「か、勝ったわ……」
「勝ちましたね……」
二人の少女は精根尽き果てたようにその場にしゃがみこんだ。流石に冬の妖精の王だけあって、強い相手だった。ガイルがいなかったら押し負けていたかもしれない。
「そ、そうだ! ガイルさん!」
リュカは飛び上がり、斧を投げた反動でひっくり返っているガイルに駆け寄ると、ホイミを何回か唱えた。
「く……済まんな、リュカ殿」
「いえ、おかげで本当に助かりました、ガイルさん」
そこへ、ベラが桜色のシルクの長い包みを持って駆け寄ってきた。
「リュカ、春風のフルートがありました! これで世界に春を呼べます!」
「良かったです、ベラさん」
リュカは微笑んでベラと握手をした。すると、今度はザイルが意識を取り戻した。
「うう……いてぇ。一体何があったんだ?」
戸惑うザイルに、ガイルが言った。
「この方たちに礼を言うんじゃ、ザイル。雪の女王に騙されていたお前を助けてくれたんだからの」
ガイルはザイルに事情を説明した。誤解が解けたザイルは低姿勢で謝った。
「そうか……迷惑かけてごめんよ。俺がした事で、人間界にまで迷惑をかけてたんだな」
「ううん。わかってくれれば良いですよ」
リュカは気にしないで、とザイルの肩を叩いた。
「では、ワシらはいったん家に帰る。いずれ折を見て謝罪に参るとポワン様にはお伝えして欲しい」
「わかりました。そのように」
ガイルはベラに挨拶し、ザイルを連れて先に帰っていった。
「では、帰りましょう。リュカ。あなたも家に帰さないと」
「はい、ベラさん。おいで、プックル」
疲れた様子のプックルを抱いて、リュカはベラと一緒に妖精の村に戻った。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第八話 春の夜の夢
「これはまさしく春風のフルート! リュカ、本当に良くやってくれました。何とお礼を言っていいか……」
村に帰り、フルートをポワンに渡すと、ポワンは涙を流さんばかりに喜んだ。他のエルフたちも、今はリュカを尊敬の眼差しで見つめている。
「いえ、春が来ないと、村の皆も世界中の人も困ってしまいますから。それに、頑張ったのはガイルさんも同じです」
リュカは謙遜でなく本気で言った。
「そうですね。ガイルは先代の追放令を解き、いつでも村に来てもらえるようにしましょう。ベラ、後で使者として行ってもらえますか?」
「はい、ポワン様」
ベラは頷いた。
「さて……さっそく春を呼ぶ事にしましょう」
ポワンはフルートを口に当て、そっと息を吹き込んだ。軽やかで柔らかな音色があたりに広がる。音を聞いただけで、身体が暖かくなるようだとリュカが思った時、世界は劇的にその姿を変えた。
雪がたちまち溶け、池の氷も消えて、魚やカエルが泳ぎ始める。地面は芽吹いた草で覆われ、森の木々も一斉に花を開かせた。躍動する春の色が一気に白い冬の世界を塗り替えていく。
「きれい……」
リュカは思わずうっとりした声を上げた。曲を吹き終えたポワンは、フルートをしまって立ち上がると、リュカに小さな植木鉢を差し出した。
「リュカ、お礼にこの木を授けましょう」
「ポワン様、これは?」
リュカは植木鉢を受け取って尋ねた。見ると桜の苗木のようだが……
「これは妖精界の桜の苗です。もし何時か、あなたが困った事があって私達妖精の力を借りたくなったら、この木のところへおいでなさい。きっと妖精界に導いてくれるでしょう」
リュカは頷いた。
「はい、ポワン様。この木、きっと大事にします」
「では、リュカ……名残は惜しいですが、そろそろお別れの時間です。ですが、私達はいつでもあなたを見守っていますよ」
「さよなら、リュカ。私、いつまでもあなたを忘れない」
ポワンとベラの別れの言葉に、リュカは涙を拭って答えた。短い間だったが、冒険を共にした仲間との別れは辛いものだ。
「うん……わたしも忘れない。ベラさん。ポワン様。お元気で……!」
この世界へ来た時のように、リュカの視界を白い光が包み込み……そして消えた。
「お嬢様、お嬢様。もう日も高いですよ。起きてください」
サンチョに身体をゆすぶられ、リュカは目を覚ました。
「あれ……サンチョさん?」
「お目覚めですか、お嬢様」
「うん……」
リュカは目をこすった。今のは夢……?
「とても気持ちのいい朝ですよ。夜が明けたら急に春が来たようで、ほら見てください」
「え?」
リュカはサンチョが指差した窓の外を見た。昨日までとは違う、暖かく柔らかな日差し。緑に芽吹いた木の梢には小鳥が歌い、花には蝶がとまっている。そして、農作業を始めた村人たちの笑いさざめく声。
「さ、朝ごはんにしましょう。お嬢様……ところで、これはどうしたんですか?」
サンチョの言葉にリュカは窓の方から振り返り、そして満面の笑顔を浮かべた。
(夢じゃなかったんだ!)
そこにあったのは、テーブルの上に載った桜の苗木と、鈍く輝く鉄の杖。そして、まだベッドの上で寝ているプックルの首にかかったエルフのお守り。リュカは不思議そうな表情をしているサンチョに言った。
「友達に貰ったの!」
春の訪れから数日が過ぎ、リュカは家の裏で苗木に水をやっていた。
「早く大きくならないかな……」
もちろん、そんな急に大木になるわけは無いのだが、桜は苗木ながらも小さな花をつけていた。それが今は違う世界にいる友達の事を思い出させる。
如雨露が空になったところで、リュカは家の中に戻ろうとして、見知らぬ人物が中から出てくるのに気がついた。紋章を刺繍したマントを着た、兵士らしい男性である。彼は見送りに出てきたサンチョに一礼した。
「では、パパス殿によしなに願います」
「承知しました」
そのやり取りと共に男性は去っていった。リュカはサンチョに尋ねた。
「サンチョさん、今の人は?」
「あ、お嬢様……今の方は東のラインハット城の王様からの御使者です。旦那様にお手紙を、と」
「父様に?」
リュカが聞き返した時、背後から声がした。
「ん? 私がどうかしたのか?」
振り向くと、洞窟から帰ってきたパパスが立っていた。
「おかえりなさい、父様」
「旦那様、お帰りなさいませ。実は……」
サンチョは事情を説明し、使者から預かった手紙をパパスに渡した。
「ラインハット王が? ふむ……こんなところで見るのもなんだ。中に入ろう」
パパスに促され、一同は家の中に入った。食堂のテーブルにつき、パパスは封蝋を剥がして手紙を読み始めた。
「……旦那様、王様は何と?」
パパスが読み終えるところを見計らってサンチョが尋ねた。
「ふむ、王は第一王子ヘンリー様の教育係として、私を招聘したいと仰せだ」
パパスの言葉に、サンチョが眉をしかめた。
「教育係? ラインハット王も異な事をなさる。旦那様は……」
「おっと、そこまでだサンチョ。今の私はパパスと言う一介の戦士に過ぎんのだからな」
サンチョの言葉を途中で封じ、パパスは言った。
「ラインハット王とは知らない仲でもない。わざわざ私を指名してきたのだ、よほどの事情であろう……とりあえず、会って話をしてみようと思う」
サンチョはあまり賛成できない様子だったが、結局は頷いた。
「わかりました。旦那様がそう仰るなら。ですが、ラインハットの情勢は今かなりキナ臭いとの噂。どうかお気をつけて」
「うむ、わかっておる。まぁ、それほど長くはかかるまい」
パパスは頷き、リュカのほうを向いた。
「と言う事で、明日にでもラインハットに向かうと思う。リュカ、お前も来なさい。ラインハットのヘンリー王子はお前と同じ年頃だそうだ。遊び相手になってやって欲しい」
リュカは頷いた。
「はい、父様」
その夜、父娘は一緒のベッドで眠った。普段はパパスが遅くまで調べ物をしていたりして、あまり一緒に寝る事はなくなっていたので、一緒に寝るのは随分と久しぶりの事だった。
「父様はやっぱり暖かいですね」
リュカは父親の暖かさが好きだった。旅の間はいつも親子で一つのベッドを使っていたものである。最近はプックルが一緒に寝てくれるから寂しい事はなかったが、やはり父と一緒と言うのは安心できる。
「そうか……そういえば、最近はお前と一緒に寝る事はなかったな」
パパスはそう言いながら娘の髪を撫でる。
「リュカ、この仕事が終わったら、父さんは一度故郷に帰ろうと思う。今まで旅から旅に連れ回し、この村に戻ってからもあまり遊んでやれなくて、寂しい思いをさせたからな。これからはずっと一緒だ……リュカ?」
娘からの返事が無いので、パパスはリュカの顔を見た。その両目は閉じられ、安らかな寝息が漏れていた。
「くぅ……すぅ……」
パパスは微笑み、両腕の中の小さな、そして大事な宝物を抱いて目を閉じた。娘の安らかな眠りを守るために。
――そして、それが二人が共に過ごした、最後の夜になったのである。
-あとがき-
妖精の国編、完結です。いよいよ幸せだった幼年期の終わりが近づいてきました。