久しぶりに馬車から取り出した魔法の絨毯を広げ、リュカたちはエルヘブン北の湖を渡った。前方にエルヘブンを囲む巨大な断崖が見え、その一角に黒々と口を開ける洞窟が見える。海の神殿がある、外界へ通じる洞窟だ。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第七十二話 海の神殿
「エルヘブンを発見した探検隊は、潮の流れで偶然船が洞窟に引き寄せられ、ただならぬ雰囲気に探索を行った結果、エルヘブンに辿り着いたそうです」
サンチョが説明した。
「若い頃の父様もここを通ったのかな……」
帆船でも通れそうな巨大な入り口を見て、リュカが言う。
「おそらくは。若き頃のパパス様は、ヨットで世界中を渡り歩いておりました」
今と違って魔物が凶悪でなかった時代の話とは言え、一人で小さなヨットを操って旅をするのは、十分命がけの行為だっただろう。リュカは改めて父の偉大さを思った。
そんな会話をしている間に、いよいよ洞窟が近づいてきた。リュカは絨毯の速度を落とし、慎重に洞窟内へ突入した。外から入り込む光が洞窟を流れる水を青色に染め、ゆったりとした流れにあわせて天井に揺らめく光を映し出す様は、息を呑むほどに美しい。
「綺麗な洞窟……」
ビアンカが感心する。綺麗なものに敏感に反応するあたりは、彼女も女性である。しかし、残る二人……リュカとシンシアは洞窟全体に満ちる強い霊気を感じ取っていた。
「この気配は……」
「こっちですね、お母様」
リュカよりも霊感の強いシンシアが、洞窟の奥を指差す。シンシアの導きでリュカは絨毯をゆっくりと進ませ、やがて海が近いのか洞窟の中に潮の香りが漂い、海鳴りの響きが聞こえ始めた頃、それは現れた。
「ここか……!」
ヘンリーが感嘆の声を上げた。それは、洞窟内に突然現れた広大な空間だった。街一つくらいなら入りそうな空洞は無数の柱で支えられ、水面には複雑な幾何学模様を描くように、柱を輪切りにしたような小さな足場が無数に配置されていた。そして、その奥に巨大な扉がある。リュカとシンシアが感じる強い霊気は、その扉の奥で最大限に高まっていた。
「この足場は……強力な封印を構成する魔法陣を描いておるな。リュカ殿、ワシが指示する場所に立って、指輪の魔力を使うのじゃ」
マーリンが足場の正体を喝破する。リュカは頷き、ヘンリーの方を向いた。
「ああ。ユーリル、お前がこの指輪を使え」
ヘンリーは息子に炎のリングを渡す。
「うん、お父さん」
ユーリルはいつものやんちゃ坊主とは違う、真面目な表情で頷き、足場の上に降りた。続いてリュカ。そして、命のリングをはめたシンシアが足場の上に降り立つ。
「準備いいよ、マーリン」
「うむ、ではまず……」
リュカの言葉に応じ、マーリンがリュカたちに魔法陣の要所を教える。リュカたちが配置に付いた時、それぞれのリングを通して、その場の魔力・霊力の流れがどうなっているのかが、三人の頭に浮かび上がった。そして、それをどうすればいいのかも。
「大いなる流れよ……」
リュカが水のリングを天に掲げる。そのリングから眩い光が迸り、ユーリルに伸びた。
「世界の壁を越えて」
ユーリルが炎のリングを天に掲げ、水のリングからの光を受け取り、シンシアへ向きを変えさせる。
「私たちを……導いて!」
シンシアも命のリングを天に掲げ、リュカからユーリルを経由して伸びてきた光を受け取ると、奥の扉へと跳ね返した。まっすぐ伸びた光が扉に吸い込まれたかと思うと、ゴレムスやシーザーにとってさえ巨大であろう扉が、ゆっくり開き始める。その向こうにあるのは……旅の扉のように激しく渦巻く光。その向こうから、冷たい風がごおっと吹き付けてくる。
「く、寒い……? いや、物理的な寒さじゃない。これは、邪気か……?」
ヘンリーがその風に身を震わせた。扉の向こう、魔界から吹き寄せる空気は、それ自体が濃厚な邪気を含んだ、人間にとっては猛毒のようなものだった。人間ばかりではない。かつてリュカに邪気を払われ、人と共に歩む事を誓った仲間たちも、邪気のもたらす発作に苦しめられていた。
壊せ、壊せ、壊せ。
殺せ、殺せ、殺せ。
そう脳裏に囁き掛けてくる衝動に、必死に抗う仲間たち。その時、ユーリルが背中に背負っていた天空の盾を手に取った。
「こういう事だったんだね。おじいちゃんが言い残した言葉。ボクが……天空の勇者とその仲間たちだけが魔界へ行けるって」
凛々しい表情と口調で言うと、ユーリルは天空の盾を邪気の突風に抗うようにかざした。
「邪悪な力よ、退け!!」
そう一喝し、ユーリルは盾を前へ突き出す。その瞬間、盾から眩い光が迸り、それまで吹き寄せていた邪気の嵐を一瞬にしてかき消した。
「おお……」
マーリンやアンクルといった喋れる仲間たちは、感嘆の声を上げてユーリルの雄姿を見た。伝説の勇者とは言え、彼らにとってユーリルは主人であるリュカやシンシアの家族の一人、という認識でしかなかった。
しかし、今彼らを苛んでいた魔界の濃厚な邪気を封じ込めたユーリルは、まさに勇者そのものであり、彼ら魔族、魔物をも救う救世主だった。ピエールが言った。
「お見事でござった、ユーリル様。我ら一同、改めて勇者であるあなた様に忠誠を尽くしまする」
それを聞いて、ユーリルは振り向いた。
「いいよ、そんなの堅苦しい。皆はボクの仲間。それで良いじゃないか」
それを聞いて、リュカはユーリルの元に歩み寄ると、その頭を撫でた。早熟で礼儀もしっかりしているシンシアに比べ、子供っぽい所を強く残していたユーリルだが、この旅を通じて確かな成長を見せているとリュカは思ったのだ。
「ユーリル、もうあなたは立派な勇者だわ。わたしはあなたのお母さんである事を、とても誇りに思うわよ」
えへへ、と笑うユーリル。そこへヘンリーもやってきた。
「とは言え、お前は次の王様だからな。もう少し、人の上に立つことの意味を教えなきゃいけないかな」
ユーリルは気後れせずに答えた。
「はい、お願いします! お父さん!!」
「良い返事だ」
ヘンリーはユーリルの頭をくしゃっと撫で、そして扉の向こうを見た。僅かに魔界の風景らしきものが揺らいで見える。
「さて、行こうか、リュカ」
「……ええ」
リュカは夫の言葉に頷くと、絨毯に戻った。そして、そろそろと絨毯を前進させ、扉の中に突入した。途端に目の前の景色がゆがみ、平衡感覚が失われるような、独特の感覚が襲ってきた。
(これは……旅の扉と同じ……!)
目をつぶり、悪寒に耐えるリュカ。その時、脳裏に母の声が聞こえてきた。
(リュカ……あれほど言ったのに、魔界へ来てしまったのですね)
母の声を聞くと、全身を襲う悪寒が消えたような気がした。リュカは母の声に意識を向け、呼びかけた。
(はい、母様……お叱りを受けるのは覚悟の上です)
すると、マーサの声は穏やかなものになった。
(叱りはしませんよ。どうやら、あなたとあなたの家族は、私の考えを遥かに超えて強くなっていたようですね。もう帰れとは言いません。今は、あなたたちの力を信じる事にしましょう)
マーサの言葉が途切れると同時に、リュカは手に重みを感じた。何時の間にか、正八面体の形をした青色の美しい宝玉が、彼女の手に握られていた。
(母様、これは?)
戸惑うリュカに、マーサは答える。
(それは賢者の石。強い回復の力を秘めた秘宝です。今の私には、それをあなたに贈るのが精一杯……どうか、気をつけて来るのですよ)
(……はい!)
マーサは「気をつけて来るように」と言った。それはつまり、リュカたちが助けに来る事を認めたと言う事。リュカは決意を込めて返事をした。マーサはそれには答えなかったが、春の日差しのような温かさを感じる気配が、自分のそばから離れて行くことにリュカは気づく。マーサは再び、大魔王を封じ込めると言う自分の戦いに戻ったのだ。
「母様……必ず迎えにいきます」
リュカが決意を込めて、そう口にした時、特有の浮遊感が消えた。視界を覆う虹色の光が薄れ、気がつくとリュカたちは見知らぬ建物の中にいた。どうやら祠のようだ。
「ここが……魔界?」
リュカが言うと、魔法の絨毯が突然力を失ったようにすっと地面に落ちた。
「あれ?」
リュカは驚いて浮かぶ命令を念じたが、魔法の絨毯は反応しなかった。
「どうやら、ここでは絨毯の魔力が封じられるようだな」
ヘンリーが言うと、ピピンが馬車を飛び降り、走り出した。
「ちょっと外の様子を伺ってきます!」
吹雪の剣を抜き、外に駆け出していくピピン。大丈夫かな、とリュカは思った。ここは普通の空気のようだが、さっき噴出してきた風のように邪気を含む空気が辺りを覆っていたら、大変な事になる。
しかし、少しして何事も無くピピンは戻ってきた。
「少なくとも、我々のいた世界ではないようです。ご覧になればわかりますが」
その報告を聞いて、リュカとヘンリーは顔を見合わせると、意を決して外に出てみた。
「ここは……」
リュカは言った。見渡す限り不毛な原野が辺りに広がり、遠くにセントベレスにも匹敵しようかと言う巨大な山影が見える。その山頂は雲に霞んで見えず、その暗い雲に覆われた空は、黄昏時のように暗い。
「気持ち悪いな。夜でもないし昼でもない……太陽や月があるわけでもない。空全体が薄明かりを放っているみたいだ」
ヘンリーも頭上を見上げて言う。
「そう。ここが魔界ですよ」
サーラが出てきて言った。サーラ自身は魔界出身ではないが、悪魔ゆえに本能的にここが魔界である事を悟っていた。祖先から受け継ぐ記憶、とでも言うべきものかもしれない。
「それにしても、暗くて静かな以外は、あまり人間界と変わりませんな。さっきの事を考えると、邪気で満ち溢れた世界だと思いましたが」
サンチョが言うと、祠の中を調べていたマーリンが戻ってきて答えた。
「おそらく、ここは海の神殿に対抗して、邪気を集めて人間界への扉を開かせようとする役割を果たしているのじゃろう。ユーリルが邪気を散らしてしまったから、しばらくは安全なはずじゃが、いずれまた邪気が集まってこよう。今のうちに離れたほうがええ」
その言葉にリュカは頷き、皆のほうを見た。
「行きましょう。たぶん、魔王はあの山にいるはず」
リュカが見たのは、やはり一番目立つ巨大な山だった。そこから邪気と言うより、あらゆる物に対する悪意が放射されているのが、ひしひしと感じられる。
「だな。なんとかと馬鹿は高い所に登りたがるもんだ」
ヘンリーも応じ、剣を引き抜く。
行く手の荒野には、リュカたちを攻撃しようと言う魔物たちの気配が、無数に感じられた。
(続く)
-あとがき-
いよいよ本格的に魔界突入です。リングはあとで像から外して持ってくる描写を入れるのがめんどいので、持ったまま魔界入りと言うことにしました。
門を開けるときに「愛よ!」「勇気よ!」「希望よ!」と言わせたくなったのは秘密(ぁ