ヘルバトラー軍と仲間たちが渡り合っている間に、包囲網を抜け出したリュカたちは、山頂めがけて走っていた。地割れや溶岩を飛び越え、たまに現れる魔物を蹴散らし振り切り、ただひたすらに走る。
(母様、母様……! どうかご無事で……!!)
リュカはその事だけを念じていた。やがて、広大な山腹の平原にも、ようやく終わりが見えてきた。山頂に続く道の入り口に神殿のようなものがあり、そこには両腕が蛇の魔物、ダークシャーマンが門番として控えていた。
「待てい! 我等が魔王、ミルドラース様への祈りの邪魔は……」
「お前たちが!」
「邪魔だ!」
「今すぐ!」
「退きなさい!!」
ヘンリー、ユーリル、シンシア、リュカがそう叫びつつ、神殿の入り口に殴りこむ。天空の剣、パパスの剣、イオナズンとバギクロスが唸りを上げ、ダークシャーマンたちはほとんど抵抗できないまま、一瞬でズタズタにされ弾き飛ばされた。リュカたちはそんな彼らを顧みることなく、神殿を駆け抜けて山頂への道を駆け上がっていく。そして、リュカはとうとうその人をはっきりとその目に捉えた。
煮えたぎる溶岩が渦巻く火口の真ん中に、祭壇を設けた島のような場所がある。その祭壇の上で、一人の女性がリュカたちに背を向けて立っていた。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第七十六話 母
「母様!!」
リュカの声に、彼女は振り向く。その顔は、リュカにそっくりだった。リュカがあと十年、いや、十五年、時を重ねて成熟した女性になれば、その姿になるだろうと思わせる。違うのは髪の毛の色だ。リュカの髪が艶やかな黒なのに対し、彼女のそれは盛夏の木々の葉を思わせる深緑だった。
「リュカ……ああ、リュカ……!!」
女性――リュカの母親マーサは、目に涙をたたえて娘の名を呼んだ。
「どれほど……どれほどあなたに会いたかったか……私がここへ連れてこられたあの日から、一日でもあなたの事を思わない日はありませんでした」
「母様!」
リュカは叫んだ。
「わたしも、わたしもよ、母様……! ずっと会いたかった!!」
そのまま、中央の島へ続くただ一本の橋を駆け渡る。橋の幅はリュカの肩幅ほども無く、落ちれば溶岩の海に飲まれて即死だが、今のリュカには、そんなものは目にも入っていなかった。
「母様!」
そのまま橋を渡りきったリュカは、マーサに抱きついた。
「母様……母様、母様ぁ……」
生まれて初めて感じる、母の温もり。リュカにはもう言葉も無く、ただマーサの胸の中で、子供の頃に戻ったように泣き続けた。そんな娘を、マーサはぎゅっと抱きしめる。
「リュカ……良くここまで来ましたね。あなたは、私の想像を遥かに超えて、強く、そして優しい娘に成長したのですね」
そうマーサが言った時、遅れていたヘンリーと、ユーリル、シンシアが橋を渡ってきた。
「リュカ」
ヘンリーに名を呼ばれ、リュカは涙を拭って家族の方を振り向いた。
「母様、紹介するわ。わたしの家族たち。旦那様のヘンリーと、息子のユーリルと、娘のシンシア」
ヘンリーが一礼した。
「初めて御意を得ます……義母上」
続いて、二人の子供たちが駆け寄ってくる。
「おばあちゃん……」
「お祖母様……」
マーサはヘンリーに会釈し、見上げる二人に慈愛に満ちた優しい視線を向けると、屈みこんで子供たちの肩を抱きしめた。
「良く来ましたね、ユーリル、シンシア……二人とも、こんなに小さいのに、お母さんとお父さんを良く助けてきましたね」
祖母の優しい言葉に、子供たちは感極まって泣き出してしまう。辺りは溶岩渦巻き、毒ガス漂う地獄の火口だと言うのに、その真ん中にある島だけが、暖かく穏やかな雰囲気に包まれていた。
しかし、その雰囲気を断ち切ったのは、マーサだった。
「ありがとう、リュカ、ユーリル、シンシア。私のためにこんな所まで来てくれて。これでもう、何も思い残すことはありません。最後に、あなたたちに触れ合えて本当に嬉しかった」
母の言葉に、リュカがはっと顔を上げる。その母の言葉と口調は、そう、まるで死を覚悟した人のようで……
「母様? どうしてそんな事を……」
言うのですか、と聞くよりも早く、リュカはマーサの言葉の意味を知らざるを得なかった。
孫たちを抱くマーサの手が、うっすらと透けて見え始めていた。ヘンリーも息を呑む。マーサは穏やかに微笑み、娘の途中で切れた問いに答えた。
「見ての通りです。私はもう……この世の者ではないのですよ」
魔王の庇護があるとは言え、過酷極まりない魔界での生活は、マーサの身体を容赦なく蝕み続けていった。魔王を封じ込め続けるため、マーサはもはや枷でしかない身体を捨て、純粋な精神的存在へと己を昇華する事で、一人戦いを続けてきたのだ。
「それも、もう終わりです」
マーサは言葉を続けながら、少しずつ透き通った霊体へと変化して行き、実体が消えた。祖母の温もりが消えた事に気づき、子供たちが叫ぶ。
「おばあちゃん!」
「お祖母様!!」
その声に続くように、リュカが涙を流しながら叫んだ。
「母様! どうしてですか! やっと会えたのに……!!」
全てはこれからなのに。家族が揃って一緒に思い出を紡いで行く事ができるのに。幸せな日々の始まりだと、そう思っていたのに。そんなリュカの思いを察し、マーサは言葉を続けた。
「それは、リュカ。私があなたを信じているからですよ」
マーサの穏やかな言葉に、リュカは顔を上げて、消えていく母を見る。
「わたしを……? 信じる……?」
マーサは頷いた。
「親の最後の仕事は、子供たちを信じる事……そうですよね? あなた」
次の瞬間、懐かしい声がその場に響き渡った。
「その通りだとも」
声と同時に、中空に蛍の光のような淡い光点が無数に出現し、寄り集まって人の形を取った。それは……鍛え上げられた肉体に、溢れんばかりの威厳を湛えた壮年の男性。
十八年前、リュカの目の前で死んだ父、パパスがそこにいた。
「父様!」
「パパス殿!」
リュカとヘンリーが叫ぶと、パパスはすっと地面に降り立ち、マーサの肩を抱き寄せた。
「よくやったな、リュカ。こんな過酷な旅を良く成し遂げた。お前の力は、この父などとっくに超えている」
パパスはそう娘を労った。続けてマーサが言う。
「そう思ったからこそ、私はあなたに全てを委ねる決意をしたのです、リュカ。私には、もう魔王を倒す事も、封じ込め続ける事もできません。でも、あなたとあなたの家族、そして仲間たちが力を合わせれば、きっと魔王を倒すことができるはず……そう信じています」
「父様……母様……」
リュカは涙を拭った。今、自分は両親から全てを託されたのだと知った。ならば、泣いている事などできない。 パパスは娘が自分の役目を悟ったとわかると、安心した様子でヘンリーに顔を向けた。
「ヘンリー殿下……良く、リュカを守ってくださった。このパパス、心から感謝しています。ですから、こう呼ばせてもらいましょう。わが息子ヘンリーと」
ヘンリーの目に涙が溢れた。そういえば、とリュカは気づく。ヘンリーが泣くのを見るのは、これが初めてだと。男泣きをしながら、ヘンリーは答えた。
「その一言で、全てが報われる思いです、パパス殿……いや、義父上……!」
パパスが笑顔で頷く。マーサも言った。
「これからも娘をよろしくお願いします」
「はっ!」
ヘンリーが敬礼すると、今度はパパスとマーサはユーリル、シンシアに顔を向けた。
「ユーリル、シンシア。私の孫たちよ。両親を助け、立派な大人になるのだぞ」
「良く遊び、良く学び、お父さんとお母さんの言いつけをしっかり聞くのですよ」
ユーリル、シンシアはやはり涙を拭き、元気良く答えた。
「はい! おじいちゃん、おばあちゃん!!」
「頑張ります、お祖父様、お祖母様……!!」
孫たちの答えに、パパスとマーサが満足げな笑みを浮かべたその時、空から一筋の光が降り注いできた。それはパパスとマーサを包み込み、二人の霊はふわりと浮き上がった。
「どうやら、もう行かなければならないようだ」
パパスが顔を引き締めて言った。
「ええ……あなた……」
マーサが頷く。そして、リュカたちのほうを振り向いた。
「リュカ、私の娘。これが、母としてあなたにしてあげられる、最後の贈り物です……」
そう言うと、マーサは手を組み、何か祈りの言葉を捧げた。次の瞬間、眩い光が辺りを覆った。
「母様!?」
リュカは驚きの声を上げ……そして気づいた。ジャハンナからこの山頂に来るまでに消耗した魔力や、負った傷。それが全快している。いや、それ以上の力を得たような気さえする。
「母様……ありがとうございます」
リュカはマーサに言った。マーサは笑顔で頷くと、パパスに寄り添った。パパスは妻の身体を抱くと、最後の言葉を発した。
「リュカよ。私たちは、何時でもお前たちを見守っている」
「頑張るのですよ、リュカ。私たちの自慢の娘。誇らしい娘……!」
リュカは光の中上昇していく両親の霊に、手を振って応えた。
「はい、父様、母様!」
パパスとマーサが光の中に溶ける様に消えて行き……そして、天からの光もまた消えた。今までのことがまるで夢だったかのように、火口の中の島には、リュカとヘンリー、ユーリルとシンシアの四人だけが残された。ただ、夢で無い証拠に、四人とも気力・体力共に充実していた。四人は天を見上げ、それぞれに別れの言葉を口にした。
「さようなら、おじいちゃん、おばあちゃん……」
「天国で、どうかお幸せに……」
「お二人に託された使命、果たし続けます」
ユーリル、シンシア、ヘンリーに続いて、リュカも言った。
「父様、母様……わたしは、あなたたちの遺志を継ぎます。他の誰でもない、わたしたち自身の意思で」
その言葉に、家族全員が頷く。
思えば、母を助けることは、物心ついたときからのリュカの旅の目的だった。父の旅に従ってではあっても、それは間違いなくリュカ自身の目的でもあった。
その目的は、今達成された。残るのは、魔王を倒すこと。こればかりは他の誰でもなく、リュカ自身の目的。
彼女の長い長い旅は、いよいよその最後の道程に到達しようとしていた。
(続く)
-あとがき-
マーサとの最初で最後の出会い。原作ではここで碌な会話もなくマーサがゲマやミルドラースに殺されてしまいますが、ちゃんと母親と会話をするシーンを入れてみました。
原作そのままだと悲惨すぎますしね。