リュカは城の一室でそわそわと夫の帰りを待っていた。
「大丈夫よ。アレでヘンリー君はなかなか強いし、一杯強い仲間もいるんだし」
ビアンカが言う。もちろん、リュカもヘンリーの強さは承知しているが、十年以上もずっと一緒にいた人が、今すぐ傍にいない、と言うのはリュカを落ち着かない気分にさせるのだった。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第四十八話 新たなる故郷
「うん……わかってる。でも、大丈夫かな……まだ帰ってこないかな?」
地平線に近づく太陽を見ながら、リュカは言った。こんなやり取りが、もう半日以上続いていた。待ちきれなくなって、リュカが腰を浮かそうとしたとき、ノックの音が聞こえた。
「ど、どうぞ」
椅子に身体を戻してリュカが言うと、サンチョが入ってきた。
「姫様、ヘンリー殿が戻られました」
それを聞いて、リュカは一度は腰を降ろした椅子から立ち上がった。
「本当に? みんな大丈夫なの!?」
そう聞くと、サンチョの背後からヘンリーが姿を現した。
「落ち着けよ、リュカ。バッチリ済ましてきたぜ」
そう言って笑顔を浮かべるヘンリーだったが、鎧に血を拭き取ったような曇りがあるのに気付き、リュカは尋ねた。
「戦いに……なったの? 試練の洞窟には魔物はいないって聞いたけど」
「ん? ああ、魔物はいなかったさ。魔物はな」
ヘンリーはそう答えながら、武装を解いた。すると、サンチョが言った。
「ヘンリー殿は悪辣な事で有名な盗賊と洞窟で出会って、それを成敗なさったそうですよ。もう十年以上世界を荒らしまわった大悪党でしたが、最期は意外とあっけないものですなぁ」
「まぁ、悪党にはいずれ報いがあるって事さ」
ヘンリーはリュカにウィンクしながら言った。カンダタの首は、彼から奪い返した王家の証と共に、既にオジロンに渡してある。リュカとヘンリーとは因縁のあるこの盗賊の首は街道際に晒されて、ここグランバニアで仕事をしようとする悪人に対して、一殺百警の効果を発揮することだろう。
だが、そんな醜いものをリュカに見せる気は、ヘンリーにはさらさら無かった。
「そうなんだ。怪我は無かった?」
なおも心配するリュカの身体を、ヘンリーは優しく抱きしめた。
「あ……」
ちょっと照れるリュカに、ヘンリーは答えた。
「問題ないよ。そう心配するなよ。お腹の子に悪いだろ?」
「……うん」
愛する人の体温を感じ、リュカは目を閉じてその幸せを再度実感する。そこへ、今度はオジロンがやって来た。
「……おや、お邪魔だったかな」
抱き合う二人を見てオジロンがそう言うと、リュカとヘンリーは慌てて離れた。
「今更離れても、遅いですよ。姫様、ヘンリー殿」
サンチョがからかうように言うと、ビアンカも冷やかしに加わった。
「ま、私とサンチョさんは身内みたいに思ってくれてる証拠なんだろうけど、ラブラブするなら人目につかないところでやるべきだと思うなぁ」
二人の攻撃に、リュカとヘンリーは真っ赤になる。
「し、失礼しました」
「そ、それで何の御用でしょうか? 叔父様」
気を取り直して二人が口々に言うと、オジロンは頷いた。
「うむ。ヘンリー殿も無事試練を済ませたことであるし、宰相ももう文句は無いだろう?」
「これは心外な。私はあくまでも法を守るべきと申し上げたまでですぞ」
オジロンが向いた方から宰相も姿を見せる。彼は怜悧さを強調する眼鏡の弦をそっと持ち上げながら言葉を続けた。
「ともあれ、試練を果たされた事、めでたく存じます」
「ああ、ありがとう」
ヘンリーは笑顔で答えつつも、目は笑っていなかった。
(あんたを消してくれと言う奴がいてなぁ)
カンダタの言葉を思い出す。一番怪しいのは、間違いなくこの男だろう。
(オジロン殿を差し置いて、この男が国政を仕切っているそうだからな……)
仮にリュカとの子が男の子だった場合、その子が王となれば、現王のオジロンか、父であるヘンリーが宰相の座に付くことになる。つまり、現宰相はその地位を追われる。地位に未練の無いオジロンと違い、宰相は今の地位に就くまでに、相当悪辣な事もしてきたともっぱらの評判だった。つまり……この男にはヘンリーを消す動機がある。
(コイツには油断が出来ない)
そう思うヘンリーの内心を知ってか知らずか、宰相は淡々と言葉を続けた。
「ヘンリー……いえ、ハインリッヒ殿は今後王族に準ずる地位として、大公爵の位を名乗っていただくことになります。また、近日中に、国民に対して、リュクレツィア王女殿下のご帰還と、その夫であらせられるハインリッヒ大公閣下の御披露目式を行うことになりますので、そのつもりでよろしくお願いします」
「と言うことだ。それともう一つ……リュカよ、お前が帰ったことを知らせることは、同時に兄上の死を知らせることでもある」
あ、とリュカが声を漏らした。その表情が悲しみに彩られる。
「兄上の死を公表し……国葬を持って送る事になるだろう。リュカ、喪主を頼みたい。お前には辛い役目であろうが、引き受けてもらえまいか?」
リュカはしばし目を伏せ、顔を上げた。
「お引き受けします。思えば、あれからもう十年になります。父様をちゃんと見送る事も、娘である私の務めでしょう」
「……そうか。ありがとう」
オジロンがそう言って用事を締めくくった。リュカとヘンリーは揃って頭を下げ、退出していく二人を見送った。ヘンリーはスカーフをリュカに差し出した。
「……涙を拭けよ、リュカ」
「うん……ありがとう」
リュカは目尻を拭った。だが、未だに父の死と言うトラウマは、彼女の中に拭いがたく存在している。
(……無理も無い。オレとて忘れられないのだから)
ヘンリーは痛ましいと思いながら、リュカの肩を抱いた。その時、リュカがくすっと笑いながら言った。
「そういえば……ヘンリーのスカーフで涙を拭くのって、これで二度目ね」
「ん? ああ、そう言えばそうかもな」
ヘンリーは一度目の事を思い出した。まだ幼かった頃、リュカのスカートをめくって泣かせてしまった、酷い出会いの記憶。だが、父の死を思い出した直後にそんな事も思い出して笑えるくらい、リュカの心の傷は少しずつ癒えているのかもしれない。
この笑顔を守り続けよう、とヘンリーが決意を新たにした時、ビアンカが聞いてきた。
「へぇ、そんな事があったの? 一度目はどんなシチュエーション?」
その質問に、ヘンリーは硬直した。
「い、いや……大した事じゃないんだ、うん」
スカートめくりなどと言ったら、たぶん鉄拳制裁程度では済まされないだろう。リュカの笑顔を守るため、つまり自分の身の安全も守るため、ヘンリーはこの件を誤魔化すことに決めた。
後にリュカがビアンカにバラし、ヘンリーはビアンカと、ついでにサンチョとの「稽古」に一日中付き合わされ、死ぬほど酷い目に遭う事になるのだが、それはまた別の話である。
ともあれ、それから十日が過ぎ、国民に重大発表が行われる、とのお触れが回った。街の広場には演台が設えられて、その周囲に群衆が集まる。
何があるのか、と不安と期待を半ばにする国民たちの前に、オジロンが現れた。
「親愛なるグランバニアの国民諸君……今日は二つの知らせがある。一つは大変に残念な知らせだ。攫われた王妃マーサ様を探して旅に出られていた先王デュムパポス陛下は、旅先で不幸に遭い、崩御された」
群集がどよめき、嘆きの声が満ちる。しかし、十数年も帰ってこない先王に、うすうす覚悟している国民も多かったのだろう。それほど取り乱す者はいなかった。
「ありがとう、諸君……それほどに先王を……我が兄を案じ、その死を悲しんでくれるのは、余としても感謝の念に絶えない」
オジロンはそう言って、涙を拭う間言葉を切った。
「しかし、先王はわが国の未来に大いなる遺産を残して下された。先王が一子、リュクレツィア王女が先日無事にわが国に帰還したのだ。しかも、夫となる人物を連れて。王女とその配偶者であるハインリッヒ大公を紹介しよう」
おお、と国民がどよめく中、演台にリュカとヘンリーは登った。リュカはまだ目立たないものの、確実に大きくなりつつあるお腹を、ゆったりとした気品のあるドレスで隠し、ヘンリーは新調したグランバニア調の礼服に身を包んでいる。しっとりとしたリュカの美貌と凛々しいヘンリーの姿に、ますます国民がどよめく。
「な、なんだかちょっと恥ずかしいね?」
顔を赤らめるリュカに、ヘンリーも頷く。
「うーん、オレもあまり国民の前には出なかったからな……」
と言いつつ、意外とこの状況を楽しんでいるようにも見える。オジロンは一歩下がり、二人を前面に押し出した。
「ハインリッヒ大公は外国の出ではあるが、高貴な血筋を引く人物であり、また武勇に優れた騎士でもある。既に知る者も多いと思うが、先日、二十年以上も世界を又にかけて悪行を重ねた大盗賊カンダタを討ち取ったのは、ハインリッヒ大公の武勲である」
おおおおお、と国民の歓声が湧き上がった。
「美しき王女と道に優れたる偉丈夫、この若き夫婦を盛り立て、わがグランバニアを大いに発展させていく事が、今は亡き先王に報いる道である! グランバニア、万歳!」
「グランバニア、万歳!」
「リュクレツィア王女殿下、万歳! ハインリッヒ大公閣下、万歳!」
繰り返される万歳の波に、リュカとヘンリーは圧倒される。ラインハットでマリエル大后を讃える万歳の声を聞いたことはあるが、あの無理やり言わされていた万歳と比べ、今日の万歳は何倍も大きく胸に響いた。本心がこもった叫びは、こんなにも強いものかと思う。
「あのさ、リュカ」
歓呼の声に手を振って応えながら、ヘンリーはリュカに呼びかけた。
「なに?」
同じく手を振りながらリュカが答えると、ヘンリーは決意を込めた表情で言った。
「オレは生まれはラインハットだけど、今はこの国を祖国だと思うよ」
「……うん」
リュカは頷いた。彼女も、今まではサンタローズだけが自分の故郷だと思っていたし、グランバニアに来てもそれは変わらなかったが、今はこの国も同じく自分の帰る場所だと思うようになっていた。
「オレはこの国を守るよ。それが、お前と生まれてくる子を守ることにも、パパスさんとの誓いを守ることにも繋がるはずだ……オレはそう思う」
リュカは黙ってヘンリーの腕を取り、自分のそれと絡めた。仲睦まじい二人の様子に、国民たちが一斉に歓呼の声を上げる。
後に来る動乱の時代の直前、リュカにとっても、グランバニアと言う国にとっても、嵐の前の静けさのような、半年の穏やかな日々の始まりだった。
-あとがき-
作中には明言してませんが、この後パパスの国葬もしています。喪服姿のリュカと言うのも、一部の方には需要があるかも(をい)。
次回はいよいよ子供たちが生まれます。どんな名前かお楽しみにー。