「……う?」
目を開けたヘンリーの視界に真っ先に飛び込んだのは、自分に背を向け、泣きじゃくっている二人の子供だった。
(何があった……? オレは死んだんじゃなかったのか?)
確かに、ミルドラースの攻撃で胸を貫かれた記憶がある。その証拠に、服には大穴が開いている。到底ベホマなどで治癒できる傷ではなかったはずだが……
「ユーリル、シンシア……っ!」
子供たちに声をかけようとして、ヘンリーは気付いた。気付いてしまった。
何故子供たちが泣いているのか。
何故自分は生きているのか。
何故彼女は倒れているのか。
「……馬鹿野郎」
ヘンリーは搾り出すように言い、そして同じ言葉を、今度は魂からの慟哭として叫んだ。
「馬鹿野郎ーっ!!」
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第八十一話 闇の終焉
ヘンリーは子供たちの脇を通り、妻の身体を抱き上げた。軽い、何かが抜けてしまったような軽い身体を。
「目を覚ませよ、リュカ」
ぺちぺちと頬を叩く。リュカは答えない。
「起きろよ、リュカ」
肩を揺すぶる。リュカは答えない。
「聞こえてるんだろ? だってお前笑ってるじゃないか」
必死に呼びかける。リュカは答えない。
「何でだよ……誰がそんな事をしろって言ったんだ。答えろよリュカ! 親分の命令が聞けないのか!?」
耳元で叫んでも、リュカは答えない。もう答えられないのだ。
メガザル……それは、自らの魂と引き換えに、全ての仲間たちを蘇生させる、回復系魔法最大の秘術。ヘンリーがこうして生きている以上、リュカはもう……
そこへ、メガザルの効果で蘇った仲間たちが、三々五々集まってきた。灰すら残らなかったはずのアンクルやゴレムスも、無事な姿を見せる。だが、その表情は一様に沈痛だった。
「リュカ……!」
ビアンカが顔を覆った。
「姫様……!!」
サンチョが顔を背ける。
「…………!!」
プックルが悲しい声で吼えた。皆、粛然として言葉も出ない。だが、その時、ヘンリーの脳裏にリュカの声が聞こえたような気がした。
「……そう言うことなのか? 魔王を倒すには……」
ヘンリーはリュカの顔を見る。傷つきながらも、安らかに、そして微かに微笑んでいるような妻の表情に、ヘンリーは今脳裏に聞こえた声が……リュカの遺志が本物だったと悟った。
「みんな……今……聞こえたか?」
ヘンリーは仲間たちの顔を見渡した。声に出して答えた者はいなかったが……既に仲間たちの涙は止まっていた。子供たちも泣くのをやめている。
「……メガザルか。そんな隠し玉があったとはな」
そこへ、自らのジゴスパーク暴発に弾き飛ばされていたミルドラースの声が聞こえた。
「ミルドラース……!」
眦を吊り上げるヘンリーに、ミルドラースは落ち着いた様子で答えた。
「分からぬものよ。失われた時にそれほどに苦しむのを承知で、何故誰かを愛する」
ヘンリーはそれを聞いて、リュカの身体を抱き上げると、少し離れた、戦いの影響が無さそうな場所に横たえた。
「すぐ、終わらせてやるよ」
そう言って、冷たくなったリュカの唇に軽くキスをすると、ヘンリーはミルドラースに向き直った。
「分からないか。分からないならそれでいい。だが、その気持ちが分かっていれば、あんたは魔王なんぞにならなくて済んだかもな」
その答えを聞いて、ミルドラースは不快そうな表情を浮かべた。
「訳のわからぬことを……」
唸るように言うミルドラース。ヘンリーは剣を構えた。
「オレたちは、もうお前なんかには負けない。オレの……オレたちの命は、もう自分だけのものじゃない」
仲間たちも一斉に武器を構えた。
「お母さんがくれた命……」
「あなたにぶつける!!」
ユーリル、シンシアも武器を、あるいは呪文を唱える構えを取る。
「何故だ……」
ミルドラースは理解できない、と言う口調で言った。
「何故、お前たちは余を憎んでいない?」
最愛の人を殺され、憎しみに燃えるはずのヘンリーたちから伝わってくるのは、自分を……この魔王ミルドラースを哀れむ心。
「……やめろ。やめろ!! 何故余をそんな目で見る!! 何故だ!!」
ミルドラースは苛立ち、相手を叩き潰そうと四本の腕を振り上げる。しかし。
「はあっ!」
ビアンカがグリンガムの鞭を振るい、腕の一本をからめとる。反対側の腕の一本には、ゴレムスが破壊の鉄球を振るって鎖を巻きつけ、その動きを封じた。
「ぐっ!?」
腕が動かせない事に気付き、ミルドラースは驚愕する。それでも、残る二本の腕で敵を叩き潰そうとするが、標的となったユーリル、シンシアの前にサンチョとピピンが立ちはだかった。二人が盾を掲げ、真っ向から鉄拳を受け止める。
「!?」
ここでも、ミルドラースはその光景の意味を理解できなかった。さっきは易々と一撃で相手の命を奪えた拳が、あっさりと相手に受け止められていたのだ。
この時、あまりの事に呆然としていたミルドラースは、その隙に駆け寄ってきた敵の存在に気付く事ができなかった。気付いた時には、ヨシュアとオークスの槍が深々と腹を抉っていた。
「おごおっ!?」
真の姿を現す前、老人の姿の時にも感じる事のなかった凄まじい激痛が、ミルドラースの全身を硬直させた。さらにブラウンとロビンが続けざまに放つ矢が、全身の至る所を貫く。
「うおおおっ!」
ピエール、サンチョが叫喚と共に突撃し、ミルドラースの背に生えた翼を同時に叩き落した。プックルとスラリンが首筋に牙を突き立て、肉を、血管を抉り引き裂く。無敵のはずの肉体が、波に洗われる砂の城のように崩れ破壊されていく。
「がっ……なっ……めるなぁ……!!」
ミルドラースは尻尾を振り回し、次々に斬りつけてくる相手を振り払った。しかし、薙ぎ払われた者たちは、ホイミンとメッキーのベホマラーでたちまち回復し、倒すことができない。
(おのれ……だが今のうちだ)
ミルドラースは深く精神を集中し、瞑想に入る。周囲に渦巻く魔界の邪悪な気を身体に取り込み、受けたダメージを回復させる。しかし……
(完全に治らぬだと……馬鹿な!?)
傷が完全に塞がらない。切り落とされた翼が再生しない。かつてヘルバトラーやライオネック、ギガンテスたち三魔将と戦い、力でねじ伏せた時も、彼らからここまでの打撃を与えられた事はなかった。
そして、尻尾に弾かれた戦士たちが体制を整える間に、魔法使いたちが次々に攻撃魔法を撃ち込んできた。ミニモンのイオナズン、サーラのメラゾーマ、アンクルのベギラゴン、マーリンのマヒャド、ジュエルのバギクロス。最上級の攻撃魔法が立て続けに炸裂し、癒えきらない傷をさらに抉り、ミルドラースを蹂躙する。
「がふっ……ば、馬鹿な……何が起きた。貴様ら、何故そこまで強くなった! さっきとはまるで違う……!!」
たった一撃で命を奪えた弱者たちが、僅かな間に見違えるほどに強くなり、無敵のはずの自分に大打撃を与えてくる。その信じ難い現実に、ミルドラースは何故だ、何故だと問いかけ続ける。それに答えたのはヘンリーだ。
「まだ分からないのか。オレたちは何も変わっちゃいない……!」
パパスの剣を振りかざし、ヘンリーは突進する。そう。リュカの命を分け与えられたとしても、それによってヘンリーや、仲間たちが力量を上げたわけではない。
「変わったのはお前だ、魔王! お前が弱くなったんだ!!」
天空の剣を低く構え、ユーリルが父に併走する。天空の父子は高々と跳躍し、まずヘンリーが真一文字に剣を振り抜いた。
「今だけ目覚めろ、オレの中の勇者の血よ……ギガスラッシュ!」
腕が砕けても構わない。その気迫がヘンリーの眠れる力を呼び起こし、山をも砕く斬撃がミルドラースの胴体を横に深々と斬り裂いた。そして、父親よりさらに高く、力強く跳んだユーリルが、ジャンプの頂点で剣を天に掲げた。その剣にギガデインの稲妻が落ち、紫電が刃となってミルドラースの身体に縦一文字に叩き込まれた。
「ギガ……ブレイクっ!!」
ヘンリーの一撃とあわせ、聖なる十字を魔王の肉体に刻んで、剣が駆け抜ける。魔王の肉体を持っても殺しきれなかった威力は地を割き、ミルドラースが瞑想していた祭壇を粉微塵に破壊した。
「おお……があぁ……」
よろめき、祭壇の残骸にもたれこむようにして体制を崩すミルドラース。そこへ、後方でずっと精神を集中させていたシンシアが、静かな声で告げた。
「力しか信じられない、愛する事も知らない、可哀想な人。あなたは、自分の孤独に負けたんです……ビッグバン!」
次の瞬間、ミルドラースの足元で、ジゴスパークを遥かに凌駕するエネルギーの塊が爆発した。高熱と衝撃波、飛び散り刃のように突き刺さる岩盤が、既に傷つき果てた魔王の巨体を打ちのめした。
「がああ……認めぬ、余は認めぬぞ」
半ば溶解した地面に手を突き、ミルドラースは敵を睨んだ。
「余が……弱くなっただと? 何を言う……貴様たち、それほどの力を……!」
ヘンリーとユーリルの剣、シンシアの超威力の魔法。それだけではない。自分の腕を軽々と拘束したビアンカとゴレムス。他の者たちも、易々とミルドラースの身体を傷つけた。彼らが強くなったとしか思えなかった。だが。
「隠していたわけじゃない。さっきのアンタなら、オレたちに今の技を使う隙すら与えなかっただろう」
ヘンリーは答えた。
「それは、ボクたちが魔王、お前を憎んでいたからだ」
ユーリルが言った。
「怒りや憎しみはあなたの力の源。それを抱いて戦っていた私たちが、あなたに勝てるはずがなかった」
シンシアが言った。
「それを、姫様が教えてくれた……!」
サンチョが言った。
「自分の命を懸けて、お前と戦う道を示してくれた!」
ビアンカが言った。
「だから、我々は憎悪を持ってお前に対しない!」
ピピンが言った。
「魔王、ミルドラースよ。お前はマーサ様の仇」
オークスが言った。
「しかし、仇討ちなどという小さな理由では、もはや我等は戦わぬ」
メッキーが言った
「仲間を信じ、自分を信じ、ただ己の全てをぶつけるのみ!」
ピエールが言った。
「それが我等が盟主、リュカ殿の……」
マーリンが言った。
「真の聖母たるお方の遺志!」
アンクルが言った。
「あ……ああ……!」
ミルドラースは、初めて恐怖を覚えた。憎しみをぶつけてこない、殺意すらない、そんな敵を彼は理解できなかった。理解できないものほど恐ろしいものは、この世には存在しない。
その恐怖が、糧となる憎悪が無い事が、ミルドラースの動きを鈍らせる。次から次へと襲い掛かってくるリュカの仲間たちの攻撃を防ぐことができない。
「ふ、ふざけるな……余は魔王ミルドラース! この世の全てを統べる運命の者。その余が、恐怖などと……!!」
追い込まれ、ミルドラースはそう叫びながら切り札のジゴスパークを放とうとする。空中に巨大な雷球が出現し……
(いや、違う!?)
ミルドラースは気付いた。それはジゴスパークのプラズマ球ではない。
「これで終わりにしてやる、魔王……!」
ユーリルが叫ぶ。そして、次の呪文に、全員が唱和した。
『ミナデイン!!』
次の瞬間、雷球は轟音と共にミルドラースの頭上に落下してきた。回避する余裕もなく、ミルドラースは勇者の神罰の雷をその全身に受けた。
「ぐわああああああああああああ!!」
強大な電流がミルドラースの身体、その組織、それを形作る細胞の一つ一つまで打ち砕き、焼き尽くしていく。もはや自分の消滅が避け得ない事を悟り、ミルドラースは叫んだ。
「何故だ! 余は全てを超えた者! 余が敗れる事など有り得ない!!」
崩れ行く魔王を見下ろし、ヘンリーが言う。
「そうだ。アンタは強い。だが、それだけだ」
なに? とミルドラースはヘンリーを見る。しかし、答えの続きを言ったのはシンシアだった。
「その強さで、あなたは何をしたかったの? 何も生まない強さなど空しいだけ……」
何を言っている? 余は神に……
「強いから神様になれるんじゃない。強さだけで誰をも従わせられると思ったお前は、神様にはなれない!」
ユーリルがミルドラースの思いを否定する。その言葉自体が打撃力を持っていたかのように、ミルドラースの腕が崩れ、彼は地面に突っ伏した。
馬鹿な……強さこそ、力こそ全てではないのか。なおも思い続けるミルドラースの脳裏に、一つの声が響いてきた。
父様も母様も強い方だった。わたしよりもずっと。でも、あなたには勝てなかった……それは、一人だったから。
一人だった……から?
そう。一人より二人。二人より三人。力を束ねれば、それだけ強くなる。誰にでも分かる簡単な理屈よ。違う? もしあなたに、あなたのために戦って逝ったゲマやラマダ、イブール……それに三魔将。彼らの事を心にかける気持ちがあったなら……
そうか、とミルドラースは思った。
自分の拠り所は唯一つ、己の力のみ。それが崩れた時には、文字通り無力な存在になるしかなかったのだ。そんな脆い神などいない。
そして、ただの人であるはずのリュカは、多くの仲間に支えられ、自分を凌駕した。正しい道を歩んできたのは誰か、それは自明の事。
ミルドラースは、何故自分が敗れたのか。何故自分は神になれなかったのか、自分に足りなかったものが何なのか、それを知った。
(礼を言おう。余の負けだ、リュカよ……そなたは……まさに……聖母……)
死してなお、自分を完膚なきまでに破り、そして救った。そんな相手に、ミルドラースは生まれて初めて、他人への心からの感謝と敬意を表し……そして、意識も肉体も完全に消滅した。
(続く)
-あとがき-
ミルドラースは倒れました。次回よりエンディング……最終章となります。
あと少しお付き合いください。