それから、また幾つかの季節が巡った。闇の気配は日々濃くなり、それまで大した魔物が出現しなかった地域にも、凶悪な魔物が出現するようになり、旅人は隊列を組んで、護衛も雇って道を行かねばならなくなったが、それでも犠牲者は後を絶たず、小さな村など全員が犠牲になって滅びる、と言った事件も多発していた。
そうした暗い日々の中、珍しく良く晴れた春の日の事。グランバニアの城門を、四人の旅人が潜った。そろそろ中年の坂を登りはじめてはいるが、精悍な逞しい男性と、三つ編みを垂らす美しい女性。そして、残る二人は子供だった。緑色の髪を持つ、男の子と女の子。その面差しにはどこか似通った部分があり、兄妹である事を示していた。その手には見るからに強大な魔力を秘めた逸品と思われる杖や剣が握られ、その子供たちが只者ではないことを物語っている。
彼らに気付いた市民たちが道を開け、頭を下げて迎える中、堂々と進んだ四人は、城区画の最上階、かつて若い夫婦が蜜月の日々を過ごした部屋に入る。その窓際に置かれているのは……悲嘆の表情を浮かべた女性の石像。
呪いによって石化し、時の流れに取り残されたリュカだった。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第五十四話 八年目の覚醒
「お母様……ようやく、ようやくお話が出来ますね」
女の子が涙を浮かべて言った。
「さぁ、小姫様、その杖をリュカ様に」
男性に促され、女の子は手にしていた杖をリュカに向けると、まるで歌うような節をつけた、独特の言語で何かを唱えた。その呪文に応じ、杖の先端に取り付けられた宝玉が、淡い光を放ち始める。光は次第に強くなり、石像のリュカの身体を包み込んだ。
その瞬間、奇跡とも思える事が起こった。硬い灰色の石と化していたリュカの身体が、柔らかみと色を取り戻していったのだ。杖の放つ光が消え、さっきまで石だった涙がぽたりと床に垂れた時、リュカは時間の流れに戻ってきた。
「え……?」
リュカの主観的に、さっきまでいたデモンズタワーの中ではなく、見慣れた自分の部屋に突然戻ってきた事に、リュカは戸惑い、目をしばたたかせる。
「ここ……は?」
彼女は辺りを見回し、現状を確認する間もなく、突然足元で声が湧いた。
「お母さん!」
「お母様!!」
声と共に、二つの影がリュカの胸に飛び込んでくる。
「きゃっ……?」
驚きつつも、その影を受け止めるリュカ。自分の身体に顔をこすりつけ、甘えてくる二人の子供。その緑色の髪をはじめとして、リュカにはその子達の容貌に、正体を悟った。
「ユーリル? シンシア?」
それでもまだ疑いが拭いきれず、試しに名前を呼んでみると、二人の子供はぱあっと顔を輝かせ、よりいっそう強く、甘えるように顔をこすり付けてきた。
「お母さん、ボクがわかるんだね!」
「良かった、お母様……!」
リュカは二人の頭を撫でた。
「もちろん……子供たちの顔を忘れたりはしないわ。大きくなったのね、ユーリル、シンシア」
そう言うと、感極まったのか、ユーリルとシンシアは大声で泣き始める。慰めるようにリュカが二人の頭を撫で、背中をさすってやると、ユーリルとシンシアの連れが声をかけてきた。
「お久しゅうございます、姫様……」
「でも、リュカには一瞬の出来事だったのよね」
リュカは頷いて、笑顔を見せた。
「サンチョ、それにビアンカお姉さん……今は……あれから何年がたったの?」
そう尋ねる。リュカにとっては一瞬前の出来事だが、子供たちが大きくなっているからには、自分が石化している間に、かなりの年月が経っているのだろう。見れば、二人もまた変わっている。サンチョは渋みと貫禄を増し、ビアンカは一層完成された、大人の女性としての魅力を備えた美女へと成熟を遂げていた。
「八年よ」
ビアンカが答えた。
「八年……すると、ユーリルとシンシアは八歳なのね」
「はい。お二人とも、大変健やかに、強く賢く成長されました」
サンチョが答えた。リュカは彼の姿を見て微笑む。
「まだ、前みたいに太らないのね。サンチョさん」
サンチョは苦笑した。
「私がまた太る日が来るとすれば、姫様が王妃様を探し出し、家族全員がお揃いになった……」
その笑顔が途中で凍り、言葉が続かなくなる。リュカはその態度の変化から、恐れていた事が現実になったと知った。
「……ヘンリーは……」
リュカが名を呼ぶと、ビアンカは首を横に振った。
「わからないの。ヘンリー君がリュカをここに飛ばしたらしいのはわかってるんだけど、あれからデモンズタワーには入れなくなってしまって」
あの日以来、デモンズタワーはジャミが変化した呪いの石化ガスが滞留し、近づく事さえ危険極まりない魔境と化した。一般に、呪いとは代償が大きいほど強力なものになる。ジャミほどの魔族が、己の死と引き換えに放った呪いともなれば、よほど高位の聖職者を多数集めて挑まない限り、簡単に解呪できないだろう。デモンズタワーは、もう生きた人間が入れる場所ではなくなったのだ。
「じゃあ、ヘンリーはずっとあそこに?」
リュカは何もかもが石化し、動くものの無くなった塔の中、立ち尽くすヘンリーの像を想像して、胸が詰まるような気分になった。しかし、それをサンチョが否定した。
「いえ……最近仲間になった中に、ゴーレムと言う石の魔物がおりまして。これは呪いの影響を受けぬので、行って見てもらいましたが、ヘンリー殿はおりませんでした」
「そう……え?」
リュカは顔を伏せかけて、サンチョの言葉に聞き逃せない部分がある事に気付き、顔を上げた。
「ゴーレムを仲間にした? わたし以外に魔物使いがいるの?」
すると、シンシアが顔を上げた。
「私が仲間にしたのよ! お母様!!」
「えっ、シンシアが?」
リュカが聞き返すと、シンシアは満面の笑顔で頷いた。
「うん! ひいおばあちゃんにやり方を教えてもらったの!!」
どういう意味か聞こうとして、今度はユーリルが自分をアピールしようと声を上げた。
「ボクはね、天空の剣と盾が装備できたんだよ! お母さん!!」
その言葉に、リュカは一瞬意味が理解できずきょとんとしたが、すぐにえええ!? と声を上げた。天空の剣が持てるという事は、つまりユーリルは天空の勇者と言う事に……?
「ちょっと待って。落ち着いて、最初から話を聞かせてもらえる?」
リュカは情報を整理するため、順番に話を聞く事にした。
デモンズタワーの事件以後、グランバニアは国を挙げて、リュカの石化を解く方法を探して、世界中に探検隊を送った。その間、ユーリルとシンシアはサンチョとビアンカが親代わりになって養育し、やがて二人がとてつもなく高い武術や魔法の素質を持っている事がわかってきた。
そして、デモンズタワーの事件から六年目。ここから北の大陸に向かった探検隊が、無人地帯だと思っていた地域で、知られていなかった街を発見する。その街の名が……
「エルヘブン? それが母様の故郷なの?」
リュカの言葉に、何度かエルヘブンへの使者に立ったサンチョが頷いた。
「パパス様は若い頃、やはり偶然辿り着いたその土地で、マーサ様に出会われ、お互いに好意を抱かれるようになったとか。パパス様は街の長老の制止する言葉を振り切って、マーサ様と駆け落ち同然に街を出られたそうです」
「あの父様が……」
リュカは今まで知らなかった、父パパスの情熱的な一面を知って、少し複雑な思いだった。もちろん、父に幻滅したわけではない。むしろ逆だ。余計親しみが湧いたような気がする。
「それで、その長老と言うのが、母様の母様。つまり、わたしのお祖母様で……」
「ひいおばあちゃん。グランマーズさま」
シンシアが答えた。シンシアとユーリルは昨年にエルヘブンに赴いた。曾孫の顔を見たい、と言うグランマーズ長老の求めに従ってだった。そこで、シンシアはグランマーズに魔物使いの素質を見出され、魔法と合わせて修行を行い、かなりの実力を身に付け……そして、リュカを元に戻すための道具を授かった。
「このストロスの杖は、ひいおばあちゃんに借りたの。お母様とお父様を助けたら、お返しするって約束で」
シンシアが持つその杖は、エルヘブンに伝わる秘宝の一つで、生命エネルギーを活性化させ、呪いやマヒを打ち破る聖なる力が込められているが、力量の低い者には使いこなせない神器だと言う事である。
「そうだったんだ……それで、ユーリルはどうして天空の剣や盾を装備できるってわかったの?」
リュカが聞くと、それに苦笑で答えたのはビアンカだった。
「二年位前かな。ユーリルが天空の剣をおもちゃ代わりにして遊んでた時は、心臓が止まるほど驚いたわよ」
もちろん、ユーリルは天空の剣とは知らなかった。両親の残したものを見ているうちに、綺麗な剣と盾を見つけたので、なんとなく持ってみただけである。それがまるで自分のために誂えたようにピッタリだったので、嬉しくなっておとぎ話に出てくる勇者のように、えいやあと振り回して遊んでいる所を、ビアンカに見つかったのだ。
「あの時は、ビアンカママにゲンコツを四発も貰っちゃったよ」
ユーリルが今思い出しても痛い、と言うように肩をすくめて見せ、リュカは苦笑すると共に、サンチョとビアンカに頭を下げていた。
「ありがとう、サンチョさん、ビアンカお姉さん。この子達を立派に育ててくれて……」
ビアンカとサンチョはとんでもない、と首を横に振った。
「姫様とヘンリー殿、お二人のお子様は私にとっても子供のようなものです。苦になどなりませんよ」
「私も、ちょっとお母さん気分の予行演習になって良かったわよ。ね、サンチョさん」
サンチョに続けてビアンカが言うと、サンチョは赤面した。それを見て、リュカはまさか? と思いつつ聞いた。
「あの、ビアンカお姉さんとサンチョさんって……」
そこまで言った時点で、サンチョはますます赤くなり、ビアンカは舌をペロッと出した。
「あ、気付かれちゃった? まぁ、まだ婚約なんだけどね」
この八年間、一緒にユーリルとシンシアを育て、時には探検隊に参加して、肩を並べて戦っているうちに、二人はお互いへの尊敬と愛情を育んできたのだと言う。続けてサンチョが言う。
「しかし何と言うかお恥ずかしい。二十も年下の娘さんを奥さんに貰う事になるとは……」
その言葉に、ビアンカが労わるように答えた。
「そんな事ないわ。サンチョさんは誠実だし、優しいし、それに何と言っても私が十分認める強い戦士ですもの。何も恥じる事なんてないわよ」
堂々としたビアンカに対し、サンチョの恥ずかしがり方は初々しいくらいで、リュカは笑顔で二人を祝福した。
「おめでとう、二人とも。わたしにとっては、お姉さんとお兄さんみたいな人だから、二人が結婚するのは凄く嬉しいわ」
すると、ビアンカが言った。
「いや、まだ婚約よ。少なくとも、ヘンリー君を見つけて、リュカと一緒に暮らせるようになるまでは、結婚しないつもり。私はいいけど、サンチョさんが気にするし」
「まぁ、主を差し置いて、さっさと幸せになるなど不忠ですから」
サンチョが答える。リュカは気にしないのに、と思ったが、そう言ってもサンチョは言葉を翻す事はないだろう。
「うん、わかった。二人の幸せな結婚のためにも、ヘンリーを、お父さんを助け出さなきゃね」
リュカは言った。ヘンリーが何処に行ったかはわからないが、ジャミの呪いが充満する中から、ヘンリーを持ち出すことが出来そうな相手は、リュカは一人しか知らなかった。
(ゲマ……わたしたちの前に何時までも立ちはだかるのね。でも、決して負けない!)
拳を固め、リュカは八年ぶりの冒険の旅に出る事を決意していた。
(続く)
-あとがき-
リュカ復活の話。ジージョの家の話をばっさりカットしたのは、原作と違いが出せないので面白くない、と言う理由もあります。
気づかれた方もいるようですが、ビアンカとサンチョをカップリングしました。何話か前から二人を一緒に行動させるシーンを大目に入れたのは伏線です。あと、ビアンカが母親代わりになると言うのもありました。
次回から旅を再開します。