ラマダが倒れた聖壇の後ろに、地下への入り口はあった。壮麗な地上部分に対し、多くの奴隷たちの血と汗と涙がしみこんだ地下区画は、重苦しい陰鬱さに包まれていた。
階段を降りてすぐに到着した場所は、あの石切場だった。壁の崩れた後に置かれた墓標は、十八年前の数倍の数に膨れ上がっており、リュカもヘンリーも思わず足を止め、ここで無念のうちに死んでいった多くの人々に祈りを捧げた。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第六十九話 教祖イブール
「ごめんなさい……もっと早く助けに来られなくて」
「せめて、あなたたちの無念だけでも晴らす。それで許して欲しい……」
そんな二人の後姿に、仲間たちは声をかけられなかった。それはこの空間で過ごした事のある者にしか共有できない感覚だっただろう。
「この先の坑道を辿っていけば、地下の幹部級の連中の居住区に出る。本当はエレベーターがあるんだが、我々兵士や下級の信者たちは、使用を許されていない」
その感覚を少しでも共有できるヨシュアが、粛然とした雰囲気を破って声をかける。気持ちはわかるが、何時までも死者に思いを馳せてばかりはいられない。
「わかりました。行きましょう、ヘンリー」
「ああ」
頷くヘンリーに、そう言えばとリュカは荷物の中から、二つの品を差し出した。オジロンから餞別に貰った王者のマントと、サラボナでブオーンから奪取した光の盾だ。
「これは? 凄い防具だな……」
受け取った品を魅入られたように見つめるヘンリーに、リュカは来歴を話して、装備を手伝った。王者のマントと光の盾を身につけたヘンリーの姿に、おおと溜息が漏れる。
「さすが元王子様。決まってるわね」
ビアンカが褒めると、ユーリルが残念そうな口調で言った。
「お父さんかっこいいなぁ。ボクも天空の装備が全部揃っていれば良いのに」
ユーリルはまだ天空の鎧を手に入れていないので、魔法の鎧を代わりに装備しているが、やはり他の装備と比べると浮いている。するとヨシュアが言った。
「天空の鎧? それならこの大神殿にあるぞ」
リュカたちは驚いてヨシュアを見た。
「本当ですか!?」
聞くリュカに、ヨシュアはああ、と頷いた。
「地下区画の宝物庫に、教団の連中があちこちで奪ったり盗掘してきた、強力な武具が納められている。私は一時そこの警備担当だったから知っているが、天空の鎧もあったはずだ」
ヘンリーは勢い込んで言った。
「願ってもない話だ! 案内してくれよ!」
ヨシュアは頷いた。
「無論、最初からそのつもりだ。こっちへ来てくれ」
彼の先導で、リュカたちは石切場の坑道から奥へ進んで行く。しかし、そこは無数の敵で溢れていた。
「背教者に死を!」
「異端どもを殺せ!」
「異教の者たちを生贄にしろ!」
そんな狂信的な叫びを発しつつ、襲い掛かってくる教団兵たち。ヨシュアは警告した。
「こいつらは、教祖に魂を捧げつくした連中だ! 説得は効かない!」
そう叫びつつ、ヨシュアはデーモンスピアを繰り出して先頭の敵兵を串刺しにする。さらに尻尾を横薙ぎに振るって、数人を薙ぎ払った。しかし後から後から敵が押し寄せてくる。
「きりが無い。爺さん、あれを頼む!」
ヘンリーがデモンズタワーでの戦いを思い出し、マーリンに声をかけた。ベギラゴンで通路を薙ぎ払おうと言うのだ。
「承知じゃ! アンクル殿、ワシに合わせてくだされ!」
「心得た、老師!」
マーリンはアンクルとベギラゴンを連打する体勢をとろうとしたが、その前に強敵が現れた。シーザーより身体の大きなブラックドラゴン。通路をせき止めるような巨体を振り回し、ブラックドラゴンはくわっと口を開く。喉の奥に既に火炎の先端が見えた。
「やばい! フバーハも間に合わない……くそっ!」
咄嗟にヘンリーは先頭に飛び出ると、王者のマントを翻した。そこへ、ブラックドラゴンの吐いた轟炎が、味方の筈の狂信者の群れを薙ぎ倒しつつ押し寄せる。
「ヘンリー!」
別の狂信者たちを相手にしていたリュカの目の前で、ヘンリーは地獄の業火に沈んだように見えた。しかし。
「おらぁ!」
ヘンリーは再びマントを闘牛士のようにふりかざし、押し寄せた炎を払った。マントの表面には焦げ目すらついていない。
「なるほど、伝説の防具に相応しいな、これは。その程度の炎じゃ焼けもしないか!」
ヘンリーは喜色を浮かべると、パパスの剣を振るってブラックドラゴンの額を叩き割る。同時に突進したピピンとオークスが続けざまにブラックドラゴンの胴を斬り裂き、その巨体を床に撃沈する。
「大公閣下、危ない真似はおよしください!」
「まったく、見ていてハラハラするぞ。リュカ様のお気持ちも考えよ」
ピピンとオークスのお説教にも、ヘンリーは動じない。
「悪い悪い。だが、危ない真似をしなきゃ未来は開けないぜ。俺に続けー!!」
そう言って敵に飛び込んでいくヘンリー。それを見つつ、マーリンは苦笑した。
「あれは勇者の台詞ではないのかのう……」
「良いではないか。流石はシンシア様の父上。良き若武者であることよ!」
アンクルは豪快に笑うと、暴れ足りないとばかりに乱戦の最中へ飛び込んでいった。それを聞いて、ユーリルも発奮する。
「ボクだって、お父さんには負けないよ!」
アンクルが何かとシンシアを持ち上げるのに、対抗心が芽生えたようだ。天空の剣を縦横に振るい、当たるを幸い魔物たちを薙ぎ倒していく。リュカはくすりと笑い、心配はないと思った。今の自分たちは……仲間たちは世界一強い!
坑道を埋め尽くすような魔物と狂信者たちを掃討し、リュカたちは地下区画に入った。地上の大神殿同様、切り出した大理石で美しく装飾された区画だった。
「上にあんな綺麗な神殿を作ったのに、どうしてこんな所で暮らすのかな?」
ユーリルが疑問を口にすると、サーラが答えた。
「日の光が怖いのですよ、ユーリル様。私たち悪魔や魔族は、太陽の無い暗い世界で生まれました。だから、太陽は私たちには眩しすぎるのです」
「サーラも、太陽は苦手なの?」
シンシアが心配そうに聞いた。サーラを仲間にした身としては、嫌がる事はしたくないと思ったのだ。しかしサーラは笑顔で首を横に振った。
「いいえ、シンシア様。今の私やアンクル様、ミニモンは、太陽の眩しさと共に、その心地よい暖かさも知っています。ですからお気遣い無く」
サーラの答えに笑顔になるシンシア。そうしている間に、一行は宝物庫に到着した。蛇手男などの番兵がいたが、今のリュカたちを止める実力はもちろん無い。一蹴して中に入ると、一行はその煌びやかさに目を見張った。金銀財宝が山のように積まれていたのだ。
「すごいな。これが全部信者から騙し取った財宝か」
ヘンリーが呆れたような、感心したような口調で言う。光の教団は信者たちをこの大神殿に連れてくる際に、もはや現世の財産には意味が無いのだから、と全額を拠出させていたらしいが、なるほどそれが頷ける財宝の量だ。
ここにいる全員で山分けしたら、一生食いっぱぐれ無く生きていける事請け合いの量だったが、リュカはそれには目もくれなかった。
「これはそのうち、教団に騙された人たちに返しましょう。それよりも、天空の鎧を」
全員が頷いて、装備を探しにかかる。そして数分後。
「あった! これじゃないですか!?」
見つけたのはサンチョだった。本人曰く「盗賊並みには鼻が利く」と言うくらいで、サンチョは物探しが得意である。大半はユーリルのイタズラを見破るのに使われているらしいが……
ともかく、金貨の山の陰からサンチョが引っ張り出してきたのは、他の天空の装備と共通の意匠を持った、銀と緑の金属を用いた鎧だった。剣と盾が見るからに重厚なのに対し、兜と鎧は軽快なデザインをしている。
「間違いなさそう。ユーリル、着てみて」
「うん、お母さん」
リュカの呼びかけに、ユーリルは魔法の鎧を外して、天空の鎧を手に取ろうとした。その瞬間、天空の鎧は光り輝いたかと思うと、宙に浮き上がり、分解した。
「!?」
全員が驚く中、分解した鎧はユーリルの身体の大きさに合わせて変形し、まるで見えない手で動かされているように、自動的にユーリルに着せられていった。ほんの数秒で、天空の鎧はまるでユーリルの身体の一部のように、完全に彼の身体を覆っていた。
「うわぁ、凄く軽いや。それに、ぜんぜん身体を動かす邪魔にならない!」
ユーリルははしゃいで、財宝の山から山へ飛ぶように動き回って見せるが、不安定なはずの金貨の山などに着地しても、態勢も山も崩す事がない。まるで浮いているようだった。
「いいなぁ、お兄様は専用の装備があって……」
羨ましがるシンシアに、ビアンカが何処からか引っ張り出してきた服を持ってきた。
「じゃあ、シンシアはこれを着てみたら? きっと似合うわよ」
淡い空色とピンク色の、ベストとローブを組み合わせ、魔法使いの服とドレスを合わせたようなデザインのその服は、要所に銀糸の刺繍で装飾がなされ、見るからに豪華かつ、強い魔力を放っていた。試しにシンシアがそれを着てみると、若干サイズが大きいものの、シンシアの可憐な容姿を引き立てる素晴らしいコーディネイトだった。
「これは……たぶんプリンセスローブと言うやつじゃな。シンシアにはぴったりじゃの」
収蔵品の目録を探し出してきたマーリンが言う。それを元に探した結果、使えそうな装備としては黒い妖気を放つ魔剣……地獄のサーベルが見つかった。
「これはワシにピッタリの得物じゃわい」
アンクルが地獄のサーベルを手にして、その使い勝手に目を細める。それほどの逸品は他にはなかったが、幾つかは使えそうな装備や道具もあったので、リュカたちはそれらを冒険が終わるまで借り受ける事にして、宝物庫を出ると、奥への進撃を再開した。
坑道の戦いで教団側の戦力は尽きたのか、地下区画には魔物も狂信者たちも現れなかった。数階層を降下し、地中の長い一本道を進んだ先に、重厚な扉が待ち構えていた。もう、他には探していない場所は無い。つまりここが……
「教祖、イブールの部屋……」
リュカは言った。一代で一つの国家に匹敵する力を持つ大教団を作り上げ、ゲマやラマダといった強力な魔族を従えたほどの人物。一体どんな相手なのか……リュカは緊張しつつ扉を開けた。
そこは、幾つもの美術品が飾られた、広い部屋だった。あまり照明は灯されておらず、薄暗い部屋の奥。そこに置かれた椅子に座っていた人物が、声をかけてきた。
「誰か」
その声を聞いた瞬間、全員がぞくっとするような感覚が背筋に走るのを感じた。それは恐ろしく深みがあり、人の心の奥深くにまで響くような、そんな声だった。
「……あなたが、教祖イブール?」
リュカは気圧されないように聞き返した。人物は頷き、立ち上がるとリュカたちの方へ歩いてきた。
「いかにも。私がこの光の教団の教祖、イブールだ」
そう言った時、淡い光の中にイブールの姿が浮き上がり、リュカは息を呑んだ。
聞く者を魅了する声と同様に、イブールの容姿は恐ろしく整ったものだった。けっして堂々たる体格ではない……むしろ貧弱といって良いほどの身体つきであったが、全体として神が全身全霊を込めて作り上げた美術品のように、完璧な調和を保つその肢体は、目を離すことを拒ませるほどだ。
「良く来た、天空の勇者とその一族の者たちよ。私に忠節を誓うと言ってくれた者たちは、皆死に絶えたか。痛ましい事だ……」
秀麗な顔つきに、本当に痛ましそうな表情が浮かぶ。その全てが一幅の絵のようで、目を離す事ができず、息をするのも忘れそうになる。そんな美貌に笑みを浮かべ、イブールは言った。
「まずは、礼を言っておこう。ゲマとラマダを倒してくれたそうだな」
リュカは一瞬イブールが何を言ったのかわからなかった。
「……礼? 彼らはあなたの部下だったのではないの?」
そう聞き返すと、イブールはとんでもない、と笑った。
「彼らの忠誠は私にはなかった。ラマダは、途中からそうでもなくなったようだが……あの二人は、真の主に仕え、人間界のでの勢力伸張のため、見た目だけは良い私に目を付けたに過ぎない。つまり……私のほうこそ、彼らの部下、いや、道具だったのだよ」
そう自嘲するように言うと、イブールはローブの中から手を突き出した。貧弱と言うより、何か病気ではないのか、と思わせるほど細いその指に、淡く光る緑色の宝石が飾られた指輪が填まっている。
「実際の私は、魔族が与えてくれたこの命のリングが無ければ、即座に死んでしまう半死人に過ぎんよ」
「命のリング……じゃと?」
驚いたのはマーリンだった。
「実在の品であったのか。まさかこの目で見ることが出来ようとは」
「知っているのか? 爺さん」
ヘンリーの質問に、マーリンは興奮を隠せない様子で答えた。
「おぬしたちが結婚指輪に使った、炎のリングと水のリング……それとセットになる、もう一つの指輪じゃよ。所有者の生命力を増幅する働きがあると言う。じゃが、他の二つと違って、実在すると言う確かな伝承が無かったので、幻のアイテムじゃと思っていた」
「ふむ、良くご存知だな、ご老人」
イブールは笑った。
「魔族があなたに与えてくれたといったわね。なぜ?」
リュカが聞くと、イブールは笑いを消して答えた。
「魔族や悪魔も、神同様人間の祈りを力に変えることが出来る。魔王は神から祈りの力を取り上げ、自らを強くするため、自分を崇める教団を人間界に作ろうと考えた。その尖兵として送り込まれたのが、お前たちが倒したゲマとラマダだ。私が彼らと出会ったのは……もう三十年近くも前のことだ」
イブールは遠くを見る目になった。
(続く)
-あとがき-
ラマダがアレだったぶん、イブールはちょっとキャラを掘り下げてみる事にしました。一応序列二位のボスなのに、扱いが酷すぎますし……
ところで、皆さんはプリンセスローブは嫁と娘のどっちに着せてました? 私は字面を優先して娘に着せてましたが、そうすると嫁の最強防具が天使のレオタードになるのはいかがなものかと思います。
あ、ちなみにリュカはもちろん天使のレオタードとかのえっちぃ防具は全て装備可能です(聞いてない)。