肌を刺すような冷たい風に、リュカは意識を取り戻した。目を開ければ、そこにあるのは懐かしい、あまりにも懐かしい記憶の中の風景。
一度滅びる前のサンタローズだった。立派だった宿屋。それほど肥えてはいないが、丹精こめて手入れされた畑。洞窟から流れ出す清流……全てが輝いているように、リュカには見えた。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第六十二話 過去との再会
「ああ……」
リュカは涙が溢れそうになったが、それをぐっとこらえて、家への道を歩き出した。途中、すれ違う男性たちがリュカに視線を止めるが、それを気にすることなく彼女は歩いた。そのうちに、次第に記憶が蘇ってきた。
そう……今はベラがいたずらをして、何とか村人たちの気を引こうとしている時期。盗まれた春風のフルートを取り返すため、自分の姿が見える相手を探して奮闘している頃だ。軽く視線を左右に動かすと、農作業をしている村人のお弁当を盗み食いしているベラの姿が見えた。
思わず苦笑がもれそうになったが、気付かれては困るので、リュカは見えないふりをして、武器屋に続く通りの橋を渡った。すぐそこに、家があった。現代では未だ建て直されていない、リュカとパパスとサンチョの家。
グランバニアの壮大な城に比べると、何とささやかな家なのだろうと思う。何故、パパスはこの家を探索の拠点に選び、グランバニアではなくサンタローズに住もうと思ったのだろう。
(父様は、王様という地位より、母様とわたし、それにサンチョさん……四人で慎ましく暮らしていく事を、お望みだったのかもしれない)
リュカはそう思った。誰もが羨む王族と言う地位も、実際に背負ってみれば重荷以外の何者でもない、と感じる事はしばしばあった。だから、パパスはマーサを助け出す事ができても、グランバニアへは帰らず、この村で暮らそうと考えていたのかもしれない。地位よりも、家族との暖かみに満ちた生活を求めていたのかもしれない。
その考えを、今確かめようと思えば実行できるのだが、リュカはただ家を見つめたまま、動こうとはしなかった。遠い昔に永訣し、もう二度と会うことの叶わぬ父。それでも、何度再会したいと思った事だろう。その機会が、今目の前にある。生きている父が、手の届く所にいる。
だが、出来ない。また父に会いたいと、そう求めてはいけない。それは……どんなに辛くとも、この時代から二十年近くを生きたリュカの現実、その全てを否定する行為だから。現実から逃げれば、リュカはもう二度と立ち上がる事も、旅を続ける事もできないだろう。
だから、リュカはただ待った。記憶の中にある出会いを思い返して。そして、その時は来た。
道の向こうから、グランバニアの地酒を詰めたビンを持った、小さな自分がやってくる。その傍につき従う小さなプックル。まだこれから訪れる過酷な運命を知らなかった頃の、無垢な自分。
その小さなリュカが立ち止まり、首を傾げる。自分に気付いたのだろう。リュカは溢れそうな涙をこらえ、笑顔を作ると、過去の自分に声をかけた。
「こんにちわ」
「は、はい。こんにちわ……」
小さなリュカが挨拶を返してくる。そう言えば、この時の自分は、目の前の女性が一体誰かわからず、困惑していたのだった。だが、その警戒を解いてくれたのは……
小さなプックルが警戒を解き、リュカの足元にやってくる。彼女は屈みこみ、手を差し伸べた。プックルはふんふんと匂いを嗅ぎ、安心したようにリュカの手を舐めてくる。
「ふふ……可愛いわね……あら、くすぐったいわよ」
リュカは小さなプックルの頭を撫でた。ゴロンと転がり、その手にじゃれ付くプックルを見て、小さなリュカが驚いている。
「プックルがわたしとビアンカお姉さん以外の人に懐くなんて……」
そう言えば、この頃はまだ、プックルはリュカ以外の大人たちには、余り慣れていなかった。不思議そうに、小さなリュカがリュカの顔を見てくる。その腰に付けられた道具袋から、金色の光が一瞬漏れた。リュカはそれを指差して言った。
「あら、何か綺麗な宝石が入っているわね」
「え?」
小さなリュカが道具袋を確認するのを見て、リュカは言葉を続けた。
「とても不思議な光ね。わたしにもちょっと見せてもらえるかしら?」
困った表情を浮かべる小さなリュカ。そう、大事な思い出の品を、見知らぬ人に見せて大丈夫なのか、と思った記憶が蘇る。だから、その次に何を言えばいいのかもリュカは思い出していた。
「大丈夫。盗んだりなんかしないわ。わたしを信用して」
ユーリルやシンシアを寝かせつける時を思い出し、リュカは優しい声で過去の自分に言った。ようやく、安心した表情を浮かべた小さなリュカが、ゴールドオーブを差し出してくる。リュカはそれを受け取ると、軽く手の中で回してみたり、日の光にかざしてみたりした。その動きを目で追っていた小さなリュカが、太陽の眩しさに一瞬目をそらす。その瞬間、リュカはゴールドオーブをフェイクのオーブとすりかえていた。
「ありがとう。本当に綺麗な宝石ね」
リュカはそう言って、小さなリュカにフェイクのオーブを差し出した。それを受け取る子供の自分は、まるで疑う事を知らない無邪気な様子で、とうとうリュカはこらえきれず涙を目に溢れさせていた。
ごめんなさい、昔のわたし。わたしは、これからあなたを……そして、大好きな父様を襲う過酷な運命を知っているのに、それを教える事ができない。
許して、小さなリュカ。何も出来ないわたしを……どうか許して……!
「お姉さん、泣いているの……?」
小さなリュカが、心配そうな表情で聞いてくる。リュカは笑顔を浮かべ、首を横に振った。
「え? ううん。大丈夫。ちょっとお日様の光が眩しかっただけ」
そう答え、リュカはプックルを抱き起こし、小さなリュカの頭を撫でた。そして言う。過去の自分に、ただ一つできる事。それは……
「さようなら、小さなリュカ。何があっても……どんな辛い事があっても、決してくじけては駄目よ。そして、お父さんとお友達を大事にしてね」
過去の自分への励ましの言葉。それを言い終えると同時に、リュカは目を閉じ、心の中で自分に言い聞かせるように繰り返した。
(さようなら、父様。わたしは……帰ります。そして歩いていきます。明日へ。未来へ。だから、見守っていてください)
「え? お姉さん、どうしてわたしの名前……?」
そんな自分の声が聞こえたような気がしたが、その時リュカの意識は再び白い光の中に沈んでいた。
目を開くと、最初に飛び込んできたのは、自分を見上げるユーリルとシンシアの二人だった。
「ただいま、ユーリル。シンシア」
リュカが言うと、二人は母の胸に飛び込んできた。
「お母さん!」
「お母様!!」
よほど母のことを心配していたのだろう。リュカは二人を抱きしめ、その重みを、温もりを感じる。そう。この子達こそ、わたしの現実。決して失いたくない。失わせない。
「リュカ……泣きたいなら、胸くらい貸すわよ?」
ビアンカが言う。リュカは微笑んで、首を横に振った。
「大丈夫。それに、ビアンカお姉さんの胸に抱きついたりしたら、劣等感でそれこそ泣きたくなるかも」
「お、言うようになったわね」
ビアンカはくすりと笑い、リュカの頭をくしゃくしゃと撫でた。そして、サンチョが言った。
「姫様……先ほどは申し訳ありませんでした。姫様が、パパス様の事を考えていないわけが無いのに」
リュカは首を横に振った。
「謝らないで。サンチョさんは、誰よりも父様の事を思っていたんですもの……きっと、父様も喜んでいますよ」
そうですよね? とリュカは天を見上げる。もしわたしが堪えきれずに過去の父様と会っていたら……きっと、父様はわたしの事を叱り、諭すだろう。お前の人生から逃げてはいけないと。
「それで、ゴールドオーブは手に入ったのですか?」
見守っていたポワンが聞いてきた。リュカは頷いて、懐からオーブを取り出し、ポワンに渡した。フェイクとは段違いの強い光に、ポワンの顔に笑顔が浮かんだ。
「これこそ間違いなくゴールドオーブ……なんと言う眩しい光。リュカ、よくやり遂げましたね。過去と向き合うのは、とても辛かったでしょうに……」
「いいえ、ポワン様。わたしは大丈夫です。ほんの短い間ですが、懐かしい人たちと懐かしい景色に出会えました。お礼を申し上げます」
リュカはそう言って頭を下げた。
「そうですか……ありがとう、リュカ。あなたの優しさに、私はいつも救われます」
ポワンはそう言って、ゴールドオーブをリュカに返した。
「では……名残惜しいですが、これで失礼します。このオーブを待っている人がいますから」
リュカがオーブを仕舞いこんで言うと、ポワンは笑顔で頷いた。
「そうですね。ですが、妖精界はいつでもあなたとあなたの家族のために門を開いて待っています。またおいでなさいね」
「はい!」
リュカはポワンの言葉に笑顔で返事をした。
使命を済ませたリュカたちは、ベラの先導で宮殿を出た。また蓮の葉を渡り、池の中央の浮島へ戻る。すると、そこには二人の人物がリュカたちを待っていた。
「久しぶりじゃのう」
「……ガイルさん!」
手を挙げて挨拶をしてきた一人に、リュカは笑顔を浮かべた。かつて雪の女王と戦ったドワーフのガイルだった。リュカは皆にガイルを紹介し、挨拶が交わされる。それが済むとガイルは言った。
「おかげで追放も解けてな、今はこの村でのんびりと暮らしておるよ。お前さんは、なにやら大変な旅をしているようじゃのう」
「はい……ですが、みんなのお陰で何とか頑張っています」
リュカが答えると、ガイルは横に立っていたもう一人……まだ青年のドワーフの背を叩いた。
「そんなお前さんに、ワシも協力したくてな……じゃが、ワシはもうこの歳で、昔のように斧は振るえん。そこで、こいつを……ザイルを連れて行ってやってくれ」
青年のドワーフ……かつてのフルート泥棒のザイルは、すっかり逞しくなった腕を挙げて、リュカに挨拶した。
「久しぶりだな。俺の事は、あまりおぼえていないと思うが……」
リュカは首を横に振った。
「そんな事ないよ。それより、連れて行ってくれって……?」
「ああ。あれから心を入れ替えて、爺ちゃんや今の鍛冶屋の親方の下で、みっちり武器作りを修行したんだ。今、人間界は大変なんだろう? 戦うみんなのために強い武器や防具を作り出して、旅の助けになりたいんだ」
そう言うと、ザイルは背中に背負っていた一振りの剣を取り出し、リュカに差し出した。剣に詳しくないリュカにも、それがたいそうな業物である事は理解できた。刃を見ていると、吸い込まれそうな錯覚すら覚える。
「これは……?」
リュカが聞くと、ザイルは笑顔で答えた。
「俺が鍛えた、奇跡の剣さ。もし連れて行ってくれなくても、それは持って行って欲しい」
すると、サンチョがリュカに言った。
「姫様、これは素晴らしい剣です。パパス様の剣にも負けない業物ですよ。ぜひ来ていただきましょう」
リュカは笑顔で剣をサンチョに渡し、ザイルに手を差し出した。
「最初から、来てもらうつもりよ。よろしくね、ザイル」
「ああ、任せとけ!!」
ザイルは力強くリュカと握手した。
(続く)
-あとがき-
DQ5の二次創作では過去のエピソードではパパスと会うのが基本なんでしょうが、敢えて「会わない」を選んでみました。実際運命を変える可能性が無いのに会うのは辛すぎると思うのですよ。
あと、ザイルは仲間ではなく鍛冶屋として参加。小さなメダルとメダル王のエピソードを入れてないので、その代わりに色々作ってもらいます。