勝負になるでしょうな」
リュカは頷いた。
「……全てを素直に話せば、きっと皆さんわかってくださると思います。ところで、今の王様はどなたが?」
「パパス陛下の弟君、オディロニウス様……オジロン様が王位を継いでおられます。大変心優しいお方で、この方をお味方につけるのが一番でしょう」
リュカの質問にサンチョは答えた。ただ、リュカには言わない事だが、オジロンは優しい性格の半面、優柔不断な面と気の弱さもある。
(姫様のためにも、ヘンリー殿下を責めようと言う言葉には、全力で対抗せねば)
サンチョはそう覚悟を決めていた。
その夜、リュカたちは宿に泊まり、翌朝サンチョと再び合流した。王に謁見するとあって、サンチョも久々に近衛兵団の正装に身を包んではいたが……
「サンチョさん、その格好は……?」
リュカは思わずそう聞いていた。サンチョの正装は全くサイズが合っておらず、ぶかぶかになっていた。
「いや……ははは……自覚はなかったのですが、私も随分やつれていたものですね。これが終わったら、服を仕立て直しますよ。それにしても、姫様はお綺麗です」
「ありがとう、サンチョさん」
リュカは礼を言った。この日の彼女は、新品の銀の髪飾りと光のドレスを身に付け、略式ながら王女らしい装いをしていた。ヘンリーは結婚式でも身に付けた、ラインハット騎士団の正装。昨日の旅人が、一体何処のお貴族様になったのかと、宿の主人もビックリである。
「では、参りましょうか」
サンチョの言葉にリュカは頷いた。
「うん……じゃなくて、ええ、と答えるべきなのかな……?」
「無理に堅苦しくする事はないさ。オレも地で行く」
アドバイスをするのはヘンリーである。
「そう。これは戦だ。オレとリュカの仲を認めさせるための」
ヘンリーは特に気負った様子もなく、しかし物騒な事を言う。だが、彼は恐らく自分たちを歓迎しない勢力がいるだろうと当たりをつけていた。他国の王族である自分はもちろん、現王に取って代われる王位継承権を持つリュカを目障りに思う人間は、絶対にいる。
自らもお家騒動の焦点になった事があるヘンリーならではの、冷徹な見通しだった。
「それじゃあ、行ってきます。ビアンカお姉さん」
「うん、頑張ってね」
留守番のビアンカがリュカを笑顔で見送る。彼女も付いていきたいのだが、さすがにリュカと関係が深いとは言え、平民の彼女がおいそれと城に入ることはできなかった。
サンチョを先頭に、三人は町の正門近くにある城への入り口に向かった。門番がサンチョを認めて声をかけてくる。
「おや、サンチョ卿……こんな朝早くから登城ですか?」
サンチョは頷いた。
「国王陛下に火急の報告があって罷り越した。通してもらうぞ」
「はっ!」
兵士が敬礼して道を開ける。サンチョに続いてリュカたちも階段を登り、城の奥へと進んでいく。いったん屋上を取り巻く回廊に出て、城の最奥に進んだ所が、王がいる謁見の間だった。割と早い時間に来たため、今日はまだ謁見を希望する者は来ていないようだ。サンチョが用件を告げると、謁見の間の衛兵は大声で呼ばわりながら扉を開いた。
「サンチョ卿他ニ名、ご入室!」
その声に送られて謁見の間へ歩を進めると、玉座に確かに温厚そうな男性が座っていた。現在のグランバニア国王、オジロンその人である。黒い髪と目には、パパスやリュカとの血の繋がりを窺わせる所があるが、パパスのような圧倒的な存在感はオジロンにはなかった。
だが、リュカは初めて会うこの叔父に親しみを抱いた。その優しげな目は、会う人に心の安らぎを抱かせるものがある。視線だけでなく、放たれた声も、穏やかなものだった。
「おはよう、サンチョ。今日はこのような朝早くからどうしたのだ?」
普通は謁見をしに来た側が先に挨拶をするものだが、オジロンはあまり礼節にうるさいタイプではないらしい。サンチョは跪き、作法通りに挨拶を述べた。
「陛下、本日も気分麗しゅうございます。本日は、火急の用があり、こうして参った次第。行方不明の先王陛下に関してのことでございます」
オジロンは玉座から身を乗り出した。
「なに、兄上の……その、連れの者たちが何か知らせを持ってきてくれたかな?」
サンチョは頷くと、リュカの横に控えた。
「はい。先王陛下が一子、リュクレツィア王女殿下がお帰りになったのでございます」
その瞬間、謁見の間が大きくざわめいた。オジロンがそれを制し、静かにさせる。
「控えよ、者ども……真にリュクレツィアか? 良く顔を見せてくれ」
オジロンが玉座を据えた壇上から降り、リュカに近づいてくる。リュカはスカートをつまんで挨拶した。
「お久しゅうございます、叔父上。デュムパポスが娘、リュクレツィアです……」
その時、声を発するものがいた。
「お待ちください。貴女が本当に王女殿下と言う証明はございますのか」
文官の列で一番玉座に近い位置に立つ人物……宰相だった。サンチョが怒気を孕んだ目で宰相を睨み、声を荒げた。
「無礼でありましょう、閣下」
魔物もたじろぎそうな声音だったが、流石に宰相ともなると、その程度では動じない。
「無礼は承知の上。しかし、王族を騙る不届き者の存在など、珍しくもない事……それゆえ、証を立ててもらわねば信じることは出来ぬ」
その時、オジロンが言った。
「控えよ、宰相。兄上の第一の忠臣だったサンチョが、王女を見誤ることなどあるわけがなかろう。それに……リュクレツィアは行方不明の義姉上に良く似ておられる。真実この少女はリュクレツィアであろうよ」
「は……」
宰相が一礼し、列に戻る。オジロンはリュカの肩に手を置き、優しい口調で言った。
「そなたが兄上に連れられて城を出た時は、まだほんの赤子だったが……美しく成長したな。良く帰ってきてくれた、リュクレツィア」
「ありがとうございます、叔父上。わたしの事はどうかリュカとお呼び下さい」
「うむ」
オジロンは頷くと、周囲の家臣たちを見回した。
「本日の謁見は中止する。リュカと話がしたい」
「ははっ」
家臣たちが頭を垂れた。
「では、場所を移そう。どうか聞かせてくれ。これまでの事を」
(続く)
-あとがき-
と言うことで、リュカの本名は「リュクレツィア」でした。歴史上の人物では、中世イタリアの英雄の一人、チェーザレ・ボルジアの妹リュクレツィア(ルクレツィア)がいます。絶世の美女として有名です。
サンチョはとりあえずヘンリーを許すことに。本心はどうあれ、リュカの幸せを優先する人だろうと思うので。ちょっと甘めの判定ですがご勘弁の程を。