「……その頃の私は、見目が良いだけの子供に過ぎなかった」
イブールは、そう言って回想を始めた。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第七十話 邪教の最期
「加えて身体も弱く、すぐに熱を出して寝込んだり、食べ物を受け付けなかったりして、何時死ぬかわからない身体だった。私は呪ったものだ。自分をこんな身体に生まれさせた神を。そして祈った。健康な身体が欲しいと。それを、魔王たちが聞きつけたのだ」
ある夜、熱に苦しむイブールの元に、ゲマが現れた。ゲマは言った。健康な身体が欲しいか? と。
「もちろん、私は頷いた。健康な身体が手に入るなら、なんでもすると。そしてゲマはこのリングを与えてくれた。だが、それからの私は、魔族の奴隷だった」
ゲマに命じられるまま、イブールはその類稀な美貌と美声を武器に、光の教団を立ち上げた。瞬く間に信者は増えていき、彼らは魔王に対するものとも知らず、日夜熱心に祈りを捧げた。
「私の言葉で、皆が動く。楽しい日々だったよ」
しかし、教団が大きくなると、イブールは次第に飾り物の地位に追いやられていき、ゲマとラマダが教団を動かすようになっていく。イブール自身、命のリングを使っても教祖の激務に耐えられず、神秘性を増すと言う名目で表には出なくなっていった。
「そのうち……馬鹿馬鹿しくなってきたのだよ。ゲマたちがやっている事は、教団の教えとは正反対の悪行だ。だが、信者たちは教団を妄信し、何も疑問の声一つ上げない。そんな愚かな連中を見ていると、無性に腹が立ったものだ。小さな事でも言いがかりをつけては、処刑したりしたな」
ヨシュアが牙を剥いた。
「妹も……マリアもそうやって殺したのか」
イブールは頷いた。
「ヨシュアか。お前も何時までも忘れる事のできない男だな。まぁいい。殺したくば殺せ。仇を討つが良い。私はもう疲れた。教団初期の、私だけを信じていた信者たちも、皆死んだ。私一人生きていても空しい。魔王ミルドラースなどどうでも良い」
ヨシュアはイブールの前に進み出ると、槍を構えた。
「お望みどおり、妹の仇、討たせてもらう。死ね、イブール!」
次の瞬間、イブールの心臓をヨシュアの槍が貫いていた。子供より脆弱なその美しい教祖は、一撃で即死していた。ほっそりとした指から命のリングが抜け落ち、リュカの足元まで転がっていく。彼女はそれを拾い上げた。
ヨシュアはイブールの亡骸を邪険に振り捨て、その身体は玉座に座るように倒れこんだ。ヨシュアは吐き捨てるように言った。
「何だこれは……こんなくだらない男のために、妹は死んだのか。こんな男を信じた時期が、私にもあったというのか……酷い茶番だ」
リュカは死んだイブールを見て、目を伏せた。ある意味イブールも被害者ではないかと思った。結局、本当に憎むべきは……倒すべきは、魔王ミルドラースなのだろう。
「行きましょう。もうここには用はないわ」
リュカは踵を返した。魔界に……ミルドラースの所へ向かう方法を探さなくては。
その瞬間だった。
「それは困るな」
「!?」
突然の声に、リュカは驚いて振り向いた。そこに、死んだはずのイブールが立っているのを目撃して、さらに驚きは増す。
「イブール!? なぜ?」
リュカはそう言って、それがイブールではない事に気がついた。イブールの胸には、依然としてヨシュアが槍で貫いた傷があり、どう見ても死んでいる。操られているのだ。何処からかの魔力によって。
死んでいるイブールの声で「それ」は言った。
「始めてお目にかかるな、宿命の聖母リュカと天空の勇者、その一族の者どもよ。我が名はミルドラース。魔界の王にして、この世の全てを統べる定めの者」
「ミルドラース! あなたが!!」
リュカはドラゴンの杖を構え、仲間たちも一斉に戦いの準備を整える。
「我が尖兵のゲマとラマダを倒し、光の教団を討ち滅ぼしたその戦いぶり、見事なものよ。流石はマーサの娘と言うべきかな……?」
その言葉に、リュカはきっと表情を変えた。怒りのこもった声で問いかける。
「母様を……母様を返して!」
ミルドラースはくっくっと笑った。
「そうはいかぬ。マーサの祈りは、光の教団からよりも遙かに大きな力を我に与えてくれているからな。もはや、我は歴代の魔王を、そして神をも超えた存在。だが、地上に赴くにはまだ力が足りぬゆえ、マーサは我が手元にいてもらうぞ」
そう言い終えた途端、イブールの死体がびくりと震え、そして変貌を始めた。貧弱な身体が急激に膨張し、皮膚の色が緑色に変わって、鱗が生えてくる。爪や牙が大剣のような大きさで生え、見る間にイブールの身体はワニのような巨大な怪物になっていった。
「こ、これは!?」
驚愕する一堂の前で、ミルドラースは最後の言葉を告げた。
「望みどおり、何者をも凌駕する最強の肉体を与えてやった。イブールよ、リュカたちを殺せ! さすれば、マーサの悲しみがより我に力を与えよう。その暁には、お前をゲマたちに代わる我が右腕としようぞ」
次の瞬間、イブールは吼えた。だが、その叫びは悲しげなものだった。
「イブール……そんなものではないのでしょう? あなたの望みは」
リュカは言った。ヨシュアが呟いた。
「……お前は妹の仇だった。許せぬ相手だった。だが、今はお前を哀れもう」
魔物にされた悲しみと辛さは、ヨシュアが一番良くわかる。彼は槍を構えた。
「本当の意味で、アンタを解放してやる。いつか、普通の人間に生まれ変わってこれるように」
ヘンリーも剣を構える。
「悲しい人……せめて、あなたの魂に救いがありますように」
シンシアが涙の浮かんだ目で言う。
「ボクが……ボクがこんな事は終わらせてやる!」
ユーリルが凛々しい表情と口調で言った。
「眠って……イブール!」
リュカの言葉と共に、戦いは始まった。
先手を打ったのはイブールだった。両手を合わせ、巨大な魔力を集中させるや、それを解き放つ。イオナズンの大爆発がリュカたちの頭上で起こり、高熱と衝撃波が室内を席巻した。高価な美術品が残らず破砕され、壁にかけられた名画が瞬時に灰となって飛び散る。
さらに休む間もなく、イブールは口をかっと開き、冷たく輝く息を吐く。イオナズンの高熱すら消し去るほどの極寒がリュカたちを襲った。よほどの強者でも、この時点で凍りついた炭となって死んでいただろう、凄まじい攻撃だった。
「ベホマラー!」
「ベホマラー!」
しかし、オークス・メッキーコンビがすかさず全体回復呪文を唱え、ヘンリーはフバーハをかける。リュカは仲間たちに指示した。
「シンシア、マーリン、戦える人にバイキルトを! スラリンとジュエルはスクルトを掛け続けて! ホイミンは回復に専念! プックルとゴレムスは、力を溜めて! あとは、それぞれ得意な方法で攻撃!!」
「はい、お母様!」
「承知!」
シンシアがユーリルに、マーリンがヘンリーにバイキルトをかけ、天空の血を引く父子は力いっぱい跳躍すると、左右からイブールに斬撃を放った。さらにシーザーの灼熱の炎、悪魔三人衆の火炎呪文三連打が決まり、地獄の業火に包まれるイブールに、二度目のバイキルトで攻撃力を上げたブラウンとピエールが、力を集中したプックルとゴレムスが、凄まじい威力の打撃を叩き付けた。
山すら砕けるかと思うような攻撃に、しかしイブールは耐えた。手を前に突き出し、身体の芯まで凍てつくような冷たい光を放ってくると、リュカたちのフバーハとバイキルト、スクルトの効果が瞬時に掻き消された。
「なっ、凍てつく波動……ぐはっ!?」
光の正体を悟ったサンチョが、叩き潰すような巨腕の一撃で床を舐めた。
「くっ、この!」
ビアンカが目にも留まらぬ連撃で、イブールの身体に四発の拳を叩き込んだ。そこへピピンが突きを入れる。吹雪の剣の効果で傷口が凍り付いていくが、イブールは意に介さずピピンの身体を鞠のように蹴り飛ばし、吹き飛んだ彼はビアンカを巻き込んで壁に激突した。
「ビアンカお姉さん、ピピン!」
リュカは二人がよろよろと立ち上がるのを見て、安堵しつつも自分の攻撃を放った。グランドクロスの強烈な真空の刃が、イブールの巨体に十文字の傷を刻み付ける。その傷を抉るように、再びバイキルトをかけられたユーリルとヘンリーが斬撃を叩き込んだ。
「グッ、ググウッ!!」
よろめくイブール。邪悪の力を抑える聖なる十字を撃ち込まれる事で、多少なりともその力を弱めたらしい。それに勢いづくように、仲間たちがいっせいに攻撃を仕掛ける。復活したサンチョとビアンカがかわるがわる攻撃を送り込み、魔力を使い切ったアンクルとピエールもお互いを援護しつつ斬りつける。ピピン、オークス、ヨシュアは硬い外皮を貫くように何度も突きを見舞った。
イブールは途中からマホカンタを唱え、攻撃呪文を跳ね返そうとしてきたが、それをプックルがイブールのお株を奪うような凍てつく波動で打ち消す。そこへシンシア、マーリン、サーラ、ミニモン、ジュエルが次々に必殺の呪文を叩き込んだ。イオナズン、メラゾーマ、マヒャド、バギクロスといった最上級の攻撃呪文が荒れ狂い、部屋の中を嵐のようにかき回した。
その猛攻に、次第にイブールもその力を弱めてきた。頃合を見計らい、ユーリルが手を上空に掲げた。
「これで最後にしてやる……ギガデイン!」
勇者が下す天罰の魔法、その苛烈な威力を持つ雷撃は、山頂の神殿を砕き、はるか地下深くまで、まるで落雷を受けた木が裂けるように岩盤を切り裂いて、イブールの身体を直撃した。
「―――――!!」
声にならない叫びを上げ、イブールの巨体が痙攣する。緑色の肌が黒く焼け焦げ、燃え上がる。イブールは溶ける様にして光の中で崩れて行った。だが、その体が完全に崩壊する寸前、一瞬イブールはリュカたちのほうを向くと、笑うようにその口をゆがませ、数度開閉させた。何かを告げるように。
「……ありがとう?」
リュカはその口の動きを、そう読み取った。頷くようにイブールの首が崩れ、そしてその体は真っ黒な灰と化して消滅した。
「イブール……どうか安らかに」
「思えば、コイツも可哀想なやつだったな」
リュカとヘンリーは言った。教団の教祖として、多くの人々を苦しめ、生きながらにして地獄に追いやったその憎しみや恨みは、決して消えたわけではない。しかし、イブールもまた被害者だったのだ。そう思うと、少しはその死を悼もうという気持ちがあった。
その時、リュカが持っていた命のリングが僅かに暖かみを増し、リュカの脳裏に微かな声が聞こえてきた。
(リュクレツィア……私の娘リュクレツィア。私の声が聞こえますか?)
リュカははっとなった。初めて聞く声だが、それが誰の声か、彼女にはすぐにわかったのだ。
「母様? 母様なのですね!?」
命のリングを握り締め、突然叫ぶリュカに、みんなが驚いたような声を上げる。例外はユーリルとシンシアだった。
「声が聞こえる……まさか」
「お祖母様!?」
娘と孫の問いかけに、声の主……マーサは喜びを僅かに含んだ声で答えた。
(聞こえるのですね、リュカ。それにユーリルとシンシア……そうです。私はマーサ。その命のリングを通して、あなたたちに話しかけています。リュカ、憎い相手の死をも悲しむ、優しい娘に育ったのですね。私はあなたを誇りに思います)
リュカは言った。
「父様と、わたしを導いてくれた皆のおかげです……母様、魔界にいらっしゃるのでしょう? 助けに上がります。どうか、それまで待っていてください……!」
ユーリルとシンシアも言った。
「おばあちゃん、待ってて! 大魔王なんてすぐにやっつけに行ってあげる!!」
「お祖母様、どうか魔界へ行く方法を教えてください!」
しかし、命のリングから伝わってきたのは、拒絶の声だった。
(いいえ。そんな事をしてはなりません。今の大魔王は、あなたたちでもとても敵わぬ相手。私はこの命に代えても、あなたたちの元へ大魔王を行かせはしません。どうか母のことは忘れて、皆で幸せにおなりなさい)
リュカは叫んだ。
「そんな、母様! 母様を見捨てて……父様の遺言を忘れて……それでわたしが幸せになれると思いますか!?」
しかし、もうマーサの返事はなかった。リュカは涙をこぼした。
「母様……母様は思い違いをしています……!」
涙する妻の肩を、ヘンリーがそっと抱いた。
「リュカ、義母上と……マーサさんと話したのか?」
リュカは頷き、今の会話を皆に伝えた。それを聞いて、真っ先に意見を示したのは思慮深いマーリンだった。
「こう言っては難じゃが……おそらく、マーサ様は命ある限り大魔王を抑えることは叶おう。しかし、マーサ様の寿命が尽きても大魔王は健在じゃ。何もせねば、数十年後に大魔王は必ずやって来る。その辺を、マーサ様は失念されているのではないか?」
リュカは頷いた。
「それもあるけど……わたしは母様をこのままにしてはおけない。それに、父様の本当の敵は大魔王、ミルドラース……だから、わたしは母様を助けに魔界へ乗り込むつもり」
オークスが手を挙げた。
「それについては異存はありません。皆も同様でしょう。ですが、手立てはあるのですか?」
魔界へ行く手段はわかっていない。知っていたであろうゲマとラマダは既に討ち取った。そうなると……
「心当たりはある」
意外な人物が声を上げた。ヘンリーだった。
「リュカの命のリングに、マーサさんは話しかけてきた。つまり、マーサさんと……ひいてはエルヘブンの人々と、このリングは関係が深いんだ。魔界とこの世界の境を超えて交信できるほどに……」
リュカはまだ握っていた命のリングを見つめた。彼女の手のひらで、リングは緑色の光をぼうっと放っている。その光は、グランマーズの髪の色を思わせた。
「そうね……行ってみましょう、エルヘブンへ」
リュカはリングを懐にしまいこみ、リレミトの呪文を唱えた。
(続く)
-あとがき-
イブールを倒し、光の教団は壊滅しました。残る敵はいよいよミルドラースだけです。
物語もいよいよ最終盤……何とか頑張って毎日更新を続けようと思います。