リレミトで神殿の中庭に戻ってきたリュカたちを見つけて、上空を旋回していたマスタードラゴンが降りてきた。
「済んだようだな」
そう問いかけてくるマスタードラゴンに、リュカははいと頷く。一方、驚いたのはヘンリーだった。事情を知らなければ、マスタードラゴンと言えど最初は魔物だと思ってしまう。それが世界を統べる天界の神だと知り、彼は恐る恐る頭を下げた。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第七十一話 魔界の鍵
「ヘンリーです。はじめまして……うちのリュカたちがお世話になったようで」
それを聞いて、マスタードラゴンは大いに笑った。
「なんの、世話をされているのは私のほうだ。さて、これからどうするのだ?」
マスタードラゴンの質問に、リュカは命のリングを見せ、エルヘブンに行く事を説明した。
「ほう、命のリングにそのような使い道があったとはな……長年持っていれば、人は使い方を工夫するものだな」 マスタードラゴンが感心したように言う。リュカはその言い方が引っかかって尋ねた。
「マスタードラゴン様は、このリングの事をご存知なのですか?」
「うむ。それはストロスの杖などと同様、私が世界樹を育てると言う使命のために、エルヘブンの民に与えた宝物の一つだ。どうも、正しい使い方を失念しているようだが」
マスタードラゴンは頷いた。そして、詩のような言葉を口にした。
「炎は死を清め、水は生を育む。命は祝福されて育ち、輪廻を超える」
その言葉は、リュカたちには意味が良くわからなかった。ただ、何か非常に大事な事を口にしているのだという事はわかった。
「この言葉を、エルヘブンの長老に伝えよ。私は天空城に戻っている故、何かあれば訪ねて来るが良い」
マスタードラゴンはそう言うと、いったん飛び上がり、急降下して雲海の中に消えていった。入れ替わるように、一人の教団兵が崩れた建物の陰から出てきて、ヨシュアのところへ駆け寄ってきた。
「隊長、信者たちの脱出は成功しました。全員無事に下山し、船に乗っております」
「そうか、ご苦労」
ヨシュアは兵士の労をねぎらった。彼はリュカとヘンリーを逃がした後、密かに同じく教団の現状に不信や不満を持つ兵士や信者を集めて、険しい崖に脱出用の道をつけておいたのだ。同時に、奴隷の扱いを改善すべく、さまざまな活動もしてきた。それが発覚して、彼は魔物の姿にされてしまったわけだが、その事をヨシュアは後悔してはいなかった。
「助けられなかった人のほうが、ずっと多かったがね」
竜の顔に自嘲の笑みを浮かべ、ヨシュアは兵士に言った。
「お前も脱出しろ。その後は、故郷に戻るなり何なり、自由に暮らせ。私はこの人たちと、最後の後始末をする」
「はっ! 隊長もどうかお元気で……」
兵士は敬礼すると、もと来た方向へ去って行った。ヘンリーは尋ねた。
「いいのか? あんたにも故郷はあるんだろう?」
これからの過酷な戦いの事を思えば、マリアの仇を討ち、教団を壊滅させると言う目的を果たしたヨシュアは、別に大魔王打倒に付き合う義理はない身のはずだ。しかし、ヨシュアはにっと笑った。
「故郷があっても、この姿じゃ帰れないだろう。ここまで来たら乗りかかった船だ。最後までお前たちに付き合うさ」
「ありがとう、ヨシュアさん」
リュカは礼を言って、ヨシュアと握手した。
「それじゃ、まずは一休みするか。エルヘブンに行くのも、こんなボロボロの格好じゃ失礼だしな」
リュカの祖母に挨拶したいヘンリーとしては、礼を失した事はしたくない。リュカは頷くとルーラを唱えた。
一度グランバニアに戻ったリュカは、オジロンに大神殿での事を報告した。
「そうか、義姉上と話されたか……それでは、これからどうするのか、などと聞くのは愚問だろうな」
オジロンはそう言って、少し目を閉じた。
「兄上の出奔以来、二十六年も待ったのだ。後少し待っても同じだろう。リュカよ、お前の母上を助け出して、必ず戻ってくるのだぞ。大魔王を倒そうなどと欲をかいてはならんぞ」
リュカは頭を下げた。
「すみません、叔父様」
オジロンはああ言うが、おそらく大魔王とは戦わねばならないだろう、とリュカは思っていた。それは倒したいからとかではなく、倒さねば母を助けられないだろうからだ。母を連れてこっちへ戻ってきても、大魔王は執拗に自分たちを狙う事だろう。
そのリュカの気持ちは、オジロンにも伝わったらしい。
「詮無い事を申したな……せめて、少しでもお前たちの助けになれるよう、協力しよう。ヘンリー殿、これを持っていくが良い」
オジロンはかぶっていた王冠を取ると、ヘンリーの手に押し付けた。
「え? これは?」
戸惑うヘンリーに、オジロンは答えた。
「わがグランバニア王家の至宝、太陽の冠。代々の王が戦いにおいてかぶっていたものだ。戦えないワシの代わりに、ヘンリー殿が使ってくれ」
ヘンリーは一瞬返そうかどうか迷ったが、せっかくの好意だからと受け取る事にしたらしい。
「……大事に使います。必ず、お返しさせていただきますので」
同時にそれは、必ず帰ってくるという約束の証。オジロンはヘンリーが気持ちを察してくれたことが嬉しかったらしく、何度も頷くと、今度はユーリルとシンシアに声をかけた。
「ユーリル、シンシア、まだ幼いお前たちに色々なものを背負わせてすまない。だが、父さんと母さんを助けて、立派に戦ってくるのだぞ」
「はい、大叔父様!」
「お父様とお母様のために頑張る事は、辛い事でも何でもありません。とても嬉しいです」
元気よく答えるユーリルと、折り目正しく答えるシンシア。オジロンは目を細め、二人の頭をくしゃくしゃと撫でる。続けて、オジロンはサンチョ、ビアンカ、ピピンに声をかけた。
「サンチョ、ビアンカさん。どうかリュカたちを守ってやってほしい。ピピンも、立派に勤めを果たしているようだが、ますます精進してくれ」
サンチョが腰を折った。
「お任せを、陛下。このサンチョ、命に代えても必ずや」
ビアンカが苦笑する。
「あら、サンチョさん、それはダメよ。私たちは一人残らず、誰も欠けることなくここへ戻ってくるんだから」
「そうですよ、サンチョ卿。僕だって命を惜しむものではありませんが、死ぬ気もありません」
ピピンも言うと、リュカがダメ押しした。
「そうよ、サンチョさん。あなたはわたしの大事な家族なんだから……だから、命に代えてなんて言わないで」
それを聞いて、サンチョは更に深く腰を折った。
「は……申し訳ありません。このサンチョ、考え違いをしておりました。生ある限り、姫様のために尽くします」
オジロンはそのやり取りを微笑ましく見守り、最後に仲間代表として来ていたピエールとマーリンにも声をかけた。
「ピエール殿、マーリン導師、どうか皆をよろしく頼みます」
ピエールが騎士らしく敬礼した。
「お任せください、陛下」
「この老いぼれで出来る事なら、何なりと」
マーリンも礼を尽くす。リュカの仲間であり、あるいは臣下と言う意識を持つ二人だが、今はジュエルでさえもこのグランバニアをも祖国と、あるいは故郷と思い、そこに生きる人々を守ろうとも思っている。
「では、今日はゆっくり休んでいくが良い。夫婦が共に過ごすのも久しぶりだろう」
そのオジロンの言葉に、リュカとヘンリーは赤くなった。
その夜、子供たちを寝かしつけて、リュカとヘンリーは自分たちの部屋に戻ってきた。リュカは思わず昼間のオジロンの言葉を思い出していた。
(そういえば、ヘンリーとこうして夜を過ごすのも久しぶりで……やだ、わたし太ったりとかしてないかな……?)
そんな事を考えるリュカの身体を、背中からヘンリーが抱きしめた。
「やっ、ヘンリー……!?」
驚くリュカ。しかし、ヘンリーは抱きしめたままでそれ以上は何もせず、しばらくその姿勢のままでいた後、口を開いた。
「オレさ、お前が石になってしまったのを見た時に、もうダメなのかなってちょっと思った。でも、そうじゃなかったんだな。今また、こうやってお前を抱いて、その温かさを感じることができる。本当に良かった」
「うん……あの子達のおかげね。本当に、自慢のいい子達よ」
リュカは頷き、ユーリルとシンシアの事を褒めた。
「そうだな。オレがあの子達ぐらいの時は……ただの悪ガキだったしな」
ヘンリーはそう言うと、リュカの身体を離し、振り向かせてキスをした。
「今はこれくらいにしておくけど、この旅が終わったら……大魔王をどうにかして、義母上を救い出したら、あの子達に弟か妹を作ってやろうな」
リュカは顔を赤らめつつ苦笑した。
「もう、ヘンリーったら……それがご褒美のつもり?」
咎めるような言い方でも、リュカは幸せだった。この後、たぶん大魔王との厳しい戦いがあるだろうとわかってはいたが、今は取り戻した幸せを大事にしていたかった。
翌朝、リュカたちはエルヘブンへ飛び、グランマーズ長老に面会した。
「そうですか、光の教団を……良く頑張りましたね、リュカ。それにユーリル、シンシア」
グランマーズはそう言って孫娘と曾孫たちをかわるがわる抱擁し、ヘンリーのほうを向いた。
「そして、あなたがヘンリーさん。こうして見ると、血の繋がりはありませんが、どこかパパス殿の若い頃を思い起こします」
ヘンリーは笑顔で頭を下げた。
「最高の褒め言葉と受け取っておきます。さて……」
ヘンリーは今日の訪問目的である、命のリングとマーサ、そしてエルヘブンの民との繋がりについて尋ねた。グランマーズは事情を聞き、命のリングを見せられると、感慨深そうな表情をした。
「これは確かに命のリング……もう遥か昔に、魔族によって盗み出されたエルヘブンの秘宝です。良く見つけてくださいましたね」
グランマーズは先祖伝来の宝をいとおしむ用に手のひらの上で転がし、光にかざして見たりした。
「母様は、そのリングを通してわたしに話しかけてきました。命のリングを使えば、声だけでなく、そう……わたしたち自身が、魔界へ行く事もできるのではありませんか?」
リュカが言うと、グランマーズは驚きの表情を浮かべ、しばらく迷った後に答えた。
「ええ。命のリングと、あなたたち夫婦が持っている水と炎のリング。その三つを強い魔力・霊力が満ちる聖域に捧げれば、あるいは」
かつて、妖精だったころのエルヘブンの民は、そんな事をしなくても妖精界と人間界といった異世界の間を行き来できたが、今ではそれが可能なのはおそらくマーサだけだろう。
「ですが、リュカは場所こそ限定されていますが、妖精界へ行く事ができます。あなたとシンシア、ユーリルが海の神殿でリングを使えば、魔界への扉を開くことができるでしょう」
「海の神殿?」
初めて聞く地名に、リュカは首を傾げた。
「そう言えば、リュカには言っていませんでしたね。この街の北にある湖は、地下の川で海と繋がっています。その大洞窟の途中に、海の神殿があります」
海の神殿……それは、かつて世界樹が倒れた後、エルヘブンの民が作り上げた一種の魔法装置である。あまりにも巨大な世界樹の倒壊は、世界を物理的にだけでなく、魔法的にも揺るがし、空間自体が弱く綻んだ部分ができた。そう、それはこの人間界と、魔界をつなぐ裂け目、あるいは穴のような存在。
魔界から凶悪な魔物たちが溢れ出す事を恐れたエルヘブンの民は、空間の裂け目を封じる施設として、海の神殿を作り、そこに強い魔力と霊力を溜めることで、魔界から人間界へ入って来られないように、蓋をしたのだ。
「水のリングは力の流れを、炎のリングは力の強さを、命のリングは力の向きを、それぞれ司る力を持ちます。どうしても魔界へ行くのなら、海の神殿へ行き、リングを使ってみなさい」
グランマーズはそう言って、説明を終えた。リュカは聞いた。
「お祖母様、わたしたちが魔界へ行く事には反対ですか……?」
その質問に、グランマーズは頷いた。
「ええ。一人の人間として、娘だけでなく、孫娘の一家まで魔界へ行ってしまうのは……歓迎できる事ではありません。できれば翻意してほしいと思います。ですが、それをしなければ世界が滅びに瀕するというのも、良くわかります」
グランマーズは再びリュカを抱きしめた。
「それに……私ももう歳です。もう一度マーサに会いたい。長い間、良く大魔王と戦ったと褒めてあげたい。パパス殿との仲を許してあげたい……リュカ、どうか、マーサをここへ連れて帰ってきてください」
リュカは冷たいものを肩に感じる。グランマーズの流した涙だと気がついた。彼女もまた、グランマーズの身体をそっと抱きしめた。
「はい、お祖母様……必ず」
リュカは約束した。それは、自分自身への誓いでもあった。
(続く)
-あとがき-
魔界編の始まりと言うか、その中間部分。オジロンとグランマーズはちょっと理解のある人にしました。リュカが女王ではないからかもしれませんが。
次回はいよいよ魔界行きです。