橋を渡りきり、もう一つのエビルマウンテンに踏み込んだリュカたちは、もはや迎撃の魔物も現れず、静まり返った山中の大空洞を歩いていた。魔物は出ない代わりに、濃密な邪気と悪意がわだかまる大空洞は、歩くだけで神経をすり減らすような場所だった。
やがて、道の終わりがやってきた。祭壇のようになった場所があり、その奥に小さな人影があった。空中に浮遊し、座禅を組んだ姿勢をとっているその人物は、緑色の肌をした、枯れたような老人の姿をしている。身に着けているのも、簡素なローブと帽子のみ。だが……その威厳、威圧感は、今まで倒してきたいかなる魔物とも桁違いのものだった。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第七十九話 魔王ミルドラース
「……良くぞ参った、伝説の勇者と、その一族の者たちよ」
リュカたちが立ち止まったのを見計らったように、その人物は声を発した。イブールのそれも人の心を揺るがすような、深みのあるものだったが、その人物の声は、イブール以上に心に働きかけるものだった。ただし、聞くものの心を凍て付かせるような、冷たく殺気に満ちたものだったが。
「……あなたが、魔王ミルドラース?」
負けないように心を奮い立たせてリュカが尋ねると、その人物は座禅を解き、ふわりと祭壇に降り立った。
「いかにも。余がミルドラース。魔王ミルドラースだ」
ミルドラースはゆっくりと祭壇を降りてくる。その一挙手一投足が、見るものの視線を縛る。目をそらせば、即座に殺されそうな気がして、目が離せないのだ。ミルドラースは歩きながら意外な事を言った。
「リュカよ、マーサの死に目には会えたようだな?」
その問いかけに、リュカは一瞬どう答えたものか迷ったが、ええ、と頷いた。それを聞いてミルドラースは笑った。
「そうか。マーサも素直に従うことはなかったが、長年余のために祈りを捧げ、良く尽くしてくれた。最後に娘に会う機会を与えたのは、余の慈悲よ」
それを聞いて、あまりにも身勝手な、あまりにも独善的な言い分に、リュカの心にカッと怒りが燃え上がった。
「慈悲? 慈悲ですって……? 愛する人から引き離され、無理やりあなたのために祈らされ……その報いとして、僅かな時間だけわたしと話したことが、慈悲だと言うの……!」
「その通りだ」
ミルドラースはなんでもない事のように答えた。
「余は運命に選ばれた者。勇者も神をもこえる存在。この世界の全ては、余の手の中にある……マーサの命も含めてな。余が余の所有物をどうしようと、余の勝手であろう?」
狂気にも似た確信をはらんだ、それは圧倒的な傲慢。リュカは叫んだ。
「違う、違う!」
「ああそうだ。断じて違う」
ヘンリーが応じる。
「ボクたちは……世界は」
「あなたの物なんかじゃない!」
ユーリル、シンシアも叫ぶ。
「良くぞ言った!」
ミルドラースはローブの中に組んでいた腕を広げ、戦いの構えを取った。
「余の前でそれだけ反骨を示してこそ、勇者の一族。来るがいい。余が世界を統べる者たる所以を見せてくれよう!!」
そう叫ぶと同時に、ミルドラースは冷たく輝く吐息を放った。リュカたちは極寒の中に沈んだが……
「いまさら、その程度で倒れるか! シンシア、爺さん、オレとユーリルにバイキルトを!」
ユーリルがフバーハでそれを防ぎ、家族を王者のマントでかばったヘンリーが叫ぶ。
「はい! お父様!」
「心得た!!」
シンシア、マーリンがバイキルトを唱える。続いてプックル、ゴレムスが力を集中させ、スラリンとサンチョはスクルトを唱えた。メッキーがルカナンを放ち、ミルドラースの守りを崩す。そして。
「いっちばーん!」
ビアンカのグリンガムの鞭が痛烈にミルドラースを打ち据え、続いてピエールとピピンの剣が続けざまにその身体を捉える。続けてオークス、ヨシュアが突きを入れ、ブラウン、ロビンの矢が突き立った。
攻撃はまだ止まない。悪魔三人衆の必殺コンボ、上級火炎呪文の三連打が炸裂した。その炎をジュエルのバギクロスで押し寄せた突風が煽り立てつつ、真空の刃で切り裂いていく。さらに。
「シーザー、わたしに合わせて!」
「オーライ、ご主人様!」
リュカのドラゴンの杖とシーザーの口から、二条の灼熱の炎が迸った。既に呪文の炎で火達磨になっているミルドラースを、より大きな地獄の業火が包み込む。
「よぉし、食らえ!!」
ヘンリーの号令一下、プックル、ゴレムス、ユーリル、ヘンリーが普段の二倍の威力に達する打撃を続けざまにミルドラースに叩き込んだ。あまりの威力に、消し止めるのも難しいと思われた炎が霧散する。
「手ごたえはあった……が!?」
ヘンリーは油断なく剣を構えた。イブールでさえこの攻撃に耐えたのだ。ミルドラースが耐えない訳がない。
「……ふむ、さすがよの」
ミルドラースは笑みさえ浮かべ、そこに立っていた。軽く手を払うと、突き刺さっていたはずの矢がぱらぱらと落ちる。豪奢なローブは原形を留めぬまでズタズタに裂け、焦げていたが、その下のミルドラースの肉体には、たいしたダメージは通っていないように見えた。
「余以外の者なら、大半は今の攻撃で肉片すら残さず消えうせたであろうな……だが、その程度で余が倒れると思ったら心得違いぞ」
「倒せるとは思ってなかったけど、ほとんど無傷と言うのも想定外よ……」
リュカが言う。
「甘く見てもらっては困るのは、余も同じぞ。だが、なかなか痛かったのも事実。褒美に余の力の一端、示してやろう」
そう言うと、ミルドラースはイオナズンを唱えた。リュカたちの真ん中で大爆発が起こり、衝撃波と爆炎が仲間たちを蹂躙していく。しかし、この呪文でさえも今のリュカたちを確実に倒すには、威力が足りないはずだった。
「ホイミン、ベホマラーを……」
リュカが言おうとした時、何の前触れもなく二度目の大爆発が巻き起こった。一発目のイオナズンで体制を崩されていた仲間たちは、二発目によって今度こそ堪えきれず、激しく吹き飛ばされた。
「きゃあっ!」
「ぐわっ!!」
悲鳴と共に地面や壁に叩きつけられ、のた打ち回る仲間たち。そんな中で、ホイミンがリュカに命じられたベホマラーではなく、ベホマズンを唱え、辛うじて全員が立ち直った。
「ぐ、何だ今のは……呪文を二回唱えたようには見えなかったが」
アンクルが片膝をついた姿勢で言う。傷は癒えたが、煤と埃にまみれた酷い姿だ。
「唱えてたとしても、早過ぎるわ。イオナズンなんて、そんなに連発できるような魔法じゃないのに」
自らもイオナズンの使い手であるシンシアも、ユーリルに支えられて立ち上がった。手品の種が見えないまま、ミルドラースはさらに追い討ちを放つ。
「ベホマズンか……その使い手は厄介だな。先に葬ってくれよう」
ミルドラースが唱えたのはメラゾーマだった。巨大な火球が出現し、それがホイミンめがけて飛ぶのと同時に、やはり二つ目の火球が出現する。
「マヒャド!」
「マヒャドっ!!」
そのメラゾーマに、マーリンとアンクルがマヒャドを打ち込み、威力をメラミのレベルまで減退させたが、それでもホイミンは火達磨になり、たまらず地面に落下した。リュカがベホマを唱えてホイミンを回復させる。
「どんな手品か分からんが、攻撃だ! とにかく攻撃しないと、こっちが保たん!!」
ヘンリーが叫ぶ。このままでは、相手の手妻を見破る前にリュカたちのほうが致命的な打撃を受けかねない。それを聞いて、バイキルトがかかったままのユーリルも続き、天空の父子は必殺の一撃を放とうとしたが……
「かあっ!」
ミルドラースの手から凍てつく波動が迸り、ヘンリーとユーリルにかかったバイキルトを含め、リュカたちの補助呪文の効力を掻き消す。そして、そのまま手を挙げ、ヘンリーとユーリルの攻撃を受け止めた。
「何だと!?」
「素手で!?」
ヘンリーもユーリルも、今の人間の中では五指に入る剣の使い手であり、装備している剣はやはり五指に入る名刀利剣の一つ。にもかかわらず、ミルドラースはその攻撃を素手で受け止めたばかりでなく、ヘンリーの腹に強烈な蹴りを打ち込んだ。
「がはっ!」
吹っ飛ばされるヘンリー。ユーリルは父を心配するより、ミルドラースを攻撃すべきと戦士の勘で状況を見切り、ヘンリーを蹴った隙を狙って魔王に天空の剣を振り下ろした。しかし、それをミルドラースは紙一重の差でよけ、ユーリルを掌底で吹っ飛ばした。
「うぐっ!」
転がるユーリル。その身体を飛び越え、怒りに燃えるピエールとオークスが、それぞれの武器のリーチを生かした時間差攻撃を放ったが、結果は同じだった。まずピエールが叩き伏せられ、オークスは二合ほどミルドラースと渡り合うが、魔王が口から吐いた輝く吐息をまともに浴び、霜の像となって階段を転げ落ちた。
「つ、強い!」
メッキーが目を見開いて驚きを見せる。魔王は体術でも並みの戦士や武闘家を遥かに凌駕する、超一流の技量を持っているようだった。思わず恐れ慄く仲間たち。
しかし、リュカは魔王の戦いを見ていて、何か違和感を感じていた。
(魔法は息もつかせぬ二連発……でも、武術はそうでもない?)
ミルドラースの武術は相当なものだが、一度に二人がかりで攻撃された時は、どちらかの攻撃は当てられるか、回避するかしていて、その間にもう一人を攻撃している。また、武術と魔法、あるいは武術と吐息、吐息と魔術、といった異なる攻撃手段の組み合わせによる連続攻撃は無いのだ。魔術でもイオナズンとメラゾーマとか、違う魔法は連発していない。
同じ魔法による攻撃だけが、連続攻撃なのだ。ミルドラースの固有能力ではなく、何らかの手段でそれを可能にしているに違いない。リュカは賭けに出ることにした。ユーリルを呼んで策を与える。
「でも、そんな事をしたらみんなが……?」
懸念する息子に、リュカは笑顔で言う。
「みんなは大丈夫。何とか耐えてくれるはず。それよりも、ユーリル、あなたに勝てるかどうかがかかっているの。やってくれるわね?」
母親の言葉に、ユーリルはこくりと頷く。それを受けて、リュカは言った。
「みんな、体勢を立て直すわよ。一度集まって!」
その手には賢者の石。仲間たちは集まるのは危険ではないかと思いつつ、リュカに何か策があるようだと判断し、いったんミルドラースとの接近戦から離脱した。それは、魔王から見れば回復のために集まったように見えたが、致命の隙でもあった。
「愚かな……」
ミルドラースは嘲笑を浮かべ、リュカたちの中心にイオナズンを放つ。大爆発に沈む一同。さらに二度目の大爆発が彼らを襲う。ミルドラースは嘲笑を勝利を確信した笑いに変えたが、次の瞬間その笑みが凍りついた。
「でやああああぁぁぁぁぁ!!」
爆風に乗って、紫色の霧に包まれた小さな身体が飛んでくる。ユーリルだ。マホステでミルドラースの二発のイオナズンを無効化し、その身体は全くの無傷。
「ぬぅ!」
ミルドラースは腕を振り上げ、ユーリルを迎撃する構えを取るが、それよりも早くユーリルが魔王の首めがけて剣を振るった。一瞬焦った魔王だが、その攻撃は大振りに過ぎる上に、正確な狙いも定まっていない事に気づき、余裕でかわそうとする。
しかし、それはユーリルにとって狙った攻撃だった。天空の剣が魔王の頭があった空間を通り過ぎ……その切っ先に、魔王が被っていた帽子を引っ掛け、頭からもぎ取った。
「!」
ミルドラースの顔色が変わる。ユーリルに飛ばされた帽子は、くるくると回転しながら、ようやく爆発の収まったリュカたちのほうへ飛んでいった。それを受け取ったのは……イオ系の爆発魔法に耐性のあるロビンだ。
「マーリン様、こレを!」
辛うじて爆発に耐え抜いたマーリンは、その帽子を見て正体を見抜いた。
「山彦の帽子! これが手品の種か!!」
それは、装備者が唱えた呪文を木霊させ、装備者の魔力を消費することなく、同じ呪文の二発目を発動させると言う、超絶的な能力を秘めた秘宝だった。ミルドラースが呪文を二連発できたのは、この帽子の存在あってこその事である。
「貴様、これが最初からの狙いか!」
ミルドラースが叫ぶと、ユーリルは鼻の頭をこすり、へへんと笑う。そう、ユーリルはリュカにこう言われていたのだ。
「お母さんが、もう一度魔王に呪文を使わせるわ。ユーリルは、マホステで身を守りながら、魔王がどうやって呪文を二連発しているか、見破って」
と。ユーリルは母の言葉に従い、続けざまの爆発の中で、二発目の呪文が発動する直前、魔王の帽子が光るのを見切っていた。そして、魔王にダメージを与えるのではなく、帽子を奪うために今の攻撃を仕掛けたのだ。
「なるほど、ちょいとお借りしますよ」
マーリンが持っていた山彦の帽子を、メッキーが横から取り上げて被ると、ベホマラーを唱える。帽子が輝き、メッキーのベホマラーが木霊となって響いたかと思うと、二発目が発動する。
「おお、これは凄い! なんて便利なんだ」
「賢者の石よ!」
「ベホマラー!」
メッキーが感心し、さらにそのベホマラー二発で回復した仲間たちが、全体回復をかけた。ミルドラースとの接近戦によるダメージと、二発のイオナズンで瀕死に追い込まれていた仲間たちもいたが、全員が無事立ち上がる。
「タネが割れたとは言え、奴が手ごわい事に変わりはねぇ! 全力で行くぞ!!」
「おうっ!」
ヘンリーの号令と共に、再び戦いが始まった。もちろん、ミルドラースは手強かった。だが、戦いの流れはリュカたちに傾いていた。一発でリュカたちに大打撃を与える手段を失ったミルドラースは次第に追い込まれていき、そして――
「はあっ!」
ヘンリーの一撃が、ミルドラースの腹を薙ぎ払い、ついでヨシュアの槍が胸を貫く。どす黒い血が驟雨のように地面を叩き、どう見てもミルドラースは致命傷を負っていた。
にも拘らず、ミルドラースは笑った。
「く、くふふ……」
「な、何だ? 何がおかしい?」
刃をミルドラースの身体に食い込ませながら、ヘンリーは尋ねた。自分たちが勝ったと言う確信はあるのに、ミルドラースの笑みは、その確信を揺るがすほどの何かを内包していた。
「大したものだ、勇者とその一族よ……お前たちは強い。ここまで強いとは思わなかった。まさかこの余をここまで追い込むとはな」
ミルドラースが言う。その時、ヘンリーは気づいた。
魔王の出血は止まっていた。そして、その身体から何かが軋む様な、あるいは地の底から何かが湧き上がって来る時の様な、不気味な音が響いてくる。
「褒めて遣わすぞ、勇者たちよ。己の力を誇るがいい」
ミルドラースの緑色の肌が、血のような真紅に染まった。
「だが、その強さが仇となる……」
そして、枯れた様な老人の姿が膨れ上がり、別の姿に変わっていく。腕が二つに裂けたかと思うと、筋肉が盛り上がり、四本の豪腕になった。
「余を、真の姿を見せねばならぬまでに追いこんだのだから」
巨体に鱗が頭部に無数の角が、それぞれ生え、ドラゴンのような翼が背中から生えてくる。
「余の本当の恐ろしさを見る事になるのだから」
今やミルドラースの身体は、最初の数十倍。ブオーンすら凌駕する巨体となり、体長とほぼ同じの、それ自体並みのドラゴンほどもあろうかと言う巨大な尾がとぐろを巻いた。
「泣くがいい、叫ぶがいい。その苦悶と絶望こそ、余への最高の供物……!!」
「こ、これが……!!」
「魔王の真の姿……!?」
驚愕するリュカたちに、ミルドラースはニヤリと笑って見せた。
「勇者などと言う戯けた血を……人の希望を、この余が根こそぎにしてくれよう。さぁ、勇者たちよ」
ゾッとするほど冷たい声で、ミルドラースは宣告した。
「ここからが、本当の地獄だ」
(続く)
-あとがき-
7のオルゴ・デミーラと並んで影の薄いラスボスと言われるミルドラース。
何とか少しは威厳を出したいと思ったんですが、これ何処のバーン様だorz