魔界の行軍は熾烈を極めた。まず、人間界よりも遥かに強力な魔物たちが次から次へと襲い掛かってきた。
人間の胴体を一撃で両断できそうな巨大な斧を振り回し、バギクロスまで連発してくるゴールデンゴーレム、頑強な亀の甲羅を持つ竜、ガメゴンとその統率者たるガメゴンロード。炎の呪文を操る山羊頭の悪魔、バルバロッサ……どれもリュカたちが倒してきた教団幹部に匹敵する強敵だった。
また、地形もリュカたちを苦しめた。水の一滴もない荒野を進んだかと思えば、ねじくれた奇怪な植物が繁茂する森があり、毒の沼地があり、そしてまるで迷宮のように複雑な谷間が入り組んだ山地。
気温も一定せず、急に真夏のような暑さになったかと思えば、一瞬後には極寒の吹雪が吹き荒れたりもする。世界そのものが悪意を持って、そこに生きる者を苦しめるような、そんな気がした。
今も吹き荒れる嵐の中、三体で襲い掛かってきた魔界の殺戮機械、キラーマシーンをどうにか撃破し、彼らが塞いでいた谷間を突破した所である。だから、唐突にそれがリュカたちの目に入った時、その存在が信じられなかったのも無理は無かった。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第七十三話 魔界のオアシス
「こんな所に、なぜ……?」
疲労困憊したリュカたちの前に、堀と高い外壁に囲まれた町が広がっていた。戸惑う一行の前で、彼らを出迎えるように跳ね橋が降りて来て、門が開く。そこを渡って、恰幅のいい一人の男性が出てきた。
「ようこそ、ジャハンナの街へ。私は町長のアクシス。我が街はあなた方を歓迎します」
ジャハンナというその町は、規模はさほどでもないが、妙に活気のある街だった。人間だけでなく、魔物たちも普通に街路を行き交っており、世間話をしたり、買い物をしたりしている。
「魔界にこんな町があるなんて、と驚いたでしょう?」
アクシス町長はにこやかな表情で言う。
「え? あ、はい……あの」
リュカが聞こうとすると、アクシスは笑顔のまま指を左右に振った。
「事情はお話しますから、まずは私の家へどうぞ。お仲間も一緒に。大丈夫、全員入れるくらいには広いですから」
その言葉を聞いて、ヘンリーがリュカとシンシアを見た。彼の言わんとするところを悟り、二人は返事した。
「大丈夫、邪気は感じないわ」
「むしろ、優しさが感じられます」
リュカもシンシアも、何かの罠と疑って、アクシスや街の人々に邪気が取り付いていないか、確認していたのだ。結果から言えば全員シロ。魔物たちでさえ、リュカの仲間と同様に邪気を払われた存在だった。
それでも一応警戒を崩さぬよう気をつけ、一行はアクシスの家に通された。特にリュカと家族たちはアクシスの部屋にまで通され、メイドがお茶を淹れたところで、アクシスが切り出した。
「さて、改めて我がジャハンナはあなた方を歓迎しますよ、リュカさん」
リュカは口にお茶を運びかけた手を止めた。
「なぜ、わたしの名前を?」
怪訝そうに聞くと、アクシスは人の良さそうな笑みを浮かべた。
「私を含め、このジャハンナの住民は皆、あなたの母上であるマーサ様に救われた魔物か、元魔物なのですよ」
「母様に?」
リュカが聞き返すと、アクシスは遠い目をしながら答えた。
「あのお方は……マーサ様は、我ら魔族・魔物にも分け隔てなく接してくださる、素晴らしいお方でした……」
今からもう三十年近く前、リュカとパパスの元からさらわれ、魔界に連れてこられたマーサは、魔王ミルドラースのために祈りを捧げる事を強要された。マーサはもちろんそれを拒否したが、皮肉にも彼女がミルドラースの要求を受け入れざるを得なくなったのは、マーサ自身の力のためだった。
ミルドラースの傍にいたマーサは、必然的に多くの魔族・魔物と交流することになった。リュカやシンシアは、戦わなければ邪気を払えないが、マーサはただそこにいて、話をするだけでも、向かい合っている相手の邪気を消すことができた。
自然とマーサによって邪気を消された魔族・魔物は増えていき、それだけでなく人間に姿を変えてしまう者まで現れると、それを目障りに思ったミルドラースは、彼らを抹殺しようとした。しかし、それを全力で止めたのがマーサだった。
「彼らがああなったのは、私に触れていたから。ですから……彼らを責めないでください」
そう言って助命を訴えるマーサに、ミルドラースは答えた。
「ならば、余のために祈れ。さすれば、あの者たちの命を助けよう」
マーサに、その要求を拒むことは、もうできなかった。人間となったか、あるいは邪気の消えた魔物たちは、魔界の辺境へ追放されたが、辛うじて生きていくことは許された……
「かく言う私も、かつては悪魔神官として、ミルドラースのためにさまざまな悪逆非道に手を染めていました。そんな私が改心し、人間になれたのは、マーサ様のおかげ……にもかかわらず、私たちはマーサ様を助ける事もできず、その慈悲にすがって生きる事しかできませんでした」
アクシスはそう言って肩を落としたが、改めてリュカの顔を見た。
「そんな時に、マーサ様から私にお告げがあったのです。もうすぐ、私の娘が来る……その娘に、リュカに力を貸してあげてほしい、と」
リュカは思わず窓の外の、例の高山を見た。そこにいるはずの母に思いを寄せて。
「母様……わかっていらしたのですね。わたしは必ずここに来ると」
リュカの視線の先に見えるものに気づいたか、アクシスは言った。
「あの山は、エビルマウンテン。魔王ミルドラースの居城であり、マーサ様が幽閉されている場所でもあります」「エビルマウンテン……」
リュカはその名前を繰り返す。アクシスは頷くと、部屋の片隅にあった棚から、美しい水晶製の壷のようなものを取り上げると、リュカに差し出した。
「これは?」
リュカがそれを受け取って首を傾げると、アクシスは街の周りにめぐらされた堀を見ながら答えた。
「それは、マーサ様に預かった秘宝、聖なる水差しです。この街を守る堀に満たされているのは、その水差しから注いだ聖水。おかげで、この街は今もミルドラースに忠誠を誓う魔物たちからの襲撃を免れているのです」
リュカはアクシスの顔を見た。
「これを持っていけ、と? でも、そんな事をしたらこの街は……」
魔族に襲われてしまうのではないか、と心配するリュカに、アクシスは微笑んだ。
「なに、我らも元は魔族や魔物。敵が襲ってきても、何とか撃退できるでしょう。ですが、あなた方がエビルマウンテンに赴けば、必ずその水差しが必要になるはずです」
リュカはそう言われて、聖なる水差しをじっと見た。そして、それをどう使えばいいのかがわかった。理屈ではない。頭の中に直接使い方が浮かび上がったのだ。
「わかったわ、これはエルヘブンの……」
おそらく、マーサが故郷から持ち出した道具の一つなのだろう。リュカはアクシスに頭を下げた。
「わかりました。確かにお預かりします。ですが、必ずお返しします。これは、あなた方が生きていくために必要な道具ですから」
そのリュカの言葉に、アクシスは破顔した。
「無事リュカさんたちが目的を果たし、ここへ戻ってくる事を期待していますよ」
生還を誓い、リュカたちはアクシスの館を後にした。既に大恩人であるマーサの娘とその家族が訪ねてきた、と言う噂は街中に広がっているらしく、リュカたちは期待の言葉と視線が注がれた。
「どうか、マーサ様をお願いします!」
「マーサ様の命の灯火が弱っていくのを感じます……なにとぞ、一刻も早く!」
そう訴える街の人々の表情はあまりにも真摯で、彼らを見ていると、リュカは人間と魔族や魔物の境界は、一体どこにあるのだろうと思った。
「不思議なもんだよな……ここにいる人たちが、魔物だった事もあると思うと」
ヘンリーも同じ事を思っていたらしく、そんな事を口にした。
「そうね……」
リュカはそう相槌を打ちながら仲間たちを見る。もし、自分にもっと力があれば……マーサくらいに偉大な力があったら、この仲間たちにもいずれは人間になれる時が来るのだろうか。
「もちろん、なれるとも」
その時急に、リュカの心を読んだような言葉が聞こえた。驚いてリュカがそっちを見ると、そこにいたのは屈強な赤銅色の肌を持つ戦士風の男性だった。彼は自己紹介した。
「私の名前はアクデン。元はアークデーモンで、かつてはミルドラースの元でマーサ様の見張りをしていた」
「母様の?」
リュカが聞き返すと、アクデンは頷いて、今は人間になってしまったから、ミルドラースの元からは追放されたがね、と笑い、そして言葉を続けた。
「マーサ様はおっしゃっていた。自分の力はきっかけに過ぎない。人間になりたいと強く願えば、元が魔物であっても悪魔であっても、人間になれるのだと」
仲間たちがどよめく。人間になりたい、とはっきり言っていた事のあるオークスとメッキーは自分自身を指した。
「我々でも?」
「ああ」
アクデンは頷いた。しかし、続いて彼は重々しい口調で言った。
「逆もまた然り……人間も、悪意や憎悪に囚われ、邪悪に染まってしまえば、容易に魔物となる。地獄の帝王エスターク、魔王デスピサロの下サントハイムで暴虐を振るったバルザック……みな人間だった。そして、ミルドラースもな」
その言葉は、リュカたちを驚かせるに十分だった。
「元は人間? ミルドラースが?」
リュカが聞くと、アクデンはそうだ、と答えた。
「ミルドラースは、神になるために禁断の秘法を用い、人としての限界を超えた存在となった。しかし、あの男は悪魔でさえ着いていけないほどに邪悪だった。それ故神にはなれず、魔王となってしまったのだ」
アクデンはどこか悲しそうな目で、エビルマウンテンの方を見た。
「だが、ミルドラースは目標に向けて進む意思と言い、そのために配下の者たちを従えるカリスマと言い、一代の傑物であることは間違いない。袂を分かった今でも、私はどこかあの魔王を尊敬しているのだ」
その独白を聞いて、サンチョとピピンが色めき立った。二人ともそれぞれの武器に手をかける……が、それをヘンリーが制した。
「あんた、オレたちに何か伝えたいことがあるようだな。言ってみなよ」
アクデンはうむ、と頷いて、核心となる事について触れた。
「誰かを助けたい、あるいは人間になりたい……そう言う希望を心の中に持って、ミルドラースと戦う事だ。怒りや絶望と言った暗い心は、ミルドラースを強くし、お前たちを弱くする。そう、心に留めておいてほしい」
リュカは頷いた。
「ご助言、ありがとうございます。アクデンさん」
それに軽い会釈で答え、アクデンは背を向けて去って行った。その姿を見て、アクシスが言った。
「あいつは……アクデンは、今でもミルドラースを尊敬してるとか、勇者でもミルドラースは倒せない、なんて言って、この街では浮いた存在だったんですが」
リュカには、アクデンが何故そんな事を言い続けていたのか、分かる気がした。きっと、彼はミルドラースの事を……その強さや邪悪さをよく知っていたから、楽観的な事はとても言えなかったのだろう。
「でも、きっとあの方は心の中では、どこかで希望を信じていたのでしょうね」
シンシアが母親の気持ちを代弁するように言った。そうでなければ、とっくにアクデンは元の悪魔に戻っていただろう。
「うん。そして、ボクを信じてくれたんだ。魔王を倒してくれるって。ボクは、みんなの思いに応えたい」
ユーリルは幼い顔に凛々しさを漂わせ、力強く誓う。リュカとヘンリーは我が子たちの成長を、眩しい物を見る思いで見つめていた。
(続く)
-あとがき-
ジャハンナの町に到着。話の都合上、買い物とかするわけではないのですが……いろいろ裏設定を明かす回です。
次回は最後の仲間モンスターの話。