リュカがルーラで向かった先は、懐かしいサンタローズの村だった。最後に訪れてから、もう九年。村の復興はかなり進んでいて、多くの建物が建て直されていた。
しかし、まだ村人たちがそれほど戻ってきているわけではないらしい。行きかう人の多くは、建設に従事する職人たちや兵士で、リュカの見知った顔はいなかった。シスター・レナをはじめとする知り合いには後で挨拶をしようと思いながら、リュカはかつての自宅の裏に回った。
そこには、九年前よりもさらに立派に成長し、堂々たる成木となって青葉を茂らせるリュカの木……妖精界の桜があった。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第六十一話 再び妖精界へ
「お母様、この木は……」
シンシアが何かを感じ取ったのだろう。そう問いかけてくるのにリュカは無言で頷き、幹に手を当てて、別れの際にポワンが言った事を思い出した。
「これは妖精界の桜の苗です。もし何時か、あなたが困った事があって私達妖精の力を借りたくなったら、この木のところへおいでなさい。きっと妖精界に導いてくれるでしょう」
今がその時だろう。リュカは念じた。
(ポワン様、ベラ……もし、わたしの声が聞こえているのなら、答えてください……!)
その時、桜の幹から暖かな波動がリュカの手に伝わったように感じた。そして、彼女の脳裏に声が響いた。
(リュカ、リュカなのですね?)
(ポワン様!)
懐かしい、忘れ得ぬ声にリュカは心の中で返事をした。
(まぁ、やっぱり……懐かしいですね、リュカ。あなたがこうして話しかけてきたと言う事は、何か事情があるのですね?)
(はい、ポワン様。実は……)
リュカが話そうとすると、ポワンにやんわりと止められた。
(まぁ、立ち話もなんです。久しぶりにおいでなさい、私達の国へ。妖精界へ!)
次の瞬間、リュカの木が光り輝き、一行の視界を奪った。眩い光の中、リュカは何か柔らかい壁を突き抜けたような感じを覚え……気がつくと、そこは懐かしい風景だった。
蓮の葉が浮かぶ澄んだ池の小島。向こうには、巨大な木をくりぬいて作ったような、ポワンの宮殿。そして、懐かしい顔がリュカたちを出迎えてくれた。
「リュカ!」
「ベラ! お久しぶり!!」
ポワンの宮殿へ続く飛び石のところで、リュカは久しぶりにもう一人の親友と再会した。
「大人になっても、一目でリュカだってわかったわ。本当に懐かしいわね……この子たちがリュカの子供?」
ベラが視線を向けた先には、ユーリルとシンシアの姿があった。
「ええ。ユーリル、シンシア、ご挨拶なさい」
リュカが言うと、例によってユーリルは元気良く、シンシアは礼儀正しく挨拶する。ベラは微笑んでいい子ね、と言うと二人の頭を撫でた。
「私はベラ。昔、あなたたちのお母さんと一緒に冒険をしたのよ。よろしくね」
そこへ、プックルがやってきて、ベラの前に座り込んだ。ベラはそれが誰かすぐに気付いたらしく、頭を撫で、喉をくすぐった。
「お久しぶり、プックル。あなたが一番変わったかしら。でも、相変わらず良い子ね」
にゃあ、とプックルは鳴く。とは言え、彼ももう十八歳。キラーパンサーとしては青年を通り越してそろそろ大人であり、もう「良い子」とは呼ばれたくない年頃のようで、ちょっと不満そうな鳴き声だった。
「あっと、あまり懐かしがってばかりもいられないわね。ポワン様のところに行きましょう」
ベラは用事を思い出し、一行を宮殿に誘った。そこでは、ポワンが玉座から立ってリュカを出迎えてくれた。
「いらっしゃい、リュカ。本当にお久しぶりね」
ポワンはそう言ってリュカを抱擁した。
「はい、ポワン様もお元気そうで何よりです」
リュカは笑顔を浮かべたが、ポワンはその笑顔の中の僅かな陰りを見逃さなかった。
「少し、悲しい目をするようになりましたね、リュカ」
「……そうですね」
リュカは認めた。かつてポワンに出会った頃、まだ幼かったリュカは、悲しみや寂しさとは無縁だった。父やサンチョ、プックルが傍にいたし、サンタローズの村人は皆が家族のようなものだった。
今は父を含め、多くの人が鬼籍に入り、その寂しさを埋めてくれていたヘンリーもまた、傍にいない。
「私があなたの力になる事で、少しでも補いになればいいのですが……今日はどのような用事で来たのですか?」
ポワンの問いに、リュカは回想を振り払い、ゴールドオーブに関わる事情を話した。しかし、ポワンは困った表情になった。
「ゴールドオーブですか……確かに、あれは私の先代の妖精の女王が作ったものです。ですが、今は同じものを作る事はできません」
「何故ですか?」
リュカが聞くと、ポワンは懐から何かを取り出した。それは、ゴールドオーブにそっくりな……しかし、やや光の弱い別のオーブだった。
「ゴールドオーブを作るには、ラーミア、またはレティスなどと呼ばれる、世界を飛び越える神鳥の羽根が必要なのです。ですが、今この世界にラーミアはいません。できるのは、この程度のフェイクです」
リュカは肩を落とした。
「では、もう打つ手は無いのでしょうか?」
すると、ポワンはリュカにフェイクのオーブを渡し、着いてくるように言った。リュカがそれに従って宮殿の奥へ行くと、そこは幾つもの絵を展示している、画廊のような部屋だった。
その中に、リュカの目を引く一枚の絵があった。それは、幼い頃の自分とプックルを描いたもので、背景はサンタローズの村。ラインハット兵に攻撃されて滅びる前の、懐かしい村の風景だった。
「ポワン様、ここは?」
リュカが聞くと、ポワンはリュカの絵の前に立った。
「ここにある絵は、皆妖精界に関わりの深い人を、記念して描かせた絵なのです。ただの絵ではなく、描かれた人の心を映し出した絵です」
そう言われて、リュカは自分の絵を見る。幼い自分が、絵の中で屈託無く笑っている。自分にもこういう時代があったのだと言う事が信じられないくらい、絵の中のリュカには何の翳りも見られなかった。
「これ、お母さんの子供の頃なの……? 可愛いね」
「私はお母様似だと言われますが、こうして見ると、髪の長さと色くらいしか差がありませんね」
ユーリルとシンシアが絵を見て感想を言った。サンチョとビアンカは何も言わない。おそらく、大人の二人は、今のリュカと絵の中のリュカの違いに気付いて、何も言えないのだろう。
そうやって絵を見ているリュカに、ポワンは言った。
「リュカ……この絵はあなたの心、あなたの記憶そのものなのです。だから、あなたが望むなら……この絵は、あなたをここに描かれた時間と場所に連れて行ってくれるでしょう」
「……えっ?」
リュカはポワンを見た。彼女の言った事を、頭の中で消化する。それは、つまり……
「そう、過去に行く事ができれば……本物のゴールドオーブと、そのフェイクのオーブを交換できれば、今の時代にゴールドオーブを蘇らせる事が出来ます」
ポワンが言った。過去に行く事ができる。それならば、もしかして……
「お待ちください。と言うことは、パパス様にこれから起きる事を警告し、死の運命から逃れさせる事ができるのではありませんか?」
リュカが言う前に、サンチョが身を乗り出すようにしてポワンに聞いた。そう、リュカも同じ事を考えていた。しかし、ポワンは悲しげに目を伏せ、首を横に振った。
「そう言うのではないかと思っていました。ですが、そのような事はしてはいけませんし、おそらくできないでしょう」
「何故ですか!?」
サンチョが怒ったように言う。だが、リュカにはポワンの言おうとしている事が理解できた。それだけに悲しかった。そう、自分は父を救う事は決して出来ない。全ては、もう起きてしまった事なのだから。
「ダメよ、サンチョさん。ポワン様の言うとおりだわ」
リュカの言葉に、サンチョは目をむいた。
「何故ですか、姫様! パパス様を、お父上を助けたいと思わないのですか!?」
リュカは涙の滲んだ目で答えた。
「思う。心の底から思うわ。でも、きっと出来ない……父様は、他人の言葉で決心を揺るがすような事は無い人だったから」
サンチョは言葉に詰まった。リュカの言うとおりだと彼は知っていた。それに、とリュカは言葉を続ける。
「父様を止めるという事は、父様にあって、これから起きる事を伝えると言う事。でも、わたしには出来ない……! 父様に、生きている父様にあったら、きっとわたしは自分を見失っちゃう……心が壊れてしまう……悲しくて、懐かしくて、嬉しくて、寂しくて……耐える自信が無いの……!!」
リュカはぶるぶると身体を震わせ、その場にくずおれた。
「お母さん!」
「お母様!」
「リュカっ!!」
ユーリル、シンシア、ビアンカが膝を突いたリュカを抱きしめるように駆け寄る。その光景を呆然と見ていたサンチョに、ポワンが言った。
「ゴールドオーブは、この絵の未来において、なんら歴史に役目を残すことなく消えて行きました。ですから、オーブの運命を変えることは出来ます。ですが……パパス様の運命を変えることは、この時代に繋がる全ての運命を変えることなのです」
もしパパスがラインハットへ行かなければ、パパスは今も生きていたかもしれない。しかし、その代償としてヘンリーは死に、ラインハットは邪悪の傀儡とされる運命から逃れることなく、世界を滅亡に追いやるきっかけとなったかもしれない。
では、もしパパスがラインハットから生きて帰れば? リュカもヘンリーも奴隷ではなかったとしたら?
その場合、おそらくリュカとヘンリーは結ばれなかった。それはつまり……ユーリルもシンシアも、この世には生まれないと言う事。この世を救える宿命の勇者は生まれず、世界はいずれ滅亡の淵に……
押し黙ったサンチョを他所に、リュカは思い浮かべるだけで心が壊れてしまいそうな、父との再会の可能性を封じ、立ち上がった。涙を拭いてポワンの方を向く。
「申し訳ありませんでした、ポワン様……それで、わたしはこの絵にどうすれば良いのでしょうか?」
「あ、そうでしたね……絵の前に立ち、心を開くのです」
ポワンの言葉に頷き、リュカは絵と向かい合った。絵の中の、屈託無く笑う自分と目を合わせる。
(小さなリュカ……昔のわたし。どうか、わたしを導いて)
そう念じた時、リュカは意識が眩しい光に包まれるのを感じていた。そして、彼女の姿は唐突に見ている人々の前から消え去った。
「お母さん!」
「お母様!?」
狼狽する二人の子供を、屈み込んだビアンカが優しく抱きしめた。
「大丈夫よ……リュカはちょっとの間、旅立っただけ。すぐ帰ってくるわ」
その時、それまで呆然としていたようだったサンチョが、ポワンに頭を下げた。
「申し訳ありませんでした、ポワン様。見苦しい所をお見せしまして」
謝るサンチョに、ポワンは首を横に振って、謝罪は無用と言ったが、サンチョの言葉はまだ続いていた。
「そう……ですね。運命は変えられない。私は、その事を知っているはずでした」
サンチョは絵に目をやった。
「なぜなら……訪ねて来られなかったのですから、姫様は」
場に沈黙が落ちた。
(続く)
-あとがき-
過去へ行ける絵の話は、妖精の城ではなくポワンの館にあると言うように変えました。あれは原作でも不可解な設定の一つだと思います。リュカとのつながりで言えば、ベラとポワンが一番深い訳ですから。
次回は過去の自分に出会う話です。