気がつくと、あたりが真っ暗だった。
「ん……?」
ヘンリーは頭を振って起き上がった。
「……っつ……飲み過ぎたか?」
そう言って辺りを見回すと、次第に暗闇に目が慣れてきて、あたりの様子がわかってきた。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第五十話 悲劇の再来
「なんだこりゃ」
ヘンリーは首を傾げた。すぐ傍に、オジロンが倒れていて大いびきをかいている。その向こうに、サンチョや見知った顔の重臣たち。ベンチにもたれるようにして寝ているのは、ドリスのようだ。
そればかりでなく、町中の人間が倒れていて、ぐうぐうといびきをかいている者も多い。これは変だとヘンリーは直感した。いくら無礼講のめでたいの、と言っても、全員が酔い潰れるまで騒いでいたとは思えない。酒や料理も、全く片付けられることなく放置されているのだ。
(まさか……眠り薬か)
ヘンリーは思った。もし酒や料理に一服盛られていたとすれば、この状況も説明がつく。それに、自分はワインをグラスでちょっと飲んだだけで、それだけで夜まで倒れるほど酒に弱いとは思えない。
「……まずい! リュカ……!!」
ヘンリーは最愛の人に危機が及ぶ可能性に気付き、まだふらつく足で走り始めた。この状況を作り出した者が何を狙っているのか、まではわからないが、現在この城で陰謀があるとすれば、自分やリュカ、二人の子供を排除するのが目的だろう。それが一番可能性が高い。
(くそ、抜かった……!)
幸せに慣れて、注意を忘れた。悔やんでも悔やみきれない。だが、まだ間に合うはず。間に合うと思いたい……!
しかし、王家の専用区画まで戻ってきたとき、ヘンリーは血の匂いに気がついた。それもかなり濃厚な……
「リュカあーっ!! ユーリルーっ!! シンシアーっ!!」
ヘンリーは愛する家族の名を叫びながら、部屋に飛び込んだ。そこでみたのは……床に広がる大量の血の海と、その中に倒れている人影。そして、壁にもたれるようにして倒れているもう一人。
「りゅ……いや、宰相!?」
一瞬最悪の状況を想像したヘンリーだったが、血の海に沈んでいるのは宰相だった。その手には刃こぼれした剣が握られ、激しい戦いを演じた事を物語っている。壁にもたれているのはビアンカだった。
「……その声は……大公閣下……か」
その時、宰相が微かに身じろぎした。
「生きているのか!? 宰相、何があった! リュカたちは何処だ!?」
ヘンリーが宰相を抱き起こすと、宰相は途切れ途切れの声で答えた。
「閣下……面目ない……リュクレツィア殿下を……魔族に……まさか、この城に奴らと……内通……ぐふっ!」
血を吐く宰相。全身傷だらけで、内臓にまで届く傷をおっているらしい。どう見ても致命傷だった。
「おい、大丈夫か!? 無理をするな! 今ホイミの使える者を……」
そう言うヘンリーの手を握り、宰相は首を振った。震える手で懐から数枚の紙片を取り出す。
「構いませぬ……私はもはや助かりますまい。それよりこれを……この城の反逆者たちのリスト……できれば、証拠を掴んで逮捕を……ですが、もはやその暇も……」
そこまで言うと、宰相の目から光が失われ、手がだらりと垂れた。ヘンリーは瞑目し、しばし宰相の冥福を祈った。何が起きたかはわからないが、彼がリュカたちを守るために奮戦したのは確かなようだった。
「は、そうだ……ビアンカ!」
ヘンリーは宰相を床に横たえると、壁にもたれているビアンカのところへ駆け寄った。
「息はある……脈も無事……気絶しているだけか。ビアンカ、しっかりしてくれ!」
ヘンリーがビアンカの肩を掴んで揺すぶると、ビアンカは微かに身動きした。
「う……く……」
「気がついたか? オレがわかるか?」
ヘンリーが言うと、ビアンカは目を開き……立ち上がろうとして、わき腹を押さえてうずくまった。相当なダメージを受けたようだ。
「無理するな。何が起きたか教えてくれ。リュカはどうした? 子供たちは?」
重ねてヘンリーが聞くと、ビアンカはベッドの方を指差した。
「ユーリルとシンシアは無事よ……邪気を感じたリュカが、咄嗟にあの子達をベッドの下に……」
ヘンリーはベッドの下を見た。確かに、ベッドの下に産着にくるまれた二人の姿が見える。
「そうか。リュカは……? 何が起きたんだ」
半分安心しつつもヘンリーが言うと、ビアンカはようやく身を起こした。
「魔族が……襲ってきたのよ。馬面の……ものすごく強い奴だった。私と、途中から宰相が助太刀してくれて戦ったんだけど、ぜんぜん歯が立たなくて……」
「馬面の魔族? まさか、ジャミとか言う奴か?」
ヘンリーは言って、いやまさか、と思い直す。ジャミは十一年前、パパスが倒したはずだ。しかし。
「ジャミ……! リュカもそう言ってた! あいつ、リュカを攫って……!!」
「なん……だと……?」
ヘンリーは呆然と呟いた。攫われた? リュカが?
しかし、その茫然自失も一瞬だった。代わって心の中を満たすのは、鋼鉄をも溶かしそうな、灼熱の憤怒と、リュカを助けなければ、という氷のように冷徹に目的を見据える使命感。ぶつかり合い水蒸気爆発のように迸りそうな怒気と殺気を抑えつつ、ヘンリーは立ち上がった。
「ビアンカ、今助けを呼んでくる。少し待っていてくれ」
今目的もわからず猪突しても、何も得られないとヘンリーは悟っていた。やるべきは、リュカを攫ったジャミが何処へ行ったのか、それを手引きした愚か者はこの城の誰なのか、それを突き止め、そして……
「助ける。リュカを助ける。邪魔をするような……誰であろうと叩き潰し、塵の山にしてやる」
ヘンリーはギリリと歯を噛み締めた。
グランバニア城は数刻の後、驚天動地の騒ぎの中に叩き込まれた。兵士たちが探索のため、国中に散っていくのを見送りつつ、重臣および諸侯による会議が開かれた。
「……なんと言う事だ。これでは十七年前の……」
真っ青な顔で言うオジロン。彼の脳裏にはマーサが攫われた時の忌まわしい記憶が過ぎっていた。
一方、ヘンリーは宰相の託したリストと、宰相の部屋から発見された日記を読んで、溜息をついていた。
(オレはあんたを随分誤解していたようだ……済まんな)
心の中でそう謝る。宰相は反逆者では無かった。人は良いが生臭さの無いオジロンを私心無く助けてくれていたのが、宰相だったのだ。彼はこの国の王位を狙う反逆者たちを炙り出すべく独自に内偵を進め、決定的な証拠は無いものの、数人の貴族……何代か前に分かれた、王家でも傍流の血を引く連中が密かに外部と接触し、国を乗っ取る陰謀を進めていることまで調べ上げていたのである。
宴の酒や料理の一部から眠り薬が検出され、現在誰がそれを入れたのか、反逆者及びその近くにいる人間を中心に捜査中である。それを担当していたサンチョが戻ってきた。
「どうだった、サンチョ殿?」
ヘンリーが聞くと、サンチョは会議卓の上に何かを置いた。
「……靴か? 妙な形だが」
オジロンが言うと、サンチョは頷いた。
「最有力の容疑者であるトーエン伯爵を調べた所、これが発見されました。空飛ぶ靴と言い、履くと特定の場所へ連れて行ってくれる……まぁ、無限に使えるキメラの翼のようなものだとお考えください。これを使って、ある場所で陰謀に協力する外部勢力と接触していた事を、伯爵は自白しました。配下の者に一服盛らせるよう指示したことも」
オジロンは彼にしては珍しく、怒気を含んだ口調で叫んだ。
「おのれ、けしからぬ奴輩めらが! サンチョ、さらに厳しく詮議せよ。手段は選ばぬ。何をしてでも吐かせるのだ」
「御意」
サンチョは頷いた。一見冷静に見えるが、顔が真っ赤になっているところを見ると、激怒しているのは間違いない。彼が用事に戻る前に、ヘンリーは言った。
「サンチョ卿、その靴借りてもいいか?」
その言葉に、サンチョとオジロンはぎょっとしたような目でヘンリーを見た。静かな言葉の中に、凄まじいまでの怒気と殺気を感じ取ったのだ。
「……反対しないでくださいよ。リュカはオレの手で助ける。その靴でいける場所に、リュカは捕らわれているはずだ……」
「その通りですな」
突然入ってきたのはマーリンだった。一瞬重臣たちが目をむくが、この老魔法使いが魔族ではあっても邪悪ではなく、リュカやヘンリーの信頼も篤い事を彼らも知っていた。
「何か掴んでるのか、爺さん?」
ヘンリーの質問に、マーリンは答えた。
「デモンズタワー。かつて魔王と呼ばれ、天空の勇者に倒されたデスピサロが作らせた、魔神像形の移動要塞……神が住まう天空の城を撃ち落すため、この地に進軍した後、塔として作り変えられたと聞き及ぶ。中に恐るべき必殺の罠を無数に仕込んだ、殺戮の大要塞じゃ」
魔族の拠点にはうってつけじゃな、とマーリンは続けて、ヘンリーの眼を見た。
「おそらく、ただの誘拐ではない。お前さんをもおびき出して殺そうと言う、魔族の罠であろうよ。それでも行かれるのだろう?」
「無論だ」
ヘンリーは頷いた。
「ま、待て。そのような危険な場所に……」
オジロンが止めようとしたが、ヘンリーはキッと睨みつけ、オジロンの動きを止めた。
「邪魔はしないでくださいよ、陛下……今のオレは気が立っています」
「……自分の迂闊さも、腹が立っている部分じゃないのか?」
今度は入り口に立っていたピエールが言う。ヘンリーは凄みのある笑みを浮かべた。
「まぁな。お前もそうじゃないのか?」
ピエールは頷いた。
「ああ。この一大事に、リュカ様の傍にいなかったとは……このピエール、一生の不覚。むろん、人々が魔物を恐れるが故に、城の中では姿を見せられなかったと言う部分はあるが、もう遠慮はせぬ。リュカ様のためなら、それがしは何処にでも赴く」
その言葉に応えるように、ぞろぞろと仲間たちが姿を現した。スラリン、ブラウン、ホイミン、コドラン、プックル、ジュエル……言葉は話せなくとも、想いは同じ。
リュカを助け出す。
ヘンリーは頷くと、サンチョのほうを向いた。
「サンチョ卿、ビアンカの回復が終わったら、一緒にユーリルとシンシアを守っていてくれ」
「……かしこまった」
サンチョは頷いた。本当は自分も付いて行きたいが、長年戦いから離れていた今の自分では、リュカ救出に貢献できるほどの戦いは出来そうもない。
「よし、魔族の拠点に殴り込みだ。行くぞ、みんな!」
「承った!」
「承知!」
ピエールとマーリンが頷き、他の仲間たちも一斉に吼え、あるいは仕草によって応える。その真摯な様子に、重臣たちも目から鱗が落ちる思いだった。
パパスの剣を背負い、ヘンリーが大会議室を出て行く。仲間たちがその後に続く。
デモンズタワーの激戦が始まろうとしていた。
(続く)
-あとがき-
宰相良い人説を唱えた方、正解です。イメージ的には石田三成みたいな感じですか。
デモンズタワーの来歴は創作ですが、何であんな危ない建物を領内に放置しておくのか、非常に謎ですね……